「1566」 宗教改革の始まりにおいてルターとローマ法王はどういう言葉の応酬をしたか 2015年11月13日
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副島隆彦を囲む会の古村治彦です。今日は2015年11月13日です。
本日は、2015年9月11日、12日に熱海の副島先生の仕事家で行われた勉強会で発表された論文を皆様にご紹介します。この論文は、16世紀にドイツで起きた宗教改革(the Reformation)で主役となったマルティン・ルター(Martin Luther、1483~1546年)と当時のローマ教皇レオ十世(Pope Leo X、1475~1521年;在位:1513年~1521年)の実際のやり取りを克明に描き出したものです。
マルティン・ルター
レオ十世(本名ジョヴァンニ・デ・メディチ)
今回、この論文を作成したのは、日ごろは副島隆彦先生の著作を担当している、ある編集者の方です。お名前は伏せます。この論文は、ルターとローマ教皇庁相互の怒りと憎しみ合い、生きるか死ぬかの言論戦を生々しく伝えてくれます。両者の激烈な言葉遣いを読みながら、「これでは和解なんてとてもできないし、殺し合いまでいかないと決着しないよな」と思わせてくれます。
言論戦は命がけなのだということを改めて気づかされます。
それではどうぞお読みください。
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マルティン・ルターと教皇レオ10世の間に実際にあったやり取りはどんなものだったか?
2015年9月12日
1.ローマ教皇レオ十世の「大勅令」とルターの「教皇レオ10世に奉る書」
ドイツの神学者マルティン・ルター(1483‐1546)は、1517年10月31日、ヴィッテンベルク大学の聖堂の扉に「95ヶ条の論題」を掲示〔けいじ〕した。これにより、ドイツの宗教改革は狼煙〔のろし〕を上げた。
聖堂の扉
時のローマ教皇(カトリック教会の首長)はメディチ家出身のレオ10世(1475‐1521、在位1513‐1521)である。
1520年6月15日、レオ10世は大勅書〔だいちょくしょ〕(Bulle〔ブッレ〕)“Exsurge Domine〔エクススルゲ ドミネ〕”(「主よ、立ってください」)を発した。これは、ルターがローマ教皇である自分(レオ10世)に従わない場合は破門にするという、事実上の最後通告書である。
大勅書(Bulle)の「主よ、立ってください(Exsurge Domine)」
それに対して、ルターは、1520年10月中旬から下旬にかけて、ラテン語とドイツ語の両言語で、「教皇レオ10世に奉る書」と「キリスト者の自由」を書き上げ、ドイツ文のほうは、同年11月上旬、ヴィッテンベルクで出版された。ラテン文のほうは少し遅れて出版されたらしい。
ルターの『キリスト者の自由』(1520)は、日本でもルターの主著として、高校生でも学校の歴史の時間に書名だけは習う。それほどの書であるにもかかわらず、その序文として元来ついていた「教皇レオ10世に奉る書」は、岩波文庫の翻訳にも載っていない。岩波文庫だけではなく、たくさんあるルターの日本語訳の中で、この「レオ10世に奉る書」をきちんと載せていたのは、わずかに一つであった。それが、『ルター著作集 分冊2』(聖文舎、1969)である。この『ルター著作集 分冊2』の中で、福山四郎という人が、「教皇レオ10世に奉る書」を訳出している。
数ある、ルターの『キリスト者の自由』の日本語訳の中で、その序文と言ってもいい、本来『キリスト者の自由』とセットになっていた「教皇レオ10世に奉る書」を訳出した翻訳が、わずかこれだけである。ここには、『キリスト者の自由』の翻訳は認めても、その序文にあたる「レオ10世に奉る書」は訳出させない、と断固決めた「力」の存在があったことは容易に分かる。
このレポートは、この「レオ10世に奉る書」と、そのわずか4か月前に発せられた、レオ10世の大勅書を実際に見てみて、宗教改革の大首領〔だいしゅりょう〕マルティン・ルターと、ローマ・カトリックの首長レオ10世の間で、実際にどのようなやりとりがあったのか、二人は何を、どのようにしゃべって(書いて)いたのかを、実感としてつかむ。
2.怒りと憎しみ合いの経緯
