重たい掲示板
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Loginはこちら【2027】[2406]庶民感覚の経済の話をさせてください。
最近の話しです。地元の某地方銀行にて、普通預金の口座を開設しようとしたところ、行員は「普通預金にはほとんど利息がつきません、今お得な投資商品があります、年利8パーセントの商品です」と話しはじまました。
いや私は普通預金の口座を開設したいのですと言いますと、おとなしそうな行員がいきなり形相が変わりまして以下のような話をまくしたて始めました。
「お客さん普通預金には利息がほとんどつかないのですよ、私が勧めている商品には、なんと8パーセントの利息がつく商品なのですよ」私はここ言いました。
「私は普通預金の口座を開設するために来たのですよ」そう言いますと、行員はいきなり切れまして「お客さんあなたは特殊な考えの持ち主ではないですか」と。すぐに私はこの勧められた金融商品が危ないものとわかりましたので、すぐさま断りなんとか普通預金の口座を作りました。
以下の感想を持ちました。
1. マイナス金利の影響もあり地方銀行が相当追い詰められているなと。
2. 普通預金の口座を維持することが銀行にとって重荷になってると実感しました。今後銀行のもつ社会的な役割とはなにか。
3. 行員の勧めた8パーセントの商品とはいったいなんなのかです。もちろん行員の説明は聞きませんでした。この商品に対するヒントは、副島先生の近著「絶望の金融市場」に書かれていることそのものではないかと考えます。ハイリスク・ハイリターン商品を銀行の窓口にてすぐに勧められるという今の庶民生活の実態を知っておく必要がありそうです。
現在の主流派経済学をマネタリストといわれているようです。
偉い経済学の先生の学説を一経済学部出身者が疑問を呈するのもおこがましいのですが、是非庶民感覚として疑問を呈したいと考えております。
マネタリストの先生によりますと、「経済の好況不況の問題は、すぐれて貨幣の供給量の問題である。不況を好況にするには貨幣の供給量をふやさなくてはならない。」「日銀が貨幣を多量に市中銀行に供給することにより好況となる。」このような主張ではないかと存じます。
私の以前からの最大の疑問は、たとえば市中銀行にじゃぶじゃぶマネーが日銀より供給されたとします。ところが、市中銀行に供給されたマネーを一般庶民にどのような仕組みで渡されるのかを明確に言っていないと考えます。新進気鋭のマネタリストの先生の本も読みましたが、その点があきらかではありません。ではなぜ明確ではないのだろうか。
私は、このような金融緩和という手法を使うのではなく、ダイレクトに、国民に1か月10万円なり配れば景気はよくなると考えておりました。副島先生の先ほど紹介しました「絶望の金融市場」に書かれていますが、アメリカにてこのような主張をする経済学者と政治家が出始めているようです。ステフアニー・ケルトン教授とオカシォ=コルテス議員のようです。
先ほどの話に戻りますが、金融緩和されたじゃぶじゃぶマネーが一体どのよな使い道になっているのか。金融緩和のマネーの行き先の一つは不動産投機であることは間違いないでしょう。これについて相当有力な証言となる本を最近購入しました。朝日新聞出版 藤田知也著「やってはいけない不動産投資」です。この著書は是非お読みいただければと思います。
スルガ銀行問題などそれにかかわる深い闇をよく書かれていると思います。不動産投資に関して法律違反が横行している実態を知っておく必要がありそうです。
この著書にあるように、脱法行為、不正行為又は経済犯罪行為が横行した社会で、まともな資本主義を営めるのか。すでに営むことそのものができなくなっているのか。
このことを考えるヒントとしても、前述した二つの書物をお勧めいたします。
【2026】[2405]そうですか、月面着陸は無かった、が、ついに、大きくバレ始めました。感慨深い。
副島隆彦です。 今日は、2019年5月23日(木)です。
私は、5月16日からずっと、米中貿易戦争(今や、その通りの激しい 経済戦争になってしまった)の 記事や情報を追いかけていた。 他の 原稿書きの仕事もあった。
この米中貿易交渉を巡る 目下の、世界的な政治紛争に ついては、このあと、数日したら、書いて載せます。
それよりも、 やはり 「アメリカによる、人類の月面着陸(1969年、から 6回)は、無かったのだ」という 問題が、急に表に出てきた。それは、この 重たい掲示板の、
下 ↓の「2403」番に、田中進二郎君が、2日前の、5月21日に、貼り付けてくれたとおりだ。
(再度の貼り付け 始め)
重たい掲示板 [2403] ジュリアン・アサンジ氏(イギリス警察に拘禁中)のウィキリークスが「月面着陸」の映画撮影現場のフィルムを流出
投稿者:田中進二郎 投稿日:2019-05-21 03:51:17
(貼り付け終わり)
副島隆彦です。
このユーチューブの動画は、先月、4月11日に、ロンドンのエクアドル国の大使館に、7年間、政治亡命(ポリティカル・アサイラム)していた、ウィキリークスの主宰者の ジュリアン・アサンジが、イギリスの政治警察に、襲撃されて、逮捕された。この事態に怒った、ウィキリークスの同志たちが、計画しておいたとおりに、大反撃として、 「アメリカ政府の犯罪」を 世界中に知らせる、として、予定通りに、公開したものだ。 みなさんも、とくと、何度でもじっくり見て下さい。
「人類の月面着陸は無かったろう論」
https://www.amazon.co.jp/dp/4198618747/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_1NG5CbKR8SZSR
私が、この情報を知ったのは、この5月21日の、 午後2時35分に、一本の電話を貰った時だ。 「先生ー。 あんたが、言っていたとおりだよ。NASA のアポロ計画の 月面着陸は、無かったんだな。たいした、もんだよ。先生は。 今、ネットで、大騒ぎになっているよ。 ユーチューブに、 ウィキリークスが、発表した、「月面着陸の 撮影の 様子を撮した、動画が 出ているよ」
私、副島隆彦 「ホントですね。 へー、そうですね。 ついに真実が、明らかになったのですか。それは、ありがたい。私としては、自分がずっと言ってきて、本にも書いたことだから、嬉しいです 」 と言いながら、横の助手が、PCを開いて、そのユーチューブの画面を、私も見た。見ながら、電話してくれた相手と、話し続けた。
「せんせー。あんたは、偉いよ。やっぱり、月面着陸は、ウソだったんだな。アメリカは、よくやるねー、こんなことを。50年間も、オレ達は、ずっと騙されていたよ。
私たちの間では、副島先生が、ずっと、アポロ計画は、捏造(ねつぞう)だ、言うから、そのことで、ずっと、話題になっていたンだ。そんなはずはないよ、アメリカはちゃんと、宇宙飛行士たちを月面着陸させていいよ。 副島先生は、こればっかりは、どうも信じられないよ、と、みんなで、言っていたんだ。
私「 副島隆彦のことを、キチガイだとか、妄想癖(もうそうへき)だとか。あんなことを書かなきゃいいのに。講演会でも、ずっと、言ってたからな-。信用を無くすだけなのに、と、皆さんで、私のことを言っていたんでしょう」
Mさん「そうだよ。言った。みんなで、副島は、キチガイだ、バカだ、と、言って盛り上がっていたんだよ。オレもさんざん、言ったよ。でも、やっぱり、NASAは、行ってなかったんだ。出来るわけ無いよなー、月面着陸なんてさ。考えてみれば、そうなんだよ。センセーは、それを、早くから見抜いていたんだから、たいしたもんだよ 」 と、その人は私を褒(ほ)めてくれた。
この人は、大金持ちの、お医者様で、投資家としても相当の腕のある、本当に頭のいい人だ。そして上品な紳士だ。私は、この人を尊敬している。 日本にも、こういう本当に、スマートで、シャープな頭をした、ずば抜けて頭のいい、秀才がいるものだ。私は、こういう鋭い、頭のいい、人たちを、自分の 金融本 や歴史、政治思想 本の読者として、全国に、数万人、抱えている。
それが、私、副島隆彦が、30年掛けて、営々と作ってきた自分の信用だ。自分の実績だ。この 実績だけは、今も壊れていない。 人間の価値(値段)は、その人が、努力して築き上げてきた、信用と実績だけだ。 この実績でしか、人間の 値段は、測定できない。
本物の男たちは、相手を見るときに、その人の実績しか、見ない。それでしか、相手を判定、判断しない。
このことが、分からない、そこらの、ひよこ のような、値段のない人間たちは、少しは、恥じ入らなければいけない。いい歳をして、自分の実績を持たない者は、「人間は、皆、平等。生まれながらに平等 」などと、言っていてはいけない。それは、人類(人間)を、増長させて、我が儘(まま)にして、思い上がらせるための、策略だ。
私は、この電話を貰ったあと、重たい掲示板の、田中進二郎くんの、この 投稿文の、ジュリアン・アサンジが、主宰する、ウイキリークスが、公開して、YouTube に載せられた、世界中の、感覚の鋭い人たちが、共有している、真実の言論、真実の情報の ネットワークを、私なりに調べた。
すると、世界中の主要なメディアは、5月23日(水)時点で、どこも、「人類の月面着陸は、捏造であった」の、記事も、評論も出していない。彼らは、またしても、押しつぶす気だ。世界中の主要メディアの、民衆支配のための、「報道、言論機関」どもは、ウイキリークスの、ジュリアン・アサンジたちの 世界真実メディアの、闘いを 無視して、このまま、黙殺、封殺する気だ。
私、副島隆彦は、また、これからも、このあとも、厳しい持久戦(じきゅうせん)を続けなければいけないことを、覚悟した。
私は、「ああ、よかった。ようやく、大きな真実が、白日の下に晒(さら)されて、人類が、すべてで、アメリカ政府が、50年前に行った、犯罪である、人類の脳を騙し、人類に、大きな愚鈍と、不正を押しつけた、宇宙計画のウソ(出来もしないことを、やったと、言ってしまった)が、暴かれた。私が、まだ生きているうちに、大きな真実が、判明した」
と、一瞬、喜んだ。が、これも、ぬか喜びだった。
私たちの日本国なんか、世界の端(はし)っこの、ほんの一部(それでも、1億2千万人いる)だから、世界が先に変らなければ、日本から、真っ先に変ることは出来ない。日本人は、世界の動きを追いかけて、そのあとを、ついて行く人たちだ。だから、世界言論、世界メディアが、ひっくり返らなければ、日本から、率先して、大きく前進することはない。出来ない。
と、私、副島隆彦は、ずっと、書いて来た。だから、世界メディアが、ガラガラ、崩れないと、日本からは、まだ、この虚偽、捏造(hoax ホウクス と言う。人をかつぐこと、騙すこと)の崩落(ほうらく)は、どうせ起きない。
それでも、今、おそらく日本で百万人単位で、この虚偽への 疑い、懐疑、疑念が湧いて、気づいて、そして、それが、300万人、1千万人になりつつある。そのことを、私は、日本でこの問題を領導、牽引してきた者として、がっしりと、実感を込めて、受け止めている。
臆病者たちは、後(うし)ろから着いてくる。彼らは、権力者や、支配者たちに逆らわない。逆らったら、自分が、ヒドい目、イヤな目に遭(あ)わされる、と分かっている。だから、「(丁度)50年前(1969年7月20日だから、あとすこしで50年だ。50周年記念だ )に、アメリカのNASA(米航空宇宙局)がやったことにした、アポロ計画の飛行士たちの 月面着陸、そして、無事、帰還、というのは、ウソ、やらせ、捏造だったんだってさ」と、 皆で、言い合うのは、もう少し先だ。
それなら、それでいい。 だが、この時期が、かなり、早まってきた。 あと、半年も持たないだろう。あの、正直者の、暴れん坊の、トランプ大統領は、今や、独裁者に近い。 何でも、自分で、決める。閣僚たちの首なんか、自分に逆らったら、いくらでも切り散らかす。
トランプ大統領は、言うだろう。「ああ、NASAによる月面着陸は、ウソだったんだってな。私は、大統領になった時に、申し送り事項で、代々の大統領が引き継ぐ、国家秘密の中に、このことも入っていた。そのように、事務官僚からご進講(しんこう)されたよ。 だけど、もう、こんなウソをついていては、いけない。あれは、ヤラセだった。アメリカ政府が、世界中の人々を騙したのだ。今のアメリ合衆国の政権担当者として、私は、謝る(ペコリ)。以上終わり」 と、やるだろう。
トランプは、そういう男だ。それで、それで、あとは、どうなるのかな? 「アハハ、いやー、悪かったね。長いこと、騙して。あの時は、アメリカとしては、ソビエトとの、宇宙開発競争、長距離の核兵器競争があって、仕方がなかったんだよ」 と、なるだろう。
トランプは、「だけど、まあ、ケネディ殺し の件は、まだ、表に出せないけどな」と、口には出さないが、そういう顔するだろう。それは、あと、半年ぐらいのことだろう。
世界というのは、こういうもんだよ。この程度のものだ。人間(人類)という愚かな生き物(動物の一種だ)は、集団で、まとめて騙されるのだ。想像力(イマジネイション)という愚かな空想力を持っているものだから、その分、どれだけでも纏(まと)めて騙される、と、私、副島隆彦は、達観、諦観(ていかん)しているから、何も動じることはない。
