「1797」新年明けましておめでとうございます。2019.1.2  副島隆彦が、「ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の真実の復元を賞賛する」を論じます。

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あけましておめでとうございます。
昨年中は色々とお世話になり心よりお礼申し上げます。
本年もどうぞ、よろしくお願い致します。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

2019年 元旦   副島隆彦の学問道場

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謹賀新年。副島隆彦です。今日は、2019年1月2日です。今年も、学問道場をよろしくお願いします。
 さて、新年、早々の、学問道場から会員の皆様への、“ 真実の暴(あば)き言論” の今年、1番目の、プレゼントです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチの 世界的な名画 「最後の晩餐(ばんさん)」(1498年頃、完成して、ミラノの サンタ・マリア・デッリ・グラッツエ教会 の祭壇に飾られた大作テンプラ油画。マスターピース。傑作)がある。

 この画像 を、日本人で、「原画は修正されている。真実の原画(オリジナル・ピース)は、こうだっだろう」と、 CG(コンピュータ・グラフィックス)の先端の技術で、復元した人がいます。 ご自分のウエブサイト(ブログ)で、Magic Train 「マジック・トレイン」と名乗っている。この人は、何のためらいもなく、自分の感覚に忠実に、真実を追い求める自然感覚で、このCGによる修正作業を、やっている。その画像を、下に示します。

  ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の現在の原画(上)と、その1部分を復元したもの

出展:Magic Train氏作
http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/04/21/%e3%83%ac%e3%82%aa%e3%83%8a%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%80%e3%83%bb%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%81%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%99%a9%e9%a4%90%e3%80%8d/

どうですか。上の現状の原画を、「きっとこれが元の絵だ」と復元した図(ふくげんず restoration レストレイション )を、ぱっと見ても、何のことだか、多くの人は分からないだろう。しかし、じーっと見つめたら、何かが分かって来ます。

 これが、「最後の晩餐」( 英語では、 ‘ The last Supper ‘ 「 ザ・ラスト・サパー」 ) の真実の原画への復元だ。この復元を行ったのは、日本人で、 Magic Train という人だ。この原画の復元は、驚くほどの真実味(み)を持っている。この人は、何気なく、あまり深く考えないで、この 「これが真実の「最後の晩餐」であろう」という復元作業を、自分の持つCG(シー・ジー)のコンピュータ画像の技術力で、軽々とやっている。

 私、副島隆彦は、このことのもの凄さ に、一瞬で気づいて、驚嘆(きょうたん)した。この人は、天才だ。 日本には、こういう天才が、主に技術(テクノロジー)の分野だが、よく出てくる。 それが、日本文化(ジャパニーズ・カルチュア)の優秀性を、世界に伝える鍵になっている。

私は、この「最後の晩餐の復元図」を、去る12月2日の定例会(自力での講演会)の前日からゲホゲホ風邪を引いていて、このあと暫(しばら)く寝込んで、それが治りかけの12月8日に、 ネット上で、見つけて、びっくり仰天した。 この、私の感動と 真実の暴(あば)きへの喜びを、会員の皆さんと、分かち合いたいと思います。

 ということは、現在もなお、500年間、同じイタリアのミラノの「サンタ・マリア・デッリ・グラツッエ教会」に飾られている原画は、1520年頃に、このダ・ヴィンチによる絵の、あまりもの真実の伝達の衝撃力、真実を描いたことへの、ローマ・カトリック教会からの弾圧があった。彼らは、3流の卑屈な精神をした絵師を使って、原画の一部を、意図的に、書き変え、変造(へんぞう)、改竄(かいざん)したのである。 そして、丁度、今年で、500年が経(た)った。丁度、きっかり500年だ。このことに、私は、何か、因縁(いんねん)のようなものを感じる。

 なぜ、ヨーロッパで、たったひとりの有識者も、有名な美術史家(びじゅつしか、art historians アート・ヒストリアン)も、この、大きな真実に気づかなかったのか。あなたたち、西洋の知識人、文化人たちの目 は、本当に「節穴(ふしあな)」だ。15世紀、16世紀、17世紀(1600年代)まで宗教(による)弾圧、があって、ローマ教会(カトリック教団)に、よる、恐ろしい宗教裁判( Ordeal オーディール。ここで異端=ヘレシー=の判決を受けると、焼き殺された。焚刑=ふんけい=) が有ったので、怖くて何も言えなかった、というのは分かる。

