「1849」 『決定版 属国 日本論』(副島隆彦著、PHP研究所刊、2019年9月)発売される 2019年9月24日

 古村治彦です。

 『決定版 属国 日本論』(副島隆彦著、PHP刊、2019年9月)が2019年9月26日に発売。


決定版 属国 日本論

 本書は、副島先生の主著である『属国 日本論』(初版は1997年、22年前)に加筆訂正されたものだ。「決定版を出すにあたって」が新たに加えられている。1997年に本書が出版された当時、「日本はアメリカの属国ではない、立派な独立国で、世界をリードする先進国、大国だ」と反発した保守言論人がいて黙殺された、そうです。その後、20年以上が過ぎてみると、「日本はアメリカの属国で、何でも言うことを聞かなければやってゆけない、情けない国だ」と、口にする人たちが増えている。

 日本が1945年に、アメリカを中心とする連合国(ユナイテッド・ネイションズ。これが、そのまま戦後は、連合諸国 =The UN ザ・ユーエヌという世界体制。× 国連 は、意図的な誤訳)に敗戦してから、「日本は属国にならなければ生きていけない」という考えは、日本国民の多くが世代を超えて持っている。太平洋戦争(=第2次世界大戦)を経験していない世代が大多数を占めるようになっても、変わらない。

 戦後の高度経済成長の繁栄によって、アメリカの属国であることから、一時、目を背けることができた。だが、日本の国力の衰退(デクライン)のために、21世紀に入ると、「日本は属国」という厳しい事実に否応なく目を向けねばならなくなっている。「嫌(いや)な現実に、目を背けることは止めよう」という境地(きょうち)に達した人たちから、順に「日本は属国だ」と正直に言うようになった。

 悲しいことに、本書『決定版 属国 日本論』の内容は、書かれた当時から、全く古びていない。日本は敗戦後から現在まで72年間は、アメリカの属国(従属国、朝貢国、トリビュータリー・ステイト、
a tributary state )をやり続けている。その前の明治維新からの77年間は、イギリス(大英帝国)の属国だった。このことに気づく人たちは増えている。けれど、まだまだ国民的な合意事項というわけでない。だから、このままではいけない、何とかしなければ、という動きは、国民運動としては、起きていない。

 本書『決定版 属国 日本論』は、次のような観点から展開されている。以下に引用する。

(引用はじめ)

 ・・・・私(副島隆彦)が唱える「属国 日本論」という言葉は、民族主義的あるいは右翼的な響きがあるので、誤解されやすい。私は伝統保守派からの視点から主張していない。保守思想であっても、私の保守主義(リバータリアニズムと言う)は、日本を外側に開いてゆく。

 世界の中のひとつの国として、世界資本主義に従い、経済的に繁栄してゆくことが何よりも大切だ、という立場である。日本の保守派は、民族優等の伝統保守派と、世界資本主義を支持するビジネスマンたちに体現される世界保守派に分裂している。私は後者である。

(『決定版 属国 日本論』、11ページ)

(引用終わり)

 古村治彦です。「冷静な大きな目」「外側(世界)からの目」で、日本を俯瞰(ふかん)で見れば、「日本は、今は、アメリカの属国だ」という事実は丸見えだ。しかし、内側に籠(こも)って、日本国内だけで見ていると、日本は立派な国、ということになる。私たちが、外側からの目で、日本の状況を冷静に見るようになれば、日本は現在のような酷(ひど)い状況から脱出するアイディアを、いくつも生み出すことが出来るはずだ。

 本書『決定版 属国 日本』は、日本史を「日本は属国だ」という観点で、「属国・日本史論」が展開されている。司馬遼太郎の悪(あく)影響で歴史好きの日本人の多くは明治維新が大好きだ。しかし、『決定版 属国 日本論』では、幕末から、イギリスによる「操(あやつ)り」があったことが、明らかにされている。坂本龍馬が悲劇のヒーローだ、明治の元勲たちは凄かった、と今でも思っている人は、第三部「属国日本の近代史」を是非、読んで欲しい。

 21世紀に入り、中国が、凄(すさ)まじいまでの、高度経済成長を続けている。2018年の世界のGDPに占める割合では、アメリカが約24%(23兆ドル)、中国が16%(17兆ドル)まで来ている。日本は、この20年以上、ずっと、4.8%(5.2兆ドル、540兆円)で変らず、というヒドい停滞、すなわち衰退を続けている。

