「1864」番 映画「サフラジェット」(2015年制作)、日本語題「未来を花束にして」について語りました。副島隆彦 2020.1.8
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副島隆彦です。 今日は、2020年1月8日(水)です。
今日は、映画『未来を花束にして』について語る。この映画の英語の原題は ” Suffragette ”「サフラジェッツ」だ。 2015年制作のイギリス映画。監督はイギリス人のサラ・ガヴロンという、1970年生まれの現在49歳の女性です。脚本はアビ・モーガンです。邦題(ほうだい)では、「未来を花束にして」と、気が抜けるような映画名にしてある。
女性参政権運動の様子
この映画は、イギリスの女たちが、西暦1880年頃から、参政権(選挙権)を勝ち取るために激しい政治的な闘争をした、そのことを描いている。これを女性監督に作らせた。とても企画がしっかりしている映画だ。なぜなら、大きな背景があって、映画が作られたからだ。
未来を花束にして(字幕版)
それは、翌年の2016年にアメリカの大統領選挙でヒラリー・ロダム・クリントンが勝つ、と誰もが予想していたからだ。だから「ガラスの天井(グラス・シーリング)」という言葉を使って、ガラスの天井を打ち破って「女たちの時代が来る」と、喧伝されようとした大きな動きだ。 「女の大統領がアメリカに誕生する」という計画が背後にあった。
それをイギリスからも支援するという大きな意図があって作られた映画だ。だから米大統領選挙に合わせて作られた2015年の映画だ。だから政治的な意図がある。現に、ヒラリーを強力に支援する、ハリウッド女優たちの代表の、メリル・ストリープが、サフラジェット運動の指導者の、エメリン・パンクハースト夫人 の役で出演している。ただ映画の作り方は、非常にオーソドックスにできている。
●日本では知られていない「サフラジェット」という言葉
「サフラジェット」という言葉は、日本ではほとんど今も知られていない。日本の知識階級の人たちも知らないのではないかと私は思う。私は、昔、もう50年前だ、「メアリー・ポピンズ」という大作の映画に出てきたので、サフラジェットのことを知った。
映画の「メアリー・ポピンズ」は1964年にアメリカで作られて、日本では1965年に公開された。ジュリー・アンドリュースが主演だった。あの映画は、貧乏というほどではないが、ようやく学校教育を受けて、金持ちの家に、住み込む 家庭教師(チューター)で、バンクス家に雇われたメアリー Maryという女の家庭教師の話だ。メアリーは、風に乗って傘を広げて、空から降りてくる。彼女は、魔女(ウイッチ、witch )なのだ。
アメリカ英語ではメリーだが、イギリス英語ではメアリーと発声(発音と、日本では言うが)する。これはアメリカ映画だから日本では「メリー・ポピンズ」と呼ばれている。「メ(ア)リー・ポピンズ」はミュージカル映画で、日本でも大ヒットした。私が、見たのは、1970年代だ。私は大学生だった。
この「メアリー・ポピンズ」の映画の中で、バンクス夫人が歌を歌っていた。その歌が「シスター達よ、立ち上がれ」という歌だった。私はその映画を見ている時に「これには、何かある」ハッと気づいた。このとき「サフラジェット」という言葉が映画に出てきて、私はピンときた。その時以来の私の記憶に「サフラジェット」という言葉がある。そのあとは特に何も気に留めていなかった。
バンクス家の主(あるじ)のジョージ・バンクスは銀行に勤めている。バンクス家は中産階級(ミドルクラス)だ。このミドルクラスという言葉を日本人が理解できない。本当は相当、上の家柄です。貴族や、お金持ち階級のちょっと下ぐらいのイメージだ。「ジェントルマン」という言葉を使うから、また難しくなる。でも「ジェントルマン」はアメリカ英語だから、イギリス英語は「ジェントリー」と言う。だが、「ジェントリー」は、貴族の下の方の階級で、大金持ちだ。しかし、バンクス家は、そこまでは行かない(大金持ちではない)。
ロンドンの都市の上層市民の、立派な家です。その家の息子と娘の家庭教師に雇われたメアリー・ポピンズの話だ。そのバンクス家の奥様が、女たちの「ある集会」に参加する。「その集会に行くんだ」という様子が描かれるときに歌っていた、その時、「サフラジェット」が出てきた。
●私が「サフラジェット」を思い出したきっかけ
なぜ、私が急に「サフラジェット」のことを言い出したのか、――昨年11月末に、私たちの同志の、藤森かよこさんの本が出版された。書名は、『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』で 、KK ベストセラーズ社から刊行された。それで私は2019年12月6日に、この本の応援のための文章を、学問道場の重たい掲示板に書いた。
馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください
著者の藤森かよこさん とは、私が弟子たちと立ち上げた学問道場の初期の頃、今から20年前に知り合った。20年前ということは1999年だ。2000年頃に彼女は学問道場の会員になったと私は記憶している。
