ふじむら掲示板
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Loginはこちら【438】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(7)古事記偽書論争を概観する(5)その後の顛末
伊藤睦月です。
(32)江戸中期の賀茂真淵から、200年にわたって繰り広げられた、古事記偽書論争も、そろそろ終わりに入ったようだ。まず、2000年以降、論争の当事者の大半が、この世を去って論争を展開する論者がほとんど存在しなくなった。こういう、特に人文学の分野では長寿も実力のうち、というか、「生きてるだけでまるもうけ」(明石家さんま)ということが多く起こるらしい。また、守谷君が論拠としているらしい、国語学からの支援も事実上なくなり、新しい展開が始まっている。以下、古事記偽書説、本物説、両方の代表的な見解を示す。両説の違いがほとんどなくなっていることを読み取っていただきたい。
(33)古事記(序文)偽書説(三浦祐之:みうらすけゆき1946年ー)(引用はじめ)「序」の執筆者には古事記本文に対する認識不足があって、本文を筆録したのと同一人物であるとは到底感じられない、私にはそう感じられます。そのために古事記「序」は、本文とは別に、のちに付け加えられたのではないかと考えるようになりました。おそらくその時期は、大和岩雄(1928-2021)が主張するとおり、和銅5年(712)よりも100年ほどのちの9世紀初頭のことで、(新版「古事記成立考」)、太(多)氏またはその周辺に伝来していた書物を権威化するために、天武天皇の誦習命令から始まったとする「序」が偽造されたのではないかと考えています。その実行者をあえて挙げるとすれば、前に弘仁の講書で名前の出た多人長ということになるでしょう。
(33)(古事記本文について)誤解のないように言っておきたいのですが、「序」は9世紀に書かれたのに対して、本文は和銅5年より、数十年前、7世紀の半ばから後半には成立していたのが私の見解です。その理由は、上代特殊仮名遣いと呼ばれる音韻の研究によって、明らかにされている「も」という仮名の二種類の書き分けや神話・伝承にみられる古層的な性格などによって、本文の古さは保証できると考えるからです。出雲神話を大きく取り上げるのも、古層の歴史認識とかかわっています。(引用終わり。「古事記を読みなおす279-280頁(ちくま新書2010年)
伊藤睦月です。次は本物説を紹介します。少し小休止
【437】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(6)古事記偽書論争を概観する(4)考古学からの反論
伊藤睦月です。
(31)1975年に大和岩男が「旧版古事記成立考」で、古事記序文偽書説を展開し、古事記本物説をとる、大野晋ほか学会主流との議論が活発になった。古事記序文偽書説は、、松本雅期(1912-1993)、神田秀夫(1913-1993)、西田長男(1909-1981)、友田吉之助、鳥越憲三郎(1914-2007)、といった国学者、民俗学者、松本清張(1909-1992)といった歴史推理作家、岡田英弘(1931-2017)といった、他分野の歴史学者に賛同者が多かった。特に松本清張は、大和岩男の熱心な支援者であり、大岩に新版の執筆を勧めたり、大野晋との宴席を設けたりした。大岩は、自分の「旧版古事記成立考」は、松本尾清張説(「古代探求(1974年)」を継承、発展させたものだと語っている。(「新版古事記成立考」2009年)
(32)しかし、学会主流は主に「上代特殊万葉仮名」や本居宣長「古事記伝」を根拠に、偽書説を批判し続けた。そんな中、1979年に関係者を震撼させた、ある事件が発生した。これにより、約30年間、古事記偽書説論者のほとんどが沈黙した。
(33)1979年1月に奈良県奈良市で発掘された、太安万侶の墓から出てきた墓誌(故人の記録)は、関係者に大変な衝撃を与えたらしい。「これで偽書説が吹っ飛んだ」と評した研究者もいたようだ。