 だが、18世紀(1700年代)からは、サイエンス(近代学問)の時代で、宗教による残酷な、ヨーロッパ民衆への支配、抑圧という 「暗黒の中世」は、もう終わっている。それなのに、それからでも300年が経つ。それなのに、 たった、この一つの、 西欧世界での大傑作(グランド・マスターピース)の修繕を装った、改竄(かいざん)、書き変え への、大きな真実の指摘 を、誰もしなかった。きっと指摘した、ごく少数の人々がいたのだろう。だが、彼らの声は、闇に葬られていった。 

 そして、日本人で、ネットとコンピュータCGの技術力を持つ、Magic Train という仮名、ネット・シュードウ・ネームを持つ人物によって、この日本から、世界に向けて、“ ダ・ヴィンチの最後の晩餐の真実 “ が、発表され、発信されていた。

 私は、この自分の発見の驚きを、まず、自分が付き合いのある出版社の編集長たちに向けて、メールで書いて送った。文中に、画像を6枚ぐらい貼り付けたまま送った。美術、芸術、歌劇、音楽に造詣の深い編集長から反応があった。「 そうだ。このように、復元すると、ダヴィンチの、この絵が、一瞬のうちに、全体が生きて来て、人物たちが動き出す」と、言ってくれた。 

 それで、以下は、私が、編集長たちと、内部の弟子たちに送った、画像付きのメールをそのまま、使って、私の、この時の興奮を皆に、と伝えようと思います。それは、アルキメデスが、湯船の中にいて、「ユーレイカー(ユリイカ)!」と叫びながら、「私は、ついに比重の原理を発見したぞ」、通りに飛び出した、という、喜びに似たものだった。

 そのあと、私は、3週間、一体、どうやって、この感動を皆に伝えたらいいのか、を悩んだ。私、副島隆彦が、いくら、何かを書いて、そして、画像を 15枚ぐらい見せても、凡百(ぼんびゃく)の人間たちには、何も分からない、と 思った。 どうやって、私は、自分の大発見の喜びを、人々に、伝えるべきか。それで、ずっと年末、悩んでいた。

 簡単に、書いて、学問道場のサイトに、文を貼り付ければ、それでいいことだ、と分かっていた。しかし、私は、自分が受けた精神の衝撃を、どうやって、表していいのか、藻掻(もが)いた。あれこれ悩んだ末にmようやく、今日、ここに、こうして書いて、公表することが出来ます。

 何回かに、分けて、発表するしかないかな、と、今は、思っている。今日は、その初回だ。
人々に、自分が感じた「ついに解明されたぞ。大きな真実が、解かれた」の感動を、伝えるのは本当に難(むすか)しい。

  2018年12月8日
  出版社の編集長の皆様へ
  副島隆彦から

 私は、今日、ネット上で、驚愕すべき、驚くべき、「最後の晩餐」の真実の復元 を やってみせた人のブログに、行き着いて、ああ、本当に、こういう頭にいい人が、日本には
いるものだ、と ひとりで、驚きました。こんなことも、長年、分からないようでは、西洋美術の評論家、学者なんか、全部、まとめてゴミ箱に、捨てるべきだ。

 以下の文と ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」  復元図 と、 もとの絵。ミラノの教会に今も飾られて、多くの日本人観光客も見に行っている、イタリア・ルネサンス期の最大傑作の大絵を、じーっと見て下さい。 今は、本が売れないよー、売り上げが上がらないよー、自分も会社をクビになるよー 、で 打ちひしがれて、おどおど してばかり居ないで、以下の絵を、 それこそ、じーっと見て下さい。じーっと、ふたつを何回か、見較べ合わせたら、真実が、分かります。ああ、そういうことだったのか、と。

 私、副島隆彦は、もう、20年前から、「イエスの奥様で、弟子(12使徒のひとり
)は、マグダラのマリア( マリア・マッダレーナ Maria Magdalena ) で、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれたとおり、だ。ローマ・カトリック教会の スネサンス期(1400年代。クワトロチェンント)の当時まででさえ、1000年に渡る、ヨーロッパ民衆と初期知識人たちへの思想、学問 犯罪は、許しがたいものだ」 と言い続け、書き続けてきました。 

