ふじむら掲示板
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Loginはこちら【18】(参考文献)2011年3月16日付、読売新聞より
(Q)
地震直後から船酔いのような症状が抜けません。これは何でしょうか。(茨城県那珂市 27歳男性)
(A)
「地震酔い」と言われているものです。今回の地震は揺れた時間が長く、しかも大きな余震も続いているため地震酔いにかかる方も多いかもしれません。
メカニズムは船酔いや車酔いと同じです。視覚情報と三半規管で感じる平衡感覚にズレが生じると自律神経が興奮し、「酔い」の状態になります。
「不安感」なども原因です。車酔いする人がバスの中のにおいや、たばこなど苦手なにおいがすると酔いやすくなるのと同じで、「また地震が起こるかも」「親戚、家族は大丈夫だろうか」といった不安感が余震による酔いを増幅させているのでしょう。
地震酔いが苦しい人は、深呼吸をし、冷たい水や温かいお茶を飲むなど、リラックス出来る工夫をしてみて下さい。(喜多悦子 日本赤十字九州国際看護大学長)
【17】(参考文献)田村康二「“震度7”を生き抜く」より(1/4)
<書誌事項> (著者)田村康二、(書名)「震度7」を生き抜く、(副題)被災地医師が得た教訓、2005年、祥伝社新書
<著者略歴> 1935年、新潟県生まれ。新潟大学医学部卒業後、同大医学部助教授、山梨医科大学教授を経て、2001年より新潟県長岡市の立川メディカルセンター常勤顧問を務める。生体リズムを病気の予防、健康に生かす「時間医学」の第一人者。(前掲書より)
<前掲書P224~231より>
[生体リズムを生かして復活しよう]
震災に遭うと、ふだんなんとなく暮らしていた「普通の生活」が、いかに大切かを思い知らされる。では、普通の生活とはなんだろうか? 与えられた自然の中で、心と体の調和がとれている暮らしだと思う。つまり、心身のリズムがうまくとれている生活である。だから、普通の生活に戻るには、このリズムをふたたび取り戻すことにある。
私も、ようやく落ち着いてきたのは、地震後一カ月も経ったころだったと実感している。余震もやっと減ってきたころだ。
地震発生時に、ジムのプールで恐怖の体験をした人に聞いた。
「あのときから、またプールに入りましたか?」
「今日、一カ月ぶりに入りました。でも、怖くてすぐにあがりましたよ」
などという悩みを聞く。
近くの長岡操車場跡地には、たくさんの仮設住宅が造られ、まるで一つの街ができたような気がする。
多くの被災者が、リュックサックを肩に私のアパートの前を行き来している。あのとき、幸せな生活を突然奪われた方たちには、なんの落ち度があったわけではない。なのに、なぜ「仮設住宅に入れてホッとし、落ち着きを取り戻してきています」という生活に耐えなければならないのだろうか。
だが、慣れとは怖いもので、人間は一カ月も経てば、新しい生活に順応しはじめる。
昔から「石の上にも三年」というが、いま思えば、私も風土や仕事がまったく違うこの地での生活に馴染むのに三年かかった。このように、人間の体調、つまり身体のリズムが新しい環境に馴染むには一定の時間が必要なのである。
人間は、広い宇宙の中の地球という星で暮らしている。だから、まず地球物理学的な力が「秒・分・週・月・年」という時間を決め、身体はそれにしたがって変動している。
この変動は、リズミカルに変わって「生体リズム」となり、体内にそれを刻む「生体時計」が作られていく。さまざまな時間的周期を持つリズムは、それぞれがいわば小さな波であり、それらが互いに重なり合って大きな波を作り、心身のリズムができあがってくる。このリズムの代表が、約二四時間のリズムである。これを「サーカディアン・リズム(概日リズム)」と呼んでいる。
(以下、次号)
【16】(参考文献)田村康二「“震度7”を生き抜く」より(2/4)
(承 前)
サーカディアン・リズムは、遺伝的な要素、つまり、持って生まれた「時計遺伝子」と、生まれてから今日に至る「環境」のあいだの互いのせめぎ合いでできている。
まず、身体の細胞のすべてにある時計遺伝子は約二五時間周期である。これを体内時計と言う。
一方、自然環境である対外時計は、太陽の運行で決まってくるが、これは二四時間周期である。これらの内外二つの時計の互いのせめぎ合いで、体には“体の時計”ができてくる。これを「生体時計」(以下、時計とする)と言う。