(34)古事記偽書説論者は、その多くが「序文」を平安時代初期に太安万侶の子孫と称する多人長(おおのひとなが)により、偽造されたものとする。ただし本文は、上代特殊万葉仮名遣いの理論を受け入れ、8世紀の奈良時代初期の文章だとする。それでも古事記偽書論者は困らない。
(35)なぜなら、古事記という歴史書編纂の事実、経緯、稗田阿礼などは、序文にしか記載されておらず、当時の日本正史「続日本紀」をはじめ、それらの存在を証明する史資料が一切ない。ということは、「序文」が偽書であることを立証できれば、本文も偽書の可能性が高い、ということだ。
(36)なお、太安万侶は、古事記の編纂者でなく、民部卿、つまり行政官僚として「続日本紀」に掲載されてはいた。
(37)しかし、古事記偽書論者たちは、以上の理由で、太安万侶、稗田阿礼の存在を否定しており、学会本流も明確な反論ができなかった。
(38)そこで、さきほどの「太安万侶墓誌」の発見により、古事記の作者「太安万侶」の存在が証明された、とされ、偽書論者たちの多くは反論できなかった。古事記は序文、本文すべて本物だということになった。このニュースは全国紙で報道、テレビニュースやNHKの特集番組などによって、関係者だけでなく、国民一般にも浸透したようだ。
(39)この衝撃はすさまじかった。そのときの状況を現代の古事記序文偽書論者である三浦佑之は、次のように回想、総括している。
(引用はじめ)昭和54(1979)年1月23日に(太安万侶の)墓誌が発見されて以降、「序」への疑いは雲散霧消してしまいました。その当時私も墓誌の出現に浮かれていたと思いますが、改めて振り返ると、とんでもない誤りを犯していたのではないかと、恥ずかしくなります。少なくとも、発掘された墓誌には、古事記の成立を保証する事実は何も書かれていないのです。(以上、引用終わり。「古事記をよみなおす」262頁ちくま新書2010年)
伊藤睦月です。三浦佑之が古事記序文偽書説を、「古事記学会」で発表したのは、2004年。それまでは、大和岩男が三浦と同趣旨で何度も反論を試みたが、批判と黙殺の連続だった。(そのあたりの状況は、大和岩男「古事記偽書説の周辺」(1979年)、「古事記偽書説は成り立たないか」(1988年)、そしてこれらを含めた、古事記偽書説の主張、反論、再反論は、「新版古事記成立考」(2009年大和書房)という600頁超の大著となっている。この本のあとがきで大岩はこう慨嘆する。
(引用はじめ)本文でも書いたが、私(大岩)は、専門の古事記学者でないから、34年前刊行の旧著は無視されてもよいのに、多くの学者が私見を取り上げ、批判を書いてくださり、古事記学会は、私の論文のいくつかを載せ、古事記学会の会員に加えてくださった。上代文学会も無視はしなかったが、私見は認めなかった。(中略)本書は、34年前に刊行した旧著の私見についての批判と、その批判に対して諸雑誌で反論・再反論した原稿の一部を載せているが、私も(2009年時点で)81歳だから論争をした学者の多くも死亡している。しかし、本書に乗せた批判文は、生存中に相手は読んでおり、死後に反論できないのを承知で批判した文章は一つもない。
私は専門学者ではないが、私なりに専門学者の論文や諸文献を検証し、独断を避けて書いたのだから、34年前の旧版と違い、新版はきちんと読んで批判してほしい。(以上引用終わり)
伊藤睦月です。私が守谷健二君に言いたいことのほぼすべてがここに書かれている、守谷君、君も副島隆彦学問道場の会員、副島先生の弟子たらんとするなら、恥を知れ。
(33)
【436】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(5)古事記偽書論争を概観する(3)
伊藤睦月です。
今回は国語学の話になる。いわゆる「上代特殊仮名遣いの研究」というものがあり、これにより、守谷君が主張しているように、古事記偽書説を完全に否定するはず、だったが、そうならなかった。現在では、古事記序文偽書説も本文の時代確定に取り入れられ、国語学からの反論は無意味化してしている。ただその中で、大野晋だけは、2008年7月に亡くなるまで、こだわり続けた。それはなぜか。私なりの考えを述べる。