それよりも、私の敵たちだ。、私が、ここの 学問道場で、この「どうも、アメリカのNASAのアポロ計画の 1969年の、人類の月面着陸は、なかったようだ」と、書き始めた、2003年 の 4月29日 だ。 あのあと、激しい、非難と攻撃が、私たちの学問道場のこのサイトに押し寄せた。もの凄い攻撃だった。コンピュータ・ウイルスを送りつける攻撃もあった。それは、IPアドレスで、追跡したら、東京大学や、大阪大学からのものも有った。
それらの、IP(アイ・ピー)アドレスは、よしなお君が、採集して、それらは、今も、私が、翌年(2004年6月刊)書いて出した『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店刊)に 載っている。 今からでも、この者たちは、恥を知るべきだ。
私が、この、謀略人間たちを、許すわけがない。あとは、「とんでも本(ぼん)学会」を名乗る、アメリカのCIAの手先ども、だ。お前たちの名前も、素性も、表現者として、文章を書いている者たちは、すべてファイルしている。
私が、自分から、出掛けて行って、問い質(ただ)したJAXA(ジャクサ。まだ、NASDA ナスだだった)の連中は、アメリカの手先を、忠実に、従僕としてやっている連中だから、真実を知っている。 ただ、少年時代から、「宇宙への夢」で、「僕は、宇宙物理学者(うちゅうぶつりがくしゃ)になるんだー」で、そして目出度く、そうなってなった勉強秀才たちだから。
それで、やっていることが、「月面着陸は有ったのだ」と、いう キャンぺーンを張って、それを疑う者たち(私、副島隆彦は、その中心的なひとり)を、打ち消して、押え付けて回る係りをやらされている。こいつらは、この仕事がほとほとイヤに成り尽くしているはずなのだ。 「こんな、ヒドい、ウソつきの片割れ、片棒担ぎの仕事をしなければならないなんて、哀れなものだ。オレの人生は何だったんだよ」と しょぼくれているだろう。いい歳をして、何百人も。
一番、打撃を受けるのは、やはり日本でも、この理科系の人間たちだ。大学の理学部(りがくぶ)や、工学部で、数学や、物理学を、死ぬほど勉強して、頭のいい人の認定を受けて、それで、やってきた自分の人生だ。「月面着陸は無かったのだ」と、気づいたときに、彼らの頭は、混乱する。混乱では済まない。本当に、脳がズキズキして、壊れそうになるだろう。
自分が長年、堅く、信じ込んできたことが、本当は、ウソだった、でっち上げだった、ということになると。自分の脳(頭)が、壊れそうになるのだ。 このことを、私は、よーく、分かっている。
私、副島隆彦に、襲いかかって、「お前は、キチガイだ。頭がおかしいのだ」と、本気で、キチガイ扱いした者たち自身に、今度は、この真実(truth トルース)の 刃(やいば)が、向かってくる。
さあ、大変だ。 そして、副島隆彦は、彼らがのたうち回る様子を、じっと見ながら、次のことを、あれこれ考える。 愚か者たちは、そうやって、自滅して、消えてゆけばいいのだ。 自分自身が、洗脳(せんのう。マインド・コントロールあるいは、ブレイン・ウオッシング)されていたのだと、気づいたときに、人間は、どういう態度を取るか、だ。じっくり観察させて貰おう。
こういうことも、実は、すでに、上記の 15年前の書いた拙本『人類の月面着陸は、無かったろう論』に、私は、書いている。 すべて見通して、予(あらかじ)め、早くから見抜いて書いている。今からでも買って読んでください。
この他に、生来、頭があまりよくない文科系の、それでも、世の中を、適当に、柔構造(じゅうこうぞう)、で、お笑いの対象に出来て、「オレもさあ、頭がよくなくて、バカなんだけどさー、それでも、結構、人生を楽しんできたよ」と、いつも明るく、面白(おもしろ)可笑(おか)しく生きて来た、それなりに、生き方上手の人たちが、どういう反応を示すかだ。
「ほーらね。私が、思っていたとおりだよ」と、急に、この生き方上手たちは、態度を変えて、次の大勢(たいせい)と、体制(たいせい)に、さっさと自分の体勢(たいせい)を変更するだろう。そういう、生来、こずるい連中なのだ。そういう「の」が、山ほどいる。
理科系の 石部金吉(いしべきんきち)たちが、「この世の、真実とは何なのだ。もう、何も信じられない 」と。のたうち回っている、すぐ横で、この手の、生き方上手たちは、鮮(あざ)やかに自分の態度を翻(ひるがえ)す。 お前たちも、バカヤローどもだ、と、予(あらかじ)め、私、副島隆彦は、はっきりと言っておく。 私の目の前に、この手の人間が、表われて、ペラペラとしゃべり出したら、私は、一瞬で見破って、コトバの力で叩きのめすから、覚悟していなさい。
それから、私、副島隆彦の本の読者、そして、学問道場の会員たちだ。あなたたちは、私や弟子たちと、同志で有り、冷や飯(めし)食いの、あまり上手な生き方も出来ず、あれこれ、不器用に、生きて来た人たちだ。 それが、副島隆彦の同志たちだ。 だから、今度の、月面着陸問題が、満天下(まんてんか)に、明らかになったら、皆で、お祝いをしましょう。
皆で集まって、おおいに酒宴を張ろう。 何百人で、集まって、講演会用の場所で、お酒は飲ませてくれないだろうから、コソコソと、それなりに、賑やかな、集まりを工夫して、開きましょう。 地味(じみ)に、しかし、盛大に、盛り上がってやりましょう。
東京に集まるだけでも、電車賃(交通費)が、かかって仕方ないから、その本気の集まりは、私たちが、一生に一度の、緊急事態の、決死の覚悟で集まる、時のために取って置きましょう。一生に一度の大事件の時に、集まりましょう。
たかが。 どうやったって、人類は月には行けないよ、あと300年ぐらい掛かるんじゃないの、という、バカみたいな、どうでもいいような事に、本気になる方が、実生活の苦労を知らない、頭でっかちの、知識、言論、思想 の勉強が好き人間という、元々そんなには、いない人間たちだ。私たちだ。
それでも、私たちは、ひたすら、「大きな枠組み の中の真実を、明らかにする。意図的に隠されてるものは、全て暴き立てる。徹底的に、遠慮会釈なく、容赦しないで、何でも暴き立てる」と、深く決めた人間たちだ。 恐いものなんか、何もない。私たちが、怖れるのは、唯一、真実、そのものの 本当の諸相(しょそう)だけだ。
今日のぼやきに、 よしなお君が、 来たる6月30日(日)に、定例会(自力での講演会)を行う、開催する、と 宣伝、公示しました。
(貼付け ここから)
2019年 6/30(日)「学問道場」定例会
『「絶望の金融市場」
及び「国家分裂するアメリカ政治」発刊記念講演会』
講師:副島隆彦、古村治彦、中田安彦
開催日時:2019年6月30日(日)12:15~
会場:JR「田町」駅 建築会館ホール
・上記定例会のお申し込みは、コチラ↓
http://snsi-j.jp/kouen/kouen.html
(貼付ここまで)
皆さん、定例会に来て下さい。そして、そこでも、「月面着陸問題」も、私は、あれこれ、たくさん、します。思いの丈を全部、ぶちまける覚悟で、話します。集まって下さい。皆で、盛り上がりましょう。
ところで、「人類の月面着陸」の「有ったか、無かったか (有無)」という問題の立て方を、地球上で、初めてしたのは、この私だ。それまでは、アポロ計画は有ったか、無かったか、という不正確で、誤解を招く言い方をしていた。それを、「有ったか無かったか、の事実の確定の問題だ。誰も、この事実認定から、逃げられない 」と、冷徹に措定(そてい)したのは、私だ。今でも、私、副島隆彦は、「ああ、あのアポロの人。アポロは、月に行っていない、というおかしな事を言っている人ね」と、 ” アポロ副島 ”と、一般には、呼ばれてるらしい(笑い)。
だから、正確に、「人類の月面着陸は、有ったか、無かったか問題」という。このことを、私が、前記した、本、まさしく「月面着陸本」で、はっきり確定した。 だから、以後、そこら中で、新聞記者たちや、テレビ局までが、「アメリカのNASAによる 月面着陸は・・・」と言い出したら、それは、私、副島隆彦が、確定したコトバなのだと、皆さん、注目していて下さい。おもしろい事態が、これから、どんどん頻出(ひんしゅつ)するだろう。
さあ、取り敢(あ)えず、これだけのことを、私は書いておいた。このあと、何が、続いて起きるかだ。 私は、言論商売人だから、「月面本(げつめんぼん)」(これが、略称)の 第2巻目、あるいは、続編、を、急いで書き始めるべきか、と、今、自問した。
私の弟子の 田中進二郎くんが、下 ↓ に、 続けて「2404」番で、スタンリー・キューブリック監督が、最後の大作「アイズ・ワイド・シャット」 ’ Eyes Wide Shut ’ を完成してすぐあとに、死ぬ間際(殺される前)に、若い映画監督に、真実を話した 会話も、続けて載せてくれた。ありがとう。
副島隆彦拝
【2025】[2404]スタンリー・キューブリック監督は『アポロ月面着陸』は私が作った映画だ、と遺言したことについて
映画監督のスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick 1928年-1999年)の遺言が死後15年経って公開されたことは有名だ。昨日↓に投稿したウィキリークスの「月面着陸」映画の製作過程を暴露した動画と合わせ、読んでみると非常につじつまが合います。
ウィキリークスの映像の最初に、二番目に月面に降り立ったはずのエドウィン・バズ・オルドリン(だと思われる男)が、「よし、世界中を騙(だま)してやるぜ。」という顔をして、写っているのが印象的です。(オルドリンは近年、「私たちは月に行っていない。」と告白している。)
映像制作に詳しい人がみると、合成の過程がよく分かるのではないでしょうか。
2004年刊の副島隆彦先生の『人類の月面着陸はなかったろう論』(徳間書店刊)に、「円谷プロダクションの日本人が撮影に加わったのは事実だろう」と書かれていますが、この映像制作にも加わっていたのかもしれません。
『2001年宇宙の旅』(1968年制作)の続編映画が『1969年アポロ月面着陸』であった、ということがより分かりやすい、と思います。
キューブリックは遺作となった『アイズ・ワイズ・シャット』の極秘の試写会の5日後に心臓発作で死去(1999年3月7日)。そのため、この作品で20世紀のフリーメイソンの秘密の儀式を暴いたために暗殺されたのだ、と言われている。(フリーメイソンは19世紀後半から大きく悪の支配者勢力に乗っ取られている。 それまではカトリック教会の偽善と戦う知識人の結社だったのに。)
ただ彼が暗殺されたのは事実にせよ、金で買収されて、『アポロ月面着陸』映画を作ったことに強い罪悪感を抱いていて、そのことを嗅ぎ取られて、緩慢に殺されていった、と私・田中は考えます。
『アイズ・ワイズ・シャット』というタイトルに、キューブリック監督のメッセージが隠されているのでしょう。「目はしっかり開けて見なければならないが、見てはいけないものまでは見るな。」ということだと思います。秘密結社に入ってしまうと、そこから出ることはできない。これは、副島先生が『ホテル・カリフォルニア』の歌詞に込められた意味ということでお書きになっていることと、近いことだろう。
↓にあるようにキューブリックは、権力者の共同謀議(conspiracy)の巨大な詐欺に加担してしまった。そうすると、いつ殺されるか分からないという強迫観念に襲われる。そして、それを表現したのが、『シャイニング』(1980年)という気持ちの悪い映画なのでしょう。
しかし、『スパルタカス』(1960年)のような壮大な映画を作った世界的巨匠が、何も言わずにこの世を去るわけにいかない。だから、↓のような遺言を残したのだと思います。
(https://youtu.be/UY3-T-gyfPs より以下引用します。)
Stanley Kubrick Confesses To Faking The Moon Landings
Your News Wire 2015/12/12
スタンリー・キューブリックが、月面着陸映像をねつ造したことを告白
映画監督のスタンリー・キューブリック氏が死亡(1999年3月7日)して 15年が経った今、衝撃的な新しいビデオが登場している。
その映像のインタビューの中で、キューブリック監督は、NASA の月面着陸がフェイク(ねつ造)だったことを認めている。
映画監督のT. パトリック・マレー( T. Patrick Murray )氏によれば、マレー氏は、キューブリック監督の死の3日前にインタビューをしたと述べている。
マレー氏は、インタビューの内容の秘密を保つために、15年間の NDA (秘密保持契約)にサインすることを余儀なくされたという。
『2001年宇宙の旅』の監督でもあるキューブリック氏は、NASA の月面着陸はすべてニセモノだったことをカメラの前で認めており、彼自身がそれを撮影したひとりだったと述べた。以下がインタビューの内容だ。
K = スタンリー・キューブリック
T = T. パトリック・マレー
K:私は自分の仕事に取りつかれているんだよ。そこには、技術革新もあれば、リスクとの兼ね合いや、あるいは後悔もある
T:なぜあなたは、このインタビューの機会を与えてくれたのですか?