 第二次世界大戦直後には、アメリカは、世界のGDPの約半分を占めていた。だが、その割合はどんどん、縮小し続けた。第2位の国である、中国が、あと5年で、追い抜きそうな状況になっている。中国がアメリカ合衆国の、次の世界覇権国(ザ・ヘジェモニック・ステイト、世界帝国)として台頭しつつある

(引用はじめ)

 ・・・日本は、西暦1860年代の明治維新から、密かにイギリス(大英帝国)の従属国にさせられた。そして太平洋戦争(第2次世界大戦)の敗戦から後は、アメリカ合衆国の属国として生きてきた。この厳然たる事実を、私たちは、はっきりと認めなければいけない。

 私たちは、再び今から2000年前から(後漢(ごかん)帝国の、紀元後57年から)の、中国帝国(歴代の中国王朝)の 属国(朝貢国)に戻っていくのか、という大きな問題に直面している。アメリカ帝国が衰退して、力がなくなっていけば、日米安全保障条約だって解約、消滅していく運命にある。その前に、米韓安保条約が解約されて、アメリカ軍は韓国から撤退していくであろう。その時に、私たちはどのように日本国のあり方を選択していくか、を今のうちから議論しなければいけない。

(『決定版 属国 日本論』354-355ページ)

(引用終わり)

 古村治彦です。日本は地理的にも、アメリカと中国の狭間(はざま)に位置している。衰退を始めたアメリカと、勃興を続ける中国(いや、そんなことはない、と激しく反発する人々が、今の多いが)、この2つの大国の中間で、日本はどのように生きていくか、を真剣に考えることになる。私たち日本人は、現在の世界覇権国アメリカ、未来の世界覇権国中国、に対してどのような姿勢を取ったら良いのか、について、『決定版 属国 日本論』では次のように書かれている。

 この本の内容は、22年前に書かれた初版以来、ほとんど変更はない。驚くべき一貫性である。

(引用はじめ)

 ・・・私(副島隆彦)が、要約して言えるのは次のとおりだ。
 「日本は、あと、しばらくはアメリカの保護の下で生きてゆくしかない。しかしなるべくなら自立して自分の力でやれるだけのことはやりたい。従って、駐留米軍には撤退していただきたい。安全保障の点で、実際のところ日本は自力で防衛する力が足りない。この足りない分については助力をお願いしたい。その分の費用については、細かく計算した上で、お支払いする。それ以上の、無理な要求はしないでいただきたい」

(『決定版 属国 日本論』、362ページ)

(引用終わり)

 古村治彦です。現状ではアメリカ、特にドナルド・トランプ大統領の言いなりになって兵器(最近は、オスプレイ戦闘ヘリコプター100機、2。2兆円。地上型イージス2基、8千億円。F34戦闘爆撃機100機、2兆円、で合計5兆円)からトウモロコシ250万トン (中国が買わない分を、トランプが、安倍首相に泣きついて、押しつけられた)まで、 何でもいいなりになって、買ってあげている。

 これでは、ますます従属(じゅうぞく)状態が酷くなるばかりで、日本が自分の力で立つようにはなれない。そのために、「日本は歴史的に帝国の属国だったし、現在も属国だ。ということを日本人が、素直に認めること」がスタート地点になる。そのために『決定版 属国 日本論』は必読の書です。

 以下にまえがき、目視、あとがきを貼り付けます。参考にして、是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)

   はじめに    副島隆彦  ( 22年前の 文のまま、ほとんど変っていない)

 日本は、世界政治の現実からみるとアメリカ合衆国の属国である。私はこの冷酷な現実
認識からすべての話を始めることにしている。

 「日米対等」「イークオル・パートナー」「太平洋の架け橋」「世界で最も重要な二国間関
係」などと、米国から勝手に表面上だけおだてられ、いいように扱われてきたのが、戦後
75年間の日本の姿である。日本は、世界に200ほどある国の中の、主要な30カ国のうちの1国ではある。

 人口も1億2000万人いる。そしてアメリカ合衆国のアライ(ally、同盟国、友好国)」のひとつである。それ以上ではない。同盟国といえば聞こえはいいが、ソビエト・ロシアの崩壊(1991年12月)のあと世界覇権国であるアメリカが、同盟(アライ)国という言葉に対して持つ真の意味は、米国の言うことをきく国、つまり属国というものである。

