映画なんでも文章箱
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【41】日本最大のスクリーン静かに消える。
第一章 映画館の終わりの終わり
ひっそりと、日本最大のIMAX(70mmフィルム上映が、できる)スクリーン映画館(スペースワールド・ギャラクシーシアター)が、終わりを迎えた。
第二章 映画館の終わりの始まり
シドニーIMAXシアター 2019年
https://www.imax.com.au/
東池袋一丁目シネマコンプレックスプロジェクト2019年
IMAXシアターが、続々開館するとなると。映画館に行かずには折れないのではなかろうか。
最終章
70mmフィルムを上映(商用上映)する 日本の映画館は、できないと思う。タダでさえ日本のシネコンは、2K(ブルーレー画質)だからまず無い。最低でも4K(35mmフィルム画質)にしてほしい。コダック復活か?
Changes at IMAX Melbourne and the re-installation of the IMAX 1570 GT projector
https://www.youtube.com/watch?v=3uYhUOUHVfQ
【40】ELP
シン・ゴジラに続いてのレスです。相田さんとは趣味が合うみたいです。
そうですか、グレッグ・レイクもキース・エマーソンも死んだんですか。僕も大ファンだった
んで残念です。
僕は、高2まではビートルズ聞いてましたけど、高3~浪人の時はELPばっかり聞いてましたね。
ELPのLPは全部持ってます。後年、電化マイルスの方をよく聞くようになったけど、圧倒的に
よく聞いたのは、ELPでしたね。
展覧会の絵は、当時NHKでも放送されて格好良かった、3人とも。やっぱ僕はキースが一番好き
だったけど。
渋谷陽一さんも、今はそんなことやってるんですね。まあ今では化石のような活動っぽいです
が、彼も知的でちょっとすねてて格好良かったなあ。
※相田さん、本業の原発論文、非常に面白いです。いつも良く読んでます。特に、12月17日の
重掲の書き込みはすばらしかったと思います。是非続編をお願いいたします。
【39】グレッグ・レイクの死と私の青春の終わり
相田です。以下は映画の話では無いのですが、サブカル投稿のついでに今回に限り御容赦ください。
+++++++++++++++++++++++++++
グレッグ・レイクが死んだ。エマーソン・レイク&パーマー(ELP)というロックバンドが昔のイギリスにあり、そこでボーカルとベースをやってた人だ。音楽に興味がない方にはどうでも良いことだが、ELPは日本でも人気が高かった。72年位に当時の洋楽雑誌の代表だったミュージック・ライフの年間人気投票で、レッド・ツェッペリンを抑えて1位になったこともある。
ELPというバンドは、キーボード、ベース、ドラムの3人で、メイン楽器のギターがいないという変則的な編成だ。何でギターが無くてロックがやれるかというと、キーボードプレーヤーが、ロック史上No.1のテクニックを持つキース・エマーソンだからだ。彼は指が速いだけでは無く、オルガンの音を意図的に歪ませて「バリバリ」と弾くことで、エレキギターのリフよりも荒々しく分厚い音を鳴らしていた。
キースの凄さは音だけではなく、演奏中にオルガンを倒したり、上に乗ったり 、ナイフで刺して鍵盤を壊したりするという、過激なパフォーマンスも有名だった。ジミヘンやリッチー・ブラックモア(古い!!)がギターを壊すように、ステージでキーボードをバラバラにするのだ。エンターテイメントに徹する処もELPの魅力だった。
シンセサイザーを全面的に使い始めたのもキースだ。開発当初のシンセサイザーは、一つの部屋を丸々占領する馬鹿でかい実験装置だった。そのシンセサイザーをライブで使い始めたキースが、音を安定して出せるようにできないかと、発明者のムーグ博士に相談した処、シンセをステージで使うことなどあり得ないと、最初は相手にされなかったらしい。しかし、ELPのライブでキースの凄まじい演奏を見て感動したムーグ博士は、彼の全面的なアドバイザーとなり、シンセの能力が大きく向上したそうである。
