「192」 副島隆彦が初めて語る カント 2⃣

副島隆彦です。今日は8月8日です。
カントについて2回目です。

カント(1724-1804)は、30代40代に、大学で授業をやりながら自分の研究をして、論文をたくさん書いている。

■ “スピリチュアル”に嵌(はま)ったこともある
実は、カントは若い頃、おかしなことやってるんです。スエーデンボルグ(1688-1772 84歳で死)というちょっと神がかりの思想家がスウェーデンにいた。彼らが主宰する、悪魔たちの儀式とか魔女たちの集会とか、神秘主義者(しんぴしゅぎしゃ)の考えに嵌(はま)ったことがあるんです。今でいうスピリチュアリズムの思想だ。カントは30代に、それを一所懸命に勉強した。カントについては、このことも含めて理解したほうがいい。
スエーデン・ボルグ
エマヌエル・スヴェーデンボリ
【Emanuel Swedenborg スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家。スウェーデンボルグ、スエデンボルグとも表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。

1745年、イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版し、出版で得た全報酬は寄付した。ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、王室の庇護により、回避された。イエス・キリストからの啓示をその僕として書き記す霊覚者への転向はあったものの、その後国会議員にまでなった。wikiから】

〇参考リンク 日本スエーデンボルグ協会

 

副島隆彦です。カントは、「人間には、分からない世界がある」という考えにずっと長年、捕らわれている。これは彼の、生来の性質だ。「人間には、どのように考えても、それ以上は、分からないことがある。人間は、そこで、謙虚になって、分からないことは分からないという態度でいなければおけない」これがカントの思想だ。

 

■ 不可知論(ふかちろん)
この、「人間は、この世界のことを完全に知ることなど出来ない」という「人は分かり得ない」という考えを、不可知論(ふかちろん)agnostics アグノスティクス と言う。すべてを疑う精神と言ってもいい。「物事(ものごと)を決めつけることは出来ない」と。

この「不可知(しりえない)」という態度こそは、カントを理解する上で、大事だ。私、副島隆彦は、このことに、40年かけて、ようやくたどり着いた。

 

■ 1700年代には理性と合理的精神が社会に醸成(じょうせい)されていた
すでにライプニッツ(1646-1716 71歳で死)の数学と、ニュートン(1842-1727 84歳で死)の物理学の本が出版されている。この2冊を若いカントは贈られて、彼らの本を熱心にずっと読んでいる。まあカントが数学や物理学をそんなにできたはずないのだが。


ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ【独: Gottfried Wilhelm Leibnizドイツの哲学者、数学者、博学者。ルネ・デカルトとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者。ニュートンとは独立して微積分法を発展させ、優れたライプニッツの記法を考案した。ライプニッツはラテン語(≈40%)、フランス語(≈35%)、ドイツ語(≈25%)で著作を行った。wiki から】


ニュートン【アイザック・ニュートン  Isaac Newton、はイングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者である。主な研究業績としては、現在「ニュートン力学」とも称される古典力学や微積分法の創始があげられる。物質にはたらく力として万有引力(ばんゆういんりょく 重力=じゅうりょく=)の考え方を提唱し、これは天文学を含む古典力学で長く中心の役割を果たした。wiki から】

 

副島隆彦です。カントはケーニヒスベルグ大学で教えながら、ずっと考え込んでいた。前に言ったように、もう1700年代には理性と合理的精神が社会に醸成(じょうせい)されている。世の中に満ち溢れていた。神と教会と、それから封建領主や国王の存在への批判も起きている。 だからもう「ひたすら神を信じよ」とか「教会の教えに服従せよ」と言われる時代ではない。それでも、みんな怖かった。神の世界というのを完全には否定できなかった。

本当は今でもそうだ。ヨーロッパ思想界というか、知識人たちまでも、今でも、皆、神と教会の坊主たちが怖い。

 

■ 1840年代に唯物論者(物質現実主義)が出現して、教会と激しい闘った
「神なんかいない。そんなもの要らないのだ」と言い切って戦いを始めた人たちは、西欧では、1840年代に出現した。これが、マターリアリスト materiarist 唯物論者(ゆいぶつろんじゃ)たちで、「物質現実主義」だ。

