近代医学・医療掲示板
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Loginはこちら【211】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(23)検査をやり直す(その2)
伊藤睦月です。
2 今回の検査は、胃の正面、ヘソの上部三か所に穴を開けられた。
2-(1)そして、傷跡からして、ヘソの穴からも、胃カメラのような管を通されたらしい。
2-(2)2か所、1センチほどの横一文字の傷跡があって、そこから、マジックハンドのような鉗子(はさみ)を差し入れて組織を採取したようだ。
2-(3)残り一つは不明。前回のように体液を流す、ドレイン(管)かと思って聞いてみたら、違うという。
2-(4)手術日の2日前に入院。3日目の朝一(前回は夕方)に前回通り歩いて手術室に行き、狭いベッドに自分で横たわって、酸素吸入器を口にして、すぐに気が遠くなった。
2-(5)気づくとまだ、日が高かった。14時くらいか。それからなかなか寝付けず、入眠剤も投与されなかったので、ちょっと不愉快だった。手術としては、前回より、所要時間は短く、スムーズに採取したらしいが、気分は今回の方がよろしくない。苦しいときの鎮静剤を自分にできる範囲で、追加した。そのまま、24時近くまで寝付けなかった。
2-(6)翌朝、目覚めると、気分は悪くなかった。
その日のうちに尿管を外してもらった。前回と違っていたのは、いわゆる「朝立ち」をしてしまった。これには、参った。激痛よりも、看護師に見つかるのが、恥ずかしい気がして、ひたすら収まるのを待つしかなかった。看護師の回診までには、何とか収まった。
2-(7)翌日には点滴を外してもらい、シャワーが浴びれるようになった。土日挟んで、3日後の月曜朝に退院となった。前回5週間、今回1週間。前回は血糖値コントロールのため、長期になったが、検査手術自体は、1週間単位のようだ。両方とも4人部屋。個室は一泊2万円するので、手が出なかった。私以外は、おおむね1週間程度で入れ替わっていった。それについては、また触れることがあるだろう。
2-(8)検査結果は、3週間後。あまり緊張はしなかった。いい加減はっきりしてほしい、という気持ちの方が強かった。そして、消化器外科外来の診察日が来た。
小休止、以上、伊藤睦月筆
、
【210】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(22)検査をやり直す(その1)
伊藤睦月です。泌尿器外来に続き、再び消化器外科外来の診察を受けた。
1 主治医によると、
1-(1)個人的にはがんではないのではないかと考えている。
1-(2)しかし、ファーストオピニオン(最初の診断)では、スキルス胃がん、悪性リンパ腫の疑い、という報告があるので、これを無視できない。
1-(3)また、4月の検査から6か月経過しているので、最新の状況がわからない。
1-(4)そこで、改めて胃部組織、リンパ節組織を採取して、検査をやりたい。
1-(5)検査としては、胃の正面(腹口腔膜?)から穴を開けて採取する。手術は3時間程度。入院は手術の前後1週間くらい。(費用は受診者負担)
2 伊藤睦月です。言いたいことは山ほどあったが、
早計に抗ガン剤を投与されるよりはましだ、とにかく検査を徹底してがんの正体を見極めてほしいと、彼女に話して、検査に同意した。
3-(1)検査は3週間後。今回は血糖値が安定してきたので、長期の事前入院はせずに済んだ。
3-(2)今回の執刀医は、アスリートではなく、助手の華奢な女性だった。検査手術を終えたとき、「本当に良いモノがたっぷりとれました」とにこにこ笑いながら話すので、かかりつけ医の「オタク」という言葉が頭によぎった。無事でよかった、と心から思った。
小休止。以上伊藤睦月筆
【209】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(21)スキルス胃がんではない、と言われる(その3)
伊藤睦月です。
3 検査をした、泌尿器科の坊主頭の主治医の説明。退院から1か月半後、9月の半ばのことだった。
3-(1)採取したリンパ組織からは、がんは見つからなかった。PETでは、反応があるが、がんであるか特定できない。
3-(2)最初の病院で「がん」と診断されてから、4か月以上経過している。あなたが「がん」なら、今頃は、「がりがり」に痩せていなければならない。
3-(3)しかしやせるどころか、「ぶくぶく」太っている。(4月体重74キロ、9月79キロ)こんながん患者は見たことがない。がん専門の当病院でも数年に1例あるかないかだ。
3-(4)(それでは、ファーストオピニオンは「誤診」だったのか、と質問すると)誤診ではない。なぜなら、スキルス胃がんの「疑い」、悪性リンパ腫の「疑い」と書いてあったから。(そんなものかね?)
