「2025」 藤森かよこ著『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』(ベストセラーズ)が発売された 2022年11月11日

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 SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2022年11月11日です。

 今回は、副島隆彦の学問道場の仲間で、福山市立大学名誉教授の藤森かよこ先生の最新刊『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』をご紹介します。


馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性

 藤森かよこ先生は、アメリカの国民的作家アイン・ランド(Ayn Rand、1905-1982年、77歳)研究の第一人者です。アイン・ランドはアメリカの大学生が「大学生になったら一度は必ず読むべき作家」であり、大学内のブックストアに行けば彼女の本が必ず置いてあるほどの作家です。藤森先生はランドの代表作である大部“The Fountainhead”(1943年)の翻訳『水源―The Fountainhead』を2004年に刊行しました。

 研究以外に、これまで『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』(2019年)、『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』(2020年)を刊行し、ベストセラーになっています。今回はなかなか話しにくいテーマである「性」についての本です。

 以下に、まえがき、目次、あとがきを貼り付けます。是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)
『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』

まえがき

 本書の目的は、大きく時代が変わる前の過渡期であり、今までの生き方が通用しないことが予測できる危機の時代において、馬鹿ブス貧乏な普通の女性たちが、無駄に恐怖や不安や焦燥を感じて萎縮(いしゅく)することなく自分なりの人生を創るためのヒントを、愛や性の観点から提示することだ。
「方法」ではなく、「ヒント」を提示すると書いたのは、生き方はいろいろで自分で選ぶしかないからだ。価値観が多様化して混乱している今の時代に、これこそが適切な方法だとは誰も言えない。自分で選ぶしかない。カリスマYouTuber とかオンラインセミナーとかカウンセラーとか占い師とか霊能者とかの意見は参考にしておくだけにしてください。

