「1777」 相田英男氏による『自由人物理―波動論 量子力学 原論』(西村肇著、本の森出版、2017年)の感想と解説を掲載します(第4回・全4回) 2018年9月28日

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9.単純でバカな右翼と、賢いがひねくれた左翼

坂田昌一は物理の研究を通じて、マルクスの理想の実現を目指していた。本書で西村先生が目指す本当の目的も、実は坂田と同じだ。「物理の勉強を通じて、共産主義の正当性に目覚めさせること」を、西村先生は本書で狙っている。「自由人物理学者は無神論者でなければならない」と、本書の中で繰り返し主張される、真の理由はそこにある。私は、日本における赤色物理学者達の活動に関する研究の、第一人者だという自負がある。この考えは、多分間違ってはいない。

西村先生の、武谷三男、坂田昌一への思い入れは、それほどまでに深いのだ。先生の生涯最後の願いは、赤色物理学の復権だったのだ。

残念なのは、先生のその思いが、本書を一読しただけではわからないことだ。当たり前だ。今の時代に、マルクスの正当性を訴えた処で日本では、年寄り以外は誰も耳を傾けたりしない。若者からは敬遠されるに決まっている。だから本書の中では、非常に回りくどく、何回も読み込んだ後でそれとなく気付くような、そんな形で記してある。

なんとも屈折している、と、私はしみじみ思う。

私は、左翼に批判的な立場だ。私が左翼の方々を眺めて思うのは、彼らはとても屈折している。本当の思いを素直に吐露しない。そこが、単純バカの思考回路の私には、どうしても距離を置いてしまう処だ。

広瀬隆(ひろせたかし、1943年-)という、あまりにも著名な反原発主義者の作家がいる。私は彼の一連の原発関連本を読みながら、本当は、広瀬という人は、アメリカの文化や生活スタイルが大好きなんだろうな、と感じる。アメリカ文化が好きでたまらないのに、反原発論者として広瀬は名が売れてしまった。

なので、日本の電力会社や原発製造会社のことは、散々非難する。一方で広瀬は、総合電気会社のゼネラル・エレクトリック(GE)については、「発電用ガスタービンの高性能化を推進した、素晴らしい会社だ」と、繰り返し自著の中で賞賛する。『燃料電池は世界を救う』という広瀬の本は、隅から隅までGE賛美のオンパレードが続く。興味ある方は、参照されたらよい。


広瀬隆

しかし、である。そもそもが福島原発を設計して、高い崖を低く削り、あの海岸に作ったのは、他ならぬGEだろう?東京電力と東芝と日立製作所に、「親会社」として忖度(そんたく)させて、マイナータイプの型式だった沸騰水型原子(BWR)を、わざわざ採用させ、作らせた責任は、GEにあるのではないのか?

GEを断罪する事なくして、福島原発事故の真の決着など、永遠に付かないのではないのか??

近代産業史についても詳細に研究している広瀬隆は、この事実を誰よりもよく知っている筈だ。にもかかわらず広瀬は、自著ではGEを散々持ち上げる一方で、東京電力と東芝、日立、ついでに三菱重工には、激しい非難を浴びせかける。

そこまであんたは、GEのことが大好きなのか。アメリカが好きか?

原発のことは大嫌いだ。が、それを考え出して、作り上げた国と会社のことは、大好きでたまらない。それが、広瀬隆の考えの核心だ。あまりにも屈折している、と、私は呆れざるをえない。それでも、長年の悪業の報いのせいか、今のGEは潰れる一歩手前まで追い詰められている。大好きなGEの末路を見届けるまで、頼むから広瀬には元気で生きていて欲しいと、私は切に願う。

広瀬の他にも反原発活動家には、屈折した方々が多い。私が自著に書いたが、戦後に茨城県東海村に作られた日本原子力研究所(原研)には、原発反対派の左翼研究者ばかりが集まった。そこで彼等は、散々ストライキを繰り返した。遂には、熱出力1万キロワットの大型原子炉から、稼動中にもかかわらず、運転担当者50名を抜き打ちで引き揚げさせるという、暴挙にまで及んだ。当時の自民党代議士達は、原研にはもはや原子力開発を任せられない、と判断した。そして原研とは別の動力炉核燃料事業団という組織が作られ、開発の拠点が移された。

私が理解に苦しむのは、彼等は原子力開発の名目で政府からずっと給料を貰っていた。それなのに、原発の実用化に反対し続けるとは、どういう心境なのか?主義主張が反対の組織から、生活の基盤となるお金を貰うことについて、何の疑問も、葛藤も、彼らは持たないのだろうか?大阪府熊取町に作られた、京都大学原子炉実験所の研究員の、通称「熊取六人衆」も同じだ。「メンバー」の一人の小出裕章(こいでひろあき、1949年-)氏は、福島事故の際にヒーローの一人として脚光を浴びた。


小出裕章

彼等には、わざわざ悪の組織に入り込んで、獅子身中の虫となり、内側から壊す方が、カッコいい、という美学でもあるのか? そんな悪の組織には、最初から入らねばよいではないか。単純バカの私には、何とも理解し難い、屈折し過ぎる発想だ。原発反対派ならば、高木仁三郎(たかぎじんざぶろう、1938-2000年)や山本義隆(やまもとよしたか、1941年-)のように、悪の組織にすがることなく、在野で地道に活動すればよい。それなら私は共感し、尊敬もする。


高木仁三郎

山本義隆氏は、私は単なる在野の物理研究家だと思っていた。が、70年安保闘争の時の東大の全共闘議長だったことを、私はつい先日知った。山本氏も赤色物理学の英雄の一人だった。私は自分の不明を恥じている。


