ふじむら掲示板
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Loginはこちら【454】では、改めて、「守谷論文」を批判する。(イントロ2)
副島説を採用したら、「権威主義者」と言われてしまった、伊藤睦月です。
今回は、表題を行うのに使用する「文献リスト」を投稿します。本来は、守谷論文の一行、一行に、参考文献を参照、引用しながら、事細かに論じたいところですが、そうなると、また「長い!」とお叱りをうけそうなので、最初にリスト(いわば、私、伊藤のネタ本)を公開して起き、注釈の代用とします。
文献リスト以外の、文献を使用したり、伊藤独自の見解を示すときは、その都度明記しますが、それ以外は、賛否はともかく、文献リストのどれかがネタ元なので、あしからず。
では、始めます。
(1)日本書紀(1)~(5)坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋(岩波文庫)1995年
(2)全現代語訳日本書紀(上下)宇治谷孟(講談社学術文庫)1988年
(3)「倭人伝」藤堂明保。竹田晃、影山輝國(講談社学術文庫)2010年
(4)「倭人・倭国伝全釈 東アジアのなかの古代日本」 鳥越憲三郎(角川ソフィア文庫)
2020年
(5)「副島隆彦の歴史再発掘」副島隆彦、(ビジネス社)2019年
(6)「天皇とは北極星のことである」副島隆彦、斎川眞、(PHP)2017年
(7)「日本史の誕生」岡田英弘、(ちくま文庫)2008年
(8)「倭国の時代」岡田英弘、(ちくま文庫)2009年
(9)「歴史とは何か」岡田英弘(文春新書)2001年
(10)「盗まれた神話 記紀の秘密」古田武彦(朝日文庫)1994年
(11)「失われた九州王朝」古田武彦(朝日文庫)1993年
(12)「謎の九州王朝」若井敏明(祥伝社新書)2021年
(13)「秦漢史の研究」栗原朋信(吉川弘文館)1960年
(14)「上代日本対外関係」の研究 栗原朋信(吉川弘文館)1978年
(15)「中国古代国家と東アジア世界」西嶋定生(東京大学出版会)1983年
(16)「古代東アジア世界と日本」西嶋定生、李成市(岩波現代文庫)2000年
(17)「日本歴史の国際環境」西嶋定生(東京大学出版会)1985年
(18)「古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで」河上麻由子(中公新書)2019年
(19)「天智朝と東アジア 唐の支配から律令国家へ」中村修也(NHKブックス)2015年
(20)「日本史年表第5版」歴史学研究会(岩波書店)2017年
(21)「世界史年表第3版」歴史学研究会(岩波書店)2017年
(23)「日本史年表・地図」児玉幸多(吉川弘文館)2024年
(24)「標準世界史年表」亀井高孝、三上次男、林健太郎(吉川弘文館)2024年
(25)「詳説世界史研究」木村靖二、岸本美緒、小松久雄(山川出版社)2017年
(26)「詳説日本史研究」佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鳥海靖(山川出版社)2017年
(27)日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典、広辞苑第7版など(電子辞書カシオXD-
SX4800に搭載)
伊藤睦月です。以上が「学問ごっこの権威主義者」伊藤睦月の標準装備です。確かにリストアップだけでも長いね。(苦笑)
以上、伊藤睦月筆
【453】では、改めて、「新守谷論文」を検証する。(イントロ1)
伊藤睦月、です。では、投稿を続けます。
1)守谷健二が「勉強不足」なわけ。
さきほど。2054さんのご指摘がありましたが、守谷が、「勉強不足」である理由は、今までの彼の投稿をざーっとみれば、わかります。
2)そもそも、歴史学や文学、といった人文学の分野の論文では、特に「引用、参照文献」リストが非常に大事です。
3)古事記もそうですが、数百年の研究、論争の積み重ねがあって、しかも些末なまでに積み重なって、現在の見解があるのですから、それらをチェックして、そのうえで、従来の学説の問題点を指摘して、自説を展開しなければ、評価されません。(これを査読さどく)といいます。
4)法律学では、判決に「却下」と「棄却」というのがあるのをご存じですか。「却下」は裁判をするだけの「形式的要件」を審査し、それにかなわなければ、却下、となります。いわば門前払い、です。先に進めません。内容審査(実質裁判)まで行って、不可、となればそれは、「棄却」となります。これは、学問分野によって多少異なりますが、おおよそ「学問(サイエンス)」的論文を評価する王道セオリーです。(また長くなりそうです。恐縮です)
(5)以上からして、守谷の投稿を見ると、文献は、「大野晋」の文庫本1冊しかありません。それだけで評価としては十分不可です。2054さんは、内容まで見られて、判断されているようですが、学問の世界では、そこまで親切に検討してくれません。問答無用で、「却下」です。
(6)これでは、およそ人文学の論文たりえません。