その頃に、彼女からメールが来た。アメリカのニューヨークにある大学に、サバティカル・リーブで来ていると書いてあった。サバティカルとは、7日間に1日休む というユダヤ教徒の習慣からきている言葉だ。いわゆる大学教授たちが7年に1回、燃え尽き症候群みたいになった教授たちに、有給で1年間の休みが与えられて、在外研究をしていいという制度だ。それを利用して、藤森さんはニューヨークの大学に当時、行っていた。そのときにメールが来たのだ。彼女とのメールや、学問道場の掲示板で、やり取りした内容は、その後、『人生道場』(成甲書房、2008年刊)の中に、そのまま載せている。
その藤森さんが『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに…』という本を書いて、大変よく売れ始めた。急いで、学問道場では発売日から藤森さんの新刊の応援をした。その藤森さんとの20年前のメールのやりとりで、私は、「サフラジェットのように戦いなさい」と書いた。彼女は自分のことを「フェミニストだ」と言って、「女たちの闘いの研究をしている」と言った。私は、そのことを思い出したから、12月6日の重たい掲示板にもこのことを思い出しながら、書いた。
サフラジェットは、その当時、世界一の国で、世界覇権国(ヘジェモニック・ステイト)だったイギリス (ブリティッシュ・エムパイア とは、公然とは言わない。ブリティッシュ・コモンウエルス=共栄圏=と言う)での話だ。
イギリスはアメリカよりもまだ威張っていた。そのロンドンの中心部で婦人参政権を求めて女たちが激しい戦いをした。それは、正確には1897年から始まって、第1次世界大戦が始まる年(1914年)までの30年間ぐらいのことだ。婦人参政権を求める激しい戦いだった。
当時、すでにたくさん他の婦人団体もあった。料理か何かを作る会から、ちょっと政治的な金持ち階級の女たちの親睦会みたいな会などがあった。秘密結社(ザ・シークレット・ソサエティ)に属する会もある。男たちは、「フリーメイソン」だ。その表面の団体が、今の日本にも有る「ロータリークラブ」だ。 女たちには、「ソロプチミスト」という金持ち階級の女たちの結社がある。「ソリスト」とも言うが、それらの運動に飽き足らなかった女たちがもっと過激な運動を1906年頃に始めた。
これをWSPU(Women’s Social and Political Union、女性政治社会連合)という。この頭文字で WSPU(ダヴルュー・エス・ピー・ユー)だ。今でも欧米の知識人階級の人たちは知っている。今、一番流行っている言葉は、短縮語(アブリビエイション)で、MCPだ。
それは、、自分の目の前で、女性差別を公然と言う、いやらしい男に対して、リベラル派の女たちが、投げつける言葉が MCPだ。 普通の女たちでも、そのいやらしい男に向かって、言う。 “ You are MCP. ”と言われたら、相手は、相当に激しく非難された、と思い知る。これは、male chauvinist pig 「メイル・ショービニスト・ピッグ」の略で。「女を、馬鹿だ、とか、差別ばっかりしている、ブタ野郎」という意味だ。この MCPの言葉の始まりは、女たちの運動から起きている。このことは、今のヨーロッパやアメリカの白人世界では共通の了解事項だ。
サフラジェット Suffragettesは、Suffrage(サフリッジ)「参政権、選挙権で、女にも Suffrageを与えよ、だ。フランス語の女性形である。女性形の単語にして、語尾 -ette- になっている。さらに、それに、英語の複数形の -s を付ける。 さらに、投票する権利を自分たちで勝ち取る(get、ゲット)の意味も込めて、suffraGETtes サフラ「ゲット」ツ と自分たちでは呼んだ。
ちなみに、vote, voting ボウティング は、「投票すること」で、election エレクションは、選挙、選挙する、で、それらをまとめて サフリッジで、参政権 だ。
日本の知識階級の人間たちでも、今でもこのことを知らない。日本は、その程度の国だから、それはそれで仕方がない。「婦人参政権運動」とか「女権拡張運動」と書けば、誰でも分かる。そういう運動がイギリスから日本に伝わった。平塚らいてうや、伊藤野枝(のえ)、与謝野晶子などが女性解放運動で有名だ。彼女たちの運動が日本でも少し遅れて、同時代に起こった。女性の運動は、日本では、キリスト教徒になる運動と複雑に絡まっている。
当時、世界一の国だったイギリス帝国は、ヨーロッパ文明の頂点にあって、とても豊かだった。豊かさがなければ、政治運動や社会運動は成り立たない。本当に貧困の極みで、生きる、生活するのがやっとの状態の貧乏な国、後進国では、激しいテロリズムのようなものは出てくるが、きちんとした政治運動や社会運動は出てこない。豊さが労働運動も作る。これも大事なことだ。
「サフラジェット」は、男の言うことを聞かない女たち、という意味で最初は軽蔑されて使われた言葉だった。女は、男に従順に従って、家庭できちんと料理や、洗濯、家事をやれ、という考え方が自然だった。
●Wikipedia とは何か
私は、つい最近、サフラジェットのことを Wikipedia ウイキペディア で調べてみたが、このサフラジェットの項目は、3年前には日本語のページにはなかった。英語のページにはあったと思う。その英語のページの日本語訳がされていた。この作業は共同通信と電通の秘密部隊がやっている。もうちょっと言うと、CIAが、世界的に知識情報を管理するために作っている。だから、ウイキペディアは、CIApedia なのだ。