「レオ10世に奉る書」が書かれた経緯は多少複雑である。以下に時系列で出来事の流れを大まかに描く。
1517年10月31日 ルター、「95ヶ条の論題」提示
1518年4月 ルター、ハイデルベルクでのアウグスティヌス修道会の総会で大演説
1518年10月12‐14日 ルター、アウクスブルクのフッガー家で枢機卿〔すうきけい〕カエタヌス(1469‐1534、ドミニコ修道会長)の審問を受ける。
1519年1月 ルター、教皇の私宝係ミルティッツとアルテンベルクで1回目の会見
1519年7月4‐14日 ルター、ライプニッツ討論で、インゴルシュタット大学教授のヨーハン・エックと激論
1519年10月9日 ルター、リーベンヴェルダでミルティッツと2回目の会見
1520年6月15日 レオ10世により大勅書 Exsurge Domine〔エクススルゲ ドミネ〕発令。この大勅書を広く北方に公布するため、教皇勅使に先のヨーハン・エック(インゴルシュタット大学教授)が任命される。
1520年8月28日 アイスレーベンで修道士総会が開催される。この時、ミルティッツもこの会議に出席する。ミルティッツは、ルターがレオ10世宛てに和解〔わかい〕の文章を書くようにルターを説得してくれと、シュタウビッツとリンクという名の修道会役員に依頼。
1520年9月6日 シュタウビッツとリンクがヴィッテンベルクにルターを訪問し、この依頼を伝達。ルターが了承する。
1520年9月21日 ヨーハン・エックが6月の大勅書を公示
1520年10月12日 ルター、リヒテンベルクでミルティッツと3回目の会見
1520年12月10日 ルター、大勅書をヴィッテンベルク市民の前で焼く
1521年1月3日 ルター破門
1521年5月26日(文書上は5月8日) 神聖ローマ皇帝カール5世によるヴォルムス勅令(Wormser Edikt)で帝国追放が宣せられる
おおまかな流れとしては以上である。ミルティッツという教皇の私宝係は、ルターに教皇との和解を持ちかけていたが、その後からヨーハン・エックという教皇勅使が100%敵対的にルターに対して振る舞ったので、ミルティッツは慌てて、ルターに教皇への和解の文章を書くように修道士総会を通じて依頼。それが実現したものが「レオ10世に奉る書」である。
3.教皇から出された「大勅令」(破門に向けての最後通告)
1520年6月15日に発せられた、大勅書(「主よ、立ってください」)の内容はどのようなものであったか。ラテン語原文は、
http://www.efg-hohenstaufenstr.de/downloads/texte/exsurge_domine.html
で読める。筆者は残念ながらラテン語が読めないので、
http://www.efg-hohenstaufenstr.de/downloads/texte/exsurge_domine_dt.html
で読めるドイツ語訳(抄訳)から翻訳する。
――――――――
主よ、立ってください。そして正してください。無知な者から日ごと流布されるあなたへの中傷を忘れないでください。我らの願いに耳をお貸しください。というのは、キツネが立ち上がったのです。キツネが立ち上がって、ぶどう山を台無しにしようとしているのです。ただ主よ、あなただけが、絞り機の踏み台を踏んできたぶどう山を。
あなたが天なる父のもとへ行かれた時、あなたはこのぶどう山の世話と管理を頭〔かしら〕としてのペテロに、そして、あなたの代理であり、ペテロの後継者である栄光の教会にゆだねました。そのぶどう山を、一匹のイノシシが掘り崩そうと狙っているのです。喰いつくそうと狙っているのです。
ペテロよ、立ってください。神があなたにゆだねた上記の司牧の務めを果たし、誠心誠意、聖なるローマ教会の仕事に向かってください。なぜなら、ローマ教会こそ、あらゆる教会の母であり、信仰の教師だからです。あなたは、神の掟に従い、あなたの血をもってローマ教会を聖なるものにしました。立ち上がって、あの者たちと対決してください。あなたが言われたように、堕落の教えと迅速な劫罰をものともしない嘘つきの教師たちが立ち上がりました。彼らの舌は炎〔ほのお〕。死をもたらす毒を含む不穏の悪。彼らこそ、不満と怒りを内に秘め、ただ争いのみを企〔たくら〕み、ただ自分を誇示したいがために真理に対して恥知らずの嘘を振りまきながら立ち上がったのです。
