ふじむら掲示板

副島系掲示板の"補集合"としての役割
伊藤 投稿日:2024/11/12 20:28

【474】【至急】ここで、下條さんにコメントを求めます。

伊藤睦月です。下條さんのご著書、『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』169頁「第5章日本文化の礎を作った卑弥呼」のなかで、岡田英弘氏は『日本史の誕生』で日本古代史の真実を明らかにした、と題し、日本史の誕生(弓立社)の表紙写真、岡田英弘氏の顔写真、とあわせ、9行ほどの説明文を載せています。そこには、(引用開始)「・・・重要なのは、聖徳太子の非実在性中国史から明らかにした点である。・・・後年大山誠一氏などの歴史家は、この指摘をしりながら、引用せず、あたかも別の説として、聖徳太子=厩戸皇子説を作り上げていった。・・・」とあります。(引用終わり)

伊藤睦月です。これは現時点では、非常に不適切な個所です。大山氏らに対する誹謗中傷に近い。

では、次の個所をご覧ください。

(引用開始)さて、本文の各所で述べているように、『日本書紀』によると、女帝である推古天皇と聖徳太子がいた時代、中国の正史である、『隋書』では、男の倭国王がいたという。どう考えても『日本書紀』の記述のほうが怪しいので、聖徳太子が実在したかどうか、様々な議論が起こっている。最近になって私は、聖徳太子は実在したという考えを取るようになった。ただし、『日本書紀』のいう時代でなく、もっと後の時代だったと考える。(以上、引用終わり)『日本史の誕生』348-9頁、文庫版あとがき、ちくま文庫2008年)

 伊藤睦月です。このように岡田先生は、2008年以降は、条件付きとはいえ、「聖徳太子実在説」に、改説されています。下條氏が採用しているのは、1994年の単行本ですが、本書が2022年発行だとしますと、岡田先生が14年も前に改説されたという事実を踏まえない、2022年発行の書物の記述は、話になりません。

 上記記事及び大山氏への「筆誅(という風に読んで感じました)」は、たとえそれが事実であっても、現時点においては、明らかに当を得ません。もっとも、大山氏が「無断引用した」というのならわかりますが、「無断で引用しなかった」という指摘は、実証や反論しようがないと思われ、意味わかりません。岡田先生は、大山氏らの存在を十分知りながら、上記コメントしているのは、文脈上明らかです。なお、大山誠一氏らについては、現在、東大系の学会主流と思われる学者から反論がなされていますが、それについては、後で紹介します。

 この本の記事を誰が書いたのか知りませんが、それが誰であれ、この本の文責は、著書である、下條竜夫氏にあると考えます。下條氏におかれては、上記について、可及的速やかに、コメントされることを強く求めます。

以上、伊藤睦月筆

追伸:下條さんの本、感心もし、好きだったのに、残念です。最後にちゃぶ台返しあうとは・・・・

 

伊藤 投稿日:2024/11/12 10:12

【473】日本古代史備忘録(5)結局、魏志倭人伝では、邪馬台国の場所はわからない(2)

伊藤睦月です。昨日の続きです。

(1)1983年、謝銘仁という中国(国立台湾海洋学院大学教授:当時)の文献学者が『邪馬台国 中国人はこう読む』という本を日本の出版社(立風書房)から出している。日本の文献学者安本美典氏が解説文を書いている。個人的な親交もあるらしい。

(2)伊藤睦月です。私はこの本の存在を、下條竜夫『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』で知った。下條氏は、同書掲載の、魏志倭人伝の訳読を採用している。卓見、であると思う。(上から目線で恐縮です)私なら、岩波文庫や講談社学術文庫版など、入手しやすい、日本人学者による訳読を無批判で採用していたところだ。

(3)当時、いわゆる「古代史ブーム」「邪馬台国ブーム」だったころだ。かなり反響があった、と思いたいが、そうでもなかったようだ。今では、謝銘仁に言及しているのは、安本美典氏くらいしかいない。残念なことだ。

