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Loginはこちら【2157】[2540]千利休とイエズス会の関係について
-千利休が大成した茶の湯はカトリックのミサ(聖餐)の儀式である-
田中進二郎筆
千宗易(利休 1522-1591)は、当時自治都市だった堺の会合衆 (えごうしゅう 堺の中心的な豪商)の一人だが、イエズス会と深く関わっていた。
宗易(以後 利休と記す)は、村田珠光(1423-1502)、武野紹鷗(たけのじょうおう 1502-1555)が開いた茶の湯、佗び茶を大成した、ということでつとに有名である。利休死後も、子孫が表千家、裏千家、武者小路千家と分かれて、代々大名家の茶頭として出仕して利休の茶の湯の精神を引き継いだ、とされてきた。千利休が大成した茶道こそは日本文化の精華、精髄と考えられている。
しかし、利休の茶道が彼とその弟子(利休七哲と呼ばれる大名たち)は、カトリックの儀式を茶道という形に変形して、洗礼を施していたのだ、ということがザワザワと言われ始めている。
茶室はカトリック教会の活動の拠点であった。このことは、千宗室(利休のひ孫)に始まる裏千家や武者小路千家に、密かに伝えられていた。当時畿内のキリスト教会で行われた洗礼ミサの儀式を取り入れたものだ、それを確証する史料が、ローマ・バチカンの図書館に残っているという。
(引用元ー武者小路千家14代目家元 ・千宗守 ラジオ番組の録音
http://manga.world.coocan.jp/sadou-iemoto-musyakouji.html)
利休の茶道は、カトリック教会のミサの聖体拝領の儀式を取り入れて、吸い茶(茶の回し飲み)を始めた。
茶室に集った人々との連帯感を高めるための通過儀礼のようなものだった。利休はイエズス会の宣教師におうかがいをたてて、バチカン教会の許可をとったことが、記録として残されている、というのである。
ところでそもそもカトリックのミサの儀式とはなんなのか?
Wikipediaには以下のように説明されている。以下引用する。
(引用開始)
ことばの典礼が終わると、パン(「ホスチア」と呼ばれる、小麦粉を薄く焼いた食べ物。これが聖体になる)とぶどう酒、そして水が祭壇へ準備される(これを奉納という)。ここから始まる「感謝の典礼」はキリストの最後の晩餐に由来するものとされ、ミサの中心的部分である。次に司祭によって「奉納祈願」と「叙唱」という祈りが唱えられ、会衆と共に『黙示録』に由来する賛美の祈り「感謝の賛歌」(サンクトゥス)が唱えられる。
次に司祭によって「奉献文」が唱えられ、この中で聖変化が行われる。ここでは司祭がパン(ホスチア)とぶどう酒を取って、キリストが最後の晩餐で唱えた言葉を繰り返す。これによってパンとぶどう酒がキリストの体(聖体)と血(御血(おんち))に変わる、というのが伝統的なカトリック教会の教義である。神学用語では「実体変化(全実体変化)」(羅: transsubstantiatio)といわれ、これについては歴史上多くの議論が行われてきた。
(中略)
奉献文に続いて、福音書の中でキリストが弟子たちに教えたとされる「主の祈り」が唱えられる。そして司祭の祈願に続いて「平和の挨拶」という司祭や会衆同士のあいさつが行われる。さらに「平和の賛歌」(アニュス・デイ)が続き、司祭はパン(聖体)を裂いて一部をぶどう酒(御血)に浸す。司祭が聖体を食べ、御血を飲む。これを「聖体拝領」という。司祭(または助祭)は続いて聖体を信者に配り、信者も聖体拝領を行う。通常はパン(聖体)のみだが、場合によっては信者もぶどう酒(御血)を飲むこともある。聖体拝領が終わると、司祭が拝領後の祈りを唱えて交わりの儀がおわる。この場合の「交わり」というのは、神と人との交わり、参加者同士が同じ聖体を受けて交わるという意味である。
(引用終わり 太字は筆者)
↑この儀式を利休が模倣した!
