ふじむら掲示板

副島系掲示板の"補集合"としての役割
岡山アキラ 投稿日:2010/11/16 02:30

【7】尖閣ビデオ流出事件は平成の五・一五事件である

国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。

私が、[12][15]及び[16]に投稿しているいわゆる「尖閣ビデオ流出問題の件であるが、以下の記事のとおり、自民党の谷垣氏が二・二六事件を引き合いに出し映像を流出させた海保職員を批判した。
(記事は、リンク先を参照。特に引用する必要がなければ、以下、記事のタイトル及びリンク先のみ記す。)

「二・二六も命令無視」映像流出保安官を自民・谷垣氏が批判
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101114/stt1011141824004-n1.htm

しかし、この事件は、世相や事件の状況等からすると、二・二六事件よりもむしろ以下のとおり元外務省職員の佐藤勝氏が本件の論評で取り上げている五・一五事件に似ており、平成の五・一五事件というべきものだと考える。

(はりつけはじめ)
(前略)
「力の省庁」に属する官僚の下剋上について、われわれは苦い経験をもっている。1932年5月15日、政界と財界の腐敗に義憤を感じた海軍と陸軍の青年将校が決起し、犬養毅首相らを殺害した。「方法はよくないが、動機は正しい」と五・一五事件の犯人たちへの同情論が世論でわき起こり、公判には多くの除名嘆願書が届けられた。本来、死刑もしくは無期禁錮が言い渡されるべき事件であったにもかかわらず、裁判所は世論に流され、被告人に対して温情判決を言い渡し、五・一五事件の首謀者、実行犯は数年で娑婆にでてくることになった。この様子を見た陸軍青年将校がクーデターを起こしても世論に支持されればたいしたことにはならないという見通しで、1936年2月26日に1400名の下士官・兵士を動員しクーデターを起こした。二・二六事件は、昭和天皇の逆鱗に触れ、徹底的に鎮圧された。しかし、二・二六事件後、政治家、財界人、
論壇人などは軍事官僚の威力に怯えるようになり、日本は破滅への道を歩んでいくことになった。
(中略)
 マスメディアは、国家の秘密情報を公開した者を徹底的に批判することができない。合法、非合法を問わず、このようなリーク情報なくしてマスメディアが生きていくことはできないからだ。それだから、マスメディア関係者には保安官を擁護しようとする集合的無意識が働く。これが国民の判断を誤らせる。
(以下略)

(はりつけおわり)
(はりつけ元)
【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ
http://news.livedoor.com/article/detail/5140247/

この佐藤優氏の評論はすぐれており、必読である。

日本政府が、本件の対応を誤ると、次は、「平成の二・二六事件」が発生するであろう。そして最悪は、「平成の日中戦争」の勃発や日本が「第三次大戦」に巻き込まれるなどということもあり得る。

これらを回避するためには、本件について、五・一五事件において日本政府がとった対応とは逆の対応を取ることが必要である。

すなわち、映像を流出させた海保職員が、法に則った範囲内の最高刑を受けることになるよう捜査当局・検察当局は世論にかかわらず努力することである。
また、海上保安庁は、世論にかかわらず内規上処分し得るもっとも重い処分を同職員に下すべきである。

また、このような政府を揺るがす事件が発生した時、どさくさまぎれに法令の改悪が行われることがあるが、今回も管・仙石政権は、以下のゲンダイの記事がとりあげてているように機密漏洩の罰則強化を打ち出している。

いよいよ表に出てきた仙谷長官「超危険思想」
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000130262/1.htm

機密漏洩の罰則強化自体は、別に悪いことではないが、何を「機密」にするかが問題だ。
この記事を読むと、管・仙石政権は、例えば、以前あったイージス艦の機密漏洩事件、あるいは最近の警視庁公安部の資料流出事件等の機密漏洩事件の際の本当に機密にすべきものの漏洩の阻止だけなく、尖閣ビデオのような「政府に都合が悪い物も機密に指定」しその漏洩を阻止することを意図しているということがわかる。

これでは、機密漏洩の罰則強化の名を借りた言論統制強化である。
まだ、提言程度の段階であるから実質の動きはこれからであろうが、今後、報道の自由や言論の自由を含む概念である憲法第21条で言うところの表現の自由を守る上で、この「機密漏洩の罰則強化」の内容を今後もしっかり注目していく必要があるのは間違いない。

岡山 拝

岡山アキラ 投稿日:2010/11/10 21:52

【6】いわゆる尖閣ビデオを流出させたと思われる海保職員が名乗り出たこと

国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。

本日の朝に投稿した以下の[15]の2の方の件であるが、以下の記事のとおり、本日現在までに、流出させた海保職員が名乗り出て、事情聴取を受けているところまで事態が進展したようである。

ニュースの話題で様子急変=船長が声、関与認める―巡視艇内で海保職員
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-101110X059.html

動画投稿の海上保安官は確信犯 テレビ局に「うやむやになってはいけない」
http://www.j-cast.com/2010/11/10080499.html?p=1

これらの記事を読む限り、この海保職員は、結局、「義憤に駆られた」ので、私が[15]で投稿した言葉で言い換えると、「個人的動機」で動画を流出させたようである。

まだ、何故、石垣や那覇で取り扱われていた動画が神戸で流出するのか、あるいは、「義憤に駆られた」ならば何故、非公開の決定直後ではなく、このタイミングで流出させたか等について、謎が残るが、これらが解ければ、下の投稿([15])の2の方の私の予想がはずれたことが濃厚となる。

濃厚と書いて断定しないのは、この海保職員が、例えば、○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られているという可能性も0ではないからだ。

