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藤川健二 投稿日:2020/01/22 12:06

【2098】[2478]金融経済も、法律も、全て「偶像」

少々長く、情報量が多くなるが、途中省けば辻褄が合わなくなるので、お付き合い下さい。

私は、「絶望の金融市場」の、第五章、”Y=M”のところを読みながら考えたのだけれど、M(おかね)自体が、偶像(幻想)なのではないか?すなわち、金融経済全体が、貨幣含め、システムの、「まるっきり全て」が偶像である。故に、MMT(現代貨幣理論)の、M=Yの逆読み適用は出来ない。実体が無いのだから。

小室直樹さんの本、「日本人のための経済原論」などで述べている、

Y=C I と C=aY

の、連立式の、「乗数効果」というのがある。

aの係数(収入に対し、幾らの割合消費に回すか)が0.8なら、Yは5倍になるし、0.9なら、10倍に膨らむ。すなわち金融経済というのは、この連立式の「乗数効果」を利用し、架空の

”Y(お金)=C(負債=債券) I(投機資金)”

に読み替え、「賭け」の資金を際限なく膨らませただけではないのか?

原理は競馬などの「呑み」と同じ。いわゆるブックメーカー。たとえばCDSなどは、踏み倒しリスクを債券として評価すれば、賭けの対象が見つかる限り、市場ボリュームは膨らんでゆく。

もはや長期保有で、”割に合う投資”が無くなってしまったので、賭けの対象が無くなるまで、みんな仲良く破綻まで、イケイケ、ドンドン、である。しかし残りの「賭けの対象」が限られてゆく。割の悪い賭けは、オッズ(金利・配当)を上げて、ギャンブラーを募る。賭けはどんどん割の合わないものになってゆく。それでも投資を生業とする企業は、止められない。全てが御和算になるまで続けるしか、しょうがない。でもいつか御破算が来る。ウィズドロー(撤退)しなきゃなんない。例えば、ある企業の踏み倒しを評価したCDSは、その企業が破綻すれば、保険の全額を払わなければならない。どうせみんな仲良くスワッピングしてるから、まぁ、いいじゃないか。その時を調整すれば。

ならば実体経済とは何か?幻想の金融経済(M)に対し、実体経済(Y)というのは、

”Y(世の中)=C(多くのバカ) I(少しのおりこうさん)”

これが本来の資本主義ではなかろうか?
貨幣(カタチを変え続ける資本の交換ツール)は、実体経済に対し、従属的な存在に過ぎない。
自営業をやってみれば解るのだが、商品の価格を決めるというのは、真剣に考えれば、悩ましいものである。100%合理的・論理的にはならない。商品を受け取る側の価値観は、個人個人バラバラだから。
偶像である貨幣が問題なのだから、貨幣が要らない経済を創れるなら、それに越したことは無い。

話を戻し、問題の本質は、「I=少しのおりこうさん」が全く足りないか、居ても、パフォーマンスを発揮出来ていない事。故に、今は「金融経済カジノ」で延命する事しか出来ない。結果、トマ・ピケティの g(国民の成長率)<y(金持ち儲かり率) が成立してしまう。

原因は、「抜きんでた才能」を目利き出来る人が足りないのと、「既得権」が邪魔している。”既得権が邪魔”という要因は、とてつもなく、圧倒的に大きい。例えばニコラ・テスラの、無線電力供給のような発明は、電力利権にモロに抵触する。
逆に、「I=少しのおりこうさん」が本来能力を発揮すれば、実体経済での乗数効果が生じるはずである。
それを阻害する問題の根っこは、とてつもなく深い。そして、バカはバカでいいのだ。卑下する必要はない。消費は、「おりこうさん」の数より、遥かに多く必要である。「おりこうさん」と偉そうにしても、自分の専門外では、バカな消費者の一人なのだから。
私は、この問題の根本原因は、行動のみならず内心までもを規律している、「法制度」であると考えている。

少数の犯罪のために戒律(法律、条令)を書けば書くほど、コンプライアンス、コレクトネスを追求するほど、国民の自由と財産が奪われ、ポテンシャルは落ちてゆく。ゆえに不景気になる。
人の本性というのは、マスローの欲求段階説ではないのだろうか?アブラハム・マスローは、自己実現した「I(少しのおりこうさん)」を対象に研究した。いっぽう、いわゆる行動主義心理学者たちは、パブロフの犬みたいに、精神病質者やサルや犬を対象にしたのではないか?動物から得たデータを用いてソシアル・エンジニアリングすれば、人間が動物になる道理である。
設計どおりの動物の世界になる。

今の日本は、カルロス・ゴーン氏の逃亡事件から考えれば、「少しのおりこうさん」を扱える体制ではないのは明らかである。大企業の経営者は、仕事や組織全体を「システム」として考える必要がある。が、クーデター起こした経産省だっけ?「組織の規律に従う」労働者。天下り官僚がリードしたところで、上手く行くハズがない。幾ら事務方の、労働者として抜きん出ていようが、暗記と暗算がどんなに得意だろうが、次元(属性)が違う。ゴーン氏と官僚では、見えるもの、認識できるものからして違う。巨大な企業システムを、構築、運営、改変なんて、到底出来っこない。それをやってのけたのが、カルロス・ゴーン氏ではないのか?トヨタでさえ、生き残りを賭けなければならないご時世である。ゴーン氏がシステムを改変途中で(クライスラーとのアライアンスを画策しているところ)で、政府と天下り先、官民共同謀議により、彼を外してしまった。結果、収益はどうなったか?

日本の憲法は、戦後に自由民主政治のユニテリアン思想(国民の三大義務を除く。あんな義務なんて、無効解釈で良い)に変更されたが、民法や刑法の「法律」は、戦前の制文法が、手直しされ、そのまま使われている。憲法が米国流なら、なぜ慣習ベースの判例法体系にしなかったのだろうか?疑問に思う。自民党が急いでいる憲法改正なんかより、現行「法律」のほうが、”絶対的”に問題だ。

ところで新約聖書の、「パウロの手紙」のところを読むと、日本の法律の原理原則、価値観は、彼の言葉から引用されているのが解る。元を辿れば、ローマン・カトリックから出てきた自然法論全体が問題なのだ。日本に限った問題ではない。

例えば

自力救済禁止の原則→ ”愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。”(ローマ人への手紙12-19)

権威主義→”すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。”(ローマ人への手紙13-1)

納税の義務→”あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。”(ローマ人への手紙13-17)

勤労の美徳→”また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。”(テサロニケ人への第二の手紙3-10)

罪刑法定主義→”律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。”(ローマ人への手紙5-13)

福音でのイエスは、真逆の言動。例えば、律法主義者が神殿で、イエスに対し揚げ足取りするため、「ローマに税金を払うべきでしょうか?」と問うた場面(マタイ22)。イエスは、「コインを見せてみろ。なんだ、カイザルの顔を描いてあるじゃないか。全部カイザルのだ。お前らは”神のものだ”とウソついて税金取りやがって、カイザルのものは全部カイザルに返しちまえ!」と、皮肉で返している。

考えれば考えるほど、法律とはパウロの創作ではないか?と思わせるほどである。いや、そうなのだろ。彼は、精神的に未熟な構成員で組織された集団を運営するための、”少数が多数を支配するテクニック”を編み出したのだ。とはいえ、これまでは、「生産性を上げる」のに役立ったのだろう。だが今の世界状況を考えれば、もはや「役立たず」ではないのか?自然法論全体が。

私は、ベンサムの、「人権というものが在るなら、取り出して見せてみろ!」という言い回しは正しいと考える。
「国家官僚は勝手に善悪判断して戒律書きやがって。善や悪などというものが有るなら、取り出して見せてみろ」である。
どうせ差別の始まりの、セム、ハム、ヤペテの話からして、作り話なのだ。作り話に対して作り話の「人権」をぶつけただけではないのか?真実は、地球上でホモ・サピエンス程に能力が均等な生き物は、極めて珍しい。近代市民社会はヨーロッパ(オランダ:決然たる政治学への道)で起こったとされる。私は、新約聖書自体が、最初から福音(イエスの行動、発言)とパウロの手紙の内容の間にジレンマあるが故、起こるべくして”気づき”が起こり、遊牧民の移動が誘発することにより、ヨーロッパに近代市民社会が発生したのではないか、と考えている。白人が優れているというより、たまたま白人社会に条件が揃っただけ。

一方、日本。江戸時代末期の、日本の支配層は、白人の思想がメインストリームになったので、国際基準に合わせて開国するため、天皇を、人の子にして神の子=イエスキリスト役として登場させ、ムラ共同体だった幕藩体制を、国家共同体にまとめ、法治主義社会に変えさせたのではないか?大日本帝国は、法治主義導入プロジェクト。
戦後。憲法は米国流の自由民主主義政治に変わったが、法律は手直し改正のみで流用。法律は戦前の、カトリック共同体。共同体だから、巨大なムラ社会。日本の法体系は、憲法と法律の間でジレンマを抱えているところが、新約聖書と似ている。

戦前の「絶対者」は人間宣言してしまったが、「神の奴隷たち」が残った。官僚機構が勝手に戒律を書き、相対的な「社会」だけが在るかのように宣伝し、世界のド田舎、巨大な「ムラ社会」を維持しようとする。
憲法では、「主権者たる国民が絶対者」である。憲法と法律で、権力と権威の所在が、ちぐはぐなのだ。構造上の欠陥がある。
憲法で選挙を保障された筈の公務員のうち、いわゆる上級公務員、官僚を、我々は選挙で選べない。米国流なら、猟官制でなければいけない。

ところで日本で法律について理詰めで議論すると、必ず最後は、あやふやなものにぶち当たってしまう。善悪とか伝統とか人情とか。
伝統など、どうせ日本人は明治時代までしか知らない。そんなので欧米人と議論で渡り合えるか?土人扱いされるだけである。しかし欧米でも、法律(自然法論)の発生源はキリスト教聖書だから、究極の問いは「神」である。

「神とは何者か?」という問い。神って何?契約って何?

誰も神権政治の”始まり”、政治の本当の起源と原理までは、論理的に説明していない。法律は100%論理的に、目的合理性で貫かなければダメだ。これを詰めずして、100%論理的と言えるのだろうか?
私は「いや、神が居ると言うのなら、ここに連れて来て下さい。世の中おかしいので、新しい契約についてディールするから」と思ってしまう。

と、ここまで書いて、この先書いていいのか多少迷うのだが、色々本を読む程、これが正解のように思えてしょうがないので、書きます。真実は暴かれなければならない。

私は、キリスト教聖書は、”シュメール神話の書き換え”である、と考える。元がややこしい話なので、わかりやすい昔話への書き換え。
残された文献で、シュメールより古いものは無い。シュメール神話でなければ説明のつかない遺跡や遺物は多くあるが、やがて科学が結論を出すだろう。

いわゆる人類起源の「宇宙人渡来説」なのだが、ゼカリア・シッチンという言語学者が、シュメール遺跡の粘土板を解読してまとめた、「地球の主 エンキの失われた聖書」というのがある。
「猿の惑星」含め、あらゆるSFヒット作の寄せ集めのような物語。シッチン氏の著作「宇宙年代記シリーズ」の中で、なぜかこの本は、日本で絶版。古本でしか買えなかった。400ページ以上ある複雑な物語で、具体的ストーリーは省略するが、オカルト好きな人たちや、海外の先鋭的な科学者達に有名なので、ネットで検索すれば、物語の要約や解説が見つかります。この物語をベースに考えれば、様々な古代のなぞなぞの、辻褄が合ってしまう。天文学など、最近ようやく解明された、人間が到底知り得なかったはずの情報が書かれている。最も古い文献で「主」と名乗る男が語っている事を、世界は無視出来ないだろう。