つまり、「却下」。内容を検討するまでもない。私が長々と、いや丁寧に、2054さんが辟易するくらい書いてきたのは、守谷に対するサービスなのですよ。私が述べてきたことは、そのほとんどすべて、守谷がろんじなければならないことだ。といっても本人はわからないようだけど。この会員の中で、卒論とか多少とも学問的な内容の論文執筆経験のある方がいらっしゃたら、ぜひご指摘いただきたい。(私も素人なので、ご指摘いただければありがたいです)
この副島系掲示板では、学術論文ほどではないけれども、「学問道場」だから、学問のルールをできるだけ尊重しようという考えで、私、伊藤は、今まで投稿したり、執筆に参加したりしてきたつもりです。
(7)ちなみに、副島先生や岡田英弘の本のような公刊本では、そこまで、厳密なリストは求められておらいないが、それでも本文になんらかの形で織り込まないと、「盗作疑惑」がかかって、最悪絶版になってしまいます。副島先生は、そういう厳しい「戦場」で戦っておられるわけで、私ごときが「聞いてみる?」とんでもない。その前にやることがある、ということです。
(8)ちなみに、海外のビジネス書や学術書には、ときどき、本文よりページ数多いんじゃないか、というくらい、注釈や文献リストがついていることがありますが、それが本来あるべき姿です。
(9)もちろん、副島先生はそれを踏まえたうえで、日本の業界ルールの範囲で対応されています。と私、伊藤は考えています。
以上、伊藤睦月筆
【452】2054さん、貴重なご意見ありがとうございます。守谷健二君、「副島先生に直接きいたら」みたいな居直りはダメ、ですよ。はだめ
伊藤睦月です。
(1)2054さん、貴重なご意見、ありがとうございます。ご指摘の数々は、今後の投稿の参考にします。2054さんのようなご意見いただけると、勇気わきます。ありがとうございました。今後も投稿が続きますので、もしよければ、ご指摘お願いします。
守谷君へ
(2)「ついにそこまで追い詰められましたか。それはお気の毒に」確かに、「副島隆彦の歴史再発掘」では、「邪馬台国論争」の文脈で、岡田英弘、が取り上げられている。
しかし、岡田英弘は、「日本史の誕生」で、邪馬台国論争で使える、史料は、「中国正史」と「日本書紀」とし、「古事記」は偽書だから、対象外、といった文脈で、「古事記」を偽書としている。(同書第一部。第二部第9章)それに対し、副島先生は、特段反対していないので、岡田説に同旨だと書いたわけ。もし違うなら、先生からなんらかのご指摘が、この先の著書等で、修正あるだろう。
ちなみに、私は、副島先生とメール、携帯でいつでも連絡可能です。さきほども私事で、メールで連絡とりあったところ。だからと言って守谷君の徴発にのって。副島先生に聞くことはありません。あくまでも、公刊された文章、言葉(ロゴス)をもとに自説を組み立てているだけだ。副島先生うんぬんは余計なお世話だ。それこそ副島先生の「重たい」思考のさまたげになるだけだ。守谷君こそ、「大野晋」の権威に寄りかかって、ろくに大野晋の著作を検討していないのだろう。2054さんみたいな建設的な意見もはけないくせに、思い込みだけはやたら強い、「守谷健二」とは何者か。
(以上、伊藤睦月筆)
追伸)2054様、温かい叱咤激励のお言葉、誠にありがとうございました。私事で申しますと、来週から手術のため、3回目の入院をします。2週間くらいかな。これに関する投稿は、退院後にさせていただきます。
ただ一つだけ、2054様のご指摘どおり、「古事記偽書論争」は当事者以外では、確かに退屈な議論です。でも当事者では、200年も延々やってました。私は、これまでを概観して、日本古代史を語る史料としては、「無意味」だと判断しました。それで最も筋の良い議論である、岡田説を支持し、副島先生も今までの著作等判断して、同旨だろう。と書きました。ただ両者が全く同じ、岡田=副島と見立てたことは、2014さんのいわれるとおり「書きすぎ」かもしれません。しかし、ニアイクオール、であることは間違いないと考えています。
2054様の今後ますますのご健勝、お祈りします。ともに、この掲示板を盛り上げていきましょう。
以上、伊藤睦月拝
守谷健二君、
【451】古事記論争における守谷氏への批判について
会員2054です。伊藤氏は入院するとはお聞きしておりましたが、しばらく投稿がありませんでしたので、心配しておりました。無事に戻られたようで、お元気そうで何よりです。
古事記論争に関する守谷氏への批判について、今回、伊藤氏に意見しようと思います。伊藤氏は守谷氏の勉強不足であると随分と批判していますが、勉強不足の根拠は明示されておらず、単に憶測で勉強不足と「決めつけた」としか読めません。
守谷氏が大野説を根拠に古事記本物説を述べられていることを批判していますが、伊藤氏の説明(長い!)を読んでも、大野説が覆るほどの論拠は見当たりません。それでは守谷氏が勉強不足と断言できる証明力が足りません。
守谷氏に「あれは知っているか?これは知っているか?かくかくこの情報からすれば、貴殿の見解は誤りがありませんか?」と、確認したうえで、守谷氏の不明が明らかになるのであれば話は別です。
しかし、伊藤氏は何ら守谷氏に確認していません。守谷氏が何を知り、何を知らないのか、この一連の投稿だけで理解することはできないように思います。
それに、守谷氏が勉強不足かどうかは、他の読者には関心の対象外です。伊藤氏は守谷氏の批判と自説の投稿を「切り分け」をされたらどうですか?
