「196」 信州旅行 ③


副島隆彦です。
今日は2026年9月24日です。信州旅行 ③ 、今日で最終回です。

 

■キリスト教徒の一部が官僚になって、思想弾圧を始めた
前にも第2ぼやきに書いた(★リンク)けど、明治時代に日本の知識人がキリスト教にどんどん入信していった。その代表が内村鑑三(うちむらかんぞう 1861-1930)です。内村を通して、キリスト教が日本に広まった。内村鑑三が、新宿の外れの方、今の北新宿にあった自邸に講堂(今井館。1907年に完成)を作って、そこで読書会をやった。大正デモクラシー(1910年代から1920年代)の間もずっとですね。その頃、彼はもう「教会」という思想を捨てていますから(無教会主義)。
★
〇参考ウェブサイト  https://imaikankyoyukai.or.jp/index.html
内村鑑三記念今井館教友会

内村の読書会に、東大や早稲田や慶応の、若手の一番頭のいいのがワッと通ってくるんですね。やがてその一部が悪い連中になって、東京帝国大学(現 東大)の警保局(けいほきょく 明治5年に司法庁に設置。翌年内務省へ移管)というのになった。これの一番上の連中が思想弾圧をするわけね。帝大生でありながら、彼らが官僚になって社会主義者たちの思想弾圧をやった。彼らはキリスト教徒なんですよ。この警報局が戦後に警察庁になったんです。

 

■南原繁も丸山真男もどうも怪しい
実はその流れの中に、戦後最大の日本の知識人と言われた東大総長の南原繁(なんばらしげる 1889-1974 75歳で死 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E7%B9%81)もいる。
★
南原繁【●】

副島隆彦です。ですが私は、南原繁はどうも怪しいと思っている。その弟子が丸山眞男 まるやままさお 1914-1996 82歳で死)です。彼が、日本の岩波朝日文化の最大級の知識人です。戦後は、丸山眞男を尊敬することが日本の知識人の姿だった。
★
丸山眞男【●】

でも南原繁の弟子の丸山眞男までもが、一枚めくると、裏側はどうも怪しい。その裏を一枚暴いてやると、私は今でも思っています。

その丸山を批判したのが、吉本隆明(よしもとたかあき 1924-2012 87歳で死)です。1969年の東大闘争で、新左翼の学生らによる安田講堂の占拠事件が起きた。その時に東大の学生だけじゃなくて全国から、地方の国立大学の学生が多いんだけど、学生の一部が丸山の研究室に押し入って、蔵書を投げ散らかした。それに丸山眞男が怒ったんです。「こんなことは許されない。戦前の官憲でもここまではやらなかった」と批判の文章をかいた。

それに対して吉本隆明が、「寺小屋の先生でも、自分の教え子がパクリに捉えられそうになったらかばったものだ。なのに丸山、お前はなんだ」って書いたんですよ。丸山眞男は、その時の、岩波朝日文化の輝ける大学校である東大の法学部長だった。東大の学長(総長)ではなかったけど、丸山が日本の知識人のトップだった。でも学生たちを抑えつける側になっているのね。だから私なんかみたいな人間は「吉本隆明の方が正しい」となって、吉本主義者が出現していくんです。
★
吉本隆明【●】

古田晃記念館には、丸山真男の写真がありました。記念館の2階には、古田と親交があった多くの著名な作家や知識人たちが訪れた、という部屋が残してあります。丸山も古田のところに来ているんですね。それで筑摩書房からも本をだすんです。他にも30人ぐらい、写真がズラーっと展示してありました。古田は自分の生家を、そこで暮らすために建て増ししたんだけど、増築が完成してすぐに心筋梗塞で具合が悪くなって臥せっていた。その時にも、そこにお見舞いがてらに東京の知識人たちが順番に通ってきたんですね。奥さんが客の接待をしたんでしょう。

 

■1960、70年代にドカーンと売れた「文学全集」
中央公論と岩波書店と筑摩書房、これが日本の三大リベラル出版社です。反自民党のね、といいたいけど、どんどん態度がおかしくなって、変わっていった。一方で文芸春秋と新潮社が、保守の言論雑誌です。だけどこれらは文芸雑誌なんですよ。文芸春秋は戦後も、政治問題は一切やらなかった。