登場するのは、自分たちの惑星を救済するため、金を求め地球にやって来て、労働者として、遺伝子操作によって人類を創成し、教育した、神々を名乗る者たち。登場する神々は、キリスト教での禁欲的な神々と違い、己の欲望に忠実で、あらゆる問題をテクノロジーで乗り切ろうとした。滅亡か存続かの宿命を、自分たちで定めた、元祖開拓民。そこにはギリシャ神話に似た、ディオニュソス的世界がある。リバータリアンの元祖であり、ユニテリアンの元祖。ここでの「善・悪」は、「役に立つ・役に立たない」といった程度の意味。石に刻んだ「契約」なんてのは出てこない。歴史を伝えただけ。

興味深いのは、聖書、日本神話含め、世界中の神話が、場面(シーン)で、この物語の”韻を踏んでいる”事。また、歴史書であるだけでなく、思想書でもある。語り部であるエンキの「運命か宿命か?過去は未来なのか?地球人は我々を真似るのだろうか?」という問いは、ニーチェの永劫回帰、或いは仏教の、色即是空・空即是色、阿頼耶識・末那識といった、哲学的思考を想起させる。ニーチェがイエスを「ただの人」と言ったのは、この本によれば合っている。早い話、地球上の全人類が、主エンキの子孫である。
物語の中で、エンキは古代の「I(少しのおりこうさん)」であり、ほぼ彼、ただ一人の発明により、地球文明は発展した。しかし最後に、決定的にしくじった。故に、自身の決断と行動を、後の世代のため、石板に記録に残した。
シュメールの旧文明は滅亡し、後の世代は、記憶が失われた。黙示録や旧約の”十の災い”は、シュメールが滅びた最終戦争時の描写である。

これは、作り話と解釈するには、余りにも出来過ぎている。支配層の本拠地、スイスが年金を払い執筆活動を支えたフリードリッヒ・ニーチェは、「何か」を知って、「トゥラトゥストラ」を書いたのだろうか?私はこの「失われた聖書」を最初読んだとき、空想的な物語と感じていたキリスト教聖書を、あまりにも現実的に解釈出来てしまうので、ゲラゲラ笑ってしまった。例えばイエス誕生の「処女懐胎」は、エンキと浮気した人妻の秘密である(ダビデとバテシバの話に同じ)。ダ・ヴィンチが遺したクソコラ画も、この本を読めば、違った解釈が出来る。人間的な「神」が居たという点では、福音派は正しいのだろう。いっその事、この本を世界の経典にしてしまえば、あらゆる問題が解決するのではないか?とさえ感じさせる。世界中全ての宗教の原点がこれなのだから。

しかし結果として、エンキ自身の野望(自身の弟エンリルが”くじ”によって地球支配者になったので、次の”牡羊座の時代”には、弟の子ではなく、自身の長男マルドゥクを地球支配者に望んだ)が、色即是空・空即是色の連鎖で、兄弟が敵対し、悲劇が続き、今の文明よりも高度だったはずの旧文明は、全て滅びてしまった。

ちなみに、ストーリーの中で、聖書のペテロはエンキの長男マルドゥク、パウロがその息子ナブであると、私は考えている。イエスとは、彼の息子である人間ジウスドラ(聖書のノア)と、神々の複合キャラクター。かつ、直接のモデルは、マルドゥクに殺された、エンキの末っ子ドゥムジ(ほふられた子羊)である。例えば、聖書の記述での、イエスの発言はおかしい。「私でなくて父が言っている」とか、ペテロとの会話で、「私を愛しているか?」と問いながら(ヨハネ21)、ペテロは「愛しています」と言うのに、突然「サタンよ、引き下がれ」、と。イエスが一人で構成されているなら、筋が通らない。ここで「神の事を思わないで人の事を思っている」とは、神々に背き、自分都合で神話を書き換え、人間たちを扇動した事に対する非難を意味している。大きく括って、イエスとは「シュメールの人物」と解釈しても良い。

また、重要なのが、娼婦のマリアは殺されたドゥムジの婚約者、イナンナである点である。金星がシンボルのヴィーナス、アプロディーテー、パークスや、自由の女神、クリームヒルト、ハロウィンの魔女を含め、世界中の女神の原型はイナンナ。いっぽう、神話で殺されている、アドーニス、ジークフリート、オオナムヂなどは、女神の配偶神、ドゥムジを象徴している。
旧約で「エジプトの長男」(マルドゥク)を皆殺しする「過ぎ越し」の神も、イナンナ。つまり、パウロの手紙で「私が復讐する」と言っている神は、イナンナである。いっぽう、ペテロとパウロは神々にとって反逆者であり、むしろ魔女に復讐される側。

しかし少数が未熟な多数を支配するための「死後の天国」という概念を発明した点で、マルドゥクは他の神々より、支配体制の構築に有利だった。ペテロとパウロが福音の解釈を捻じ曲げてしまった。人間たちが未熟なので、その手法が2000年余り使われただけ。

結論は、もともと人間みたいな神しかいなかった。幼い人類の教育用に、新約と旧約の、聖書を残した。今更神に祈っても何も起きない。助けてくれない。人類は、自ら宿命を定める覚悟を持つしか無い。自分で考えなければならない。

現代日本に話を戻し、今更戦前の、共同体の戒律としての法律が必要だろうか?「いかさま司法」で自分らの出世しか考えない奴らに勝手な判断を任せるくらいなら、いっそのこと法律など全廃、自力救済で良いのではないか?高い税金がかかるだけ、割に合わない。正義とは、本来「バランスを取る事」。今の法制で、例えば池袋の、元官僚が電気車で暴走事故などを考えれば、正義に適うバランスなど、到底期待出来ない。自力救済、”復讐法”で良いのではないか?

中国の古代思想家は本質を捉えている。政治は経世済民以外やってはいけない。今の官僚機構など、コストのかかる余計なおせっかいばかり。どうせ問題の根本治療なんて、やる気も能力も無いのである。無くしてしまった方が合理的ではないか?国防も福祉も要らない、その代わり税を無くせ、である。自力救済のリバータリアニズムで良い。どうせどこの国も攻めてこないだろうが、もし来たら、自分で武器を持って戦えばいい。

少数派の天才を見出すだけで乗数効果が発揮されるのだから、仮に文化的な最低限の生活に必要なカネが20万なら毎月20万を、その月限りで消滅する、揮発性のベーシックインカムとして、電子マネーで全員に配れば良いんじゃないか。蓄財したいとか、それ以上欲しければ自分でビジネスやって下さい、と。後は、ほっとけば、勝手に分業が成立する。それ以外はやってはいけない。ロクな事にならない。税金目当てに余計なおせっかいで、出世とカネ儲けを企むな、である。

今更、「労働」なんて、美徳でもなんでもない。ストレス溜めながら、やりたくない事を毎日やるくらいなら、やらずに済んだ方が、皆が関心のある事にフォーカス出来て、効率的である。さっさと「原始的労働者」のAIに労働を任せ、一人でも多く、ずば抜けた「I(少しのおりこうさん)」を登場させる方が、リターンが大きいのではないか?やがて貨幣の意味が薄れると、貨幣制度自体を廃止出来る。

よって、100%合理的、論理的に詰めてゆけば、次の時代のあるべき法(政治)思想は、リバータリアニズムとなる。今の体制、金融経済と、自然法論全体が、偶像崇拝のカルト宗教。もはや役立たず。

古都弁蔵 投稿日:2020/01/18 12:56

【2097】[2477]副島先生の最新作『全体主義の中国がアメリカを打ち倒す』を読んでの感想

 昨年12月に、副島先生の最新作『全体主義の中国がアメリカを打ち倒す』が出版された。昨年12月に早々に購入して一読した。今度ゆっくりと再度読み直してみたい。いつも副島先生の本を読むと面白いので一気に読み込むのであるが、今回ばかりは途中で気が若干重くなり、読むのを一旦中止した後、7日後に一気に最後まで読み切った。

 今回の先生の著作『全体主義の中国がアメリカを打ち倒す』は、終わりの見えない米中貿易摩擦 米中貿易戦争のさなかに書かれた力作である。現代中国の光と影の部分が容赦なく描かれている。

 気が重くさせられたのがこの「影」の部分であろう。やはり「全体主義、監視社会、監視カメラ」このキーワードだ。大きな言い方になるが、人類の行きつく先はこれなのかと考えると、数々の人類の英知とはいったいなんだったのだろうかと。現代技術文明の前にはすべてが無力かと。私あたりが民主主義とか全体主義とか大きな問題をここで書いても意味がない。先生に語ってもらうしかない。さてこの監視カメラについての私の経験をのべさせてもらう。

 仕事の関係でよく新宿にゆく。約20年以上前には新宿には監視カメラはほとんどなかったと思う。私の記憶によるとこの20年前ぐらいから急にいたるところに監視カメラが街頭に備えつけられたと感じた。監視カメラがここにもあるここにもあるという感じであった。今にして思うのであるが、新宿歌舞伎町において確か17、18年前に雑居ビルの火災があり、数人の死者が出た。その火災のすぐ後に新宿警察と消防署の共同主催による防災イベントに、仕事の関係で参加したことを思い出した。

 確かあの雑居ビル火災から急激に新宿に防犯カメラが設置されたと思う。これもひとつもショックドクトリか。今では、新宿は監視カメラだらけとなっている。では自分の住んでいる東京郊外の町の監視カメラの状況はどうかと気になったので昨年12月31日に商店街を見回してみた。いつもはまったく気にかかっていなかったのだが、監視カメラが約15メートルに1か所ずつ設置してあるのには驚いた。監視カメラ設置と書いてある。今までまったく気が付かなかった。このように意識しないとまったくわからないが、わが国でもすでに監視カメラだらけになっており、国民は常に監視されているのだろう。中国だけの話ではなく、全世界そうなってゆくと思う。

 ところでこの監視カメラだらけの日本において、治安という面ではどうだったかだ。あくまでも私の見方だが、ひったくりと強引な呼び込みや違法駐車、明らかに反社会勢力と思える輩の活動または痴漢行為が、監視カメラの設置している場所において減ったと思う。当たり前の話だが、日本の支配層がそれだけを目的で監視カメラを設置してわけではない。監視カメラがなくても無事に治安が安定している社会が一番よい。しかし監視カメラだらけの社会を一概に監獄国家とは考えにくいと私は思う。皆様はどうお考えでしょうか。

 昨年12月に出版された 和田清著『中国はなぜ成長し、どこに向かうか、そして日本は?』(発行 (株)クロスメディア・パブリッシング 発売 (株)インプレス)を是非 ご購入頂きお読みいただきたいと思います。

 和田清氏という名前は知らなかったのですが、書店に置いてあったので購入してみました。約30年間中国で事業をしている実業家ですが、あまたいる反中国言論人にとっては厳しい内容ではありますが、実際に中国で30年間 実業家として実務を見てきた和田氏の言葉には重みがあると思います。

 反中のジャーナリスト又は著述家は現地中国を直接 長期にわたり取材し自分の目で見て確かめそしてなるべく公平な立場で取材しているのか。逆に言えば、現地を直接 長期にわたり取材していない場合には、安易に公式に語ってはいけない。

 私は中国の肩をもつつもりはまったくない。しかし今の言論界の主流派が特定の国に対して非礼すぎないであろうか。和田氏の著書を読んでつくづく感じた。

(終わり)

副島隆彦 投稿日:2020/01/14 00:40

【2096】[2476]年末、年始に起きていたこと、を纏(まと)めて載せる。

副島隆彦です。今日は、2020年1月14日(火)です。

 年末から、年明けにかけて、いくつか事件(国際問題)があった。私は、ニューズ記事を追いかけて採集しただけで、何も新しい情報や知識は無い。ニューズ報道された以上のことは、私にも分からない。

1. カルロス・ゴーンが、母国のレバノンに、脱出したこと(12月29,30日。31日に報道された。紅白歌合戦の始まり(7時半)の直前だった。

2.イラクで、イランの民兵(みんぺい、パラ・ミリタリー)組織の最高指導者(コッズ部隊の司令官、 スレイマニ が、アメリカ軍のドローン攻撃で、イラクのバグダッド空港のそばで、1月3日に、殺害された事件。

イラン国と、イラク国の区別をしっかり付けて、この事件を考える力のある日本人は、おそらく5%ぐらいだろう。 殺害された、スレイマニ司令官は、イラン人であり、外国であるイラクで死んだのだ。

3.金(きん)が、その影響で、1月6日(月)に、急上昇した。8日(水)が、ピークだった。1616.1ドル (日本円で、1グラム5700円)まで上がった。このあと、9日から落ちて、今は、1560ドルぐらいで推移してる。 何が起きていたのか?