というのは、以下のように数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしているという記事が出ているからである。

(はりつけはじめ)
「流出」告白の海保職員に、読売テレビが独自取材
 日本テレビは10日夕のニュース番組で、映像を流出させたと神戸海上保安部に申し出た男性保安官(43)に、系列局の読売テレビ(大阪市)の記者が事前に取材していたと報じた。

 記者が番組で語ったところによると、取材は数日前で、神戸市内で約2時間面会したという。
(中略)
 一方で、保安官に接触するまでの経緯について、記者は「映像を投稿した人物がいるという情報がある筋からもたらされ、調整を重ねた」と説明した。
(はりつけ終わり)
http://www.asahi.com/national/update/1110/OSK201011100083.html?ref=goo

『記者は「映像を投稿した人物がいるという情報がある筋からもたらされ、調整を重ねた」と説明した。』の部分の「ある筋」とは誰なのか気になるところである。

つまり、「ある筋」とはなんらかな特殊な団体ではないかということである。そうすると、例えば、警察や検察の取り調べに対して、この海保職員がこのような特殊な団体の構成員等であれば、一部の事柄について嘘を話す可能性があるわけだが、事実とその一部嘘の供述に齟齬がなければ、本人がどのような団体の構成員等かまで特に問題となるはずがなく、このことについて捜査当局がしっかり調べると思えない。

岡山 拝

岡山アキラ 投稿日:2010/11/10 05:10

【5】尖閣諸島沖漁船衝突事件の動画流出についての考察

国家公務員をしている岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。

二つ下の投稿(「12」)の件、つまり尖閣諸島沖漁船衝突事件に関し、当該事件の状況を撮影したという動画がyou tubeにup loadされ(流出し)、新たな展開を見せてきたことから、引き続きこの件の大マスコミの報道姿勢及びこの時期に動画が流出したこと等についての考察について投稿します。
筆名で書いている理由は、二つ下の投稿をご覧ください。

(以後、である調で記述します。)

1 流出したビデオについての大マスコミの報道姿勢
二つ下(「12」)で投稿した件、つまり尖閣諸島沖漁船衝突事件の衝突時の模様等を写した動画約44分が11月4日、you tubeに流出したことについて、管・仙石政権は、以下の記事記載のとおり、例によって人のせいにすること、つまり、動画の中身ではなく、誰が流出させたかの方を大問題にした。

(貼り付けはじめ)
(前略)
沖縄県・尖閣諸島海域で起きた衝突シーンの映像を見ると、海上保安庁の巡視船「よなくに」と衝突した中国漁船が、今度は別の巡視船「みずき」にも自ら船首を向けて突っ込んでいく様子が赤裸々に映し出されていた。映像には、巡視船の乗組員が衝突時に「止まれ!」「ぶつかった」などと絶叫する声も収録されており、海保にとって命懸けの警戒行動だったことが手に取るように分かる。

 そんな彼らに応えようと、当時の前原誠司・国土交通相は自ら進んで船長の逮捕を指示。ところが、日中関係が悪化すると、手のひらを返すように船長を釈放した。その首謀者は、前原大臣とその後見人である官邸の主・仙谷由人官房長官だったことは、国会や各メディアで取りざたされた通りだ。

「この2人の日和見な対応に、捜査に当たった海保サイドはカンカンでした。自らの職務を否定されたわけですからね。海保を取材をしていると、『いつでもビデオを出す用意はあるんだ』と語気荒い海保関係者はゴマンといましたよ」(社会部記者)

 こうした一発触発の空気を官邸もうすうす察知していたのだろう。仙谷氏は5日の記者会見で「公務員が故意に流出させたとすれば、国家公務員法違反になる」と官僚の仕業だと言わんばかりに警告を発した上で、「捜査資料が外に出るのは大変な事態。相当大きなメスを入れる改革があらゆるところで必要だ」と大胆な発言に及んだ。この発言の趣旨を前出の政治部記者が解説する。

「あのような大胆なビデオ映像の流出劇は、個人の判断ではできないだろうから、海保ぐるみに違いないと読んでいるんです。『相当大きなメスを入れる』とは、海保を解体してでも犯人を突き止めてやる、とすごんでいるわけですよ」
(後略)
(貼り付け終わり)
( http://news.livedoor.com/article/detail/5122319/ )

(貼り付けはじめ)
(前略)
 「何か激励とかあれですか?つまり公開して“よくやった”と言うんですか?それは犯罪行為を
 称揚するということですよね。そういう気分が日本国中、少々あるのかも分かりませんけども、
 私はそのことについては同意いたしません」(仙谷由人官房長官)
(貼り付け終わり)

(元記事は、 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4571664.html であるとみられるがすでに削除されており、http://blog.livedoor.jp/newsslash/archives/1547086.html から貼り付け。以後、引用記事は、特に必要としなければ、タイトル及びリンク先URLのみ掲載する。)

そのせいか大マスコミも当初は、動画の衝突場面ばかりをそのまま流していたところを、時が経つと、動画の中身よりも管・仙石政権の意向をそのまま受けたかのような犯人探しの方を主として報道するようになってきた。

例えば次の記事を参照。
警視庁、沖縄県警と合同捜査本部設置
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4572125.html
【尖閣ビデオ流出】警視庁と沖縄県警が合同捜査本部設置 東京地検、投稿者資料を押収
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101109/crm1011092155052-n1.htm