(4)謝銘仁教授は、同書「はしがき」で次のように言う。

(5)「邪馬台国について知るのに、まず必要なことは、「魏志倭人伝」の段落並びに、その文章を的確に把握することである」

(6)伊藤睦月です。謝先生、おっしゃる通りです。

(7)謝教授はさらにつづける。

 日本で定本扱いされている「魏志・倭人伝」とかつて中国側が多くの学者を動員して、句読点(くとうてん)をつけ、1959年に発行した票点本『三国志』の中の「魏志・倭人伝」とを比較すると、本文の句読点だけでも、百か所近くの異同がみられる。(へえーそうだったんだ・・・(遠い目):伊藤)

(8)謝教授いわく、「陳寿の鳥瞰的な記載からは、邪馬台国の所在は九州の域を出ないことは言える。しかし、どこそこにあると強引に設定するのは、推測の域を出ない」

(9)特に、「行程論」について、謝先生の見解は、

「(魏志倭人伝の)行程記事は、中国的に表記しているので、中国文の伝統とニュアンスを吟味して理解することが肝心である。ところが日本的発想に基づく先入観にとらわれて、邪馬台国の所在を比定することが行われ、独善的な珍訳・奇論の展開がみられている」

(10)伊藤睦月です。あちゃ~😵これって、今までの日本人による邪馬台国論争の全否定じゃん。すでに40年前に、中国ネイティブ学者によって、「秘孔」は突かれていた、それからは、ゾンビのような論争が続けられていただけのことではないか。本当はこの時点で少なくとも違うアプローチを検討すべきだったのだと、私、伊藤睦月は、ため息をつきながら、思います。「失われた〇〇年」がここにもあったか。

(11)これって、90年代の副島先生が、「欠陥英和辞典」でたこつぼ学会村と裁判闘争をやっていたのと、同じことだと、僭越ながら、思います。

(12)ところで、安本美典氏は、同書解説を次の文章で締めくくっている。「中国人学者が読んだ場合、『魏志』『倭人伝』のどこまでがゆれ動き、どこまでが一致するかを見定めることは、議論の出発点として必要なことであろう。邪馬台国研究は、今、ようやく国際協力の時代に入り、新たな出発点を迎えているようである。本書はそういう意味で、重要な一石を投じたものといえる」

伊藤睦月です。40年後の今、安本センセイの現在の感想をお聞きしたいものだ。まだ、ご存命のうちに。

(ご無礼、陳謝)。小休止。

伊藤睦月拝

 

 

 

かたせ2号 投稿日:2024/11/12 08:37

【472】少し、気休め、箸休めの文章を書きます。

かたせ2号です。
少し、気休め、箸休めの文章を書きます。大した意味はないので、ご気楽に。

私事で恐縮ですが、来週、2024年11月18日の週に、ワタシの親類が、日本の空港を旅立ち、オーストラリアに約一週間の観光旅行をする予定です。

そのことを思っているときに、
「さて、11月のエアポート、とかいう歌詞の曲があったよな、」と思いたちました。
何の曲かというと、佐野元春の『モリスンは朝、空港で』という曲でした。
ですので、来週、2024年11月18日の週は、この曲をワタシのヘビーローテーションにするつもりです。