筑摩書房も文芸出版社です。それで、何が一番売れたかっていうとね。ドカーンと売れたのが「ちくま日本文学全集」だ。この文学全集が死ぬほど売れた時期がある。昭和30年代だから、1950、60年代、日本が高度成長経済で豊かになって行く頃だ。ホンダのシビックかなんを大衆が買い始めたかな。その前はスバル360だけど。ピアノを買う。ステレオを買う。それと文学全集を買うんです。みんながあこがれた。中産階級まで余裕ができて来た頃です。
★

本当に買うんです。全巻まとめて文学全集を。そして全く読まないんです。飾っておくだけなんですね。本が箱に入っていてね。読まないから箱から出さない、箱入り娘ですよ。箱にまで入れた本を一所懸命に売った時代が1970年代まであった。それがセットで20万円とかです。月賦で買う。だからその時、日本の出版社はものすごく儲かって、そういう風潮が日本の出版業を支えた。それが日本の文化ですね。

私自身は古田晁さんとは会ってないけどね。この後の社長たちと編集長たちを知っていて、彼らにお世話になってる。筑摩書房からも本を出してもらったしね。だから古田晁記念館には一度は行こうと思っていたから、ようやく行けてよかったよ。

 

■副島隆彦と日教組
私、副島隆彦は、岩波朝日文化の申し子ですから。中学生だった13、14歳の頃からもう「展望」「岩波の世界」「文芸春秋」とかを読んでいますから。中学校の社会科や国語の先生たちから借りて読んでいました。

先生だって、向こうは向こうで、「この副島というのは凄まじく頭がいい」と分かっているわけですよ。彼らは日教組(にっきょうそ。日本教員組合)の活動家だから、しょっちゅうストライキをやってるんですね。授業に教師が来ないんですよ。だから生徒たちは授業中に大騒ぎして、校長や教頭たちは、をれをもう止められなかった。
★

校長や教頭のそばに学科主任っていうのがいた。学科主任になる先生は、教員として出世コースを狙う人たちです。教育委員会で仕事をして自民党の言うことを聞く。出世コースの彼らに対して、それ以外の先生は「なんだこの野郎」とか言ってね。日本のインテリ層のリベラル派の主流派は「社会党左派」って言うんだけど、大きな政党だった。共産党もそこに入ってるんですけどね。日教組のリベラルの先生と出世コースの保守の先生が、学校の職員室で喧嘩するわけです。生徒たちにも怒鳴り声が聞こえる。そういう時代だったんです。

安倍晋三たちが日教組のこと死ぬほど嫌いでね。なんというか、安倍は「日教組の先生たちが自分たちをいじめたんだ」と。本当は、安倍晋三自身がお勉強が全然できなくて、漢字もまともに読めなかったような男だった。ディスレクシアと言って、日本語では「難読症(なんどくしょう)」と「識字障害(しきじしょうがい)」ですね。自分が勉強ができなかったのを日教祖のせいにしたんです。「教師にいじめられた」という被害妄想がすごいんですよ。

安倍のような「右翼」の連中はね、大体、小学校や中学校で勉強できかった人たちです。これが今のハングレみたいな、あるいは金儲けの仕方だけ知っていて、チンピラの子分を3、4人使って土木業者とか飲食店やってるような人たちだね。彼らはアルファードに乗るんです。だから右翼体質の人というのは、要するにお勉強できなかった人たちです。

この人たちにとって日教祖は、もう憎しみの対象で。でも今では日教組も、もうボロボロに叩き潰された。日教組の会員だという教師は、全国の学校教師の2割以下じゃないですかね。もう6、7割は抜けたと思いますね。

出世コースを狙う教員たちは、死ぬほど嫌われていたんですけど、でも「出世コースを狙う」というのが、保守派の生き方の基本ですから。どんな企業でも組織団体というのは、自分たちの方が真実で正しいと思い込んでいるわけです。この戦いが世の中の対立の基本なんですよ。