(17)まず、上代特殊仮名遣いについて、大野晋の説明を引用する。(「古典文法質問箱」48頁~52頁、1998年角川ソフィア文庫)少し長いが、守谷君の主張にかかわる部分なので、ついてきてください。
(引用はじめ)・・・では。録音機などなかった昔の発音をどうして調べるのかといえば、奈良時代の発音は万葉仮名で書き写していたので、その万葉仮名を詳しく調べます。・・・(中略)万葉仮名を全部にわたって丹念に調べてみた結果、次のようなことがわかりました。
①・・・十九の仮名には、甲類及び乙類に分けられる二つの区分がある。
➁『古事記』だけにはモにも二つの区別があった。このモの区別は『万葉集』や『日本書紀』にはない。
➂、④略
⑤つまり、奈良時代の大和地方では87音節が区別されていた(『古事記』は88節が区別されていた)以下略
これが有名な橋本進吉氏の上代「特殊」仮名遣いの研究によって明らかにされた上代語の音韻の体系です。(以上、引用終わり)
(18)伊藤睦月です。この「古事記」だけ、モに二つの区分があり、それが厳密に守られて表記されて、万葉仮名の発展段階をとびぬけていることから、「特殊」とよばれ、古事記が、平安時代初期ではなく、8世紀の和銅年間に執筆された証拠だとされた。
(19)これに対し、序文偽書論者の大和岩雄は、「古事記成立考(旧版)1975年」で、大野晋「日本語の起源(旧版)岩波新書1957年」で「万葉集のころの人が区別していた発音を、平安時代の人がモの区別を一つも間違えずに書き分けるのは不可能」として(古事記本物説の)論拠としているが、橋本進吉氏や有坂有世氏、大野晋氏のような専門家なら可能だろう、と書いて大野晋の猛反発を招いた。
(20)伊藤睦月です。橋本進吉とその弟子有坂有世は、本居宣長とその弟子が発見した、万葉仮名の規則性を精査して、さきの「上代特殊仮名遣い」の理論を作り上げた、戦前国語学の逸材、大野晋は、この説の紹介、普及に邁進し、橋本進吉の後継者としての学会内の地位を確立した。
(21)だから、橋本=有坂のような専門家なら、古事記の「偽造」も可能だろう、と大野は受け取った。自分が神とも仰ぐ橋本=有坂を冒とくされたと感じたのではないか。
(22)大和岩雄という人物は、「大和書房」、「青春出版社」(試験にでる英語シリーズ、青年サラリーマン向け月刊誌「ビッグトモロー」が有名)のオーナーで、松本清張とも親交があった。
(23)また、松本清張の仲介で、江上波夫(騎馬民族征服説)や大野晋の知遇を得て、たぶん大野の紹介で、「古事記学会」にしている。
(24)大野晋といえば、「日本語タミル語起源説」だが、大野晋がインドタミル語調査旅行のスポンサーの一人であったと思われる。
(25)しかしながら、この古事記偽書論争により、両者は絶交状態になり、大野が2008年、大和が2021年にそれぞれ死去するまで、まともな交流はなかったようだ。
(26)守谷君が論拠とする、「日本語はいかにして成立したか」(中公文庫2002年、「日本語の成立1980年を加筆訂正)248頁「古事記偽書説の誤り」はこの文脈で読むと感慨深い。
(27)改めて、その部分を読んでみてください。
(引用開始)古事記偽書説の誤り:・・・(中略)、事実、古事記の序文の内容には古事記の本文とそぐわない点があるし、正史(続日本紀のこと)に古事記編集に関する記録もない。それで大正時代にに「古事記偽書説」を唱えた人(中沢見明のこと)があり、最近も平安時代初期、弘仁時代の偽作だと述べる人がある。(鳥越憲三郎、大和岩雄など)しかし8世紀の万葉仮名の研究(上代特殊仮名遣いの研究)から言えば、古事記の「本文」が平安時代の成立だとは決していえない。(引用終わり)
(28)伊藤睦月です。鳥越憲三郎(1914~2007)は、民俗学が専門で、日本古代史に関する著書も多いが、1971年に「古事記は偽書か」を著し、古事記序文、本文すべて偽書説を展開している。岡田英弘の古事記偽書説は、この鳥越の所説をほぼ全面的に採用しているので、岡田の著書を読めば、その概要がわかる。
(29)この鳥越と中沢以外はすべて、古事記序文偽書説である(折口信夫、松本雅明、松本清張、大和岩雄、三浦佑之など)彼らは、橋本=有坂説を受け入れ、本文は8世紀のものと認めている。
