ふじむら掲示板
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【13】つくばだより、その2
3月11日午後4時頃、私は自家用車で茨城県つくば市の職場から退避した。
工場には既に毒ガスが充満していた。臨時社員の私は何の役にも立たないばかりか、足手まといになる。年下の課長から、おまえは帰りたければ帰れと言われた。お言葉に甘えて帰ることにしたのだ。
主要道路は渋滞していると推測し、私は脇道を行くことにした。
長高野(おさこうや)、篠崎(しのざき)、沼崎(ぬまざき)、酒丸(さけまる)といった名の、昔ながらの農村集落の間の、生活道路や農道をジグザグに辿りながら、私は南下して行った。
所どころでブロック塀や大谷石の塀が崩落していた。屋根瓦が剥落している家屋もあった。地震で破壊された建築物にどのような共通性・法則性があるのか、私には分からなかった。路上のそちこちで村民たち(その多くは高齢者であった)が立ち話をしていた。車で脇をすり抜けたら、みな一様に、私のことをうさん臭そうな目で見る。
そのうち、私はあることに気がついた。崩れた塀はずいぶん見かけたが、それが通行の支障になるようなことは、ただの一度もなかったのである。
崩れたブロック、崩れた大谷石は、よく見ると、みな道路脇に行儀良く整列していた。あの大地震で、塀のブロックや大谷石が、こんなサーカスみたいに器用な着地をご披露するものだろうか。
おそらくは地震発生から数時間以内に、誰かが路上から崩れたブロックや大谷石を取り除けたのだ。一体どの誰が、一体どうやって、これだけの大仕事を鮮やかにやってのけたのだろうか。
私はつくばの農村の底力を知った。一見、何もない田舎のように見えたが、つくばの農村は、決していわゆる「限界集落」(注)ではなかったのである。この一年半、あちこちブラブラ見て回ったつもりでいたが、私はつくばがどういう土地なのか、全く分かっていなかったのだと思う。(以 上)
(注)「限界集落」とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。(ウィキペディアより)
【12】つくばだより、その3
3月11日午後5時半頃、私は車で自宅(茨城県つくば市)最寄のコンビニに向った。
自分も含めて、道行く車の運転マナーが、総じていつもより荒い。途中で事故車に出会う頻度も高かった。矢張り、みな気が立っていたのだ。
その日その時刻のコンビニには、まだ弁当やパスタが棚に半分くらい残っていた。それらのいくつかを良く見もせずに掴み取り、私はレジに向う列に並んだ。
そのまましばらくして気がついた。その店にはレジが二つあった。私が付いた列は既に店内を横断するほど伸びていたが、もう片方のレジには客が一人もいなかった。空いたレジの後ろにはちゃんと店員が居たが、こういう場合のマニュアル・トーク、「二番目のお客様、こちらのレジにどうぞ」を言おうともせず、電信柱のように立ったままだった。
私も含めて、みな呆然自失していたのである。
店を出がけに雑誌コーナーに視線を飛ばしたら、若い学生風の男がエロ週刊誌を立ち読みしていた。
近来稀な剛の者である。
誰もが平等に被災したものと思っていたが、それでも矢張り、受け止め方・感じ方は人さまざまなのだと知った。(以 上)
【11】つくばだより、その4
震災四日目(3/14)の晩、父(元電気技師。専門は制御屋)に電話し、原発事故の傾向と対策について、その見解を問うた。父いわく、
「実はさきほど、原発屋だった元同僚とも電話でディスカッションしたのだが、今公開されている限りの情報では、『この患者は死ぬだろう』とも『助かるだろう』とも言いかねる。」
父は「国産技術の振興」なる会社のスローガンを素朴に信じ、バカ正直に働き、そこそこ出世して終わった男である。それでも退職後は割と好き勝手なことをほざくようになったが、その思いは複雑だろう。「分かりません」が答えとは、父にしてみれば技術者としてギリギリの良心なのかもしれない。
「3月15日午前10時22分、福島第一原発3号機付近のモニタリングポストで毎時400ミリ・シーベルトの放射線量が測定された」との対外発表あり。
震災五日目(3/15)の夕刻、計画停電に伴う電車運休で、つくば駅のシャッターは閉ざされていた。
そのシャッターの前には、運転再開2時間前から長い行列ができていた。みなキャリーバッグをゴロゴロと重たそうに引き摺っている。学生風の集団は体育会の合宿か。それにしては会話が少ない。あのキザなインテリ風オヤジは学会帰りか。それにしては表情が暗く、高揚した所が微塵も感じられない。
家に帰って、あれは何だったのだろうと女房に問うたら、アンタはそんな目端の利かないことだから、出世競争からオチコボレたのだと嫌味を言われた。
震災は、今日から新しい段階が始まった。(以 上)
【10】福島第一原発の放射能漏れ事故――米空母も逃げ出すほどの事故である
岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。
「重掲」の方でも記事が載っていましたが、日本語の情報でも朝日(以下のURLのリンク先を参照)が、救援活動に来ていた空母を含む米艦隊が放射性物質を避けるため逃げ出した旨の記事が出ていました。
米軍の「トモダチ作戦」苦戦 原発事故で一時退避も
http://www.asahi.com/international/update/0314/TKY201103140372.html
この事実を政治的にみると、「日米同盟の再出発」という話が1月にあった(以下のURLのリンク先を参照)はずだが、再出発の結果がこれということである。米国にとって、日本は命を晒して助けるほどの「トモダチ」ではないということがわかる。
「日米同盟の再出発」掲げる 菅首相が外交演説
http://www.asahi.com/politics/update/0120/TKY201101200518.html
他方、どの程度の放射能雲に遭遇したのか数値が出ていないが、米軍さえ逃げ出さないといけないほどの放射能があったという事実は大変重い。
原子力というものが危険なものであると改めて認識せざるを得ない。今からでは手遅れかもしれないが、脱原子力ということを真剣に考える必要がある。
岡山 拝
【9】尖閣ビデオ流出事件(元海上保安庁職員が、特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られていた可能性は依然として残る)
国家公務員をしている岡山アキラ(会員番号1603、筆名。筆名で記述している理由については[18]の最後の(お断り)をご覧ください。)です。(以下、である調で記述します。)
1 最近の大きな動き
この事件を起こした元海上保安庁職員「一色正春」氏(以下、一色氏という。)についてであるが、先日、日本外国特派員協会において記者会見等(以下、記者会見という。)をするとともに著書「何かのために sengoku38の告白」を出版した(以下のURLを参照)。
元海上保安官、一色正春氏講演その1 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=enbk7z8xJlQ&feature=fvwkrel