以上、他愛もないお話でした。

モリスンは朝、空港で / 佐野元春
https://www.youtube.com/watch?v=-IFd-5eoIhs

きいみいさんのブログから

(引用開始)
『モリスンは朝、空港で』 佐野元春

冬に聴きたい元春のナンバー。
『モリスンは朝、空港で』は私にとって、冬のイメージだ。

「少しずつ夜が明けてゆく
眠たげな街角
朝もやに包まれたタクシー
11月のエアポート」

気怠そうに歌ってる。

『No Damage』 (1983) 佐野元春
中学生の時、元春の音楽と出会って買ったアルバム。
このアルバムに収録されている。

『BACK TO THE STREET』、『Heartbeat』、『SOMEDAY』よりも先に聴いたアルバムだ。

ポップあり、ロックあり、バラードあり、ジャズあり。いろんな音楽要素を楽しめる秀作。
元春の作品の中で一番聴いたアルバムかも。

『モリソンは朝、空港で』は、寒い朝のゆっくりと流れる時間の中で気怠く歌う元春の姿を連想する。
おはよう、と言う優しい声にうっとり。
新しい朝がやってくる風景が心地よい。

心穏やかに、新しい朝を迎えられたら、どんなにいいだろうね。
毎日、どんな朝を迎えてる?
(引用終わり)

以上

伊藤 投稿日:2024/11/11 09:43

【471】日本古代史備忘録(4)結局、魏志倭人伝では、邪馬台国の場所はわからない。(1)

伊藤睦月です。ただ今2024年11月11日(月)8:42です。

 (1)いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか)は、畿内説VS北部九州説、九州説内での場所論争(九州各県に複数。最南端は奄美大島説(小林恵子))が繰り広げられており、未だ決着がついていない。

 (2)議論の大筋としては、畿内説(纏向遺跡、箸墓古墳あたり。京大系の学者が多い)と北部九州説(福岡県朝倉市、筑後市、佐賀県吉野ケ里遺跡あたり。東大系の学者が多い)に絞られてきているようだ。(副島隆彦説、岡田英弘説、下條竜夫説、安本美典説は別に論ずる)

 (3)従来の議論は、歴史研究の方法論としては、「文献学アプローチ」、すなわち、魏志倭人伝の漢文を読み解く(暗号解読のようにあれこれ「解釈」して邪馬台国の場所を特定(比定:ひてい、ともいう)する)方法が主流。そして、もうひとつの方法「考古学アプローチ」を補助的に使う、たとえば古墳とか、銅鏡の分布とか。いわゆる「金石文:きんせきぶん」の分析は、どちらになるのか、門外漢の私には、よくわからない。

(3)歴史は、文字情報で語られるものだから、文献学アプローチのほうが、文字情報以外の史料を分析する考古学アプローチより優先されるものらしい。(程度による。時代をさかのぼるほど、文字情報が少なくなるので、その分、考古学アプローチの重要度が高まる)

(4)というわけで、世の学者(白鳥庫吉、内藤湖南その他東大系、京大系大勢)や在野の歴史研究家(宮崎康平、古田武彦など)、歴史推理作家(松本清張、高木彬光、井沢元彦など)が論争に参入し、特に1960~80年代は、「古代史ブーム」と呼ばれるくらい、議論が盛り上がった。

(5)一方で、考古学者(那珂通世、森浩一など)たちの遺跡発掘、調査研究も盛んになり、考古学アプローチからの邪馬台国探しも盛んになったが、あくまで文献学の補充、みたいな扱いだったようだ。

(6)なお、考古学分野については、2000年に「旧石器捏造」事件が発覚して、学問界の大スキャンダルとして騒がれたが、その分地道な調査研究が続けられたようだ。(但し、畿内説をとる人々の中には、考古学の知見を、学問とは関係ない、政治的に利用する人たちもいることが指摘されている)

(7)ところが、1980年代には、すでに、日本の学者たちの「努力」を一挙にデリートしてしまうような、議論が、海外から襲来していた。

とりあえず、小休止。

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/10 10:16

【470】日本古代史備忘録(3):私の立場を再確認する。属国日本史テーゼ

伊藤睦月です。只今、2024年11月10日(日)9時50分です。

 以前も当掲示板でも表明したが、古代から現代までを貫く、私の歴史観について、改めて、表明しておく。下條氏のいう「定理」「公理」にようなものだ。しつこいようだけど、今後も折に触れて、繰り返すことになるだろう。