このような話は、いわゆる尖閣諸島沖漁船衝突事件の本質ではなくどうでも良い話である。少なくとも、むしろ何のしがらみのない報道関係者ならば情報の流出は歓迎すべきことのはずだ。大体、情報をもってそうなキャリア公務員等に年がら年中訪問して、彼らからの情報流出を待ち構えている大マスコミの連中がとるべき報道姿勢ではない。そもそも現に問題となっている動画について、youtubeからダウンロードし、その映像を何回も放送しまくって飯のタネにしたのはどこの誰なのか。ダブルスタンダードもいいところである。

おそらく、今回の大マスコミの報道ぶりの原因は政権に慮っているのか中国に慮っているか、あるいは以下の2で後述するように米国に慮っているか、これら複数の原因が重なっているのであろう。

まともな報道関係者ならば、政府機関のひとつである海保が以下の記事

尖閣映像流出:ビデオは石垣海保編集 衆院予算委で認める
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101108k0000e010004000c.html

のとおり、流出した動画を本物と認めたのであるから、

①流出した動画を基に海保が例の中国漁船を捕まえたのが妥当だったか及び中国漁船を捕まえたのち、漁船船長を法手続きの最中に釈放してしまった・・・・公式的には検察

の勝手な判断で釈放したとなっているが・・・が良かったのかどうかを再度検証し、政府を批判するなり擁護するべきである。

②また、対中配慮等の外交的配慮は無意味となり、全面公開しない理由がまったく無くなった。よって、流出した44分の動画だけでなく、数時間あるといわれている本件動画の全面公開を改めて政府に要求しなくてはならない。この事件は銛で海保関係者が中国人に殺されたとかの本当か嘘かわからない話も飛び交っており、この話の真偽を明らかにするためにも動画の全面公開が必要である。

2 この時期に動画が流出したこと 
動画を誰が流出させたかについては、この事件の本質ではない。しかし、その者の背後にどのような勢力がいるか考察することは有益である。

今回、APEC首脳会議直前であり、中国の現在のリーダーである胡錦濤氏が来日直前という時期から考えると、副島先生の弟子のお一人である中田氏の以下のブログに書いてある通り、流出者の背後には米国がいることが濃厚である。大マスコミがこの件に関して、この仮説についてまったく触れず、上述のように「衝突したところばかりの繰り返し」あるいは「犯人は誰?という犯人探しの進展状況」しか報じていない、つまり例えると、木を見て森を見ない式の報道を行っていることも米国の関与が高いことを伺わせるものがある。

漁船衝突ビデオ流出。ますます悪化する日中関係で漁夫の利を得る米国
http://amesei.exblog.jp/12205576/

この説の対抗馬としては、胡錦濤氏の日本訪問を取りやめ、すなわちそれだけでも彼にとってはダメージになるわけであるが、そういったことを喜ぶ中国国内の反胡錦濤勢力の仕業ということも考えられる。但し、インターネットを介して検察のネットワークに痕跡を残さず侵入するテクニックを中国が保有しているのか、あるいは中国に協力して石垣の海上保安庁からデータを盗む者が石垣島にいるのかということを考えるとその可能性は低い。

その他、背後関係など無い検察職員か海保職員等、この動画を入手できる立場にあった者が個人的な動機で流出させたということも考えられるがその可能性も低い(仙石長官は上述に張り付けた記事のとおり、海保が流出元だと決めつけている節があるが)。
というのは、この個人的な動機で最も考えられることは、動画が非公開となったことから、怒りに任せて動画を流出させたということであるからだ。

この説の場合は、非公開が決まった直近の日、即ち、二つ下に投稿にURL等のみ貼り付けた記事のとおり、10月中旬には、流出がないとおかしい。いくらなんでも11月初旬は開きすぎと思われる。
もっともわざわざ中国のトップが来る直前を狙って流出させようと考えた検察職員か海保職員もいたかもしれないが、そこまでタイミングを計るほど思慮深い者ならばそもそも流出させて発覚したあとのリスクを考慮する頭もあるはずで、そのような者が、個人的動機だけで流出させるとは考えにくい。

(追記)
さきほどネットを見直したところ、流出動画の発信元が神戸市内の漫画喫茶であるという趣旨の以下の報道が流れている。ますます那覇地検や那覇・石垣の海上保安庁関係者が流出元とは考えにくくなったわけだ。

尖閣映像、神戸の漫画喫茶パソコンから投稿
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101109-OYT1T00978.htm

岡山 拝

1094 投稿日:2010/11/02 20:13

【4】「歴史とはなにか」 ?岡田先生・宮脇先生によるスペシャルセッション

暁星国際小・中・高等学校 ヨハネ研究の森コース セッション・レポート
http://www.gis.ed.jp/report/100731_01/subject.html
http://www.gis.ed.jp/report/100731_02/subject.html

より以下貼付け

「歴史とはなにか」 ~岡田英弘先生・宮脇淳子先生によるスペシャルセッション①

2010年7月31日(土)
サマースクール3日目の7月31日(土)、岡田先生・宮脇先生によるスペシャル・セッションが開催されました。当日は、これまで岡田先生の歴史観についての検討を重ねてきたヨハネ生たちに岡田先生と宮脇先生が直接お話をしてくださいました。
このページでは、岡田先生に語っていただいたご自身の歴史について掲載します。

(岡田先生) 今日は、私の考える歴史について、一番小さな話と、一番大きな話をしたいと思います。小さな方は私の記憶、大きい方は宇宙の起源についてです。

まず、記憶についての話をしましょう。私は昭和6(1931)年、東京の本郷・本駒込一丁目で生まれたそうです。父の話では安産で、産婆さんが駆けつけたときにはもう頭が出ていたといいます。

最も古い記憶は、弟の生まれた朝のことです。私は部屋の中をぐるぐると回りながら、電灯によって自分の影が壁に映るのを、ふしぎに思っていました。おそらく1934年、鎌倉でのことでしょう。