 誰もがお茶を濁してこのように露骨に言わないだけのことである。

 断っておくが、属国というのは植民地(コロニー)のことではない。朝貢国[ちょうこうこく](tributary State トリビュータリィ・ステイト)のことである。歴史上の類推でいえば、紀元後500年間の世界帝国であった西ローマの、属州(provincia プロヴァンキア)のことである。中国歴代王朝(中華帝国)の用語でいえば、藩国(はんこく)、あるいは冊封国[さくほうこく](さっぽうこく)という。

 冊封国の王たちは、中国の歴代皇帝に朝見して、臣下の礼をとった。彼ら属国の代表たちを、皇帝[エンペラー]に対して、「王」あるいは「国王」という。従って、日本の天皇は、エンペラーと自称したが、本当は、王(キング)に過ぎない。

 室町時代に、足利幕府の武家政権は、明(みん)王朝から「日本国王」の称号を頂戴していた。中国からみれば、日本は属国であった。日本は、この事実に反発を感じて抵抗してきた国である。江戸時代には、属国である事実を、隠そうと努力した。

 幕末に黒船来航によって、米国インド洋艦隊の提督マシュー・カルブレイス・ペリーの砲艦外交(ガンボートディプロマシー)で、無理やり国をこじあけられ、開国してからの、この160年間は、米国に軍事的、経済的、文化的に服属してきた。

 シー・エムパイア(海洋帝国)としての米国と、友好関係を築き続けたことは、日本の近代化にとって幸運であった。ところが、日露戦争から太平洋戦争敗戦までの間に、国家に対する求心力が高まってくると、日本は西欧諸国と米国に反抗的になった。そして、東アジアにおける独自の地域覇権 regional hegemony(リージョナル・ヘジェモニー)を目指した。即ち「大東亜共栄圏」(ザ・グレート・イースト・エイシア・コプロスペリティ・スフィア)構想である。無謀にも世界の大勢を敵に回して戦いを挑み、案の定大敗北した。そしてその後、アメリカの属国として平和な75年があった。

 日本は、冷戦(ザ・コールド・ウォー)時代をソビエトと中国の共産主義に対する〝反共の防波堤〞の役割を東アジアで担い、〝吉田(茂)ドクトリン〞により軍事負担を免れ、上手に行動して、経済的繁栄を勝ち得た。

 私たちは、かつての東欧諸国が、1991年に崩壊するまで、ソビエト帝国(ソビエト連邦)の「衛星国(サテライト・ステイツ)」であると学校の教科書でも習った。では、日本はずっと米国の衛星国ではなかったのか。この疑問に対しては、私たちは目をつぶり、回答を先送りして生きてきた。

 先の戦争で日本は米国に完膚なきまでに叩きのめされた。残虐な原子爆弾(アトミック・ボム)まで投下されて敗戦した。日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏したとき、世界中の人々は、日本国民が命乞いをした、と考えた。頭を下げ、生き延びさせてもらった、と。だが、私たち日本人はそうではない。あれはただの「終戦」だ、と思ってきた。このあと米国に屈服して生きてきた。

 米国からすれば、日本は東アジアの1国だ。中日韓鮮台の5カ国の中のひとつに過ぎない。米国の世界戦略からすれば、日本は韓国や北朝鮮や台湾と同じ意味しか持たない。

 米国は、表面だけは、「日米対等」を演出し、ふつうの日本国民に対しては優しい態度を取る。しかし一歩裏に回れば、外交交渉の席で、日本の政治家や官僚や財界人たちを、どなって脅し、「我々の言うことを聞け。もっと金を払え」と抑えつけている。この事実を一般の日本国民は、知らされていない。

 1996年の4月の「米日安保共同宣言」がいい例だ。この時、「有事法制の整備」と、「米日防衛協力のガイドラインの見直し」と「物品・役務(えきむ)相互提供協定」が話し合われたとされている。その議題(アジェンダ)のすべては、米国の官僚が、協議の場に、まるで「天から降ってくるように」持ち出してくるものである。話し合いというのは名ばかりで、日本の政治家や官僚は、米国から出された要求にただ頷(うなず)くだけだ。