(といっても、パンとワインに何の意味があるのか、よく分かりませんが。)
利休の茶道は、台子茶(だいすちゃ)とも呼ばれる。茶釜などの茶道具一式を置く棚のことだが、本当は「台子茶=デウス茶」である。これはこじつけでもなんでもない。隠れキリシタンは全て、同じキリシタン同士だけに分かるように、このような隠語を用いてきたのだ。
イエズス会士ルイス・フロイスの『日本史』には次のようにある。
〈茶室は清潔なので、人々に地上の安らぎを与える。キリシタンたちも異教徒たちもその場を大いに尊重しているのである。司祭(ガスパル・ヴィレラ)は、そこでミサ聖祭を捧げ、キリシタンたちはそこに集まった。〉
キリスト教ではミサを「点(た)てる」という。ここから茶を点てるという使われ方が生まれ、「お点前」という呼び名になったようだ。
利休の茶道は、今でも大阪のカトリック教会のミサで用いられている!以下の記事の写真が決定的な証拠である。↓
http://blog.livedoor.jp/taktag55/archives/62728707.html?fbclid=IwAR0s4XjJSkU0B8tsf3BGPhgSzp8MxGE9UUUAfNrRVOkdpTUvRYBQ20EUc80
利休とイエズス会の関係は想像以上に早くに始まっている。
1549年にイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、鹿児島ー山口を経て
堺に上陸。そして、会合衆の一人で豪商の日比屋了瓊(ひびや・りょうけい)の屋敷に入り、そこで茶会にも参加している。イエズス会の日本宣教の最初の段階から、茶の湯(茶室)と教会はワンセットだったのだ。この時、千利休(田中与四郎)は27歳だ。実はこのとき、利休はザビエルは顔を合わせていたのではないか。
やがてザビエルは、日比屋了瓊(洗礼名・ディオゴ)と小西隆佐(洗礼名・ジョーチン 生年不明-1592 キリシタン大名 の小西行長の父)というふたりのキリシタン豪商を連れて、京都に入ることになる(1551年)。
利休は武野紹鷗からは茶の湯を学び、堺の南宗寺で臨済宗の禅を古渓宗陳(こけい そうちん1532-1597)から学んだ、と言われる。しかし、臨済宗の禅僧というのは、最初からイエズス会と結託していた。それ以前、室町時代の頃から禅僧は明との貿易で、文書の翻訳をしていた。漢文がスラスラと読めて、書くことができた。だから、五山文学と総称される禅宗の僧たちは、実は、お経よりも儒教の書物を読んでいた。東アジアの交易に、ポルトガル商人とイエズス会が乗り出して来ると、イエズス会は翻訳官としての日本の禅僧に着目して、接近した。ここから日本の情報を仕入れていただろう。禅僧たちも時代の変化を察知して、堺、博多そして京都にやってくる宣教師たちと結託し、貿易の利益にあずかろうとした。
禅僧というのは、座禅の修行に打ち込んでいるように一般的には思われているが、本当は現世での利益しか信じていない裏の姿がある。カトリック教徒と仏教の禅僧というのは根底的に同じ生き物なのである。禅僧は節操もなくキリスト教(カトリック)になったり、朱子学者になったり平気でする生き物なのである。
以下、副島隆彦の『時代を見通す力』(PHP研究所刊 P182)より引用する。
(引用開始)
朱子学は足利時代(戦国時代含む)の僧侶(五山文学)たちが研究していた。藤原惺窩(ふじわら・せいか)とその弟子の林羅山の二人が独立して、儒学者となった。
儒者もはじめはお坊様だったようだ。仏教と儒学がずっと何百年もおかしな関係になっていた。お坊様のくせに12世紀ぐらいから、中国伝来の儒教(朱子学)の本ばかり読んでいたようだ。(中略)
仏僧のくせに、当時の中国で流行していたのだろう儒教の本を一生懸命に読んでいた。坊主階級以外には漢籍(中国文)が読める人々などいなかったろう。(中略)
林羅山は江戸に来るときには、髪を剃って頭を丸めたという。徳川家だけでなく武家には「お茶坊主」として仕えなければならなかった。この事実を伊藤仁斎たちほかの儒学者たちから、笑われて悪口を言われている。
(引用終わり)