パウロよ、あなたも立ってください。あなたはローマ教会を、あなたの教えと、あなたの殉教の死によって照らし、聖なるものとしました。だから、お願いします。なぜなら、新たなポルピュリオス(AD234-305。ネオプラトニズムの哲学者。『反キリスト教論』を書いた)が現れたのです。昔、聖なる使徒たちに反駁したあのポルピュリオスの再来です。ポルピュリオスは、かつて、我らが始祖である教父たちに激しく反駁しました。しかも、穏やかな言葉ではなくて、きゃんきゃんと犬のような激しい言葉で。この者は、異端者(独Ketzer、羅haereticorum)の流儀で罵言を使うことを憚〔はばか〕りませんでした。いつの時代も彼ら異端者が目指すものは、自分たちが劫罰を受けると見るや、相手を倒す毒を舌(=言葉)によって拡散することです。自らの有罪が証明されそうになると、罵言に走るのです。誤った教えは、真の信仰に勤〔いそ〕しむ者にとってはよい練習問題です、とあなたはおっしゃいましたが、しかし、その誤った教えは、初めからすぐ、あなたの祈りと、あなたの行動によって、また、あなたのお力添えによって抹殺されずには済まないからです。それによって異端者が増えないように。キツネが増えないように。
そして、すべての聖人と、残りの全教会も立ってください。彼らの真実の聖書解釈が、主、ペテロ、パウロに続きます。
嘘の父によって理性を晦〔くら〕まされた者、異端者の習慣で自分を賢いと思っている者、聖霊が求めるのとは違ったやり方で聖書を解釈する者、つまり、名誉欲と人気取りのために自己流に解釈する者、ひどい場合は、解釈を捻じ曲げてしまうために聖書をキリストの福音ではなく、ヒエロニムスが言うところの一個の人間の福音、いや悪魔の福音にしてしまう者。こういう者たちはむろん除きます。
神の聖なる教会よ、いま述べたこれらこの上なく聖なる使徒たちとともに立ち上がってください。そして、全能なる神に祈ってください。神が教会に平和と統一をもたらしてくださいますように。神の羊たちの誤りを取り除き、信者のいる地域からあらゆる異端を追い払った後で、平和と統一をもたらしてくださいますように。
というのも、普段、心の不安と痛みから口にするのが憚〔はばか〕られていますが、信を置くに足る人々と一般に流布する知らせによって、我々には以下のようなことがすでに知られているからです。すなわち、我々は残念ながら、すでに多くのさまざまな誤謬をこの目で見、読んできました。その中のいくつかは公会議と我らが祖先の勅令によってすでに劫罰を受けてきました。特に、ギリシャの教理とボヘミアの異端がそれです。その他の教理は異端的であるか、単に誤っているか、キリスト教徒の耳を傷つけるものか、あるいは素朴な人の心を迷わすものであるか、いずれかです。それらの教理は、誤った信仰の実践者に由来するものです。彼らは高慢から、使徒パウロの教えに抗して、分〔ぶん〕を弁〔わきま〕えず、自らの賢いことを示そうとしているのです。しかも、世の賞賛目当てで。彼らの書く文章から隠しようもなく現れる彼らの饒舌は、ヒエロニムスがすでに言ったように、聖書の誤った解釈に基づく有害な教理によって補強されることがなければ、信じられることはありません。これらの誤った教えからは、神に対する畏敬の念は退いています。それも、すべて人類の敵の誤った思いつきによるのです。その誤りは近年になって生じた誤りで、知らぬ者のいないドイツ民族の中のいくばくかの軽率な人々によって教えられ、広められているのです。
(ドイツ語訳者による注)
教皇は、この誤りが、自分たちの先輩たちが殊に尽力した、まさにドイツに生じたことを嘆い
た。その後、この勅書によって誤りと判定された41の命題が続く。その命題は、ルターの発言から
取られたもので、しかし、一部は意味を歪曲させる形で短くさせられていたり、変形させられてい
る。しかも、枢機卿カエタヌスの提案に逆らって、個々の誤り(誤謬)の程度を通常のやり方に従
って確定する手間を惜しんだ(「キリスト教徒の耳を傷つける」「単に誤っている」「迷わせる」
「異端的」etc.)。それゆえ、この勅書は同時代人も批判するほど、評価の低い業績なのである。
この勅書は、ローマ教会の教えに反対するルターの、最近の発言、しばしば重大な最近の発言の
みを取り上げているのではなく、この勅書を尊重しない他の命題をも誤謬として取り上げる。
誤謬33:異端者の火あぶり刑は聖霊に反するものである。