そこから、私の歴史が始まります。私はいま79歳で、最初の記憶から76年が過ぎたことになりますね。生まれた年に満州事変があり、76年間、色々な事がありました。

私は1943年に、九段の暁星中学校に入学しました。父はフランス語を学ばせたかったようですが、神父さんたちが教えてくれたのは英語でした。1945年の大空襲では、中学も焼けてしまいます。この年の8月、日本は降伏しました。

学校が焼けてしまったので、私は成蹊高等学校の尋常科に入学し、1947年には成蹊高等学校の、理科乙類に進みました。英語以外の外国語を学ぶのが乙類です。当時、医学の道に進む者はドイツ語を学ぶために理科乙類に入りました。私の父は大学で薬理学を教えており、私は父の後を継ぐつもりでした。

しかし事件が起こります。成蹊高校の図書館で、漢籍・東洋史の大コレクションに出会ったのです。私は毎日3冊の本を借り、帰りの電車で1冊、夜に1冊、そして行きの電車で1冊、本を読む生活を送り、とうとう全部読んでしまいました。

やがて大学受験が迫ってきました。大学の医科を受ければ、周りは父のことを知っている人ばかりです。これでは、私が偉くなっても、父のおかげだと言われるでしょう。そこで私は父とは違う道へ進もうと、河野六郎の勧めで東京大学の東洋史学科に入学することにしました。

最後の旧制大学生として卒業すると、朝鮮戦争のために600万人が半島から引き揚げてきました。就職に関する状況は最悪です。私はどうせならと、東洋史の中で最も人気のない朝鮮史を学び、書いたレポートが先生の目にとまり、学会誌に掲載されることになりました。

私は、満洲史の研究会で、満州語を習いました。そこでの研究が認められ、26歳のとき最年少で「学士院賞」を受けました。父より先に学士院賞を取ってしまったのです。

その後、ワシントン大学教授のニコラス・ホッペ先生に弟子入りして渡米し、モンゴルについて学んでいます。この頃、日本では新安保闘争などがありました。私はそれをアメリカで知って「日本人はもうダメだ、アメリカ人になろう」と思ったことがありました。

また、チベットのダライ・ラマが国外へ脱出し、秘密であったチベット文化が初めて世の中に知られたのも当時です。チベットに関する研究所がカリフォルニア大にでき、私にもチベットの友人ができました。それから、来日してモンゴル語の写本を探していたワルター・ハイシヒ教授の通訳となり、西ドイツに連れていってもらいました。

当時の中央アジアは中国とソ連に二分され、研究にも自由がありません。ただ、PIACという場では言語学・人類学・歴史学の共通の話題が話され、共産圏の学者も自由を得られました。私もオランダでの第七回会議以降、ほとんど毎年参加しています。こうして世界の各地を回り、文法を覚え辞書を引けるようになった言語は全部で十四カ国語です。

大きい話の方に移りましょう。物理学の定説では、時間と空間は137億年前、ビッグバンで生まれたことになっています。物理学の進歩は大変なもので、『世界史の誕生』執筆時には200億年前とされていました。ビッグバン以前に時間はなく、そこから時間が発生します。

太陽系は45億年前に生まれ、地球には生命が発生しました。人類の祖先が生まれてから百万年は経っていませんし、世界史で数えられる人間の歴史は5千年くらいでしかありません。また、日本の歴史は、668年の天智天皇即位に始まります。1942年前のこのとき、天皇・日本という称号が現れました。

私の記憶にある76年間と、宇宙の137億年を比べれば、私の一生など一瞬です。しかし、歴史を考えるには、私はこの76年を基準にせねばなりません。

(宮脇先生) 岡田は11年前、脳梗塞による失語症で言葉が出なくなりました。頭の中に何があるかは分かっているけれど、それと名前が結びつかないのです。リハビリで血が流れなくなった部分とは別の場所に言語中枢を作り、今はそちらをゆっくり通すと言葉が出てくるようになりました。

その後、岡田・宮脇研究室という小さな研究室で、昔、岡田自身が書いたものをインプットし直していきました。私は30年以上弟子をしていますから、外国でも、岡田の知人は私を知っています。私が説明をしたり、手紙を書いたりして、私の英語力も飛躍的に上がりました。

さて、私が弟子入りをしたとき、岡田と私の差はとても大きいものでした。しかし、私に対等な話し相手になってほしくて、いっぺんに何もかもを教えようとするのです。何時間も教え続けられたりするので、私は夜中に疲労で目を覚ましたりしました。赤ちゃんが刺激が多いときに知恵熱を起こすのと同じですね。

岡田は、最初に一番レベルの高い話をします。それは下駄をはかせてもらうということで、私は岡田に英訳を作ってもらって国際学会で大成功してしまうのです。ただ、質疑応答ではつまずきます。

みなさんも、きっとそういう体験をしますから、こんな話をするのです。高いレベルの人間に持ち上げられ、ぶら下げてもらうと、遠くの風景を見通すことができます。「自分もあそこへ行くんだ」と、歩き始める前から見ることができるのです。そうすると、自分の足で歩くとき、とても楽になりますよ。最初に視野が広がることで、悩まず努力ができるのです。これこそ英才教育ですね。若いときに最高級のものに触れるというのは、とてもいい。だから、こちらのヨハネ研究の森は、とてもいい学校だと思います。

「歴史とはなにか」 ~岡田先生・宮脇先生によるスペシャルセッション~②
7月31日(土)、岡田先生のご自身の歴史について語っていただいた後、いよいよ「歴史とは何か」と題して、岡田先生・宮脇先生の歴史観について語っていただきました。