 米日間の外交協議の場で、日本に主導権など一切ない。私たちの知らないところで、「次はこの議題について持ち帰って討議しなさい」と、日本は米国から次々と宿題を突きつけられる。彼らは、私たちに憲法を作って与えた。

 それから日本人に民主主義教育を施した。現在の私たち日本国民を作った。このように日本を枠にはめておきながら、その枠が米国自身の東アジア戦略に合わないと、今度は、あれこれ修正を迫ってくる。これが米日関係の真の姿である。

 日本は、輸出と輸入の4割を、米国に頼っている。日本は、経済的に米国に依存している。経済の生命線である、中東からのオイルの輸送ルートも、米軍の海洋支配力(シーレーン)に守られている。経済が何よりも重要だ。

 私たちは、伝統保守派の人々の、「NOといえるジャパン」、「米国は日本人に民族の名誉を返せ」、という反米主義の論調に、軽々と乗ってはいけない。しかしことさら卑屈になって米国に対して土下座外交をつづければいいということもない。今、大切なのは、日本が置かれている立場を明らかにすることだ。

 私が、本書で、世界帝国アメリカと言うとき、「帝国(エンパイア)」という概念は、「領域支配」を含まない、ということを理解してもらいたい。

 「帝国」というのは、例えば、高校・世界史地図帳の中に、ペルシア帝国の最大領土とか示して、世界地図上に赤色でベッタリと塗ってある。だが、実際の歴史上の帝国(覇権国)はあのようなものではない。属国の服属関係にもいろいろなものがある。完全に武力制圧された国から、政治的には独立したまま、経済交易だけ帝国に従属しているという場合もある。

 従って一様に地図を赤色で塗りつぶしたような感覚で帝国というものをとらえてはならない。即ち、帝国とは領域支配を意味しない。このことは、『最後の遊牧帝国』(宮脇淳子著、1995年、講談社選書メチエ)を読むと分かる。

 日本は独立国であって、アメリカの属国ではない、といきり立つ人々がおられるだろう。何故、そのようにいきり立つのか、何が不快なのかを、自分の内心に問うてみられるがよい。そうすれば、やはり、アメリカの日本に対する高圧的な支配者然とした態度に行きつく。私は、そこに出現する真実としての米日関係を、冷静に観察している。

 法律的に立派な制度が完備している。だから日本は、独立国であって、他国のコントロールを受けていない。と強がりを言ってみても始まらない。現実に、日本はアメリカの世界戦略の中に組み込まれて生きていると言わざるを得ない。属国であるか否か、の細かい、政治学、歴史学、法律学上の考察についてこの本で論究する。ふつう日本人が考えているよりも、大きな視点から、この国を概観する

 私が唱えている「属国 日本論」という言葉は、民族主義的あるいは右翼的な響きがあるので、誤解されやすい。私は伝統保守派からの視点から主張していない。保守思想であっても、私の保守主義(リバータリアニズムと言う)は、日本を外側に開いてゆく。世界の中のひとつの国として、世界資本主義に従い、経済的に繁栄してゆくことが何よりも大切だ、という立場である。日本の保守派は、民族優等の伝統保守派と、世界資本主義を支持するビジネスマンたちに体現される世界保守派に分裂している。私は後者である。

 幕末、維新期に、はじめ尊王攘夷(そんのうじょうい)を唱えたはずの者たちが、コロリと開国派に態度を変えた。そして政治権力を握ったとたんにイギリスとアメリカに従属した。国難に際して訳も分からず、本能的に切実な排外主義(ショービニズム)である攘夷を唱えた。

 「この国は独立国ですから、どうぞ、お引き取り下さい。自分たちのことはなるべく自分たちでやります。できない分については、ご助力をお願いします」と、欧米列強(ヨーロピアン・パワーズ)に対して、静かに説くことのできる人物がいなかった。現在の状況も、あの当時とそっくりである。

 やるべきことは、米国という大国の内部の、思想勢力のことをもっと本気で本格的に研究することである。そして彼らの意図を見抜くことである。日本の知識層の人たちは、現代のアメリカの政治思想の大きさと強さを、ほとんど知らないまま生きてきた。アメリカ内部の、思想闘争の分析ができなければアメリカ帝国を理解したことにならない。私はすでにこの分野にも手をつけている。  副島隆彦 