K:その理由は・・・難しい。何しろ、このことを話すのはこれが初めてなんだ
T:わかりました。お好きなだけ時間をかけて下さって結構です
K:私は自分の人生の中で、いつも、このことについての葛藤と戦っていた。晩年は、あまり意識しないようになったが、いずれにしても、私は偶然、この作品を作る機会に恵まれたのだ。そして私は、この作品作りにも、私の他の映画作品を作るのと同じように入った。その時には、このことがどれほど社会に影響を与えるかについてはあまり深くは考えていなかった
T:あなたは何の作品のことについて語っているのですか? 何のことを言っているのかもう少詳しくおっしゃって下さい
K:まあ・・・これは、ある種の告白といってもいい。私の作ったあるフィルムの話だ。それは、多くの人々が見ただろうにかかわらず、「そのこと」に誰も気づかなかった
T:あなたが作った映画で、誰も知らない映画? そのようなものがあるのですか? 何のことをおっしゃっているんです?
K:興味があるということかい?
T:それはもちろん
K:私は、アメリカ国民に対して、巨大な嘘を与えることをしてしまったのだ。それにはアメリカ合衆国政府と NASA が関与しているが、月面着陸はねつ造だったのだ。すべてだ。月面着陸はすべてねつ造されたもので、そして、それをおこなった人物こそ私だということだ
T:・・・それは真面目におっしゃっているのですか?
K:真面目に言っている。あれらはねつ造だった
T:わかりました。えーと・・・私はこのインタビューをR指定にしたくはないのですが、深刻な問題ですね。私は、あなたにインタビューするという、自分の人生で一世一代の仕事を獲得するために、ほぼ8ヶ月間働き続けました。しかし、今まで何も得るところがないままでした。と思ったら、今度は、私が子どもの頃に見た月面着陸のフィルムはねつ造だと・・・。あなたは、人類は月面に着陸していないとおっしゃるのですか?
K:その通りだ。あれは真実の光景ではない
T:月面着陸は偽物だったと?
K:架空の月面着陸。あれはファンタジーだ。リアルではない・・・。きみは、人々が真実を知ることは重要だとは思わないのか?
T:1969年の月面着陸は私の生まれる2年前のことでした
K:それ自体が完全なフィクションだ
T:フィクション? 人類は月面に降り立っていないと?
K:降りたってはいない
T:なぜ、あなたはそのことを私に言っているのですか?
K:大きな、比類のない嘘だ。彼らはそのことを知っている。ニクソンは月面着陸をねつ造する計画を立てていた。合衆国政府は、このことをずっと知っている。そして、延々と嘘の上塗りを続けている
T:あなたもこの詐欺に加担し続けたのです?
K:私はそれを行いたくなかった
T:これは、私があなたへのインタビューとして考えていた内容とはあまりにも違っています。あなたには好きに話していただきたいですけれど、これは、なにかのジョークの類いではないのですね?
K:違う
T:わかりました。しかし、何を最初にお聞きするべきかわかりません
K:私はそのことは間違っていると考えた。私は、自分があのような詐欺をおかしてしまうとは信じていなかった。そして、このことはまた、あのようなことを行うことが私の芸術的な完全性を損なうとも思った
T:しかし、あなたは「それを行う」と返事してしまったのですね。なぜですか?
K:まあ・・・簡潔に言ってしまえば、基本的に私は買収されたんだ。単なるクソ賄賂( fucking bribe )だったんだ
T:どうして、そのことを私に言おうと思ったのですか?
K:人々が真実を知ることは重要なことだと思いはしないかね?
T:しかし、そもそも、なぜ彼らは月面着陸をねつ造しなければならなかったんですか? なぜ、政府がこのようなことをする必要があったのかがわからない。
K:NASA が常にジョン・F・ケネディの予言を果たしたいと思っていたことは、周知の事実だ
T:彼(キューブリック)が私を得たところ、私は正直言って俺は、これがあります。私は実際に彼の立場に自分を置くとき、意味します、
T:もし・・・そんなことはあり得ませんが、たとえば、私が、あなたと同じような要請を政府から受けたとしたらどうするだろうと考えます
K:スピルバーグもスコセッシも、ウディ・アレンでさえ、要請を受けてやらない人間はいなかっただろう
T:なるほど。私も受けるであろうことを認めます。しかし、どうして、あなたは世界に月面着陸がねつ造であることと共に、それをあなた、スタンリー・キューブリックがおこなったと世界に言うのですか?
K:私は自分の傑作のことを考えている
T:その作品には、あなたの名前がクレジットされておらず、そして、言うこともできない
K:だから、今、喋っている.
(引用終わり)
田中進二郎拝
【2024】[2403]ジュリアン・アサンジ氏(イギリス警察に拘禁中)のウィキリークスが「月面着陸」の映画撮影現場のフィルムを流出
【2023】[2402]『旧唐書』と『新唐書』の間
守谷健二です。〔2040〕の続きです。2019.5.20
東大寺の僧・奝然(ちょうねん)の後日談
宋の二代皇帝・太宗との謁見を終え、西暦986年、宋商人の船で帰国した奝然は弟子の嘉因に太宗皇帝に対する御礼状と貢物を持たせて宋に派遣した、と中国正史『宋史』は詳細に伝えている。
礼状は、太宗の徳の高さを称え、謁見を許された事への感謝をくどいほどに言葉を尽くして述べている。
貢物がすごいのだ。琥珀、青い色の水晶の函、青紅白の水晶、螺鈿細工の花形函、金銀蒔絵の函、金銀蒔絵の硯箱と金の硯、金銀蒔絵の扇函などなど数多く。
とても一介の僧侶が準備できるような財宝ではない。
十世紀末から十一世紀初頭と云うのは、平安遷都から二百年経ち、平安の王朝文化は爛熟期を迎えていた。紫式部が『源氏物語』を書き、平安時代の最大の政治家・藤原道長が権力を握った時代である。
また中国では、唐朝後半の治安の悪化は、陸路(シルクロード)での交易の安全を脅かすようになっていた。それに交易品は絹に加え、中国陶磁器の占める比重が重くなり、海路による交易が有利になっていた。
十六世紀、ヨーロッパの大航海時代の幕開け以前は、アラビア人が海路の主人公である。アラビア人は海路でしばしば中国を訪れるようになっていた。海上交易の活発化で、宋の交易船が日本を頻りに訪れるようになっていた。
『旧唐書』が上梓されたのは、945年である。宋の商人の手で『旧唐書』が日本の王朝に齎(もたら)されたのではないか。王朝はそれを読み驚愕したのではなかったか。日本の王朝の正統性は、神代より断絶がなく続いてきた(万世一系)ことにある。易姓革命の思想を完全に排除したことで「日本の歴史」は創られている。『万世一系』こそが日本の信仰・王朝の正統性の根幹である。
それなのに『旧唐書』は、日本記事を「倭国伝」と「日本国伝」の併設で創っており、倭国が日本列島の代表王朝であったが、日本国が倭国を併合した、と書く。
これは『易姓革命』ではないか。『易姓革命』を認めては、平安王朝の正統性は崩壊するのである。相手は中国正史『旧唐書』であったが手を拱(こまね)いてもおれなかった。王朝の正統性・存続にかかわる問題であった。
西暦982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。
983年、奝然、宋商人の船で宋に渡り皇帝に拝謁。
一介の僧侶が、渡海早々に皇帝に拝謁などできるはずがない。それを可能にした裏技があったはずである。それが奝然が日本の『職員令』『王年代記』と共に運んだ銅器十余事に詰められていた黄金であったのではないか、と云うのが私の読みである。
奝然は、仏典を求めて中国に渡ったのではない、単なる僧侶ではない。王朝の密命を受けて宋を訪れたのだ。膨大な貢物は、一介の僧侶に用意できる範囲をはるかに超えていた。正史『宋史』は、それを一々記録しているのである。
奝然は、平安王朝の密使に違いないのだ。平安王朝は、公にできない願い事を奝然に託して宋朝に送ったのだ。『旧唐書』の日本記事を何とかしてくれるよう頼みこんだに違いない。『旧唐書』の日本記事は、平安王朝の正統性を否定するものであったのだから。
『王年代記』を持って行ったのは、そのためだろう。奝然は、日本には王朝の交代がなかった、易姓革命は一度も起きなかった、と熱弁をふるったのではないか。宋の二代皇帝・太宗が、それに感心したのであった。中国皇帝の最大の悩み
は、いとも簡単に革命が起きることである。唐が滅んで宋朝が出来るまでの五十年ばかりの間に五王朝が交代した。
太宗が、奝然の願いに同調したことは十分に考えられることである。易姓革命のない国があっても良い、いや理想はそうであるべきだ、と太宗が考えたらしい。『旧唐書』の日本記事を、何とかしてやる、太宗は奝然に約束したのではなかったか。帰国後、弟子・嘉因に持たせてやった膨大な貢物は、それにたいする御礼ではなかったのか。
中国に、日本は金の大産出国であるとの認識が生まれたのは、奝然の訪問に始まっている。
『新唐書』編纂の動機は、意外にこの辺にあったのではないか。『新唐書』は『旧唐書』の欠を補うために編纂されたというが、『旧唐書』より信頼性が低いというのが定説である。いったいどういう事だ。ちょっと軽蔑されているような歴史書に見えるのだ。
岩波文庫『旧唐書倭国日本国伝・宋史日本伝・元史日本伝』を編集された石原道博先生も、『旧唐書』の方が『新唐書』より信頼性は優ると認めておられる上で、『新唐書』は『旧唐書』の「倭国と日本国を併設するような不体裁なこともなく、記事も整っている」と書かれているのはどうしたことであろう。
少なくとも日本の王朝にとって『旧唐書』の他に『新唐書』が成立したことは非常にありがたい事であったのだ。
【2022】[2401]4月30日の某国の首相
4月30日に、某国の首相は本人を目の前にして
天皇、皇后両陛下には末長く
お健やかであられますことを願っていません。
と言ったそうです。
多分、言い間違いだと思いますが知能レベルは私と似たり寄ったりだと思うので、原稿は漢字を少なめが、いいのかなぁとおもいました。
それか心の声が思わず出ちゃったんですかね。
この情報についてはコバヤシヨシノリ氏の媒体から知りました。
この投稿の編集や削除については、この掲示板の管理者にお任せします。
以上です。
【2021】[2400]『旧唐書』と『新唐書』の間
2398の続きです。 2019年5月6日
『旧唐書』と『新唐書』を比較する。
「倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり、山島に依りて居る。・・・」
「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国是を疑う。・・・」 以上『旧唐書』より
「日本は古の倭奴なり。京師を去ること万四千里、新羅東南の海中にあり、島に居る。・・・」『新唐書』より
『新唐書』では、日本国と倭国は同一の国として記載されている。日本には、倭国(筑紫王朝)と日本国(近畿大和王朝)の並立などなかった。王朝の交代(易姓革命)など無かった。と云うのが『新唐書』の見解です。
『旧唐書』が成立したのは西暦945年、『新唐書』が成立したのが1060年です。この百十五年の間に、中国は日本に対する認識を変えたのです。
実は『新唐書』の日本記事は禁じ手を使って書かれています。どういう事かと云いますと、『新唐書』の日本記事は、983年、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が齎した『王年代記』に依拠して書かれています。
983年は、宋の二代皇帝太宗の時代です。唐の時代ではありません。宋の時代に新たに手に入った資料で『旧唐書』の認識を変えてしまったのです。
『王年代記』は、日本の最初の主を天御中主とし、天照大御神、神武天皇らを経て六十四代円融天皇に至る系譜であった。
不思議に思うのは、宋に渡った奝然が皇帝にいとも簡単に拝謁を許されていることです。奝然は日本国の公式の使者ではありません。一介の学僧にすぎない奝然がどうして皇帝に拝謁することが許されたのだろう。
「雍煕元年(984)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至り、銅器十余事ならびに本国の『職員令』・『王年代記』各一巻を献ず。・・・
・・・太宗、奝然を召見しこれを存撫する事甚だ厚く、紫衣を賜い、太平興国寺に館せしむ。上、その国王は一姓継を伝え、臣下も皆官を世々するを聞き、因って嘆息して宰相に言って曰はく、「これ島夷のみ。すなわち世祚遐久にして、その臣もまた継襲してたえず。これけだし古の道なり。中国は唐季の乱より寓県分裂し、梁・周の五代、歴を享くること尤も促(みじか)く、大臣の世冑、能く嗣続すること鮮(すく)なし。朕、徳は往聖に慙ずといえども、常に夙夜寅(つつ)しみ畏れ、治本を請求し、敢えて暇逸せず。無窮の業を建て、可久の範を垂れ、また以て子孫の計をなし、大臣の後をして世々禄位を襲わしむるは、これ朕の心なり」と。『宋史』日本伝より
宋の皇帝太宗は、奝然の説く日本の歴史(万世一系・易姓革命がなかった)を聞き、溜息をつき、それこそ古の道(理想)であると、中国も本来そうあるべきなのだ、としきりに感心した。と『宋史』は記す。
『王年代記』の内容の真偽を検討する事なしに、唐の滅亡から極短期間に五王朝が交代(易姓革命)した中国の現状、二代皇帝・太宗もいつ革命が起こるか、不安で堪らなかったのであろう。革命が起こらないことは、中国皇帝の強い願望であった。この願望が、『旧唐書』の日本認識を捨てさせ、「日本国は古の倭国である」を中国正史に定着させたのではないか。『新唐書』は宋の代に編纂された。