元海上保安官、一色正春氏講演その2 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=RTvAmJQNyQM&feature=related
元海上保安官、一色正春氏講演その3 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=6XWLmVAC4N4&feature=related
何かのために sengoku38の告白 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/何かのために-sengoku38の告白-一色正春/dp/4023309206
2 一色氏に対する私の認識・疑問
一色氏に対する私の考えや疑問は[16]に記載したとおり
①「何故、石垣や那覇で取り扱われていた動画が神戸で流出するのか、「義憤に駆られた」ならば何故、非公開の決定直後ではなく、このタイミングで流出させたか」、つまり中国のトップ来日直前というタイミングで流出させたか
②「○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られている」のではないか、「(流出を自らの上司等に告白する)数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしている」のは何故かということである。
3 記者会見及び著書等からわかったこと
本事件が発生してからすでに数カ月も経っており、嘘をついたり、触れられたくない話題を避けたりすることはやろう思えば簡単なので、記者会見や一色氏の著書の内容自体よりも何を語っていないかあるいは欺瞞の有無を重視して見た。
上記2①については、一色氏の著書から関係の日時を抽出すると以下のとおりであり、この時系列を一見する限りでは、流出時期させた時期が偶然、「中国のトップ来日直前というタイミング」に一致してしまった可能性はある。
「10月18日に一部の国会議員に限定して公開されるという報道を目にしたときには、私は絶望感に襲われた。」(何かのために sengoku38の告白106頁)
「10月23日にC社東京支局に動画データを郵送」(前掲書118頁、C社とは、http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010112500121 によるとCNNである。)
「11月4日、実行」(前掲書123頁)
しかし、そもそも、何故、神戸という尖閣諸島とまったく関係ない居場所にいた一色氏が職を賭してまでこのビデオを流出させなくてならないほど「義憤に駆られた」かについて述べられていない。
記者会見や一色氏の著書では動機について色々述べているが、いずれの動機も、場所からいうと石垣や那覇といった尖閣諸島、そして中国に近い場所にいる海上保安庁関係者、あるいは、主な政治家が常におり、責任が重く、重圧に晒される東京にいる海上保安庁関係者の方がより強く持っていると考える方が自然である。
よって、一色氏には、石垣、那覇、東京の関係者以上の尖閣ビデオを流出するに決意するほどまでに尖閣諸島への強い思い入れ、あるいは中国への強い嫌悪感があったということになる。
ではどちらの思いが強いかというと、後者であろうと言える。というのは、すでに次の阿修羅の掲示板に掲載されている記事
sengoku38の妻は韓国籍で妻の親はアメリカ人という情報。
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/753.html
及びこの記事のリンク先の記事のとおり、上記2②の私の考えが正しいように思える家庭事情、つまり奥さんが韓国人、奥さんの両親が韓国系米国人という事情があるからである。
尖閣諸島への思い入れがあるとするのならば、すでに韓国に占領されている竹島については、いったいどういう思いがあるのかという疑問が生じるわけだが、奥さんが韓国人だということを考えると、あまりそのことに触れることができないことは理解できる。さらに言うと、その鬱憤が中国へ向いている、あるいは、その他の明らかにされていない中国嫌いの特別な理由がある、例えば、奥さんも実は一緒に常日頃から中国非難をしている等、ということも考えられる。
このように一色氏のこの家庭事情は、この事件の重要な点の一つである。よって、彼の家族関係の情報に注目したが、とりあえず、著書において奥さんが韓国人であることを自ら説明している、そして彼が、奥さんや家族を大切にしているということ、もっと突っ込んで言えば、韓国シンパ、奥さんの両親とも仲がよければ、米国シンパとならざるを得ないということがわかった。
この件については、フリー記者の上杉隆氏も阿修羅の記事等を読んでいるようで、上に掲載した「元海上保安官、一色正春氏講演その2 Senkaku Japan」で家族のことについて聞いている場面が最初の方に映っている。やりとりの内容は、おそらく事前にこの質問が出ると踏んだか、あるいは、検察、警察の取り調べの過程で何度も聞かれていたせいかどうだかわからないが、笑いを誘うように子供とポケットモンスターの話題にうまく話を逸らしていた。
一方、産経が本会見を文字起こしをした記事(以下のリンク先を参照、このリンク先を含め13頁に渡る)には、このやりとりはまったく文字起こしされておらず、産経はこの話題に触れられてほしくないのだということが分かる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110214/crm11021412530009-n1.htm
逆に、一色氏があまり語っていないことは、二つある。一つは上記2②でも述べているとおり、数ある日本のメディアの中で「(流出を自らの上司等に告白する)数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしている」のは何故かということである。
「○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られている」かどうかは自ら語るわけがないのでともかくとして、この記者については、前掲書138及び139頁に登場するが、彼との接触経緯、時期等がまったく述べられておらず、これらが一色氏にとって触れられたくないポイントの一つなのであろうことがわかる。
もう一つは、竹島の件である。阿修羅の記事の各種リンク先の記事によると一色氏は、自らが韓国語を解するほどであり奥さんも韓国人なのであるから尖閣諸島の事情よりも韓国方面、とりわけ竹島の事情の方がよほど詳しいはずなのである。
動画の方には竹島への言及はなく、著書の方は74頁及び82頁に数行しか書いていない。おまけに竹島ではなく「独島(日本名・竹島)」などと書いている。尖閣諸島を日本名で記述しているのに竹島の方は、韓国名をメインにして竹島という名前を注記で記載しているというのはダブルスタンダードもいいところである。このような記述の仕方から奥さんとその母国である韓国に相当配慮していることがわかる。
4 結論(一色氏が、特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られていた可能性は依然として残る)