 本書は、2019年にKKベストセラーズから出版された『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(以後、「馬鹿ブス貧乏黄色本」と書く)と、2020年に出版された『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』(以後、「馬鹿ブス貧乏水色本」と書く)の続編である。
「馬鹿ブス貧乏黄色本」は、馬鹿でブスで貧乏な女性のための自己啓発本だ。私の定義では、馬鹿とは一(いち)を聞いて一を知るのが精一杯で、特に学校の成績が良かったわけでもなく、地頭(じあたま)がいいわけでもなく、平々凡々であり、努力しなければどうしようもない程度の能力の持ち主のことだ。
 ブスというのは、顔やスタイルで食っていけず、繁華街を歩いていてスカウトされたことなど一度もない程度の容貌の持ち主のことだ。
 貧乏とは、賃金労働をして生活費を稼ぐしかなく、大恐慌やハイパーインフレや預金封鎖が起こり、預金保険機構でさえ潰れてペイオフ不可能などの経済的大変動があれば、すぐに困窮する程度の資産しか持っていない状態のことだ。要するに、普通の平凡な女性の状態のことだ。
 世に多く出版されてきた自己啓発本は、スペックが高い人にしか実践できそうもないことばかり書いてあると私には思えた。だから、普通の馬鹿ブス貧乏ではあるが、向上心があり、素直に幸せになりたくて、かつ少しは読書をする女性なら実践できることを、私自身の体験から選んで書いた。
 ところが、2020年にコロナ危機が始まり、私が書いた内容が通用しない状況が、私の予想より30年早く到来した。近未来はほとんどの人間が無用者階級になると、イスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは予測している。AI化で普通の人間の仕事が消えたら、馬鹿ブス貧乏な普通の女性たちは、どう生きていけばいいのだろうか。そんなディストピア的近未来への対処法を書いたつもりだったのが、2020年暮れに出版された「馬鹿ブス貧乏水色本」だった。
 それから数か月が経過した2021年の春ぐらいのことだった。前著2冊の出版に際してお世話になったKKベストセラーズの編集者の鈴木康成さんから、「馬鹿ブス貧乏本」の第3弾として「性」について書いてみませんかと誘惑された。表紙はピンク色にしたいそうである。
 私はそのときにこう思った。「共同体のパーツとして埋もれるのではなく、個人が個人として生きて行けるような世界、個人の自由を拡大する世界をつくるというのが18世紀からの世界史の方向だった。この動きは、一時期は後退するとしても元には戻らない。人間関係の解体と希薄化は、個人の自由とセットのものであり、全体としては止めることができない。それでも、人間を癒(いや)すのは他人との絆であり愛でしかない時代は、しばらくは続くだろう。他人との絆を形成する入り口が性体験であることが多いのも事実だと思う」と。
 とはいえ、私は、愛だの性だのについて書くような見識もないし、豊富な経験もない。恋愛とか男女問題に興味があるような年齢はとっくに過ぎた。
 ときどき、動画配信サービスでボーイズ・ラブ(BL)系恋愛ドラマなどを見て胸をキュンキュンさせていれば、それでいいのだ。完璧な美男美女が登場する韓国の恋愛ドラマを視聴して、「こんな美男美女でも排泄(はいせつ)するし、下痢にもなるし、便秘にもなるんだなあ」と思っていればいいのだ。Twitter に氾濫する夫や恋人への愚痴を読んでも、「こんなところに愚痴を書いているうちはダメだな。ほんとうに相手を見切ったら、行動に移すもんな。21世紀に、何でいつまでたっても昭和やっているんだろうか?」と思うだけだ。
 ちなみに、私にとっての愛の定義はシンプルだ。副島隆彦(そえじまたかひこ)は、『副島隆彦の人生道場』(成甲書房、2008年)において、「愛というのは『男女が、一緒にいて、気持ちがいいこと、楽しいこと、嬉しいこと』のことなのだと、気がついた」(128頁)と書いている。要するに、男女だろうが、同性どうしだろうが、人間とペットだろうが、一緒にいて楽しいのなら愛なのだ。納得だ。一緒にいて楽しくないなら、離れているしかない。
 愛の定義はさておいて私は、巨大な水槽のガラスに顔をくっつけて魚を眺めているように、世の中を眺めているのが好きなだけの人間だ。だから、今まで生きてきた日々を振り返っても、「平和な時代に生きて食べてこられたことのありがたさ」を感じると同時に、「あ~~しょうもないことばかりしてきた。というか何もしてこなかったな」という思いがある。何ひとつマトモにできなかった人生ではあるが、それで精一杯だったのだから、しかたがない。後悔しようもない。
 しかし、充実していた時間はいっぱいあった。それは、誰かに何かを届けたくて懸命に作業しているときだった。たとえば、どうやったら興味を持ってもらえるだろうかと、教師時代に自分の担当科目の講義の準備をしていたとき。日本では無名の作家を知ってもらいたくて、その作家に関する紹介のような論文やブログ記事を書いていたとき。その作家アイン・ランド(1905-1982)が1943年に発表した『水源』(ビジネス社、2004年)を読んでもらいたくて、翻訳をしていたとき。誰かが読んでくれるといいなあと思いつつ、原稿を書いているとき。
 やはり、人間は他者に愛情を向けて行動しているときがもっとも充実しているのだろう。たとえ、それが無意味な独り善がりの行為だとしても。そういう時間は、幸福だの不幸だの意識もしないほどに夢中になっている。損だの得だのも考えていない。過去も未来もどうでもいい。他人からどう見えようが、どうでもいい。自分の意識が外部に漏電(ろうでん)していない。何も感じないほどに集中している。
 やはり、そういう時間を、誰かを、何かをひたすら愛しているという時間をなるたけ多く持つことが、人生の幸福で生き甲斐なのだろう。