それにしても、一介の東大寺の学僧にすぎない奝然が中国に渡る早々に、皇帝に拝謁を許されているのはどうした訳であろう。彼が持って行った銅器十余事とは何であったの何だろう。
歴史学研究会編『日本史年表』(岩波書店)の西暦982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。983年、奝然、宋商人の船で宋に渡り、皇帝に拝謁。とある。
奝然が持って行った銅器の中には、黄金が満載させていたのではなかったのか。十kgや二十kgではないだろう、そんな程度で皇帝に拝謁を許されたとは思えない。何百キロの単位だろう。黄金の力で拝謁を買い取ったのではないのか。 ( 続く )
【2020】[2399]新天皇の即位で、天皇家の代替わりが行われた。
副島隆彦です。今日は、2019年5月4日(土)です。
4月30日に、明仁(あきひと)天皇が退位して、上皇(じょうこう)となり、翌日5月1日に、徳仁(なるひと)天皇が即位した。 私は、もう、今上(きんじょう)天皇というコトバは使わない。こんなコトバはもう要らない。
日本国は、世界に向かって、平和に新国王(しんこくおう)を迎えて、世界に向かって、まるで中世国家(ちゅうせいこっか)のような、王国(おうこく)としての姿を強調した。
徳仁天皇と雅子皇后
私、副島隆彦が、これまでずっと主張してきたとおり、日本国は、外側が、王国(キングダム、モナーキー)でありながら、内側が、デモクラシー( 代議制民主政体、だいぎせいみんしゅせいたい)の、二重構造の、「入れ子」構造の国 である。立憲君主政(コンスティチューショナル・モナーキー constitutional monarchy )の国である。この考えしか他には成り立たない。世界中から、すなわち、諸外国から見ても、どうしても、このように見える。
(ここに、あとで、「入れ子」構造、2重構造 の 図を入れる)
日本国天皇は、国王なのであって、皇帝(こうてい。エンペラー、インペラトーレ、ファンデイ)ではない。今も世界中にある王国(キングダム)の国王(キング)のひとつである。
日本の憲法学者たちも、政治学者たちも、このように「日本国は、外側が、王国(憲法1条から8条)であり、その内側が、民主政治体制(デモクラシー。「国権の最高機関は国会」とする憲法41条。 )になっている、二重構造の国である 」とする、私、副島隆彦のこの学説を受け入れるべきである。
私は、法学部出(で)であるから、大学時代に憲法学を学んだが、そのとき、東大で、‘ 戦後憲法の護(まも)り役’であった宮沢俊義(みやざわとしよし、1899-1976年)、芦辺信義(あしべのぶよし、1923-1999年)の憲法の本を読んでいる。 この2人が、日本国憲法の成立過程の、生(なま)臭い、アメリカ政府による製造であり、日本国民に下げ渡したものである、という事実を、「そんなものはありません」ことにして、隠し通した。
ヘルメノティーク( Hermeneutik 解釈学。英語で言えば、ハーマニューテックス)、すなわち憲法の条文の1条、1条を細かく、細かく解釈、説明することだけに徹して、それ例外はやらないことにした。条文を解釈すること以外はしない。それ以外は、法学の基礎学問、土台の学問である、法制史や、法(ほう)制度論や、法哲学( 私、副島隆彦は、× 哲学という言葉は、キライだ。正しくは、ジューリス・プルーデンス juris-purdence 、法についての思索、熟慮 という) でやってくれ、ということにして、大きく誤魔化(ごまか)した。 日本国民の目と思考を、真実から逸(そ)らさせた。アメリカ政府(占領軍)の意思、意図もそこに働いていた。
「憲法制定権力(けんぽうせいていけんりょく)」という理論があって、ドイツのカール・シュミットという、優れた大(だい)学者が、これを唱えたときに、はっきりした。 「憲法が、作られるときに、その背後、土台に、本当の権力者がいる。その本当の権力者を探り出せ。それが、主権者だ」という理論である。ということは、アメリカ政府が、日本国の主権者だ、という政治分析も成り立つのだ。
カール・シュミットと、大(だい)思想家のマルチン・ハイデガー の、ふたりだけは、ドイツの敗戦後も、「 アメリカのヤンキーともめ。私は、あんな、低(てい)知能の連中には、屈服しないぞ」と、山に籠もって、死ぬまで抵抗した。 ヤンキーYankee というのは、 ニューヨークのユダヤ人 (ヤンクというは、臭いチーズを食べるオランダからのユダヤ人という語源) のことであって、ただの、アメリカ人への蔑称ではない。この秘密を、アメリカ国民でも、今は、公然とは言わなくなった。それでも、ニューヨーク市の、北の方、150丁目ぐらいに、ヤンキー・スタジアムが、今もあるじゃないか。
上記の東大の2人の憲法学者が書いた 憲法教科書は、元首(げんしゅ)問題に、拘(こだわ)っていた。そのことを、私は覚えている。今は、天皇が国家元首(ソブリン、sovereign ドミナント、dominant プリンチペ principe )であることに、異論を言い出す人はいなくなった。日本は、王国(君主国、王様の国)なのである。
私はその末流であるが、佐賀の副島氏は、幕末の尊王(そんのう)の家系である。私は、敗戦後の8年目(昭和28年、1953年)に生まれたので、全部、壊されていたので、尊王思想を受け継いでいない。ただ、飲んだくれの医師だった 私の父親(最後の年の海軍に応召、岡崎市にあった軍医学校で終戦。ポツダム少尉で除隊。1923年、大正12年生)から、「隆彦。あの戦争は、国民、皆んなで戦ったんだぞ」という言葉だけが今も、私の耳に残っている。
特別な人がいてはいけないのである。国家体制上の生まれながらに特別な人たちは、居てはならない。それがデモクラシーである。人間平等主義(エガリタリアニズム)だ。ただし、これは、国家体制から、すべての人(法人も)は平等の取り扱いを受ける、ということであって、これを、「法の下の平等」(イークオル・アンダー・ザ・ラー)という。
だが、人間は、現実の世界では、平等ではない。背の高さ、低さも、姿形(すがたかたち)も、美醜も、知能の能力(頭の良し悪し)も、生まれた家の貧富の差もある。障害者として生まれた可哀想な人たちもいる。人間は、現実には平等ではない。
ただし、生まれながらに、天皇家(皇室)だけは、特別な人たち、ということにして制度(国家体制)として残した(憲法1条から8条)。このあと、第9条が、平和憲法、戦争をしない、軍隊を持たない。
だから、中学生だった私は、「民主政治=人間は皆、平等 と、学校で教えるのに、どうして、天皇家という特別な人たちがいるのか」と私は自問した。教師たちに質問しても、誰もこの疑問に答えてくれなかった。私が、持ったこの疑問を、素朴に持つ日本人は、今も相当多く居る。だいたい、中学生ぐらいで持つ。
「なんで、皇室に生まれると、あんなにきれいなドレスを着れるの。いいなあ。私も着たい 」と、素朴に疑問に思う女性もたくさん、いる。だが、日本国内ではこの疑問は、口にしない、タブーになっている。誰も、この疑問に説明をしてくれない。政治学者も、法律学者も、何も答えない。
「そういうことは、言ってはいけないのよ。昔からそういう風になっているの」と、娘は、母親から窘(たしな)められることになっている。 分かりますか、これが、私たちの日本という国です。
ちなみに、私、副島隆彦は、×「民主主義」というコトバは、使わない。× デモクラティズム democratism というコトバはない。 デモクラシーは、紀元前450年ぐらいに、古代アテネの、本当に”賢帝(けんてい)” だった、ペリクレスが、我慢に我慢の指導者ぶりを発揮して、アテネをよく統治したときに、生まれた。それを30歳ぐらい下の、ソクラテスが、言論人として、よく支えた。
だから、デモクラシーとは、代議制 = 選挙で選ばれる、デモス(民衆)の代表による、政治体制(政体)のことである。それから、のちに、ゲルマン民族(諸族)の、” チュートン(トイトブルク)の森” のゲルマン民会(みんかい、Gemainde ゲマインデ)からも、democracy は生まれた。
だから、デモクラシーは、「民主政治」 と訳すべきであって、×民主主義 は、誤訳であり、間違いのコトバだ。× 民主主義 というコトバを、平気で使う人は、知識人としては知識が足りない。東大系の政治学者は、皆、「民主政治」を使う。× 民主主義を、みんな、もうやめた方がよい。ソシアリズム socialism 社会主義のような、イズム -ism と、言っていないでしょう。
デモクラシー demos-cratia は、「デーモス」(demos 民衆、大衆)の代表者たちが、政治権力を行使する、「クラティーア」(cratia 、制度、体制、支配秩序)のことである。
だから、前の方で、私が説明したとおり、日本国の、国家体制は、外側の殻(から)が、立憲君主制(国王の権限が憲法によって制限されている君主政体 )であって、その裡側(うちがわ)が、デモクラシーになってるのだ、と、このように考えるしかないのだ。
今や、日本の憲法学者も政治学者も、この私の考えに従うしかないはずだ。難(むずか)しい、あれこれの、専門家の議論に持ち込んで、私を騙せると、思わない方がいい。国民を騙(だま)してはいけない。
それから、もう一つ。正確には「日本国民が主権者だ」という考えは、間違いである。
日本国は、国民主権(こくみんしゅけん)だと、憲法学者たちも解釈(かいしゃく)するが、それは、「主権(ソブリーンティ sovereignty )の存する国民は、・・・」と、憲法典に、前文を含めて、3カ所出てくるだけで、それだけだ。「主権者国民」 と言う言葉は、短絡的で知恵の足りない、近代学問(モダーン・サイエンス)を勉強したことのない人が使うコトバだ。日本のリベラル派は、この「国民が主権者」という言葉に、縋(すが)り付く。その分、あまり知能が高くない。
それは「お客様は神さまです」に、近い、「消費者(しょうひしゃ)主権」というコトバの、馬鹿らしさ、とよく似ている。企業が、客、国民を騙(だま)して、商品を買わせるように仕組む、ときの、猫なで声の、いやらしいコトバだ。
正しくは、国民の、代表者たち(レブレゼンタティブス・オブ・ザ・ネイション representatives )が、日本国の主権者(ソブリーンテイ sovereignty の保持者 )である。国民の代表者「たち」に国家主権が在る。
だから、憲法41条以下で定める「国権の最高機関は、国会である」のとおりであり、選挙で選ばれた、国会議員たちという人間の集団が、主権を持つ。そして、そこから選ばれる、内閣(ないかく、キャビネット)は、主権の内の、行政権、国家業務の推進の権限(エグゼクティヴ・ライツ)だけを持っている。だから、日本国の意思は、対外的には(世界に向かっては)、閣議で決定したもの、である。内閣総理大臣(首相。プライム・ミニスター)も含めて、内閣(キャビネット)に行政権(ガヴァメント)が有る。
「政府」と言うのは、広義(こうぎ、広い意味)では、国民議会(国会)を含むが、狭義(狭い意味)では、内閣(政権)だけを指す。
主権者とは、政治学では、権力者、支配者のことである。 政治学(ポリティクス politics ) という学問では、厳格に、そのように決まっている。
だから、主権者・国民と書くと、大勢の人である国民(民衆)が、大勢の人である国民(民衆、大衆、非統治者)を、支配、管理する、ということになる。これは論理矛盾である。支配者は、少数でなければいけない。民衆(国民)は、常に、非統治者(ひとうちしゃ)である。
非統治者(= 支配される者たち)が、統治者(支配者、ルーラー)と、同じだ、というのは、幼稚な考えだ。愚かな考えだ。それは、「民衆が、支配者だ」という、愚劣な、コトバとなって、人類の20世紀(1900年代)を、覆(おお)い尽くした。それで、人類(人間)は、世界中で、悲惨、無惨、極(きわ)まりないことになった。ロシア革命と、中国革命 の、ふたつの、人類の大(だい)実験で、夥(おびだだ)しい数の人間が、殺された。銃殺刑にされた。収容所でもたくさん、死んだ。
だから、1917年からの、ロシア革命の時、指導者のレーニンによって作られた、「プロレタリア独裁」というのは、大間違いの考えだ。「民衆による独裁」という、思想が、どれぐらい、愚かで、無惨な考え(政治思想)であったか、私たち、今の人間は、あれらを、徹底的に、解剖して、切開しなければいけない。 「プロレタリアート(労働者階級)による、政治的な独裁(ディクテイターシップ)を、肯定する」という思想が、どれぐらい、その後の、人類(人間)に、害悪と、迷妄と、残酷な結末を、もたらしたか。
ロシアの民衆、労働者にとって、大変な迷惑だった。中国民衆にとっても、極まりないことだった。共産党の幹部や、高級軍人たちが、ロシアでは、80万人とかが銃殺刑になり、400万人ぐらいの民衆が、シベリア送りになった。 中国でも、あの文化大革命(1966年から1976年の10年間)で、2300万人の
党幹部や、民衆が殺された。今、人類(人間)は、この2つの大(だい)実験の大失敗の、大きな反省の上に立って、生きている。 一番、苦しんだのは、当の、ロシア人と、 中国人だ。