3-(5)とにかく、泌尿器科では、これ以上やることがない。あとは、「消化器外科」の先生が引き継ぐことになっているから、そこを受診してくれ。
伊藤睦月です。これって、体の良い「たらいまわし」ではないか、と思いつつ、消化器外科の外来に向かった。それにしても、「ぶくぶく」とは、ほかに言いようがないのかね・・・(ややおこ)
小休止。以上、伊藤睦月筆
【208】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(20)スキルス胃がんではない、と言われる(その2)
伊藤睦月です。
2 今回の検査手術では、左横腹4個穴を開けられた。
2-(1)その内訳の説明がなかったが、たぶん、カメラ用1か所、切除のためのマジックハンド?で2か所、体液か、リンパ液を流すためのドレイン(管)を入れる穴、だと思う。
2-(2)ほかに左手の甲に、点滴など薬物を入れる管、尿道に管が通っていた。尿道の管は、全身麻酔中につけられたようだ。動くと傷つけそうで、少し気になった。藤河るり『元気になるシカ!』掲載の表紙イラストが正確だ。点滴袋は、スタンドについていて、一定時間が経つと、ブザーが鳴り、看護師が袋の交換にくる。夜昼関係ない。
2-(3)検査手術の翌日には、尿道管が取れた。主治医が処置した。これでトイレに行けるようになり、点滴スタンドをゴロゴロ言わせて、病棟内を歩き回った。
2-(4)ドレイン袋も点滴スタンドについていたが、白く濁っていた。透明にならないと外せないそうだ。外れるまで、3日かかった。外れて、状態がよければ退院だそうだ。3日後に退院した。
2-(5)横腹に開いた穴は、サロンパスのようなプラスターか、防水性の傷パットのようなもので塞がれていた。手術糸ではなかった。したがって抜糸もない。少し拍子抜けした。
2-(6)点滴袋が取れるまでは、看護師が、紙おしぼりで体をふいてくれた。さすがに全身は恥ずかしかったので、自分の手が届かない、背中だけ拭いてもらい、あとは自分で拭いた。点滴袋が取れてからは、共用シャワーを使った。ひげはT字剃刀が使えないので、電気シェーバーを使用した。
3 検査結果に意外と時日を要した。(1か月半くらい)
3-(1)当初、退院までには、わかる、と言われたが、わからなかった。そのまま退院し、何度か引き延ばされた後、9月の半ばに結果説明があった。なんでも、組織採取の際、リンパ節の一部がドロドロになって、胃壁に張り付いていたそうだ。それで、そのドロドロだけでなく、リンパ管の一部も切り取った、という。おいおい、聞いてないよーと思いながら話を聞いていたけど、私の感情が顔に出てしまったらしく、実際組織採取にあたった副主治医(アラフォーくらいの優男、当時医療TVドラマに主演していたニノに雰囲気似ていた。)が、あれこれ言い訳しだしたので、とにかく、確実なことを聞きたい、とだけ言って、連絡を待った。
小休止。伊藤睦月筆
【207】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(19)スキルス胃がんではない、と言われる。
伊藤睦月です。
1 検査(手術)について
1-(1)手術代は、私の胸囲(100センチ)からすると、狭い感じがして体をよじると落ちそうな感じだった。それに自分で乗り、点滴管、心電図の電極、をつけ、酸素吸入器を口につけられた。看護師が何か話しかけてきて、適当に受けごたえしていると、いつのまにか、意識を失った。
1-(2)突然、体をゆすられ、名前を呼ばれて、意識が戻った。瞼は開けられなかった。なんかうめいていた。「自分、生きてるよね」と何度も口走った。理由はわからない。「ああ生きていますよ」とその都度、医師(副主治医の比較的若手の医師。この人が実際の執刀医)の声がしたが、また気が遠くなった。