この「物質だけが存在する」は、カール・マルクスたちの社会主義 socalism ソウシアリズムの思想となって、世界中に広まっていった。 それは「労働者階級と貧困者たちを解放する闘い」としての政治運動、政治闘争となって行った。まさしく、1840年代から、ヨーロッパで、大きく沸き起こった政治思想だ。私、副島隆彦も、この系譜、系列に繋がる。

カール・マルクス wikiへ

この人たち以外で、「神と教会は、もう人類(人間)には 要らないのだ」という思想を書いたのが、ニーチェ(1844-1900 56歳で死)である。ここから後(あと)の人たちだ。この後の1800年代、ヨーロッパ知識人たちは、神=教会 との激しい闘いに入ってゆく。 私はニーチェについての本もすでに書いた。

フリードリヒ・ニーチェ wiki

アマゾンリンクへ 『ニーチェに学ぶ「奴隷をやめて反逆せよ! 」―まず知識・思想から』 : 副島 隆彦 ‎ 2017/6/17 

 

■ 人類にとって最大級に重要な、思想家デカルト
1638年にデカルトが出した『方法序説(ほうほうじょせつ)』の話を少しする。方法序説の原題は、Discours de la méthode 「 ディスクール・ド・ラ・メトード」(フランス語)だ。

メトードを「方法」とか訳すけど、そんな簡単なものではない。メトードというのは日本語のただの方法論などではない。このメトードというのは、「あらゆる学問の、その土台の学」という意味だ。ディスクールが序説(じょせつ)。これは説明、解説すると言う意味。だから『方法序説』というのは「あらゆる学問のその土台について説明する」という本だ。

『方法序説』

このことは、古代ギリシアのアリストテレスが、この世の学問全部を、カテゴリー これは、むずかしい「範疇(はんちゅう)というコトバに訳されたが、全学問を、10種類に、大きく分類(カテゴライズ)したとき。第3巻の物理学(ぶつりがく、フィジカ Physica 今のPhysics )の前に置いた、第2巻を、「メタフィジカ」とした。
これを、日本では、間違って、形而上学(けいじじょうがく)と訳した。これがまずかった。

形而(けいじ)とは、形のあるもので、物理現象のすべて の意味で、まさしく物理学だ。「その前(メタ)に置かれたもの」の意味で、第2巻を、「メタフィジカ」としたが、これは、真実は、本当は、物理学などのすべての学問の、その前提となる、その下(した、メタ)にある、土台となる学問、の意味だ。だから、このメタ meta- というのは、下だ、土台だ。
上、上の方 ではない。ここで、大間違いを、日本の翻訳はやった。メタフィジカは、だから、これも、「あらゆる学問の土台となる学問」の意味が正しい。このように、私、副島隆彦が、アリストテレス以来のヨーロッパの学問体系の日本語への変換、翻訳に対して、重要な、間違いの指摘をする。

〇参考YouTube おしえてソエジー 西洋学問の分類

副島隆彦です。デカルトが、「方法叙説」で何を主張したか。それは、

① 物質、物質世界。フランス語でmatièreマチエール、英語で matterマターという。それが存在する。ギリシャ語ではἀρχήアルケイ あるいは、hylēヒュレーとも言う。形あるもの、だ。 それに対してもう一つ、

② 人間の脳の中にある知能、知性、思考、考えるということ。これを spirit スピリットと言う。フランス語で l’esprite  ル・エスプリ、 レスプリだ。これが実は、霊魂(れいこん)でもある。知能、思考は、そのまま、霊魂である。この大発見は、私、副島隆彦のものである。日本人で、このことをはっきりと分かった者は、これまでにいない。

知能、思考は、目に見えないものだ。人間の頭の中に有るのだが、形がない。物質ではない。ドイツ語では、Geist ガイストという。

このガイストを、この100年間、日本では、精神(せいしん)と訳して来た。 そして、何と、このガイスト=精神は、上記の、スピリット、レスプリ、と全く同じものだ。
このことも、副島隆彦が、初めて明瞭に解明したことだ。私の、のちのちの業績となる。