 以下に、急いで一枚だけ、金(きん)、ゴールド)価格の、1月6日から8日の高騰、そして、少し落ちて、今、1オンス(31グラム)1560ドルである、金のグラフを載せます。

4.英ヘンリー(ハリー)王子(サセックス公爵)とメイガン・ケリー王妃(アメリカ黒人)夫妻が、英王室から離脱する(王位継承権も放棄か) という、1月8日の、報道があった。
この事件については、私の ハリー、メイガン・ケリー妃の 元気な行動に対する、私、副島隆彦の独自の考えがある。これは、後日、書く。


黒人の母親(左)とメーガン

5.1月11日の台湾の総統(大統領)選挙で、民進党(みんしんとう)の蔡英文(さいえいぶん)が、再選された。このヤラセの謀略選挙のことは、私の最新刊の本「 全体主義(トータリタリアニズム)の中国が アメリカを打ち倒す ―ディストピアに向かう世界」(ビジネス社、12月21日刊)の中に、 去年の10月時点で、私が、予測、予言したことを書いた。  

 ここの下 ↓ の「2474 」番で、六城(ろくじょう)くんが、私が書いたとおりになったことを、載せてくれている。 興味のある人は、私のこの本を買って読んでください。

 この本の著者である自分が、今、思うことは、この本には、本当に 大量の知識を詰め込んだ。あまりに、中国関係の 多くの最新の知識と 私の考えを載せたので、読者が、消化不良を起こさないか、心配になっている。 

 一冊の本に、あまりに多くの情報と知識を詰め込むと、懸命に読む読者に、却(かえ)って、多くの負担を書けてしまう。今は、私は、このことを心配している。それでも、この本は、自分で言うべきではないが、もの凄くよく出来た本だ。 読んだ人は、自分の頭が、ブラッシュアップ(洗い直される)感じになるだろう。 だから、この 5番のことは、以下には書かない。

 それで、初めの 3つのことについてだけは、私は、急いで自分の考えを書かなければ、と、思っていたのだが、来客と、 それから、「経済学という・・・インチキ学問」本を、書き上げることで、精一杯で、今日まで、ここに、書けなかった。

冒頭で書いたとおり、私に特別の情報や、知識は無い。 期待されても、たいしたことは知らない。それでも、副島隆彦の独特の視点からの、この3つのことを、少し日が経(た)ってから書くことで、世界政治の裏側をチラリと覗(のぞ)くことは出来る。

 だが、だらだらと書いていたら、この3つのことで、また、もの凄い文の量になるので、今日は、ここには、新聞記事を貼り付けることを中心にして、それに私の考えを、簡単に書き加えるだけにしておく。

2.の イランの民兵組織(国家の軍隊ではない。言ってみれば、私兵 の集団である)の司令官が、アメリカ軍のドローン(無人機)で攻撃されて、死んだ事件について。

 まず、以下に基本的な記事を載せる。 その後の、イラン政府と国軍による、イラクの米軍基地への報復のロケット砲発射(1月7日) と、 そしてその翌日に起きた、テヘラン空港から飛び立ったウクライナ機の 、イランの革命防衛隊による地対空ミサイルの 誤射による、墜落の記事とかは、もう、載せない。どんどん事態が変化するので、とても間に合わない。私は、今、慌てている。

一緒の画像(写真)は、貼り付け時に、飛んでしまって、消えてしまうだろう。
後日、復元できるものはします。

(転載貼り付け始め)

◯ 「トランプ氏「イランは身を引いている」 攻撃で死者出ず 」
2020年1/9(木)   【AFP=時事】

トランプ大統領の人形とイランのガセム・ソレイマニ司令官の写真

 【翻訳編集】 AFPBB News

 イランがイラクの米軍駐留基地をミサイルで攻撃したことを受けて、ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は8日、ホワイトハウス(White House)で国民に向けて演説し、攻撃により米国人やイラク人の死者は出なかったと発表し、イランは「身を引いているようだ」と述べた。
 
トランプ氏は「わが国の兵士は全員無事であり、われわれの軍事基地における被害は最小限にとどまった。われらが偉大なる米軍は、何に対しても備えができている」と述べた。

 また「イランは身を引いているようだ。これは全当事者にとって良いことであり、世界にとって非常に良いことだ。米国人やイラク人の命は失われなかった」と話した。トランプ氏は、イランに対して直ちに「厳しい追加制裁」を科すと表明したが、7日のミサイル攻撃に対する報復の可能性については言及しなかった。

 専門家らはイランのミサイル攻撃について、同国のガセム・ソレイマニ(Qasem Soleimani)司令官が米国の無人機攻撃によって殺害されたことに対する最初の本格的な対抗措置とみている。世界各国の首脳はそろって、この攻撃を非難した。

 トランプ氏は、自身の経済政策により中東の石油への米国の依存度が低下し、中東での米政府の「戦略上の優先事項」が変わったと説明。「私はきょう、北大西洋条約機構(NATO)に対し、中東のプロセスへの関与を大幅に深めるよう要請する」と述べた。

 また、世界の主要国に対し、米国に追従して2015年のイラン核合意から離脱するよう呼び掛けた。さらにイランに対しても直接の呼び掛けを行い、「米国は、平和を追求するすべての人々との和平を受け入れる用意がある」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News

◯「米副大統領 「イラン司令官が9.11テロ支援」事実ではないと指摘受ける 」
2019年1/5(日) 【AFP=時事】

 マイク・ペンス(Mike Pence)米副大統領は3日、ツイッター(Twitter)に異例の連続投稿を行い、米国の攻撃で殺害されたイラン革命防衛隊(IRGC)の精鋭部隊「コッズ部隊(Quds Force)」のガセム・ソレイマニ(Qasem Soleimani)司令官について、2001年9月11日の米同時多発攻撃の実行犯を支援していたと主張した。これに対し、米メディアは事実と異なると厳しく指摘した。

 ペンス氏はツイートの中でソレイマニ司令官について、「米同時多発テロの実行犯12人のうち10人のアフガニスタンへの密入国を支援した」と述べた。

 ツイッター上で同時テロの実行犯は12人ではなく19人だという批判の声が上がると、ケイティ・ウォルドマン(Katie Waldman)副大統領報道官は、ペンス氏が言及したのは「アフガニスタンを経由した」12人のことで、「うち10人がソレイマニ司令官の支援を受けた」と補足した。

 しかし米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)が指摘するように、米同時多発攻撃に関する独立調査委員会の585ページにわたる報告書に、当時既にコッズ部隊を率いていたソレイマニ司令官の名前はない。

 この報告書は、「9月11日以前に(国際テロ組織)アルカイダ(Al-Qaeda)構成員のアフガニスタン入出国をイランが支援した有力な証拠がある」とする一方、「イランまたは(レバノンのイスラム教シーア派<Shiite>政党・武装組織)ヒズボラ(Hezbollah)が後に米同時多発攻撃となる事件の計画を把握していたとする証拠はない」と結論付けた。さらに、「イランを経由した当時、実行犯ら自身もその後の任務の具体的な内容について知らなかった可能性が高い」と指摘している。

 ペンス氏は3日の一連のツイートの中で、ソレイマニ司令官が中東の広範囲で実施したとされる「最悪の残虐行為」をいくつか例示した。

 ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権からはペンス氏以外からも、ソレイマニ司令官殺害を正当化する声が出ている。米国務省は、「ガセム・ソレイマニは、イラクで米軍人少なくとも603人を殺害し、数千人に障害を負わせた責任がある」とツイート。2003~11年にイラクで死亡した米軍人の17%は、ソレイマニ司令官率いるコッズ部隊に殺害された可能性があるとしている。【翻訳編集】

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・・・・米国の空爆により、ソレイマニ氏だけでなく、イラク人であり、対IS(「イスラム国」)の掃討戦で戦った民兵連合(PMF)の副司令官であったアブ・マフディ・ムハンディス氏まで殺害した。IS掃討戦は熾烈を極め、PMFの民兵も多数が死亡・負傷している。そのリーダーの殺害が怒りを買った。

◯ 「イラン革命防衛隊幹部 「米ミサイルと誤認」 ウクライナ機撃墜  」
2020/1/12  日経新聞 

 1月9日、犠牲者の追悼式に参加した際のハジザデ司令官(右)=イラン政府提供・AP

【ドバイ=木寺もも子】イランの首都テヘラン近郊で起きたウクライナ国際航空の旅客機墜落で、誤射を認めたイラン革命防衛隊の幹部が11日、国営テレビを通じて経緯を説明した。防空システムの操作員が旅客機を米軍の巡航ミサイルと誤認し、許可を得ないまま短距離ミサイルを発射したという。革命防衛隊の責任を全面的に認め、報告を受けた際は「死んだ方がましだと思った」などと語った。

 会見した革命防衛隊の航空部隊を率いるハジザデ司令官は、墜落の起きた8日には誤射を把握し、上層部に報告していたと明らかにした。イランは11日朝に声明を公表するまで墜落は機体のトラブルが原因だと主張し、誤射の可能性を指摘する欧米などに対し「真っ赤なウソだ」などと反発していた。

 ハジザデ氏の説明によると、8日午前2時ごろにイラクの米軍駐留拠点2カ所を空爆したイラン側は「全面戦争」に備えて警戒を高めていた。同日午前6時ごろ、ウクライナ機を米軍のミサイルと誤認した防空システムの操作員は、通信が途絶していたため司令部と連絡が取れずに発射を決断した。決断には10秒ほどの時間しかなかったという。

 革命防衛隊は米国との軍事的緊張が落ち着くまでイラン国内で民間機の運航を差し止めるよう求めていたが、認められなかったとも明らかにした。ウクライナ外務省によると、ウクライナ機の墜落でイラン人82人を含む乗員・乗客176人全員が死亡した。

◯「イラン大統領「深くおわび」 ウクライナ機撃墜認める 」
2020/1/11 日経新聞 
 撃墜されたウクライナ国際航空の旅客機の一部=ウクライナ大統領報道室提供・ロイター

【ドバイ=木寺もも子】イランは11日、8日に首都テヘラン近郊で墜落したウクライナ国際航空の旅客機について、イラン軍がミサイルを誤射して撃墜したと認めた。人的ミスによる撃墜で、故意ではなかったとしている。旅客機側の技術的なトラブルだったとする当初の主張は撤回し、犠牲者や遺族らに謝罪した。

 イランメディアによると、イラン革命防衛隊幹部は11日、革命防衛隊の重要施設付近を航行するウクライナ機を防空システムの操作者が巡航ミサイルと誤認し、上官の許可を得ずにミサイルを発射したと説明した。

 ロウハニ大統領はツイッターで「イランは悲惨な過ちを深く悔やんでいる」と遺憾の意を表明した。ザリフ外相も「米国の冒険主義で高まった緊張の中でのミス」と投稿し、根本の原因は米国にあると主張した。