山本義隆

ちなみに、私自身は左翼と決別した保守のつもりでいる。しかし、副島先生が日頃から言われるように、今の日本には真正の立派な保守など、どこにもいない。このことを、私は重々自覚している。私も所詮は、薄汚れたネトウヨと五十歩百歩のレベルの、アホ人間に過ぎない。しかし、果てのない屈折を頭の中に抱え、論理の矛盾に埋もれたまま朽ち果てるよりは、薄汚くても、自分の考えを偽らず表し進み道を、私は選ぶ。

10..竹谷三男とアイン・ランドの理想は同じである

私は左翼主義者への批判を述べたが、西村先生の本書の主張そのものを批判するつもりは、毛頭ない。この本は、出来るだけ多くの人に読まれるべき、優れた内容だと思う。私が懸念するのは、ノンポリや右寄りの読者が、この本を読み進むうちに、著者がマルクス主義へ誘うという隠れた目的に、途中で気付くことだ。その結果、本書を読むのをやめてしまうことを、私は怖れる。

私は明言するが、読者は、西村先生のマルクスへの誘いなど、全く気にすることはない。どんどん本書を読み進め、内容の全てを吸収すればよい。後になり「別に好きでもないのに、マルクスに染まるかもしれない」などという心配は、無用だ。なぜなら「自由人物理」とは、左翼だけの特権では全くないからだ。

私は、物理学の勉強に哲学や政治思想を持ち込むのをやめよ、と言うつもりはない。物理の勉強がはかどるならば、マルクス主義でもなんでも、どんどん入れればよい。実は、マルクスと全くの反対方向から、自由人物理の実行を強く推奨する、偉大な思想家が存在するのだ。他でもない、リバータリアニズムの重鎮のアイン・ランド(Ayn Rand、1905-1982年)女史だ。


アイン・ランド

アイン・ランドの最後の長編小説に、ランド自身が最高作と認める『肩をすくめるアトラス』(原著は1957年出版、脇坂あゆみ訳、ビジネス社、2004年)という作品がある。読まれた方ならば、私の考えがすぐにわかるだろう。主人公は、鉄道会社を経営する女性だ。しかし、彼女を支える4人の男性達、ハンク・リアーデン(鉄鋼王)、ジョン・ゴールト(技術者)、フランシスコ・ダンコニア(銅鉱山オーナー)、ラグネル・ダナショールド(海賊)は、全員が自由人物理の達人なのだ。


肩をすくめるアトラス

中でも、極め付けはジョン・ゴールトだ。彼は独学により、ハイレベルの物理の知識を身に付けていた。ゴールトは論文を全く書かなかったが、数多くの未知の物理法則を独自に発見し、数式化していた。その理論を応用して、空中の静電気を動力に変換する画期的なモーターを試作する。しかし、工場のスクラップ置き場に試作品を打ち捨てたまま、ゴールトは闇に消えた。

ジョン・ゴールトこそは、西村先生が訴える自由人物理の理想を、まさに具現化した人物だ。ゴールト、ダンコニア、ダナショールドの同級生3人に、大学で物理を教えたのは、全米最高峰の頭脳を持つと評された、ロバート・スタッドラー博士だった。

スタッドラー博士のモデルは、ノーベル賞物理学者のロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer、1904-1967年)だという。ランドは小説を書く前に、オッペンハイマーにインタビューをしたことがあった。作品中で、ゴールトが試作したモーターの残骸を見たスタッドラー博士は、自分にも解明出来ない未発表の物理理論が、モーターの原理に使われている事実を瞬時に理解した。そして、主人公の女性に正直に打ち明けた。


ロバート・オッペンハイマー

スタッドラーの3人の生徒達は、物理学の他に哲学のメンター(ヒュー・アクストン教授)からも、指導を受けていた。スタッドラー曰く「3人の優れた教え子達は大学で、物理学と哲学という、一見奇妙な組み合わせを専攻した」という。大学での深い研究と思索を経た後に、彼等3人はアメリカ社会の変革に乗り出すこととなる。

よくよく考えてみると、「物理学と哲学を組み合わせることで、社会を変革する」というゴールト達の考えは、武谷三男、坂田昌一の方法論と全く同じだ。驚くべきことに、アイン・ランドが理想に掲げた人間の生き方は、武谷三男の考えと同じものだった。ただし、思想のベクトルの方向が、リバータリアニズムとマルクスでは正反対なのだが。

「リバータリアニズムと物理学(自然科学)を組み合わせて、世の中を変革せよ」というメッセージが、ランドの最期の小説の内容だった。ランドもまた「自由人物理」の推進者であったのだ。

しかし1930年代の後半、ランドが小説で描くより20年も前に、日本には武谷と坂田の二人が登場した。二人は大阪帝国大学の湯川秀樹の研究室で、ランドと同じ方法論に基づく研究を、自由人物理を、理念だけではなく既に実践し始めていたのだ。驚くべき先見の明ではないか。こんな話は、欧米の知識人達にはどうでもいいことだろう。が、武谷、坂田の方がランドの小説よりも先んじていた事実は、明記すべきだと、私は思う。


水源―The Fountainhead

読者は西村先生の本書を読みながらも、時々に、何とも言えない迷いを感じることが、あるかもしれない。その時は『肩をすくめるアトラス』を読むことだ。そうすれば、迷いは消えるだろう。ランドの前作『水源』の主人公であるハワード・ローク(建築設計家)もまた、自由人物理の体現者といえる。だから、「アトラス」と合わせて『水源』(藤森かよこ訳、ビジネス社、2004年)も読むことを薦める。三冊を読み終えるまでには、2年くらいは軽く過ぎることだろう。しかしその2年間は、人生の中でも最も、知的な葛藤と興奮が繰り返される、充実した時間になることは、私が保証する。

相田英男拝

(終わり)

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