デカルトは、① 物質と② 知能(思考)、すなわち物質と霊魂。この二つが有ると言った。この2つだけが、実在する、と断言した。だから、これ以外の、神などは要らない、もともと無かったのだ、と断言した。このことで、当時のフランスで、そしてヨーロッパ全体で、知識人たちの間で、大騒ぎとなった。なぜなら、このデカルトの断言に、ロ・カトリック教会(ヴァチカン)が、怒り狂ったからだ。 自分たちの神と自分たち自身を否定されたからだ。

だが、デカルトでも、フランスの 神学者でもある坊主(僧侶、司教)たちと論争することを嫌がった。デカルトは「私はあなたたち(神学者、教会のお坊様)と争うことはしない。論争をしたくない。あなたたちは、この世界の全ては神が支配していると言うに決まっているから。ただし私たちはもう、神とか教会とかがが嫌(いや)なんだ」と。そう言って、そう書いた。だからドカーンとヨーロッパの知識人と上級の民衆の支持を得た。そして、このことを書いたために、1652年に、招かれて行っていた、スウエーデンのストックホルムの王宮の中で、カトリック教会の神父に殺された。ヒ素で毒殺された。このデカルトの存在と主張が、人類にとって、最大級に重要だ。

 

■ それでも、「神なんかいないのだ」とハッキリ言えない
当時は、まさしく 1648年に成立した、大きな、ウエストファリア条約で、もう、カトリック教会が、北ヨーロッパの、フランスとオランダとドイツとイギリスを、もう軍事力(戦争)をもってでも、押さえつけることが出来なくなった時だ。

それでも、今でも、思想とか哲学を勉強するヨーロッパやアメリカの大学教授たちや知識人たちでさえ、一般の市民たちも、神と教会を、公然とは批判できないのだ。  このことを、私は徹底的に指摘しないといけない。
これだけ、唯物論者が多くて、かつ、 無神論者(むしんろんじゃ、神の存在を認めない。神なんかいない。a the ism エイ・シ・イズム、 この the シ、テ が、神 と言う意味)が、たくさんいて、おそらく、日本人の6割ぐらいは、素朴で単純な無神論者だと思う。それでも、今でも、世界中に、たくさんの宗教勢力がいる。

神学(しんがく)のことを、theology シオロジー、テオロジー と言う。 この the が、テ、シ、で神だ。神学というのは、「神の存在を証明する学問」という意味だ。 そして、「神なんな、いないと」と言い放つと、もう、頭から、神学の存在を否定することになる。 だから大喧嘩になる。だが、そんなことをいくらやってもどうにもならない、ということで勝手に世の中は進む。

だから、今でも、神や神学を完全には否定することができない、ことになっている。それをやるのはあ、ヨーロッパ人、アメリカ白人たちにとっては、恐ろしいことだ。このことを物事(ものごと zahhe ザッヘ)の大前提として、分からないといけない。 日本人が欧米に旅行で行って人々の前で、「私は無神論者(エイシイスト)です」と言うと、ギョッとされる。そんなことを人前(ひとまえ)でいうものではない、となる。

神学というのは神の存在を証明する学問だ。これは今もある。近代啓蒙主義(モダーン・エンライトンメント)の思想家たちは、これと闘わなきゃいけないから、大変なことだった。そして、それ(神はいないということ)は証明できない。なかなか出来ない。

 

■ フランス革命の人権宣言では、(神ではなく)摂理(プロヴィデンス)に誓った
そんな最中(さなか)に、1700年代の終わりに、フランス大革命(1789年から1804年)が、パリでドカーンと起きたので、大変なことになった。フランス大革命の勃発は、ヨーロッパ中に知れ渡った。もう大騒ぎなどと言うものではない。それまでの支配体制がひっくり返ったのだから。教会の神父たちも、断頭台で殺された。過酷税金取りの徴税請負人(タックス・コレクター)たちも、化学者のラボアジエのように死刑になった。そして、国王ルイ16世と、奥様のマリー・アントワネットも、1803年に、断頭台で処刑された。
このあと、革命派の貴族たちの内部が分裂して、殺し合いになった。革命の指導者のロベスピエールも翌年には、処刑された。これらのフランス動乱の時、カントは、65歳だ。