 米国などはウクライナ機の墜落原因がイラン軍の誤射だった可能性が高いと指摘していたが、イランは「真っ赤なウソだ」と反発していた。ウクライナ機は8日午前6時ごろ、テヘラン近郊の国際空港を離陸した直後に墜落した。同日午前2時ごろに革命防衛隊はイラクの米軍駐留拠点2カ所を弾道ミサイルで空爆しており、米軍の反撃への警戒を高めていた。

ウクライナ外務省によると、墜落ではイラン人82人、カナダ人63人を含む乗員・乗客計176人全員が死亡した。ウクライナのゼレンスキー大統領は11日の声明で「イランに完全に罪を認めることを求める」と公式の謝罪や補償を要求した。カナダのトルドー首相もイラン当局に事故調査への全面協力を求めた。

 3日に米軍がイラクへ無人機攻撃を行い、イランの革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官を殺害して以降、米・イラン間の緊張は極限まで高まっていた。イランが8日に米軍拠点を空爆した後は、報復の連鎖で全面戦争に発展することも懸念されていた。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。私は、6年前?、イランの首都テヘランに行った。そして、テヘラン市の南側にあった、旧アメリカ大使館のまわりを写真を撮っていたら、イランの革命防衛隊(レヴォルーショナリー・ガード)が、中から出てきて、拘束された。編集長と2人だった。40分間ぐらいの拘束で済んだ。この時の、自分の体験が、貴重だった。今は、多くのことは書けない。

イランの革命防衛隊は、どうも、イラン国民から嫌われている。 民兵組織(パラミリタリー paramilitary )は、国家の正式の軍事力ではなくて、勝手に組織された、軍隊である。それが、勝手な行動を取ると、国民からは、民間の大きな暴力団組織のようになる。だから、このことが、イラン国内そして、シリア、イラク、レバノンなどで、大きな問題になっている。 今日は、もう、詳しいことはこれ以上、書けない。

 副島隆彦です。以下の、1.のカルロス・ゴーン氏の国外脱出、レバノン到着のことの記事を載せる。 今日は、もう この事件のことは、私は書かない。日本の司法制度に、大きな欠陥があることが、重要だ。これが、世界中に露呈した。

伊東 乾(いとうけん)氏の文章が、大変、優れていたので、以下に載せる。
 ここに出てくる、「・・・刑法の團藤重光(だんどうしげみつ)先生とご一緒するようになり、2005年以降は秘書役のような形でお手伝いもさせていただいたき、日本の「矯正施設」のもつ様々な問題を基礎的なレベルから認識するようになりました。 共著「反骨のコツ」を上梓させていただいた・・・」
の、団藤重光(だんどうしげみつ)という、東大教授で、日本の刑法学の権威だった学者が、偉かった。 

 この事実を、数十年前に、大学の法学部を出た人たちは、知っている。弁護士たちも知っている。だけど、それ以外の分野の人たちは、知らない。私、副島隆彦が、何とか、刑法学、刑事訴訟法学の 団藤理論、団藤学説の素晴らしさをを、今に復活させなければいけない。そうしないと、もう、どんな日本の法律家も、もの書きになっている弁護士も、やらないのだ。 

 実は、カルロス・ゴーン外国逃走事件は、世界権力者、支配者層の人間たち (政府高官 や巨大企業のオーナーや経営者たち)が、ここでは問題にしている。 私たち、日本の一般庶民階級の人間には、今の、日本の司法、検察、裁判所の、江戸時代並みの、お白洲評定(ひょうじょう)のヒドさは、目に見えないようになっている。 

 日本の政治家(国会議員と 政権閣僚)たちでさえ、日本の検察庁は、捕まえる権限を、持っている。このことが、世界基準(ワールド・ヴァリューズ)からは、どれだけ、異常なことか、日本国民には、知られていない。

 デモクラシー(民主政体)によって、国民の代表として選挙で選ばれた者たちを、「オレたち、刑事法を執行する者たちが、正義の裁きをしてやる」などと、検察官たちが、政治家を逮捕できる国は、近代国家ではない。犯罪の捜査権(そうさけん)と、被疑者の逮捕権(たいほけん。逮捕令状、アレスト・ワラント は裁判官が出す)は、警察にある。検察官にはない。

それが、ヨーロッパで発達した近代国家(モダーン・ステイト)だ。検察庁や特捜(とくそう)が、逮捕権、犯罪捜査権を持っていてはいけない。 だから、おかしな今の日本の司法制度(アメリカが敗戦直後に、特捜を作った)を、世界基準に合わせて改正しないといけない。検察庁から、捜査権、逮捕権を、奪い取らなければいけない。 検察官(プロウセキュウター。米国なら、ディストリクト・アトーネイ、地方検事)が持つのは、国家の代理人として、犯罪被疑者を、刑事裁判に起訴(インダイトメント indictment )する権限だ。

「検察官が起訴する」の、「起訴する」 indict 「インダイト」という英語ぐらいは、何とか、皆、覚えて下さい。日本人の知識力は、もの凄く、落ちていてひどいものだ。知識人層でも、この「インダイトメント」「起訴」という英語を知らない。私たちは、英語のコトバで、なんとか世界と繋がる、ということに、もっと本気にならないといけない。

 この、検察官に捜査権、逮捕権を与えてはいけない、ことの重要性を、分かっている日本人は、メディア関係者を含めて、今も少ない。 今回は、カルロス・ゴーン氏が、必死の思いで、「こんな国にいたら、自分は、殺される」と感じて、国外脱出したことで、世界中に、このことの真実が、明らかになった。それで騒がれているのである。 

 ただし、今回は、above the law  (アバーヴ・ザ・ラー)と言って、” 雲の上” の、特権階級の人たち、すなわち、世界基準での、権力者、支配者たちと、日本の司法、国家制度のぶつかり合いとして、ようやく露呈した。日本国の司法制度と、互角に争えるのは、世界の権力者、支配層の人間たちだ。そして、それを取り上げる外国メディアだ。 

そうでないと、日本国内の、私たち日本人の 平民(へいみん)たちが、どれだけ、このことで騒いでも、あまり力を持たない。法務省の官僚(この中に、検察官たちがいる。そして、裁判官たちまでも、自分たちの 子分のように扱う)たちは、自分たちが、もの凄く、頭のいい、東大法学部を出て、刑事司法執行官(ラー・エンフォースメント・オフィサー law enforcement officers )になった偉い人間だ、と、勝手に思い込んでいる。 うしろに、アメリカの力が、働いている。

だから、政治家(国民の代表)でも、大企業の幹部どもでも、「自分たちが、捕まえて、正義の刃(やいば)で、裁いてやる」と、大きな勘違いをしている。 世界基準からは、とんでもない、夜郎自大(やろうじだい)なのだ。 このことに、今も、この司法官僚どもは、自覚がない。 自民党の、馬鹿な政治家、大臣たちを、いいように操(あやつ)って、振り付け発言をさせておけば、それでいい、と思っている。 そろそろ、この司法官僚どもを、世界基準に合わせるべく、凹(へこ)ますために、法律改正(司法制度の改正)を始めないと、いけない。 

 巨大企業の経営幹部たちや、外国の政治家や、外国の王族の人間たちが、「日本のような、野蛮で、前近代(プレモダーン)の国に行くのは、危険だ。自分たちが、どんな目に遭うか、分かったものではない。もし犯罪容疑で捕まったら、真っ裸にされて、ヒドい辱(はずかし)めを受けるらしい。恐ろしい国だ」と、問題にしている。このことが、今回、露呈した。
元(もと)検察官(ヤメ検)の郷原信郎(ごうはらのぶお)氏が、以下のリンク先で、正確に、詳しく書いている。

(転載貼り付け始め)

◯ 「 パンツの中まで調べられたゴーン氏が選んだ治外法権  国際社会が「脱日本」を正義と見做す可能性 」

2020.1.7(火)  伊東 乾   JPpress

レバノンの首都ベイルートにあるカルロス・ゴーン氏の自宅 (画像)

 カルロス・ゴーン氏の所在が2019年12月30日、レバノンのベイルートで確認された、という報道で、日本国内はゴーン一色のお正月を迎えているようです。
 実際、本稿の校正時点でも「ゴーン容疑者の不法な脱出」「トルコの航空会社が刑事告訴」といった日本語の記事ばかりが目立ちます。

「ゴーンは悪い。悪い奴が法を破って悪いことをした」というPRが大半と見えます。しかし国際的にみれば「よくて5分」議論は2分、というのが過不足ないところと思います。

 トルコの航空会社が不法利用を提訴(https://www.reuters.com/article/us-nissan-ghosn/security-camera-shows-ghosn-leaving-tokyo-home-alone-before-his-escape-nhk-idUSKBN1Z208D)もロイター電ですが、テレグラフ紙(https://www.telegraph.co.uk/business/2019/12/31/japans-tough-justice-means-carlos-ghosn-right-flee/)には映画「大脱走」などで知られるアンチヒーロー、スティーヴ・マクィーンの名を挙げつつ、ゴーンは「正義」から逃亡したのではなく、日本の不正な司法から脱出したと擁護、日本語でも、数は少ないながらオリンパス長年の粉飾決済を告発して解任されたマイケル・ウッドフォード元社長による痛烈な司法批判(https://www.jiji.com/jc/article?k=2020010200374&g=int)など、大本営発表式の一律報道と正反対の主張が確認できると思います。

 楽器の箱に隠れて「パーティ会場を抜け出した」あるいは「そのまま出国」など、いまだ情報が錯綜している報道を元旦のベルリンで耳にしながら、筆者は率直に「やはり・・・」という思いとともに、国際世論が「どちら」に味方するか、が気になっています。
 例えば私たちは「北朝鮮」から脱出してきた人たちを、命がけで不当な権力に背を向けた英雄のように捉えることがあります。

 ベルリンでは、冷戦時代に「ベルリンの壁」を突破して自由な西側世界に脱出してきた人たちは、事実「英雄」でもありました。これと同じように、今回のカルロス・ゴーン氏「日本脱出」・・・「脱北」同様に短縮するなら「脱日」とでも呼ぶべきでしょうか・・・を、国際世論が「正義の行動」と捉えれば、日本国にとっては大変なダメージになるでしょう。

 日本という国は、まともな法治が成立せず、官憲の横暴がまかり通るとんでもない「ならずもの国家である」というのが、とりわけコンプライアンス関係者を中心に、ゴーン氏のメインメッセージとして国際社会に受け入れられ始めていますし、日本国内でも郷原信郎弁護士(https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200101-00157363/)を筆頭に、明確な根拠に基づいた批判がなされています。

 あえて言えば、カルロス・ゴーン氏は日本の司法制度を見限った。 こんな未開で野蛮なところに置かれていたら、どんな目に逢うか知れたものではない。現地民の掟などにはとても従っていられない、という「治外法権」を自ら宣言して、彼は父祖の地、レバノンに降り立って世界に向かって正面から情報を発信している。

 日本国内で「ソンタク」の何のと、微温な表現に世論が慣れているような場合では、すでにないところまで、事態は発展しています。日本は直接のやり取りができないレバノンに、ICPO(国際刑事警察機構)はゴーン氏の身柄引き渡しを求めましたが、1月2日、アルベール・セルハン・レバノン暫定法相はこれを否定。日本での裁判は実質的に開廷が至難となっています。そもそもそのような司法案件として、きちんと物事は成立していたのか??