だから、国語学からの偽書説主張は無意味になった。したがって守谷君の主張も、その後の論争史を抑えていない、「不可」である。
(30)しかしながら、1979年に起こったある「事件」により、古事記偽書説は四半世紀にわたり、「沈黙」してしまう。それは国語学からではなく考古学から襲来した。それについては、次回説明する。
以上、伊藤睦月筆
【435】思いて学ばざればすなわちあやうし(4)古事記偽書論争を概観する(2)
伊藤睦月です。小休止終わり。
(7)古事記序文偽書説を最初に提起したのは、江戸時代の国学者のビッグネーム、賀茂真淵である。京都の陰陽師の家柄だと思う。「ますらおぶり」や「たおやめぶり」のコンセプトで有名。知らない人は高校教科書(日本史、倫理、日本文学史)を復習してください。
(8)この賀茂真淵が、当時古事記研究をしていた、本居宣長(これも超ビッグネーム)にたいする書簡のなかで、「古事記序文は偽書だ」と断定した。
(9)本居宣長は、賀茂真淵と面識はなく、手紙で情報交換する関係だったが、宣長はこの書簡を受け、「序文」を無視し、本文だけを読み解いて、「古事記伝」を完成させた。これが大当たりした。
(10)実は、古事記はもともと漢字オンリーで、それを現在のような、漢字仮名交じり文に「翻訳」したのは宣長だ。
(11)さらに言えば、古事記序文は、四六駢儷体(しろくべんれいたい)という、平安初期の日本人(空海774年~835年が有名)が好んだ漢文(但しネイティブではないので、不自然な漢文)、古事記本文は、変体漢文(万葉仮名といって、日本語の音に一定の法則で漢字をあてた、漢字だらけの文)からなっている。
(12)賀茂真淵は、どういう理由かは不明だが、「序文」を偽書だと断定し、本居宣長は、「序文」は「漢文(カラゴコロ)だから、不純。本文は。漢字を使用しているとは言え、日本語だから、本文こそ、ヤマトゴコロを体現している(「儒仏以前」といって、外国文明に毒される以前の日本人の清純な精神世界を表している)として、古事記伝を完成させた。
(13)古事記伝は多くの学者や文化人に受け入れられ、定説化したために、「序文」「本文」ともまとめて、「偽書」と主張されなくなった。
(14)約200年ぶりに、古事記序文、本文偽書説が主張されたのは、昭和に入り、中沢見明の「古事記論」だが、太平洋戦争が勃発すると、中沢は「非国民」だと憲兵隊に拘束され、その著書は禁書扱いになり、絶版に追い込まれた。
(15)そして、終戦を迎え、そういうタブーはなくなったはずだが、「偽書説」は学会主流にはならなかった。
(16)学会主流は国語学の成果を取り入れ理論武装を強化したのだ。
次回につづく。以上、伊藤睦月筆
【434】思いて学ばざればすなわちあやうし(3)古事記偽書論争を概観する。
伊藤睦月です。今回は、古事記偽書論争を概観します。この論争は江戸時代(17世紀)から歴史上の有名人も巻き込んだ大論争ですから、ある程度詳細は知っておくべきと考えます。まず、偽書説の概要について、本物説の代表的論者である、倉野憲司(1902~1991、福岡女子大学名誉教授)の説明を引用します。
(岩波文庫解説文1963年から引用はじめ)
古事記は、8世紀初頭に成立した我が国最古の転籍である。ところが、古事記(序文、または序文も本文も)和銅(711年)成立に疑いを抱き、これを後の偽作であるとする説をなす者がある。それを列挙すると次の通りである。
①賀茂真淵(1697~1769)(宣長宛書簡)
②沼田順義(ぬまたゆきよし1792~1850)(「級長戸風」の端書)
③中沢見明(「古事記論」(1929年))
④筏勲(いかだいさむ「上代日本文学論集」(1955年)
⑤松本雅明(史学雑誌第64編第8、9号)1953年
これらの説は、その論旨や論拠は必ずしも一様ではないが、一応もっともな疑問と思われる点を含んでいる反面、明らかに誤りと認められる点や論拠の薄弱な点も多く、今日これらの偽書説を(学会内で)是認する人はほとんどないといってよい。殊に上代特殊仮名遣からすれば、古事記が奈良時代の初期に成立したことは疑いないところである。但し偽書説が提示した正当と思われる疑義については、これを十分に取り上げて解明する努力が必要であろう。