このように日本という世界の周縁に位置する属国国家群(トリビュート ステイト)はその時々の世界帝国の政治と文化を輸入して、大きく自分をシフトさせて、受容していく。仏教徒が儒学者になったり、禅僧が裏でキリシタンになる。こうしたことは世界史を大きく俯瞰(ふかん)してみれば、ごく自然なことなのだ。
現代の日本も衰退する覇権国家(ヘジェモニック・ステイト)のアメリカと、新たな覇権国家、超大国である中国の間で引き裂かれ、右往左往しているではないか。それと同じことが、戦国日本にも起こっていた、と置き換えて考えてみてください。
当時の大名や、豪商、僧侶たち支配階級は、日本と 中華文明(唐 から)とその先に南蛮文明
がある、と三つに分かれて世界がある、と把握しはじめていた。天竺(てんじく インド)はどうも南蛮人に支配されたらしい、とうすうす気づきはじめた。そして、この南蛮文明を大いに摂取しようと熱狂した。
反対に、イエズス会も日本という極東の島国に非常に興味を持った。これは、14世紀の貿易商人・マルコ・ポーロ()が『東方見聞録』で日本を「黄金の国ジパング」と紹介したおかげだ。フランシスコ・ザビエルもはかばかしくゆかないインド宣教、東南アジアのモルッカ諸島の宣教ーそこは首切り族の原住民が密林で暮らしているところだったーにうんざりしていたところに、アンジローという日本人とマラッカで出会って、自分たちのキリスト教文明にないものを発見して、狂喜した。インド宣教よりも日本にどうしても行きたくなった。アンジローをマラッカからゴアに連れて行き、聖パウロ学院で、イエズス会の教育をそこで施したのである。
こうした事態は幕末の日本でもやっぱり起こっている。アヘン戦争(1840-42)で清王朝がイギリスの艦隊にボロボロに敗れて、西洋列強の植民地になり始めた。清朝の優れた官僚だった魏源(ぎげん )が、林則徐と共に西洋情報を収集して、『海国図志』を著した。
この書籍が長崎に輸入されると、知識人たちは先を争って貪り読んだ。儒学者と蘭学者が協力して一生懸命に、日本語に翻刻した。吉田松陰や横井小楠、川路聖謨(かわじ としあきら)たちが大きくこの書物によって目を見開いて、開国の必要性を認識することになる。この熱狂が新しい時代を作るのだ。
加治将一氏は近年、『第6天魔王信長ー消されたキリシタン王国』(水王舎2018年刊)という本と、『軍師・千利休-秀吉暗殺計画とキリシタン大名』(2020年 祥伝社刊)という本を出している。特に、『軍師・千利休』はこれまでの茶人文人の千利休像を一新する重要な長編の歴史評論である。
利休は禅の師匠である古渓宗陳こけい そうちん)の傍らにいて、上陸する南蛮人たちとの接待をやっていたようだ。堺の南宗寺が、京都にある臨済宗の名刹(めいさつ)・大徳寺の貿易事務所だった。利休は南宗寺が創建された1557年の当初からいた、と加治将一は指摘している。「南宗」というのは南蛮の教え、つまりキリスト教のことだ。「南蛮寺」というのと、意味は変わらない。キリスト教会もまとめて「寺」と呼ばれていた時代だ。利休は「南坊」(なんぼう)と号した。これも南蛮の教えを信じる茶坊主、という意味の通称だ。利休の著した茶道指南書も『南方録』である。だから「なんぼうろく」と読む方が正しい。利休の一番弟子のキリシタン大名の高山右近も、「南坊」と名乗っている。
禅と茶の湯とキリスト教が、利休とその弟子たちの脳の中で一体化していた。利休の茶の湯の師であった村田珠光の「禅茶一如』に、デウス信仰のミサのための儀式作法が加えられて、利休の茶道が完成したのだ。
イエズス会の初代総長イグナティウス・ロヨラは、『霊操』という書物を著して(1530年頃正確には不明)、礼拝することでイエス・キリストを眼前にみえるように修行する方法を説いた。
この精神統一の方法が禅と非常に類似している、と上智大学教授でイエズス会の司祭だった門脇佳吉(1926-2017)も指摘している。ザビエルは1534年のイエズス会の結成に立ち会った最初期からのメンバーである。日本の布教活動の間も、ロヨラの『霊操』をずっと持っていた。堺や京都で禅僧の修行スタイルを見て、イエズス会の方法と共通のものを感じ取ったはずだ。