基本的人権のない国
 実際、レバノンに到着したゴーン氏は「私は有罪が前提とされ、差別が蔓延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります」と、日本の司法制度を全面的に「不正」と断じ、公式な情報発信をスタートさせています。

「私は正義から逃げたわけではありません。不公正と政治的迫害から逃れたのです」という発言は、日本から脱出したカルロス・ゴーン氏のものか、北朝鮮から脱出した脱北者のステートメントか、文言だけでは判断がつかないでしょう。(もちろん、ゴーン氏の発言にほかなりません)

 さらに、「私は不公正と政治的迫害から逃れました。ようやくメディアと自由にコミュニケーションができるようになりました。来週から始めるのを楽しみにしています」と言います。

 日本はいったん刑事事件の容疑者、あるいは被告人となると、あらかじめ有罪が前提とされ、無実を主張しようとしても自由な社会発信「すら」できないという事実を表明、国際社会には「ゴーン氏の主張こそ妥当」と見る向きも決して少なくないことが予想されます。

「人質司法」と日本の「罪人観」
  一連の「ゴーン事件」は2018年11月19日、東京地検特捜部によって日産のカルロス・ゴーン元会長が逮捕されたことでスタートしました。日本と欧州を往復する私の耳に強く聞こえてきたのは、先進国としては常軌を逸した司法手続きの「不当さ」への疑問が大半でした。

 事実、各国から矢の批判が相次ぎ2019年2月には衆院予算委員会で法務大臣が、例によっての「問題ない」式の答弁もしており、私に身近な欧州の関係者からはただただ呆れられていました。4回に及ぶ無理筋の「再逮捕」と、108日にも及ぶ「拘留」は、それだけ取り上げても極めて「異例」ないし「異常」な「人質司法」の実態が、広く国際社会に知られることとなりました。

 やっとその状態が解消した直後の2019年4月4日、さらに極めつけの「再逮捕」となった経緯は、国際的に「日本の検察は正気か?大丈夫か?」という、通常とやや異なる心配もって受け止められるところまで進んでしまった感がありました。

 ちなみにウエブで「人質司法」の英語を調べると、「Hitojiti Shiho」 という「英単語」が見つかるでしょう。「人質」と「司法」をバラバラに英訳して「hostage justice」として検索すると、トップにBBCのゴーン事件報道(https://www.bbc.com/news/world-asia-47113189)、続いて上記昨年4月の「ゴーン再逮捕」時の報道(https://www.japantimes.co.jp/news/2019/04/17/national/crime-legal/examining-carlos-ghosn-japans-system-hostage-justice/#.Xg86qW5uJjo)が出てきます。

 これは、おかみが「お縄」にした「とがにん」は、拷問でも何でも方法を選ばず「自白」させ、自白したものは有罪だ、ということで、目をつけた容疑者は必ず「有罪ありき」で犯罪人と確定する、21世紀の国際社会では極めてユニークな日本独自のシステムであることを意味します。要するに「人質司法」という現象は、世界に類例の少ない、極めて「日本的」な“伝統”ないし土俗の風習であることが、客観的に理解できるかと思います。

この折は、郷原信郎弁護士もリアルタイムで指摘している通り(https://mainichi.jp/articles/20190405/mog/00m/040/012000c)、何とか「自白」を引き出して、ゴーン氏を「落そう」とした検察側の、最後の「暴発」でありました。事実、東京地裁は4月25日に保釈を決定しますが、なりふり構わぬ日本検察の「手法」は、国際社会に明確に印象づけられることとなりました。

 ここに至るゴーン事件の詳細については、すでに多くの報道もなされており、改めてここで繰り返すことは避け、より本質的と思う点を掘り下げてみたいと思います。それは日本列島に特有の「罪人」に対する感覚にほかなりません。日本社会には「推定無罪」という発想が、ホンネの部分に存在していません。誤認逮捕であろうと、冤罪事件であろうと、「いちど捕まったものは犯人、罪人」という見方が本質的に定着しています。
 
 国際社会を見渡せば、容疑者段階では実名を報道しないケースも少なくありません。しかし、日本では一度「逮捕」されると、仮に誤認逮捕で、無罪が確定して「前科」なしでも「前歴」がつきます。それが露わになると、就職その他に著しい困難があるのが日本社会の現実です。翻ってフランスでは、大統領を務めた二コラ・サルコジは故カダフィ大佐からのリビア・ゲート献金問題で2度も身柄を拘束されていますが、昨年10月は「即位正殿の儀」にフランスを代表して参列しています。

 外事の局面における日本社会のへっぴり腰には定評があるゆえんです。ところが、ゴーン事件に関しては最初から検察発表がそのまま喧伝され、ゴーン氏側が無罪の情報発信を試みると「再逮捕」といったプロセスを、国際社会、特にフランスは今回の経緯ではっきり認識するところとなってしまいました。
 
こうした日本の「罪人観」は、ゴーン氏のレバノン会見でも明確に指摘されている通り、日本社会の「差別」と極めて深く結びつく、根の深いものにほかなりません。
 江戸時代以前「士農工商」の常民の<埒外>に置かれた人々が様々に差別を受けたことは21世紀の日本社会でもそれなりに知られています。
 
しかし、主要な「被差別」の対象が「犯罪者」と、その犯罪者を取り締まったり、処罰を執行する「刑吏」に大別されることなどに始まる、具体的な差別の詳細はほとんど理解されていないのが実情の一つ。

また、刑事司法の対象となった者が、刑期などを終えて以降も、就職など通常の社会復帰が困難であること。平たく言えば、前科のある人間を雇う会社は2020年の日本でも極めて例外的で、その背景には、犯罪の「嫌疑」がかかっただけでも常民の埒外に置くという、昨日今日の話ではない「日本特有のメンタリティ」が、濃厚に影響している可能性が考えられます。

 さらに、こうした伏流水のような差別意識は、いまだ容疑段階にある収監者に対するありとあらゆる処遇に通底していることを、2018~19年にかけて、ゴーン氏自身が骨身に沁みて痛感したであろうことが、全く想像に難くありません。

パンツの中まで改められる?
 あえて他の記事が触れないような点から検討するなら、ゴーン氏は「パンツの中まで改められた」可能性があると私は考えます。仮にゴーン氏が、西欧先進国の司法制度を前提とする常識を持っていた場合、日本の拘置所や留置場、刑務所などでの「容疑者」に対する取り扱いは、人間としての最低限の品位を認めない、いわば常民の埒外である「罪人」への差別に満ちたものと映ったこと、これは間違いないと思います。

 具体的には施設によって詳細は異なると思いますが、東京地検特捜部によって逮捕され、小菅の東京拘置所に収監されたゴーン氏は、まず写真撮影と指紋採取など、拒否することができない手続きを踏まされたことでしょう。次いで、入所に当たっては身体検査を受けたはずで、ここでは「自殺の予防と収監者の安全確保のため」などとして、衣服はすべて改められ、ほぼ半裸の状況で「口の中」も改められる。

 さらにはパンツの中までチェックされるといった境遇にゴーン氏が直面した可能性があると。これは彼が収監されたと聞いた直後、反射的に感じました。私には「オウム真理教事件」に関連して、1999年から2018年までまる19年間、東京拘置所に定期的に通い続けた長い年月があります。その内聞の、正確なところは分かりませんが、入所者がどのようなプロセスを経るか、については二人称から直接、様々な消息を聞いてきました。

 またオウム裁判進捗の過程で、刑法の團藤重光(だんどうしげみつ)先生とご一緒するようになり、2005年以降は秘書役のような形でお手伝いもさせていただき、日本の「矯正施設」のもつ様々な問題を基礎的なレベルから認識するようになりました。 共著「反骨のコツ」を上梓させていただく頃には、大まかにこの種の問題が発生したとき、團藤先生ならどのようにおっしゃるか、見当はつくようになっていました。

 そこで、語り下ろしを校正してメディアに発表する原稿のドラフトなども書かせていただくようになった。そうした観点から見て、あくまで私の文責で記しますが、ゴーン事件での日本司法、とりわけ日本検察の失態は「人間の主体性を軽んじ、文化としての法治をないがしろにする、とんでもないこと」と、團藤先生なら、まず間違いなくおっしゃったように思います。

 実際、留置場や拘置所では「容疑者」に「観念」させるべく、自尊心を踏みにじるような行為を意図的に行わせるケースが少なくない。というか非常に多いといった詳細は、佐藤優さんを筆頭に、実際に「矯正施設」の現実を知る方々が、あちこちに記していると思います。
 日本では、明治41(1908)年に「世界で初めて」作られたとうい「監獄法」が2006年まで残存していました。

 これが「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=417AC0000000050)に改められた時期、私は團藤先生のお手伝いをしていましたので、改正されたといっても精神風土を含め、明治41年以来の慣習を引きずっている日本の現実、例えば「代用監獄」の問題(https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/detention/haishi.html)などを知るようになりました。

 ゴーン氏が容疑者として、あるいは被告人としてどのような局面に遭遇したか、その詳細はいまだ細かく報じられていませんが、一切読むことのできない日本語の書類/調書に署名を求められて拒否、といった経緯を漏れ聞くにつけ、国際社会では全く通用しない代物であったことは、察するに難くありません。

 フランスでは保険加入などでも身体検査は素っ裸で徹底している、といった話も耳にしましたし、ゴーン氏の軍歴などを確認していませんが、素っ裸で検査を受けることそのものへのナイーブなアレルギーは少なかったかもしれません。

 しかし「完全武装解除」を意味する素っ裸の状態のまま、口の中を改めるに始まって、佐藤優さんが体験されたような「人間としてのプライドをへし折る」ような真似をさせられていたとしたら、「・・・こんなとんでもない野蛮な国のルールに付き合っていたら、とんでもないことにさせられてしまう・・・」と心を決して、全く不思議ではない。

 事実そのような意味内容をベイルートからの第一声からゴーン氏は発し続けています。
 国内では「保釈の取り消し」「15億円没収」その他、様々な報道がなされているのに加え「この問題は大したことではない」式の識者のコメントも目にしましたが、ポジショントークというべきでしょう。

 日本の刑法もまた。幾多の改正を経たとはいえ、大枠は明治40年、1907年に定められた「法律第45号」が、113年を経ていまだに現行法として有効です。
 1945年以降の欧州の観点からは、あり得ない非人間的な内容が、いまだ多々残されているのも、團藤先生、また欧州出身のカトリック神父で法律学者であったホセ・ヨンパルト先生から伺ってきました。

「ゴーン出国問題」はおよそ軽く考えてよい問題ではなく、取り扱いを誤ると、国際社会から日本の法治の信用を完全に失いかねない極めて危険な、デリケートな問題であるのは間違いありません。事態の進展を見つつ、多くの報道と異なる角度から、引き続き検討したいと思います。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。私は、慌てています。もう、これ以上たくさんのことを、ここに載せることは出来ません。後日を期します。今年も宜(よろ)しく。

副島隆彦拝  

守谷健二 投稿日:2020/01/13 14:05

【2095】[2475]大宝三年の粟田真人の遣唐使の意義 2

 
西暦703年(大宝三年)の遣唐使は、日本国(大和王朝)の由来(歴史)を説明するために唐朝に派遣されたのだ。この時点には既に『日本書紀』の歴史は完成を見ていたのである。これを仮に『源日本書紀』と名付ける。

 その歴史とは「万世一系の単一王朝」の歴史で、日本列島には開闢以来、日本国(近畿大和王朝)しか存在しなかった、と云うものであった。大海人皇子(天武天皇)は、その正統な皇位継承者であるとするものだ。

 その説明を聞いた唐の役人たちが腰を抜かすほど驚いたのは当然であった。つい四十年前、唐と倭国は大戦争を戦っていたのである。倭国にとっては王朝の存亡を賭けての戦争であった。唐朝は、日本列島の内情をよく知っていた。

『旧唐書』日本国伝より
《日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいは云う、倭国自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本となすと。
 あるいは云う、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。
 その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て応えず。故に中国是を疑う。・・・》

 粟田真人たちの言う『日本国の歴史』は、唐朝の役人たち信じてもらえなかった。なお『旧唐書』は、日本列島の記述を「倭国伝」と「日本国伝」の二本立てで創っている。

 また決定的に重要なことがある。粟田真人等が唐朝に行ったとき、もう既に『隋書』が上梓されていたことである。隋の天下は、西暦589年~618年である。『隋書』は「倭国伝」を持つ。つまり六世紀末から七世紀初頭にかけての日本列島の記録は、既に中国正史に記されていたのである。