「CIA百科事典」だ。のことを日本で言うのは私だけだ。その下請け部隊が共同通信と電通だ。
この始まりは、未来予言者の優れた作家の、H.G・ウエルズ Wells が、1930年頃に、書いた、” World Brain “ 「ワールド・ブレイン」 「世界(の)頭脳」という考え、アイデアから始まっている。「書物の形に拠らない、新しい形の百科事典が、“世界頭脳”として、出来るだろう」と、H.G.ウエルズが、予言した。そうしたら、インターネット時代に、それが、アメリカの、CIAの世界支配の道具として、着々と、作られ始めた。1995年の、“ ウインドウズ1995」 ”Windows 95“の時から、始まっただろう。
東京のJR新橋駅の、東側(海側)の、再開発された地区に、高層ビルが建ち並んでいる。私が、ひとりで勝手に、“デイヴィッド・パーク”と呼んでいる、汐留(しおどめ)という地区だ。ここのビル群は、電通や、日本テレビ、共同通信がある。私は、ここのすぐ南側に2011年の春から3年半だけ、金持ちたちが住む高級高層鉄筋アパート(タワーレジデンス)に住んでいた。家賃があれこれで80万円ぐらいで、もう払いきれなくなって、このレジデンスから引っ越した。奥さんと大喧嘩しながら。
私がここに住んでいたときに、私はチラチラと見られることがよくあった。共同通信の新しいビルの正面玄関の地上2階のところに、喫茶店があって、そこで、私は出版社の人とよく会って打ち合わせをしていた。すると私のことを激しく憎しみを込めて見る目つきで、見ているやつらがいた。「何で、副島がここにいるんだ」と、驚いた顔をして、私をジーッと見るだけではなくて、目をつり上げて敵意を持って私のこと睨みつけた。 何だか珍しい猛獣を見るような感じだった。つまり彼らは、私のことを知っている、政治問題担当の共同通信の記者たちなのだ。CIAの手先どもだ。
共同通信は、大手新聞社とは違って、全国47都道府県のそれぞれの地方新聞が、世界情報から遅れないように、お金を出し合って作っている形の通信社だ。だから共同通信は、朝日新聞や、日経新聞のような全国紙と同格なのだ。ともすると記者同士で、殴り合いをするような関係で嫌いあっている。 それでも朝日でも日経新聞でも読売でも、自分たちが知らない情報をくれたとか、どうしても世界で起きたことで、報道しなければならないニューズは、一般紙でも「共同通信の記事を買いました」と言って新聞やネット上のニューズに載せる。共同通信と同じような会社に時事通信がある。
実際は世界を支配しているアメリカの大きな通信会社の一部だ。それは、網一段階上の政治支配としては、CIAやFBIに管理されている。
もう1つは電通だ。かつて私は、電通の副社長が開いていた勉強会にメンバーとして呼ばれて出ていた。電通の本社ビルまで行って、役員室まで見せてもらった。私も、当時は、まだ50代で、やせ我慢で、威張っているから 「こんな大きなビルを作ったら、今から借金を返すのは大変でしょうね」と嫌味を言ったら、「そうだ」と答えるぐらい度量の広い、立派な副社長だった。
その人は定年した後、国際通信何とか機構 に天下った。彼は、テレビコマーシャル担当の役員で「東大文学部を出ただけで僕は、悪いことは何もしてこなかった」と言っていた。名前は失念したが、まじめな、いい人だった。
電通の社長や会長、最高顧問を務めた成田豊(なりたゆたか)という大(だい)うワルがいた。2011年に亡くなっている。成田氏はローマ法王とまで繋がっている男だ。世界の支配者たちへの日本からの連絡係だ。 その副社長は成田の子分ではあったが、「成田会長が資金を出してくれたので、このような勉強ができる」と言っていた。その勉強会では京都の古いお寺をずっと見て回るという企画まであった。このような企画は、何百万円とお金がかかる。電通から、そういう会に私も連れていってもらった。そのうち電通とは縁が切れたというか、私の方から断って出なくなった。その座長をある東大教授がやっていた。
不思議なことに、新聞社や通信社、そして、CIAは、自分たちで情報を、山ほど、死ぬほど、抱え込んで、持っている。100年分溜まっている。このこと自体がイヤになる。本当に、どうしていいか、分からなくなる。だから持っている情報の巨大な山を、「えーい、もう表に出してしまえ。外側に出せ 」と、表に出すようになる。
内部で情報管理を出来ないぐらいの、膨大な情報量だ。 項目だけでも何百万項目になる。その内容まで含めていくと、大変なことになる。だから、その情報を、デジタル文にして、表に出して、衆人環視(しゅうじんかんし)のもとで、世界人類全部の共有財産ということにする、という意識になっていく。そしてその内容を、訂正したり加筆したりする作業も自分たちでやる、となる。
ただし、自分たちだけの秘密とか、重要情報や、国家の機密とかは、表に出さない。自分たちに都合の悪いことは、ウソを書いてでも、誤魔化す。これが、ウイキペディアだ。
ウィキペディアの初期は、「みんなで参加して書き込みができる」という仕組みになっていた。今でも形上は、そういう仕組みになっている。誰も知らないこととか、あまりにも田舎のこととか、ちょっとした田舎の有名人程度の人物を描く時には、そのことを知っている人たちに書き込ませた後で、手直しした。