この動乱の革命の中で、フランス市民たちの中に、「理性に拠(よ)って人類は生きている。もうローマ・カトリックの言うことを聞かない。国王さえ要らない」という思想が沸き起こって、市民が暴れた。ヨーロッパ市民革命の頂点(ピーク)だ。それは、血なまぐさい殺し合いにもなった。

自分たちが、神を否定した後、いったい何(なに)をもって人類(人間)の世界が出来ているのか、実は証明できない。分からない。それで、次に、providence プロヴィデンス、摂理(せつり)という言葉を作った。
人間は、摂理に従って生きている、と。フランス革命宣言である「人権宣言」を読むと、「我々は、(神ではなく)摂理(プロヴィデンス)に誓って、この宣言をする」と書いてある。

フランス革命 人権宣言

 

■ カントの「認識論」を簡潔に言うと
理性と合理と摂理 の次に、重要なコトバとして、認識 perception パーセプション がある。この認識(にんしき)は、知覚(力、作用)、物の見方、理解(力)、分かるということ、とも訳される。そして、この認識(にんしき)は知覚(ちかく)として反応する。人間は、この認識、知覚によって、 value バリュー 価値というものを分かる。

episteme エピステーメーというのはギリシャ語で認識だ。 認識は、知識とか学問(英語では science、フランス語で、シャーンス、ラテン語で、スキエンザ)と言う意味でもある。このエピステーメー(認識)から Epistemology エピステモロジー、認識論というコトバになる。

カントが言ったのは以下の③つだ。

① 人間が物事を分かるというのはどういうことか。
② 人間は何を分かることができるのか。
ということを、カントは何十年も考えた。これがカントの「認識論」です。それと
③ 人間は何を成すべきか(どう生きるべきか)。

 

■ 「理性」に拠(よ)って、教会に対立したカント
だから、カントが、何をもって神や教会の対立思想にしたかというと、やっぱり、それが「理性」だ。理性は前に説明した Vernunft フェアヌンフト、英語でreason リーズンですね。フランス語で、reison だ。

カントはこう言った。「 Vernunft(理性)が人間の脳の中にあって、それが表に出る。この理性に基づいて、人間は行動する」と。大きく一言で言うと、カントはこの思想だけでできている。

だからデカルトとカントが近代思想家として頑張って、切実に大(だい)人気があったのは、この2人が、「神なんかいない」「神が人間をつくったのではない」「人間には理性や合理性がある」「理性は、目には見えないが、理性にも続く人間の思考がある(神が決めるのではない)」というデカルトやカントを、当時のヨーロッパ市民(商人などの裕福層)だけでなく裕福な百姓たちまでもが、深く尊敬した。

 

■「理性なんてどこにあるんだ。見せてみろ」という教会との闘いが、今も続く
デカルトやカントは近代啓蒙主義者と呼ばれる。啓蒙は enlightenment エンライトメント。これは light ライト(明かり、光)光を当てて、隠されているものを表に出す、ということだ。これを日本語で「啓蒙(けいもう)」と訳した。啓蒙というのは「蒙(もう)を開く」です。蒙(もう)は蔓草(つるくさ)。だから、「つる草で覆われた建物のつる草を切り払って、建物を表に出す」というコトバだ。もう1700年代には、理性を神の代わりに置く、近代合理主義の精神がヨーロッパの市民階級と知識人たちにものすごく大事にされていた。

そしてその周りの一般大衆も、「神様とか教会で、お祈りばっかりさせられるのはもう嫌だ」と、本当に不愉快だったんです。だから裕福な百姓や商人たちも、カントみたいな人を大変に尊敬した。この当時のヨーロッパの様子を、カント研究をやっている日本の学者たちが分かっていない。

副島隆彦は、もう少し言います。

 

(カント③につづく)

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