歴史とはなにか

(宮脇先生) 今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。

今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。

まず、歴史とはなにかということについてお話ししましょう。私たちの「歴史」定義は「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのこと」というものです。

私たちは、世界のあちこちで起きる出来事を一人では経験できません。だからそうした出来事を知るために、他の人の書いたものを用います。しかし、なぜ他人の書いたものが信用できるのでしょうか。そもそも、人の書いたものに、100%正しいものは存在しません。最初から存在しているものをただ覚えることは、学問でも何でもないのです。頭から信じてはいけません。

また、私たちがここで言っているのは狭義の「歴史」です。「地球の歴史」や「個人の歴史」という表現は、比喩として「歴史」という言葉を使っているだけで、ここで定義する「歴史」ではありません。岡田は、まず言葉を定義してから始めます。あやふやな意味のまま言葉を使うなら、それは学問ではないでしょう。

また、時間と空間に対する認識の仕方も、歴史の重要な要素です。私たちは、空間を行き帰りして、自分の体で測ることができます。でも、眠って目を覚ましたとき、道具なしで「自分は何時間寝た」とは分かりませんよね。

時間は、感覚で直接認識はできません。
私たちは「時間の長さ」と言いますが、これは、動く物体を基準として、空間を時間に置き換えているのです。たとえば、地球の自転の周期を一日、公転の周期を一年としています。

ちなみに今年は紀元2010年ですが、キリストの誕生は紀元前4年だろうと最近は考えられています。つまり紀元0年というのはウソなのですが、後から数字を変えたら大混乱になります。こうした数字は、みんなが使っていることに意味があるので、今のままでいいのです。

私たちは、世界のグローバリゼーションの基がキリスト教圏なので、紀元を使います。大切なのは、このような物事の始まり、原因を知ることです。由来を知ることが、学問のスタートになります。

日本古代史について

(宮脇先生) 日本古代史の話に入りましょう。皆さんは、聖徳太子について学習されたそうですね。1980年代まで使われていた一万円札の聖徳太子像は、最近では「伝」聖徳太子像と呼ばれます。学問的でないと分かったからです。1980年前後に、中国の西安のお墓から、この像とほぼ同じ絵が出てきました。これは過去、同じような絵が中国から日本に入ってきて、これを聖徳太子の顔にしようという話になった、ということです。

実は太子の像には、初め但し書きがついていました。「これは大陸から渡った僧が夢に見た太子の姿」だとね。あの服装は、唐のファッションですよ。つまり、描かれた当初から怪しいものなのです。

また、中国側の記録である「隋書」では、「日出づるところの天子…」という国書を送った倭国の王は「男」だと書かれています。一方の日本書紀では、太子が「唐に」使者を送ったと誤って書かれています。日本書紀のために文献を集めて整理したとき、間違えたのでしょう。

つまり、太子の実在は「よく分からない」のです。しかし、教科書はこれを無視し、隋書と日本書紀の都合のいい部分をくっつけています。

歴史は武器になる

日本書紀のような「国史」は、扱いが難しいものです。歴史書は、千年後の人に読ませるためでなく、その当時の人々に読ませるために書かれます。書いた理由があり、そのための結論や筋書きが作られますから、国史の内容は民族や国家によって非常に変わってきますね。複数の国史同士のすり合わせや真実の探求は、やめた方がいいでしょう。

意図的につくられた歴史は世の中に多くあります。それを見分ける目は、私たち自身が持たなくてはなりません。

また、歴史は武器にもなります。たとえば、領土の主張などには、歴史は強い力を発揮します。自国が古くからこの地域を領有していた、と言うために、歴史はより古い時代へとさかのぼって書かれていくのです。ドラマでも、古い時代を良く見せる描き方をしますね。

「日本人は中国・朝鮮半島の人々の子孫」という言い方もされますが、過去の人々と今の我々とは、違います。現代のナショナリズムはわずか200年前に生まれたもので、それ以前は明確な国境など切れません。中国も、もとは黄河の中央部分のみを指す言葉でした。しかし、漢字を使う国は中国だと言い始めて、現在の領有区域を主張するに至ります。ここには、逆転の論理が働いているのです。

国史の難しさは日本にも当てはまり、本当のことを言ってしまうと、白い目で見られることになるでしょう。

私たちは、柔軟な思考を持たねばなりません。偉い人が書いたものが歴史、などということは、決してありません。

歴史は武器にもなる、難しい分野です。ですが、学びがいのある、楽しい分野でもありますよ。

岡田先生の体調を気にしながらのレクチャーでしたが、予定よりも大幅に延長して行われました。
そして、その後に展開された質疑応答も、長時間にわたりましたが、岡田先生も乗りに乗り、終わったのは夕方になってからでした。
では、つづいて質疑応答の模様をご紹介します。

質疑応答

坂井田(高2) ものを知るということは、その物語を知ることなのでしょうか。年表ではなく、物語があるのが歴史ですか?