上記3で述べた通り、一色氏について、
①一色氏には尖閣ビデオを外部流出させた動機はあるが、明らかにされた本人の動機のみでは場所的、責任の観点から、石垣、那覇、東京にいる関係者より強いとは言えず、明らかにされていない中国への強い嫌悪感等、他の動機がある可能性が高い
②数ある日本のメディアの中で尖閣ビデオ流出前から読売テレビに接触した経緯、時期が不明
③一色氏は、韓国人の奥さんを大切にしており、その大切にしているレベルは、一色氏本人は、日本人であり尖閣諸島を神戸にいながら心配するほどの日本の領土保全に関心を持っているほどにもかかわらず、韓国語を解することから尖閣諸島よりも事情をよく知っているはずの竹島のことを「独島(日本名・竹島)」と韓国に配慮した記述をしてしまうほど
ということが分かった。
すなわち、上記②のとおり重大な事柄について不明な点がある、また、上記①③のとおり、奇妙と思える点が浮かび上がって来たということから、一色氏は、何かを隠している、あるいは重要な記憶が欠落している可能性も否定できないと言える。よって、特殊な団体の構成員である、あるいは、奥さんや奥さんの両親等を通じてそのような団体に操られていた可能性も依然として残る。
岡山拝
【8】現在の政治状況の中国は尖閣諸島をいつでも実効支配可能である
国家公務員をしている岡山アキラ(会員番号1603、筆名。筆名で記述している理由については最後の(お断り)をご覧ください。)です。
尖閣諸島沖漁船衝突事件及び尖閣ビデオ流出事件の方は、最近、大きい進展がないようです。
そこで、タイトルとおり「現在の政治状況の中国は尖閣諸島をいつでも実効支配可能である」ということを少し書いて、尖閣諸島関係の話をひとまず終わりにしたいと思います。
それでは以下、タイトルについて、「である」調で述べます。
[12]以降の私の一連の投稿で、主に日本の右翼の人達(例えば http://www.nipponkaigi.org/activity/archives/1589 のようなサイトに集う人達)が心配していると思われる「尖閣諸島自体について、今後も日本は実効支配し続けることができるか否か」ということについて私は一言も書いていなかった。
それは、明白だからである。
つまり、タイトルとおり「現在の政治状況の中国は尖閣諸島をいつでも実効支配可能である」からだ。
中国国内法からいうと、尖閣諸島は1992年に制定された中国の領海及び接続水域法第2条には以下のとおり中国の陸地領土には尖閣諸島最大の島である魚釣島(中国名「釣魚島」)を含むものとすでに規定されており、同法に基づき、中国人は、魚釣島を中国の領土と見なすことができる。
中国の領海及び接続水域法第2条
(前略)
中華人民共和国の陸地領土には中華人民共和国及びその沿海の島嶼、台湾及び釣魚島を含む付属の各島、澎湖列島、東沙群島、西沙群島、中沙群島、南沙群島並びにその他一切の中華人民共和国に属している島嶼を含むものとする。
(後略)
(岡山の仮訳)
(参照URL: http://law.law-star.com/showtxt?
multiSearch=&dbsType=chl/lar/iel/scs/hnt/eag/cas&dbsText=&isopen=1&keywords=&dbn=chl&fn=chl027s054.txt&file=&upd=1 )
そして、中国は共産党の一党独裁国家である。
したがって、すでに中国国内法上自国の領土となっている土地へ、中国共産党・・・その一部の者は、子息、お金等の理由で米国影響下にあるだろう・・・が望めば、その土地が隣国支配下にあろうがどうか関係なしに、その軍あるいは中国共産党がコントロールしている人間を、基本的にはいつでも進ませることができるのであり、実質的にその邪魔をする者は、中国人にはいない。
もっとも、その状態を中国が維持できるかは別問題である。
日本政府が普通の国の政府のように、例えば、1982年イギリスが自国領のフォークランド諸島に上陸したアルゼンチン軍を、軍で排除したように、中国軍を派遣したならば、自衛隊を出して、尖閣諸島に上陸した彼らを排除してしまうかもしれない。
民間人を派遣したならば、2004年に尖閣諸島に上陸した香港人等への対応と同様に、日本政府職員が彼らを逮捕、排除してしまうかもしれない。
そしてそれをやった後の日本を含む他国との関係、とりわけ日本のみならず米国とも戦争状態になってしまうかもしれない・・・・。
こうした中国の国外的要素があるので、実際は、これらと国内的要素を比較考量して、尖閣諸島の実効支配を試みることが中国共産党(中国国民ではない)に利すると中国共産党が判断したとき、中国はそれを行うことになるだろう。
実際、以下のウェブサイトに記載されているように1978年に一度試みられている。
中国の武装海上民兵は過去に尖閣諸島に来ている・その1
http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/670/
中国の武装海上民兵は過去に尖閣諸島に来ている・その2
http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/671/
中国の武装海上民兵は過去に尖閣諸島に来ている・その3
http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/672/
ところで、1978年のころのように数百隻の中国漁船が尖閣諸島にやってきて、領海侵入して操業するというのは、[12]の5.で述べたように、現在では、恒例になっているようである。
よって、もしこの先、中国が尖閣諸島の実効支配を試みるとしたらその第一段階は、1978年と同様の手法で中国漁船が日本の巡視船を脅しすことから始まるだろう。
そして、巡視船がまごついている内に、領海侵犯した数十隻の中国漁船から武器を持った「民間人」である中国漁船員が尖閣諸島に上陸するというようになるのではないだろうか。ちなみに韓国が竹島を奪取、不法占拠した際も、以下のウィキペディアの頁に記載されているとおり、韓国の「民間人4人」を含む義勇隊がそれを行っているのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/独島義勇守備隊
(お断り)
本来は、副島先生のいうとおり実名で文章を発表するべきでしょう。しかし、やはり副島先生が「ぼやき」で述べている事情のとおりで、左遷にはなりたくないので、公務員でいる間は、学問道場には、筆名で投稿させていただきたいと思います(とはいえ、私が本投稿等インターネット上において記述している文章の内容は、すべてネットからの引用等で国家公務員法でいう秘密はないので法律上はまったく問題ないはずです。)。
実名投稿でなければならないということであれば本投稿を削除して頂いて結構です。
【7】尖閣ビデオ流出事件は平成の五・一五事件である
国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。
私が、[12][15]及び[16]に投稿しているいわゆる「尖閣ビデオ流出問題の件であるが、以下の記事のとおり、自民党の谷垣氏が二・二六事件を引き合いに出し映像を流出させた海保職員を批判した。