(1)副島テーゼ(仮称)※丸数字は伊藤付加。

 『①日本は、本当はこの2000年の間、中国の歴代王朝・中華帝国の属国としての地位にあっ た。➁しかし表面上は、絶対に中国に屈服しないで、少なくとも政治的には対等であるというフリをして、➂痩せ我慢をしてきた国である。』(『英文法の謎を解く』1995年)

 伊藤睦月です。この副島日本史の3テーゼ(仮称)の批判(非難ではない)、検証、実証、が、私の問題意識だ。残りのそんなに長くはない人生での、ライフワークといっても大げさではない。いわゆる副島学の範囲は広範で、その体系化を含め、全部は私の手に負えない。そこで、私の好きな歴史分野に絞ることに自分勝手に決めた。それでも広く、深すぎて溺れそうだけれども。

 歴史分野においても、副島隆彦先生は、常に上書きしているから、フォローするだけでも大変だ。現時点では、公刊ベースでは、『副島隆彦の歴史再発掘』(2019年)が最新だから、これをベースにしよう。新刊が出れば、それを対象とする。

この本の、わずか40ページしかない古代史編『第6章 邪馬台国はどこにあったのか、最新の話題』が当面の対象だ。

 今後議論の行方を見失いそうになったら、常にここに返ってくる。自分の立論でも、他人の批判でも同じことだ。

 今後もそういうつもりで、投稿させていただくから、悪しからず。

以上、伊藤睦月拝

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/09 17:20

【469】日本古代史備忘録(2):邪馬台国論争最前線(どうやら大和説が否定される日は近い?)

伊藤睦月です。本日は2024年11月9日16:22、です。

かつて、副島隆彦先生は、その著書『副島隆彦の歴史再発掘』(2019)のなかで、「後に載せる別の新聞記事にもあるように、「政府の文化審議会」で「もう纏向遺跡と箸墓古墳で邪馬台国は決まり」「畿内説の勝利」となりつつある。がそうは問屋が卸さない。簡単にはさせない。

と述べられていた。

そして、ついに、2020年以降、「奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所」(纏向遺跡や箸墓古墳など奈良の史跡を調査研究している研究機関。邪馬台国畿内説の中心とみなされても不思議ではない)出身の研究者たちから、畿内説(彼らは「大和説」とよんでいる)を考古学的見地から完全否定する著作が世に出てきた。学会内の大事件といっても大げさではない、と思う。なぜか騒がれないけれども。それは、以下の2人

(1)坂靖(ばん やすし:奈良県立橿原考古学研究所企画学芸部長)『ヤマト王権の考古学』

   新泉社2020年)

(2)関川尚功(せきかわ ひさよし:同研究所元所員)『考古学から見た邪馬台国大和説 畿内で

   はありえぬ邪馬台国』(梓書院2020年)

である。内容を紹介しだすときりがないので、ここでは(2)帯広告文の一部のみ紹介する。

(引用開始)

本書の著者は、長年、纏向遺跡をはじめ、おおくの大和地域の発掘・調査に携わってきた。そんな著者が出した結論は、「邪馬台国の存在を大和地域に認めることはできない」(以下略)

(引用終わり)

伊藤睦月です。関川氏は、纏向遺跡の公式調査報告書『纏向』の執筆者として、学会では有名な人らしい。二人とも、2020年に相次いで本を出しているが、2020年という年はなにかしら意味があるのかしら。

 これに対する、学会やメディアの反応はよくわからないが、著名な文献史学者、安本美典(やすもと びてん)氏は、自身の最新著『データサイエンスが解く邪馬台国』(朝日新書2021年)の冒頭に2著を紹介したうえで、自論「邪馬台国北部九州説」を展開している。また、歴史研究家の関裕二氏(聖徳太子=蘇我入鹿説を副島先生が採用している)も、最新著『古代史の正体』(PHP新書2021年)に関川氏の知見をベースに(名前は出していない:伊藤の記憶)、独自の古代史ファンタジーを展開している。なので、なんらかの反響はあったようだ。伊藤の感想だが、もう学問的には決着ついた、といっても良いのでは、と思う。(ネイチャーなど海外の学術誌に載せてもらえば、良いのに、と思う。)