だからやはり、南宗寺には禅寺の建物以外に、貿易事務所と、洗礼ミサを行う教会と茶室があったのだろう。当時堺を支配下においていたのは、戦国大名の三好長慶(1522-1564)である。堺だけでなく、京都も事実上支配していた。彼が南宗寺を建てる際のパトロンだった。つまり三好長慶はもっとも早い時期に現れたキリシタン大名だったのである。
加治将一氏は、千利休の最初の妻お稲は、この三好長慶の妹だった、と考証している。利休の最初の後ろ立ては三好長慶だった。
だから、この南宗寺に三好長慶の一族の墓と千利休の一族の墓がどちらも残っている。
余談だが、この堺の南宗寺には徳川家康の墓も存在している。大坂夏の陣(1615年)で家康が死んだ、とする説の根拠の一つになっている。徳川将軍三代目・家光もここに詣でており、全く荒唐無稽とは思われない。
利休の茶道の特長は、早朝に茶の湯を行うことにあるが、これは人目を避けてキリシタンのミサを行うために、利休が考案したものだという。つまり朝のミサであり、これは1559年に始められていた。南宗寺が創建されてから2年後のことである。1573年にローマ・カトリック教会が、利休の朝ミサを正式に承認している。
〈携帯祭壇(茶室)を使って行うミサは、聖別された教会以外でも、ーただし品位ある適切な場所でー夜明け1時間前に点(た)て、また必要であれば午後でも点てることができる〉
-1573年9月8日 グレゴリウス13世勅許ー
これはローマ法王がカトリック・キリスト教の日本布教のためには、茶道を利用することが有効だと認めた、ということなのである。このときから、茶道が本格的に隠れキリシタン(大名)の礼拝の儀式となった。
その儀式を取り仕切る総責任者が千利休だったのだ。
【2156】[2539]Re :ありがとうございます
森本様
ありがとうございます。e-honで購入致します。
でも1ヶ月で無くなるなんて、、、、。
Best
【2155】[2538]『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』について
石井利明です。
副島先生の『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』について、その効用を考えてみました。
現在は、西洋近代500年の大きな転換点である。それは、全体主義国家、中国がアメリカを打ち倒す結果、起こる。
しかし、次の覇権国、中国、そして日本も西洋近代500年の理解が圧倒的に不足している。このままでは、覇権国になっても、生活する人たちは幸せになれないだろう。その周辺国日本も同様だ。
中国にある経済的スーパーパワーだけでは西洋近代を乗り越え、新しい時代を造る事は出来ない。
近代を乗り越えるためには西洋近代を大きな枠組みで理解する必要がり、そのために、この本がある。
“ユニテリアン=フリーメイソン”が理解の要だ。
この矢で西洋近代を貫いて、その真実の姿を暴き出している。
その真実の上に、実利だけではなく、学問・思想・信条が備わる事で時代は造られる。
この本は、確かに、難しい面がある。多くの人物が登場し、その殆どを私たちは知らないからだ。
しかし、心配する事は無い。“ひねくれず”に、真っ当に本書を読む。読み返せば、副島先生の伝えたい事は理解できる。
「家に居ろ!」と強制されている現在、時間は十分にあるでしょう。
Amazonの書評には、“皇室廃止論”の本だというものがある。こんな書評を書く人は、どこまで精神が、ねじくれているのだろう。
【2154】[2536]Re:[2535]
>Steveさん
私が利用している e-hon では購入できます。
e-hon
本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034050834&Action_id=121&Sza_id=B0
この本には、副島先生の新しい発見が多く記述されています。
ぜひ、新刊で入手してください。
【2153】[2535] 2020年3月26日に副島隆彦先生の最新刊『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』(秀和システム)