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  目次

はじめに 5
第一部 属国日本論 日本の本当の姿

一、属国日本を検証する・・・24

日米対等は虚妄 24
なぜ真実を隠蔽するのか 27
米日安保共同宣言をめぐって 29
ナイとヴォーゲルは左遷された 31
ジョゼフ・ナイの前歴 32
北朝鮮核疑惑と韓半島情勢 35
スパイ衛星写真という切り札 39
TMD日本配備構想とは何か 42
日独の核保有を認める 48
何も知らされていない政治家たち 49
台湾海峡情勢の裏側 52
円安戻し政策(1995年7月)の舞台裏 54
敏腕リチャード・クーの〝日本情報〞 60
日航機墜落事故をめぐって 62
日本の空は米軍によって守られている 65
「ビンの栓」理論 69
何故、米国の製造メーカーを追及しないのか 72
エノラ・ゲイ号をめぐる対立 76
東アジア諸国とアメリカの軍事同盟 81
中東地域とアメリカ軍 89
伝統保守派と世界保守派 91
伝統保守派と世界保守派の分岐線 95
隠蔽するな、事態を語れ 101

補諭CIAからの自民党への資金援助問題・・・102

ダグラス・マッカーサー二世の拒絶と別ルート 102
なぜ、こんなにしてまでお金を必要としたか 106
今後も続く事実の判明 110
全てがうやむやにされてしまう 111

二、なぜ佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞したのか・・・119
1974年10月の奇妙な白け 119
世界的偉業に関与したという厳然たる事実 121
「メースB」の撤去は中国へのサインだった 123
20年後につながったニクソンの訪中 130
「天動説」のものには世界政治の「地動説」が視野に入らない 135
デタントの世界的流れの中に位置づけられた日本 139
「隣の小部屋」で交わした文書こそ核心部分 143
政府間経済交渉のはじまりとしての繊維交渉 150
「非核三原則」と「非核四政策」 155
ニクソンが立案し、キッシンジャーが動いた世界戦略の中で 160

第二部 世界覇権国(ヘジェモニック・ステイと)アメリカ

一、アメリカの世界政策とシンクタンクの実態・・・166

日本にない国家戦略研究所 167
政府から独立した研究機開 169
ネオ・コン=クローバリスト系かリバータリアン系か 171
明石特使の首を切ったカークパトリック 176
「安保共同宣言」とマイケル・グリーン 177
ケイトー研究所は温かだった 179
ヘリテイジ財団にみる草の根気風 181
セリッグ・ハリソンの北朝鮮、対日政策 185
研究者を束ねる「国務次官補」 187
グローバリスト官僚と戦後日本 188

二、世界を管理するグローバリスト官僚たち・・・192

「エイプリルはよくやった」 192
モーゲンソーの弟子たち 195
日本人の腹の底をのぞき込め 202
「戦後民主主義」の正体 208
グローバリスト包囲網 214

第三部 属国日本の近代史

一、幕末・明治期編・・・222

ペリー以来変わらぬアメリカの日本観 224
内部だけでの大騒動 228
変わることのない日本に対する基本認識 232
必要なアメリカ政治についての徹底的な研究 234
アメリカ主導からイギリス主導への移行 237
グラバーの役割とジャーディン・マセソン商会 239
長崎代理店・クラバー商会 242
五代友厚・ジョン万次郎・坂本龍馬の動き 248
アーネスト・サトウという日本研究戦略学者 253
意図的な『一外交官の見た明治維新』 254
サトウの本の出版は半世紀後 258
坂本龍馬とイギリス主導の薩長合作 265
ジョン万次郎という男 267
坂本龍馬の動きの背景 271
育てられた親イギリス派の日本人 275
兵器こそが薩長連合を成立させた 277
寺田屋と情報戦争 281
最終段階で切り捨てられた坂本龍馬 283
松陰の行動力こそ評価すべきだ 285
大村益次郎と後藤象二郎 287
伊藤らのイギリス再訪 292

二、敗戦まで・・・296

世界覇権をめぐるイギリスとアメリカの対立 299
イギリスを優先するかアメリカとの同盟に入るかの選択 300
不平等条約の改正について 303
「ザ・グレート・ゲーム」について 304
ユーラシア大陸のヘリの国として 305
中央アジアをめぐるイギリスとロシアの闘い 307
間宮林蔵とシーボルト 312
日本の新興資本家たちの苛酷な農業経営 314
決定的に針路を誤った中国進出 318
居留民の過去問題 321
アジアを舞台とした情報戦と人物たち 325
中国人脈のアメリカ人とは 326
マッカーシー旋風はアメリカ国内の恐怖感の表れ 329
ゾルゲ事件をめぐって 334
国家戦略を立案する人材を欠いた日本 340
世界的視点を持っていた吉田茂 343