 私たちは、時代の大きな変わり目にいる。馬鹿ブス貧乏な女性にとっては恐怖と不安がいっぱいの危機の時代だ。どんな未来予測が示されようと、人間は死ぬまでは生きて行くしかない。また生きていける。人間には可塑性(かそせい)がある。適応できる。どんどん変わることができる。
 私やあなたが望むようには世界は変化しないかもしれない。今のような無規範な時代は、人間も従来の生き方の規範から逸脱した生き方をするようになるので、みんなが狂っているように思える。嘆かわしく腹立たしいことばかりが起きているように思える。
 大手メディアは言うまでもなく、毎日毎日おびただしくネット世界で発信されるブログ記事やYouTube 動画や、いろいろな書籍は、現代という危機の時代の不快な様相を見せつけてくる。未来予測も暗いことばかりだ。
大地震や津波や火山噴火や異常気象で人類は選別淘汰される?
 国連のSDGs(Sustainable Development Goals)やら、「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が提唱するグレート・リセットによるESG推進によって、大企業から中小企業にいたるまでビジネスのありようが変わる?
 ESGは、環境(Environment)、社会(Society)、ガバナンス(Governance)のことで、現在の地球環境が、人類が居住できなくなるほどに荒廃しないように環境問題に対処することを、各国政府や企業に守らせるよう推進監視するグローバル・プロジェクトだ。「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が英知(?)を結集して熟慮して作成した世界大改革シナリオの一環だ。
 たとえば、カーボンニュートラル志向に応じない企業へは投資されないように金融システムをつくり変える? ハイブリッド自動車ではなく、EVをつくるように自動車会社に圧力をかける? クリーンエネルギーはコストがかかるから、二酸化炭素排出量が少ない原発の再稼働を始める? 欧州でも日本でも実際に始めると決まった。
 さんざん社会的不公正を垂れ流してきた「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」(人類ではなく爬虫類人という説もある)が急にいい子ぶりっこを始めた。誰も反対できない正論の大義名分をぶち上げて、自分たちに都合よくルールを変えるのは、あの人々の常套(じょうとう)だ。
 企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility, CSR)というものを、利益の何%かを寄付している程度のことで実行したつもりでいてはダメだ? 企業は、自社の海外の生産拠点にしろ、自社内にせよ、そこで人権問題が起きていないかチェックしろ? 性差別や人権侵害を許してはならない? 取締役の40%は女性にしろ?
 口だけじゃダメで、ちゃんと環境維持と社会的不公正の是正にどれだけ努力して成果を出しているか数値化して報告せよ? そうしないとグローバル市場では投資を受けることができない? 巨額を投資する機関投資家から相手にされない?
 地球の海洋環境の保全のために海底資源の開発はしないことを国連で決める? 日本
はエネルギーさえ自給自足できれば独立国家になれるから、排他的経済水域の海底資源の開発に未来を賭けていたのに? それでは、永遠に日本は外国からたかられ続ける属
国のまま?
 「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が長年熟慮して作成した世界大改革シナリオの一部である戦争が始まる? いや、すでに始まっている?
 ナノチップを身体に埋められ、位置情報から電子マネーカードやクレジットカードの使用履歴からネット検索履歴まで監視管理される人畜になる未来が待っている? いや、すでにそうなっている?
 異常気象のために食糧生産ができず、食糧の輸入が途絶え、しばらくの間は食糧危機になる? しばらくの間っていつからいつまで? すでに食品の価格は上がっている。値段は同じでも内容量が減っているステルス値上げも多い。
 世界中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency, CBDC)が発行され現金使用が禁じられ、個人の金融資産と収入支出が全部当局に把握され、新しい資本主義社会になる? これは、グローバル全体主義ですか? 新しい共産主義の別表現ですか?
 不妊剤入りワクチン接種を条件として、ベイシック・インカムが支給されるから、職がない「無用者階級」でも食べて行くことはできるから大丈夫?
 デジタル化やAI化により、ほとんどの人間ができる仕事が消えてすることがなくなっても、暇つぶしのお遊びと創造活動を合体させたようなインターネット上に構築された三次元の仮想現実(Virtual Reality)であるメタバースや拡張現実(Augmented Reality, Extended Reality)のミラーワールドの中で遊んで生きることができる? つまり、引きこもりのオタクが未来の庶民の生存様式になる?