誤謬41:高位聖職者と世俗の領主は、乞食袋をなくせば、悪をなすことはない。
これら41の命題が、冗長な説明によって劫罰対象とされる。同時にあらゆる聖職者と世俗の領主
に、これら命題を劫罰対象と見なすことが命じられる。従わなければ、罰として、あらゆる聖界と
世俗の特権の停止、生命、さらには破門が脅される。この後、勅書はルターとその信奉者への言及
に移る。
(注終わり)
さらにその上、言及したこれら誤謬と、それ以外の誤謬が、マルティン・ルターによるパンフレットや文書の中に含まれていることから、我らは、それがラテン語で書かれたか、ドイツ語で書かれたかにかかわらず、上記誤謬のひとつでも含まれているルターの本やすべての文章、説教を劫罰対象として弾劾排斥します。そして、それらが劫罰対象として弾劾排斥されることを切望します。
それゆえ、我らは神への従順により、また、反する振る舞いをした者全員が自動的に処せられる、あらかじめ定められた罰則により、あらゆるキリスト教信者に以下のことを命じます。……いかなることがあっても、そのような文書やパンフレットや説教やメモ書き、または上記の誤謬や条項が含まれる章を読んだり、主張したり、説教したり、賞賛したり、印刷したり、公開したり、自ら弁護したりしないこと。直接的であろうが間接的であろうが、声に出して言おうが言うまいが、公的であるか否かにもかかわらず、また、自分の家の中であろうが他人の家であろうが、公共空間であろうが、私的空間であろうが、とにかく、上の挙げた物を保持しないことを命じます。それらの物は、刊行(公開)され次第、すべて、それがどこにあろうと、当該の司教と他の上記の人物によって捜索され、事前の罰則に従い聖職者と民衆が見守る目の前で、焚書処分にされねばなりません。……
我らは、このマルティン・ルターに今後あらゆる説教を止めるように命じます。……
この勅書が下に記される場所に貼られて以後60日以内に(この60日を最初の20日、中の20日、そして最後の20日に分けるが)、我らは、マルティン・ルターと、彼の仲間、信奉者、またルターを匿〔かくま〕う者に、まず上記の誤謬、その説教、出版、主張、また本や文書の出版による弁明(擁護)を止めることを命じ、さらに、上記誤謬を含む個々のその本、文書をすべて自ら燃やすか、燃やさせることを厳に命じます。
さらに、マルティン・ルター自身がこの誤謬と主張を完全撤回し、この完全撤回を役所の法に則ったやり方で、さらに60日以内にルター自らが我らに宛てて提出する、二人の高位聖職者によって封をされた文書を通じて、またはルター自らが我らのもとへ足を運ぶことによって(そうなればそれが一番よいのだが)、我らが今から認める護衛すべてを引き連れて、その告示をすることを厳に命じます。そうすることによってのみ、彼の我らに対する従順を一点の曇りもなく我々が確信できるからです。
もしも、マルティン・ルター自身、彼の仲間、後援者、信奉者、またルターを匿う者らが、これとは違う行動をとる場合には……、この勅書の文言により、強情極まりない異端者として劫罰対象とします。そして、これらの者すべてが、上記のあらゆる善男善女のキリスト教信者によって劫罰対象として見なされることを切望し、命令します。……
それだけではなく、我らは、個々のキリスト教信者に、上記の公けに劫罰対象と宣告された異端者との付き合いを、もし彼らが我らの命令に従わないのならば、上記の期日が切れたのちに、完全に避けるように命じます。彼ら、たとえそれが一人でも、いかなる付き合いも、いかなる会話も、いかなる共同行動もとってはなりませんし、彼らが必要とするいかなる物も与えてはいけません。……
我らは(期日が過ぎたのち)、事前に通告した罰則に則り、キリスト教徒が、マルティンン・ルターその人、彼の仲間、信奉者、ルターを匿う者、後援者を個別に取り押さえ、捕虜として我らが決定まで確保し、そののち我らのところまで護送することを命じます。それは我らと教皇にとって大きな贈り物なので、相応の褒美をとらせましょう。
(ドイツ語訳者による注)
この勅書の公示ののち、いくつかの都市でルターの文書が焚書にされた。1520年12月10日、ルタ
ーは、破門を告げるこの勅書を市民の目の前で焼いた。その際、彼はこう言ったという。
「お前が神の真理を破滅させたのだから、永遠の劫火はお前を破滅させるだろう」
(注終わり)