1-(3)次に気づいたときは、病室の自分のベッドの上だった。薄目を開けると、点滴管と薬剤の入った袋からぽたぽた落ちるのが見えた。心電図の心音ぽい音が聞こえていた。痛みや吐き気などはなかったが、体を動かすのが怖くて、じっとしていた。看護師と副主治医の顔が見えた。時刻を聞いたら、手術から、3、4時間しか経過していない。15時に手術室に入ったので、日が暮れたばかりか。カーテンが閉められていて、暗かったが、外はまだ明るかったと思う。この時期、福岡では、20時近くまで明るい。目をつぶっていたら、気が遠くなった。
1-(4)次に意識が戻ったときは、周りがばたばたしていた。瞼は開けられないというか、開けるのが、少し怖かった。医師が、耳元で「座薬入れても良いですか」と何回も聞くので、めんどくさくなって「良いですよ」と言ったら、「今から座薬入れまーす」という声がして、肛門回りに異物が入っていくのが分かった。違和感はすぐに消えた。すぐ意識がなくなった。
1-(5)次に意識が戻ったときは、瞼がはっきりと開いた。眠りから覚めたような感じ。頭もすっきりしていた。医師は、私の目覚めに気が付くと、「経過は順調です」といい、痛み止めの追加方法について、説明した。痛みが出たときは、ボタンを押して、点滴に追加投入する。あまり痛さはなかったが、痛み止めが減っていないと、「大丈夫ですか。使い方わかりませんか」と何度も聞いてくるので、適当に追加投入していた。
1-(6)時刻的には、21時くらいだった。思ったより時間経過していない。目がさえた。看護師が、「眠れないでしょう?」と聞いてきたので、「眠れません」と言ったら、「睡眠導入剤入れますか」といわれた。なんとなく不安になって断った。そのまま目をつぶっていたら、いつのまにか眠っていた。あれこれ考えていたけど、内容は忘れた。(続く)
小休止。以上、伊藤睦月筆
【206】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(18)ブレイク:森永卓郎氏の死について思うこと。
伊藤睦月です。
(1)1月28日に森永卓郎氏が死亡したとの報道があった。彼の政治的バックグラウンドについては、不案内だが、実務経験に基づく、知見には刺さるものがあった。1年くらい前に、「原発不明がん」の宣告を受けたことを公表してから、「遺言」と称して、財務省批判、御巣鷹山の日航機墜落疑惑、がん闘病記などを公にしてきた。私は、財務省批判本しか読んでいない。
(2)がんに関しては、「原発不明ガン」という宣告を受けていたようだ。私も、当初、同じような診断をされていたから、他人事とは思えない。
(3)原発不明ガンとは、転移先のガンは、判明するが、原因となる臓器(原発巣)が特定できない状態をいうらしい。転移先は膵臓だったそうだ。
(4)膵臓と言えば、自分の状態について、副島先生に報告した際、副島先生は、コロナワクチン由来のすい臓がんではないかと、疑われていた。
(5)私は、当時スキルス胃がんのリンパ節転移と言われたが、検査を繰り返した結果、がんではなかった。コロナワクチンは2回打ったが、今のところ、原因ではないようだ。森永氏はどうだったのだろう。コロナワクチンは何回接種したのだろうか。
(6)また、森永氏は、免疫療法(オプシーボ)の投与を続けていたそうだ。健康保険適用外なら、年間数百万の自己負担となる。保険適用でも100万近い。私には無理だが。
(7)免疫療法については、近藤誠医師が生前、その危険性を指摘していた。
(8)免疫療法は、確かに免疫細胞を活性化させて、がん細胞を攻撃するが、同時に正常細胞をも攻撃する、という。コロナの時、「免疫暴走」という言葉を我々素人も学んだことだ。そういう意味では抗がん剤や放射線と同じ。
(9)抗がん剤や放射線は、毒性が非常に強く、その分、危険性が高い。その一方で、免疫療法は、それ自体の毒性は少ない、という。「免疫暴走」をコントロールできれば有効なのかもしれない。一方で、抗がん剤でも、がんの種類、程度によっては、有効なものも出てきているらしい。また、副作用を軽減する処置方法は出てきているようだが、根本的な解決にはならない。(近藤誠『最新がん・部位別治療事典』2020年講談社)