だから、「国民が主権者」で、「国民が、国民を支配し、統治する」という、愚か極まりないコトバを、私たちは、もう使っては、いけないのだ。この言葉自体に、大きな過(あやま)ちがある。私たちは、綺麗(きれい)ごとの、理想主義によって、何ごとか、大変な、進歩、発達が出来ると思わない方がよい。 私たちは、何ごとも、深く、深く、疑いながら、慎重に生きなければいけないのだ。
一見、立派そうな、美しい言葉には、大きな、欠点と策略が潜(ひそ)んでいる。
だから、今の北朝鮮のような、プロレタリア独裁の思想が残っていて、異常な政治体制が続いていて、北朝鮮の民衆が、ヒドい目に遭っている国は、急いで、打ち倒されなければいけない。民衆を救い出さなければいけない。すでに800万人ぐらいが餓死しただろう。あんな、気色の悪い独裁者の、ペクトの血((白頭山=はくとうざん=の英雄神話、作り話)で統治されている、生神(いきがみ)さま(金日成の血族)が支配する国を、世界が許しておいてはいけない。
今の金正恩のおじいさんの、金日成(きんにっせい、キム・イルソン)は、旧ソ連政府が、モスクワにいた朝鮮族の 若い元気な男を、、戦争が終わった直後に、連れて来たのだ。本物の 朝鮮の民族独立運動(日本の植民地統治と戦った)の英雄の 金日成は、日本の陸軍士官学校の、ソウル(京城)にあった分校を出た男だ。数人いたらしい。皆、戦闘で死んでいる。これが真実だ。
だから、今の日本は、国家体制(=憲法体制)上、国民の代表者 である議会の議員たちという団体が主権者なのである。こう考えないと、理論の辻褄(つじつま)が合わない。
アメリカ合衆国が、典型であるが、王政(国王の権力。イギリス国王ジョージ3世)を否定して、あるいは、打ち倒して成立した(1776年、独立宣言。1783年、イギリス国が独立承認)。 共和国(リパブリック。王様がいてはいけない国という意味 )であるアメリカ合衆国は、建国後に、「誰が、ソブリン(主権者)なのか」の議論で困ってしまった。議論で揉(も)めた。 初代大統領のジョージ・ワシントンには、主権はない。だから、主権者は、上院議会(セネト、the Senate )、ということに、苦し紛れで決めた。アメリカの上院の議員たちが、Senators セネターズ である。
だから、アメリカ合衆国は、戦争の開始の宣言(ウォー・デクラレイション)は、正式には、アメリカでは、上院議会の決議で決まる。宣戦布告は、歴史的に国王の権限だ。だから、主権者は、今では多くの国で、王様がいないので、国民議会という、国民の代表者(代理人、レプレゼンタティブズ)が保持している。 このように考えないと、理屈(理論)が通ないのだ。
この他に、ドイツのハンス・ケルゼンの国家学、憲法学、国法学(シュターツ・レヒト)を受け継いだ、清宮四郎(きよみやしろう)、という悪い憲法学者がいて、彼が、東大の 憲法の授業の、「憲法 Ⅰ 人権」ではない、「憲法 Ⅱ 統治機構(とうちきこう。すなわち、国家体制論。支配)」を受け持った。
「憲法 Ⅰ 人権編 」 は、前述した、宮沢俊義( みやざわとしよし、しゅんぎ)が、受け持った。
このように、東大法学部の「憲法 Ⅱ」で、「人権、人権、いろいろの人権、人権のカタログ」と、教えておいて、そのすぐあとに、清宮四郎が出てきて、バーン、と、「はい、統治(とうち。ガヴァーメント)」と教える。 この瞬間に、諸人権は、押え付けられる。 だから、「諸(しょ)人権は、無上、至上のもの」と教えておいて。ところが、そのすぐあとに、「憲法Ⅱ」で、「はい、統治」、「このように、国民を押え付けなさい」となる。これが、官僚養成学校である、東大法学部の 秘密 だ。最大の秘密だ。
分かりますか。私、副島隆彦が、あからさまに、このように、日本の国家体制の、成り立ちと、構造の秘密を、教えないと、知能の低い、他の日本人の知識人たちでは、世界基準(ワールド・ヴァリューズ)に合わさせた、知識の骨格が出来ていないので、ダメなのだ。私は、最近は、自信を持って、このように言えるようになった。東大を出ているわけでもないのに(笑い)、アハハ。
私が、新天皇即位で、思い出すのは、3人の日本史の学者のことだ。久米邦武(くめ・くにたけ、1839-1931年)と、重野安繹(しげの・やすつぐ、1827-1910年)と、津田左右吉(つだそうきち、1873-1961年)のことだ。この3人が、明治から大正、昭和にかけて、この国で、一番、優れた歴史学者だった。
久米邦武(くめくにたけ)は、1892(明治25)年、論文を書いて、「神道は祭天の古俗なり」という重要な学問的な定義を行った。
久米邦武
この「 神道(しんとう)は 神話(しんわ)であって、祭天(さいてん)の 古俗(こぞく)に過ぎない 」 というコトバが、今も、もの凄く重要だ。「日本書紀」と その他に国家の古文書に書かれている、神道の儀式(ぎしき、リチュアル ritual )は、祭天(さいてん)、即ち、「天(てん)を祭(まつ)る」、古俗(こぞく)、古くからの習俗(しゅうぞく)、習(なら)わし」である、と断定した。神話(ミス、myth、すなわち、作り話 )を事実だと、学問の名で行ってはならない、とした。
久米は、明治の初めの権力者たちの欧米視察に随行した学者として、欧米近代(きんだい、モダーンmodern )のサイエンス(science 、スシャンス、スキエンザ、近代学問)に従った学問によって、これらの伝統的な古俗を冷静に、合理的に研究しなければいけない、とした。
久米邦武は、この論文を発表したことで、やり玉に挙げられて、全国の神道家(しんとうか)、神主、神官たちから、強く非難され、攻撃された。それで、東京帝国大学の国史 こくし、東大系だけは、日本史と言わないで、国史と言う )の教授を、その年のうちに、辞めさせれた(当時は、非職=ひしょく=と言った)。
2人目の、重野安繹(しげのやすつぐ)も、同じく、近代学問(モダーン・サイエンス)としての冷静な歴史学を志した。 重野安繹の業績については、今日は書かない。
重野安繹
3人目の、津田左右吉(つだそうきち)は、西暦720(養老4)年に成立した、「日本書紀」( どうも、「古事記」は、それから百年後ぐらいに、それを 漢文に書き直されたものだ)の記述の、「聖徳太子の実在性は疑わしい」の箇所などを、1939(昭和14)年に、右翼の、蓑田胸喜(みのたむねき)、三井甲之(みついこうし)から糾弾された。
そして 翌年、文部省から、津田の4冊の論文集が、発売禁止(発禁=はっきん=処分)にされ、早大教授を辞めさせられた。1919年刊の『古事記及び日本書紀の新研究』と、1924(大正13)年刊の『神代史の研究』が、主著である。津田左右吉の研究は、戦後の日本史学者たちの模範となった。
津田左右吉
だから、私、副島隆彦は、この3人の優れた先達(せんだつ)に倣(なら)って、神話のようなものを、無上(むじょう)にありがたがる風潮に強く反対する。
戦前に、天皇は、現人神(あらひとがみ)にまで祭(まつ)り上げられた。現人神というのは、生神(いきがみ)、生き神さま、である。 天皇を、生き神 として、祀(まつり上げて、信仰の対象にしたことは、国家体制として大間違いだった。
だから、最後は、広島と長崎に原爆を落とされて、打ち倒されて、日本の国家神道(こっかしんとう)は、木っ端みじんにされて、滅んだのだ。それまで、全国の神官(神主)は国家公務員だったが、敗戦後は、その資格は剥奪された。 神話(すなわち、作り話)なんかを、真に受けて、信じ込んで、ヘンな国家体制なんか作ると、最後に必ず、こういうことになるのだ。
今の天皇家(皇室)は、これらのことを重々(じゅうじゅう)、腹の底から知っている。それが、昭和天皇という人だった。「私たちは、バカだった、愚かだった。知能が足りなかった。まんまと騙された。だから、戦争に負けたのだ」と深く反省した。昭和天皇は、このあと、日本国憲法という’座敷牢’に、静かに入っていった。 その前は、天皇は、帝国憲法(明治憲法)よりも上にいた。だから、今の天皇家は、神式の儀式を強調しないで、コソコソと宮中三殿で行う。あれでいい。あくまで天皇家の儀式である。
だから、秋篠宮(あきしののみや)が、「あまり天皇家の儀式に、お金を掛けないでください」と発言して、安倍首相以下のバカ右翼たち が、仰天したのだ。今の天皇家に一番、弓を引いているのは、このバカ右翼たちだ。それと狂った政治宗教を持っている者たちだ。
私が、もう一つ、知識人として思い出すのは、内村鑑三(うちむらかんぞう、1869-1930年)のことである。クリスチャン(アメリカのカルヴァン派プロテスタント、アメリカカン・ボード に学んだ。同志社の創立者、新島襄=にいじまじょう= が資金を出して留学させてくれた)である内村鑑三は、1891(明治24)年の1月に、第一高等学校(今の東大の駒場、教養学部)の始業式で、ご真影(ごしんえい、天皇の写真)と教育勅語(きょういくちょくご)に拝礼せず、自分だけ直立のままだった。この時、内村鑑三は、まだ若い21歳の教員だった。
内村鑑三
そのことが、大騒動になって、却(かえ)って、内村鑑三は、有名人の「キリスト者」で、キリスト教の伝道者で、日本の独特の思想家 になった。私は、あのときの内村鑑三のような人が、今も出てくるべきだと思っている。今は、流石(さすが)に、奉安殿(ほうあんでん)とか、ご真影(ただの写真だゾ)に 頭を下げないと、不敬罪(ふけいざい)で逮捕されて、処罰される、ということはない。だが、ほんの74年前まで、日本は、そういう国だったのだ。
今の日本国憲法が出来るまで、日本には、人権(じんけん)というコトバは、無かったのだ。本当だ。人権(ヒューマン・ライツ)の思想は、ほんの75年前まで日本になかった。
吉野作造(よしのさくぞう、1878-1933年)が、”大正デモクラシー”で、「中央公論」誌 に、民本主義(みんぽんしゅぎ)というコトバで、盛んに、人権思想を説いたときにも、国家主権( しゅけん、ソブリーンティ、 sovereignty )は、天皇にあったので、民主主義(みんしゅしゅぎ)とうコトバは、使えなかった。それで、遠慮して、ちょっと工夫して、吉野作造は、民本主義(みんぽんしゅぎ)と言うコトバを、使った。明らかに、democracy デモクラシー(代議制民主政体)の訳語である。
この時には、もう、明治時代の「自由民権(じゆうみんけん)運動」の時代は過ぎ去っている。
「民権(みんけん、民衆の権利)」の反対語、対立語は、「 官憲(かんけん)」である。× 官権とは言わない。
吉野作造
今の 日本国は、国民の多くが貧乏のまま、ヒドい不況のまま、優れていない(つまり、愚か者の)政治指導者たちがいて、国民生活が圧迫されたままの、「貧乏でもいい、平和で有りさえすれば」の、ギリギリの選択をしながら生き延びている。
今の日本国の最大の弱点は、指導者である。国民の各層はしっかりしているのに、政権政治家たちの能力が、あまりにヒドい。あまりにも低劣な、愚かな者たちが、一番上にいる。だから、日本は、元気が出ない。碌な国家運営をしていない。諸外国の指導者に現われるような、優れた見識と、ずば抜けた能力を持ち、優れた能力で、国を豊かにして、若者たちに職を与え、夢を与える。今の日本には、そういう、国民に敬愛される指導者がいない。立派な人間が出てくると、愚劣な人間たちが、足を引っ張る。追い落とす。
だから、日本は、ちっとも元気が出ない。皆、おろおろしている。指導者が、国民から軽蔑されている。諸外国と較べて、どうしても、このように見える。このことが、日本国の最大の危機である。
アメリカによる、日本国からの大きな収奪(しゅうだつ)、資金の強奪(ごうだつ)が続いている。
私は、ここの20年間、ずっと、自分の金融・経済本で書いてきた。今では、日本は、アメリカに、隠れて、裏から、貢がされている、資金が 最低でも、1200兆円(10兆ドル)ぐらいある。この40年間の間も、それらは、毎年、どんどん、積もっていった。
この累積の「融資」残高、1200兆円の、アメリカに強制的に奪い取られている、隠し資金のことを、私が、いくら書いても、誰も信じようとしなかった。 だが、そろそろ、「そういうことだろうなあ」と思う、人たちが出てきている。 だいたい、毎年、30兆円(3000億ドル)ぐらいを、アメリカの国家財政の赤字(不足分)を、補うために、貢いでいる。その担保(保証、プレッジ)は、米国債という、紙切れである。
だから、アメリカ政府の公債(国家借金証書)を、「買う」という形で、アメリカに融資している。貸している。おそらく、この1200兆円は、踏み倒される。アメリカ帝国が、急激に落ち目になって、信用をなくすときに、1ドルは、80円、60円、40円・・・と下落する。 だから、アメリカは、日本からのこの、米国債買いの形の、借金(負債)を踏み倒すだろう。このようにして、次の時代、次の世界が始まる。それは、これから、5年先(すなわち、2024年)のことだろう。
安倍首相は、先週、トランプ大統領 に、ゴルフに誘われて、チンコロ忠犬、ポチ公のまま、何でも卑屈に、アメリカ帝国の言いなりになることで、自分の立場を守っている。
アメリカと、対等な交渉をする、ということが全く出来ない。言いたいことを言うことが出来ない。だから、相手にバカにされる。軽く見られる。そのように長年、仕組んだ、アメリカも悪い。 another Ozawa 「アナザー・オザワ」すなわち、もう一人別の新しい小沢一郎( 田中角栄の後継ぎ、真の日本のの民族主義者、ナショナリスト。帝国と真剣に交渉する属国の王 )が、出てくるのが、アメリカとしては、困る。そうでなければ誰でもいい、ということだ。
