「1958」 『ミケランジェロとメディチ家の真実 隠されたヨーロッパの血の歴史』が発売される。 2021年10月4日

 副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2021年10月4日です。

 2021年10月16日に副島隆彦先生の最新刊『ミケランジェロとメディチ家の真実 隠されたヨーロッパの血の歴史』(秀和システム)が発売されます。

ミケランジェロとメディチ家の真実 隠されたヨーロッパの血の歴史

 『ミケランジェロとメディチ家の真実』は、『隠されたヨーロッパの血の歴史 ミケランジェロとメディチ家の裏側』(2012年、KKベストセラーズ)を大幅に加筆して再生した。本書は、ルネサンス期のイタリア、特にフィレンツェの歴史を分かりやすく解説し、ヨーロッパ近代の始まりが分かる。

イタリアの主要都市の地図
 本書の主人公はミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti、1475-1564年、88歳で死)と レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452-1519年、67歳で死)である。

 そしてフィレンツェの名家メディチ家が最隆盛したときの 当主で、ヨーロッパの国王達よりも巨万の富を持った、「老コジモ(il Vecchio)」コジモ・デ・メディチ(Cosimo de’ Medici、1389-1464年、74歳で死)。

 そして、その孫の「偉大なるロレンツォ(Lorenzo il Magnifico)」「ロレンツオ・イル・マニフィーコ」と、今も欧米世界で、公然と呼ばれ賞賛される、真に偉大で、壮麗(マグニーフィセント)だった、人類史(世界史)の中の頂点で最も輝く人物である、ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de’ Medici,1449-1492年、43歳で死)である。

 このメディチ家の当主で、棟梁の 偉大なるロレンツオが、12歳のミケランジェロの天才に気づいて、自分の屋敷であるリッカルディア宮殿(パレス)に呼び寄せて、そこに結集していた、ルネッサンスを築いた、最高の頭脳の学者たちの 討論、議論を、毎回の食事の時間も含めて、ずっと、観察させたのである。 

ミケランジェロが15歳になった、1492年に、残念なことに、偉大なるロレンツオは、
痛風で死去する。 大きな後ろ盾を失って、フィレンツエの ルネサンス思想運動は、以後、弾圧され圧殺されていった。それらのすべての歴史を、この副島隆彦の本が、描き出している。


老コジモ

偉大なるロレンツォ

 以下に、まえがき、目次、あとがきを貼り付ける。参考にして、是非、本書を手に取って読んでください。

(貼り付けはじめ)

  はじめに    副島隆彦

 私は、自分が60歳の還暦(かんれき)になったときヨーロッパへの巡礼(ピルグリメッジpilgrimage)の旅に出た。巡礼と言っても私には宗教(信仰)はない。ズタ袋と木の棒だけを持って、野垂れ死にする覚悟の巡礼者の気持ちを微(かす)かに味わいたかっただけだ。キリスト教への信仰にどっぷり浸つかった巡礼者たちと違って、私のは、ヨーロッパの隠された〝巨大な真実〟を掘り当てるための調査旅行である。

 ヨーロッパとは何か?
 私たち日本人にとってのヨーロッパ(Europaオイローパ。エウロパ)とは、まずイギリスであり、それからフランスである。しかし、イギリス王もフランス王も、たかが王キング(国王[ドミナトゥス]・君主[モナーク])に過ぎない。14世紀からヨーロッパ全体の皇帝[エムペラー]は常にウィーンにいた。今は小国のオーストリアのウィーンだが、ハプスブルク家が代々ヨーロッパ皇帝(神聖ローマ皇帝)であった。

 ヨーロッパ皇帝はたいていウィーンにいたのだ。西暦800年のフランク族シャルルマーニュ(カール)大帝と、961年のオットー大帝の即位は、中部ドイツのアーヘンだ。だから、イギリス、フランスごときは、ただの国王だ。たかが王様だ。
 日本人はこのことを今もよく分かっていない。
 
 私は2年前(2010年の冬)、トルコ(旧コンスタンティノープル)から入ってハンガリー(ブダペスト)に行き、ウィーンに行った。帝都のすばらしさを、この本の主題、主眼目としない。ただのつまらない旅行記になってしまう。

 ヨーロッパ全史にとっては、イタリアこそが重要なのだ。イタリアのフィレンツェ市こそが、すべてのヨーロッパ問題の一〇〇〇年間の中心なのだとはっきり分かったのである。フィレンツェのメディチ家(Medici、メディシン。薬、医学の語源である)こそは、ルネサンスの生みの親であり、ミケランジェロの生みの親である。苛烈(かれつ)なるルネサンス人文(じんぶん)知識人(umanista[ウマニスタ]→humanist[ヒューマニスト])たちの生みの親であった。彼らは圧殺された。 誰に?