(以上、引用終わり)伊藤睦月です。以下コメントします。
(1)古事記偽書説には、「序文のみ偽書」、「序文、本文とも偽書」の2パターンがあることに注意。
(2)倉野があげた1700年代から1950年代までの「偽書説」は中沢見明を除き、すべて「序文のみ偽書説」である。
(3)しかし古事記の成立事情や稗田阿礼の存在を示す史料が、「序文」しかないものだから、もし序文が偽書とすれば、本文も偽書である可能性が高くなる。
(4)そうなれば、いわゆる「古事記」研究村(伊藤の造語)が崩壊するため、学会主流は、「序文偽書説論者」も併せて、敵視した。それでも、1950年代はまだ余裕かましている。また倉野校注の岩波文庫は100万部のベストセラーとなり、一般読者にも「本物説」が普及した。
(5)なお、「偽書説」が提示した「正当な疑義」についてはその後、学会主流で検討されたかどうか不明です。
(6)さて、(1)にもどります。
小休止
以上、伊藤睦月筆
【433】1 思いて学ばざれば、すなわちあやうし(2)検証個所の特定
伊藤睦月です。最初に守谷論文の検証個所を、摘出します。(重たい掲示板3150)
(引用はじめ)※番号は伊藤
①『古事記』は日本書紀と比べるとコンパクトで『日本書紀』のダイジェスト版のような印象を与える故にに、②『日本書紀』より早く成立していたのはおかしい、としばしば③『古事記』偽書説が唱えられてきた。
④しかし現在では、『日本書紀』が先で『古事記』が後にできたという『古事記』偽書説は、国語学の観点から「完全に」否定されている。(⑤大野晋『日本語は如何にして成立したか』など参照)
(引用終わり)
伊藤睦月です。今回の守谷君の論考の目的は、上記にあるのではなく、古事記本物説を前提に、次の議論に進みたいのだろうが、特に「古事記偽書説」を採用している副島隆彦先生の掲示板に投稿するにしては、議論が簡単すぎます。これは副島先生にも失礼だろう。
だから少し足踏みに付き合っていただく。
さて、話は、②、③から入ります。①については、古事記偽書説をとる研究者(大和岩男、三浦祐之、岡田英弘、副島隆彦など)も、大野晋のような古事記本物説をとる研究者(古事記学会に所属する研究者の大半)も、「古事記」が「日本書紀」のダイジェストのような印象を持っている、という研究者の存在を知りません、むしろ「古事記」を「日本書紀」とは違う特別な存在、と見做している研究者が大半です。で終わり、で、むきになるのは大人げない気もしますが、これについては、②、③を概観してから、再度戻りましょう。
では、次回また。
以上、伊藤睦月筆
【432】思いて学ばざればすなわちあやうし(論語から)
伊藤睦月です。1か月ほど入院して、退院したので、学問道場の当掲示板を開いてみたら、かたせ2号さんの投稿がすべて、ごっそり消えていた。ちょっと驚いた。(その間スマホで見れたはずだが、自分の病状とオリンピック中継で、上の空だった)
また、「重たい掲示板」を開くと、国内外情勢の激動に真正面から切り結ぶ、副島先生の長ヘビーな投稿に圧倒されながらも、守谷君の相変わらずのイタイタシイ投稿に、あきれて、さてどうしようかと思案していた。
私、伊藤は、実は守谷君の発想はきらいではない。
ただ、我々がいくら上代日本文学や、日本古代史の門外漢(アカデミックな世界の住民ではない。もし守谷君がそうであったとしたら、驚きベきこと)といっても、最低限踏まえておくべき、「掟」があって、それを能天気に無視する、彼にいらつく。それは、そういう多少とも学問的な議論をするにあたり、最低限ふまえておくべき、文献、そして正確、適切な引用を踏まえた議論展開だ。
例えば、副島先生の日本古代史理解のベースは、岡田英弘と関裕二だ。この二人はアカデミックの世界では、異端の論者といってもよいが、それだけでなく、栗原や西嶋といった、研究者、いや真面目に勉強している学部生なら必ず、ふまえておくべき研究者の業績、文献を押さえたうえで持論を展開されている。(栗原、西嶋と言って、ピンとこない人は、この分野でまともに論じ合う価値はない)だから、副島日本史学は強靭であり、信頼できる議論となり、私も傾倒している。