安倍は、4月27日に、首脳会談の時に、トランプに対して、「4.4兆円の、アメリカ製の軍需品 を買うと、この場で最終的に決断しますから、どうか新天皇に会いに来て下さい。これが、正式の最終のお願い(取引)です」と言った。そして、来たる5月27日(日)、28日(月)のトランプ訪日を公式に決定した。
安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領
トランプは、きっと大相撲の最終日(千秋楽、せんしゅうらく)に蔵前の国技館の、土俵に現れて、決勝戦 を観戦した上で、必ず、土俵に上がって、優勝カップを、優勝力士に与える儀式をやるだろう。昔、パンナムの名物(めいぶつ)会長が、やったように、「ヒョーショージョー(表彰状)ジューヨー(授与)」をやるだろう。パンナムPANNAMは、もうかなり前に無くなった米航空会社だ。
トランプは、プロレス興行が、大好きで、自分も興行主(こうぎょうぬし。プロモーター)をやっていた男だから、プロレスと、相撲が同じものだと、知っている。相撲取りの褌(ふんどし。ローイン・クローズ loin cloth )姿を、嫌わない。ビルとヒラリー・クリントンは、嫌って、大相撲を見に来なかった。
世界中からは、きっと、日本の 相撲取り(英語では、 sumo wrestler スモー・レスラー と言う)の、あの褌姿(ふんどしすがた)は、民族の伝統衣装とは言え、みっともないものなのだろう。こういうことは、誰も言わないので、私がはっきりと書いておく。
各種の格闘技の奴隷戦士たち(フットボールでも、バスケットでも、サッカー、ボクシングでも同じだ。競馬の馬主も。古代ローマの剣闘士=グラディエイター=も )を、自分でオウナーとして飼うことは、ある種の支配者、権力者、大金持ちにとっては、無上の喜びなのだろう。
今や、独裁者である、トランプは、「こいつ(安倍)は、私の言うことを何でもきく、頭の足りないやつだ」と、軽く扱っている。この事実を、一番、惨(みじ)めに噛みしめているのは、当の安倍首相本人だろう。
日本国民の大半も、「もう、安倍、辞めろ」と、思っている。アメリカ(トランプ)と、対等に、激しく、厳しく交渉する人間が出てこないと、日本はダメなのだ。
安倍晋三 は、来年の8月(炎天下だぞ)の、2020年の東京オリンピックの開会式までは、首相の席にしがみつて花道を飾ろうとしている。そして、そのあと、9月に、自民党の総裁選で、次の首相が決まる。
さあ、「令和おじさん」の 菅義偉(すがよしひで)官房長官が、次の首相になる、いや、アメリカが、「菅(すが)でいい」と、言うか。次の属国の指導者として、アメリカ帝国が認めるか。この問題は、あとの方で書く。 今年の3月から、公然と、「スガが次か」と自民党内で、騒がれ出した。
菅義偉
5月8日から、菅義偉は、官房長官(首相の女房役)なのに、留守をして、アメリカに呼ばれて、首実検(くびじっけん)を受けにゆく。「果たして、こいつでいいのか。アメリカの言うことをちゃんと聞くかな。文句を言わないで、カネを払うか。そして日本国内を、きちんと治めることがで着るのか」の検査を受けに行く。 さあ、この重要な問題を、私は、予測、予言しなければいけない。
どうも、ウイリアム・ハガティ という、今の、駐日アメリカ大使が、動き回って、トランプ政権に、この案、計画を持ち上げているようだ。 ウイリアム・ハガティの周辺を調べなければいけない。
副島隆彦の「帝国 – 属国」理論の、公式(フォーミュラ)を、自然に当てはめると、自分たち帝国が、ある国の、次の 属国の王 を決めるときの、帝国側の権限者は、アメリカ大使である。だから、ウイリアム・ハガティが、動かないと、今のような、微妙な感じには、ならない。
・・・・私は、たった今、決めたが、もう、「菅義偉が、次の首相になるか」問題は、今日は書くのをやめた。次回に回す。 今日は、天皇家の代替わりの話だけにしよう。それで、このあとに、BBC(英国国営放送局)の、特派員の、新天皇の即位と、皇室のことについての、優れた記事があったので、少し長いが、それを貼り付ける。これだけにする。 副島隆彦記
(転載貼り付け始め)
〇 「 天皇陛下、その人間らしさ 」
Japanese Emperor Akihito’s human touch
2019年04月30日 BBC ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ 東京特派員
春らしい清々しい朝だった。私は先週、東京西部の郊外の路上に立っていた。道路の両側には何百メートルにもわたり、興奮した面持ちの人の列が続いていた。そのとき、ほとんど何の前触れもなく、黒色の大きなリムジンが両側にオートバイの警護隊を従えて橋を渡ってきた。
その車両が通り過ぎたとき、ほんの一瞬、明仁天皇、美智子皇后の両陛下が体を前に傾け、軽く手を振るのが見えた。歓声のうねりとビニール旗の波が起こり、やがて消えた。私にとって、それは少々あっけなく思えたし、そう思ったのは私だけではなかった。近くにいた高齢の女性は警察官を責めた。
「どうしてあんなに速く行ったの?」と女性は聞いた。「普段はもっとゆっくりなのに。お顔を見る機会なんてめったにないのに」。
警察官は辛抱強くほほ笑んだ。警察官が車列の速度を決めることは、もちろんできない。この日の天皇・皇后両陛下の昭和天皇山稜への拝礼には、筋金入りの皇族ファンが数百人集まる程度だろうと思っていた。だが実際には、5000人以上は集まっていたはずだ。集まった人たちが三々五々に散らばり始めると、中には涙を拭う姿もあった。
「日本人のためにしていただいたことを、ありがたく思っています」と、美しい着物姿の女性は話した。「長い年月に対する深い感謝の気持ちを込めて手を振りました」。「本当に感動しました」と女性の友人は言った。「長年のおつとめを終えられた天皇陛下が、ゆっくりと幸せな時間を過ごされることを願っています」。
だらりと垂れた大型の日よけ帽をかぶったスギヤマ・カオルさんも、友人たちと一緒に来た。「私は戦争世代ではありません」とスギヤマさんは言う。「でも、振り返ると、平成時代の日本が平和だったのは天皇陛下のおかげだと思います。ですから、陛下の最後の訪問でお顔を見て、感謝の気持ちを示したいと思ってやって来ました。陛下には『ありがとうございました』とお伝えしたいです」 こうした気持ちを抱かせる天皇陛下は、いったい何をしたのだろうか。
「最高慰問者」
1989年1月、昭和天皇の死去にともない、天皇陛下が即位した。
楽観的な時代だった。日本は金回りがよく、戦後の経済発展のピークを迎えていた。ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収する直前で、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンターの買収を目前にしていた。世界中で、新たな「超大国」としての日本が話題になっていた。
天皇陛下(1990年撮影)
しかし、天皇陛下が即位した翌年、災難が起こった。バブル経済がはじけ、東京の株式市場で株価が35%も暴落した。バブル崩壊から30年近くたつが、日本の株価と地価は1990年代の水準を下回ったままだ。
ほとんどの日本人にとって、平成(「平和の達成」を意味する)時代は経済停滞を意味してきた。加えて、悲劇に見舞われた時代でもあった。1995年1月、マグニチュード6.9の大地震が神戸の街を襲った。ビルや道路の陸橋が倒壊し、火災が何日も続いて空が暗くなった。死者は6000人を超えた。
2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。マグニチュード9は、記録が残る中で、日本における4番目に大きな地震だった。この地震は巨大津波を引き起こし、東北沿岸の町々に壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。この2番目の災害の後、天皇陛下は過去の天皇がしなかったことをした。テレビカメラの前に座り、国民に向けて直接語りかけたのだ。
その2週間後、天皇・皇后両陛下は、東京から離れたスタジアムに設置された避難所を訪れた。被災者たちは、床の上にわずかな所持品を積み重ねて生活していた。多くの人々は、福島第1原発の損壊によって出た放射線から避難していた。ほとんど全てを家の中に残したまま、いつ、果たして戻れるのかどうかさえわからずに、避難生活を送っていた。天皇・皇后両陛下は床に膝をつけて家族を一組ずつ訪ね、静かに話しかけ、質問をし、いたわった。
東日本大震災の被災者と話す天皇・皇后両陛下
保守層にとってはショッキングな、天皇陛下の姿だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあるべき振る舞いではなかった。しかし、それを上回る数の日本人が、天皇陛下の人間味あふれる感情表現に深く感動した。
「陛下には道徳的な権威がある」とテンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は話す。「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。
「陛下の避難所訪問は、政治家が写真撮影のために訪問して手を振って立ち去るのとは違う。人々の隣に座り、一緒にお茶を飲み、戦前には考えられなかった風に会話をする」
父親の罪
天皇陛下は革命家には見えない。背は低く、控えめで語り口は柔和だ。発言と行動は戦後の憲法によって厳しく制限されている。イギリスのエリザベス女王と違い、陛下は日本の国家元首ではない。その代わり、陛下の役割は「国民統合の象徴」とあいまいに定義されている。政治的な発言は認められていない。
こうした儀礼的で窮屈な役割の中でも、陛下は見事な成果を上げてきた。
まず思い出すべきは、陛下は日本がアジアで暴挙を繰り広げた1930-40年代の約15年間に日本を治めた、神格化された昭和天皇の息子だということだ。広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えた時、陛下は12歳だった。
昭和天皇(右)と新聞を読む天皇陛下
教育を受けていた時期のどこかで、陛下は強固な平和主義者となり、それは現在も続いている。このことについては、アメリカ人家庭教師のエリザベス・グレイ・ヴァイニング氏の影響を指摘する人もいる。天皇陛下は昨年12月には「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べた。平成の間に1人の自衛隊員も、戦争や武力紛争で犠牲にならなかったことに、何より満足しているという。
陛下は日本のかつての敵や被害者とも心を通わせる努力をしてきた。北京、ジャカルタ、マニラからスペインまで、昭和天皇の下で生じた傷を癒すために尽力した。
「陛下は、日本の和解のための最高の特使という、天皇の新たな役割をつくり出し、地域内を何度も訪問し、償いと悔恨の意を示してきた。基本的に、過去の戦争の傷を癒そうとしてきた」とキングストン教授は指摘する。
天皇陛下と皇后陛下は1959年にご成婚された
1990年代には、それはあまり議論にはならなかった。国内の政治家は陛下を支え、1992年には歴史的な中国訪問を実現させた。だが、陛下が年齢を重ねるにつれ、日本の政治は急激に右傾化した。
かつての「謝罪外交」は、平和主義とともに支持されなくなった。安倍晋三首相は、日本の平和憲法を改めると宣言している。安倍氏や右派の人々は愛国的な教育を復活させ、彼らの言う戦後の「自虐史観」を消し去りたいと考えている。
天皇・皇后両陛下が見守る中、戦没者追悼の式典の壇上に立つ安倍晋三首相(2014年) (副島隆彦注記。この写真で、天皇、皇后が、安倍首相を、厳しく睨(にら)み付けていることがわかる。もっと、そのことがはっきり写っている同じ写真もある。BBCは、それをわざと避けた)
目立たないように、しかし強い意志をもって、陛下は繰り返し歴史修正主義者たちに対する軽蔑心を表してきた。2015年、戦後70年の節目で、安倍氏は談話を発表した。「安倍氏は基本的に、日本がいま享受している平和と繁栄は、300万人の戦死者のおかげだと述べた」とキングストン教授は言う。
「翌日、陛下はそれを否定した。陛下は日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものだと、お言葉で述べた」
テレビ中継を見ていた何百万人もの日本人にとって、それは疑いようのない批判だった。東京で開かれた園遊会では、右派の東京都の教育委員会委員が、国歌を斉唱するときには全教員を起立させると陛下に誇らしげに伝えた。
陛下は静かに、だがきっぱりとこう言って、その委員を諭した。「強制になるということではないことが望ましい」
長い別れ
在位期間を通し、陛下は最も大切な伴侶で助言者の美智子皇后と一心同体だった。一般家庭の出身の皇后陛下にとって、時に宮中での暮らしは極めて大変だった。1993年には、皇后陛下は精神的疲労から倒れ、2カ月間、言葉が出なくなった。
皇后陛下
皇后陛下は最近、天皇陛下の決意に対する畏敬の念を文章で表している。「振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました」
しかし、ここしばらく、天皇陛下の健康状態は衰えつつある。がんを患い、心臓のバイパス手術も受けた。陛下に近い人は、陛下が健康悪化によって動けなくなり、公務を果たせなくなることを一段と心配していたと述べる。2009年ごろから、陛下は皇太子さまへの皇位継承が認められるよう静かに世論に訴え始めた。これは決して簡単なことではない。
