「2127」 映画「オッペンハイマー」を見た(第1回・全3回) 2024年4月27日

副島隆彦です。今日は2024年4月27日です。

今日は、映画「オッペンハイマー」を見た感想を話します。この「オッペンハイマー」は、日本のインテリ層、知識人層のほとんどが今から観るでしょう。私は4月1日に観た。東京のコレド日比谷のTOHOシネマで観た。日本では3月29日公開だから4日目です。

「オッペンハイマー」のポスター

https://www.youtube.com/watch?v=Uoctuzt2IfU
「オッペンハイマー」の予告編

私はこの映画を観て感じたことを話しておかなきゃいけない。この映画は原子爆弾(atomic bomb)を開発した責任者の学者ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer、1904-1967年、62歳で死)の話です。非常に大きな物語で、複雑な、原子力工学というか、現在では核兵器(nuclear weapon)の最初に製造した人たちの話だ。だから理科系の知識も必要だけど、私にはない。それでも、とりあえずこの映画の感想をしゃべっておきます。

ロバート・オッペンハイマー

ウィキペディアとかに載っている・オッペンハイマー博士やマンハッタン計画(Manhattan Project)のことなどは一応前提の基本知識ということにします。とりあえず今日は、印象深いところと、何が一番重要な問題かで、政治思想研究の人間としてこの映画を観てびりびりっときたところを話します。断片的でもいいと今は思っています。

この映画を監督したクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan、1970年-、53歳)という男はイギリス人ですが、高い評価を受けている。それで今年の3月10日かに第96回アカデミー賞の作品賞や監督賞以下6つの賞をとりました。だから世界的にも一番高い評価を受けている訳です。ただ、映画興行収入としては、アメリカでは去年の7月から公開されたんだけど、「バーベンハイマー」と言われたけど、「バービー」という映画のほうが興行収入は大きかったそうです。

クリストファー・ノーラン

まあ難しい映画です。恐らくアメリカの一般大衆にも理解できないと思う。日本の大衆にも理解できないと思う。何のことだかほぼ分からない。そこがこの映画の持つ重要性でもある。日本人の知識人たちが協力し合って、何がアメリカで起きていて、どのように評価・判断されて、ちょうど80年後の今に至って、広島・長崎の原爆投下がどういう意味を持つかをもっと専門的にやらなきゃいけない。

アメリカでこの映画の形で公開されて一般知識になったわけだ。その前に原作があるんです。マーティン・シャーウィン(Martin J. Sherwin、1937-2021年、84歳で死)、カイ・バード(Kai Bird、1951年ー、72歳)の共著『オッペンハイマー:「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer, 2005)』(河邉俊彦訳、PHP研究所 上下、2007年/ハヤカワ文庫NF 上中下, 2024年)です。これがまた800ページぐらい英文であって、とてもそれを読む力はないということで雑駁な知識になる。原爆を落とされたほうの日本人としては、一言で言えばぽかんとするしかない訳です。

日本のインテリの一部左翼系は、広島・長崎のシーンが全く出てこなかったといって非難することになっている。しかし、非難したからといってその人たちが力強いかというとあまり意味もなくて、日本にそういうこの映画に対する批判があるというだけのことで、それもほとんど意味を持たない状況です。

そんなことより、私にとって何が一番印象深かったかをしゃべらなきゃいけない。どのシーンから始まったかもわからないぐらいに難しいんですが、オッペンハイマーは1904年生まれで1967年に、62歳で死んでいる。その間にいろんなことがあった訳ですが、25歳でイギリスのケンブリッジ大学に留学しているんですね。

そこで、ニールス・ボーア(Niels Henrik David Bohr、1885-1962年、77歳で死)という、この人はデンマーク人ですが、このニールス・ボーアが非常に重要な学者で、デンマークのコペンハーゲン大学で、1925年に彼の量子力学が誕生したというか生まれたんです。そこに日本人の学者で仁科芳雄(にしなよしお、1890-1951年、60歳で死)という日本で最大級の天才級の物理学者が、その量子力学が誕生したところに立ち会っているんですね。後にニールス・ボーアや数学もよくできる物理学者たちを、日本政府のお金ですが招待しています。戦前ですよ。それで、この1925年をまず私たちは覚えるべきなんだ。でも、既に1922年にニールス・ボーアはノーベル物理学賞をもらっています。