副島隆彦先生そして道場の門下生の皆様、御教え下さい。
一月前に発刊になったcaptionの御書物ですが、Amazonでは既に購入出来ない状態です。
今後重版されるのでしょうか、それとも中古本のみ購入可能なのかお教え下さい。
錦織拝
【2152】[2534]倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論 その3
前回、前々回に続いて、「倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論」を書いておきます。
前回はここをクリックしてください。
前前回はここをクリックしてください。
最後として、なぜ倭の女王卑弥呼が張玉蘭と比定できるのかを、ここにまとめて書いておこう。読めば、私が当てずっぽで書いているのではないことがわかる。これはある種の科学的推論(scientific reasoning)であり、かつ、いろんな要素を加味して限界ぎりぎりまで考える批判的思考法(critical thinking)である。
まず、よく知られたように卑弥呼は、「鬼道(きどう)」と呼ばれる怪しげな呪術(じゅじゅつ)を使いながら、倭国の女王として、祀(まつ)りあげられた。この卑弥呼が使っていた呪術の「鬼道(きどう)」とは、初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神のことだ。歴史学者の岡田英弘東京大学名誉教授が『日本史の誕生』の中で、はっきりと述べた。
これは『三国志』を編集した、西晋の歴史家の陳寿(ちんじゅ)が、『三国志』の中で倭人伝以外でも「鬼道」という言葉を使っており、それがまさに五斗米道を意味しているためだ。
以下の二つだ。
魯遂據漢中、以鬼道教民、自號「師君」。
張魯母始以鬼道。
この鬼道(きどう)が五斗米道、または五斗米道の神であるという事実はあまり知られていない。それは鬼道は、日本古来の巫術呪術だと思われているからだろう。
しかし、卑弥呼が用いた鬼道が五斗米道であることはほぼ間違いない。他にも証拠がある。それが、卑弥呼が女王に祭り上げられた理由に関係している。ブリタニカ百科事典の「道教」の五斗米道の部分から引用する。
〈引用開始〉
Only when a responsible ruler was lacking were the celestial masters to take over the temporal guidance of the people and hold the supreme power in trust for a new incumbent.
王(a responsible ruler、責任のある支配者)がいないときに限って祭主(the celestial masters)が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる(in trust)。
(ブリタニカ百科事典、Daoismより)
〈引用終了〉
「王がいないときに限って祭主が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる」とはっきりと書いてある。つまり、倭国大乱(わこくたいらん)と呼ばれる動乱が2世紀後半に日本内に起こった。その争乱が長引いて新しい倭王が決まらなかった。そこで、五斗米道の「慣例に従って」祭主の卑弥呼を王にして国が治まったということになる。
つまり、卑弥呼という女性祭主が、倭王の決まらないときに倭の女王に選ばれたという歴史的事実は鬼道が五斗米道であることの間接的な証明になっているわけである。
さて、もうひとつあまり指摘されない面白い事実がある。卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人、班布二匹二丈を送った。実はたったのこれだけの貢ぎ物だった。107年に倭国王帥升は百六十人の生口を送っているからレベルが違う。