戦後制定された憲法では、天皇は「終身」その地位にあると明確にしている。そのため、政治家たちは陛下の願いを無視してきたと、原武史放送大学教授は説明する。
「9年間にわたって、政府は陛下のお気持ちにまったく同調しなかった。退位したいという陛下の希望を受け入れたら、天皇が重要な決定権限をもつことになってしまい、それは憲法違反だと考えたからだ」
5月1日に新天皇に即位する皇太子さまと雅子さまご夫妻
これは、まさに日本独特の難問だ。原教授によると、焦燥感を募らせた陛下と宮内庁は、ある計画を編み出した。「陛下と宮内庁はどんどん我慢できなくなっていった。そこで、宮内庁の職員がNHKに情報を流し、NHKが陛下の希望を報じた」 NHKにとってそれは大スクープとなり、こう着していた局面が打開された。1カ月後、陛下は再びテレビ放送されたビデオメッセージを通して国民に直接語りかけ、退位して皇位を皇太子さまに引き継ぎたい意向を示唆した。
世論調査の結果は、大多数の日本国民が陛下の意向を支持していることを示した。安倍首相と保守層は従うしかなかった。それから2年の年月を要したが、陛下はついに退位の日を迎えた。5月1日、皇太子さまが新天皇に即位し、時代は「令和」に変わる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
【2019】[2398]『旧唐書』と『新唐書』の間
守谷健二です、2019年5月3日
『旧唐書』は、日本記事を、「倭国伝」と「日本国伝」の併記で創っている。『旧唐書』は、「倭国」(筑紫王朝)と「日本国」(近畿大和王朝)が日本列島に並立していた、と認識していた。
西暦663年に朝鮮半島の南西部の白村江で、唐・新羅連合軍と戦ったのは、倭国であった、と明記する。倭国はこの戦いに三万余の大軍を派兵し大敗を喫したのであった。 倭国はこの戦いに、王朝の総力を注ぎ込んでいたのである。
『旧唐書』に初めて登場する日本国記事は、703年(大宝三年)の粟田真人の遣唐使の記事である。
その記事は、日本国が倭国を併合したことを伝えている。しかし、日本国の使者たちの説明は矛盾が多く、中国の史官たちを納得させることが出来なかった。
―その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国是を疑う。・・・『旧唐書』より
『旧唐書』が上梓されたのは、945年である。それから百十五年後の1060年に『新唐書』が上梓されている。両者とも正式には『唐書』であるが、区別するために『旧』『新』とつけられているに過ぎない。
『旧唐書』が既に成立しているのに、何故『新唐書』が編まれたのだろう。
通説は、唐末の混乱で、唐末期の資料が失われたので、『旧唐書』の記事には不備があった。
宋の時代になって、唐末期の資料が多く発見された。それ故、『旧唐書』の不備を補いより完全な「史書」を作ることが、勅命(皇帝の命令)でなされた。と通説は伝える。
しかし、『新唐書』は、史料の扱いが杜撰で、誤りも多く、『旧唐書』よりも信頼性に欠ける、と云うのが後世の学者たちの一致した見解である。
『新唐書』の日本関係記事も、誤りが目立つ。特に阿倍仲麻呂の経歴を誤っているのは納得できない。
『小倉百人一首』天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かもーの阿倍仲麻呂である。
仲麻呂は、十六歳で唐に留学し、科挙に合格し、微官から出発し、秘書監(従三品)、左散騎常侍(従三品)、鎮南都護(従二品)と、唐朝に重きをなした人物で、李白、王維、杜甫など詩壇のスターたちとの詩文の応酬も多く残されていた超有名な人物である。まともな歴史家であったら、間違いようがない人物なのだ。
この『新唐書』であるが、
―日本国は、古の倭奴なり―出始められている。日本国の連続性を認めている。日本には王朝の交代がなかったと書く。
『旧唐書』の見解を否定する。
つづく
【2018】[2397]ノートルダム寺院の大火災は、やらせ(捏造)であり、「ショック・ドクトリン」である。
副島隆彦です。 今日は、 2019年4月20日(土)です。
4月15日のノートルダム寺院(大聖堂、カテドラル)の大火災は、どうも計画的なやらせで、捏造(ねつぞう hoax )だったようだ。世界中に、今、「こんなのは、でっち上げだ」の声が湧き起こっている。
私が、このノートルダム寺院の大火事を知ったのは、4月16日の朝の5時だった。イギリスのBBCのテレビ放送で知った。大火災が起きたのは、現地パリ時間で、4月15日の午後6時か7時である。現地は夕方だ。火災を見守る人々の映像からは、パリはまだ明るいようだった。 日本時間では16日の午前2時だった。
火焔に包まれるノートルダム大聖堂
だから、私がテレビで最初の映像を見たのは、火災発生から3時間後ぐらいのときだ。 テレビ映像を見ながら、私は、何か奇妙な感じがした。
フランス大統領のマクロンが、自分の人気の回復と、「フランス国民の団結」、「共和国防衛」を、掲げて、こういう 保守的な統合、国民への危機感の醸成(じょうせい)での、統制国家(とうせいこっか)への道を進む、権力犯罪(けんりょくはんざい power crime)をでっち上げたのだ。
権力者たちは、 自分たちがやった、という直接のあからさまな証拠さえ出なければ、ウソを付き続ける。居直って、これは、失火だと言い続けるだろう。だが、そう、うまくは行かないだろう。今度の、大火災は、あまりに、やり方が、幼稚だ。 原因も不明のまま、うやむやにするだろう。だが、これから、いろいろと、噂が立ち、ボロボロと妙な事実が出てきて、騒ぎになるだろう。フランス国民は低脳ではない。
全く、よくやるものだな。フランス国も、イギリス同様、かなりのジリ貧で、どんどん落ちてゆく国力に対して、なんとか歯止めを掛けようと必死なのだ。
火災から5日経(た)った、20日の今でも、誰も捕まっていない。工事現場の責任者を、業務上過失の容疑で、パリの警察が、取り調べることさえしていない。 誰も、何の追及もない。 何なのだ、一体、この様(さま)は? 仮設の工事用のエレベーターから出た火花が原因だろう、と バカことを言うな。 工事関係者たち自身が、火の気はなかった。自分たちが、その日の工事終わって、現場を離れたあとに、火災が起きた、と証言している。
こうやって、歴史的な建造物の 大火災を、フランスの権力者自身が、仕組んだ。 まったく、2001年の9月11日の「9・11」(セッテンバー・イレブン)の、ニューヨークの110階建てのWTC(ワールド・トレイド・センター 2棟)への、旅客機の 突入の劇(げき)の 捏造 と、全く同じものだ。 あれから、もう18年になる。
破壊されるワールド・トレイド・センター
あのときは、ブッシュのバカ息子の方(モンチッチ)が、大統領になってすぐの年だった。 あれで、アメリカは、ウオー・エコノミー war economy 「戦争(刺激)経済」「戦争をすることで、大国の経済を刺激(ブースト)して、経済を回復させる」やり方、に突入して、その年のうちに(11月には)、米軍が、アフガニスタンに侵攻した(2万人ぐらい)。 そして、2年後の2003年の3月20日から、バグダッド爆撃だ。ズズーン、ズズーンと、爆撃音が、日本のテレビでも現地特派員から放映された。
アメリカは、このように、着々と準備していたとおりに、2001年からイラク侵攻戦争を開始して、「イラク戦争」と呼んだ。戦争の相手国 無しの、 War in Iraq ウォー・イン・イラク とか、War against Terrorism ウォー・アゲインスト・テロリズム「対(たい)テロ戦争」と称した。アメリカに対して反旗を翻した、サダム・フセイン政権を 戦争の相手国とさえ認めなかった。米軍の派遣軍(遠征軍、エクスペデイショナリー)によって、その国の領土を蹂躙(じゅうりん)しただけだ。
イラクには、大量破壊兵器(核兵器)の開発の証拠はなかった。サダム・フセインは、バース党と言って、アラブ世界の社会主義者(エジプトのナセル(ナスィール)大統領の思想)である。だから、アルカイーダや、アフガニスタンのタリバーンとは、関係がなない。
彼らは、思想として敵対しあっていた。それをアメリカのメディアは、意図的に混同して、一緒くたにして、アルカイーダとサダム・フセインが、共同で「9.11」を実行した、とした。 アメリカの忠実な子分だったサダム・フセインが、アメリカと敵対したので、この国を、16万人の 兵力で攻めて破壊した。サダム・フセインを捕まえて絞首刑にした。世界帝国(ワールド・エムパイア)というのは、自分が生き延びるために、こういう無惨なことをする。
フランスが、これと同じことを、小規模にやって見せたよ。全く、こんな下手な芝居を、よくやるものだな。
(転載貼り付け始め)
〇ノートルダム高額寄付に怒り=反政府デモ激化も-フランス
2019年04月19日 AFP 時事通信
ノートルダム大聖堂の前を行進するデモ隊=1月5日、パリ(AFP時事)
【パリ時事】大火災に見舞われたフランスのパリ中心部にある観光名所、ノートルダム大聖堂の再建のため、大富豪らから多額の寄付金の申し出が相次いでいることに対し、マクロン大統領の政策に反対し昨年11月からデモを続けている抗議運動参加者らは「不公平だ」と不満を募らせている。
抗議運動の中心となっている女性は、4月17日、「社会的な惨状には何もしないのに、わずか一晩で膨大な金を拠出できることを見せつけた」と、高額な寄付を批判した。インターネット交流サイト(SNS)上では、「人間より石が優先されるのか」などと反発する投稿が相次いだ。
有力紙フィガロは、4月20日に予定されているデモについて「怒りを募らせたデモ隊が結集する可能性がある」と指摘。再び破壊行動が起きる恐れがあると報じた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。マクロンは、ただちに、「5年間で、ノートルダム大聖堂を、より立派に再建する」と演説した。きっとするだろう。 なぜなら、計画的なのだから。
白々しいマクロン
この大火災が起きる前は、5千万ユーロ(70億円)しか、修復のための寄付金が集まっていないと、放送していた。 私が、F2(フランス・ドゥ。フランス国営放送局)のテレビを、2週間ぐらい前に見たときに、尖塔(せんとう)の周りの12使徒(アポストルズ)のブロンズ製の像を、慎重に取り外すニューズを流しながら、言っていた。
今や、寄付金は、急に、どこからともなく、10億ユーロ(1300億円)集まって、主に大企業からだろうが、この金額は、すぐに、20億ユーロ(2600億円)になるだろう。これで十分に再建できる。 もっと立派に作り直される。さっさと、どんどん、てきぱきと。
大修復工事というのは、壊すだけでも大変なのだ。文化財の塊(かたまり)だから、丁寧に、丁寧に、壁の装飾とかを剥(は)がしていたら、それだけで、一体、何年かかるか、分からない。 だったら、「えーい、面倒だ。まとめて、燃やしてしまえ」だ。その方が、あとの再建築工事が、ずっと、やり易(やり)い。だったら、燃やしてしまえ、だ。
一番、重要な宝物(ほうもつ)は、ほとんど、先に 移動させていたようだ。 かつ、貴重なパイプオルガンとかも、ほとんど無事に残っている。 何なのだ? このやり方は。
権力者、支配者 というのは、本当に、こういうことをする。 何も知らない、気づかない、一般国民を、恐怖に陥れて、悲嘆に暮れさせて、そして、それを利用して、権力者の思い通りにさせる。 マクロンというのは、本当にワルい男だ。 アメリカの手先なのだ。
だから、私、副島隆彦は、英語で、コンスピラシー のことを、「権力者による共同謀議(きょうどうぼうぎ、共謀、きょうぼう)」と訳せ、とずっと、主張している。 コンスピラシー conspiracy 「権力者たちによる共同の謀議」は、本当にあるのだ。こいつらは、本当に、こういう 大惨事(だいさんじ)を 計画的に、実行する。そして、国民を脅(おびや)かし、恐怖に叩き込み、青ざめさせて、自分たち権力者の言うことを聞かせる。
これを、「ショック・ドクトリン」“ Shock Doctrine ” と言う。「恐怖で支配する」という原理(ドクトリン)だ。この考えは、カナダの優れた女性ジャーナリストの ナオミ・クライン が、2007年に出版した本の書名である。
『日本に恐ろしい大きな戦争が迫り来る』から
私、副島隆彦は、× 陰謀(いんぼう)と × 陰謀論(いんぼうろんじゃ) という言葉を使わない。認めない。拒否する。 人に向かって、「それは陰謀論ですか」と、ニヤニヤ笑っていう者たちと、私は、ずっと敵対してきた。必ず、激しく抗議してきた。 「 陰謀、と言うな、権力者による共同謀議と言え」と、自分の周りの知人たち、友人たちにも、教え諭(さと)してきた。
「それは、陰謀論だよ」と、ニヤけて言う者たちは、今や、権力側の人間で有り、自分のことを、温厚で、良識のある人間だと、思い込むことで、真実を追求する人びとを、差別し、隔離しようとする、悪意のある者たちだ。 一般民衆、普通の国民は、こういう時は、額にしわを寄せて、「私には、政治のことは、分からない」と黙りこくるものだ。それが、まっとうな判断だ。