決定版を出すにあたって 345

あとがき 357

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      あとがき  副島隆彦   (あとがきも、22年前の文のままだ)

 日本の戦後の立志伝(りっしでん)中の実業家たちは、商店街の小さな個人商店から身を起こした。そして30年間かけて大企業に成長した。私も自分の思想と言論を、ささやかな個人営業から始める。私の思想と言論に注目してくださる少数の優れた人々の理解と支持に支えられて、着実に自分の足元を固めながら一歩ずつ進んでゆく。

 一過性のテレビ文化人活動などに魅(ひ)かれることはない。阿呆どもは時間がたてばどうせ消えていなくなる。

 私の言論と思想の構えを、秩序破壊的で、攻撃的で真実暴露の、危険な言論だ、と直観的に毛嫌いして避ける人々がいる。この種の自己保身優先で、組織や集団内の立ち回りだ
けが上手な人種とは、私は、終生(しゅうせい)、相容れない。この本質的に小心者で、他者へのレッテル貼りと噂話だけが得意な人間たちもどうせ消えていなくなる。

 私は、ひたすら大きな諸事実、大きな真実を、明瞭に指摘して、自分の言論の活路を見つける。日本国内だけでしか通用しない国内言論は、もうやめにすべきだ。私は、この『属国 日本論』という、およそ生来の保守派の温厚な人々だけでなく、ソビエト崩壊(1991年12月、もう28年前だ)以降、本当は元(もと)左翼なのに、「真性保守」を名乗る者たち、全てから目をそむけられる本を書いて、微塵(みじん)たりとも動じない。私は、外側(すなわち世界)から、冷酷に見られた日本の本当の姿を昂然(こうぜん)と指摘しないわけにはゆかない。

 日本が優秀な国民からなる大国だ、というのは嘘である。

 日本は、他の国々と同様に、世界覇権国(ヘジェモニック・ステイト)アメリカ合衆国の属国(トリビュータリイ・ステイト)のひとつに過ぎない。私の属国研究の結果からは、ドイツどころか、イギリスもフランスさえも、第2次大戦後はアメリカの属国になっている。内部に多くの難問を抱えていようとも、とにかくアメリカが今のところは世界帝国である。言うことを聞かねば周辺国は生き延びられない。

 フランス現代思想(サルトルからフーコーまで)も、ドイツ文化マルクス主義哲学(ベンヤミンからハーバマスまで)も大方、雲散霧消した。あれらに入れあげた常に遅れた西ヨーロッパかぶれの知識人だった人々は消滅してしまった。

 日本法制史学者の斎川眞(さいかわまこと)氏が一言うごとく、「東アジアは、とにかく、自大(じだい)主義で、かつ事大(じだい)主義」なのである。「夜郎自大(やろうじだい)で、何でもかんでも、自分のことを大変、力のあるすばらしい国だ、と考えないと気がすまない人々と、その歴史」なのである。全ては劣等感の裏がえしである。

 日本だけでなく東アジア地域(リージョン)全体が、ずっとそうらしい。冷静に、冷酷に、自分をみつめることができない。ソビエト・ロシアが崩壊したとき、私たちの周りの余計な壁がパタパタと倒れた。左翼勢力は衰退した。だが同時に、伝統保守派の勝利もない。どちらもその本性(ほんせい)は、反米(反アメリカ)民族主義か、アメリカの手先集団である

 民族主義(ナショナリズム)というのは、それぞれの国民[ネイション](あるいは民族[フォルクス])の自己愛感情ということではない。民族主義とは、世界帝国の属国[プロヴァンス](属州)に、各々(それぞれ)発生する防衛感情のことである。だから民族主義者(ナショナリスト)というのは、帝国と厳しい交渉を続けることを運命とする属国の国王(民
族指導者)のことである。