(記事は、リンク先を参照。特に引用する必要がなければ、以下、記事のタイトル及びリンク先のみ記す。)
「二・二六も命令無視」映像流出保安官を自民・谷垣氏が批判
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101114/stt1011141824004-n1.htm
しかし、この事件は、世相や事件の状況等からすると、二・二六事件よりもむしろ以下のとおり元外務省職員の佐藤勝氏が本件の論評で取り上げている五・一五事件に似ており、平成の五・一五事件というべきものだと考える。
(はりつけはじめ)
(前略)
「力の省庁」に属する官僚の下剋上について、われわれは苦い経験をもっている。1932年5月15日、政界と財界の腐敗に義憤を感じた海軍と陸軍の青年将校が決起し、犬養毅首相らを殺害した。「方法はよくないが、動機は正しい」と五・一五事件の犯人たちへの同情論が世論でわき起こり、公判には多くの除名嘆願書が届けられた。本来、死刑もしくは無期禁錮が言い渡されるべき事件であったにもかかわらず、裁判所は世論に流され、被告人に対して温情判決を言い渡し、五・一五事件の首謀者、実行犯は数年で娑婆にでてくることになった。この様子を見た陸軍青年将校がクーデターを起こしても世論に支持されればたいしたことにはならないという見通しで、1936年2月26日に1400名の下士官・兵士を動員しクーデターを起こした。二・二六事件は、昭和天皇の逆鱗に触れ、徹底的に鎮圧された。しかし、二・二六事件後、政治家、財界人、
論壇人などは軍事官僚の威力に怯えるようになり、日本は破滅への道を歩んでいくことになった。
(中略)
マスメディアは、国家の秘密情報を公開した者を徹底的に批判することができない。合法、非合法を問わず、このようなリーク情報なくしてマスメディアが生きていくことはできないからだ。それだから、マスメディア関係者には保安官を擁護しようとする集合的無意識が働く。これが国民の判断を誤らせる。
(以下略)
(はりつけおわり)
(はりつけ元)
【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ
http://news.livedoor.com/article/detail/5140247/
この佐藤優氏の評論はすぐれており、必読である。
日本政府が、本件の対応を誤ると、次は、「平成の二・二六事件」が発生するであろう。そして最悪は、「平成の日中戦争」の勃発や日本が「第三次大戦」に巻き込まれるなどということもあり得る。
これらを回避するためには、本件について、五・一五事件において日本政府がとった対応とは逆の対応を取ることが必要である。
すなわち、映像を流出させた海保職員が、法に則った範囲内の最高刑を受けることになるよう捜査当局・検察当局は世論にかかわらず努力することである。
また、海上保安庁は、世論にかかわらず内規上処分し得るもっとも重い処分を同職員に下すべきである。
また、このような政府を揺るがす事件が発生した時、どさくさまぎれに法令の改悪が行われることがあるが、今回も管・仙石政権は、以下のゲンダイの記事がとりあげてているように機密漏洩の罰則強化を打ち出している。
いよいよ表に出てきた仙谷長官「超危険思想」
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000130262/1.htm
機密漏洩の罰則強化自体は、別に悪いことではないが、何を「機密」にするかが問題だ。
この記事を読むと、管・仙石政権は、例えば、以前あったイージス艦の機密漏洩事件、あるいは最近の警視庁公安部の資料流出事件等の機密漏洩事件の際の本当に機密にすべきものの漏洩の阻止だけなく、尖閣ビデオのような「政府に都合が悪い物も機密に指定」しその漏洩を阻止することを意図しているということがわかる。
これでは、機密漏洩の罰則強化の名を借りた言論統制強化である。
まだ、提言程度の段階であるから実質の動きはこれからであろうが、今後、報道の自由や言論の自由を含む概念である憲法第21条で言うところの表現の自由を守る上で、この「機密漏洩の罰則強化」の内容を今後もしっかり注目していく必要があるのは間違いない。
岡山 拝
【6】いわゆる尖閣ビデオを流出させたと思われる海保職員が名乗り出たこと
国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。
本日の朝に投稿した以下の[15]の2の方の件であるが、以下の記事のとおり、本日現在までに、流出させた海保職員が名乗り出て、事情聴取を受けているところまで事態が進展したようである。
ニュースの話題で様子急変=船長が声、関与認める―巡視艇内で海保職員
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-101110X059.html
動画投稿の海上保安官は確信犯 テレビ局に「うやむやになってはいけない」
http://www.j-cast.com/2010/11/10080499.html?p=1
これらの記事を読む限り、この海保職員は、結局、「義憤に駆られた」ので、私が[15]で投稿した言葉で言い換えると、「個人的動機」で動画を流出させたようである。
まだ、何故、石垣や那覇で取り扱われていた動画が神戸で流出するのか、あるいは、「義憤に駆られた」ならば何故、非公開の決定直後ではなく、このタイミングで流出させたか等について、謎が残るが、これらが解ければ、下の投稿([15])の2の方の私の予想がはずれたことが濃厚となる。
濃厚と書いて断定しないのは、この海保職員が、例えば、○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られているという可能性も0ではないからだ。
というのは、以下のように数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしているという記事が出ているからである。
(はりつけはじめ)
「流出」告白の海保職員に、読売テレビが独自取材
日本テレビは10日夕のニュース番組で、映像を流出させたと神戸海上保安部に申し出た男性保安官(43)に、系列局の読売テレビ(大阪市)の記者が事前に取材していたと報じた。
記者が番組で語ったところによると、取材は数日前で、神戸市内で約2時間面会したという。
(中略)
一方で、保安官に接触するまでの経緯について、記者は「映像を投稿した人物がいるという情報がある筋からもたらされ、調整を重ねた」と説明した。
(はりつけ終わり)
http://www.asahi.com/national/update/1110/OSK201011100083.html?ref=goo
『記者は「映像を投稿した人物がいるという情報がある筋からもたらされ、調整を重ねた」と説明した。』の部分の「ある筋」とは誰なのか気になるところである。
つまり、「ある筋」とはなんらかな特殊な団体ではないかということである。そうすると、例えば、警察や検察の取り調べに対して、この海保職員がこのような特殊な団体の構成員等であれば、一部の事柄について嘘を話す可能性があるわけだが、事実とその一部嘘の供述に齟齬がなければ、本人がどのような団体の構成員等かまで特に問題となるはずがなく、このことについて捜査当局がしっかり調べると思えない。