岡田先生 歴史は、人間の名前だけではできません。短くとも、名前があれば物語があります。

宮脇先生 「story」と「history」の語源は同じで、やはり物語による肉付けが必要です。物事には相互関係・因果関係があり、その物語こそが歴史です。

坂井田 「歴史」と「史実」には違いがあるのでしょうか。

岡田先生 ありません。同じですね。

宮脇先生 「史実」という言葉をわざわざ使うということは、対立する考えがあり、それに対して「これが本当」と主張する気持ちが含まれているのでしょう。私たちが「歴史」というときは、「史実」だけでなく、過去を物語るもの全てを含めて考えています。言葉の意味は曖昧なものです。言葉に普遍性を持たせたいなら、意味を定義して使えばよいのです。

田端(高1) 宮脇先生は、岡田先生のご病気の際、なぜあきらめずに論文を再度読ませるといったことができたのですか。
また、『三国志』著者の陳寿は蜀の出身ですが、自分と全く関係ない呉書などをなぜ書くことができたのでしょう。

宮脇先生 自分が学問の世界で行き詰まっていたとき、岡田は本気で学者になるための指導をしてくれました。私は与えられるばかりで返せるものがないと思っていたのですが、脳梗塞で岡田が倒れたとき、「ああ、こういうことだったのか」と思いました。物事は何でも一長一短です。私は、いい方向に物事を考えています。
呉書については、筆者に材料がそろえば、その場所にいなかったとしても歴史を書くことはできると思います。

橋場(高1) 私は美術が好きなのですが、岡田先生の歴史観を知ってから、宗教画に権威づけを感じるなど、見る目が変わりました。岡田先生は古文書を史料として歴史を読み取られますが、近代史以降は工芸品からも読み取れないでしょうか。

宮脇先生 岡田はもともと言葉というものが好きで、美術は分野が違うのです。色や形には固有名詞がありませんよね。岡田は、昔の人が半端に書いたものでも、文字が使われたものには猛烈に興味を抱きます。だからこの点は、好きずきだと言っていいでしょうか。私自身も、言葉の才能が岡田ほどありませんから、研究では岡田と違うものを見ています。

吉野(高2) 自前の歴史を持っていたのは地中海文明と中国文明だけで、もともと物語りかたが違うと聞いています。もしこれらを一つにして「世界史」を描き出すなら、どのようにすればよいのでしょう。

岡田先生 一つの世界史を描いている本はまだありません。『世界史の誕生』が、世界史を描く試みの最初です。

宮脇先生 ヨーロッパは人間と同様に国にも盛衰があると考えます。だから「国の興亡」という表現を好みます。一方で、中国は「正統」の歴史です。天命によって君主が決まりますから、今でも二君並び立たずという考えがあります。
もし、この二つの歴史を一つにしてしまうと、どちらかの歴史を否定することになります。また、融合してどちらでもないものを作りだすのも、それは妥協でしかなく、歴史の抹殺であると言えます。
アメリカ独立戦争からは一つの枠組みで世界を描くことができるはずですが、それ以前は各地方ごとの物語しかありません。その過去をばらばらにしたら、年表にしかならないでしょう。ただ、大航海時代・国民国家の時代以降は、一国史の枠組では誤りを犯してしまいます。

福島(卒業生) 私はいま外国語学部で言葉を学ぶ身なのですが、岡田先生は、何にひかれて言葉を好きになったのでしょうか。

岡田先生 これは、もって生まれたものだと言えます。どこが好きで言葉に興味を持ったのかは、うまく言葉では表せません。自分の資質だと思います。

早川(卒業生) 古典中国語に文法がないということですが、文法は言葉を構成する最低限の要素ではないのでしょうか。
また、漢字は情緒に欠けるということについてもご説明頂けないでしょうか。

宮脇先生 文法については、主語・述語・目的語の順番が変わっても意味の変化が起きない、ということです。時代によって漢文の担い手は変わりましたが、タイ系とアルタイ系で語順が違っても、漢字を使えば意味が通じました。モンゴル以降、特に現代の中国語には日本語の文法の影響が見られますが、古典の漢文は論語などでも意味が取りにくく、読み方を丸暗記するしかありません。
また、漢字は目に見えない、抽象的な思考に不向きで、花や木といった具体物を通してしか情緒を表現できません。隋・唐代の漢詩を日本人は好みますが、実は、その頃の人たちはトルコ語など、自分の話し言葉を持っていたのです。日本人も、漢文に日本語をつけて情緒たっぷりに読み下すでしょう。

河辺(高1) 岡田先生にとって、歴史研究は人生とどのように関わっていますか。

岡田先生 自分の人生そのものと歴史学者としての人生は、一致しています。

宮脇先生 岡田は生まれながらの学者です。学者が服を着て歩いているようなもので、他の人格はありませんね。

中内(高2) よい歴史を描くには豊かな個性が必要とのことですが、どうすれば様々な視点や豊かな個性が得られますか。

岡田先生 方法はその人次第ですね。

宮脇先生 ハウツーはありません。ただ、岡田は新しい物事を思考に組み込む際、脳がフル稼働し、全てを組み替えます。新しいデータを脳に入れるだけでなく、昔のデータに組み込んで全てを考え直し、新しい人間になるのです。物事を拒否せず受け入れれば、人間は豊かになります。だから、受け皿は広くしましょう。どんなことも、何を見ても楽しくなります。最初は丸呑みのようでつらくても、ある日、霧が晴れたように面白くなりますよ。突然データ同士が噛み合い、全てが関係していることが分かるのです。

森島(賛助会員) なぜ、歴史について「狭義」に限っていらっしゃるのですか。 また、ヨハネの歴史を書くときに、どうすれば「一個人」を超えられますか。

岡田先生 狭義の歴史と定義づけるのは、私が芯から理科系の人間だからです。
「一個人」であっても、歴史を書こうと思っている段階ですでに「一個人」超えていることに気づきませんか。

宮脇先生 自分の感じていることをつなげても、ヨハネの歴史にはならないでしょう。「歴史を書こう」と考えた時点で、もう一個人という枠の外に出ているということですね。

まだまだ質問は絶えませんでしたが、残念ながらこれにて打ち止めにさせていただきました。さすがに岡田先生、宮脇先生の歴史観に関する言葉、一つひとつが重いものでした。
近いうちにもう一度お招きする予定でいます。おたのしみに。

http://www.gis.ed.jp/report/100731_01/subject.html
http://www.gis.ed.jp/report/100731_02/subject.html