また、学会村の概説は、もう少しまとめられてはいかがでしょうか。さながらウィンドーショッピングに付き合わされたように感じ、読むほうも疲れます。(私の個人的意見ですが、学会村の議論の変遷などは、あまり興味がわきません)「簡潔明瞭かつ切れ味の良い」伊藤氏の投稿を期待しております。
なお私は守谷氏とは歴史観を異にしますが、守谷氏が今後も精力的に投稿いただくことを願っています。
【450】伊藤くんは、結局は権威主義者なんだよね!
守谷健二です
伊藤君が『古事記』偽書説に拘(こだわ)っているのは、岡田英弘先生の「古事記偽書説」を副島先生が一時期支持していたからでしょう。
しかし、現在の副島先生は、岡田先生の「古事記偽書説」を支持しているのでしょうか、小生は違うと思いますよ。疑問でしたら、直接副島先生にお聞きしてください。
現在は、古事記偽書説では、(岡田=副島)ではないと思います。
【449】思いて学ばざればうなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(12)そして誰もいなくなった?
(93) 伊藤睦月です。最初から申し上げているように、私は、「古事記偽書説」(岡田=副島)を支持している。だから、「中二病君」が主張する、古事記でなんらか日本古代史を語ること(古事記が日本書記の遺書だとか、稗田阿礼の正体など)は論ずることに意味はない、という立場である。それでも、たとえ、私と異なる見解でも、およそ学問的な論考である限り、人文学研究のルール(学問ごっこ)をやらねばならない。われながら厄介な性格だな、とは思う。
(94)前回からの続きでいえば、本物説を前提に、その後も国語学の立場から反論があり、それに対する三浦佑之の再反論、学会主流から、「稗田阿礼」の正体についても、学会主流では、すでに有力説が提起され、現在では、その検証が議論のメインになりつつあるなど、「中二病君」より、先に行ってるよ。世の中は。自分のオリジナルアイデアに陶酔して、かといって「稗田阿礼」の正体も思わせぶりで、特定できない、臆病者の勉強不足君には、わからない(わかろうとも思わない)だろう。
(95)なお、上記については、三浦佑之『古事記をよみなおす」終章「古事記はとはいかなる書物か」「あとがき」2010年ちくま新書、を参照のこと。
(96)伊藤睦月、です。では、これからは、古事記関係以外についても、目に余るので、「学問ごっこ」を始めていく。
(97)参考資料は、副島隆彦「歴史再発見」、「天皇とは北極星のことである」の2冊が、私の立論の「ネタ本」であることをあらかじめ、表明しておく。(しかし100%追随しているわけではない、のであしからず)
以上、伊藤睦月筆
【448】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(15)古事記偽書論争を概観する(12)ブレイク:岡田英弘の「災難?」
(81)少し怒りが収まってきた「学問ごっこ」の伊藤睦月です。今回は、私が、日本古代史の理解のベースとなっている。「岡田英弘」を取り上げます。
(82)まず、彼の略歴から。(引用はじめ)1931年東京都生まれ。1957年『満文労当」の研究で日本学士院賞。東京外国語大学名誉教授。その研究は、中国史、モンゴル史、満州史など広範にわたる。
(中略)2017年没(以上、引用終わり、「日本史の誕生」カバー裏から。2008年ちくま文庫)
(83)伊藤睦月、です。出版界、言論界では、日本史関連の著作等は、岡田の業績として認められていない。これは、同著者の「世界史の誕生」(ちくま文庫)とは大違いだ。この本は、よく、紹介され、引用もされている。それはなぜか。
(84)伊藤睦月は、最近までは、
①岡田が日本史や上代文学界隈からすれば、専門外の部外者だから。
②日本史関連の著作は、主に一般向けの雑誌(「諸君」や「正論」といったオピニオン誌に掲載されたものであるので、学問的な著作とはにみなされてはいないから。と考えていたが、この古事記偽書論争の経緯を調べていくと、第3の理由があると、考えるようになった。以下その文章を示す。