(10)伊藤睦月です。どのガンにどの治療法が有効で安全かは、今後の知見の積み重ねをまつしかないらしい。そんなことって、我々素人には、難しいし、専門医師の「説得」を退けるのは、正直無理だと思う。結局近藤医師のおすすめ通り、病院に行かないのが正解なのか。
それでもまだ、昔よりはましだと信じたい。
以上伊藤睦月筆(次回から、経験談、再開します)
【205】訂正
伊藤睦月です。前回の投稿で、書きそこなったのですが、
1)病院に入っていたのは、すべて「ローソン」でした。
2)それから、手術直前に、手の甲に針と管を入れられた。点滴などを投入するためのものだろう。
以上です。
伊藤睦月拝
【204】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(17)最初の検査入院(3)
伊藤睦月です。続き。
3 すべて、マニュアル化、IT化
3-(1)入院に必要な基本アイテムは、ほとんど病院内で、そろう。レンタル屋と売店(コンビニ、なぜかどこの病院だった7.だった)
3-(2)但し、爪切り、T字剃刀、ナイフ類は持ち込み禁止。(入院初日にナースに預ける)危険防止とかいっていたが、自殺防止だろう。
3-(3)髭剃りは電動のみ。その他必要な、備品、用品類は、藤河本が役に立つ。シャワーは日中予約制。テレビ(イヤホン着用)と冷蔵庫はプリペイドカード方式。ビジネスホテルと同じ。個室だと、室内にシャワーがあり、テレビもそのまま音声を流せた。消灯は、大部屋は22時だが、個室は、事実上の制限はなし。当時パリ五輪の中継が始まっていたので、看護師の見回りが終わると、みんな観ていた。私もその一人。散髪は、院内の美容室か、外泊時に行う。
3-(4)看護師等スタッフは、常にミーティングしていた印象だ。最初の病院のように、雑談風景はほとんど見なかった。朝夕の集団ミーティング、それから個別ミーティング、結構濃密な印象だ。主任看護師はいるが、日中、夕方、夜間と担当が替わった。交代前の看護師と私が話したことも、記録しているらしく、時々内容確認や、提案、助言などを言ってきた。
3-(5)入院中の治療は、特にない。かかりつけ医の処方薬を時間通りに服用する。インスリン4回(朝、昼、夕食前)メトグルコ(朝夕)ジャヌビア(朝)、降圧剤(朝)、睡眠導入剤(就寝前)、時々便秘薬(マグネシウム)
3-(6)血圧測定(朝)、血糖値測定(朝、昼、夕食前、就寝前)これを続ける。回診は毎日あるが、問診だけ。血糖値が安定するのを待っているらしい。
3-(7)3週間経って、食前血糖値が200を切り出したころ、外出許可(原則土日)をもらって、帰宅。郵便物の整理、掃除、必要用品、着替えの追加補充など。
3-(8)4週目に入り、血糖値も200を切ったので、週末に検査(手術)をすることが決まった。それから少し慌ただしくなった。
3-(9)まず、検査(手術)までの、段取り、手術内容の説明があり、手術の同意書にサインした。家族には、手術日は知らせたが、検査ということもあり、立会は断った。何度も確認された。家族が立ち会わないのは、結構珍しいらしい。
3-(10)前日に麻酔医が来て、麻酔内容と副作用の説明があり、同意書にサインした。そのほか何枚かサインした。どの同意書にも、「あなたの意志で拒否できます」と書いてあったが、普通、断れるものかね。
3-(11)手術室担当の看護師が来て、イラスト説明書(紙)、タブレットで動画で説明した。また、何かにサインした。タブレット動画は、ビジネスホテルの案内動画のようだった。最後は、担当看護師全員で、「スタッフ一同、心からお待ちしてます」と来た。苦笑いするしかなかった。
3-(12)手術当日になった。7階の病棟から、3階の手術室に看護師に案内されながら、徒歩で向かった。
3-(13)手術室手前に「家族控室」があって、3組くらいの家族が待機していた。みんな一様に暗く、しくしく泣いている人もいる。家族を呼ばなくてよかった、と心から思った。
3-(14)手術室のドアが開いた。そこには動画通りの光景が広がっていた。それにしても、「いらっしゃいませ」は勘弁してほしかった。
