「1358」 アダム・ヴァイスハウプト著 『秘密結社・イルミナティ 入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ)が発刊されました。ドイツ啓蒙主義から生まれた「イルミナティ」はフリーメーソンなど秘密結社のルールブックを制定した集団である。2013年1月21日

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副島隆彦を囲む会のアルルの男・ヒロシです。今日は2013年1月21日です。
今日は非常に素晴らしいニュースがありますのでご報告したいと思います。

・新刊『秘密結社イルミナティ 入会講座<初級編>』は、下記「1セット4冊」コーナーでも取扱っております。↓
https://www.snsi.jp/shops/index#book

世界を動かしてきたなどの様々な陰謀史観(権力者の共同謀議によって歴史が動かされてきたとする考え)の中核をなすといわれるイルミナティというものが有りました。その秘密結社の創設者である、俗に「通俗哲学」(Popularphilosophie、ポプラーフィロゾフィー)の論客の一人である、ドイツ南部のインゴルシュタット大学の法律学教授のアダム・ヴァイスハウプト(1748ー1830)の著作が、日本では初めて翻訳されて、一般の書店に並ぶことになったのです。


アダム・ヴァイスハウプト

この業績を私たちの「学問道場」は、日本の西欧思想史研究における重要な一局面として、本書の解説者である副島先生、そして、出版を提案した出版社の編集者の方、そしてこのドイツ語の本を訳した芳賀和敏(はがかずとし)氏らとともに祝いたいと思います。

何しろ、ヴァイスハウプトの文献は資料集としてまとまった形でドイツで出版されたのは、この本の訳者解説によれば二〇〇一年の事だったといいます。英語版の書籍検索を行なってもヴァイスハウプトが本当に書いた本の翻訳は見当たりません。

アダム・ヴァイスハウプトの名前をイルミナティとの関連で一躍有名したのが、日本における初期の陰謀論書籍の輸入業者であった、評論家の馬野周二(うまのしゅうじ)氏が翻訳して紹介した、イギリスのネスタ・ウェブスター女史(1876-1960)の書いた、『世界革命とイルミナティ』(面影橋出版)という本です。この本を書いたウェブスター女史は、イルミナティの創始者であるヴァイスハウプトが死んでから四〇年後に生まれていますから、完全に同時代人ではありません。彼女はどうも女性評論家として活躍していて、世界革命やシオニズムやボルシェヴィズムに関する本を沢山書いています。フランス革命、一八四八年の欧州革命、一九一七年のロシア革命についての書籍を書いています。これらがすべて、イルミナティの関与によって行われたという壮大な歴史観を初めて打ち出した言論人でしょう。


ネスタ・ウェブスター

馬野氏は、ウェブスター女史について、「大英帝国の最盛期、ヴィクトリア女王時代の富豪である父と、大僧正の娘である母との間に生まれた」と書いています。さらに英語版のウィキペディアではこのウェブスター女史が、いわゆる「シオンの議定書」なるユダヤ陰謀論の元になっている政治的なパンプレットを一九二〇年にイギリスの新聞で取り上げたことがある、とも書いてあります。

馬野氏の翻訳した本は私も持っていますが、探しだしてもう少し検証したいと思います。ここで重要なのは、今回の副島先生や芳賀氏の努力によって出されたヴァイスハウプトの書籍は、ウェブスター女史の研究とは違い、完全に一次文献の翻訳であるということです。

ヴァイスハウプトという人物がどのような人物であったのかを副島先生の解説や、ドイツ語版に掲載されていた序文、それから私が独自に調べた範囲で以下では述べたいと思います。

ヴァイスハウプトの生い立ちについては副島隆彦解説文では以下のように説明されています。

(引用開始)

イルミナティ Illuminatenorden〔イルミナーテンオルデン〕は、今から約240年前の1776年に、現在の南ドイツで創立された。今もなおその存在が驚愕をもって囁〔ささや〕かれているヨーロッパ最大の謎の秘密結社である。本書はそのイルミナティそのものの内部組織を書いてある本である。

アダム・ヴァイスハウプトは、教会法の教授(神学者の一種)として、インゴルシュタットの町で28歳のときイルミナティを創立した。インゴルシュタットは、今のババリア(バイエルン)州の州都ミュンヘンから北に100キロメートルくらい行ったところにある都市である。(副島隆彦による「解説」から)