私は、自分が、言論人としては、× 陰謀論者(いんぼうろんじゃ)のひとりとして、扱われ、蔑(さげす)まれてきた。だから、私は、大きく反撃して、反論してきた。 「権力者による、共同謀議(犯罪だ)は有る。彼らはやる」と、いろいろの歴史事件を捉(とら)えて、詳しく調べて断定して、このことを、ずっと諸本に書いてきた。 私の本に近寄ろうとしない人たちのことを、私は、私なりに知っている。私は、自分の書いた本が、特定に人たちに、忌避され、嫌われることも知っていて、自覚している。彼らは、権力側の人間たちだ。
「それは陰謀論だよー」と、簡単に言う者は、今や、人生の知恵の足りない人間たちだ。コンスピラシー・セオリー conspirasy theory というのは、ただの犯罪者集団や 政治的な反対派の組織が、実行する、小規模の組織犯罪(シンディケイテッド・クライム)程度のことではない。そして、それが露見して、捕まってしまうようなチンケな連中の犯罪のことを指すのではない。
コンスピラシーというのは、それぞれの国の、実権、最高の権力を握っている者たちが、警察権力までを支配し、上手に管理した上で、行う組織犯罪だ。 だから、必ず「権力者による共同謀議」と、権力者を頭に付けて呼ばなければいけない。だから、コンスピラシーは、簡単には発覚しない。相当な仲間割れや、内部告発者(ホイッスル・ブロウアー)が出現しない限り、明るみに出ない。
だから、世界基準の言葉である、コンスピラシーは、「権力者共同謀議(共謀)」と訳せ、と、10年ぐらい前に、私、副島隆彦が、学問的に決断して、本に書いて、それ以来、徐々に日本国内に広まっている。
「副島隆彦って、陰謀論者でしょ」と、私に、レッテル貼り(labeling ラベリング)する者たちとの闘いは、ずっと、今も続いている。 私は、あの愚劣な連中には負けない。左翼やリベラル派を自称する者たちの方に、この手の軽薄人間がたくさんいる。彼らは、私たち、世の中を疑い、真実を追求しようとする者たちを差別する。そして、自分のことを良識派だと、自惚れる。頭が悪いだけの愚鈍(ぐどん)人間のくせに。 私は、大きな真実が暴かれることをいつも、がむしゃらに追究して、闘い続ける。グイグイとへこたれることなく、前に押し続ける。「真実は、権力 よりも強いのだ」というコトバ、
Truth is mightier than power . 「トウルース・イズ・マイティヤー・ザン・パウワ」
を旗頭(はたがしら)、自分の 幟旗(のぼりばた)にして、今日まで突き進んできた。一切、怯(ひる)むことはない。私が司令官(コマンダンテ)だからだ。 歪んだ精神をした者たちとの、闘いは、ずっと続く。
今も果敢に闘う、優れた女性ジャーナリスト、ナオミ・クライン著の「ショック・ドクトリン」の原著を、岩波書店から2人の女性翻訳家が、実に丁寧に訳して、2011年の日本の「3・11」の大地震、大津波の 半年後の11月に日本語訳が出版された。 この2人の日本人女性翻訳家は、この「ショック・ドクトリン」を、別名で、「 大惨事(だいさんじ)便乗(びんじょう)型(がた)資本主義(しほんしゅぎ)」と、実に優れた訳をした。 戦争や、自然災害 や大規模の都市災害なとを、利用して、
権力者たちが、自国の国民を、いいように動かす、やり方だ。
私、副島隆彦は、この「ショック・ドクトリン」について、自著の「やがて 日本に 恐ろしい 大きな戦争(ラージ・ウォー)が 迫り来る」 (講談社、2015年3月刊)の第5章を、まるまる使って、詳しく説明した。
私は、この本のまえがきの 冒頭で、「2年後の2017年に、ヒラリー・クリントンが、アメリカ大統領になったら、世界中が戦争になるだろう」と、はっきり書いた。
ヒラリーたち凶悪な者たちが敗北して、凶暴な戦争勢力が、アメリカを支配しなくて、トランプのような経営者あがりの泥臭い男が、アメリカ大統領になって、世界は救われたのだ。 アメリカン・デモクラシーの最後の底力(そこじから)だ。 アメリカ民衆の勝利だ。
だが、これから、5年後の 2024年、トランプの最後の年になったら、また、再び、世界に大きな危機が押し寄せる。「大恐慌か、大戦争(ラージ・ウォー)か」である。私は、自分の予言者としての能力に強い自信を持っている。
ノートルダム寺院のような、古い建物を、どうにかして、修復しようと思ったら、どうしても一気にやるしかない。下に載せる記事に付いている写真(画像)を見ると、木造の骨組みの大天井が、きれいに焼け落ちた、その瓦礫(がれき)が、床に積もっていて、大聖堂の両側の壁は、そのまま残っている。 ファサードの前面の顔の塔も、綺麗に残ってる。
こういう具合に、実に綺麗(きれい)に、やるものだ。これなら、大修復を、再建築と併せて、どんどんやれるだろう。 ほんとによくやるよ、こいつら、は(笑)。
歴史年表(岩波書店)を見ると、パリのノートルダム寺院は、西暦1163年に建立(こんりゅう)開始、1182年に完成、と書いてある。12世紀だ。だが、最初のものと今の大きなものとは違う。この時代は、第2回の十字軍(クルセイダーズ)という、アラブ中東世界に、西欧の王様たちが、ローマ・カトリック教会(悪の巣窟)が音頭を取って、攻め込んで、自分たちの聖地(キリストが処刑された場所)エルサレムに、80年間、王国を作った時代だ。テンプル騎士団(ナイト・テンプラーズ)が、西欧諸国で、もの凄い熱気となって、この敬虔な平信徒の団体が、十字軍の本当の、突撃隊、正面の主力を作った。
ノートルダム寺院は、このテンプル騎士団の熱気が作った、民衆の寺院として始まったのだ。
12世紀の当時のノートルダム寺院は、2階建てぐらいの木造の小さなお寺だっただろう。大した大きさではない。5日前に、焼け落ちた、尖塔(せんとう)は、地上から90数メートル有る、相当の高さだ。私は、何度か、セーヌ川のこっちから見た。あの尖塔とか聖堂は、19世紀(1860年代)に作られた、ゴシック様式のものだ。
だから、あんなに大きいのだ。歴史的建造物と言ってみても、たったの100数十年しか経っていない。これまでに何回も建て替えたのだ。だったら、そんなに、1000年の昔から有ったように、言わない方が良い。現代建築の次述で、綺麗に建て替えれば、それで、済むことで、簡単なことだ。本当に、マクロンたち、ワルは、よくやるよ。
この男は、いよいよ、嫌われるだろうな。まだ、38際ぐらいのガキのはずだ。
私は、この男が、去年の サッカーのワールド・カップの決勝戦で、フランスが勝ったときに、スタジアムの最高階の貴賓席から、立ち上がって、前面のテーブルの上に立ち上がって、片腕を天に突き上げているポースを見て、興ざめした。バカだ、こいつだ。ガキだ。じっと我慢する、ということを知らない。じっと我慢する、耐えに耐える、ということが、国民の苦しみを一身に背負った、政治家にとって一番、重要な資質だ、ということを分かっていない。長くは保(も)たないだろう。 ドイツの女帝、堅忍(けんにん)自重(じちょう)の人、メルケルとは大違いだ。
今日は、書かないが、本物のフランス人の 愛国者、保守の民族主義者 たちは、ド・ゴーリスト
de Gaullist という人たちである。ゴーリスト( Gaulle 1, Gaulliste ガリア主義者 )とも言う。本物の反(はん)アメリカ主義者だ。アメリカ何するものぞ、のフランス人の誇り高さを持っている。思想家のミシェル・フーコーが、いろいろと真実を書いていた。彼ら、ドゴーリストたちは、選挙の時に、必ず、追い詰められて、敗北させられる。1970年代から、西欧諸国も、アメリカの属国にされたからだ。それが、フランス現代史だ。
日本でも、同じようなことが計画されて起きるか。いや。日本は、南海(なんかい)トラフが、3つに分かれている、① 東海地震 と、 ②東(ひがし)南海地震 と、③ 南海(なんかい)地震 うちのひとつが近いうちに起きる可能性が高い。だから、こっちの 大規模自然災害の恐怖で、国民を脅えさせて、統制経済(コントロールド・エコノミー)と統制国家への道を進む。
そして、大地震で、「ショック・ドクトリン」= 大惨事(だいさんじ)便乗(びんじょう)型(がた)資本主義 を作り出すだろうから、わざわざ、「9・11」やら、ノートルダムの大火災のような、やらせ、の虚構(きょこう、fake 、 forgery フォージェリー)、のでっち上げの、インチキをやる必要は無い。
2001年(18年前)のニューヨークの 「9.11」に、ついて、これまでと同様に、何十度でも、書いておくが、あのとき、ブッシュ息子大統領は、アホだから、始めから飛行機に乗っていて、ディック・チェーニー副大統領と、ラムズフェルド国防長官(凶悪な人間)の2人から、「お前は、そのまま飛んでいろ。ホワイトハウスに帰ってくる必要は無い。私たちが指揮する 」と、言われて、バカ扱いのままだった。
2棟 のワールド・トレイド・センターには、10階置きずつに、テルミット爆弾という、4千度の超高温が出て、太い鋼鉄の柱さえも一瞬で溶かす爆薬が仕掛けてあって、それで、デモリション demolition という 古いビルの倒壊、破壊技術 をそのまま使って用意周到に、高層ビル(104階建て、高度410メートルぐらい )を、内側に、ガラガラと上手に壊した。 旅客機が、超高層ビルに突っ込んだぐらいで、ビルは壊れない。飛行機は、軽いジュラルミン(今は、チタンが多い)で出来ているから、ぼっと燃えて終わりだ。
このビル解体工事の技術を、今度のノートルダム寺院大火災でも、アメリカが教えて、上手にやってみせたのだろう。
そう言えば、石原慎太郎が、あの「9.11」の当日、ニューヨークにいて、倒壊して、大きな砂埃(すなぼこり)が、舞う近くにいて、必死で日本に逃げ帰ってきた。その前日に、石原慎太郎は、“世界皇帝”のデイヴィッド・ロックフェラーのお屋敷にいて、「お前が、アメリカに逆らわないようになっから、東京メトロポリタン・ガヴァナーにしてやる」と、日高義樹を通訳にして、「明日、面白いドラマが起きるから、見てゆけ」と、言われたのだ。
私、副島隆彦が、こういう真実を、書き残さなければ、日本人は、誰も大きな歴史の流れを、大きく理解することが出来ない。
ノートルダム寺院(大聖堂)の、 Notre Dame ノートル・ダム とは、フランス語で、「我らが敬愛する女性」という意味だ。これを、英語では Our Lady アウア・レイディ という。 そして、この 女性とは、イエス・キリストの奥様で、かつ、使徒(しと)のひとりだった、マグダラのマリア、マリア・マッダレーナ Maria Magdalene だ。キリストのお母さん、聖母(せいぼ)マリアではない。
この真実を知っている人は、もう、全員知っている。 私、副島隆彦の『隠された ヨーロッパ 血の秘密』(ベストセラース社、 2012年10月刊)で、私が、イタリアのルネサンスと、偉大なるミケランジェロと、「ダヴィンチ・コード」の 真実を、満天下に、下記らかにした。この本の 冒頭で、このことを書いた。
「ノートル・ダム とは、マグダラのマリアであり、当時の、テンプル騎士団や、ヨーロッパの女性たちは、このことを知っていて、強くマグダラのマリアを拝んだのだ。密かにローマ教会の支配と闘った」と。
私の頭の中では、もう、いろいろのこの世の真実がすべて明らかになっている。 あとは、頭のいい人から、順番に、この真実を知って、目覚めて、そして、人間として強くなって、一切の虚偽と、迷妄と、権力者による洗脳(ブレイン・ウォッシング、マインド・コントロール)と 闘わなくてはいけない。
「そんなことはないよ」「自分は、他の人たちが信じていることを信じる」という人たちは、生来の、臆病者であり、愚か者なのだから、それはそれで構わないので、私は、放(ほ)っておく。ただし、私が書いたことの、あれこれの真実が、脳に突き刺さって、どうしても離れなくなる。
以下に、一本だけ、焼け落ちた聖堂の礼拝所の 内部の瓦礫(がれき)の山を撮した、記事を載せる。
(転載貼り付け始め)
〇 ノートルダム大聖堂火災 「爆撃のよう」屋根に穴 内部はがれき
2019年4月17日 AFP時事 パリ/フランス
火災に見舞われたフランス・パリのノートルダム大聖堂内部の様子(2019年4月16日撮影)。(c)AFP
火災に見舞われたフランス・パリのノートルダム大聖堂の外観(2019年4月16日撮影)。(c)LUDOVIC MARIN
【4月17日 AFP】中世の貴重な窓から割れ落ちたステンドグラスの破片、尖塔(せんとう)が崩落し聖歌隊席付近の屋根にできた大きな穴、天井から焼け落ち床に散乱したがれき…。
フランスの首都パリにあるノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)を15日夕に襲った火災は消防隊が鎮火にこぎ着けたが、一夜明け日の光に照らされた現場から、その被害の規模が明らかになった。
開け放たれた大きな扉の一つからは、大聖堂内部に焼け焦げたがれきが山になっているのが見える。被災後の大聖堂内に最初に足を踏み入れた人の一人、ノートルダム大聖堂のフィリップ・マルセ(Philippe Marsset)司教総代理は、「爆撃を目にしたような感じがした」と語った。
しかし希望の兆しを示すものもあった。大聖堂奥にあった金色の十字架が無傷で残り、闇の中で毅然(きぜん)と輝いていた。損壊を免れたステンドグラスや彫像もある。
被害を受けずに済んだものも多く、石造部分の大半と2つの巨大鐘楼が無事だった事実は、安堵(あんど)をもたらした。マルセ氏は「ただあぜんとしている。奇跡的という以上に、畏怖の念さえ覚える」と話している。 (c)AFP/Camille BOUISSOU and Michel MOUTOT
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