ELPでのキースの狂気のキーボード・プレイに対して、優しく穏やかで、しかし力強い響きでバランスを取ったのが、グレッグ・レイクのボーカルだった。グレッグ・レイクはものすごく歌がうまい。彼の歌の上手さは、エルトン・ジョンと同等かそれ以上だと思う。グレッグは超名作として知られる、キング・クリムゾンのファースト・アルバムでもリード・ ボーカルを務めている。次の2枚目のアルバムの製作途中で、グレッグはクリムゾンを脱退してELPに加入するのだが、代わりのボーカルとして当時は無名のエルトン・ジョンが、候補に挙げられていたという。エルトン・ジョンがグレッグの代役だったのだ。凄い話である。
私が中学生の時に、最初に自分でお金を出して買ったレコード(LP)は、ELPの「展覧会の絵」だった。かのクラッシックの名組曲から数曲を選んで、間をアドリブ演奏で埋める単純な構成だが 、内容は凄まじい。何とライブ演奏であって、レコード化する際には後から音を全く加えていないという。
今、聴き返してみると「キエフの大門」でのグレッグの歌が凄い。あの有名すぎる旋律に歌詞を付けて歌うのだが、原曲の格調の高さにグレッグの歌は全く負けていない。何という歌声だろうか。比べて悪いが平原綾香の「ジュピター」とは、レベルの差が月とスッポンである。
私が買った時のLPレコードの値段は2500円で、中学生には結構な大金だったが、迷いは無かった。ちなみに私の家にはステレオセットが無く、姉が友達からダビングして来た、90分カセットテープの「展覧会の絵」を繰り返して聞くうちに、どうしてもレコードが欲しくなったのだ。(ちなみに裏面にダビングしていたのは、ピンク・フロイドの「狂気」だった)それで私は、買ってきたLPレコードのジャケットを眺めながら、カセットテープの録音を聴いて悦に耽っていたのだった。思い返せばアホであるが、それでも楽しかった。昔のLPレコードはジャケットも味があるんだよね。親に頼みこんで安いステレオセットを買ってもらったのは、1年以上後だった。
私の友達が、当時の最新のパイオニア製のステレオセット(私のやつの2倍以上高価なヤツ)を買っていたので、何回か「展覧会の絵」のLPを持って行ったことがある。ジャケットが綺麗なので、最初は期待した友達だったが、かかった演奏は暗く妖しい内容だったので、聴いた後は落ち込んでいた。もう持って来るなと友達に言われたものの、しつこく何回か持って行ったと思う。3年くらい経った後でその友達から、「実は自分でも 展覧会の絵 を買ってしまった」と聞いた時には笑ってしまった。何回か聴かされるうちに、友達もはまったのだった。
ちなみに、私の洋楽ロックの聴き方は、評論家の渋谷陽一の影響を強く受けている。私は今でも渋谷陽一のファンである。「ロックとは白人が黒人音楽を批評的に分解して作った音楽だ」と、日本で広めたのが渋谷陽一の最大の功績だ。ロッキング・オンを最初に読んだ中学生の時には、何のことかよくわからなかったが、音楽を聞くうちになるほどと思うようになった。宇多田ヒカルがデビューした時に私が直感で思ったのは、「女子高生にブラックミュージックを歌わせる」というコンセプトが新しいのだ、ということだが、これに気付いたのも渋谷の影響だ。今では宇多田もオバサンになってしまったが・・・・
今回のアメリカの大統領選挙の時には、マドンナやらスプリングスティーンやらレディ・ガガなどの、ポップスターのほとんどがヒラリーを応援したにもかかわらず、軒並み討ち死にしたのは大変可笑しかった。彼らは音楽のルーツに黒人音楽を持っているため、リベラルに傾き易いのだろうか。それに対して、テイラー・スウィフトというカントリー系の美人歌手だけは、ヒラリー支持を表明せず、政治的に中立を保ったため評価が上がった、そうである。カントリーは田舎で暮らす白人達に愛される音楽なので、ヒラリーを支持できなかったのだろう。私はテイラー・スウィフトの歌を未だに聴いたことがない(!!)が、写真で見ると確かに美人である。彼女は今のアメリカの女の子達のあこがれの的らしい。