(85)(引用はじめ)・・・以上が私(大和)の知る本文・序文偽書説、序文のみの偽書説だが、江戸時代の序文偽書説論者の二人、序文・本文の偽書論者の一人を含めると、13人が述べており、私を含めて14人になる。まだ他にもいる。(引用終わり。大和岩雄「新版古事記成立考」(2009年)79-80頁)
(86)伊藤睦月です。ここから「岡田英弘」が登場する。最初この部分を読んだとき、思わず、瞳孔が開いた。引用を続ける。
(87)(引用はじめ)東京外国語大学教授の岡田英弘は、1976年に、文芸春秋社から刊行した『倭国の時代』に16ページにわたって、『古事記』を論じ、偽書とみている。更に、2001年に文芸春秋刊の」文芸春秋社刊の文春新書の1冊として、『歴史とは何か』二十数ページにわたって書いている主張については、三浦佑之が、古事記学会の機関誌「古事記年報47』掲載の「古事記『序』を疑う(2005年)」で書いているように、「岡田説」は大和岩雄説)『古事記成立考』1975年を踏まえて強調している」のである。
(88) このように、三浦佑之が指摘するように、私が、(2009年から起算して)33年前に刊行した『古事記成立考』に書いた見解を元にして書いているのに、『倭国の時代にも『歴史とはなにか」にも、私の名前は全く載せていない。したがって私説が、岡田説になっているので、岡田見解は紹介しない。(引用終わり。同書80頁)
(89)伊藤睦月です。最初、この個所を読んだとき、「岡田センセイ、やっちまったなあー」と思っていたが今では、違う見解を持つにいたっている。ヒントは、岡田見解を告発したのが、あの三浦佑之(彼はかなり策士っぽい)であること。岡田見解は、「村越憲三郎」説(序文、本文偽書説)を採用しているが、三浦、大和は序文のみ否定説であること、など。考えがまとまったら、また紹介する。
(90)伊藤睦月です。それでも、岡田ほどの高名な学者が古事記偽書説を採用してくれたことが、よほどテンションあがったらしい。岡田説は私説のパクリ、と書いておきながら、この章の最後に、私からすれば、未練たらしく、こう書き残している。
(引用開始)・・・岡田英弘も私説と同じ見解を述べていることを(重ねて)付記しておく。(引用終わり、同署80頁)
(91)伊藤睦月です。なお、岡田英弘は、ちくま文庫版「倭国の時代」2009年、の最終頁に、「参考にした資料について」として、「第6章」『古事記』批判のデータについては、鳥越憲三郎『古事記は偽書か』(朝日新聞社、1971年)と、大和岩雄『古事記成立考 日本最古の古典への疑問』(大和書房1975年)に負うところが多い、と付記し、同文庫の『日本史の誕生』にも同様の断り書きを挿入している。それにより、たぶん大和側と和解したのであろう。両書は、絶版を免れ、今でも書店やネット書店で売られている。(こういうパクリ疑惑で長期間絶版状態になっていた例として、高木彬光『邪馬台国の秘密』があるし、それをテーマにした松本清張の短編があったかと思う)
(92)伊藤睦月です。「世界基準に達していない」としばしば、副島先生から罵倒される、日本の人文学の世界でも、引用、出典に関しては、これほど厳しいものだと、いうことを紹介した。ということは、今後私が、どんな投稿を考えているか、わかる人にはわかるだろう。「先行業績」に注意を払わない「自分の頭で考えたこと」などゴミに等しい。
小休止。
以上、伊藤睦月筆
【447】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(14)古事記偽書論争を概観する(11)私の考え(3)
(74)怒り増幅中の「学問ごっこ」伊藤睦月です。
前回の続きです。私が論争史を概観するもう一つの理由は、これが「中二病君」の立論のアキレス腱だからだ。
(75)「中二病君」にとっては、偽書論争など、どうでもよいことなのだろう。彼の立論の目的は、古事記本物説を前提として、
①古事記の制作目的
②作者の一人とされる「稗田阿礼」の名前の由来と正体
③古事記と日本書紀との関係
などについて、彼自身の頭で考えだされた、オリジナルなアイデアを披露することにあるのだろう。
(76)しかし、古事記が偽書となったら、どうなるか。彼の議論は根底から覆り,せっかくのオリジナルアイデアも雲散霧消する。