――――――――
4.ルターからの反応:「教皇レオ10世に奉る書」
「教皇レオ10世に奉る書」は、ルターが教皇レオ10世その人に対しては、まったく悪意なきことを、ことさら強調する文言〔もんごん〕が、初めのほうに並ぶ。
以下、翻訳は前掲書(福山四郎訳)による(レクラム文庫版のドイツ語原文を参考に一部改訳)。
(貼り付けはじめ)
「私はあなたのご人格を思い浮かべますごとに、いつもあなたに最大の敬意を表し、至善を口に
してきたことしか覚えていないと公言して憚〔はばか〕らない者です。もし私が、いつかそうでな
いふるまいをしたことがあるとしますれば、それは私自身としましても、決して賞賛できることで
はありませんし、私を非難する人々の判断の正しさを、私は全面的に承認しなければならないでし
ょう」
「この私は、あなたのご人格に対しては少しも他意なき者、心からあなたのために至善を念願い
たしおる者」
(貼り付け終わり)
しかし、こうやって、人間・教皇と教皇庁を切り離すことによって、教皇庁への非難は、途中から熱を帯びる。
(貼り付けはじめ)
「確かに私は、ローマ聖庁と呼ばれているローマ教皇座を、大胆に攻撃いたしました。それが、
昔のソドムやゴモラ、あるいはバビロンよりもはるかに邪悪であり、醜悪でありますことは、あな
たご自身がお認めになり、また世界のだれしもが認めざるをえないところだと存じます」
「この長い年月にわたって、ローマから全世界に流れ込み、蔓延〔まんえん〕していきましたも
のが、ただただ、からだと魂と財産の滅びであり、あらゆる邪悪な事柄の中の最も有害な例であり
ましたことは、あなたご自身の目にもかくれなきところであります。すべてこれらの事柄は、白日
のもとに明らかな、そしてあらゆる人々に知れわたった事実であります。そのために昔は最も神聖
であったローマ教会が、今日では、あらゆる人殺しの巣窟〔そうくつ〕(マタイ21・13)、あらゆ
る悪人の家にまさってひどい悪人の家となり、死と呪いとあらゆる罪のかしら、王国となり果てた
のです。たとい反キリスト自身が出現したとしましても、これ以上にどんな悪いことが増し加わり
えますか、ちょっと想像がつきかねます」
「ローマ教皇庁も、もはや万事休すです。神の怒りが、その上にくだったのです。その怒りは、
解けることがないでしょう。ローマ教皇庁は公会議の敵となり、他からの教示も改革も受け入れる
意志を持ちません。しかも、自己の気ちがいじみた非キリスト教的な性質を阻止することさえでき
ません。こうしてローマ教皇庁は、その母なる古代バビロンについて、「聞け、われわれはしばし
ばバビロンをいやそうとしたが、これはいえなかった。われわれはこれを捨て去ろう」(エレミヤ
51・9)と言われた事柄を、自ら成就〔じょうじゅ〕するのです」
(貼り付け終わり)
ルターは、このあと再び、教皇と教皇庁とを切り離すことによって、このような悪の巣窟にいる教皇に同情さえしてみせるそぶりをみせる。
(貼り付けはじめ)
「敬虔なるレオ閣下、このような時代にあなたが教皇となられましたことを私がいつも残念に存
じます理由は、まさに上のような事情によるのであります。あなたは、もっとりっぱな時代に教
皇となられるにふさわしいおかたでいらっしゃいます。ローマ教皇庁には、あなたや、あなたの
ようなかたがたをお迎えする価値はありません。むしろ、悪魔が教皇となったらよいでしょう。
悪魔なら必ずや、あなたよりも手ぎわよく、このバビロンを治めていくにちがいありません」
「いったい教皇職の力で、どれほどの有益なことが、あなたにおできになりましょう。いよいよ
悪しく絶望的な状態になればなるほど、あなたの権力と称号とは、いよいよひどく乱用されて、
人々の財と魂とをそこない、罪と恥とを増し加え、信仰と真理とを鈍らすだけのことではないでし
ょうか。おお、危険窮まりない椅子に座したもういとも不幸なるレオ閣下、私はほんとうに真実を
あなたに申しあげているのです。それも心から、あなたのさいわいを願っているからにほかなりま
せん」
「天〔あめ〕が下広しといえども、ローマ教皇庁にもまさり邪悪有害にして、いとうべきものは
ない、と申すのは過言でありましょうか」
(貼り付け終わり)
ルターの筆致〔ひっち〕は次第にエスカレートする。「教皇も被害者」という論法をとると必然的に、自分は不幸なる教皇を救い出す者、という帰結に近づく。