私自身は、出世もしない、冷や飯食いで給料も上がらない教職員組合系の教員たちと話をしながら育ちましたから。どちらも左翼系の人間ですからね。でも私たちは新左翼=過激派ですから、共産党系の旧左翼を嫌うんですよ。先生たちの言うことを聞かなくなって、彼らからしたら「嫌なガキども」扱いでしてね。

左翼系という、消費者として大量に本を買い込んで本を読んだ人たち。これが明治・大正・昭和・戦後、そして今までの私の時代までつながっている。だから私、副島隆彦も岩波朝日文化の申し子なんです。この「左翼系」が消滅しはじめたのが1980年代です。
★

1989年からベルリンの壁が壊れて、ソビエト連邦ではゴルバチョフという指導者がペレストロイカ(立て直し)をやると言って。ドイツが統一した次の日の1991年12月にソビエト崩壊です。それを私の師の一人である小室直樹(こむろなおき ●)先生が予言して当てた。だけど、この人は右翼保守体質の人でした。

 

■白骨温泉
松本市から東の方へ、ずっと一本道みたいになっている(国道158号線)。そこを通ってずっといくと上高地の方に行きます。松本電鉄上高地線というのがあって、もうほとんど路面電車みたいでしたが、それが新島島(しんしましま)駅まで行くんです。上高地に行く人たちは、そこからバスでずっと山の奥に入っていく。ですが私は、今回は上高地にはいかないで、長野県道300号線に入って、白骨温泉(しらほねおんせん)に向かった。旅館に泊まらないで、昼に日帰り温泉を楽しみました。硫黄の成分が入っている素晴らしい温泉でね。硫黄があるからお湯が白く濁るんです。
★

確か2004(平成16)年、私が熱海に来た年に白骨温泉が大騒ぎになった。白骨温泉の湯船にねバスクリンというか市販の入浴剤を入れて濁らせていたと(温泉偽装問題 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E5%81%BD%E8%A3%85%E5%95%8F%E9%A1%8C)。入浴剤は硫黄の香りがしますから、まさしくそのままの香りなんですが、その事件があって。白骨温泉のいくつかの旅館の経営者と公共浴場までやっていたと。それが露見して騒ぎになりました。当時の長野県知事だった田中康夫(たなかやすお ●)がビデオカメラを県庁職員に持たせて現地まで行って、恐るべき正確さで問題のホテルの納戸に向かって行って「ほら、入浴剤を見つけた」とか言ってね、それがテレビ番組になった。
★

〇関連記事 田中康夫県知事が踏み込んだ、その時――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(中編):嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/4 ページ) – ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0805/03/news006_3.html。

それでも世の中の普通の人は温泉をいじめることはしません。シラけちゃってね。政府の役人は1人200円の入湯税(にゅうとうぜい)を取れればいいから、別に営業妨害をする気もそんなにないんですね。でも田中康夫のいやらしいパフォーマンスで、きっと風評が広がって、客足がガタンと落ちたと思いますが。今でもいい温泉ですから客は来ています。

私たちは今回、「泡の湯(あわのゆ)」というところに行った。大きなつくりの混浴の露天風呂に、まあ20人ぐらい人がいました。外国人のカップルも二組いましたね。だけど温泉の上空にアブが飛んでおりまして、自分たちの縄張りを侵害している人間の邪魔をするわけで。刺されたくないし、落ち着いてお湯に入っていられないんですが、まあ、でもいいお湯でした。
★

温泉を出て、県道をさらに真っ直ぐ行ったら乗鞍高原(のりくらこうげん)です。向こうに乗鞍岳(のりくらだけ)が見えた。そこだけでも標高2500メートルぐらいあるのかな。乗鞍高原をぐるっと回って、また元の道に引き返した。
★

上高地へは、今回は行かなかった。私は一度、大学1年生の時に必死の思いで上高地へ行ったことがあって、それを思い出しました。上高地という地名は中学校の文学の教科書にも載っていて、私にも憧れがあったんですね。梓川(あずさがわ)とか大正池(たいしょういけ)とか。でも実際にバスで行って現地に着いて、ガッカリしたという記憶があります。上高地の前に行った軽井沢でもがっかりしてね。

 