渋谷陽一は、音楽や映画雑誌の出版以外に、政治を議論する「Sight」という雑誌を出版していることを、私が知ったのは最近である。雑誌の論者をながめると、古賀茂明、内田樹、飯田哲也、宮崎駿 などの反安部政権、反原発を訴えるバリバリの左派が並んでいる。渋谷陽一の政治主張が今の私の考えとは間逆であることに 、最初は複雑な心境だったが、私の渋谷に対する見方が変わることは無かった。音楽についてはいざ知らず、政治思想の理解に関しては、渋谷よりも私の方が遥かに上を行く自負がある。前にも書いたが、「覇権アメ」「日本永久占領」「歴史の終わり」を熟読した後では、ちまたに横行する左翼論者の主張など、アホらしくて聞いてられないレベルになってしまった。渋谷は上の3冊のどれも読んだことは無いだろう。
私は忌野清志郎の大ファンでもある。渋谷の今の活動は、清志郎の思いを受け継ぐことは明らかだ。原発推進論者の私が清志郎を聞くのはおかしいのだろうか、と今でも時々自問することがある。清志郎が死んだ時には私も凄く悲しかったが、その後の3.11の騒動に巻き込まれずに済んだことは、清志郎には幸いだったろうと思う。
渋谷陽一のELPの評価は「マジメさと娯楽性を追求しする素晴らしいバンドだ」と肯定的である。今年は先にキース・エマーソンも銃で自殺していたのだった。キースの自殺を知った時には、自分は特に何も感じることは無かった。多分、実感が湧かなかったのだと思うが、グレッグの死を知った今では、流石に切ない気持ちが湧いて来るのがわかる。ああ、もうELPは存在しないのだ。残ったカール・パーマーには悪いが、太鼓だけいてもしょうがないよな、それにもう、展覧会の絵 の時のような太鼓も叩けないだろう、と思う。ストーンズのチャーリー・ワッツはあれでもいいんだろうけどさ。
グレッグ・レイクの死によって、ELPが終わったこと、そして心の中に残っていた青春の欠けらが無くなったことに、自分が気付いたのは昨日だった。
相田英夫 拝
【38】実は今日でまだ2回目…
相田です。
しつこいですがシン・ゴジラです。
今日ようやくTOHOシネマズで観直すことができました。
偉そうなことばかり書いていますが、実は今日が2回目でした。
前に重掲で書いた自分のコメントが、あれでよかったのか少し不安だったのてですが、観終わった後の感想は最初時と全く変わらず、むしろ政治的メッセージが前回より強く感じられました。
何といっても2度目の今回の方が、前半の「蒲田くん」が暴れるシーンの恐怖感が増していました。あれは別に単なる特撮シーン過ぎないのですが、記憶の中にすり込まれた3.11の状況が重なってしまうため、「所詮作り物だ」と突き放して観ることがどうしてもできないのですね。制作者達の造った映像以外の「モノ」が、画面の裏側から強烈な圧力を観る者に与えるのを感じました。普通の映画は見直す度に、印象が薄くなって行くものですが、この映画だけは繰り返すと インパクトがより強烈なります。
なんか70年代のプログレッシブ・ロックの名盤を、初めて中学時代に聴いた時の印象が、イエスの「こわれもの」や、キング・クリムゾンのファースト・アルバムや、ELPの「展覧会の絵」なんかを、繰り返して聴いた時の感じが、観終わった後で久々に思い出されました。映像の裏にいろんな「モノ」が取り憑いているんですよね、この映画。
藤森先生が「君の名は」が仕掛ける「陰謀」についてブログで書かれていますが、僕も全く同感です。あのアニメ映画は、シン・ゴジラが発する毒々しい影響を中和するために、体制側が一大キャンペーンを打っているとしか思えません。今回わかったのは、小林よしのり氏が体制側を攻める振りをしつつも、シン・ゴジラのネガティヴ・キャンペーンに加担して、毒を打ち消す側で尽力していることです。
「ゴジラに政治的メッセージを加えることなど許さん」と怒りながらも、自分はこれまでにマンガを使って、政治主張をさんざん繰り広げて来たのではないのですかね?サブカルを散々政治主張に利用しながら、他人が同じことをやるとボロクソに貶すとは、いったいどういうことか?島本和彦 みたいに「俺より面白いモノ作るんじゃネエ!」と叫ぶ方が、まだ正直で許されると思える。単に自分の作品を越えた物が出て来てしまったので、焦っているのか、はたまた体制側の別働隊で毒消しに奔走しているかのどちらかでないのか?あの人は。