 粟田真人等は、当然『隋書』を持ち帰った。『隋書』倭国伝のクライマックスは、倭国王・多利思比孤の記事である。

『隋書』倭国伝より
 《大業三年(推古十五年・西暦607)、その王多利思比孤、使いを遣わして朝貢す。使者いわく「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来って仏法を学ぶ」と。
 その国書に曰く「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す。恙なきや、云々」と。
 帝、これを見て悦ばず、鴻臚卿に言って曰く「蛮夷の書、無礼なる者あり、復た以て聞こするなかれ。」と。・・・》

 聖徳太子の「対等外交の国書」として日本史で教わるものです。粟田真人等は、この記載のある『隋書』を携えて帰朝した。日本史編纂に携わっていた者たちは、この『隋書』倭国(筑紫王朝)の記事を、日本国(大和王朝)の歴史の中に取り込んだ歴史を作る必要があった。日本列島には、開闢以来、万世一系の大和王朝しか存在しなかったのですから。

 粟田真人が帰朝した西暦707年(慶雲四年)から『日本書紀』が完成する養老四年(720)の十三年の間は、大宝三年には完成していた『源日本書紀』を改訂するための時間であった。最大のポイントは、倭国王・多利思比孤を、大和王朝の聖徳太子に移し替えることにあった。

六城雅敦 投稿日:2020/01/13 00:26

【2094】[2474]「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」の通りの展開となった台湾総統選挙

昨日の台湾総統選挙では民進党の蔡英文氏が圧勝しました。この予想は副島先生の新著「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(1月1日刊 ビジネス社)の第4章で詳しく背景が述べられています。

(貼り付け始め)
アメリカがそのように仕組んでいるからである。「台湾は中国に渡さない」という固い決意による計画である。
 そのために、去年(2019年)の早いうちから、国民党の候補として韓国瑜を有力な競争相手としてアメリカが作り上げた。この韓国瑜という男は、高雄市長になったばかりであった。降って湧いたように、「民衆に大人気だ」というメディア宣伝が行なわれた。

~中略~

鴻海精密工業の会長の郭台銘(テリー・ゴウ)が、2019年4月に総裁選に立候補を表明した。そして、「自分こそは台湾の指導者にふさわしい人物だ」として、勢いよく選挙運動を始めた。
 ところが、テリー・ゴウは、7月15日に国民党の統一候補を決める予備選挙であっけなく敗れた。

~中略~
彼は、国民党を背後から操るアメリカのチャイナ・ロビー(注:台湾の独立派の工作)にまんまと嵌められたのだ。
 おそらくテリー・ゴウは、習近平と深くつながっている。

~中略~
 テリー・ゴウは、その前にトランプ大統領をだまくらかす戦術に出た。テリー・ゴウは、トランプ大統領から、「ウィスコンシン州に200億ドルでホンハイの液晶画面の工場を建ててくれ」と頼まれて、それに応じた。
~中略~
 テリー・ゴウは、トランプとの騙し合いの腹芸を続けながらも、「台湾人で唯一直接ホワイトハウスに行ける人間」として、台湾の選挙で自分を売った。同時に、自分は生粋の国民党を支持する家の出である、ということも強調した。
(貼り付け終わり)

■韓国瑜は最初からアメリカによる当て馬に過ぎなかった

景気低迷で人気のない民進党に対して、中国による景気高揚を訴える国民党という構図での選挙ですが、そんな一辺倒の見方ではなく、副島先生はさらに深く解説をされています。

(貼り付け始め)
重要なのは、中国共産党(北京政府)が、国民党を根っからは信用しないという判断を持っていたことだ。これが正しかった。なぜなら、蒋介石が率いた国民党は、共産党の天敵(ナチュラル・エネミー)であり、国共内戦を戦った相手だからだ。

~中略~
最初からテリー・ゴウを落とすために、アメリカのチャイナ・ロビー勢力が韓国瑜という、台湾陸軍士官学校出の軍人を、人気者として、ものすごく売り込んだのだ。

~中略~
 ここまでは、アメリカのほうが一枚上手だ、ということになる。トランプもこの演戯に加わっている。しかし中国は、この後、反撃に出るだろう。

~中略~
 私の予言では、蔡英文が再選された後、すぐに大きな批判が起きる。ただでさえ人気のない不評の総統である。だから2年ぐらいで辞任に追い込まれるだろう。次の4年の任期をまっとうできないだろう。テリー・ゴウはそのとき総裁選に出るだろう。
 これが中国からの大反撃である。中国は「あと4年我慢しよう」などとは考えない。中国は自国内で進むデモクラシー導入の制度変更に合わせて、台湾民衆の支持も取り込めるように着々と動くだろう。
(貼り付け終わり)

副島隆彦先生の近未来予測では、前著からも2022年からデモクラシー(民主政体)に移行されていくとされています。習近平の3期目が2022年に始まり、その任期5年の間に中国では普通選挙と複数政党制が実現されて、晴れてデモクラシー国家として世界から了承される。
この動きに呼応して、台湾世論も「自分たちも漢民族の一部であり、中国人だ」という流れへと変化して行くのでしょう。

経済成長が続くことを条件に、台湾は中国の一つの省になってよいと考える若者たちも増えると予測されています。

このような状況になると、アジアにおける主な親米・反共の砦は日本だけです。

アジア情勢では将棋の盤上のように、入り組んだ状態であり、台湾が重要なキーポイントであることがよくわかります。
融資と通信インフラ、デジタル技術という飛車角で勢力圏を広げる中国に対し、自国第一主義(アメリカン・ファースト)という穴熊戦法を採りたいアメリカとでも例えればよろしいでしょうか。

早速、中国外務省が台湾総統選挙へ当てこすりをしています。

しかし、台湾総統選挙の結果がどうであれ、”ディストピア先進国家”である中国には取り込まれるか、歩調を合わせるしか
今のところは現実的には選択がないということを、本書により理解できます。

守谷健二 投稿日:2020/01/07 14:33

【2093】[2473]大宝三年(西暦703)、粟田真人の遣唐使の意義

明けましておめでとうございます。

相変わらず、7世紀8世紀の日本史を考えています。日本史学者たちは、4世紀頃には近畿大和王朝の日本統一は完成していた、などと云っていますが、とんでもない嘘っぱちです。

日本に統一王朝が成立したのは、西暦668年(天智七年)一月の天智天皇の即位からです。それ以前は、即位せずに政治をとる天智天皇の称制時代と呼ばれています。

天智天皇の日本統一は、倭国(筑紫王朝)の朝鮮半島派兵の大敗北の結果(663年)でした。中国正史『旧唐書』は、倭国軍惨敗の様子をまるでかの有名な『三国志の赤壁の戦い』のごとくに書いています。日本史が「白村江の戦」と教えるものです。

倭国(筑紫王朝)の大惨敗でした。三万もの倭兵が海の藻屑となってしまった。
倭王朝が無事に切り抜けられたはずがないのです。国民の信頼を完全に失った。夫、子供を失った国民の憤怒が王朝打倒に向かわなかったはずがない。王朝人は命の危険に曝されるように成った。
 
倭国の王朝人は、近畿大和王朝(日本国)の天智天皇に援けを求めた。それまでは、倭国が上位で大和王朝は下位でした。
しかし立場は完全に逆転した。倭国の王朝人は天智天皇に命乞いをして援けてもらったのです。天智天皇の臣下となって、以後決して叛意を抱くことはありません、と。

有名な額田王が、最初大海人皇子(後の天武天皇)と結婚し、その間に十市皇女の誕生を見ていた(日本書紀の記事)が、天智七年ごろには天智天皇の訪れを待つ身になっいた。(万葉集より)
この事は小説や漫画にロマンチックに描かれているが、真実は大海人皇子が最愛の妃(額田王)を自ら天智天皇に進呈したに違いないのだ。
 最大に恥辱に違いない。しかし、そこまでして命乞いをして、叛意のないことを示す必要があった。

天智七年正月の天智天皇の即位は、日本列島の初代統一王者に就いた最高の盛儀であった。

 この三年後(天智十年12月)天智天皇崩御。翌年6月「壬申の乱」勃発。
「壬申の乱」の大海人皇子(天武天皇)の勝因は、近江朝(天智天皇の嫡男・大友皇子(明治に追号された弘文天皇))が、美濃尾張国で二万人もの民衆を徴兵していたこと。この兵団を何の抵抗も受けずに手に入れた事。近江朝は、天武天皇の蜂起を考えていなかった。完全な不意打ちであった。

もう一つの勝因は、大和の名門豪族の大伴氏が天武に味方して挙兵したことである。これも近江朝は予期していなかった。天武天皇の蜂起は、完全に謀反であり、裏切り行為である。弁解の余地は全くない。

天武は正統性を欲した。正統性が必要であった。正統性を創り上げねばならなかった。
天武十年(681年)歴史の編纂を命ずる。正統性の創造の開始である。
この歴史編纂は、大宝三年には一応完成していた。粟田真人らは、それを唐朝に報告するために派遣されたのである。

     続く

佐藤義孝 投稿日:2020/01/06 18:47

【2092】[2472]インフレ目標の正当性

 会員番号2668の佐藤義孝です。かなり久しぶりに投稿します。1月5日付の日経ヴェリタスに「物価上がらぬ100年に突入か」という記事がありました。

 記事によると大半の中央銀行は現代の経済学の元締めである米国の主流派経済学者の強い影響下にあるそうです。

 記事は米ブランダイス大学の歴史学者デービッド・ハケット・フィッシャー教授の著書「THE GREAT WAVE」からの引用で現代の経済学者が非常に狭い歴史観でインフレ目標を決めてきたそうです。

 1200年代以降の欧州では度々デフレが起き100年から数百年に及ぶのも珍しくなかったそうです。米国の経済学者は、歴史に無頓着で近代の経験だけで理論を構築したと書いてありました。

 私はこの記事を読んで副島隆彦の論文教室、「0117」の「政治学の世界で起きていること」を思い出しました。古村治彦さんが書いたこの論文でチャルマーズ・ジョンソン教授が合理的選択論に対し「それぞれの国の文化や伝統、歴史を考慮に入れない研究は薄っぺらなものになる」、欧米の学者の理論は西洋中心主義から生まれてると批判していました。

 しかし実際には米国の経済学者は西洋の歴史からすら学んでいないように私には思えました。科学者の人文学軽視を物語っていると思います。副島先生の言うように歴史学は下等学問と見下しているのでしょう。

 今や日米欧の中央銀行のトップは学者ではないことからも、もう一度学問全般を見直す機会だと思います。この本は99年の出版で英語版しかないみたいです。

副島隆彦 投稿日:2019/12/31 07:32

【2091】[2471]アメリカ経済学者の大敗走、総敗北。 経済学というインチキ学問。

副島隆彦です。今日は、2019年12月31日(火)です。

 大晦日(おおみそか)という言葉が意味を失った。翌日、正月、元旦(がんたん)というコトバにも意味が無くなった。ただ時間が過ぎ去ってゆくだけになった。私は、何ごとも脱幻想(だつげんそう)が大事だから、迷信の類いと同じで、祝い事、祀(まつ)り、祭りは、すべて消えていっていい、と考えている。「共同幻想からの、人類の解放」が、私たちが進むべき道だ。

 今日は、私が、1か月ぐらい前に、ここで約束した、「アメリカ経済学者たちの総敗北(そうはいぼく)」 あるいは、「経済学(エコノミックス)というインチキ学問の終わり」のことを書く。その重要な証拠が、私の手に入った。