二つの時計の互いのせめぎ合いの結果、時計の周期は約二四・五時間ほどになるが、この時計の中枢は、脳のほぼ中央に位置する「視交差上核(しこうさじょうかく)」の時計遺伝子の塊の中にある。
この塊に対し、眼から入った光の刺激が伝わると、松果体(しょうかたい)という組織に信号が伝えられ、そこからセロトニンという「時計のホルモン」が分泌されて、全身の時計を調節していく。これが「体調」といわれ、リズムを調節している仕組みである。
「今日は体調が悪い。だんだんと調子が上がってきた。リズムに乗れる」などという言い方を、誰もが日常的にする。つまり、誰もが一定のリズムで自分の体が揺れ動くような気がしている。
こうした人間身体の経時的な変動には、一定の規則性があることが科学的に解明されてきて、これを研究しているのが時間医学である。この医学の成果は、時間的変動の規則性を見つけることで、日ごろの暮らし方に基づく健康法となり(これを私は、生体リズム健康法と提唱している)、さらには病気の予防や診断、治療に使われている。
たとえば、大脳の前頭葉は、主な頭脳活動(発語、気分、思考、言語など)をつかさどる。頭脳活動や精神的な活動は、一日のうちで午前十一時ごろが最高になり、夕方になるにつれてこの活動は低下してくるというリズムがある。
じつは、頭脳活動を数量的に評価するのは難しいのだが、一日のうちで計算能力の速さについての変動を分析すると、このリズムが明らかになる。したがって、朝の時間帯に企画、立案、評価、あるいは家計簿の整理などの頭脳労働をするのが効率的である。
一方、スポーツに不可欠な運動要素である、走る、蹴るなどの働きは、午後四時ごろにピークになる。そのため、この時間に試合をすればベストの試合ができる。つまり、肉体労働は、午後から夕方にかけて行なうようにするのがベストなのだ。
宮本武蔵は『五輪書』という剣の極意書で、拍子(リズム)や度を越す(急所を乗り切る)タイミングの重要さを説いている。かの有名な巌流島での決戦には、このリズムを考えたに違いない。人生、何事をするにもリズムに乗り、タイミングを摑むことが大切である。そうして、うまく調子の波に乗れれば、体調も元に戻り、回復も早まってくる。
(以下、次号)
【15】(参考文献)田村康二「“震度7”を生き抜く」より(3/4)
(承 前)
[身体のリズムを取り戻すポイント]
地震では、一挙に急激な生活や環境の変化に出会う。このために体調がすっかり狂ってしまう。だから、変化に慣れるためにリズムを調律し直す必要がある。新しい環境に馴染み、溶け込み、適応し、順応して同化していくのである。どのように慣れていったらいいのかを知ることは、大切な生活の知恵だ。
新しい環境に慣れていくには、「基になる周期の四~五倍の時間」がかかる。まず、この原則をよく承知してほしい。
①一日のリズムを治すには最低四日はかかる。
病院に入院すると、普通、最初の四~五日間は微熱と軽い頻脈が起こる。その後は正常に戻るが、昔から医師はこれを「病院熱」と呼んできた。理由は、入院する前の生活リズムが入院で一変するからだ。しかし、一日の四~五倍、つまり入院四~五日目になると、ようやく新しい生活リズムに慣れてくる。
時差ボケも病院熱と同じである。交代勤務や海外旅行のために昼夜が逆転すると、体内に時差が生じる。これを「時差ボケ」と呼ぶ。海外旅行による時差は、日本から東西どちらへでも五時間以上続けて飛ぶと起きてくる現象だ。この結果、普通は寝ている時間に急に起こされ、寝ボケている状態と同じになってしまう。原因は、急に現地時間が異なる場所に移動して夜と昼が逆転してしまい、身体の時計が狂うからである。さらに疲労・ストレスが加わる。
ただ、このボケ状態も、病院熱と同じように四~五日でおさまる。ともあれ、一日のリズムの乱れを治すには、四~五日かかると思ってほしい。
②一週間のリズムの狂いを治すには最低四週間はかかる。
人には、「労働の一週間リズム」がある。旧約聖書には、「天地万物は完成された。第七の日に神はご自分の仕事を離れて安息された。この日に神は、すべての創造の仕事を離れ安息されたので、第七の日を神は祝福し聖別された。これが天地創造の由来である」と書かれている。