岡山 拝
【5】尖閣諸島沖漁船衝突事件の動画流出についての考察
国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。
二つ下の投稿(「12」)の件、つまり尖閣諸島沖漁船衝突事件に関し、当該事件の状況を撮影したという動画がyou tubeにup loadされ(流出し)、新たな展開を見せてきたことから、引き続きこの件の大マスコミの報道姿勢及びこの時期に動画が流出したこと等についての考察について投稿します。
筆名で書いている理由は、二つ下の投稿をご覧ください。
(以後、である調で記述します。)
1 流出したビデオについての大マスコミの報道姿勢
二つ下(「12」)で投稿した件、つまり尖閣諸島沖漁船衝突事件の衝突時の模様等を写した動画約44分が11月4日、you tubeに流出したことについて、管・仙石政権は、以下の記事記載のとおり、例によって人のせいにすること、つまり、動画の中身ではなく、誰が流出させたかの方を大問題にした。
(貼り付けはじめ)
(前略)
沖縄県・尖閣諸島海域で起きた衝突シーンの映像を見ると、海上保安庁の巡視船「よなくに」と衝突した中国漁船が、今度は別の巡視船「みずき」にも自ら船首を向けて突っ込んでいく様子が赤裸々に映し出されていた。映像には、巡視船の乗組員が衝突時に「止まれ!」「ぶつかった」などと絶叫する声も収録されており、海保にとって命懸けの警戒行動だったことが手に取るように分かる。
そんな彼らに応えようと、当時の前原誠司・国土交通相は自ら進んで船長の逮捕を指示。ところが、日中関係が悪化すると、手のひらを返すように船長を釈放した。その首謀者は、前原大臣とその後見人である官邸の主・仙谷由人官房長官だったことは、国会や各メディアで取りざたされた通りだ。
「この2人の日和見な対応に、捜査に当たった海保サイドはカンカンでした。自らの職務を否定されたわけですからね。海保を取材をしていると、『いつでもビデオを出す用意はあるんだ』と語気荒い海保関係者はゴマンといましたよ」(社会部記者)
こうした一発触発の空気を官邸もうすうす察知していたのだろう。仙谷氏は5日の記者会見で「公務員が故意に流出させたとすれば、国家公務員法違反になる」と官僚の仕業だと言わんばかりに警告を発した上で、「捜査資料が外に出るのは大変な事態。相当大きなメスを入れる改革があらゆるところで必要だ」と大胆な発言に及んだ。この発言の趣旨を前出の政治部記者が解説する。
「あのような大胆なビデオ映像の流出劇は、個人の判断ではできないだろうから、海保ぐるみに違いないと読んでいるんです。『相当大きなメスを入れる』とは、海保を解体してでも犯人を突き止めてやる、とすごんでいるわけですよ」
(後略)
(貼り付け終わり)
( http://news.livedoor.com/article/detail/5122319/ )
(貼り付けはじめ)
(前略)
「何か激励とかあれですか?つまり公開して“よくやった”と言うんですか?それは犯罪行為を
称揚するということですよね。そういう気分が日本国中、少々あるのかも分かりませんけども、
私はそのことについては同意いたしません」(仙谷由人官房長官)
(貼り付け終わり)
(元記事は、 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4571664.html であるとみられるがすでに削除されており、http://blog.livedoor.jp/newsslash/archives/1547086.html から貼り付け。以後、引用記事は、特に必要としなければ、タイトル及びリンク先URLのみ掲載する。)
そのせいか大マスコミも当初は、動画の衝突場面ばかりをそのまま流していたところを、時が経つと、動画の中身よりも管・仙石政権の意向をそのまま受けたかのような犯人探しの方を主として報道するようになってきた。
例えば次の記事を参照。
警視庁、沖縄県警と合同捜査本部設置
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4572125.html
【尖閣ビデオ流出】警視庁と沖縄県警が合同捜査本部設置 東京地検、投稿者資料を押収
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101109/crm1011092155052-n1.htm
このような話は、いわゆる尖閣諸島沖漁船衝突事件の本質ではなくどうでも良い話である。少なくとも、むしろ何のしがらみのない報道関係者ならば情報の流出は歓迎すべきことのはずだ。大体、情報をもってそうなキャリア公務員等に年がら年中訪問して、彼らからの情報流出を待ち構えている大マスコミの連中がとるべき報道姿勢ではない。そもそも現に問題となっている動画について、youtubeからダウンロードし、その映像を何回も放送しまくって飯のタネにしたのはどこの誰なのか。ダブルスタンダードもいいところである。
おそらく、今回の大マスコミの報道ぶりの原因は政権に慮っているのか中国に慮っているか、あるいは以下の2で後述するように米国に慮っているか、これら複数の原因が重なっているのであろう。
まともな報道関係者ならば、政府機関のひとつである海保が以下の記事
尖閣映像流出:ビデオは石垣海保編集 衆院予算委で認める
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101108k0000e010004000c.html
のとおり、流出した動画を本物と認めたのであるから、
①流出した動画を基に海保が例の中国漁船を捕まえたのが妥当だったか及び中国漁船を捕まえたのち、漁船船長を法手続きの最中に釈放してしまった・・・・公式的には検察
の勝手な判断で釈放したとなっているが・・・が良かったのかどうかを再度検証し、政府を批判するなり擁護するべきである。
②また、対中配慮等の外交的配慮は無意味となり、全面公開しない理由がまったく無くなった。よって、流出した44分の動画だけでなく、数時間あるといわれている本件動画の全面公開を改めて政府に要求しなくてはならない。この事件は銛で海保関係者が中国人に殺されたとかの本当か嘘かわからない話も飛び交っており、この話の真偽を明らかにするためにも動画の全面公開が必要である。
2 この時期に動画が流出したこと
動画を誰が流出させたかについては、この事件の本質ではない。しかし、その者の背後にどのような勢力がいるか考察することは有益である。
今回、APEC首脳会議直前であり、中国の現在のリーダーである胡錦濤氏が来日直前という時期から考えると、副島先生の弟子のお一人である中田氏の以下のブログに書いてある通り、流出者の背後には米国がいることが濃厚である。大マスコミがこの件に関して、この仮説についてまったく触れず、上述のように「衝突したところばかりの繰り返し」あるいは「犯人は誰?という犯人探しの進展状況」しか報じていない、つまり例えると、木を見て森を見ない式の報道を行っていることも米国の関与が高いことを伺わせるものがある。