ニールス・ボーア

仁科芳雄

それで、この映画を観てはっきり分かったのは、ニールス・ボーアがオッペンハイマーの先生だったという事実ですね。そして、この映画で出てくるんだけど、一体ボーアが何を言っていたかが私は追っかけがまだできていないんです。

それで、帰ってきてカリフォルニア大学バークレーやら、カリフォルニア工科大学(カルテック、Caltech)で教授になるんですね、オッペンハイマーは30歳ちょっとです。それで、大事なことは、1942年はもう戦争、第二次世界大戦が始まっているんだけど、1942年からマンハッタン計画に参加します。そして、次の年、1943年にはロスアラモスの国立研究所長になっています。directorといいます。もう戦争中です。

ロスアラモス国立研究所

この背景には、アメリカ政府が、ナチスがatomic bomb(原子爆弾)を開発しているという情報を得ていたんです。そして、アメリカがそれを追っかけて後から研究して、もう3年おくれているという言葉が出てきます。だから、ドイツ語がよくできたドイツ系アメリカ人であるオッペンハイマーが所長を任された訳です。30歳の時です。この年に研究所長になっているんです。

だから彼の周りにも似たような若い当時の物理学者たちが集まっている訳です。この人たちが何をお互いしゃべっているかを、誰かが正確に日本国民に伝えなきゃいけないんです。私がじゃなくてもいい。しかも、分かりやすく伝えなきゃいけない。そうすると、やっぱり副島隆彦しかいないんじゃないかと今思っています。しかし、今しゃべっているこのときには正確さはちょっと横に置いておきます。そのうちやります。

そうしないと、広島・長崎原爆問題を抱えている私たちとしては、日本の知識人階級の責任、責務があるからね。アメリカ側で一体どのように原爆開発が行われたかを、ただのウィキペディアの英語からの記事が日本語に訳されたのだけで納得する訳にはいかないんです。

私は既にもうこの映画が公開された去年(2023年)11月に、「映画『オッペンハイマー』と第五福竜丸の真実」というのを話しおろして語りおろして文章になっています。
「2096」 映画『オッペンハイマー』と第五福竜丸の真実 (第1回・全2回) 2023年11月7日←青い部分をクリックしてください
「2098」 映画『オッペンハイマー』と第五福竜丸の真実 (第2回・全2回) 2023年11月15日←青い部分をクリックしてください

1956年に大騒ぎになった、ビキニ環礁での水爆実験で、死の灰を浴びながら日本に帰ってきた第五福竜丸は、最初は焼津に帰ってくるんですけど大騒ぎになって、久保山愛吉(1914-1954年、40歳で死)無線長以下みんな放射能を浴びて死んだ。これは嘘なんですね。久保山愛吉は注射針の毒で死んだだけで、誰も死の灰で死んでないんですよ。90歳近くまでみんな生きていました。だから、わざとああいう大騒ぎをつくったんですね。

水爆実験

第五福竜丸

久保山愛吉

その一方で、第五福竜丸事件の2カ月後に、ドワイト・アイゼンハワー大統領が「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」というのをやるんです。日本でもすぐにCIAが正力松太郎(しょうりきまつたろう、Ⅰ885-1969年、84歳で死)を使って、東海村の実験炉の建設を始めるんです。

正力松太郎

東海発電所

だから、もうめちゃくちゃなんです。国内の左翼たちは共産党系と社会党系で、やがて共産党系の原水協(原水爆禁止日本協議会、1955年設立)から社会党系の原水禁(原水爆禁止日本国民会議、1965年設立)が脱退して、分裂するんだけど、大騒ぎ、大騒ぎで何十年も、僕らの小さいころから学生時代まで。馬鹿じゃないのと一言で言います。全部操られていたんだよということです。こう言うとね、反対運動自体は正しかったと言うんだろうけど、最初からつくられているんで話にならないんだ。それを言って初めて、副島隆彦が日本最高の知識人として今意味を持つんです。他の人はもう黙りこくるでしょう。

第五福竜丸展示館って今も東京湾の埋め立て地の今の豊洲のあたりの端っこにあるらしい。そこに展示してあります。東京都の財産なんでしょうね。あるんです。反対運動をやった何百万人もの人たちももう死んじゃった訳ですね。

広島・長崎でまだ100歳を超して生きている人がたくさんいます、広島原爆病院、長崎原爆病院に。ホルミシス効果(hormesis effect)ともいうんだけど、低濃度のほんとに薄い放射能は体にいい。これを言うとまた嫌がられるんだけど、言います。私はそういう意味では真実とは何かに対して本気で闘ってきた人間だからね。でも、もうこの問題は今日はやっている暇がありません。