 私は、「経済学という、人類を不幸にした巨大なインチキ学問」という本を、現在、しゃかりきになって書いている。 なんとか2月中に出したい。
私が、12月2日に、「中国・・・ディストピア本」を、書き上げて(12月21日に発売された)、東京から家に帰って、読んだ “ Weekly CIA “ = ニューズウイーク誌 に、その証拠が載っていた。 

 私が、「経済学という・・・インチキ学問という本を書く」、とすでに、2カ月前から、出版社が、私に無断で、勝手にネット上に公表して予告していた。私は唖然(あぜん)とした。著者がほとんど中味(内容)を何も書いていないのに、その本が出る、という(大笑い)。

これが、今の、まさに死につつある日本の出版業界の実情である。私は、12月4日に、以下のように書いた。

(転載貼り付け始め)

○○○○社 ○○編集長へ
○○君へも
副島隆彦から

 以下に載せる 「アメリカ経済学者たちが、大敗して、退却、敗走中」 Economists on the Run という評論文は、ものすごく重要です。 私は、おととい、「中国ディストピア本が終わって、やれやれ、(○○君にすぐ電話した)で、熱海の家に帰り着いて、ニューズウイーク誌を 読んでびっくりした。 

 アメリカ経済学者の筆頭の、のポール・クルーグマンが、2009年に(リーマン・ショックの直後)に続いて、またしてもゲロった。白状した。まさしく○○君が事前に書名を、私の言葉から作った「経済学は、死んだ、終わり、有害、・・・インチキ 」 のとおりです。

 私が、この2か月間、ためらい( 躊躇、逡巡、熟考)していた間に、世界同時の共振、共鳴 作用(蝶々の羽の振動の世界への広がり。シンクロナイゼイソン) として、このように事態は進行していた。 以下の文を、よーく、読んでください。英文の原文も、Foreign Policy誌 のネットにありました。私はすぐに読みました。

 それでも、なあ、1月31日発売は、無理でしょう、いくら何でも。
最新刊の 中国ディストピア本(12月21日発売)の表紙が、ようやくアマゾンに、さっき揚(あが)っていました。ご覧下さい。それよりも先に、その次の本の宣伝を割り込みでするとは ! 呆(あき)れかえった。  副島隆彦拝 

—–Original Message—–
From: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Wednesday, December 4, 2019 12:25 PM
Subject: グローバル化の弊害を見落とし、トランプ台頭を招いた経済学者のいまさらの懺悔

 以下が、電話で話しました、クルーグマンの、アメリカ経済学者たちの総敗北
の 評論文です。 このあと、フォーリン・ポリシー誌の 原文も送ります。
副島隆彦拝 

◯ 「 グローバル化の弊害を見落とし、トランプ台頭を招いた経済学者のいまさらの懺悔(ざんげ) 」

  Economists on the Run (エコノミスツ・オン・ザ・ラン)

2019年11月29日(金) Newsweek 誌 2019年12月3日号掲載 From Foreign Policy Magazine 

マイケル・ハーシュ筆   フォーリン・ポリシー誌上級コラムニスト

論敵をコテンパンにこき下ろすことで知られるノーベル賞学者のクルーグマン 
PHOTO ILLUSTRATION BY

https://foreignpolicy.com/2019/10/22/economists-globalization-trade-paul-krugman-china/

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/11/post-13509.php

 クルーグマンが突如、宗旨変えした。今年10月、「経済学者(私も含む)はグローバル化の何を見誤ったか」と題した論説を発表。自分をはじめ主流派の経済学者は「一連の流れの非常に重要な部分を見落としていた」と自己批判したのだ。

 クルーグマンによれば、経済学者たちはグローバル化が「超グローバル化」にエスカレートし、アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ。

 ラストベルト(さびついた工業地帯)の衰退ぶりを見ると、ようやく認めてくれたか、と言いたくもなる。謙虚になったクルーグマンは、さらに重大な問いに答えねばならない。彼をはじめ主流派の経済学者が歴代の政権に自由貿易をせっせと推奨したために、保護主義のポピュリスト、すなわちドナルド・トランプが大統領になれたのではないか、という問いだ。

 公平を期すなら、クルーグマンはここ数年、過去の見解の誤りを率直に認めるようになっていた。彼は経済学者でありながら経済学者に手厳しいことでも知られる。2008年の金融危機後には、過去30年のマクロ経済学の多くの予測を「良くても驚くほど役に立たず、最悪の場合、明らかに有害」だったと総括した。

 クリントン政権で労働長官を務めた経済学者のロバート・ライシュは、国際競争の激化を懸念し、良質の保護主義的な政策と製造業の労働者の再訓練を推進しようとした。このライシュについて、クルーグマンは1990年代当時、私に「気の利いた言い回しが得意なだけで、物事を深く考えない嫌な奴」と評したものだ。

 クルーグマンの宗旨変えについてライシュにコメントを求めると、「彼が貿易の何たるかをやっと理解してくれてよかった」とメールで答えてくれた。クルーグマンもメールで「ライシュについて言ったことは後悔している」と述べたが、「もっとも彼が超グローバル化を予測し、チャイナショックの影響を最小限にとどめようとしたと言うのなら、それは初耳だが」と嫌みも付け加えた。

 経済学者たちはようやく自分たちの傲慢ぶりを認め、2009年にクルーグマン自身が書いたように「数学という素敵な衣装をまとった美しい理論を真実と思い込んでいた」ことに気付いたが、時すでに遅しの感もある。

 中国の急速な台頭は米製造業にとって悪夢となった(深圳の家電工場) JASON LEE-REUTERS

 経済学者たちは1960年代末から連邦政府の政策立案に大きな影響を与えるようになり、アメリカを間違った方向に導き、社会の分断を助長したと、ジャーナリストのビンヤミン・アッップルバウムは指摘している。多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ。

「修正を試みてももう手遅れだ」
  マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者、デービッド・オートーは、中国の急成長がアメリカの労働市場に及ぼした影響をデータで示してきた。オートーによればより大きな問題は、多くの経済学者が自由貿易は善だと無条件で信じていたことだ。「貿易は万人にとって有益だと政策立案者に助言するのが自分たちの務めだと思い込んでいた」

 ハーバード大学の経済学者、ダニ・ロドリックは、1997年(今から22年前)に『グローバル化は行き過ぎか』という著書を発表した。当時は異端と見なされたこの本を書いたのは「経済学者がグローバル化に全く危機感を持っていなかったから」だと、彼は言う。今ではロドリックの見方が主流になっている。

 さしもの経済学者たちも、自分たちが引き起こした事態に対処すべく重い腰を上げ始めた。ロドリックも元IMFチーフエコノミストのオリビエ・ブランシャールと共に格差をテーマにした会議を主宰したばかりだが、もう手遅れかもしれないと言う。トランプ政権下では、まともな議論すらできないからだ。

 トランプは、アダム・スミスの時代の重商主義者もかくやの短絡的な保護主義を信奉している。貿易をゼロサムゲームと見なし、貿易黒字は利益で、貿易赤字は損失だと思い込んでいるようだ。経済学のイロハも知らない無知ぶりは「現代アメリカの大統領の中でも際立ってお粗末だ」と、アップルバウムは嘆く。

それでもトランプは、中国の台頭に対するアメリカ人の不安を背景に、史上最大の貿易戦争に打って出た。不安が広がったのは、経済学者の読み違いのせいでもある。中国の急成長でアメリカの製造業の雇用がこれほど迅速かつ大量に失われるとは、彼らは夢にも思っていなかった。

 クルーグマンも指摘しているように、「2000年以降、製造業の雇用は恐ろしいほど急減」し、その急カーブはアメリカの貿易赤字、特に対中赤字拡大の急カーブと一致していた。こうしたデータが、ただのデタラメにすぎないトランプの主張に信憑性を与えたのだ。

貿易問題や所得格差、労働者のための適切な保護策に関する「まともな議論を完全に消し去ったことが、最も理不尽なトランプ効果の1つだ」と、ロドリックは言う。

 クルーグマンに、彼自身も含めて経済学者がトランプ政権の誕生を助けたのではないか、と聞いてみた。「それについては、まだ議論している最中だ」と、彼は答えた。「これは私の考えだが、トランプの(保護主義的な)貿易政策はさほど支持されておらず、トランプ人気に貢献したとは思えない。その意味でトランプ現象を経済学者たちのせいにするのはいささか酷ではないか」

レッテル貼りと締め出しと
  そうは思わない人もいるだろう。問題の一端は、グローバル化は善だというコンセンサスが姿を現しつつあった1990年代、経済学者たちは貿易問題を「自由貿易主義」か「保護主義」かの2つに1つという単純な図式で捉える傾向があったことだ。

 クルーグマンもおおむね自由貿易論者の立場を取った。ノーベル経済学賞の受賞理由となった(グローバル化の悪影響も指摘した)論文が、(自由貿易を推進する)彼の著書やコラムに比べると微妙に矛盾するニュアンスを帯びていたことを思うと皮肉な話だ。

 一方で政策論争に関わった人々の中には、急速なグローバル化にクルーグマンよりずっと強い懸念を抱いた人々もいた。その代表格が、ロドリックやライシュ、クリントン政権で国家経済会議議長を務めたローラ・タイソンといった人々だ。

 彼らは自由貿易こそ善という考え方に異議を唱えたり、タイソンのようにアメリカの競争力を高めるための産業政策を推進したりした。クルーグマンはこうした考え方も忌み嫌った。

 クルーグマンは、自身の読み違えは貿易が労働者や経済格差に与えた影響に関するものであり、あくまでも「限定的なものだった」と言う。確かにその言い分は間違っていない。

 だが冷戦終結後、貿易をめぐる議論は、自由市場vs政府による介入という、より幅広い議論の「代理戦争」となっていた。クルーグマンは「戦略的貿易論者の、経済学に対する無知の表れ」と彼の目に映ったものを大々的に攻撃した。戦略的貿易論者とは、人件費の安い途上国との競争で、アメリカの雇用と賃金は深刻な影響を受けると主張する人々だ。

 ジャーナリストのウィリアム・グレイダーは著書の中で、途上国の攻勢により「アメリカが勝つ分野と負ける分野」が出てくるだろうと警告したが、クルーグマンからは「全くバカげた本」と評された。シンクタンク、ニューアメリカ財団のマイケル・リンド共同創立者が、アメリカの生産性が伸びても「世界の搾取工場である国々」にはかなわないかもしれないと指摘した際も、クルーグマンは経済の「事実」を知らない門外漢のくせに、と一蹴した。

 クルーグマンに言わせれば、この手の議論はいわゆる「悪い経済学」だった。他の国の動向など気にし過ぎてはならない。あらゆる国が開かれた貿易から利益を得ることができるという新古典派経済学の概念が安定をもたらすはずだ──。自由貿易よりも市場への政府の介入に類するものや公正貿易(関税や失業保険、労働者保護の拡充と同義だ)を支持する人は、「保護主義者」の烙印を押され議論から締め出された。

 確かにクルーグマンは、医療保険制度や教育の改革といった中間層に対する保護政策は大切だと常に考えてきた。また、貿易問題での見誤りを認めたからといって、いわゆるワシントン・コンセンサスを正しいと言っていたことにはならないとも述べている。ワシントン・コンセンサスとは、財政規律と急速な民営化、規制緩和を支持するネオリベラル(つまり自由貿易主義)的な考えだ。

「私たちを批判していた人全てが正しかったわけではない。肝心なのは彼らが何を言ったかだ。私の知る限り、これほど(中国などが)貿易で台頭することを予見した人も、それが一部地域に与える悪影響について注目していた人もほとんどいなかった」と、クルーグマンは言う。

 だがグローバル化を善とする考え方はさらに深い問題もはらんでいた。やはりノーベル賞を受賞した経済学者のジョセフ・スティグリッツは、90年代に、ロドリックと同様に貿易や投資の障壁を急激に取り払えば破壊的な影響をもたらすと警告していた。彼は「標準的な新古典派的分析」の問題点は「調整に全く無頓着だったところだ」と述べた。「労働市場の調整コストは驚異的なほど少ない」