 パンデミックは何度でも起きる? 人間が集まって接する機会を少なくすることしか感染拡大は防げないのだから、学校の授業のオンライン化や企業のリモートワーク化はさらに進む? 企業によっては社員の在宅勤務を常態化するところも出現している。
 飲食店はテイクアウト・サービスが増えた。料理配達サービスもいろいろ出てきた。すべてスマートフォンひとつで予約も支払いもできる。学会もコンサートもオンラインだ。
 私の若い友人の鍼灸(しんきゅう)師兼整体師は、オンラインでセルフ整体のクラスを運営している。料理もオンラインで教えるようになっている。私もそういうサイバー料理教室を受講したことがあるが、なかなか楽しかった。出かけなくてもいいのがラクでいい。人はどんどん人と会わなくなる。
 こういう変化に良いも悪いもない。そういう方向に世界が進むように、「世界経済フォーラム」のような国際機関から指令が各国政府に来ているから、日本もその方向に進む。これは権力者共同謀議論でも何でもない。内閣府だの首相官邸だの総務省だのの官公庁のウエブサイトを調べれば、書いてあることだ(このことについては、「馬鹿ブス貧乏水色本」に詳しく書いた)。
 私自身は短期的には悲観的だが、長期的には楽観的だ。AI化、VR化、さらにAR化は世界を変えていく。システムを変えていく。価値観を変えていく。人間の生活を変え、人間の意識を変え、人間そのものを変えていく。意識(脳や心)が変わると身体が変わる。ホモサピエンスの次の人類が生まれるかもしれないから、今の段階の人類の意識であれこれ心配するのは無意味だ。
 大きく見れば、ジョージ・オーウェル(1903-1950)が1949年に発表した小説『一九八四年』(高橋和久訳、ハヤカワep i文庫、2009年)に描かれたようなBig Brother(Google & Apple & Facebook(Meta) & Amazon & Microsoft の合体?)が個人情報と言動をすべて監視管理する世界になっていく。それはディストピアに見えるかもしれないが、脱税を含む犯罪はすぐに摘発されるユートピアでもある。
 個人情報と言動がすべて監視管理される世界になるのはあたりまえではないだろうか? 多くの人々が、「ひ弱で愚かで不用心な人間でも保護され快適に生きて行ける社会」の実現を望んできたのだから。誰もがそういう社会で生きることができるのが人権だと思っているのだから。自助社会は望んでいないのだから。未来社会は人類サファリパークになるしかない。地球は人類愛護精神に満ちた保護領になるしかない。
 保護される動物に自由はない。人間に生殺与奪権(せいさつよだつけん)を握られている類のペットが行使できる気ままを自由とは呼べない。でも、現代の多くの人々はそのようなペットになりたがる。だから、人類ピラミッドの最上層の方々は、人々を安全地帯に囲い込み監視管理するシステムを、その仕組みが見えなくなるほどに複雑に精緻(せいち)にする。
 2050年には実現されているであろう『一九八四年』的世界は、オーウェルが描いた世界よりはるかに洗練されているに違いない。そこに住む人々をして自分たちが管理監視対象の人畜であることを感じさせないほどに快適なものであるに違いない。Big Brother の目などという野暮なあからさまな支配装置はどこからも見えない。
 とはいえ、人間社会は複雑だ。人類ピラミッドの最上層の方々の思いどおりには物事は進まない。パンデミックもウクライナ紛争も、彼らや彼女たちが計画実行したらしいが、予定したほどの「成果」は上げていないらしい。未来はこうなると予定していると、想定外が起きる。地震予測が当たらないのと同じことだ。多くの人々が地震について意識していると地震は起きない。素粒子が誰も観測していないと波動のように振る舞い、誰かが観測していると粒子のように振る舞うように。量子力学の「二重スリット」の実験だ。
 だから、私たちが生きている間は、今のような混乱状態は、しばらくはダラダラと続き、別方向に進む可能性もある。「人類ピラミッドの最上層の方々が実現させようとしている素晴らしき新世界秩序(New World Order)」を私たちが見ることはないのかもしれない。
 とはいっても、どう進もうが、従来のシステムが壊れていくことは確実なので、私たちにとっては、いろいろとハードに違いない。危機に満ちたハードな時代だからこそ、しっかりと生き切りたい。ディストピアの中で幸福を、ユートピアに闇を見つけることができるのが人間なのだから、大丈夫だ。そもそもが、価値基準を手放せば、すべてがユートピアだし、すべてがディストピアなのだ。まさに新世界無秩序だ。
 どんな未来が出来(しゅったい)しても、人間の生命力というものは、どんなにひ弱に無気力に見える人のそれでさえ、強く激しい。だからこそ人類の歴史はいかに過酷であっても、今日(こんにち)にいたるまで続いてきた。だから、私たちは自分の生命力を、欲望を、甘く見ないほうがいい。中途半端な姿勢で生きていては、死ぬに死に切れなくなる。
 死ぬことは怖いことではない。死の世界は未知なので怖がりようもない。私が何よりも怖いのは、身体や脳や心を自分で機能させることができる間に、めいっぱい自分の身体と脳と心を使い倒して夢中に生きないことだ。それは自分にしかできないことだ。自分にしかできないことを自分に課して生きることこそが自由の行使だ。