それで話は戻りますが、ロバート・オッペンハイマーが30歳ちょっとで研究所長で、弟のフランク・オッペンハイマー(Frank Oppenheimer、1912-1985年、72歳)というのが優秀なやつで素粒子物理学者なんですが、爆破計画の専門でもあるんです。爆破技術を持っていた。トリニティ(Trinity)という名前がついているんだけど、核分裂を起こさせるための爆縮というんですけど、implosionを起こさせる起爆剤の使い方はこのフランクがいないとできないんだといって、兄貴のオッペンハイマーが呼び寄せる。途中で、いや、あいつは共産主義者であるからロスアラモス研究所には入れられないんだといって喧嘩になるんだけど、最後はちゃんとフランクは来ます。

フランク・オッペンハイマー

そして爆破実験をやっています。それで、それはうまくいったので、最後にトリニティ実験というのをやるわけですね。それは1945年7月16日です。4月30日にアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945年、56歳で死)がドイツ・ベルリン首相官邸地下で愛人のエヴァ・ブラウン(Eva Anna Paula Braun、1912-1945年、33歳で死)と一緒に自殺して、5月7日にドイツ軍、ドイツ政府が正式に降伏します。

トリニティ実験

それで、その前の3月ぐらいにもう既に、真実は捕虜交換のふりをして、広島に落とされたリトルボーイなんだけど、そのほぼ同じものが、これはこの映画の中に出てくるんだけど、ヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg、1901-1976年、74歳で死)というドイツ人の最高級の学者がベルリン郊外でつくっていたんですよ。だから、このハイゼンベルクがまたこの映画に出てくるんだ。私はびっくりした、何回も出てきた。原爆は実は、ハイゼンベルクがつくったんですよ。ドイツでドイツ人の技師たちとハイゼンベルグが作った。これはこの映画ではあまり描いていません。

ヴェルナー・ハイゼンベルク(左端)とオッペンハイマー(右端)

ところが、歴史上の証言で、ハイゼンベルクが戦後捕まって、イギリスのキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)に1年間捕まっていたんです。アメリカに行っているのかどうかわからないんだけど、ロスアラモス研究所に来ていたかもしれない、ハイゼンベルクは、この映画のシーンで。私はびっくりしたんだ。確認しなきゃいけないんです。だって、つくったのはハイゼンベルクですからね。一体何が起きていたのかが私は今でも分からない。

もうあまり話を広げたくないけど、このハイゼンベルクが人類最高級の物理学者のエルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger、1887-1961年、73歳で死)と大喧嘩したのが1927年なんです。ソルベー会議(The Solvay Conferences on Physics、)というのかな。デンマークの大金持ちの富豪の家で行われた、当時最高級のヨーロッパ最高の物理学者たちが集まった会議で、シュレーディンガーがふだん着を着て、いやいや、登山服を着てやってきたんです。ほかの人は燕尾服できちっとしているのにね。そして言いたいことを言ったんでしょう。で、ハイゼンベルクと喧嘩になったんです。

エルヴィン・シュレーディンガー

一言で言うとシュレーディンガーは素粒子理論系が大嫌いで、波動だと、波なんだと主張した。だから、quantum physics、つまり量子力学は認める。シュレーディンガーもそこにいたからね。quantumというのは一言で言いますとお化けなんですよ。物質なんだけど、お化けなんです。これをニールス・ボーアたちがつくって、今でもquantum physicsですからね。お化けのことなんだ。これをシュレーディンガーは波動、波だと言った。素粒子で、いわゆる物質としては見つかる訳がないということです。

それに対して、ハイゼンベルクたちは実際原爆をつくっちゃいましたからね。今はもうハイゼンベルクたちのほうが、素粒子学のほうが暴走して、例えば日本ではカミオカンデでニュートリノが見つかったというけど、あれも嘘なんですよ。

小柴昌俊(こしばまさとし、1926-2020年、94歳で死)というのがノーベル物理学賞をもらって、その弟子の名古屋大学の野郎たちもニューカミオカンデとかいって、そのニュートリノという素粒子を写真で撮ったことになっているけど、嘘なんですね。撮ってないんだと言われています。物質であるかどうか分からないんだよ。質量がないといけない、重さがなきゃいけないし、写真で撮れなきゃいけない。やめたやめたでもう消しちゃいましたからね、カミオカンデ計画自身を。