漁船衝突ビデオ流出。ますます悪化する日中関係で漁夫の利を得る米国
http://amesei.exblog.jp/12205576/
この説の対抗馬としては、胡錦濤氏の日本訪問を取りやめ、すなわちそれだけでも彼にとってはダメージになるわけであるが、そういったことを喜ぶ中国国内の反胡錦濤勢力の仕業ということも考えられる。但し、インターネットを介して検察のネットワークに痕跡を残さず侵入するテクニックを中国が保有しているのか、あるいは中国に協力して石垣の海上保安庁からデータを盗む者が石垣島にいるのかということを考えるとその可能性は低い。
その他、背後関係など無い検察職員か海保職員等、この動画を入手できる立場にあった者が個人的な動機で流出させたということも考えられるがその可能性も低い(仙石長官は上述に張り付けた記事のとおり、海保が流出元だと決めつけている節があるが)。
というのは、この個人的な動機で最も考えられることは、動画が非公開となったことから、怒りに任せて動画を流出させたということであるからだ。
この説の場合は、非公開が決まった直近の日、即ち、二つ下に投稿にURL等のみ貼り付けた記事のとおり、10月中旬には、流出がないとおかしい。いくらなんでも11月初旬は開きすぎと思われる。
もっともわざわざ中国のトップが来る直前を狙って流出させようと考えた検察職員か海保職員もいたかもしれないが、そこまでタイミングを計るほど思慮深い者ならばそもそも流出させて発覚したあとのリスクを考慮する頭もあるはずで、そのような者が、個人的動機だけで流出させるとは考えにくい。
(追記)
さきほどネットを見直したところ、流出動画の発信元が神戸市内の漫画喫茶であるという趣旨の以下の報道が流れている。ますます那覇地検や那覇・石垣の海上保安庁関係者が流出元とは考えにくくなったわけだ。
尖閣映像、神戸の漫画喫茶パソコンから投稿
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101109-OYT1T00978.htm
岡山 拝
【4】「歴史とはなにか」 ?岡田先生・宮脇先生によるスペシャルセッション
暁星国際小・中・高等学校 ヨハネ研究の森コース セッション・レポート
http://www.gis.ed.jp/report/100731_01/subject.html
http://www.gis.ed.jp/report/100731_02/subject.html
より以下貼付け
「歴史とはなにか」 ~岡田英弘先生・宮脇淳子先生によるスペシャルセッション①
~
2010年7月31日(土)
サマースクール3日目の7月31日(土)、岡田先生・宮脇先生によるスペシャル・セッションが開催されました。当日は、これまで岡田先生の歴史観についての検討を重ねてきたヨハネ生たちに岡田先生と宮脇先生が直接お話をしてくださいました。
このページでは、岡田先生に語っていただいたご自身の歴史について掲載します。
(岡田先生) 今日は、私の考える歴史について、一番小さな話と、一番大きな話をしたいと思います。小さな方は私の記憶、大きい方は宇宙の起源についてです。
まず、記憶についての話をしましょう。私は昭和6(1931)年、東京の本郷・本駒込一丁目で生まれたそうです。父の話では安産で、産婆さんが駆けつけたときにはもう頭が出ていたといいます。
最も古い記憶は、弟の生まれた朝のことです。私は部屋の中をぐるぐると回りながら、電灯によって自分の影が壁に映るのを、ふしぎに思っていました。おそらく1934年、鎌倉でのことでしょう。
そこから、私の歴史が始まります。私はいま79歳で、最初の記憶から76年が過ぎたことになりますね。生まれた年に満州事変があり、76年間、色々な事がありました。
私は1943年に、九段の暁星中学校に入学しました。父はフランス語を学ばせたかったようですが、神父さんたちが教えてくれたのは英語でした。1945年の大空襲では、中学も焼けてしまいます。この年の8月、日本は降伏しました。
学校が焼けてしまったので、私は成蹊高等学校の尋常科に入学し、1947年には成蹊高等学校の、理科乙類に進みました。英語以外の外国語を学ぶのが乙類です。当時、医学の道に進む者はドイツ語を学ぶために理科乙類に入りました。私の父は大学で薬理学を教えており、私は父の後を継ぐつもりでした。
しかし事件が起こります。成蹊高校の図書館で、漢籍・東洋史の大コレクションに出会ったのです。私は毎日3冊の本を借り、帰りの電車で1冊、夜に1冊、そして行きの電車で1冊、本を読む生活を送り、とうとう全部読んでしまいました。
やがて大学受験が迫ってきました。大学の医科を受ければ、周りは父のことを知っている人ばかりです。これでは、私が偉くなっても、父のおかげだと言われるでしょう。そこで私は父とは違う道へ進もうと、河野六郎の勧めで東京大学の東洋史学科に入学することにしました。
最後の旧制大学生として卒業すると、朝鮮戦争のために600万人が半島から引き揚げてきました。就職に関する状況は最悪です。私はどうせならと、東洋史の中で最も人気のない朝鮮史を学び、書いたレポートが先生の目にとまり、学会誌に掲載されることになりました。
私は、満洲史の研究会で、満州語を習いました。そこでの研究が認められ、26歳のとき最年少で「学士院賞」を受けました。父より先に学士院賞を取ってしまったのです。
その後、ワシントン大学教授のニコラス・ホッペ先生に弟子入りして渡米し、モンゴルについて学んでいます。この頃、日本では新安保闘争などがありました。私はそれをアメリカで知って「日本人はもうダメだ、アメリカ人になろう」と思ったことがありました。
また、チベットのダライ・ラマが国外へ脱出し、秘密であったチベット文化が初めて世の中に知られたのも当時です。チベットに関する研究所がカリフォルニア大にでき、私にもチベットの友人ができました。それから、来日してモンゴル語の写本を探していたワルター・ハイシヒ教授の通訳となり、西ドイツに連れていってもらいました。
当時の中央アジアは中国とソ連に二分され、研究にも自由がありません。ただ、PIACという場では言語学・人類学・歴史学の共通の話題が話され、共産圏の学者も自由を得られました。私もオランダでの第七回会議以降、ほとんど毎年参加しています。こうして世界の各地を回り、文法を覚え辞書を引けるようになった言語は全部で十四カ国語です。
大きい話の方に移りましょう。物理学の定説では、時間と空間は137億年前、ビッグバンで生まれたことになっています。物理学の進歩は大変なもので、『世界史の誕生』執筆時には200億年前とされていました。ビッグバン以前に時間はなく、そこから時間が発生します。
太陽系は45億年前に生まれ、地球には生命が発生しました。人類の祖先が生まれてから百万年は経っていませんし、世界史で数えられる人間の歴史は5千年くらいでしかありません。また、日本の歴史は、668年の天智天皇即位に始まります。1942年前のこのとき、天皇・日本という称号が現れました。
私の記憶にある76年間と、宇宙の137億年を比べれば、私の一生など一瞬です。しかし、歴史を考えるには、私はこの76年を基準にせねばなりません。