 本書は、現在の日本社会における愛と性をめぐる現象や問題を紹介、確認し、私が感じていることを書いただけの雑駁(ざっぱく)な構成でできている。7章で成立しているが、各章の間に特にきちんとした論理的な繋がりがあるわけではないし、各章を構成している文と文との間には緩い連関しかない。そのほうが、自由に書けるような気がしたので、そうした。
 本書を書くにあたって、いろいろリサーチして、私は驚いた。私がボケっとしている間に、日本における性的退却や人間関係の解体がかなり進行していることに。と同時に、少なくない人々が、自分の愛と性を充実させることを決して諦めていないことに。そして、現代の愛と性のあり方から、ある未来がぼんやりと見えてくることに。
 愛と性は「生」に直結している。愛と性から逃げることは、生きていることから逃げることだ。人間であることから逃げることだ。
 本書が、未曾有の危機の時代に生きていても、馬鹿ブス貧乏な女性が自分の人生から逃げず、幸福を作り、他者との絆をつくることを諦めないことに、いささかでも寄与(きよ)できるものでありますように。
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馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性 目次

まえがき …………11

第 1 章性交と恋愛は自己と他者との遭遇 ………… 27
1・1 「働く中年女性のための社交クラブ」を設立したかった私 ………… 28
1・2 性交売買に関する私の見解 ………… 30
1・3 男娼サービスは江戸時代からあった ………… 33
1・4 石田衣良の『娼年』『逝年(せいねん)』『爽年(そうねん)』三部作は真摯な性愛小説 ………… 37
1・5 直接的に他者の身体に触れてこそ他者をリアルに感じる ………… 41
1・6 恋愛は自分を知るための孤独な修業であり
誰でもできるものではない ………… 44

第2章 男性の女性嫌悪と女性の男性嫌悪が錯綜する日本 ………… 49
2・1 ハイパー情報化社会が暴露した愛と性のリスク ………… 50
2・2 AVの質向上が必要 ………… 53
2・3 女性差別社会では男性も不幸必至 ………… 58
2・4 二村ヒトシの『すべてはモテるためである』について ………… 61
2・5 男として生まれても旨味がなくなった時代に生きる男性の苛立ち ………… 67
2・6 女性の男性嫌悪を増大させる性犯罪に甘い日本 ………… 71
2・7 女性が貧乏だからこそ女性に相手にしてもらえる男性 ………… 73

第3章 性的退却 ………… 79
3・1 似非帳簿文化に侵食された性と愛 ………… 80
3・2 似非帳簿文化が徹底されると男性のほうが孤立しやすい ………… 82
3・3 性的退却に関する宮台真司の見解 ………… 86
3・4 エーリッヒ・フロムが提案すること ………… 92
3・5 日本の性的退却の原因は劣化した食生活という説 ………… 99
3・6 若者の性的退却の元凶は貧乏という説 ………… 106
3・7 女性には「乳幼児育児期間収入保障保険」が必要 ………… 110
3・8 若い女性向けファッション雑誌の凋落が示す女性の変化 ………… 115

第4章 性欲があることをタブーにしない ………… 119
4・1 性欲の強さは恥じるようなことじゃない ………… 120
4・2 教師による性犯罪に関する報道の増加について ………… 126
4・3 男性も男性の性犯罪者の犠牲者になる ………… 130
4・4 男性の性欲はどうしようもないという説は迷信かもしれない ………… 132
4・5 障がい者の性 ………… 136
4・6 障がい者専用性的サービスの必要性 ………… 140
4・7 高齢者の性欲について語るというタブーを破ったのは女性保健師だった ………… 144
4・8 晩節を汚し空っぽになるまで生き切る ………… 149
4・9 高齢だからこそ性交にこだわらず性を追求する ………… 153

第5章 性的退却しない女性たち ………… 157
5・1 性的退却を憂えるのは男性ばかり ………… 158
5・2 女性専門風俗産業の盛況 ………… 162
5・3 女性専用風俗が受容されるようになった理由 ………… 168
5・4 女性専用風俗利用者は普通の女性たち ………… 170
5・5 主体的に自分の性欲を管理する女性たち ………… 173
5・6 女性は繋がる―女性専用風俗愛好者オフ会とか不倫互助会とか ………… 175