(引用終わり)

このようにヴァイスハウプトは、インゴルシュタット大学の教会法の教授というのが本業であるわけです。更に、翻訳の際に使った原書にふされた解説文のなかには、以下のように更に詳しく書かれています。

(引用開始)

イルミナティ教団は、教会法と実践哲学の教授であるアダム・ヴァイスハウプト(1748年2月6日インゴルシュタット生まれ、1830年11月18日ゴータにて没)によって1776年に創設された。彼に由来する言葉にも「そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fuerst〔フュルスト〕)と国家を不必要にする。そうでなければ何のためのものか」とある。このように、君主と国家の廃止を目論み、その代わりとして啓蒙主義運動に根ざす道徳支配を目指すイルミナティ教団が、創立されてすぐに政府当局と衝突するに至ったのは驚くに当たらない。

イルミナティ教団の禁止は、バイエルン選帝侯カール・テーオドールによって1790年に言い渡された。ヴァイスハウプトは、バイエルンから逃れなければならなくなり、ゴータに向かった。そこでリベラルな公爵エルンスト2世が、彼を言わば庇護するような役割になった。それでもヴァイスハウプトは、後にザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯、年金を得た(恵まれた生涯を終えた)。(編者であるF・W・シュミットによる「解説」から)

(引用終わり)

このように、イルミナティ教団(オーダー)とは、実践哲学教授であるヴァイスハウプトが、アメリカ建国の年、一七七六年に設立した秘密結社で、その目的は「普遍啓蒙主義運動」ということになります。つまり、政治的な目的は、君主制度(とりわけ絶対専制君主)の廃止と、ローマンカトリック教会のドグマから自由に知識人が自由に思考する事ができるようにすることが目的で、そのことにより道徳・人倫の向上を図るということが目的です。当初の目的としては、君主制の廃止、ローマ教会からの自由を求めたのであって、世界を支配する資本主義エリートの集団という意味合いは全くありません。したがって、解説者のシュミットは次のように述べています。

(引用開始)

今日でもなお支配的な意見とは逆に、イルミナティは啓蒙主義運動の思想を次世代に伝えようとする秘密結社である。イルミナティが世界支配を企む陰謀集団であると広く流布している噂は、ヴァイスハウプトのイルミナティに関しては根拠がない。イルミナティが実際に望んだのは、18世紀の意味での啓蒙主義運動であり、圧政を基盤とする世界支配では決してない。いずれにしても、18世紀のイルミナティ教団は、よくイルミナティに起因すると言われている「現代にも続いている」とされる野心とは関係がない。秘密の結社であることが問題なのだとする批判は、諸国家の現状と根本から矛盾する教団の目標をよく見れば明確に反駁〔はんばく〕される。秘密の集団であることは驚くにあたらない。(シュミットによる「解説」)

(引用終わり)

ただ、このイルミナティは、弾圧を受けます。

(引用開始)

18世紀のイルミナティの活動の歴史は、政府による教団の禁止という禁令の下に終わった。この禁令を出したのは、カール・テーオドール・フォン・プファルツバイエルン[1724‐1799、プファルツとバイエルンの選帝侯]である。彼は、イルミナティとその他の秘密結社に対して、179011月15日にミュンヘンでこの禁止令を公布した。それには犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまでが定められていた。

しかし、この禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた。アドルフ・フランツ・フリードリヒ・ルートヴィヒ・クニッゲ男爵は、1752年10月16日にブレーデンベックで生まれ、1796年5月6日にブレーメンで死去している。彼は、すでに1780年にはイルミナティと接触しており、教団に組織の構成をもたらした人物だ。

クニッゲ男爵、ことフィロは「究極の啓蒙主義運動と種々の要求と質問への回答。イルミナティとの関係報告書」において、いかにして自分がイルミナティで活動するようになったかの個人的な経歴を記述した。子どもの頃から秘密結社に興味をもっていたことも手伝って、フィロはフリーメーソン運動を通じてイルミナティ教団に行き着き、後年にはヴァイスハウプト本人と出会うことになり、彼の良き片腕となった。1782年のヴィルヘルムスバードでのフリーメーソン大会で、フィロは努力してイルミナティ教団の会員になった。このあと彼は、合理的なものを非合理なものに結びつけ、教団に確固たる組織構造を与えようした。このことで彼はヴァイスハウプトと衝突し、その結果フィロはイルミナティ教団を去ることとなった。(シュミットによる「解説」)