 私は大きな秘密を解き明かす。 Umanesimo[ウマネジモ](人文[じんぶん]主義)=新プラトン主義(アッカデミーア・ネオプラトニニーカ)と、ルネサンス renaissance は ,
完全に同義であった。この秘密に決然として迫る。私は、日本人として初めて、ヨーロッパとは何であったのか、の巨大な問題に答えを出す。日本人としてヨーロッパという巨大な秘密の鉄の扉を、なんとかこじ開けて、中に入ってみせる。

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『ミケランジェロとメディチ家の真実』◆ 目次

はじめに 3
序 章 ルネサンスとは本当は何であったのか 13
日本人が知らないルネサンスという思想運動 14
私に取りつこうとした悪霊 21
ローマ・カトリックという巨大な悪 24
ミケランジェロがなぜ西欧最大の芸術家なのかを誰も説明しない 29
「フィレンツェから近代が始まるのか、フィレンツェが近代以前の頂点なのか」問題 34

第1章 ローマ・カトリックの巨悪に対する反抗がルネサンスを生んだ 45
ローマで鳴り響いた「ルターを法王に!」という叫び 46
ミケランジェロは生涯、彫刻と絵だけを描いていたわけではない 55
近代はいつどこで始まったのか 63
キリスト教会の原罪という思想のインチキに気づいたのがルネサンス 69
ローマ・カトリック教会がウソつきの集団であることに気づいたのがルネサンス 75
ロレンツォという男の偉大さ 88
人文主義者たちを保護した老コジモの偉大さ 93

第2章 押し潰されて消滅させられたプラトン・アカデミー 97
プラトン・アカデミー 98
アッカデミア・プラトニカの基礎を築いたプラトン主義者第一世代 105
アッカデミア・プラトニカ最盛期の第二世代 115

第3章 メディチ家とは何者であったのか 141
政治都市フィレンツェの誕生 142
メディチ家の勃興 150
偉大な老コジモ 156
メディチ家の歴史 161
同時代人としてすべてを目撃したミケランジェロ 168
メディチ家の黄昏 174

第4章 フィレンツェを真ん中に据えてヨーロッパ史を見る 191
絵画に見るロレンツォの偉大さ 192
レオナルド・ダ・ヴィンチの偉さは人体解剖のほうにある 207
ニーチェとは何を体現した人か 217
11-17世紀のフィレンツェで何が起こったのか 222

第5章 イタリアが分からないとヨーロッパが分からない 231
2012年現在のイタリアに迫る金融恐慌 232
爛熟の文化的絶頂期にフィレンツェに現れたサヴォナローラ 235
「アンチ(反)・キリスト」問題 239
塩野七生(ななみ)問題 244
19世紀イタリア統一の簡単な経緯さえ知っている日本人が少ない 252
映画『イ・ヴィチェレ』で『山猫』の裏側が見えた 254
バジリカが分からない日本人 258
なぜラテラノで何度も公会議が開かれていたか 261
映画『アレクサンドリア』で描かれたヒュパティアの虐殺 264
西ローマ帝国の滅亡(476年)頃から12世紀までがまったく分かっていない日本人 266
再び、ルネサンスとは本当は何であったのか 271
サヴォナローラは何を間違っていたのか 275

あとがき 279
ミケランジェロとメディチ家の関連年表 282

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   あとがき    副島隆彦

 私が芸術家ミケランジェロの名前を知ったのは中学2年生(14歳)の時だった。1968年だったから、あれから45年の年月が過ぎた。田舎の公立中学校の一学年全員が、九州の地方都市の繁華街の大きな映画館まで整列してゾロゾロと歩いて行った。

 『華麗なる激情』という何とも言いようのない邦題のアメリカ製の映画だった。この映画の原題は、 “The Agony and the Ecstasy(ジ・アゴニー・アンド・ジ・エクスタシー), 1965 ” だ。

 ミケランジェロと、システィナ礼拝堂の天井壁画「天地創造」の制作を命じた教皇ユリウス(ジュリア)2世の二人の友情と葛藤を描いていた。
 天井画は1512年に完成している。奇しくも丁度500年前だ。ミケランジェロが7年かけて描いた。
 私はこの映画を45年ぶりにDVDを捜し求めて見て、勉強になった。分からなかったことがたくさん分かった。

 システィナ礼拝堂の天井画を、私は35年ぶりに今年(2012年)見に行った。私にとっての巡礼(ピルグリメッジ)の旅だ。ただし私は無垢で善意の巡礼者ではない。この世の大きな悪の本体に向かって突進するための巡礼だ。自分の45年の年月をかけて、ようやく人類の歴史の全体像の理解に到達したと思った。そのことで一冊の本を書けた。よし、もうこれぐらいでいい、という気になった。

 この世に自分が暴き立てて日本国民に知らせるべき大きな真実がある限り、体が倒れる日まで私は真実の暴あばきの旅を続ける。
 KKベストセラーズ編集部の小笠原豊樹氏に「現地のフィレンツェを見るべきですよ」と誘われて行った。小笠原氏のヨーロッパ古典文学に賭けた人生があったからこそ、この本はできた。記して感謝します。

2012年10月   副島隆彦

 この本は、初版の出版から9年後にこうして復刊され甦よみがえった。著者は嬉しい。もっともっとこの本は多くの人に読まれるべきである。西洋世界の本当の真実を知りたいと思う人々の、暗黙の熱意が私の戦う気力を支えてくれる。引き続き秀和システムの編集部に移った小笠原豊樹氏が出して下さった。身に余る光栄だ。

2021年10月  副島隆彦

(貼り付け終わり)  
(終わり)

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