岡山アキラ(筆名) 投稿日:2010/10/11 01:47

【3】情報操作を繰り返した管・仙石政権の手法と政権の「大本営発表」ばかり報道する大マスコミ・・・・いわゆる尖閣諸島沖漁船衝突事件より

国家公務員をしている岡山アキラ(筆名)です。過去、何回か投稿させていただいています。

まず、前置きですが、本来は、副島先生のいうとおり実名で文章を発表するべきでしょう。しかし、やはり副島先生が「ぼやき」で述べている事情のとおりで、左遷にはなりたくないので、公務員でいる間は、学問道場には、筆名で投稿させていただきたいと思います(とはいえ、以下に記載の文章の内容はすべてネットからの引用等で国家公務員法でいう秘密はないので法律上はまったく問題ないはずです。)。

実名投稿でなければならないということであれば削除して頂いて結構です。

それでは以下、件名について、「である」調で述べます。

管・仙石政権発足時から、情報公開に消極的な政権だと思ってきたが、9月7日発生したいわゆる尖閣諸島沖漁船衝突事件
(詳細はウィキペディアの該当ページ http://ja.wikipedia.org/wiki/尖閣諸島中国漁船衝突事件  を参照)では、中国が事態をエスカレートさせて来たのに泡を食ったせいか、なりふり構わず見え見えの嘘や情報操作を繰り返して事態の収拾を図ったのには恐れ入った。

フジタの社員も全員帰ってきたので約一か月で事件終結と言ってもよいと思うが、戦後、このような約一か月という短期間において、国民に真実を知らせないこうした「インチキ」発表や手法がこれほど多用されたことがあったであろうか。

おそらく日本国内の事件だったならば、報道どころかインターネットを一般国民が見ても気がつかないよう処理されていた可能性が高いが、彼らの権力の範疇外の外国への対応についてはそういうわけにはいかなかったようでずいぶんとボロが見えた。

今後も、彼らにとって何か重大な事件が発生した場合、多分、このような「インチキ」発表等を使って事態の収拾が図られるのであろう。

そして大マスコミ(読売、毎日、産経、朝日、日経、これらに5社に付随するテレビ局、NHK及び通信社2社)が、例によってこれらをろくに批判せず政権の「大本営発表」ばかりをそのまま報道を繰り返すのにも恐れ入った。

こうした大マスコミが真実を追及せず大本営発表のみを流すことに終始する体制をどうにか変えないと、我々日本国民は、真実を知ることができず、いずれは戦前の日本のような自由が制限される統制国家あるいはナチスドイツのような独裁国家にまで堕し、日本は再び戦争への道を歩むことになるであろう。

先日、「中国で民主活動家の劉暁波氏(54)に対するノーベル平和賞授与決定について報じていた8日のNHK海外テレビ放送のニュース番組中、突然画面が真っ黒になり、視聴できなくなった。」という事件( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101008-00000118-jij-int )があったが、我々日本人も笑えない。

このような大マスコミの体制及び国民に真実を伝えず政権運営を行う管・仙石のような政権を全国民が座視するようであれば、日本にだって将来起こりえる。

したがって、大マスコミの現在の体制の解体及び現政権には、一刻も早く権力の座から退場願う必要があると強く感じたが、私には、その方策が今のところ全く思いつかず、焦燥感のみを覚える。

そこで、その焦燥感を軽減するべく、少なくともここのウェブサイトを閲覧される方々が、こうした「インチキ」「大本営発表」発表等に騙されないよう、今回用いられた政権による「インチキ」発表等あるいは大マスコミの報道についての私のコメント及び疑問の提起・・・情報の中身は既報のものかつ私が気がついたものだけであるが・・・を以下に覚書として簡単にまとめて列挙しておきたい。(引用記事は、特に必要としなければ、タイトル及びリンク先URLのみ掲載した。)

1.中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した模様を撮影したビデオが存在するが公表されないこと。

以下の記事のとおり、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した模様を撮影したビデオがようやく公開されるかと思ったら、やっぱりやめたという。
何か中国と取引があるのか。10年前の不審船事件の際、不審船が銃を乱射する等の映像がすぐ公表されたのと今回の対応との整合性がとれていない。なぜ、大マスコミはこのことについてもっと批判しないのか。

尖閣の漁船衝突映像公開へ 予算委要望受け提出の見通し
http://www.asahi.com/politics/update/0929/TKY201009290239.html
衝突ビデオ、全面公開見送り=日中関係改善を優先―政府・民主
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101009-00000116-jij-pol
漁船衝突ビデオ 公開先延ばし・責任押し付け…政府、国民無視の対中配慮
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101008/plc1010082356037-n1.htm

2.9月24日、那覇地方検察庁が船長を処分保留で釈放と発表し、25日、船長が送還されたが、以下の記事のとおり、那覇地検次席検事及び仙石官房長官とも双方ともそれは政治判断はなく、検察判断によるものだという。

釈放に政治判断なし、検察が決定…那覇地検会見
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100924-728653/news/20100924-OYT1T00930.htm
検察判断で釈放決定、政府は追認…官房長官
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100924-728653/news/20100924-OYT1T01030.htm

しかし、そんなわけがないだろう。
この問題については、以下のサイトで佐藤勝氏や上杉隆氏が述べているのでそれらを参照のこと。
【佐藤優の眼光紙背】国益を大きく毀損する那覇地方検察庁の判断
http://news.livedoor.com/article/detail/5030700/
「政治主導」が聞いて呆れる、菅内閣の尖閣問題に対する無責任姿勢【週刊 上杉隆】
http://diamond.jp/articles/-/9560?page=4