ウィキペディアの初期の頃は、割とオープンにしてあった。やがて段々、閉鎖的になって、批判や批評、苦情を受け付けなくなった。これはAmazon と似ている。どこに会社があって、本部があるのか、一切、分からなくしてある。誰が責任者かも分からない。「名無しの権兵衛」というか、裏の組織だ。この、裏の組織が管理しているのがウィキペディアだ。世界支配の頂点にいる連中が、管理してる。このことを、私たちは、厳しく批判しなければいけない。
言い換えれば、世界体制が知識情報を握って、私たち人間の脳 までを管理している。このことを批判しなければならない。ウィキペディアは、まず英語で書かれて、世界基準の知識に対しては、あまりウソは書けない。一応、リベラル派を装う。 あまりウソを書くとバレてしまって、批判、非難が大きくなる。10や20本の非難のメールならいいが、500、1000本になるとWikipedia でも恐がる。だから嘘は書けない。
日本語版のウィキペディアは、ほとんどは、英語版からの日本語訳だ。気をつけながら日本語に翻訳している。知識や政治問題、思想問題は、おそらく東大の大学院生みたいな人たちか、帰国子女たち、あるいは、2言語(2国民文化)の壁を越えて行ける、合いの子さん(混血児は、差別用語か?)たちを雇って翻訳させているのだろう。ただの通信社の記者や社員程度では翻訳できない。
私、副島隆彦は、ずば抜けた世界基準(ワールド・ヴァリューズ)の頭をしているから、文を読んでいて、「ああ、ウィキペディアは、ここはイヤなんだなあ、書きたくないんだな。隠しているよ。誤魔化しているなあ」と、ピンとくる。そういう箇所をほじくり出すことが私の仕事になっている。ウィキペディアが、書きたがらない、曖昧(あいまい)にしてぼかしているところが沢山(たくさん)ある。 他の情報源と、一応、慎重に付き合わせて、悪口を書かれないようになっている。
例えば、「ローマ法王」のウィキペディアの記述は、明らかにおかしい。他にはアメリカの財閥のロックフェラー財閥などの記述は、おかしいを通り越している。歴代大統領たちがどのようにロックフェラー財閥から呼び出されて、叱られたり、その前に、「お前を次の大統領にしてやるから言うこと聞け」というシーンは、ウィキペディアには絶対、出てこないことなっている。
そういう事実は、親分子分関係なるものであり、ずっと人間関係を辿(たど)っていけば分かることだ。これらのことは、言ってはいけない巨大なタブーになっている。そのことが私は、ビンビンと分かるから、私は、自分の能力の限りを尽くして、本当のことを暴いて書く。だから、私は、ウィキペディアを管理している共同通信の記者たちから、あのように、激しく憎しみの目で睨みつけられたのだ。7~8年ぐらい前に、このような出来事があった。
●ウィキペディアの「サフラジェット」
話を元に戻す。 ウィキペディアに、「サフラジェット」という項目があった。そのページで、私は正確に知ることができた。この女の過激派の政治運動は、エメリン・パンクハースト夫人という女性が指導者で、1903年に、前述した、WSPUを創立した。彼女も10回以上逮捕されている。逮捕されると、女たちは、「ご飯を食べません」と言って、ハンガーストライキをした。
すると、留置所を管理して閉じ込めている警察が、ここで死なれたら大問題になる、困るとなって、途中で釈放する。そして、またすぐに、捕まる。それが Cat and Mouse Act 「キャット・アンド・マウス・アクト」と俗称された法律だ。捕まえて放してまた捕まえる、という意味の法律になった。だから、みんなからあざ笑われた。
エメリン・パンクハースト(1858~1928)
しかし、そのうちに警察と刑務所(拘置所)は、収監した女たちを、強制的に無理やり、縛り付けて、口を開けさせて、4人がかりぐらいで、鼻や口から流動食を流し込んで、ハンガーストライキを阻止した。これは拷問だ。このような拷問を公然と警察が行うようになった。そのシーンもこの映画で描かれていた。強制的に食事を与える、Force feeding 「フォース・フィーディング」と言う。やがて1960年に医学会で、「強制的な摂食、食事強要は絶対にしてはいけない」いう決議が通った。それが法律で禁止になった。
強制的に食事を与える様子
女たちの抵抗の仕方は、泣き喚き激しい。刑務官の男たちも女が泣き叫ぶとタジタジになる。活動家の女たちを取り締まる警官たちは暴動鎮圧用に雇われているから図体が大きい。だから女たちでは、警官に到底敵わないが、ただ単に逮捕されるのではなく激しく抵抗しただろう。
この時代、1903年でも、勝手に集会を開いてはいけない時代だった。集会を開く届出を出さないで、勝手に集会を開いた、ということを理由に幹部たちや活動家を捕まえた。ただ集まっていた支持者たちではなくて、活動家(アクティビスト)と、その幹部たちを徹底的に捕まえようとした。そして彼女たちを痛めつけて、運動を失速させようとした。
こういうことは、今でも、世界中どこの国でも行われている。多くの学生運動、政治運動でも同様だ。誰と誰が指導者(扇動家、せんどうか、デマゴーグ)かを突き止めて、彼らを徹底的にマークして捕まえて外に出さない。牢屋に入れたままにしておく、あるいは痛めつける。このやり方が世界中、今でも有る。しかし、あまり激しく弾圧して、活動家たちを無条件に殺すようなことをしたら、政府が非難が起きる。
だからガス弾やゴム弾を使って、デモを鎮める。そのとき、ゴム弾が目に当たって、失明する事件は今も起きている。世界中、貧しい国、後進国でも警察や軍隊の鎮圧部隊は、このゴム弾と、催涙ガスを使うようになった。このサフラジェットの女たちの戦いは、ピークは1906年からだ。1913年にピークの頂点を迎えた。