ちなみに場末の映画館ではあったが、今日も3/4以上の座席が埋まってたよ。怪しげなオタクリピーターなど誰もおらず、落ち着いた大人の客ばかりに見えたけどね。私は別かもしれんが・・・
相田英男 拝
【37】元ネタはウルトラマン
相田です。
中西さん、どうもです。
さて以下は、炎上必至でしょうが、小林よしのりのシン・ゴジラ評への私の反論です。
http://yoshinori-kobayashi.com/11382/
小林よしのりの「ゴジラは神の化身であり、生物として扱うなどもっての他だ」という批判については、自分にもわからないでもない。しかし、物心ついた時に観に行った「対ガイガン」の中で、ゴジラとアンギラスが吹き出しを使って会話するという衝撃的(笑劇的)な場面を見せられた、我々アラフィフ世代には、ゴジラが神格化した存在であるなどの認識は、ハナから頭の中にはないのだ。
ゴジラに怖さがあったのは、ザ・ピーナッツが歌を披露した「モスラ対ゴジラ」までで、それ以降は間の抜けた情け無い顔付きとなり、しょうもない怪獣達とプロレスを繰り広げるだけだったではないか。平成シリーズになって以降も、沢口靖子、釈由美子、阿部寛、といった錚々たる役者達が主演するも、次々と討死にする情け無い内容だったろう。(金子修介監督のやつは見ていないが、「平成ガメラ」と同じレベルならば、これだけはまともな怪獣映画なのだろう)
そんな中で登場した「シン・ゴジラ」は、映画としてもう十分すぎるレベルの内容ではないか。これに文句をつけるならば、今迄のは一体何だ、ということになる。シン・ゴジラを海外上映しても受けないだろう、とはいうが、それならば「メカゴジラの逆襲」をグローバル展開したら(してたら)、大ヒットしたりするのかね?
オタクが集まって盛り上がってるだけに見えるかもしれない。確かに映画の中には、サービスのためのオタクネタは多々入れてあるものの(ゴジラが「イデオン」の技を使うみたいに)、一番の核心は、「属国日本がアメリカからの独立するための処方箋」について、分かり易く解説している処にあるのは、明らかではないのか?
「反米」では無くて「属国らの脱却」が本当のテーマではないのか。
「こうやれば日本がアメリカから独立できますよ」、なんて映画を外国に持ってっても、別に誰も見たくないよね。 ノンポリの日本人は絶対に見るべきであっても。
さて、ネットを見て知ったのだが、ゴジラに熱核兵器を使うという今回の展開は、この映画のオリジナルでは無くて、「帰ってきたウルトラマン」の序盤のハイライトだった、グドンとツインテールの話に由来するそうである。私はリアルタイムに近い時にあれをテレビで観ており、ストーリーを空で辿ることが出来る。
2大怪獣の挟み討ちによりウルトラマンが敗北したため、東京は壊滅的な被害を受けてしまう。怪獣を殲滅する最後の手段として、小型水爆と同じ威力を持つスパイナーと呼ばれる強力爆薬の使用が決定されるが、東京が廃墟と化すことも必然となる。MAT(怪獣攻撃隊)はスパイナー使用前に、怪獣の弱点への至近距離からの攻撃を主張し、火器を携帯したMAT隊員達がJEEPに乗って怪獣へ接近して攻撃を試みる、という話だった。
振り返るとこれは、シン・ゴジラの終盤の展開とそっくりではないか?! 核攻撃を指示するのが、日本政府上層部か、アメリカ(国連軍)かどうかの違いでしかない。
ウルトラマンのこの回のシナリオを書いたのは、上原正三さんという沖縄出身の脚本家だった。大平戦争で故郷を焼かれた上原氏は、その怒りと怨みをぶつけるために、ウルトラマンの中で怪獣達に東京を何度も蹂躙させた、という話を読んだことがある。
40年の時間を経ることで、戦争で故郷を焼かれた怒りが、属国からの独立を目指す決意として、受け継がれていったということだろうか?シン・ゴジラはオタクの内向きの盛り上がりだけの映画ではないよ。
相田英男 拝
【36】Re: またもやシン・ゴジラ
皆さん
相田さん
昨日、4回目見ましたよ、シン・ゴジラ。藤森先生よりは少ないです。
なんで4回も見るのか?