3.デモについて報道せず
10月2日、CNNが渋谷で行われた尖閣諸島問題に関する2600人のデモ行進について報じたが日本の大マスコミが全然報じないという事があった(以下の記事参照)。
マスコミの尖閣デモスルーの件 2chで大盛り上がり
http://news.goo.ne.jp/article/r25/life/r25-20101006-00003807.html

「尖閣渋谷2600人デモ」海外メディアは大々的に報道するも日本のマスコミは華麗にスルー
http://news.livedoor.com/article/detail/5048647/

このデモは田母神紙主催だったということなので、CNN等の海外メディアが真っ先に報じた理由は学問道場の読者なら書くまでもないだろう。
逆に日本大マスコミが全然報じなかった理由も簡単だ。長いものに巻かれろ式に中国に慮ったかあるいは、政権からフジタ社員の釈放が遅れるとか言われ、つまり報じるなとそれとなく圧力がかかったかのどちらかだろう。

4.尖閣諸島に安保適用される?
以下の産経の記事のとおり、政権のヨイショ記事が載っている。

(貼り付けはじめ)
尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁の船に衝突し、中国人船長を逮捕した問題で、9月23日、訪米した前原誠司外務大臣は、クリントン長官との会合で、長官が、「尖閣諸島には日米安保条約が適用される」と述べたと説明し、それを外交成果だと強調した。
(はりつけ終わり)

しかし、これは、以下の記事のとおり米の従来の立場を改めて述べたに過ぎない。
たとえば以下のこんな記事もある。

クリントン長官「尖閣諸島に安保適用」は日本の楽観的解釈
http://www.news-postseven.com/archives/20101005_2643.html

クリントン発言の真相…尖閣列島が日本の実効支配から外れれば、安保適用外になる余地あり。米中間に「黙契」成立の疑いも
http://news.qwe.jp/news4plus/1286636019

5.この事件の周辺事情は?
大マスコミは、9月7日に巡視船とぶつかった中国漁船がどのようにぶつかったかということとその後の状況は報じている。しかし、ぶつかった際、中国漁船には僚船がいたのか?いたなら何隻なのか?あるいは、いつから、どこからやってきたか?、逆に巡視船は何隻いたのか等の周辺事情を、次から次へと情勢が変化したせいかほとんど報じていない。
どんな事件でもそうだが、事件そのものだけ調べても「××についての状況は○○でした。」しかわからないものだ。それはそれで嘘ではないが、周辺事情も合わせて知らなければ全体の事実≒真実には近づかない。

この中国漁船は9月7日に中国の某所から1隻で出発してその日にぶつかったのか?違うであろう。漁船なのだから何日かかけて中国のどこからか尖閣諸島にやってきて、そこでさらに操業していてぶつかったということのはずだ。

単船でやって来たということも考えにくい。以下、この件について、インターネットで調べてわかったことを述べる。

次の9月9日付け沖縄タイムスという沖縄のローカル紙によると、8月中旬から1日最大270隻の中国漁船が尖閣諸島にあらわれ、内70隻が領海に侵入し、事件当日は、160隻が周辺にいて30隻が領海に侵入していたという。

尖閣に中国船1日270隻 石垣市民、不安高まる
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-09_10016/

つまりこのぶつかった中国漁船は早ければ8月中旬くらいから僚船約270~160隻と一緒にやってきて尖閣諸島周辺で操業していたというわけである。ただ8月中旬の話を9月9日に付け足しのようにローカル紙のみが報じていることから、毎年中国漁船が数百隻、尖閣諸島にやってくることは恒例である可能性が高い。本当の異常事態ならば8月中旬に報道されているはずだからである。

一方で巡視船について、次の記事では中国監視船の「漁政201」と「漁政203」の2隻が来てからは、6隻いたということになる。ただし、その前の事件当日いた巡視船の隻数ははっきりしない。

尖閣“一触即発”船舶入り乱れ!防衛省幹部「不測事態ある…」
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100928/plt1009281603002-n1.htm

岡山 拝

終夜 投稿日:2010/06/26 06:31

【2】吹いた。6時のNHKニュース

どちらに投稿しようかと思いましたが、こちらをお借りいたします。

6月26日、朝6時のNHKニュースによると、
「オバマ大統領は、菅首相に対し、『お会いできてうれしいです。』」と語ったようです。

ようするに”Nice to meet you.”と言ったんですね。

推測

①NHKは菅首相を応援している。

②菅首相はオバマ大統領から相手にされていない。

(鳩山前首相は核サミットのときに10分しか時間をもらえなかったと酷評されていました。核軍縮の話し合いの場でしたので、オバマ大統領は特別に時間を割いてくれたんだな、という感想を私は持ったのですけどね。)

庄司 誠 投稿日:2010/06/03 21:47

【1】我らが学問道場のサイトが新しく改装されました!

 みなさん、こんばんは。庄司誠です。

 当掲示板管理人の庄司誠です。
 といっても、私自身が怠けきっていて滅多にここに投稿しないですから、昔からこの学問道場に丁寧に付き合って下さっている会員の皆様方以外は、私のことなどまるっきり知らないでしょう。

 時間をつくって有益な情報を投稿して下さってる会員様には感謝を申し上げるとともに、私の怠慢についてはお詫びをいたします。

 これからも「副島隆彦の学問道場」および当【ふじむら掲示板】をよろしくお願いいたします。

 庄司 誠