それなのに、皇帝はその返礼ととして絳地交龍(こうじこうりょう)の錦5匹、毛織物10張、センコウ50匹、紺青50匹、紺地句文の錦3匹、細班華5張、白絹50匹・金8両・五尺の刀を2つ・銅鏡100枚(これが卑弥呼の鏡で三角縁神獣鏡がこれでないかとよく話題になる)、真珠、鉛丹を各50斤、という莫大な土産物を送っている。さらに、これに親魏倭王の金印まである。どう考えても、好待遇しすぎなのである。
当然、魏と倭になんらかの関係があると推測できる。これは五斗米道の第三代張魯の娘は魏の曹操の息子曹宇(後に皇帝元帝の父となる、張魯の娘はこの皇帝の実母かもしれない)に嫁いでいるという事実から考えることができる。つまり、卑弥呼が張魯の親戚とすれば、卑弥呼自身が皇帝の外戚になる。当然、破格の待遇を受けられるというわけだ。これは、1)上に書いた鬼道が五斗米道である、2)曹操墓出土の鏡と大分で出土した鏡が似ている、という2つの事実と完全に整合(consistentであるという)する。
最後は張一族の中からそれらしい人物を探してみればいい。それが「張玉蘭」である。曹宇に嫁いだ娘とは、姪と叔母という関係になる。
この話は、史実として認められなくても、ぜひドラマにしてほしい。ロマンチックな壮大な歴史物語なのだ。
絶世の美女である張玉蘭(母が美人で有名、姪も大将軍に嫁いでいるから美人だったのだろう)が、化外(けがい、実は日本は東夷のさらに向こうである)の地、倭に行って、聖母マリアのごとく現地民に慕われて毎日を過ごしている(副島隆彦理論では五斗米道は東に流れたキリスト教である)。そして、姪が皇帝一族に嫁いだというので、皇帝に貢物を送ったら、びっくりするほどの多量の返礼品と王の金印を送ってきた。
そういう韓国ドラマも真っ青なストーリーなのである。私はこれが歴史の真実だろうとまじめに信じている。
下條竜夫拝
【2151】[2533]金(きん)が、史上最高値を更新した。アメリカ銀行が、今後18ヶ月間で1.5倍になると予測し。
4/14に、金価格(小売)は、史上最高値を更新した(1グラム6584円)。これは、1980年に、1グラム6495円(小売価格)をつけて以来、実に40年ぶりのことだ。原油暴落でいよいよオイルダラーの終焉だろう。
さらに金(きん)は急騰していくようだ。 以下の記事にあるとおり、バンク・オブ・アメリカが、金価格の目標を、1オンス(約31グラム)=3,000ドルに引き上げた。
現在は、1,700ドルぐらいだ。来年の2021年の終わり頃には、1グラム10000円以上になる、ということでしょう。副島隆彦先生のおっしゃるとおり、「まだまだ金(きん)を買いなさい!」ですね。アメリカ主流派経済学も終わりだな。
(引用始め)
「バンク・オブ・アメリカが、金の価格予想を、1オンス3000ドルに引き上げ」
BofA Raises Gold Target to $3,000 as ‘Fed Can’t Print Gold’
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200422-81510383-bloom_st-bus_all
2020年4/22(水) ブルームバーグ
バンク・オブ・アメリカ(BofA)は、向こう18カ月間の金(きん)相場の目標価格を、オンス当たり3000ドルに引き上げた。これは現在の最高値を50%余り上回る水準。
マイケル・ウィドマー氏を含む同行のアナリストは、従来2000ドルに設定していた金の目標価格を上方修正した。新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けた経済を支援するため、世界各国の政策当局者が財政や金融政策を通じて、巨額の刺激策を投入していることが理由。
BofAは、「FRBは金(きん)を印刷できない(金で出来た紙幣を発行することはできない)」 ‘Fed Can’t Print Gold’ と題したリポートを発表し、「経済生産が急激に落ち込み、財政出動 が急増、さらに中央銀行のバランスシートが倍増する中、不換通貨(ふかんしへい。fiat money フィアット・マネー)への圧力(注ーインフレへの不安)が高まる可能性がある」と指摘、「投資家は金(きん)を狙うだろう」と予想した。