(引用終わり)


クニッゲ男爵

この後、イルミナティはフリーメーソンのグループによって発展させられていくのですが、やがてイルミナティとメーソンは意見の相違が大きくなっていったようだ、と解説では書かれています。また、イルミナティの宣伝に活躍した、上の引用文にあるクニッゲ男爵は、「合理的なものと非合理的なものを結びつけて橋渡ししたために」、創設者であるヴァイスハウプトと喧嘩別れしています。

ヴァイスハウプトの特徴として、彼が徹底的に理性を重視したことがあるのです。副島解説文にも引用されている部分で、ヴァイスハウプトは人間の理性を高く評価すると宣言しています。副島解説文からこの部分を解説と一緒に引用します。

(引用開始)

秘密結社イルミナティの創設者のアダム・ヴァイスハウプトについては、私が翻訳した、現在のアメリカ知識人のヴィクター・ソーン著の『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』(副島隆彦訳、徳間書店、2006年刊)の、下巻の33ページに、次のように明確に書かれている。ここでヴァイスハウプト自身の言葉が簡潔に紹介されている。

理性〔リーズン〕が人間の唯一の規範〔コード〕になる。これがわれわれ人間の最大の秘密だったのだ。理性〔リーズン〕が人間の唯一の信仰の対象になるとき、ついに人間(人類)が、長い間抱えてきた問題は解決するのである。

このように「理性〔リーズン〕」が神〔ゴッド〕に取って代わった。以後は、この理性と「摂理」providence〔プロヴィデンス〕の光によって人間(人類)は導かれるべきと彼によって宣言された。

「理性〔リーズン〕」reason という英語は、ドイツ語では「フェアヌンフト(Vernunft)」という。「理性」(あるいはraison〔レゾン〕)は、「合理〔ラチオ〕」ratio と同義である。理性あるいは合理こそはイルミナティの根源である。僧侶を否定した秘密結社のこの世俗〔セキュラー〕の平信徒〔レイマン〕集団が、自分たちの根本思想として「理性」を据えたのだ。

この理性崇拝は、本書の随所に現れる。99ページには次の文がある。

純粋理性(reine Vernuft〔ライネ フェアヌンフト〕)が常に人間の行為の導き手であり、各人がこの目的を常に念頭に置いている場合、誰もが自らにこの法を命じたくなる性質のものでなければならない。                (本書99ページ)

ヴァイスハウプトたちは、理性を、それまでのキリスト教の神〔ゴッド〕(もっと本当は天〔ヘヴン〕)に取って替えようとした。19世紀末のフリードリヒ・ニーチェ(1844‐1900)による「神への死刑判決」までこのあと100年かかっている。(副島隆彦による「解説」から)

(引用終わり)

このように、純粋理性、理性崇拝に神を取って代わらせた。そうなると、ここで重要なのは、ヴァイスハウプトとその同時代人であり、フランス革命がやがて暴走し、恐怖政治に至っていく過程に大きな思想的影響を与えたとされる、ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)との関連が気になります。

これについては、調べた結果ウルリッヒ・イム・ホフという人物が一九九四年に書いた、『啓蒙主義』という本を参照したらしい、ウェブ上の「Enlightenment revoluton」というまとめサイトには、「ルソーの革命思想に関する影響を受けて、イルミナティを創設した」と書いてあるのを見つけましたが、詳しいことはわかりませんでした。

イルミナティ創設の二年後にルソーは死んでいるという事実関係です。

アダム・ヴァイスハウプトという人の同時代人には、他に有名な所ではエマヌエル・カント(1724-1804)が居ます。ヴァイスハウプトはカントに対する批判論文を3本書いているようです。