「神が全能なら、なぜ万物を作るのに六日間もかかったのか? なぜ一秒で作れなかったのか?」と異教徒なら当然の疑問を問うと、ユダヤ・キリストの聖職者の顔色が変わるだろう。しかし、彼らに感謝しなくてはならない。なぜなら、そのおかげで日本でも日曜日を休むという習慣が根づいてきたからだ。
医学的に、身体には「一週間」というリズムがあることがわかってきた。実験用のネズミも七日目には活動が鈍る。
要するに、環境の急な変化に対しては、まず、一日の四倍の四日間を使って慣れ、次に七日の四倍、約一カ月で慣れていくことが大切である。一週間のリズムを取り戻すには、四週間の連続した休養が必要となることを知ってほしい。もちろん、一カ月を取り戻すには、四カ月間辛抱しないと日ごろの生活は戻ってこない。
(以下、次号)
【14】(参考文献)田村康二「“震度7”を生き抜く」より(4/4)
(承 前)
リズムを取り戻すに必要なのは、まず食事である。ふだん通り、三度の食事を規則正しく摂ることからはじまる。食事内容も大切である。たとえば、枝豆に多く含まれるトリプトファン。これから生まれるアミノ酸は睡眠物質を作る材料になるので、不眠を感じる人は大豆を食べるとよい。
アメリカから沖縄へ兵士を空輸する際、トリプトファンを摂った兵士は機内でよく寝ていたという報告がある。また、熟眠したければ、ミネラル、ビタミンを多く含むブロッコリーがおすすめである。寝酒に愛用されるワインでは睡眠物質は作れない。
全身運動をするのも効果的である。じつは、長岡市では日本ではじめて、市民による「長岡市朝起会」を行なった土地である。NHKのラジオ体操より早い。
一九二二年(大正十一年)から四〇年(昭和十五年)まで、「励めよ励めよ朝起きを、三六〇有余日、雨の降る日も、おめずおくせず、ためらわず・・・・・・」という「長岡朝起きの歌」を歌いながら、全身運動する習慣が続いた。全国に誇れる社会体操の先駆である。
いま、これに習って早寝早起きし、軽い全身体操をするといい。これは、全身のリズムを整えるのに効果がある。元気を出して、朝の体操をしてみよう。(以 上)
【13】つくばだより、その2
3月11日午後4時頃、私は自家用車で茨城県つくば市の職場から退避した。
工場には既に毒ガスが充満していた。臨時社員の私は何の役にも立たないばかりか、足手まといになる。年下の課長から、おまえは帰りたければ帰れと言われた。お言葉に甘えて帰ることにしたのだ。
主要道路は渋滞していると推測し、私は脇道を行くことにした。
長高野(おさこうや)、篠崎(しのざき)、沼崎(ぬまざき)、酒丸(さけまる)といった名の、昔ながらの農村集落の間の、生活道路や農道をジグザグに辿りながら、私は南下して行った。
所どころでブロック塀や大谷石の塀が崩落していた。屋根瓦が剥落している家屋もあった。地震で破壊された建築物にどのような共通性・法則性があるのか、私には分からなかった。路上のそちこちで村民たち(その多くは高齢者であった)が立ち話をしていた。車で脇をすり抜けたら、みな一様に、私のことをうさん臭そうな目で見る。
そのうち、私はあることに気がついた。崩れた塀はずいぶん見かけたが、それが通行の支障になるようなことは、ただの一度もなかったのである。
崩れたブロック、崩れた大谷石は、よく見ると、みな道路脇に行儀良く整列していた。あの大地震で、塀のブロックや大谷石が、こんなサーカスみたいに器用な着地をご披露するものだろうか。
おそらくは地震発生から数時間以内に、誰かが路上から崩れたブロックや大谷石を取り除けたのだ。一体どの誰が、一体どうやって、これだけの大仕事を鮮やかにやってのけたのだろうか。
私はつくばの農村の底力を知った。一見、何もない田舎のように見えたが、つくばの農村は、決していわゆる「限界集落」(注)ではなかったのである。この一年半、あちこちブラブラ見て回ったつもりでいたが、私はつくばがどういう土地なのか、全く分かっていなかったのだと思う。(以 上)
(注)「限界集落」とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。(ウィキペディアより)
【12】つくばだより、その3
3月11日午後5時半頃、私は車で自宅(茨城県つくば市)最寄のコンビニに向った。
自分も含めて、道行く車の運転マナーが、総じていつもより荒い。途中で事故車に出会う頻度も高かった。矢張り、みな気が立っていたのだ。