小休止、
以上、伊藤睦月筆
【203】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(16)最初の検査入院(2)
伊東睦月です。続き。
⑦入院してから間もなく、病院内にある「患者図書室」の司書さんと知り合いになった。この図書室は、入院患者の読み終わった本を寄付してもらうことで成り立っている。小説類とがん関係本が多い。藤河るり氏の漫画本もあった。(漫画は原則おいてないが、例外もあった)
⑧寄付本が中心のため、古い本が多く、近刊書やベストセラー、子供向けの本があまりない。スタッフに聞くと、そういった本は市立図書館にリクエストしているが、なかなか回ってこないそうだ。そうだろう。
⑨そこで、外出許可が出たとき、自宅に残っていた、ヨシタケシンスケの絵本や、図鑑、一般向け気象本など適当にみつくろって、持って言ったら、大変喜ばれた。
⑩後日のことだが、がんで入院している小学5年生の男の子が、さっそく気象本を借りていったという。夏休みの自由研究にするそうだ。入院していると窓から雲しか見れない。毎日眺める雲の変化を観察日記にまとめるそうだ。ヨシタケシンスケの絵本も子供から大人まで大変人気があるそうだ。市立図書館にリクエストを出しても、数か月待ちなんです。そうですか。まにあってよかったですね、とは口にはださなかったが、少しうれしくなった。それから、売店(コンビニ)で買った小説本(西村京太郎とか、東野圭吾とか、ミステリーが多かった)を読み終わると図書館に寄付した。
2 ホテル並みに設備が充実していた。
2-(1)入院したのは、4人部屋だった。2人部屋とか個室だと、一泊8千~2万円の差額ベッド代がかかるので、大部屋一択だった。(意外と個室が人気で、順番待ちらしい。みんな余裕ありますなあ)
2-(2)コロナ前は6人部屋だったと思う。居住スペースは、カーテンで仕切られていてかなりスペースに余裕があった。藤河本に書いてあるとおりだった。
2-(3)同室の隣人の声が丸聞こえなのには閉口したが、医師や家族とのやりとりも聞こえてなかなか感慨深かった。出会い頭に挨拶をすることはあったが、それ以外お互い話さない。むしろ、患者ロビー(デールーム)で会う、他の病室の患者さん(大抵、年上のご婦人)とよく話した。
2-(4)同室の人たちは、2日~7日くらいで入れ替わった。手術をした人は、手術室から、集中治療室に移され、そのまま戻って来ない。抗ガン剤治療をした人は、いったん戻ってきて、3日ほどで退院した。あとは、通院で治療を続けるようだ。私のように、1か月も同じ部屋にいるのはこの病棟では珍しいらしい。いつの間にか空気みたいになっていた。
小休止
伊藤睦月筆
【202】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(15)最初の検査入院(1)
伊藤睦月です。前回の続き。
1 がん専門病院に入院したときに、気づいたことをいくつか。
1-(1)周りは、がん患者ばかりだった。
①あたりまえと言われるかもしれないが、病院内は
がん患者、すぐにそれとわかるような人達が、たむろしていた。
②最初の総合病院も、「地域がん相談センター」を設置しているくらいだから、受診しているがん患者はいるはずだが、あまり目立たなかった。
③特に毛糸の帽子をかぶっている人が目立った。抗ガン剤の副作用で、頭髪が抜けている。近藤本で、抗がん剤を使用すれば、おしまい、と思っていたが、「意外と生きてるじゃん」と正直思った。少し気が楽になった。
④患者は、大半は私より年上、70歳は過ぎている印象。後日の観察では、私と同年代も意外といた。がん治療を受けると、見た目老けるらしい。車いすに乗っている人が目立った。
⑤30,40の現役世代もいた。家族が付き添っていて、明るくふるまっている。
小休止。伊藤睦月筆
⑥10歳前後の子供もいた。体に点滴の針を刺して、台車を動かしながら、売店でお菓子を選んでいる。毛糸の帽子を見ると、さすがに胸が詰まった。