(宮脇先生) 岡田は11年前、脳梗塞による失語症で言葉が出なくなりました。頭の中に何があるかは分かっているけれど、それと名前が結びつかないのです。リハビリで血が流れなくなった部分とは別の場所に言語中枢を作り、今はそちらをゆっくり通すと言葉が出てくるようになりました。
その後、岡田・宮脇研究室という小さな研究室で、昔、岡田自身が書いたものをインプットし直していきました。私は30年以上弟子をしていますから、外国でも、岡田の知人は私を知っています。私が説明をしたり、手紙を書いたりして、私の英語力も飛躍的に上がりました。
さて、私が弟子入りをしたとき、岡田と私の差はとても大きいものでした。しかし、私に対等な話し相手になってほしくて、いっぺんに何もかもを教えようとするのです。何時間も教え続けられたりするので、私は夜中に疲労で目を覚ましたりしました。赤ちゃんが刺激が多いときに知恵熱を起こすのと同じですね。
岡田は、最初に一番レベルの高い話をします。それは下駄をはかせてもらうということで、私は岡田に英訳を作ってもらって国際学会で大成功してしまうのです。ただ、質疑応答ではつまずきます。
みなさんも、きっとそういう体験をしますから、こんな話をするのです。高いレベルの人間に持ち上げられ、ぶら下げてもらうと、遠くの風景を見通すことができます。「自分もあそこへ行くんだ」と、歩き始める前から見ることができるのです。そうすると、自分の足で歩くとき、とても楽になりますよ。最初に視野が広がることで、悩まず努力ができるのです。これこそ英才教育ですね。若いときに最高級のものに触れるというのは、とてもいい。だから、こちらのヨハネ研究の森は、とてもいい学校だと思います。
「歴史とはなにか」 ~岡田先生・宮脇先生によるスペシャルセッション~②
7月31日(土)、岡田先生のご自身の歴史について語っていただいた後、いよいよ「歴史とは何か」と題して、岡田先生・宮脇先生の歴史観について語っていただきました。
歴史とはなにか
(宮脇先生) 今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。
今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。
まず、歴史とはなにかということについてお話ししましょう。私たちの「歴史」定義は「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのこと」というものです。
私たちは、世界のあちこちで起きる出来事を一人では経験できません。だからそうした出来事を知るために、他の人の書いたものを用います。しかし、なぜ他人の書いたものが信用できるのでしょうか。そもそも、人の書いたものに、100%正しいものは存在しません。最初から存在しているものをただ覚えることは、学問でも何でもないのです。頭から信じてはいけません。
また、私たちがここで言っているのは狭義の「歴史」です。「地球の歴史」や「個人の歴史」という表現は、比喩として「歴史」という言葉を使っているだけで、ここで定義する「歴史」ではありません。岡田は、まず言葉を定義してから始めます。あやふやな意味のまま言葉を使うなら、それは学問ではないでしょう。
また、時間と空間に対する認識の仕方も、歴史の重要な要素です。私たちは、空間を行き帰りして、自分の体で測ることができます。でも、眠って目を覚ましたとき、道具なしで「自分は何時間寝た」とは分かりませんよね。
時間は、感覚で直接認識はできません。
私たちは「時間の長さ」と言いますが、これは、動く物体を基準として、空間を時間に置き換えているのです。たとえば、地球の自転の周期を一日、公転の周期を一年としています。
ちなみに今年は紀元2010年ですが、キリストの誕生は紀元前4年だろうと最近は考えられています。つまり紀元0年というのはウソなのですが、後から数字を変えたら大混乱になります。こうした数字は、みんなが使っていることに意味があるので、今のままでいいのです。
私たちは、世界のグローバリゼーションの基がキリスト教圏なので、紀元を使います。大切なのは、このような物事の始まり、原因を知ることです。由来を知ることが、学問のスタートになります。
日本古代史について
(宮脇先生) 日本古代史の話に入りましょう。皆さんは、聖徳太子について学習されたそうですね。1980年代まで使われていた一万円札の聖徳太子像は、最近では「伝」聖徳太子像と呼ばれます。学問的でないと分かったからです。1980年前後に、中国の西安のお墓から、この像とほぼ同じ絵が出てきました。これは過去、同じような絵が中国から日本に入ってきて、これを聖徳太子の顔にしようという話になった、ということです。
実は太子の像には、初め但し書きがついていました。「これは大陸から渡った僧が夢に見た太子の姿」だとね。あの服装は、唐のファッションですよ。つまり、描かれた当初から怪しいものなのです。
また、中国側の記録である「隋書」では、「日出づるところの天子…」という国書を送った倭国の王は「男」だと書かれています。一方の日本書紀では、太子が「唐に」使者を送ったと誤って書かれています。日本書紀のために文献を集めて整理したとき、間違えたのでしょう。
つまり、太子の実在は「よく分からない」のです。しかし、教科書はこれを無視し、隋書と日本書紀の都合のいい部分をくっつけています。
歴史は武器になる
日本書紀のような「国史」は、扱いが難しいものです。歴史書は、千年後の人に読ませるためでなく、その当時の人々に読ませるために書かれます。書いた理由があり、そのための結論や筋書きが作られますから、国史の内容は民族や国家によって非常に変わってきますね。複数の国史同士のすり合わせや真実の探求は、やめた方がいいでしょう。
意図的につくられた歴史は世の中に多くあります。それを見分ける目は、私たち自身が持たなくてはなりません。
また、歴史は武器にもなります。たとえば、領土の主張などには、歴史は強い力を発揮します。自国が古くからこの地域を領有していた、と言うために、歴史はより古い時代へとさかのぼって書かれていくのです。ドラマでも、古い時代を良く見せる描き方をしますね。
「日本人は中国・朝鮮半島の人々の子孫」という言い方もされますが、過去の人々と今の我々とは、違います。現代のナショナリズムはわずか200年前に生まれたもので、それ以前は明確な国境など切れません。中国も、もとは黄河の中央部分のみを指す言葉でした。しかし、漢字を使う国は中国だと言い始めて、現在の領有区域を主張するに至ります。ここには、逆転の論理が働いているのです。
国史の難しさは日本にも当てはまり、本当のことを言ってしまうと、白い目で見られることになるでしょう。
私たちは、柔軟な思考を持たねばなりません。偉い人が書いたものが歴史、などということは、決してありません。
歴史は武器にもなる、難しい分野です。ですが、学びがいのある、楽しい分野でもありますよ。
岡田先生の体調を気にしながらのレクチャーでしたが、予定よりも大幅に延長して行われました。
そして、その後に展開された質疑応答も、長時間にわたりましたが、岡田先生も乗りに乗り、終わったのは夕方になってからでした。
では、つづいて質疑応答の模様をご紹介します。
質疑応答
坂井田(高2) ものを知るということは、その物語を知ることなのでしょうか。年表ではなく、物語があるのが歴史ですか?