その日その時刻のコンビニには、まだ弁当やパスタが棚に半分くらい残っていた。それらのいくつかを良く見もせずに掴み取り、私はレジに向う列に並んだ。
そのまましばらくして気がついた。その店にはレジが二つあった。私が付いた列は既に店内を横断するほど伸びていたが、もう片方のレジには客が一人もいなかった。空いたレジの後ろにはちゃんと店員が居たが、こういう場合のマニュアル・トーク、「二番目のお客様、こちらのレジにどうぞ」を言おうともせず、電信柱のように立ったままだった。
私も含めて、みな呆然自失していたのである。
店を出がけに雑誌コーナーに視線を飛ばしたら、若い学生風の男がエロ週刊誌を立ち読みしていた。
近来稀な剛の者である。
誰もが平等に被災したものと思っていたが、それでも矢張り、受け止め方・感じ方は人さまざまなのだと知った。(以 上)
【11】つくばだより、その4
震災四日目(3/14)の晩、父(元電気技師。専門は制御屋)に電話し、原発事故の傾向と対策について、その見解を問うた。父いわく、
「実はさきほど、原発屋だった元同僚とも電話でディスカッションしたのだが、今公開されている限りの情報では、『この患者は死ぬだろう』とも『助かるだろう』とも言いかねる。」
父は「国産技術の振興」なる会社のスローガンを素朴に信じ、バカ正直に働き、そこそこ出世して終わった男である。それでも退職後は割と好き勝手なことをほざくようになったが、その思いは複雑だろう。「分かりません」が答えとは、父にしてみれば技術者としてギリギリの良心なのかもしれない。
「3月15日午前10時22分、福島第一原発3号機付近のモニタリングポストで毎時400ミリ・シーベルトの放射線量が測定された」との対外発表あり。
震災五日目(3/15)の夕刻、計画停電に伴う電車運休で、つくば駅のシャッターは閉ざされていた。
そのシャッターの前には、運転再開2時間前から長い行列ができていた。みなキャリーバッグをゴロゴロと重たそうに引き摺っている。学生風の集団は体育会の合宿か。それにしては会話が少ない。あのキザなインテリ風オヤジは学会帰りか。それにしては表情が暗く、高揚した所が微塵も感じられない。
家に帰って、あれは何だったのだろうと女房に問うたら、アンタはそんな目端の利かないことだから、出世競争からオチコボレたのだと嫌味を言われた。
震災は、今日から新しい段階が始まった。(以 上)
【10】福島第一原発の放射能漏れ事故――米空母も逃げ出すほどの事故である
岡山アキラ(筆名、会員番号1603)です。
「重掲」の方でも記事が載っていましたが、日本語の情報でも朝日(以下のURLのリンク先を参照)が、救援活動に来ていた空母を含む米艦隊が放射性物質を避けるため逃げ出した旨の記事が出ていました。
米軍の「トモダチ作戦」苦戦 原発事故で一時退避も
http://www.asahi.com/international/update/0314/TKY201103140372.html
この事実を政治的にみると、「日米同盟の再出発」という話が1月にあった(以下のURLのリンク先を参照)はずだが、再出発の結果がこれということである。米国にとって、日本は命を晒して助けるほどの「トモダチ」ではないということがわかる。
「日米同盟の再出発」掲げる 菅首相が外交演説
http://www.asahi.com/politics/update/0120/TKY201101200518.html
他方、どの程度の放射能雲に遭遇したのか数値が出ていないが、米軍さえ逃げ出さないといけないほどの放射能があったという事実は大変重い。
原子力というものが危険なものであると改めて認識せざるを得ない。今からでは手遅れかもしれないが、脱原子力ということを真剣に考える必要がある。
岡山 拝
【9】尖閣ビデオ流出事件(元海上保安庁職員が、特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られていた可能性は依然として残る)
国家公務員をしている岡山アキラ(会員番号1603、筆名。筆名で記述している理由については[18]の最後の(お断り)をご覧ください。)です。(以下、である調で記述します。)
1 最近の大きな動き
この事件を起こした元海上保安庁職員「一色正春」氏(以下、一色氏という。)についてであるが、先日、日本外国特派員協会において記者会見等(以下、記者会見という。)をするとともに著書「何かのために sengoku38の告白」を出版した(以下のURLを参照)。