 日本は世界の大勢が命じる価値観、すなわち、世界普遍価値に従って生きてゆくしかない。世界資本主義に従って、更に経済的繁栄を守ってゆくべきである。政治はそれにつき従うものである。世界普遍価値が、日本に強く改革を要求して世界基準(ワールド・ヴァリューズ)に従った国になれ、と要求するのならば、それに従うしかない。しかし、この7(世界普遍価値)に対する、残りの3の民族固有価値(ナショナリスティック・ヴァリューズ)で、アメリカの理不尽な日本支配と闘わなければならない。「73(しちさん)の構え」である。

 この本の英文のタイトルは、表紙に打ち込んだ、『猿の惑星に生まれて』`Born on the
Planet of the Apes’「ボーン・オン・ザ・プラネット・オブ・ジ・エイプス」である。このタイトルを一目しただけで、欧米の知識階層の人々ならば破顔一笑して、瞬時に意味を理解してくれる。

 私の思想と言論は、自力で英語文献を読み込んだ以外は、先生(メンター)である小室直樹(こむろなおき)氏に多くを負っている。小室直樹を、東京大学学長にして、社会科学(ソシアル・サイエンス)の何たるかを講義させつづけたら、日本に2000人の秀れた、世界で通用する社会科学者[ソシアル・サイエンティスト](政治学者、経済学者、社会学者)が育ったはずなのである。日本国は人材育成の点で、決定的な間違いを犯している。

 日本に、金融危機が、1998年から襲いかかった。アメリカは、「日本に対して、直
接の大銀行たちの乗っ取り占領計画に着手した。1998年10月に、橋本龍太郎政権を脅して圧し切り、外為法(がいためほう)の全面改正(いわゆる〝金融ビッグバン〞)をやらせた。これで日本国内への外資の導入が一気に始まった。日本の大銀行、証券会社、生命保険会社が次々に乗っ取られていった。

 その代表が、長銀[ちょうぎん](長期信用銀行。現[げん]新生銀行)のリップルウッドホールディングズという、ニューヨークの金融ユダヤ人の頭目たちによる、強制買収であった。日本はアメリカの〝金融属国〞にされた。唱い文句は、「金融自由化」だったのに、実際に行われているのは「金融統制」である。

 そして、もうひとつは、安全保障(軍事)の問題である。我々日本人は、日本に5万7000人いる駐留米軍(このうち2万7000人が沖縄にいる)に、撤退(ウイズドロー)してもらいたいのか、それとも、このまま駐留して日本を守ってもらいたいのか。この一番、簡素でストレートな問題に、はっきり答えようとしない。だが、米軍は自分たちの都合で、日本から撤退する時は、する。

 日本は、属国としてアメリカの政治力に屈服している。この事実をはっきりと認めるところから、全てが始まる。この大前提に立って、重厚に練られた国家戦略(ナショナル・ストラテジー)を自分たちの手で、なんとか編み出して、築いてゆくのである。

 本書で指摘したとおり、日本人は、敗戦後75年間、アメリカのネオ・コン=グローバリストと、ニュー・ディーラー(初期グローバリスト)に、うまく飼い殺しにされつづけた。自分たちの頭で、自分たちのことを考える能力を奪われて来た。ネオ・コン派という狂暴な知識人集団のために暴走国家になっているアメリカ帝国につき従っている。

 私が、要約して言えるのは次のとおりだ。
「日本は、あと、しばらくはアメリカの保護の下で生きてゆくしかない。しかしなるべくなら自立して自分の力でやれるだけのことはやりたい。従って、駐留米軍には撤退していただきたい。安全保障の点で、実際のところ日本は自力で防衛する力が足りない。この足りない分については助力をお願いしたい。その分の費用については、細かく計算した上で、お支払いする。それ以上の、無理な要求はしないでいただきたい」

 このように、冷静沈着に、アメリカ側に言えるようになるべきだ。無闇といきがった
り、反対に自己卑下せずに、正直に現実を見極めて、淡々と話せる国民になるべきだ。きわめて幼稚な理論に聞こえるが、これ以外の、どんな態度のとり方があるというのか。日本が世界から尊敬される国になるためには、この程度の、簡潔明瞭さと、正直さを持つべきだ。

 この『決定版 属国 日本論』を出すにあたって、PHPエディターズグループの大久保龍也編集長の尽力に預かった。記して感謝します。炎暑の夏が過ぎてゆく。

                  2019年8月  副島隆彦

(貼り付け終わり)


決定版 属国 日本論

(終わり)

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