次の大統領選では左派候補を支持
 スティグリッツはクリントン政権で大統領経済諮問委員会委員長を務め、国際的な資本の流れにブレーキをかけることを訴えるなどした(が実現しなかった)。つまり彼はタイソンやライシュと同じ非主流派だったのだ。また彼は「通常、雇用の破壊は新たな雇用の創出よりもずっと速く進む」と主張していた。

 スティグリッツはフォーリン・ポリシー誌でこう論じている。「(グローバル化の)コストを背負うのは明らかに、特定のコミュニティー、特定の場所になるだろう。製造業が立地していたのは賃金の安い地域だった。つまりこうした地域では調整コストが大きくなりがちだった」

 また、グローバル化の負の影響は一過性のものでは終わらない可能性も明らかになってきている。アメリカ政府が途上国との貿易を急速に自由化し、投資に関する合意を交わしたために「(労働組合の弱体化や労働規制の変化の影響も相まって)労働者の交渉力は劇的に変わってしまった」とスティグリッツは指摘した。

 最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかつて、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った。

 主流派の経済学者たちがこれほど急に左寄りになったことに驚いているのは当の経済学者たちだ。多くは前述の格差問題に関する会議でこのことに気付かされた。来年の米大統領選挙では、経済学者たちの支持は中道のジョー・バイデン前副大統領よりもエリザベス・ウォーレン上院議員やバーニー・サンダース上院議員などの革新派候補に流れているとの声も参加者からは聞かれた。

「私はフランスでは社会主義者なのに、ここに来たら中道だった」と、ブランシャールは冗談を飛ばした。これぞ1990年代の読み違えが残した「置き土産」かもしれない。

タイソンは言う。「みんな、いかに状況が急激に変わり得るかに気付いていなかった」

From Foreign Policy Magazine <本誌2019年12月3日号掲載>

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 このように、極めて重要な、「(アメリカ)経済学の総敗北、潰走、総崩れ」の文章が手に入った。これが、どれぐらい重要な文献かは、分かる人にしか分からない。

上記の翻訳文は、直訳と、紙幅制限から起きる、大幅な意訳(いやく。パラフレイズ)のために、読みにくい。勝手にインテリを気取る者でも、正確には読み取れない。私が、これを、なんとかする。
折角の、超一級の、素材(高級魚)が、手に入ったのだから、これを、私が、一流の板前(シェフ)の
技で、きれいに料理してみせる。

 これから、副島隆彦が、じっくりと、皆さんに、分かり易く全面、解説する。どこで? ですから、乞うご期待。 

来年は、私たちの学問道場と、会員にとって、よい年になり増すように。

副島隆彦拝  

某会員 投稿日:2019/12/20 11:46

【2090】[2470]新刊の、全体主義~は、もう売ってます。

こんにちは、某会員です。

さっき、新宿の紀伊國屋で新刊本を買いました。

全体主義(トータリタリアニズム)の中国がアメリカを打ち倒すーーディストピアに向かう世界

楽しみです。

副島隆彦 投稿日:2019/12/19 02:50

【2089】[2469]橋下徹が私を訴えていた裁判で、私が勝った。それと伊藤詩織さん勝訴。

副島隆彦です。今日は、2019年12月19日(木)です。

 私と出版社に対して、橋下徹(はしもととおる)氏が、「芸能人(タレトン)としての活動を妨害された。損害賠償の請求額 500万円 」(笑い)として、訴えていた裁判で、私と出版社が勝訴しました。

 専門用語では、「大阪地方裁判所は、原告の請求を棄却(ききゃく)した」と言います。17日に、私が依頼している弁護士から連絡がありました。 

 原告である橋下徹の、今後の出方を、静かに見なければいけない(控訴するのか)ので、私は、今はお温和(おとな)しくして詳細は書きません。そのうち会員に報告します。

 私は、国家権力の一部である、裁判所も嫌いです。彼らは、「3権分立(さんけんぶんりゅう)」という、フランスの思想家のモンテスキューが、1770年頃に作った、政治体制思想の上に乗っている、ことになっています。

 日本にも、この3権分立の制度思想が近代法として導入されて、今の憲法体制にも入っている、ことになっています。

 だが、実際は日本の裁判所(裁判官たち)は、ヒラメで、実情は、法務省の出先の、現場の現業職(げんぎょうしょく)のようになっていて、いいように使われている。裁判官たちも、ただの公務員だ。 

 司法部( judiciary branch ジュディシアリー・ブランチ )の独立など、虚妄だ。 私は、若い裁判官たちの実情は可哀想(かわいそう)だ、と思っている。 日本にあるのは、行政部と立法部(regislative branch 、レジスレイティヴ・ブランチ)の2権分立 だ。

 以下に載せる記事は、昨日、18日に、出た、あの伊藤詩織(いとうしおり)さんの民事裁判での、勝訴の判決の様子だ。伊藤さんを苦しめた、「元TBSワシントン支局長の山口敬之(やまぐちたかゆき)氏(53)」は、ただちに控訴した。

(転載貼り付け始め)

「 伊藤詩織さん涙「長かった」性暴力民事裁判で勝訴 」
2019年12/18(水)  日刊スポーツ

判決後、涙ながらに支援者に感謝する伊藤詩織さん(撮影・村上幸将)

 ジャーナリストの伊藤詩織さん(30)が、元TBSワシントン支局長の山口敬之氏(53)から15年4月に性的暴行を受けたとして、1100万円の損害賠償を求めて起こした民事訴訟の判決で、東京地裁(鈴木昭洋裁判長)は18日、山口氏に330万円を支払うよう命じた。

 伊藤さんは判決後、集まった支援者に「ありがとうございました。正直、勝訴と聞いても、うれしい気持ちにはなかなかならなかったんですけど…でも、このプロセスが大事だと思って。

 いろいろな方に支えていただいた」と涙ながらに感謝の言葉を述べた。その上で「心は一緒だよ、どんな結果になっても大丈夫だよと、朝から声をかけていただき、結果があってもなくても、と私は思っていた」と語った。

 伊藤さんは当初、準強姦(ごうかん)容疑で警視庁に被害届を提出したが、東京地検は16年7月に嫌疑不十分で不起訴とし、東京第6検察審査会も翌17年9月に、不起訴を覆すだけの理由がないとして不起訴相当と議決している。

 判決後、取材に応じた伊藤さんは「刑事事件で不起訴となってしまったこともあって、どんな証拠、証言があったのか、私たちは全て知ることが出来なかった。不起訴という言葉だけで終わらせてしまった。

 その点は、民事訴訟を起こすことで公に出来る証言、新しい証言、こちらの言い分だったり、しっかりと聞けたのは良かったところ」と民事訴訟を起こした意義を強調。「民事ということで、地裁に来れば皆さんに閲覧していただける。オープンになったのではないかなと」と語った。

 その上で「元々、17年に会見させていただいた時もそうなんですけど、私が経験したのは性暴力でしたけど、社会における性暴力者を取り巻く環境が、本当に遅れているなという思いでお話ししました。来年は刑法の改正の見直しもあります。直さなければならない部分がたくさんある」と訴えた。

 一方の山口氏は判決後、ぶぜんとした表情で法廷から退出した。その後は表情を変えず、努めて冷静に振る舞い、裁判所を後にした。伊藤さんは山口氏に対して思うことを聞かれ「私たちのケースだけでなく、どういった構造で行われたか、彼自身も向き合い、解決してくれるようになったら」と語った。

 伊藤さんは「長かった…長かったです」と苦しい日々を思い起こし、泣いた。そして「私の見ているこの景色は、以前と全く違うもの。まだまだ司法がきちんと関わらなければ、こういう事件はなかったことにされてしまう。法律、報道の仕方、教育…まだまだ宿題はあると思いますが、これを1つのマイルストーンとして、皆さんと1つ1つ、考えていけたら」と訴えた。

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(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は、2017年に、重たい掲示板に、「この山口敬之は、イスラム式の石投げの刑で、女たちがみんなで、死刑にすべきだ」と書いた。山口は、安倍晋三首相の、お気に入りの、べったり記者で、「総理」という、安倍晋三を、褒め称える本(幻冬舎刊)まで出していた。 

 私は、佐藤優氏との共著「世界政治 裏側の真実」(日本文芸社、2017年刊)の中で、次のように書いた。

「・・・問題はさらに重大で、この強姦(ごうかん)裁判と関連して、別個に、杉田、北村、中村の 3人( の警察官僚のトップで、内閣官房の中枢にいて、安倍晋三の、番犬でお庭番)への 共謀罪(きょうぼうざい)の適用が、本当にあり得ます。

 ただの捜査妨害では済まない。 司法部の裁判官が出した逮捕令状を、(警察庁の 中村格 の命令で)破棄させた、という恐るべき証拠隠滅の罪の嫌疑がある。

 だから、伊藤詩織さんへの強姦事件の裁判とは、別個に、今年、成立したばかりの共謀罪が、この3人の警察官僚に適用されるべきだ 」(199ページ) と書いた。

 警察庁のトップで、内閣官房副長官(事務方、じむかた )や、内閣情報官=国家情報長官  だから、と言って、司法部の、裁判官が出した逮捕令状を、執行停止にする(握りつぶす)、という、唖然とする違法行為、違憲(いけん)行為を、この “ 安倍の番犬の3人組 ” は、やった。 なーにが、3権分立だ。 

 裁判官の出した令状を、どうして、行政部(administrative branch 、アドミニストレイティヴ・ブランチ )である警察官僚が、差し止めすることが出来るのか。この逮捕令状を持って、成田空港まで山口敬之を逮捕しに行った高輪署(たかなわしょ)の捜査官たち(ノンキャリ)は、目の前を素通りする山口を、黙って見ていた。これでは、江戸時代の、江戸町奉行の 大岡忠相(おおおかただすけ、越前守、えちぜんのかみ )が、お白洲 で、裁判官と検察官を兼ねていた時代と同じだ。 

 あるいは、中国共産党が、中国政府や中国の裁判所に、上から命令して言うことを聞かせる、というのと同じだ。 日本の、どこが、法治国家だ。こういう議論をするだけの知能のある人間が、この国には残念ながら、いない。

 裁判官たちは、「 逮捕令状を 警察官僚が、執行停止した」という、どの法律にも根拠のない、乱暴なことを、やられた。 あのとき、裁判官たちは、自分たち司法部 は、「官邸」という、安倍たちの独裁権力と、法務省と警察官僚から、下に見られて、顔に泥を塗られた、と強く屈辱感を感じた、はずなのだ。

 だが、最高裁は、何も言わなかった。今も言わない。裁判所が、法務省(その上は、政権)の出先(でさき)の、下請けの、現場(げんば)に過ぎないからだ。日本は、中国と同じ独裁国家だ。それなら、そうです、と正直に言えばいい。

 私自身の橋下徹との裁判のことは、私は、訴えられた当事者だから、今は、書かない。いくら書いても、自己弁護は、言い訳としか、まわりには見えない。私は、ものごとを冷酷に考える人間だ。安直に、自分は正しい、正しい、などと子供じみたことは、言わない。

 橋下徹くんは、芸能人、タレントではない。大阪府知事までした、政治家で、公人(こうじん、パブリック・パーソネッジ public personage )だ。タレントとしての橋下になんか、私は、何の興味も無い。彼の政治行動、政治発言を、私が言論人として、批評、評論したことが、なぜ、営業妨害や名誉毀損になるのか。

 「今は、政治家ではない。タレント事務所に所属するタレントだ」と、裁判所に出した書類(答弁書、準備書面)に、橋下徹はずっと書き続けた。それらも、そのうち会員たちに報告します。

私、副島隆彦も、お笑いタレントになりたい。

副島隆彦拝