第6章 妊娠と出産―女性にとって性交だけが性ではない ………… 179
6・1 女性性の本質は生命を孕は らみ生み出すこと ………… 180
6・2 上質な遺伝子を求めてSNSで精子提供者を募集する女性 ………… 183
6・3 妊娠・出産に特別な聖性を付与する必要性 ………… 185
6・4 子宮スピリチュアル ………… 187
6・5 自分は子どもによって母として選ばれたと信じること ………… 189
6・6 主体的に妊娠と出産に関わる女性たち ………… 194
6・7 アメリカでも日本でも処女懐胎が起きている ………… 196
6・8 妊娠中絶という女性の性的自己決定権と中絶ビジネスの闇 ………… 202
6・9 膣ケアや脱毛など女性たちの性的身体の積極的受容は進む ………… 212

第7章 まとめ ………… 219
7・1 リビドー噴火活動の試行錯誤が生きること ………… 220
7・2 愛と性の未来 ………… 225
7・3 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は読んでおく ………… 234
7・4 「人間は探しているものしか見つけない」 ………… 239

あとがき ………… 243
紹介文献リスト(紹介順) ………… 246
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あとがき

 実は、本書は2022年の初夏に出版される予定でした。参考文献リストも入れたら「馬鹿ブス貧乏黄色本」や「馬鹿ブス貧乏水色本」と同じ版の書籍240頁ほどの分量になる原稿を書き、私は、そのデータを2022年3月半ばに編集者の鈴木康成さんに送信しました。
 その初校ゲラが届いたのが4月でした。校正しながら、私は自分の書いたもののゲラを読むのが猛烈に苦痛になりました。自分で書いておきながら、「何だ、これは?」と思ったのです。私は、現代という危機の時代に生きる普通の女性たちをめぐる愛と性に関する諸問題について何も見えてこないような駄文ばかりを書き連ねてしまっていました。
 私は、編集者の鈴木さんに、厚かましくも強引にも、考え直しをさせてくださいと頼み込みました。原稿を全部書き直しさせてくださいと頼み込みました。
 幸いなことに、私のこの迷惑極まりない身勝手な依頼に対して、編集者の鈴木さんは寛大にも、「藤森さんの納得がいくように書き直してください」と言ってくださいました。その書き直し版が本書です。
 というわけで、今回も、鈴木さんには大変に大変にお世話になりました。本書を書くにあたって参考になる記事などもいっぱい教えていただきました。ありがとうございました!
 本書の装幀は、「馬鹿ブス貧乏黄色本」と「馬鹿ブス貧乏水色本」に引き続き、大谷昌稔(おおたにまさとし)さんに担当していただきました。今回も素敵な装幀を、ありがとうございました!
 愉しく明るいカバーイラストも、前著と同じく伊藤ハムスターさんに担当していただきました。ありがとうございました!
 作家の石田衣良さんには、推薦文をいただきました。駄目でもともとで図々しく御願いしてよかった! ありがとうございました!
 そして、最後に、いつも私がSNSで意見交換する方々にお礼を申し上げます。私は、退職後はほぼ引きこもり状態であり、子どもも孫もいませんので、書籍やメディアから以外は、現在の世の中の実情がわかりません。その私の世間知らず状態は、SNSをとおして、いろいろ教えてくださる若い人々から、随分と是正していただきました。みなさまに、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!
 本書で、私の「馬鹿ブス貧乏本」は最後となります。これから、しばらく不寛容な息
苦しい世の中となるでしょう。新世界無秩序を生き抜くことよりも、瑣末(さまつ)で矮小(わいしょう)な正義感を振り回すことで、鬱屈(うっくつ)を解消しようとする人々が、しばらくは跋扈(ばっこ)することでしょう。「馬鹿」とか「ブス」とか「貧乏」とか、そのような言葉に目くじらを立てる人々は増えていくでしょう。「差別的な言葉だ!」と言って、それらの言葉を禁じても、馬鹿が聡明になるわけでもなく、ブスが美しくなるわけでも、貧乏が消えるわけでもないのですが。
 私の「馬鹿ブス貧乏本」を読んでくださったみなさん、ありがとうございました!

2022年夏のおわり
藤森かよこ

(貼り付け終わり)
(終わり)

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