イマヌエル・カント

インゴルシュタット大学教授としてのヴァイスハウプトという思想史上で位置づける場合には、この「カント批判」が重要になるようです。

今回邦訳された『秘密結社イルミナティ入門講座』の中に本書の95ページ以下で紹介されている、イルミナティ会員が読むべき書籍リストというのが掲載されています。この中に、クリスティアン・ガルヴェとヨハン・ゲオルク・フリードリッヒ・フェーダーという二人の彼と同時代人であるドイツ人の哲学者の名前と著作が挙げられています。

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芳賀氏がつけた訳注(本書96ページ)によりますと、ガルヴェは、カントを批判したブレスラウのフリーメーソンロッジに所属し、フェーダーはゲッティンゲンのフリーメーソン所属とあります。そして重要なのは、ヴァイスハウプトがカントに論戦を挑んだ時、彼の論文に影響を大きく与えているのは、この二人のフリーメーソンであるガルヴェやフェーダーといった哲学者たちです。この二人が所属していたのは、俗に「通俗哲学」と呼ばれるジャンルで、これがどうやらカントのドイツ観念論哲学と対立関係にあったようです。


クリスティアン・ガルヴェ(ヴァイスハウプトに影響を与えた)

通俗哲学とは Popularphilosophie、ポプラーフィロゾフィー とドイツ語でいいます。だから、これはドイツ観念論からみた蔑称ではないかと思われます。私が今回この紹介文を書く際に参照したある日本語の哲学サイトでは、「通俗的と訳されてきましたが、いわゆる俗衆・大衆向きという意味合い(vulgär)ではなく、いわゆるテクニカルタームを使わない、(教養ある)一般の人向き」の意味です。したがって、公衆的という訳が、より適切かと思います」(http://ntaki.net/di/Te/ta.htm)という風に解説されている。

つまり、ポピュリズムが大衆迎合主義と間違って翻訳されているのと同じような意味で、「人民のための哲学・思想」とでも訳すべきなのでしょう。

ヴァイスハウプトとカントの論争を理解するには、このガルヴェが重要らしい。実はこのガルヴェこそが、イギリスの経験主義哲学に関する文献の紹介を、啓蒙主義の普及では、フランスやオランダやイギリスに遅れを取っていたドイツに紹介した人物だそうだ。要するにイギリスのジョン・ロックや保守主義のエドマンド・バークをスコットランドのフリーメーソンの知識人ネットワークを使ってドイツに導入した人物である。ガルヴェはスコットランド啓蒙主義の影響を受けている。

だから、その影響を受けたヴァイスハウプトもまた経験主義の影響を受けているようだ。このことを私はFrederick C. Beiserという人の”The Fate of Reason: German Philosophy from Kant to Fichte”(理性の運命:カントからフィヒテに至るドイツ哲学)という英語本の一部を読むことで知った。

ポピュラー・フィロソフィーであるヴァイスハウプトの本はカントの小難しい哲学書に対して、一般の読書人階級にも読めるような本を書くという意味で啓蒙思想の普及をはかった、いわばパンフレットみたいなものです。現代で言えば、難しい哲学書ばかりを書く大教授と、それなりにわかりやすく書きなおして哲学や思想をアピールする新書ジャンルの違いがあるのでしょう。

この本を編集した編集者によれば、このヴァイスハウプトがイルミナティを立ち上げずに、単なるドイツの大学教授で終わっていれば、このカントとの論争のエピソードも単なる「アカデミック・ゴシップ」で終わっていただろうという話です。ヴァイスハウプトは、ドイツにおいてはカントからフィヒテにいたる中にある理性を重視する学者の一人と位置づけられるのでしょう。

要するに単純に言ってしまえば、いまのイルミナティを全能の組織であるかのように描く陰謀史観というのは、先に述べたウェブスターから大きくは始まっており、その根拠としては、ヴァイスハウプトが生きた時代に起きたフランス革命における啓蒙思想に基づいた活動集団であったフリーメーソンの役割が当時において論じられていた事実があった、ということです。

その論客というのが、フランスのイエズス会士であったアベ・バルエル(Abbe Barruel)という人物が書いた、「フランス・ジャコバン主義の歴史」(Memoirs Illustrating the History of Jacobinism)とスコットランドのメーソンのジョン・ロビンソンという人物が書いたフランス革命について「共同謀議の証拠」(Proofs of a Conspiracy)の本や、一七九一年に書かれたもう一つの本の中に、ヴァイスハウプトのイルミナティが仏革命に関与した証拠があると書いたことが元になっているらしい。