岡田先生 歴史は、人間の名前だけではできません。短くとも、名前があれば物語があります。
宮脇先生 「story」と「history」の語源は同じで、やはり物語による肉付けが必要です。物事には相互関係・因果関係があり、その物語こそが歴史です。
坂井田 「歴史」と「史実」には違いがあるのでしょうか。
岡田先生 ありません。同じですね。
宮脇先生 「史実」という言葉をわざわざ使うということは、対立する考えがあり、それに対して「これが本当」と主張する気持ちが含まれているのでしょう。私たちが「歴史」というときは、「史実」だけでなく、過去を物語るもの全てを含めて考えています。言葉の意味は曖昧なものです。言葉に普遍性を持たせたいなら、意味を定義して使えばよいのです。
田端(高1) 宮脇先生は、岡田先生のご病気の際、なぜあきらめずに論文を再度読ませるといったことができたのですか。
また、『三国志』著者の陳寿は蜀の出身ですが、自分と全く関係ない呉書などをなぜ書くことができたのでしょう。
宮脇先生 自分が学問の世界で行き詰まっていたとき、岡田は本気で学者になるための指導をしてくれました。私は与えられるばかりで返せるものがないと思っていたのですが、脳梗塞で岡田が倒れたとき、「ああ、こういうことだったのか」と思いました。物事は何でも一長一短です。私は、いい方向に物事を考えています。
呉書については、筆者に材料がそろえば、その場所にいなかったとしても歴史を書くことはできると思います。
橋場(高1) 私は美術が好きなのですが、岡田先生の歴史観を知ってから、宗教画に権威づけを感じるなど、見る目が変わりました。岡田先生は古文書を史料として歴史を読み取られますが、近代史以降は工芸品からも読み取れないでしょうか。
宮脇先生 岡田はもともと言葉というものが好きで、美術は分野が違うのです。色や形には固有名詞がありませんよね。岡田は、昔の人が半端に書いたものでも、文字が使われたものには猛烈に興味を抱きます。だからこの点は、好きずきだと言っていいでしょうか。私自身も、言葉の才能が岡田ほどありませんから、研究では岡田と違うものを見ています。
吉野(高2) 自前の歴史を持っていたのは地中海文明と中国文明だけで、もともと物語りかたが違うと聞いています。もしこれらを一つにして「世界史」を描き出すなら、どのようにすればよいのでしょう。
岡田先生 一つの世界史を描いている本はまだありません。『世界史の誕生』が、世界史を描く試みの最初です。
宮脇先生 ヨーロッパは人間と同様に国にも盛衰があると考えます。だから「国の興亡」という表現を好みます。一方で、中国は「正統」の歴史です。天命によって君主が決まりますから、今でも二君並び立たずという考えがあります。
もし、この二つの歴史を一つにしてしまうと、どちらかの歴史を否定することになります。また、融合してどちらでもないものを作りだすのも、それは妥協でしかなく、歴史の抹殺であると言えます。
アメリカ独立戦争からは一つの枠組みで世界を描くことができるはずですが、それ以前は各地方ごとの物語しかありません。その過去をばらばらにしたら、年表にしかならないでしょう。ただ、大航海時代・国民国家の時代以降は、一国史の枠組では誤りを犯してしまいます。
福島(卒業生) 私はいま外国語学部で言葉を学ぶ身なのですが、岡田先生は、何にひかれて言葉を好きになったのでしょうか。
岡田先生 これは、もって生まれたものだと言えます。どこが好きで言葉に興味を持ったのかは、うまく言葉では表せません。自分の資質だと思います。
早川(卒業生) 古典中国語に文法がないということですが、文法は言葉を構成する最低限の要素ではないのでしょうか。
また、漢字は情緒に欠けるということについてもご説明頂けないでしょうか。
宮脇先生 文法については、主語・述語・目的語の順番が変わっても意味の変化が起きない、ということです。時代によって漢文の担い手は変わりましたが、タイ系とアルタイ系で語順が違っても、漢字を使えば意味が通じました。モンゴル以降、特に現代の中国語には日本語の文法の影響が見られますが、古典の漢文は論語などでも意味が取りにくく、読み方を丸暗記するしかありません。
また、漢字は目に見えない、抽象的な思考に不向きで、花や木といった具体物を通してしか情緒を表現できません。隋・唐代の漢詩を日本人は好みますが、実は、その頃の人たちはトルコ語など、自分の話し言葉を持っていたのです。日本人も、漢文に日本語をつけて情緒たっぷりに読み下すでしょう。
河辺(高1) 岡田先生にとって、歴史研究は人生とどのように関わっていますか。
岡田先生 自分の人生そのものと歴史学者としての人生は、一致しています。
宮脇先生 岡田は生まれながらの学者です。学者が服を着て歩いているようなもので、他の人格はありませんね。
中内(高2) よい歴史を描くには豊かな個性が必要とのことですが、どうすれば様々な視点や豊かな個性が得られますか。
岡田先生 方法はその人次第ですね。
宮脇先生 ハウツーはありません。ただ、岡田は新しい物事を思考に組み込む際、脳がフル稼働し、全てを組み替えます。新しいデータを脳に入れるだけでなく、昔のデータに組み込んで全てを考え直し、新しい人間になるのです。物事を拒否せず受け入れれば、人間は豊かになります。だから、受け皿は広くしましょう。どんなことも、何を見ても楽しくなります。最初は丸呑みのようでつらくても、ある日、霧が晴れたように面白くなりますよ。突然データ同士が噛み合い、全てが関係していることが分かるのです。
森島(賛助会員) なぜ、歴史について「狭義」に限っていらっしゃるのですか。 また、ヨハネの歴史を書くときに、どうすれば「一個人」を超えられますか。
岡田先生 狭義の歴史と定義づけるのは、私が芯から理科系の人間だからです。
「一個人」であっても、歴史を書こうと思っている段階ですでに「一個人」超えていることに気づきませんか。
宮脇先生 自分の感じていることをつなげても、ヨハネの歴史にはならないでしょう。「歴史を書こう」と考えた時点で、もう一個人という枠の外に出ているということですね。
まだまだ質問は絶えませんでしたが、残念ながらこれにて打ち止めにさせていただきました。さすがに岡田先生、宮脇先生の歴史観に関する言葉、一つひとつが重いものでした。
近いうちにもう一度お招きする予定でいます。おたのしみに。
http://www.gis.ed.jp/report/100731_01/subject.html
http://www.gis.ed.jp/report/100731_02/subject.html