(77)だから、古事記偽証説論争を十分に押さえておく必要があり。私のような少数説支持者ほど、これにエネルギーを注力せざるを得ない。
(78)一方で「中二病君」は、学会多数説(本物説)に準拠しているのだから、そんなに手間暇かからないなずだが、その論拠が「大野晋」の一般向けの本、しかもそれ1冊だけとは、手抜きもよいところ。
(79)せめて、1979年の太安万侶墓誌の発見という多数派の最大論拠をあげればよいのに、無視するとは、単純な馬鹿か、そうでなければ人文学をなめているとしか思えない。泉下の大野晋先生が嘆かれるだろう。
(80)以前の投稿で、フビライカーンがマルコポーロの「東方見聞録」をよんで、日本征服を企てたなどとトンデモ論を披露して「大恥」をかいた筈なのに、(「東方見聞録」が世に出たのは、クビライカーンの死後。「東方見聞録」には、元寇(弘安の役)の記事が載っている。)また性懲りもなく、でたらめ論をしかも「重たい掲示板」に投稿するなんて、「どうかしてるぜー」と叫びたくなる。
(81)私は、古事記全部偽書説をとっているので、それ以上の議論は無意味だが、ご希望なら、「中二病君」のオリジナルアイデアの問題点を指摘してさしあげましょうか。
以下、次回。以上、伊藤睦月筆
【446】思いて学ばざればすなわちあやうし(13)古事記偽書論争を概観する(10)私の考え(2)
(71)伊藤睦月です。実は、我々が扱っている歴史学は、サイエンス(学問)ではない。「人文学」だ。人文学は世界のありようを記述する「学問」(というより、知識、知恵とでもいおうか)だが、その記述方法として、サイエンスの技法(創始者の代表がデカルト)が取り入れられ、およそ「学術論文」の形が出来上がっている、と私伊藤は理解している。
(72)だから、いくら「自分の頭で考えて、オリジナルなアイデア」を出しても、サイエンスの技法にそってなければ、無価値だ、クズだ。
(73)その技法の最低ラインが「卒業論文」で、大学のゼミでの演習やレポート提出は、結局、その技法を身に着けるための訓練、ということになる、と理解している。
(74)さきに、紹介した「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)は、まさにサイエンスの技法を用いた、副島先生とその弟子たちによる、最初の試みであり、たとえ稚拙であっても「学問ごっこ」の実例集でもあると、執筆に参加した、私、伊藤は自負しています。だから、改めて言いますが、「中二病君」は、私に向かって、「君はバカか」「自分の頭で考えろ」とののしったわけですから、きちんと説明、いや釈明してもらいましょうか。内容の賛否、適否は別にして、それがなければ、君は卑怯者だ。あえて期限は設けないが、こんなもの、ものの数分だろう。
以上、怒りの「学問ごっこ」、伊藤睦月筆
【445】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(9)私、伊藤の考え
(66)「学問ごっこ」大好き。な、伊藤睦月です。
今回は、古事記偽書論争に対する、私の考え、を示します。もうわかりますよね?まず、結論から。
(67)古事記は、序文、偽書とも、平安時代初期(9世紀)に執筆された、「偽書」だから、8世紀以前の日本史を記述する史料としては、採用できない。(同旨。岡田英弘「日本史の誕生」「倭国の時代」「歴史とは何か」、副島隆彦「歴史再探訪」、村越憲三郎「古事記は偽書か」)
(68)伊藤睦月です。結論だけ言えばこれだけ。です。本当にこれだけ。ではなぜ、今まで長々論争史を述べてきたか。
(69)それは、この「古事記全部偽書説」が学会主流(古事記学会、上代文学会)では、超マイナー説だから。学術系論文(「中二病氏」のいう「学問ごっこ」も同様)では、学会多数説に反対するからには、それなりの理由、根拠を示さねばならないからだ。
(70)そのためには、論争史を概観するのが、日本基準で求められるからだ(おそらく世界基準でも同様だろう。こういう学問的態度を「反証可能性」(ポパー)という。サイエンス(「学問」、「科学」は誤訳に近い。これも副島先生の本から学んだと記憶している。ちなみに、ナチュラルサイエンスでは、これに「再現性」が加わる、と理解している)
小休止。以上、伊藤睦月筆