イルミナティがどのようにして壮大な陰謀史観に組み込まれていくのかはここでは述べません。むしろ、今回の訳書の出版は、「知識・学問の輸入業者」である私たちの「学問道場」が「ヴァイスハウプトをドイツにおける啓蒙思想の一つの担い手である」と認知させることにあるわけです。ただし、ヴァイスハウプトは、大学教授であると同時に、欧州の政治体制を一変させようと知識人のオルグをやっていた人物だから当局にとっては危険人物でありました。

そして啓蒙思想については、現在、副島先生が実際にヨーロッパ各地を旅することで解き明かしている、反ローマン・カトリックの思想運動として始まったルネッサンス、そしてオランダに場所を移して発展した北方ルネサンスの中で大きな系譜として位置づけられるものだろうと思います。要するに、今回の訳書は陰謀史観ではなく、人類思想史上においてヴァイスハウプトはどのような立場を取るか、を確定させる試みであるといえるでしょう。

そこで重要になってくるのが、ヴァイスハウプトを始めとする啓蒙思想家たちが、キリスト教の神(ゴッド)に対してどのような態度をとったのか、ということになります。当時のローマ・カトリックによる学問の独占に対する思想家の抗議で始まったのが啓蒙思想なのですから、そうなります。そこで重要になるのが「理神論」(deism、デイイズム、デウスとはギリシャ神話に出てくる神のこと)の考え方です。再び副島解説文から。

(引用開始)

ヴァイスハウプトの思想は、徹頭徹尾、当時のヨーロッパで明るく輝いた啓蒙思想(初期の人権思想)で満ち溢れている。彼の思想の特徴は、古代のストア学派と、17世紀のフランスのモラリスト(たとえばモンテーニュやラ・ロシュフコー)の影響を強く受けている。

神との関係においては「理神論〔デイズム〕」である。理神論 deism は、無神論(エイシイズム atheism 神〔ゴット〕を否定する思想。当時は、そして現代でも破壊活動家のように扱われる)に到りつく途中の思想である。ヴァイスハウプトも政治的には共和政主義者〔リパブリカン〕であった。しかし個々の市民の努力だけでは人類の改良と改善は達成できないという考え方に至りついた。だから、人間の道徳性を高めるための会衆〔クラウド〕としての秘密結社が必要なのだと説いている。(副島隆彦による「解説」から)

(引用終わり)

同時にヴァイスハウプトは、徹底的に理性を重視しないプラトン哲学やその流れで登場した、新プラトン主義にも批判的です。副島先生が『隠されたヨーロッパの血の歴史』(KKベストセラーズ)で評価を与えた、メディチ家がパトロンになった支えた新プラトン主義に基づく「プラトン学院」の流れについても、ヴァイスハウプトは取り上げています。ただし、否定的な評価です。理由として、この運動はやがて神秘主義や錬金術といった「非理性主義的」な方向に流れてしまったので駄目であるということです。そのように、ヴァイスハウプトは、『秘密結社イルミナティ 入会講座』の後半の方でやっている「流出論」(りゅうしゅつろん)に関する批判の箇所で詳しく述べているのです。この流出論の議論は難しいので避けますが、要するに知識人が「神の存在証明」という問題に対してどのように取り組んだかという話です。詳しくは本書を読んで下さい。

以上のように、ヴァイスハウプトの本が刊行されたこと、その内容を理解する上で知っておいたほうが役に立つのではないかと思われる、ヴァイスハウプトが生きた時代の欧州の思想家たちについて述べました。

今回の翻訳は学問的にも極めて価値があるばかりか、いままで陰謀史観の観点だけでしか論じられなかった、アダム・ヴァイスハウプトの真実の姿を理解するための一級文献として、学問道場として、超強力に推奨したいと思います。

学問道場も、いい意味で原初のイルミナティのような庶民・大衆のブックリーディング・クラス(読書階級)の羅針盤の役目を果たすようにしたいものです。

これからも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。

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アルルの男・ヒロシ拝

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