BofAは、金相場の平均値を、今年が1695ドル、2021年は2063ドルと予測。これまでの最高値は、2011年9月に記録した1921.17ドル。
(引用終わり)
田中進二郎拝
【2150】[2531]副島隆彦先生の最新刊を アマゾンで予約しました。
会員番号2837番の下総と申します。
副島隆彦先生の最新刊「もうすぐ世界恐慌 そしてハイパー(超)インフレが襲い来る」をアマゾンで昨日(4月21日)予約しました。5月2日から6日に届くそうです。楽しみです。
アメリカ・カナダ・オーストラリアの経済事情 の 売れ筋ランキングでNo1 ですね。
読み終わりましたらレビューします。
世の中が騒然としてますが、恐れ、慌ただしい。まさに「恐慌」状況および局面ですね。
【2149】[2530]コロナウイルスを合理的に警戒する
会員番号7327番の宮林と申します。
日本で通常のインフルエンザで亡くなる方が年間2000人から3000人との統計があります。インフルエンザの流行が主として12月から2月の3ヶ月とすると概算では1ヶ月あたり約1000名とみなしてよさそうです。日本の医療機関に配備されている人工呼吸器は約1000台との情報があり、通常のインフルエンザは発症後に治るまで(入院したとしても退院するまで)の期間を概ね一週間とするのがよい近似であるとすると、日本全体で1ヶ月あたりのべ約4000名の人工呼吸器を必要とするインフルエンザ重症患者に対処可能という結論が導き出されます。すると、インフルエンザが重症化して亡くなる患者が全て人工呼吸器を必要としたと仮定しても、まだ4倍の余裕がある、との見解になります。普段はこの余裕分は他の疾患で人工呼吸器を必要とする患者の対処にあてられていると考えられます。
これまでのところ、日本でコロナウイルスの感染が判明した人数は約1万人、亡くなられた方の人数が約300人と伝えられています。コロナウイルス に感染しても発症しない場合も多くある、とのことですから、これが感染判明人数の何倍いるかは仮定の数字を当てはめるしかありません。仮に顕在化していない感染者がすでに見つかった感染者の10倍、つまり感染者の10%が発熱などの症状が出て検査を行い感染が判明した、という確率を仮定した場合は、顕在化していない感染者は約10万人ということになります。この仮定が1桁変わって感染者の1%が発症・検査して感染が判明するという確率だとすると顕在化していない感染者は100万人です。100万人は1億人の1/100に過ぎませんから、日本の人口の99%以上は未感染である、という結論が導かれます。集団が免疫を獲得するに至るまでの道のりは、コロナウイルスの場合は非常に長くならざるを得ないと考えます。
逆に言うと、全く無警戒な場合は、発症しない人も含めて感染者がこれまでの100倍から1000倍まで増える可能性がまだ残っていると言うことになります。これまでのコロナウイルス死者の約300人が人工呼吸器の使用が必要な人数と等しいとして100倍から1000倍すると3万人から30万人という数字になり、配備されている人工呼吸器の数の数十倍から数百倍になります。こうなってしまうと、人工呼吸器が足りないために見殺しにせざるを得ないコロナウイルス感染の重症患者が発生することが不可避になります。
本来は、学校での理数教育は、自発的に「そのようなことになってはまずい」と考えて不注意なことをしない人が一定以上の割合いるように、そうしたものの見方考え方ができる国民を作っておくことが使命の一つだと思われますが、現実がそうなっていないのは、すぐにはいかんともしがたい。
【2148】[2529]先生の最新本注文予約しました
ピンチの裏にチャンスありで、現役引退したとはいえ、様々な手続きがあるので役所等に行ってきました。
順番に一列に並ぶにしても2メートル以上離れて並ぶような状況でした。
前もって、電話予約して行った所はスムーズでした。
本日、ゴールド価格が先週末金曜より、マイナス124円で小売価格が6437円だったので買える時だと思い買いました。
外出自粛で不安をあおられる中、自宅でゆっくりと本を読んで国家レベルによるだましをはねのけたいです。