守谷君の論考には、それが欠けている。だからこういう言い方をして申し訳ないが、「残念なダメ論文」で、いつも議論の入り口でつまづく。
今回の「重たい掲示板」に投稿された古事記に関する論考もそういう落とし穴に陥っている。少ししつこいかもしれないが、今後のこの掲示板での投稿で少し、突っ込みいれさせてもらう。
その前に、今回のポイントをいくつか。
1)守谷君の今回の古事記に関する論考の目的は、古事記と日本書紀という比較的近い時期に編纂、執筆された日本最古と言われる2つの歴史書の関係性
2)古事記の作者の一人である、「稗田阿礼」という人物の正体
についてだと理解しているが、その前提として、
1)古事記は日本書紀のダイジェスト版である。
2)古事記が日本書紀より古いことは、国語学によって、解決済み。したがって古事記偽書説の否定
ということを前提としているが、その論拠に問題がある。
まず、1)については、明らかに間違い。むしろ学会の方向は、両者がいかに違うか、という議論がトレンド。
2)については、1970年から2000年代にかけては、有力な説だったが、現在では学会では、古事記本物説の論拠として無意味化している。
2)ー2むしろ古事記本物説は、国語学の成果ではなく、考古学の成果、すなわち実際の編者「太安万侶」の墓誌の発見を根拠にして、1970年~2000年代まで、「古事記偽書説」を封じてきた。ところが、2000年代に入り、(もっと露骨に言えば、大野晋といった、学会の大物が死去してから)、有力な反対説(古事記序文偽書説)が現れ、活発な議論が今なお続いている。素人目には、偽書説の方が有力に思える。だから「決着済み」の議論ではない。守谷君は勉強不足である。
伊藤睦月です。守谷君がまたやらかした。彼の「自由奔放な発想」を全面否定はしないが、その前にやるべきことがある。勉強不足も甚だしい。三流大学の日本文学科の学生よりひどいと思う。
それに、守谷君が「重たい掲示板」に投稿しているのも問題だ。なぜなら、先述したように、副島史学の基盤学説は、「岡田英弘説」で、「古事記全面偽書説」(「日本史の誕生」、「倭国の時代」、「歴史とは何か」など学術書でなく、一般向けの著書で古事記偽書説を展開している)であり、副島先生も「古事記偽書説」に準拠しているのは明らか。そうであれば、守谷君は、副島先生主宰の掲示板で自説を披露する以上、副島=岡田説を論破、少なくとも言及するべきだが、あまりに議論が薄い、薄すぎると、私、伊藤は考えます。
以上議論の入り口部分だけで、守谷君の論考は大いに問題あり、と考えます。
以上、私の考えのポイントを提起した。今後は、多少細かい議論にも入っていきたいので、特に守谷君、ついてこれますよね。お楽しみはこれからだ。
以上、伊藤睦月筆
【431】他の副島系掲示板も、盛り上げませんか。
伊藤睦月です。かたせ2号さんが元気すぎる。そのパワーには敬服します。
とりわけ、アメリカ(世界)政治ネタや、日本政界ネタが面白いが、量が半端ないので、ふじむら掲示板があふれかえっている。
そこで、他の掲示板、「アメリカ政治情報メモ」とか「日本政治情報メモ」とかにうまく仕分けしてもらうと見やすくなると思うのですが、いかがでしょう。
「重たい掲示板」には、投稿告知をして、他の掲示板に引き寄せる。
「ふじむら掲示板」は、副島系掲示板の「補集合」なので、他の掲示板になじまない文章を投稿する。(芸能系や歴史系は、ないので、ふじむらに投稿せざるを得ないが、専用掲示板があると、うれしいな、とコスト度外視で、思っています。(汗)
そうしたら、掲示板全体盛り上がるのにな、と思います。
ご検討いただければ幸いです。
伊藤睦月拝
【430】かたせ2号さんのファンタジー、上等じゃないですか。
伊藤睦月です。かたせ2号さんの、トランプ暗殺未遂関係の書き込み、興味深い。
(1)ご本人は。「孤立無援説」とか遠慮しているが、そんなことはない。私は、ファンタジーとして楽しませてもらっています。私がアクセスできない情報を真偽織り交ぜて、たくさん紹介してくれるから。