元海上保安官、一色正春氏講演その1 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=enbk7z8xJlQ&feature=fvwkrel
元海上保安官、一色正春氏講演その2 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=RTvAmJQNyQM&feature=related
元海上保安官、一色正春氏講演その3 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=6XWLmVAC4N4&feature=related
何かのために sengoku38の告白 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/何かのために-sengoku38の告白-一色正春/dp/4023309206
2 一色氏に対する私の認識・疑問
一色氏に対する私の考えや疑問は[16]に記載したとおり
①「何故、石垣や那覇で取り扱われていた動画が神戸で流出するのか、「義憤に駆られた」ならば何故、非公開の決定直後ではなく、このタイミングで流出させたか」、つまり中国のトップ来日直前というタイミングで流出させたか
②「○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られている」のではないか、「(流出を自らの上司等に告白する)数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしている」のは何故かということである。
3 記者会見及び著書等からわかったこと
本事件が発生してからすでに数カ月も経っており、嘘をついたり、触れられたくない話題を避けたりすることはやろう思えば簡単なので、記者会見や一色氏の著書の内容自体よりも何を語っていないかあるいは欺瞞の有無を重視して見た。
上記2①については、一色氏の著書から関係の日時を抽出すると以下のとおりであり、この時系列を一見する限りでは、流出時期させた時期が偶然、「中国のトップ来日直前というタイミング」に一致してしまった可能性はある。
「10月18日に一部の国会議員に限定して公開されるという報道を目にしたときには、私は絶望感に襲われた。」(何かのために sengoku38の告白106頁)
「10月23日にC社東京支局に動画データを郵送」(前掲書118頁、C社とは、http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010112500121 によるとCNNである。)
「11月4日、実行」(前掲書123頁)
しかし、そもそも、何故、神戸という尖閣諸島とまったく関係ない居場所にいた一色氏が職を賭してまでこのビデオを流出させなくてならないほど「義憤に駆られた」かについて述べられていない。
記者会見や一色氏の著書では動機について色々述べているが、いずれの動機も、場所からいうと石垣や那覇といった尖閣諸島、そして中国に近い場所にいる海上保安庁関係者、あるいは、主な政治家が常におり、責任が重く、重圧に晒される東京にいる海上保安庁関係者の方がより強く持っていると考える方が自然である。
よって、一色氏には、石垣、那覇、東京の関係者以上の尖閣ビデオを流出するに決意するほどまでに尖閣諸島への強い思い入れ、あるいは中国への強い嫌悪感があったということになる。
ではどちらの思いが強いかというと、後者であろうと言える。というのは、すでに次の阿修羅の掲示板に掲載されている記事
sengoku38の妻は韓国籍で妻の親はアメリカ人という情報。
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/753.html
及びこの記事のリンク先の記事のとおり、上記2②の私の考えが正しいように思える家庭事情、つまり奥さんが韓国人、奥さんの両親が韓国系米国人という事情があるからである。