尾頭さんをまた見たいからという訳ではない。(少しはあるが)
この映画、メッセージ性で見たい訳ではなく、見ると脳が凝縮されるような感覚になるんで
見たいようだ。
俳優たちがアップで次々と変わって早口でしゃべりまくる。しかもあの長い肩書の字幕付き。
あのセリフと字を同時に一生懸命頭に入れようとしている感覚が、本当に脳が凝縮されている
みたいなのだ。(副島先生の本を読んだ時にそういう感じになったことがある)
ついてこれない奴はついてこなくてよい、という潔い感じが非常に良い。
すみません、藤森先生と同じようなコメントで。
そろそろ上映している映画館も減ってきているみたいなので、見てない人は是非。
【35】またもやシン・ゴジラ
相田です。
見つけましたよ、中西さん。
コメント頂きありたいです。
TOHOシネマズでは、まだやってるんですよね、シン・ゴジラ。
ここのみなさん、あまり見てないのかな?来るものありますよね、あの映画。
石破茂や田原総一郎までコメントし出したシン・ゴジラですが、評価の内容が見た人の踏み絵みたいになってるのが可笑しいですよね。怪獣映画なのにさ(なんてね)
結局あれの一番のキモは後半部のストーリーで、危機に陥った属国日本 に対して、宗主国のアメリカ様は迷うこと無く原爆を落として、東京を焼き尽くそうとする。それに対して属国(植民地)の原住人達が、無い知恵を振り絞って自分達の国土を守ろうとする。その駆け引きと、宗主国様を出し抜く過程を寓話として描いてる処ですよね。
こんな話をよくも入れ込めたもんだと。
小林よしのりは、体制側がこの映画を政治利用してるとか批判してるけど、「どうぞ、バンバンやって下さい」だよね。心配御無用だって。ハッキシ言ってゴジラなんか別にどうでもいいんだよね、実の処は。日本がアメリカ様から自立する方法を子供達に分かり易く説明するのが、この映画の本当の狙いなんだから。自衛隊がやたらと活躍するのも、本当の狙いをゴマかすための煙幕にしかすぎない。わかっとるんかね、アホ左翼達よ。
とはいえ、監督は別に、政治的主張を狙って入れた訳じゃないんだろうなあ。映像作家としてゴジラを追求したら、結果としてこんなになっちゃったんだよね、多分。それも凄い話だけど・・・。
この映画の続編はもういいよ。次は単なるゴジラが出るだけの映画になっちゃうもん。こんな突き詰めたストーリーは、2度はないよ。
相田英男 拝
【34】シン・ゴジラだよ
重掲には書きずらかったんでこっちに書きます。相田さん見つけてくれるかなあ。
いやあ、シン・ゴジラ見ましたよ。昨日二回目。
必要なことはすべて重掲の相田さんが言ってくれるんでそっちを見てください。
二回目行った理由は、まあ見た人はわかると思うけど、情報量が多くて一回目には
画面で圧倒されるんでセリフが全部理解できなかったから。
さすがに二回目は言葉の意味がよくわかったね、
とにかくこの映画は必見。僕も藤森先生みたいに三回目以降もありそう。
<外国(彼の国他)にはぐずぐずしながら頭下げたりしたふりしながら、日本の国
は僕らが守るんだ>
【33】「24リブ・アナザー・デイ 」
ドラマの設定について
「世界中に無人機が飛び回っている」
「大統領が、アルツハイマーで頭を手術している。副大統領が主任する可能性」
「今、話題のプロポフォール(麻酔薬)が出てくる」
「容疑者への尋問(もう、薬物でどうのこうのは、終演か)」
8:00pm-9:00pm 26分42秒~28分36秒
【32】まさに「 」と言っていかんのか
映画「渇き。」2014年
この映画は、精神薬や麻薬が、脳に作用する様子をカットバックの手法を使って痛みからの解放やら悩みの解放を劇中に延々映し出している。
薬物(何も知らずに服用して半殺し状態にある人たち)の入り口から出口までを描いている。
薬=愛だとしたら簡単にやめられないだろう。(今、はやりの薬の擬人化ですね。)
最後どうなるか「わ・かっ・た・な。」(DVD『2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている』1時間31分8秒)ということか
デヴィ夫人「ちんぷんかんぷんな映画」でもちゃんとわかっていた。
http://youtu.be/sI_w3f0Ewng