●映画の登場人物
この女たちは激しく戦って「どうしても参政権を与えないのか。女を舐めて、バカにするな」と、器物損壊行為 を繰り返した。この映画の中でも描かれているが、郵便ポスト(当時のポストは昔の日本のものと同じような背の高い赤いポスト)の中に火をつけた爆発物を投函して、ポンっと、ポストを破裂させた。何か所ものポストを破壊した。他には、有名な大きな百貨店、リージェント・ストリート(日本で言えば、銀座通り)のデパートの大きなショーウインドウのガラスに、ビラの紙と共に、投石して、ガラスを割った。それで実行犯の女たちは捕まる。
首相だったハーバート・ヘンリー・アスキス(1852~1928)
その時のイギリスの首相は、伯爵のハーバート・ヘンリー・アスキスだった。このアスキスのひ孫が、ヘレナ・ボナム=カーターという女優で、この「未来を花束にして」の映画にイーディス・エリンの役で出ている。頭のいい、運動に理解がある薬剤師の夫を持つエリンを演じた。この薬剤師夫婦が、爆発物も作れた。この映画では、わざと無名のモード・ワッツという女性を主人公にした。モード・ワッツは大きな洗濯工場で働く、貧しい24歳の母親で、夫と幼い息子1人がいる。
ヘレナ・ボナム=カーター(1966年生、53歳)
当時のイギリスは、第1等の文明国だ。ロンドンには、すでに、大量の洗濯物を洗う大きな洗濯工場があった。ホテルなどの業務用の洗濯物から、個人のものまで洗濯工場で洗っていた。その洗濯工場は何百人も従業員がいるような大規模な工場で、モード・ワッツの夫もそこで働いていた。彼女は7歳でパート、12歳から社員で、この洗濯工場でずっと働いていた。今は24歳で、3歳の息子が一人いる。
そのモード・ワッツが同じ職場にいた女活動家のバイオレットに誘われて、集会に参加するようになる。そしてワッツも活動家になっていく。活動の中心で動いている彼女たちは、警察に写真を撮られ、目をつけられた。集会に参加している、と警察にマークされた。そのことが洗濯工場の雇い主にバレてしまって、それを繰り返したところで、夫が自分も工場を首になることを恐れて、怒って、「もう我慢できない」と、妻のモードを家から追い出した。
やがて一人息子のジョージは里子(さとご)に出される。夫は息子を里子に出さないと自分は生きていけないし、子どもの世話はできないと、決断した。モードは息子と無理やり別れさせられて、このシーンが映画を盛り上げる。この映画の時代設定は1912年になっていて、このサフラジェット、女性参政権運動 が一番激しい時を描いている。
●運動の収束
そのあと1914年に第1次世界対戦が始まる。サラエボで、オーストリア帝国の皇太子が殺されたという事件で、一気に緊張状態が高まった。それまでの国家対国家の憎しみ状態が高まって、一気に戦争になっていった。
これを境にエメリン・パンクハースト夫人はこの運動をやめた。自分たちも相当な事をやって闘ってきたが、やはり、戦争に賛成して、イギリスが国家として勝つために、女たちも協力するという態度にエメリン・パンクハースト夫人は出た。その時にがっかりした女たちもかなりいただろう。しかし、時代の雰囲気が戦争だった。だから男たちがたくさん戦死するだろうから、女たちは男たちを支えなければならない、という時代になった。
このあと、権力者たちの男たちが折れて、1918年2月に、一定の財産要件(納税者である)を満たす30歳以上の女性に選挙権が与えられた。そして11月には、女性が議会議員に選出されることが可能になった。それからさらに10年後の1928年に完全な普通選挙universal suffrage ユニヴァーサル・サフリッジ 、で21歳以上の全女性に参政権が与えられた。
日本は、1925(大正14)年に、加藤高明(かとうたかあき)内閣のときに、イギリスよりも、早く普通選挙制で、貧乏な男たちにも選挙権を与えた。“元祖”民主政治の国であるアメリカが、そうしろと、日本の権力者たちに言ったからだろう。世界中の風潮が、もうその時は変わっていたということだ。アメリカはデモクラシーの国だから、もっと早かった。アメリカでは女性の参政権は1869年にワイオミング州から始まり広がっていき、1920年に男女平等の選挙権が認められた。
●今のイギリス王室のルーツはドイツ
前述した、アスキス首相のひ孫のヘレナ・ボナム=カーターという女優は、2011年の「英国王のスピーチ」という映画のエリザベス妃の役で出ていた。吃音(きつおん、どもり)に悩まされたイギリス王ジョージ6世の物語で、その奥さんのエリザベス妃の役だ。
ジョージ6世になるこの男の、実の兄が、エドワード8世という国王で、彼はアメリカ人のシンプソン夫人と結婚した。シンプソン夫人は離婚歴があるだけでなく、まだ今の夫と婚姻関係にあったため周囲から反対に遭った。1936年にエドワード8世は国王に即位していたのだが、1年も経たないうちに退位した。
エドワード8世(1894~1972)
本当のことを言うと、このエドワード8世は、第1次世界大戦前から、ドイツ寄りの、ドイツ贔屓(びいき)の国王だった。イギリス王家のルーツは、ドイツから来た王家だ。「これではまずい」ということで、1917年に、スコットランドに王室のお城があるウィンザー城にちなんで、ウィンザー朝と名前を変えた。本当は長ったらしい「ザクセン・コールバーグ・ゴータ」という名の王家だ。ドイツの北部一帯、アングロ・サクソンのサクソンのサクソン族がいたところで、英語ではザクセンと言う。そこから来た貴族の血筋だ。それが今のイギリス王家のルーツだ。 そこのドイツの貴族で領主と言っても、国王ほどではない家柄だ。