 それを、凌駕する事実に、今日、私は、出会いました。それを皆さんに、お裾分けします。 「いーよ。そんなこと、 どうでもいいよ。私には分からん」と、反応する人は、副島隆彦と付き合う資格、能力の元々ない人です。

副島隆彦拝 

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From: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Saturday, December 8, 2018 2:34 PM
Subject: ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の真実の部分復元

 副島隆彦注記。 私は、驚いた、この 「最後の晩餐を復元した」というのが、真実だ。
私は、さっき、これを ネット上で、見つけた。2018年12月8日(土)の午後2時だ。
この真実の復元図を、自分で気軽に作成して、インターネット上の 自分のブログに載せた
人を、私は深く尊敬する。びっくりだ。この人は天才だ。これこそ大きな真実だ。日本人は全員、そろそろ、よーく、よーく、このことを真剣に考えるべきだ。 これは、大仰天だ。  副島隆彦注記 おわり。 

出典 は、以下の Magic Train 氏のブログである。

(転載貼り付け始め)

http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/04/21/レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」/
・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の原画

・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の復元

※Magic Train氏作

・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」部分の復元

※Magic Train氏作

以下の文章はダ・ヴィンチ「最後の晩餐」において、従来からずっと、ナゾとされる部分に関する個人的な見解です。

一般的には最年少のヨハネと言われている。が、「ダ・ヴィンチ・コード」では、イエスの向かって左の人物は、マグダラのマリアであり、イエスが妻帯していたとされています。聖書では、「イエスの愛しておられた者が み胸近く席についていた」との記述があるのみで、人物名が特定されていません。こうした解釈ができます。

聖書を知らない人にとっては、この人物を少年と見るのはたしかに難しいと思います。この人物の下絵と思われるダ・ヴィンチのデッサンがあります。タイトルは Head of a Young Woman(若い女性の頭部)で、眉(まゆ)などにダ・ヴィンチの女性を描く特徴があり、どうみても少年には見えません。

・ダ・ヴィンチ「若い女性の頭部」デッサン

出展:
http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/04/21/%e3%83%ac%e3%82%aa%e3%83%8a%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%80%e3%83%bb%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%81%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%99%a9%e9%a4%90%e3%80%8d/

 ルネッサンス期の画家アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」は、横一列の配置や心理描写重視など、多くの点でダ・ヴィンチの影響を受けている。この絵では、少年として描かれたヨハネの手に、イエスが手を重ねている。「最後の晩餐」の絵でイエスが弟子に手を重ねるように描くことは、それまでには無かった。

 アンドレア・デル・サルトが、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見た影響であったとすれば、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のこの部分は、剥落(はくらく)後の修復で、現在のように感情表現が無いかのように、マリアが 手を組むものではなく、当初はイエスと手が重なり合う、信頼と愛情を示す表現であったとも考えられます。

・アンドレア・デル・サルト「最後の晩餐」部分

出展:
http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/04/21/%e3%83%ac%e3%82%aa%e3%83%8a%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%80%e3%83%bb%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%81%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%99%a9%e9%a4%90%e3%80%8d/

 次に、従来からナゾとされているイスカリオテのユダに関する考察です。
Wikipediaでは、「イエスを裏切った代償としての銀貨30枚が入った金入れの袋を握るとされる。(ただし、マタイによる福音書 では、イエスを引き渡した後で銀貨を受け取ることになっていたが、ダヴィンチは、聖書にある「手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」を表現することが難しかったためではないかと言われている。」とあります。

 だが、ダ・ヴィンチに対して「表現が難しかったためではないか」は当たらないと思います。ダ・ヴィンチは、完璧な表現を目指し研究を重ね、その成果により、あらゆる側面で他人から揶揄される要素を排除して、自身自身が納得できないと絵が描けない性格の人間でした。 

ですから、歴史上の人物を描くには、聖書の記述を尊重し、人体は解剖学的にも正しいものを描きました。このために納得できずに未完成となった絵画も多くありました。

 また、もう一つのナゾである、イスカリオテのユダ背後に描かれているナイフを持った右手についても、象徴的にユダの背後に描かれたものではないかとの曖昧な解釈のままです。たしかに、イスカリオテという言葉は「短剣」(=イエスを後ろから刺す者)という意味です。