■諏訪の岩波図書館
今回の旅行の話に戻しますが、岩波書店の聖地に行こう、というのが旅の目的です。岩波書店の創設者である岩波茂雄(いわなみしげお ●)が信州の出身だとは知っていたけど、今回調べながら行ってみると、そこは中央高速の諏訪湖インターチェンジを降りてすぐのところでした。
★

それで地名というのは、普通は北の方が上(かみ)で南が下(しも)だと思っていたら、諏訪は何だか知らないけど、逆なんですよ。諏訪湖の北が下諏訪で、東側が上諏訪でした。それで下諏訪の諏訪大社の方が立派で大きいんですね。

諏訪湖の南が諏訪市で、そこに小泉寺(しょうせんじ)というのがある。小泉寺が「岩波茂雄の生誕の地」なんです。お寺の入り口に石碑があった。そして裏手の墓地に岩波家の先祖代々の墓石が集まっている一角がありました。岩波という百姓の一族がこの辺にずっといたということですね。

近くに「諏訪市立 信州風樹文庫」(すわしりつ しんしゅうふうじゅぶんこ)という図書館があって、岩波書店の本が全部そこに、今も蓄えられている。そこにも行きました。
★

岩波茂雄は敗戦の年(1945年)に脳出血を起こして、自分の生家である実家で、その翌年に死んでいます。だから諏訪の実家に自分の記録とか書類、書籍なんかを全部持って帰っているはずなんです。でもそれは公開していませんでした。ただ、図書館の2階に古い書籍が保管されていると図書館の職員が教えてくれたので、そこにあるのかもしれませんね。今では表に出せない本や文書なんかを保管しているでしょう。前に話した筑摩書房の古田晃が戦後長い間生きていて(1973年に死)、古田は書簡や文書を並べて飾って公開していましたけどね。

私はこの岩波朝日文化の「申し子」だと言いました。でも私は彼らから嫌われているというか、本を書かせてもらえないわけですよ。なぜなら新左翼や無党派の学生が中心になって東大闘争(東大紛争)をやってね。1969年に安田講堂の攻防戦というのがあって。ヘリコプターも飛んで、あれが日本の学生運動のピークです。最後まで東大の建物を立てこもった430人が、機動隊に突入されて捕まるんだけど、東大生はその中のまあ1割ぐらい、50人ぐらいですね。捕まった学生の中に、私の知ってる人たちもいます。
★

捕まった学生たちは刑事被告人で裁判にかけられた。大した犯罪じゃないんだけど、一応、犯罪者扱いです。でも逮捕者が400人ぐらいなら別に大した数じゃない。全国全共闘といって、1969年から1971年まで、私立大学を含めて日本のすべての大学で、この全共闘運動があったんです。小さい大学だったら20~30人とか40~50人。国立大学の大きいところは4千人~5千人。わーっとヘルメットをかぶって集まるんですよ。女子学生たちも一緒にね。ほんの一時期、半年とか1年の間です。

 

◾️全共闘運動は何のために?
記載中

 

■左翼って何?
ソビエトが作った日本共産党が(旧)左翼です。日本共産党は国民政党でしたから、敗戦直後は国会議員を20人とか30人出していた。1970年代の日本の経済成長の時も、公害や物価の問題を掲げていた共産党は人気があった。でもだんだん悪い人間ばっかりが残っちゃってね。共産党内部でも、スターリンが死んで3年後にスターリン批判が始まって、激しい対立と分裂、憎しみあいが起きた。共産党はもうボロボロですけど、内部の争いはまだ続いている。

岩波書店の昔の社員400人の中に、自分の意思で共産党員をやっていた人が100人ぐらいいたでしょう。その人たちは自分たちが主流派だと思っている。私なんかは新左翼だから、だから岩波書店で書かせてもらえないわけね。そこが大事なとこだけど、なかなか若い人たちは理解してくれません。今は岩波書店の社員は100人ぐらいでしょうが、でもやっぱり共産党員の「左翼」がいますよ。

 

■新左翼って何?
ソビエトのスターリンが1933年から次々に反対派を粛正(殺害)していって、ソ連を「収容所列島」にしてしまった。理想の国のはずだったのに、それがガラガラと内部から崩れてしまった。それに失望して、私たち新左翼が生まれたんです。当時の頭のいいのはみんな新左翼になった。