(2)私のいうファンタジーとは、「直接証拠がなくて、間接証拠、情況証拠しかない、もしくは乏しいなかで、推論、推理、想像を展開しているオピニオン」といった、文章のことをいいます。
(3)そういう意味では、私の投稿、かたせさんの投稿、そして副島先生の投稿、も広義のファンアタジーです。
(4)ただ、副島先生の文章は、トランプの例にあるように「自分の考えを書く」と明記され、「これが事実、、真実、真相だ」とか言っているようで実は、安易に言わないところが魅力です。
(5)以前もこの掲示板に書きましたように、推論、考えが論理一貫してて、最期まで破綻がないものは、「真実」とか「有力説」、支持者が増えれば、「通説」といわれ、(もしくは、副島発と言わずに、いつのまにか共通理解になっている)
(6)また、論理的に破綻したり、新事実が確定するまでは、「妄想」「空想」「著者独自説」「トンデモ説」とか言われ、
(7)事の真偽は別として、話として面白ければ、「物語」「ミステリー」とか言われます。だから、かたせ2号さんご自身がそう思っていないのに、「自虐」しなくてもよいのではないですか。
(8)副島先生の考えと違うのなら、その点を明確にして論じればよい。
(9)ふじむら掲示板は、まさにそのためにあるのだから。
(以上、伊藤睦月筆)
(追伸)
(10)私は、漣肪、という人、嫌いです。あのホワイトニングかインプラントか知らないが、歯が白すぎる。(これは、言いがかりです(笑))
(11)東京都知事選といえども、しょせんは地方選なのに、住民に近い選挙公約が、我々都民でない者にもほとんど見えてきません。神宮の森伐採も、「住民投票」を提案する、なんて馬鹿だと思う。どうして賛否を明らかにしない。これじゃ公約にならない。彼女は地方政治をなめている。行政改革なんて、ほとんどの都民は関心ないだろうに。いつまで、アイドル気取りなんだろう。落選は当然です。
(12)また、石丸某もメディアで見ている限り、アバターみたいで気持ち悪い。彼は本当に実在しているのですか。
(13)そもそも、地方政治(予算)の95%は、知事がだれであれ、使い道は決まっている。残り5%位でいかに特色をだすかだ。そこを訴えないと住民には刺さらない。また前明石市長のように、使い道がきまっていても。使い方(運用)に工夫をすることにより、特色を出すとか。漣肪からは、他県民としても、メディアを見る限り、何も伝わらなかった。
(14)まだ、小池百合子の方が、現職だけに地に足のついた議論をしていると思います。さすが、現代の「西大后」だ。貫禄負け。
(15)いささか脱線しましたが、これからも、かたせ2号さんの海外情報、楽しみにしています。
(以上、伊藤睦月筆)
【429】トランプ暗殺未遂事件(続き)今更なんですが・・・
伊藤睦月です。今更時機を失した感はあるけど、備忘録として。
(1)トランプが負傷した個所から推定して、「やらせ」ではなく、「仕留め」にかかったのだろう。
(1-1)耳を貫通したのなら、本来は、頭部とか、首、肩(頸動脈)を狙ったのだろう。まさにJFKが銃弾を撃ち込まれた箇所だ。あのとき脳髄が飛び出して、奥さんのジャクリーヌがそれを拾い集め、ジョンの頭に戻していたシーンがよみがえる。
(1-2)そういえば、射殺された容疑者は、オズワルド(ケネディ暗殺犯とされた男)に顔かたちや雰囲気似ているような気がする。
(1-3)もしやらせなら、手とか足とか、傍にいたSPとか、演台とか、近くの聴衆とか、を狙いますね。あの個所はリスク高すぎると思う。
(1-4)それでは、暗殺未遂だったとして、トランプは、それに「神の意志」を感じたはずだ。
(1-5)佐藤優氏によるとトランプはカルバン派らしい。カルバン派といえば、「予定説」。暗殺が失敗することは神の意志。
(1-6)トランプさん、ますます自信をつけ、神から与えられた自分の使命として、大統領選に臨んでいくだろう。全能感すら持っているかも。
(1-7)ちなみにカルバン派(ピューリタリズム)は、ユダヤ教と相性が良い。(ゾンバルトの考察)そういえば、娘婿さんが正統派(穏健派)ユダヤ教徒の指導者だったですね。ネタニヤフのような過激派と話しが、合うのかしら。
(以上。伊藤睦月筆)