 私は、これについて、次のように考えました。
ユダの下半分が剥落し、後世の修復により現在のようになっている。だが、当初はユダの左手は何も持たず、驚きの余り、鉢に浸した、持っていたパンを落とした瞬間の描写 であった。また、右手は、聖書の記述にしたがって、金貨の入った袋を持たずに、ナイフを持っていて、身を乗り出したペテロの右手に押さえつけられている。

 このために、ユダの姿勢はテーブル前方に乗り出し、顔は背後を見ようとしている。そしてこの顔も、現在のような横顔ではなく、右後方からのものとなるため、ユダの顔は識別できない。(したがってユダの顔は誰かに似ているということもない。)このように解釈することで、絵の構図、解剖学的な人物描写、聖書の解釈とのつじつまが合うと思います。

以上の想像したことを元にして、私は「最後の晩餐」の復元をしてみました。現在のように、やや静粛なものではなく、もっと劇的なものになりましたのでご覧ください。ただし、この正否はあくまで私の想像ですが、こっちの方がしっくりくると思いませんか?

・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」部分の復元

※Magic Train氏作

・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の復元

※Magic Train氏作

・レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の原画の全体図

向かって左から、(12使徒とされる 12人について )

・バルトロマイ - イエスからもっとも離れた位置におり、イエスの言葉を聞き取ろうと立ち上がった様子に描かれている。

・小ヤコブ - イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手はユダを指差し、告発しようとしている。

・アンデレ - 両手を胸のあたりに上げ、横で起こったことへの一瞬の驚きを表している。

・イスカリオテのユダ - イエスの言葉に驚くと共に、ペドロにナイフを持った右手を押さえられて、振り向こうとしている。左手は持っていた食べ物を落とした瞬間。

・ペトロ - 右手でユダの右手を押さえ、身を乗り出し、左手を差し出して、イエスに告発しようとしている。

・ヨハネ(マグダラのマリア?) - 聖書で「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」と記されている人物。左手はイエスの右手が重なり、右手は動揺を抑えようとするが、悲しみに体を傾ける。

・イエス - 右手で ヨハネ(マグダラのマリア?)の動揺を抑えようとする。左手は神の定めを受け入れることを示している。十二使徒 が各三人づつになっているが、イエスは中央でひとり、動揺や怒り、悲しみなどの感情を示すことなく、静かに神の定めを受け入れている。

・トマス - 大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。右手の指で天を指し、神のお告げかとイエスに問い掛けている。左手はテーブルの上に置かれている。

・大ヤコブ - 驚愕のあまり、両手を広げている。

・フィリポ - 両手を胸にあて、「私たちがお守りします」というように心情を訴えかける。

・マタイ - イエスの言葉の真意を年長者であるタダイ、シモンに問いかけている。

・タダイ - シモンとともにマタイの問いかけに対する答えを話しあっている。

・シモン - イエスの言葉を神のお告げと思うが、この先のことを計りかねているかのように、掌を上に向けて少し挙げている。

http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/04/21/%e3%83%ac%e3%82%aa%e3%83%8a%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%80%e3%83%bb%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%81%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%99%a9%e9%a4%90%e3%80%8d/

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 上記の マジック・トレイン氏の 「イエスの12使徒(アポストルズ)」のダ・の絵の中での描かれ方の、真実の復元の能力も、すばらしい。この人は、本当に、天才だ。

今日は、まず、1回目として、ここまで、書いて 載せました。
次回は、私が、ネットで見つけた他の人たちが載せてくれている、「最後の晩餐」 の、ダ・ヴィンチと同時代、あるいは、その前後の 有名な作家たちの 画像を 載せます。

((6) サンタ・ボローニャ教会の アンドレア・デル・カスターニャの「最後の晩餐」
と(7)その一部の拡大図 
(8) フィレンツエのサン・マルコ寺院の ギルランダイオの フレスコ画の 「最後の晩餐」とか、 ジオット の「最後の晩餐」とかを、貼り付けて、お見せします。
 
そうすることで、Magic Train氏による、 画期的な発見と、「ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の真実の復元」の、近代絵画史上、日本人が初めて成し遂げた、大(だい)業績をさらに証明してゆきます。

よいお年をお迎えください。  副島隆彦拝  

(次回に続く)

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