 しかし、副島先生が警戒しているような、政治的圧力は何かしらあるらしく、安本氏も同著の中で、遠回しな言い方だが、2000年の「旧石器遺物捏造事件」を引き合いに出して、政府審議会やマスコミの動きを牽制している。

 伊藤睦月です。私は、安本本と関川本は入手しているが、坂本、関本はアマゾンで注文中です。もともと下條本の検証のために、アマゾンを検索していて偶然たどり着きました。詳細は、今後読み込んでいきますが、なんか楽しくなりそう。また、道教関連もかなり集まってきましたので、これも楽しみです。こういうご縁を作ってくれた下條さんに感謝、です。

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/08 09:32

【468】日本古代史備忘録(1):邪馬台国は鉄器の一大産地だった

伊藤睦月です。

 下條さんからの回答を拝見して、一晩寝たら、思い出したので、忘れないうちに、書き残します。

(1)下條さんは、卑弥呼は、五斗米道教祖の一族として、邪馬台国在住の鉱山技術者集団の招請により、渡来したという考えをお持ちのようです。

(2)ところで、福岡市には、「多々良(たたら)川」があり、その流域は砂鉄の生産地として有名で、明治まで鉄製品を生産していたそうです。現在では、福岡県福岡市東区香椎の一部となっています。

(3)香椎といえば、神功皇后と仲哀天皇の新羅出兵の本陣があったところで、香椎宮という両者を主神とする神社があり、山奥に3キロほど入ると、応神天皇生誕の地である「宇美八幡宮」があります。

(4)さらに山沿いに5キロほど行くと、太宰府の後背地、宝満山、竈門神社に、さらに日田方面へ20キロほど、山道を進むと、鯛生(たいおう)金山に出ます。鯛生金山は江戸時代には稼働していて、松本清張の「西海道奇談」の舞台に設定されています。またその山地一帯は、江戸時代に入って日田天領になるまでは、修験道の聖地である「英彦山(ひこさん)」の神領でした。

(5)日本古代史では、朝鮮半島南部の伽耶から出雲にいたる、鉄集団(たたら集団)とか、山陰地方がよく知られていますが、邪馬台国九州説の舞台である福岡県(筑紫)も、なかなかの鉱山があったようです。

(6)下條さんのコメントをみて、自分の地元のことを少し思い出したので、備忘録として残しておきます。

伊藤睦月拝

 

(6)たたら集団については、宮崎駿「もののけ姫」に出てくる、女たたら集団が、ビジュアル的にイメージしやすいですが、あそこに出てくる、神器などは道教由来のものが多いんでしょうね。

 

 

真下 欣一 投稿日:2024/11/07 20:34

【467】アメリカ大統領選挙

トランプが勝った。

副島隆彦の予想が覆った。

副島隆彦はそれを願いながら、分章を書いていたのだ。

私にはそれが分かる。

そして、彼[副島隆彦]が語っていることは、世界歴史のなかにおけるアメリカ帝国の興亡の物語なのだ。

伊藤 投稿日:2024/11/07 19:09

【466】下條さんへのとりあえずの御礼

下條様、伊藤睦月です。

 私の稚拙な質問に対し、こんなに早く、端的にお答えいただき、ありがとうございました。

 特に、スピリチュアルについては、不躾な質問をぶつけてしまい、恐縮です。

 じゃあ、お前はどうなんだ、と聞かれますと、現状では、「なにごとがおはしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼるる」としか、言えません。方法論としては、デカルトの方法序説にある、と思いますが、そこまで考えが至りません。下條さんのお答えをヒントに考えていきたいと思います。