イギリス王家は、このように1700年代からは、ドイツ系だが、WWI(第1次大戦)で、ドイツと戦争になったので、ウィンザー朝と名前を変えた。エドワード8世はドイツ寄りだった。本当はこのことで、エドワード8世は退位した。これが真実だ。そのために、エドワード8世の弟のジョージ6世が国王になった。ジョージ6世は、どもり症で、気も弱かった。それが前述した映画だ。 そのジョージ6世の娘が、今もずっつ、もう長いなあ、女王のクイーン・エリザベス2世(ザ・セカンド)だ。1952年から、ずっともう68年、女王だ。1926年生まれだから93歳だ。
ジョージ6世(1895~1952)
その娘(長女)、クイーン・エリザベス2世(1926~、93歳)
この「英国王のスピーチ」という映画は、中味も大したことはない映画だったが、ヘレナ・ボナム=カーターが、ジョージ6世の奥さん役で出ていた。彼女は映画「ハリー・ポッター」シリーズや、「アリス・イン・ワンダーランド」 の赤の女王の役でも出ている。
このヘレナ・ボナム=カーターは、前述したアスキス首相のひ孫だから、最近、エメリン・パンクハースト夫人の子孫に、謝ったそうだ。ひ孫どうしで会って、「私の曾祖父が、悪いことをしました」と謝った。
当時、女性参政権運動に参加している女たちを捕まえて、警察は拷問にかけるようなことをした。しかし、暴力闘争をしたWSPUにも非がある、問題がある。破壊活動や、暴力をふるってはいけない、というテーマは永遠で、今もある。女たちにとっては、「もう許さない」という追い詰められた感じがあった。女たちのヒステリー症状が頂点まで高まっていた。もう男たちも手に負えないほどになっていた。
一方、この女たちの運動を支援する男たちもいた。ヘレナ・ボナム=カーターが演じたイーディス・エリンの夫は、薬剤師で、自分も逮捕されながらも一所懸命に奥さんを支援していた。薬剤師だから、化学薬品を扱えるので、爆弾を作るのを手伝った。爆弾といっても、黒色火薬を使ったものではなくて、農薬とかの原料から作る。大した破壊力のあるものではない。
労働者や貧しい層に理解があった、政治家のロイド・ジョージ が、公聴会を開いて、モード・ワッツら、WSPUの意見を聞いた。ロイド・ジョージはアスキスの次のイギリスの首相になる人物だ。WSPUのメンバーは「私たちの話を聞くだけ聞いておいて、結局、参政権を与えないとは何事だ」と怒って、このロイド・ジョージの別荘に火をつけるシーンが、映画に出てくる。この別荘放火事件は、実際にあった。別荘にボーンと爆弾で火をつけ破裂させた。いったん火がついてしまうと、大きな木造の建物は相当に燃える。
●隠れている「アイルランド問題」
この映画には描かれていないが、本当は、「アイルランド問題」が背景、背後にある。主人公のモード・ワッツは、見るからに体格が小さい。この主人公の女優のキャリー・マリガンは、アイリッシュ(アイルランド系)だろう。1985年生まれだ。2005年の「プライドと偏見」“ Pride & Prejudice ”という、ジェーン・オースティン原作の映画でデビューした。私はこの映画を見ている。
キャリー・マリガン(1985年生、34歳)
裏側に、アイルランド独立問題がある。イギリスでアイリッシュは被差別民だ。ロンドンで、かつて私は何人かアイリッシュと知り合った。彼らは、ずんぐりむっくりのチビやデブだった。高卒だ。つまりエリート階級ではない。このアイリッシュたちがイギリスの労働者階級の一部だ。
「スコットランド・ヤード」という言葉に残っている。スコットランド人も実は被差別民だ。その中で体格がいい、背の高い者たちが警官になる。このスコットランド・ヤードが労働組合運動を弾圧した。弾圧される方の労働組合も、スコットランド人(スコッチ、という。スコッティッシュと言え、というが、本当は、スコッチ Scots 、Scotch Whisky のスコッチ でいい)と、アイリッシュだ。
もっと、恐ろしい、本当のことを書こう。 スコットランド・ヤード、すなわち、イギリス警察の警官たちの中に、実は、秘密結社が有る。それが、「モーリィ・マグワイア」である。この警察官労組(ろうそ)に中に、隠然と今も有る、裏組織が、モーリィ・マグワイア、あるいは、マグワリー が、コナン・ドイル原作の、 名探偵、シャーロック・ホームズの、敵だ。主敵だ。「赤毛同盟」という名でも出てくる。「黄金の夜明け団」という秘密結社でもあって、シャーロック・ホームズそれと戦って、謎を解いていくというイギリスの探偵小説だ。シャーロック・ホームズが戦う敵は、スコットランド人たちの秘密の労働者階級の結社だ。それは悪の組織でもあって、一言でいうと組織暴力団である。
私、副島隆彦は、この「モーリィ・マグワイア」の組織のことは、自分の本に、これまで、書いたことが無い。日本人には、この、イギリス帝国内部の、人種差別の激しい争い、闘いのことは、なかなか、分からない。「戦後の、日本共産党の中で、一番、激しく、闘ったのは、在日朝鮮人や、部落出身だった」と、書くのと、同じことだ。あ、書いちゃった。いかんのか? 私が、これらのことも、急いで、書いて、日本で公表して、皆に、教えておかないと、だーれも、この仕事をしないので、世界の大きな真実、あるいは、欧米白人たちの、政治問題の裏側に有る、公然たる秘密を、日本人が知らないままなので、そのことが、日本人を、“世界の幼児”にしている。