尖閣諸島への思い入れがあるとするのならば、すでに韓国に占領されている竹島については、いったいどういう思いがあるのかという疑問が生じるわけだが、奥さんが韓国人だということを考えると、あまりそのことに触れることができないことは理解できる。さらに言うと、その鬱憤が中国へ向いている、あるいは、その他の明らかにされていない中国嫌いの特別な理由がある、例えば、奥さんも実は一緒に常日頃から中国非難をしている等、ということも考えられる。
このように一色氏のこの家庭事情は、この事件の重要な点の一つである。よって、彼の家族関係の情報に注目したが、とりあえず、著書において奥さんが韓国人であることを自ら説明している、そして彼が、奥さんや家族を大切にしているということ、もっと突っ込んで言えば、韓国シンパ、奥さんの両親とも仲がよければ、米国シンパとならざるを得ないということがわかった。
この件については、フリー記者の上杉隆氏も阿修羅の記事等を読んでいるようで、上に掲載した「元海上保安官、一色正春氏講演その2 Senkaku Japan」で家族のことについて聞いている場面が最初の方に映っている。やりとりの内容は、おそらく事前にこの質問が出ると踏んだか、あるいは、検察、警察の取り調べの過程で何度も聞かれていたせいかどうだかわからないが、笑いを誘うように子供とポケットモンスターの話題にうまく話を逸らしていた。
一方、産経が本会見を文字起こしをした記事(以下のリンク先を参照、このリンク先を含め13頁に渡る)には、このやりとりはまったく文字起こしされておらず、産経はこの話題に触れられてほしくないのだということが分かる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110214/crm11021412530009-n1.htm
逆に、一色氏があまり語っていないことは、二つある。一つは上記2②でも述べているとおり、数ある日本のメディアの中で「(流出を自らの上司等に告白する)数日前にすでにこの件で読売テレビの記者がこの海保職員に取材をしている」のは何故かということである。
「○○○会等の特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られている」かどうかは自ら語るわけがないのでともかくとして、この記者については、前掲書138及び139頁に登場するが、彼との接触経緯、時期等がまったく述べられておらず、これらが一色氏にとって触れられたくないポイントの一つなのであろうことがわかる。
もう一つは、竹島の件である。阿修羅の記事の各種リンク先の記事によると一色氏は、自らが韓国語を解するほどであり奥さんも韓国人なのであるから尖閣諸島の事情よりも韓国方面、とりわけ竹島の事情の方がよほど詳しいはずなのである。
動画の方には竹島への言及はなく、著書の方は74頁及び82頁に数行しか書いていない。おまけに竹島ではなく「独島(日本名・竹島)」などと書いている。尖閣諸島を日本名で記述しているのに竹島の方は、韓国名をメインにして竹島という名前を注記で記載しているというのはダブルスタンダードもいいところである。このような記述の仕方から奥さんとその母国である韓国に相当配慮していることがわかる。
4 結論(一色氏が、特殊な団体の構成員、あるいは、そのような団体に操られていた可能性は依然として残る)
上記3で述べた通り、一色氏について、
①一色氏には尖閣ビデオを外部流出させた動機はあるが、明らかにされた本人の動機のみでは場所的、責任の観点から、石垣、那覇、東京にいる関係者より強いとは言えず、明らかにされていない中国への強い嫌悪感等、他の動機がある可能性が高い
②数ある日本のメディアの中で尖閣ビデオ流出前から読売テレビに接触した経緯、時期が不明
③一色氏は、韓国人の奥さんを大切にしており、その大切にしているレベルは、一色氏本人は、日本人であり尖閣諸島を神戸にいながら心配するほどの日本の領土保全に関心を持っているほどにもかかわらず、韓国語を解することから尖閣諸島よりも事情をよく知っているはずの竹島のことを「独島(日本名・竹島)」と韓国に配慮した記述をしてしまうほど
ということが分かった。
すなわち、上記②のとおり重大な事柄について不明な点がある、また、上記①③のとおり、奇妙と思える点が浮かび上がって来たということから、一色氏は、何かを隠している、あるいは重要な記憶が欠落している可能性も否定できないと言える。よって、特殊な団体の構成員である、あるいは、奥さんや奥さんの両親等を通じてそのような団体に操られていた可能性も依然として残る。
岡山拝