  また、副島先生とのエピソードですが、佐藤優氏とのエピソードを思い出しました。自分の記憶ですが、

  佐藤氏と初対面の副島先生からいきなり「君は人類が月に行ったと思うかね」ときかれ、佐藤氏は「自分は、クリスチャンだから奇跡を信じる。だから人類が月に行ったと信じる」というと先生は破願大笑、「そうか、信じるならそれもよし」と答えられたとか、「だから何?」と言われても困りますけど。

 今のところ、この程度で恐縮です。今後ともよろしくご教示ください。

 取り急ぎ、御礼まで。

伊藤睦月拝

追伸:さきほど帰宅すると、『物理学者が解き明かす重大事件の真相』が届いていました。諸般の事情でアマゾンの古本ショップで購入しました。格安で。(苦笑)なんか今から楽しみ、ゆっくりですが拝読させていただきます。また質問等できましたら、よろしくお願いします。

 

 

 

 

ジョー(下條竜夫) 投稿日:2024/11/07 14:19

【465】伊藤さんの疑問に答えて

伊藤睦月様

拙本をお読みいただき、かつ丁寧な講評をいただき、どうもありがとうございます。ご質問に対して、わかるかぎり簡潔にお答えします。

質問1 卑弥呼のような高貴な女性がなぜ、倭国に渡来してきたのかその渡来目的は何か。

これについては、確かな証拠がないので本には何も記しませんでした。しかし、個人的には、金や鉄を堀っていた四川省付近の金堀集団が、日本に来たのち(日本は火山国なので金銅鉄がマグマで噴き出すため多くとれます)、「我々も五斗米道の教祖に日々教えを請いたい」と呼びよせたと思います。だから、もちろん布教もしただろうと思います。ただ、その証拠は何も残っていないので、「その道教の教えが現在の神道のもとなのだろう」という間接的な証拠しかありません。

ちなみに副島説では道教=五斗米道にキリスト教が入っていることになっています。卑弥呼の弥呼(みこ)は巫女だとしましたが、本当は神子(=イエスキリストのこと)なのではないかと思います。

質問2岡田英弘博士は、古事記を平安時代初期につくられた偽書だと断じて、日本古代史を語る史料として採用していない(『日本史の誕生』)はずですが、下條さんは、古事記も採用しているように思えます。その理由は。

私も偽書説を支持していますが、偽書にしても、古事記は、日本書紀かそのもとになる蘇我時代の歴史書を参考にして書かれたのではないかと考えています。そういう意味で、古事記も参考にしました。

質問3 下條さんは、最近「重たい掲示板」でスピリチュアルについて、興味深い文章を投稿されていますが、その中でスピリチュアルを「信じる人」「信じない人」という言い方をされていますが、信じる信じないにかかわらず、スピリチュアル(霊魂=マインド)は「ある」ものではないか、どう思われますか。

このあたりは副島先生から厳しい批判を受けました、「お前はキリスト教の神のような普遍のものを信じているのではないか」と。

スピリチュアリズムには1.自分の外に霊(spirit)(神や祖先の霊)が存在して、2.それを信じることで幸福になれる、という信念があるように思います。しかし、私には霊はみえない、感じられない、だから1.の自分の外に霊が存在するか私にはわかりません。そういう意味ではスピリチュアルを信じられない人です。つまり、私がこの文章を書いた背景に、霊(spirit)とは本当は何なのか、という疑問がありました。

しかし、最近、伊藤さんが指摘するように霊=霊魂なのだろうと考え直しています。自分の霊魂=思考が霊(spirit)を感じさせているのだろうと思っています。この点についてはウイリアムジェイムスの『宗教的経験の諸相』の「人間の潜在意識(subconsiusness = フロイトのいう無意識nonconsiusness)がそう感じさせている」という考えが参考になります。

また何かありましたら、ご質問ください。

下條竜夫拝