この他に、スコッチ・アイリッシュという人たちがいて、これが、また、問題で、彼らは、今のアメリカにもいる。貧しい移民で、アメリカへ流れ出して行った人たちだ。
今でもスコットランド人の独立運動が激しいのは、イングリッシュによって無理やり血を混ぜさせられたからだ。スコッチ・アイリッシュの問題は、複雑である。ところが、スコッチ・イングリッシュとは言わない。だがイギリス人と混ざってしまったスコットランド人がたくさんいる。この問題は、少しだけ、重たい掲示板に書いた。これも、恐ろしい話だ。
彼らアイリッシュは、ロンドンの下層民だから、労働組合を作る。その組合員と警官たちが裏で繋がっている。警官達は、下っ端で使いっぱしりだから、同じアイリッシュどうしで、裏で繋がっていて、秘密結社になっている。イタリアのマフィアみたいなものだ。自分たちが、生き抜くための、血の共同体だ。
イタリアのマフィアのコーザ・ノストラ 「(我ら(ノストラ)が、生きる、大義(たいぎ、コーザ))という意味、のような自衛組織だ。イタリアのマフィアは、もっといろんな呼び名の組織 がある。シャーロック・ホームズは、それとの戦いということになっている。この辺りのことを、私がそのうちまとめて書く。
そういう背景が、この女たちのWSPUの運動の中にもあって、一番激しい活動家たちはアイリッシュや、スコッチだったと私は思う。スコッティシュと言え、スコッチと言うな、と言われているが、スコッチでいい。あとウェーリッシュだ。ウェールズ地方の人たちも差別されている。イギリスは、イングランド、ウェールズ、スコットランド(この3つの地域を合わせたものがグレート・ブリテン島)、そして北アイルランド(ノーザン・テリトリー)の4つの国から成り立つのが、今のユナイテッド・キングダム(UK ユー・ケイ、連合王国)だ。
だから、WSPUに参加した女たちは、スコッチやアイリッシュ、ウェーリッシュが多かったと思う。ただ一番上の指導者達は、一応立派なイングランド出身者ということになっていた。いざとなったら最も激しく戦う者は下層の人たちだ。この運動が始まって、この人たちが30年間で、1000人ぐらい逮捕された。ハンガーストライキを阻止されて拷問のように強制的に食べ物を食べさせられたりしても、10回ぐらい逮捕されてもまだ戦いを止めない人たちが本物の活動家だ。
●エプソム・ダービー事件
この闘争の最後の山場は、1913年のエプソム競馬場で事件だ。その舞台は、私はアスコット競馬場だと思っていたら違っていて、エプソム競馬場だった。
エプソム競馬場でダービーレースが行われていて、そこには当時の国王のジョージ5世も来ていた。サフラジェットの活動家のエミリーが、ジョージ5世の馬が、ダービーで走ってくるコースの前に走り出て行った。そして両手を広げて猛スピードで走ってくる国王の馬に、蹴られて、はね飛ばされてエミリーは地面に叩き付けられて、4日後に亡くなった。そのとき国王の馬も躓(つまづ)いて、その騎手も落馬した。が、騎手脳震盪(のうしんとう)を起こしただけで、2週間後には、次のアスコット競馬場での別のレースに出たそうだ。
エミリー・デイヴィソン(1872~1913)
国王が馬主である馬に、目がけて、走り込んで行った女性がエミリー・デイヴィソンだ。エミリーは教師になるくらいの教育を受けている階級の女性だ。 時代の精神を、一身に背負って、活動家になっていった。エミリーはロイヤル・ホロウェイ・カレッジで、奨学金を受けながら文学を学んでいたが、父親が亡くなって中退した。その後、エミリーはオックスフォード大学セント・ヒュー・カレッジに移って優秀な成績を修めた。が、その当時、女性はオックスフォード大学の卒業学位を認められていなかった。
1906年の34歳のときに、エミリーはWSPUに参加した。WSPUの最高指導者のエメリン・パンクハースト夫人の命令や、指導のもとに、激しい運動が行われた。しかし、エミリーたちは、最後は、勝手に動いたようだ。1908年に、36歳でエミリーはロンドン大学の試験を受けて学生の籍を置いていた。これが、メアリー・ポピンズのように中流家庭に家庭教師として雇われていく、貧しいけれど、インテリの女たちの姿だ。だから、映画メアリー・ポピンズが出来たのだ。
その頃、イギリスは世界帝国だから、インドや中国や、南米、アフリカの世界中を大英帝国の植民地にしていて、ものすごく豊かだった。その当時、ロンドンで、一番流行ったのは、女中(メイド)と執事(バトラー)だ。立派な執事を雇うことで見栄を張ることが、ものすごく大事にされた時代だ。そして家庭教師も雇う。だから、執事や家庭教師という職があった。
そのずっと下の方に、もっと貧しい本当の労働者階級の人たちが山ほどいた。それは、映画「マイフェアレディ」に出てくる、オードリー・ヘップバーンが演じた、花売り娘が生まれ育った下町の感じだ。イースト・エンド・オブ・ロンドンと言ってロンドンのずっと東の方の、東京でいえば、まさしく江東区や江戸川区と言うと、また嫌われる(今は、きれいだ)が、あの辺りの感じの貧しい地区だ。インド人も住んでいる労働者階級の町がイースト・エンドだ。コックニー・イングリッシュという、聞いていても、何を言っているか分からない強い下町訛(なま)りの英語を話している。