私たち新左翼は過激派ですからね。日本共産党ら(旧)左翼と嫌(きら)い合う、殴り合いなるんですね。まあ今は殴り合うような時代じゃありませんが。一度嫌いあったら、思想的に近い者同士ほど、憎しみ合うものですから。でも新左翼も、世界中で、勢力としては敗北している。もうバラバラになっています。

自分は新左翼だと言って、いつまでも過激な運動をやってると怪我をしたりね。鉄パイプで頭を殴られて障害者になってしまった人も少なくないんです。もしくは逮捕されて人生に傷がついてしまったり。その恐怖があって結局一人一人は、みんなやめていったんですよ。自分のお父さんに「もうそんなことは止めろ」と殴られてね。

新左翼の活動をやめて、なんとか大学を卒業して、出版社とテレビ局と新聞社に入っていった。もともとがバカじゃないから、頭いいからね。勉強ができた優秀な人たちですからね。彼らはうまく生き延びた。でも実は、各大学に今でもいるんですよ。中核派、核マル派、プント系とか赤いヘルメット系の人たちも一応いるんだけど、この人たちももう80歳になって、ジジイを通り越して、そろそろ死んじゃいますからね。

私は彼らより5歳ぐらい年下です。だから「少年兵(しょうねんへい)」だと、自分のことを言っています。教師とつかみ合いをやって17歳で高校中退になりましたからね。新左翼運動をやる彼らを身近で見ていて、「このままでは自分は死ぬか、鉄パイプで殴られて障害者だ」と思ってやめた。早稲田大学を卒業して銀行員になりました。

ちなみに社会党系というのがいて、これは労働組合(生活者たちの常識人の団体。待遇改善と賃上げ)の支持が背景にあった。社会党というのは「柔らかいソフトな左翼」なんです。それの最後の生き残りが社会民主党の福島みずほ(ふくしまみずほ ⚫︎)ですね。今の立憲民主党の中にも、その思想が残っている。
★

 

■朝日岩波文化の発祥、信州
だからあの時代の社会の空気というのは、その一部は信州の文化と雰囲気から出てきたんですよ。中央公論、岩波、筑摩という出版社の文化から。朝日新聞のことは今日あまりしゃべりませんが、朝日新聞こそは日本の左翼勢力の大きな旗頭(はたがしら)だったんです。朝日新聞を毎日読むことが、インテリ教養人の務めだった。私もそれをずっと中学時代、高校時代もやって来たんです。でもそのうちに、つまらない既成左翼が出来上がってしまって、嫌になってやめました。

私が今73歳だから、新左翼の最下限なんですよ。佐藤優(さとうまさる ●)氏が「自分は同志社大学在学中に黒ヘルを被って、新左翼の流れに入っていた」と言うけどね。私から見たら、最後の最後のリメインズ(残党)ですね。彼は私より7歳若いですから。昔の左翼運動とかね、こういうことは、あんまり言わないことになっている。でも私、副島隆彦が書いて残しておかないといけないと思っています。

朝日新聞は世界左翼勢力の一部だったんだけど、船橋洋一(ふなばしよういち ● 現在81歳)という、役員で入り込んできた悪い野郎が実はアメリカの手先でね。ロックフェラー財閥から金が出てるやつだ。この船橋洋一によって、朝日新聞の左翼文化の伝統が壊されていった。それはもう意識的、計画的に安倍晋三たちがやりました。
★

だから昔の朝日新聞の記者上がりの人たちもみんな、鬱屈して黙りこくって、ただの年金生活者になって、もう集まることもなくなった。岩波朝日文化が途絶えた。終わったんですね。岩波書店も潰れかかっています。すべての立派な建物をひとつひとつ小学館に売りながら、社員たちの給料を払っている。それぐらいひどい状況になっています。筑摩書房も2回潰れたかな。その間に私は筑摩書房の幹部たちとお付き合いしていますからね。だから私にとっての長い歴史がここ(信州)にあるということで、勉強になった。行ってよかったです。

(終わり)

このページを印刷する