小柴昌俊

それと同じことが、CERN(欧州原子核研究機構)という、ヨーロッパの端っこ、フランスとスイスの国境にあるんだけど。そこでも、サイクロトロンと昔は言ったけど、巨大な直径10キロぐらいの――20キロあるかも、ぐるぐる回るところでドカンとぶつけて何十万ボルトかの電力をかけて、ばらばらになった物質の中から何か見つけるというのをやっているんだけど、見つからない。

CERNの内部

ピーター・ヒッグス(Peter Ware Higgs、1929-2004年、94歳で死)という変な学者がね。ヒッグス粒子があるあると言ったんだけど、そんなもんね、ないんです。そうしないと、自分たちがもう40年近くCERNやらでやっているもんだから、業績が出ないと政府に対してお金をもらえないからそういうことをやっただけです。こういう話もやめます。

ピーター・ヒッグス

ほんとにハイゼンベルクは大事なんですよ。でも脇役になっていて、この映画では重視していません。この事実も困ったもんだ。

あ、そうだ。この映画の始まりのシーンは、アメリカのプリンストン大学といってニューヨークから西に100キロのところにあるんです。ここの学者たち用のハウス、ファカルティーハウス(faculty house)というのかな、学者用住宅の外に沼みたいな池があるのね。この有名なシーンで、そこでアインシュタインとオッペンハイマーが立ち話をするんです。最初、こんな書類は読まないと言って、持って帰れと言って嫌うんです。帰れ、おまえなんかと。でもプリンストン大学で同僚ですからね、オッペンハイマーと。若い同僚ですから、いや、これ読んでくれと言ったんですね。

アインシュタインとオッペンハイマー(映画のシーン)

最後にその秘密が解き明かされて、最後のシーンで、もう言ったけど、俺は量子力学なんか嫌いなんだと、素粒子論とかね。俺は相対論のアインシュタインだぞみたいな感じなんだけど、その途中で、いや、おまえもう外国に逃げろと、俺もドイツから逃げてきた人間なんだと言っている。

つまりソビエトに逃げろということですよ、これ以上いじめられるんだったら。赤狩り旋風といって、マッカーシズム(McCarthyism)というんですけど、共産主義者の疑いをかけられて、わいわい、investigation committee、日本でいえば調査委員会というよりも査問委員会にかけられる。1950年代のことです。このシーンが延々と続くんです。

この査問というのは簡単に言えばリンチです。kangaroo courtと英語ではいいますが、呼びつけておいて詳細にしゃべらせて証言としてやって、ぼこぼこにするんですね。その後、パブリックヒアリング(public hearing)といって、上院議会の公聴会に出される。このパブリックヒアリングは大きな議事堂の中でやりますから、テレビ局も入っている。そこでの証言のシーンもあります。オッペンハイマーは最初馬鹿にしているんですね、パブリックヒアリングに呼ばれたこと自体で、上院議員たちに向かって。その端っこにジョン・F・ケネディ()がいた。それは一瞬だったからよくわからなかった。民主党の若手の上院議員です。ここが大事なんですね。それが1956年です。

「オッペンハイマー」の査問のシーン

ところが、1951年にも、その5年前、もう朝鮮戦争が始まって、一応休戦して世界が冷戦構造、The cold warに入るのね。ソビエトももう核爆弾を持っていますからね。だから大事なのは、オッペンハイマーが、いや、いくら原爆からさらに水爆をつくっても、ソビエトが追っかけてきてすぐつくると、一生懸命何回も出てきます。だから抑止力にならないんだと、もう原爆だけでやめてしまえと、水爆はやめなさいというシーンがよく出てきます。

恐ろしいことに、実際にロスアラモス研究所にもソビエト側の学者なんだけどスパイが入っていて、何人か捕まっています。その話もしなきゃいけないんだけど、実際首をつられて絞首刑になったのはジュリアス・ローゼンバーグ(Julius Rosenberg、1918-1953年、35歳で死)とエセル・ローゼンバーグ(Ethel Rosenberg、1915-1953年、37歳で死)ローゼンバーグ夫妻という夫婦だけですね。最後まで罪を認めなかったんですね。それ以外のクラウス・フックス(Klaus Fuchs、1911-1988年、76歳で死)とかいう学者や、あともう1人誰かなんかは罪を認めたので長生きしました。

ローゼンバーグ夫妻

(つづく)

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