このコックニー・イングリッシュが、香港英語にも移ってきている。香港英語とは、実はコックニーだ。下層のイギリス人英語なのだ。このことも言ってはいけないことになっている。何を言っているか、本当に聞き取れない。インド人の英語と似ている。話している本人たちは、べらべらしゃべっていて、それが相手に通じていると思っている。本当に困る。
このエミリー・デイビィソンが、説によっては、国王の馬にリボンと、「女性に参政権を」”Votes for Women” 「ボウト・フォー・ウィメン」という襷(たすき)を馬にかけてやろうとしたとか、いろいろと言われた。そんなことはない。本当はやっぱり、手を広げて馬の前に立ちはだかったのだ。エミリーは気合が入っていて、死ぬ覚悟で、決死の覚悟でやったのだ。
ジョージ5世の馬に蹴られて地面に倒れるエミリー・デイヴィソンと、馬
エミリーは、逮捕されて収監されていたときに、相当、激しく痛めつけられていた。エミリーは刑務所でハンガーストライキしたが、前述した強制摂食(フォース・フィーディング)で拷問のように飲まされた直後、拘置所の独房の前の階段を10メートルぐらい下に飛び降りて大怪我をした。その後、ボロボロになりながら、約1年後にダービーで、この行動を起こした。
だから彼女は、人間爆弾だ。今の言葉で言えば、テロリストだ。そこまで行くと、おそらく指導者であるエメリン・パンクハーストは、もう運動は限界だと思ったのではないかと私は思う。このエミリーのダービー事件の次の年、1914年に第1次世界大戦が始まったので、この辺で、もうやめよう、ということになったのだ。
エミリーの葬儀の列
一番激しい本物の過激派が最後に出現する。どんな国の過激派運動も一緒だ。裏切り者や、政治警察のスパイも潜り込んでいるから、内部に激しい戦いがある。その中の一番の過激派集団だ。彼らが孤立したら、最後の最後は、突撃隊になる。この映画も、このシーンで終わっていく。「女たちの激しい戦いの始まり」という意味では、本当にやはり、サフラジェットが始まりだ。
この激しさが世界中に広がって、フェミニズムという運動ができた。これより前には、このような女性の運動は無かった。本当はウィメンズ・リブと言うが、日本では「ウーマンリブ」と言った。私は、アメリカ政治思想の研究家だから、アメリカにおける、この女性運動の流れもよく知っている。フェミニスト作家のベティ・フリーダン(1921~2006)や、グロリア・スタイナム に代表される1960年代、70年代の激しいアメリカの女たちの系譜がある。 女たちだけで暮らすコミューンというものを作る運動があった。
日本でも、ずっと繋がっていて山下悦子さん、という女性史研究家が、今の残党だ。彼女は、柔らかいソフトな感じで週刊誌にも評論を書いていて、まだ生き延びている。私が学生の頃は、田中美津(たなかみつ、1943年~)というウーマンリブ運動の指導者の女がいた。私は、田中美津の活動の集会に行ったことがあって、この活動家の女たちを知っている。
社会の表面に出て、バカ扱いされながらも、テレビに出て騒いだ活動家が榎美沙子(えのきみさこ、1945年~)だった。「中ピ連(ちゅうぴれん)」と言った。彼女は京都大学の薬学部の出身で、ピル解禁運動の中ピ連(「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」)の代表となった。榎は、ピンクのヘルメットをかぶって、よくテレビに出ていた。やがて消えていき、今は何をしているか分からない。私は、あの頃、いろいろな政治集会に行っていたので、ウィメンズ・リブの女たちを知っている。彼女たちを紹介し出すとキリがない。だから今回は、ここまでにしておく。
男たちの過激派運動や新左翼の急進リベラル派は、朝日新聞左派みたいな流れになってずっと繋がりながら、日本では1990年代には、ほとんど、消えてなくなった。なぜならソビエト・ロシアが崩壊 して、世界的な左翼運動が全滅していったからだ。1989年10月のベルリンの壁崩壊 から2年後の1991年12月に、ソビエト連邦が瓦解、解体した。
その後、左翼運動は元気がなくなっていき保守の時代になった。ソビエト体制を批判していたのが新左翼で、ウーマンリブもその一部ということになっている。
保守の時代が、もう30年続いている。そろそろ世界がまた少しずつ動乱状況になっていく。しかし、その時に無意味に「民衆や、貧しい者の利益のために戦う」と言ってみても、ちょっとやそっとのことでは、もう、人間(人類)は、動かなくなっている。なぜなら世の中はもっと進化してしまっていて、民衆に知恵がついて賢くなっているからだ。新しい時代の新しいテーマが出てこない限り、新しい根源的な、過激派運動は起きない。その新しい過激派運動の始まりを、私は、ずっと虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。だから世の中の動きを観察している。
だから、この「サフラジェット」のことぐらいは、せめて日本の知識人階級、読書人階級は、知ってほしい。分かれよな、と私は一人で思いながら、生きてきた。そしたら急にこの「サフラジェット」という映画が、2015年に作られていること知って、昨日の夜、 私は、Amazon プライムで、見たから、この話をした。「アマゾン、そのうち、日本からも、やっつけてやるからな、待っていろよ」だ。
(終わり)
副島隆彦拝