(貼り付けはじめ)
「教皇閣下、何ゆえ私がこの有害な教皇庁を、かくも激しく攻撃してまいりましたかの原因動機
は、まさに以上の点にあるのです。あなたのご人格に対して暴行をお加えいたそうなどとは、私は
全然考えてみたこともございません。むしろ私はあなたから恩恵と感謝とをいただいてしかるべき
であり、あなたのために最善をつくしてきた者と認められることを、期待してまいったくらいであ
ります」
「要するに教皇庁にとって悪しき人々は、すべて善良なキリスト者なのであります」
「いったいローマ教皇庁に対して騒ぎたてたり、あげつらったりいたすことなどは、私の思いつ
きもしなかったことでありましょう。と申しますのは、ローマ教皇庁のためには、手のほどこしよ
うもなく、多くの資力や労力が浪費されているのを見るにおよびまして、私はこれを軽蔑し、訣別
〔けつべつ〕の辞を送って(マタイ5・31)、こう申したのですから、『さらばローマよ。悪臭を放
つものは、放ちつづけるがよい。汚れたものは、永久に汚れたままでいるがよい』」
(貼り付け終わり)
教皇本人は悪くない、という論理構成をとると、さらに必然的に、では誰か他に、教皇をたぶらかして、悪の道に引きずり込んだ者がいるという話になる。
(貼り付けはじめ)
「……こうした事情がもととなりまして、ローマの非キリスト教的実態が少なからず明るみに出
ましたことは、認めないわけにはまりません。しかしその責任は、私にではなく、むしろエックに
あるはずです。彼は自分がその器でもない事柄を不遜〔ふそん〕にも企て、自分の名誉を求めるこ
とによって、ローマの悪徳を全世界の目にさらして、恥辱〔ちじょく〕をこうむらせたのですか
ら」
「レオ閣下、この男はあなたとローマ教皇庁との敵です」
「今やローマ教皇庁の名は、世界至るところで悪臭を放ち、教皇の威信は衰え、ローマの無知は
悪評の的となっているありさまです」
(貼り付け終わり)
そうして、最後は、ルターは教皇の権威を否定してみせる。
(貼り付けはじめ)
「あなたは、神のすべての僕〔しもべ〕たちの、そのまた僕なのです」
「聖書を解釈する機能を、ただあなたのみに帰する人々は誤っております」
(貼り付け終わり)
5.両者のはげしい
こうして、レオ10世とルターの実際の文書のやり取りをみてみると、世に「宗教改革」と呼ばれる人類史上の大変革を構成した、実際にあった直接対決の場面がどのようなものであったか、実感としてわかる。
ルターが使っている論法は、決して特別なものではない。それは、エラい人に何かを奏上するときに、いまでもわれわれがしばしば使う論法と同じである。
すなわち、組織や地位を体現している人物を、その組織や地位から切り離し、一人の人間として把握して、組織や地位は悪者だけれど、人間としての「あなた」は悪くない、ともっていく。むしろ、あなたは「騙されている」。だから、「悪者は他にいる」という論法である。
これは、サラリーマンが会社の役員に、会社の役員が会社のトップに何かを奏上するときによく使う言い方である。あるいは、旧日本陸軍の戦前の政府の大臣が天皇に何かを奏上するときに使う物言いとなんら違わない。
しかし、ルターの断固とした対決の意志を、そのような「今と同じだね」という論評で片づけるだけではすまない。
このような物言いを、ルターは命懸けでしていたことを忘れてはならない。現実に教皇庁に殺される危険と全身全霊で闘っていた男のものの言い方であったことを忘れてはならない。
だから、ルターがこの「レオ10世に奉る書」によってレオ10世が「改心」すると期待していた、などと間抜けた感想を抱いてもいけない。まぎれもなく、この書は、教皇との対決を激越に表明した書であり、それを、いま見てきたように、表向きは上品な立派な言葉で表現して、文書を書いたのである。このように、断固たる意志をもって書いた文書なのである。
たかが政府批判の一文を書くのにびくびくと周りを気にしている、現代の亜インテリが、わかったような顔で「論理構成は、よくある論理構成だ」などと知ったような顔で言って、わかったようなことを言ってはいけない。それがどれほど危険なことであったかを実感できないようなぼんくらの足りない頭で、偉そうなことを言っては断じてはならない。
(終わり)
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