「15」 ネッ上トのオープン・ソースから拾った副島隆彦の文章を載せます。

副島隆彦です。 今日は、2006年5月24日です。

ネット上から拾った、私自身が過去に書いた文章で、書き写して載せてあったものを、ここに載せておきます。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

● 今一番言論界で注目されている副島隆彦を語りましょう。

アメリカ・ユダヤ・近代学問・属国日本論・自然法・自然権・人定法・リバータリアニズム・レイシオを徹底分析。
とどまることを知らぬ副島隆彦、ますます絶好調!
今、副島隆彦が、やっぱりおもしろい!

1.自然法( natural law ナチュラル・ラー ) と 2. 自然権 ( natural rights ナチュラル・ライツ) と 3. 人権 ( human rights ヒューマン・ライツ ) と 4. 人定法  ( positive law ポズィティブ・ラー)  の関係と 対立を 副島隆彦の本から少し書き写します。

この四つが分らなければ、向こうの高校生並みにさえ扱ってもらえないらしいです。
欧米人の本気の議論の輪の中に入る前に知らなくてはいけない最低限の常識です。

(引用はじめ)

   分りやすくアメリカを例に取って説明をすると、自然法、これはバーキアン(エドマンド・バーク主義者)の事である。彼らは「人間社会には社会を成り立たせている自然の決まり、掟がある」と考える。この自然法=バーキアン=伝統保守派の代表は、長年「ナショナル・レビュー」と言う政治評論誌の編集長を務めているウイリアム・バックレーという老大家の評論家である。

 彼こそは「アメリカ保守の守護神」と呼ばれて歴代共和党大統領たちから尊敬されている人物である。バーキアンの標語は人類の歴史をとうとうと貫く普遍の真理を暗示する「永遠の相の下に」と言う言葉である。だから彼らは本来余り泥臭い現実政治にはかかわりたくないと思っている。

 このバーキアンとともに保守二大思想でありながらバーキアンと激しく対立するのがロッキアン(ジョン・ロック主義者)である。これが「自然権」派である。彼らは自然法の存在そのものは認めながらも、ジョン・ロック(及び、ルソー)が唱えた「全ての人間は、決して奪う事の出来ない固有の権利として生命・身体・財産の自由を持つ」という言葉に基ずく自然権のほうを重視する。

 ロッキアンもバーキアンと同じく自然法(人間社会を貫く自然の掟)を認めるのだが、それよりもこの自然権の方をより重要なものと考える。彼らロッキアンは「法や思想が何を語っているかを問うよりも、自分達はここの法律を解釈運用し実際に社会を運営するのだ」と考えるきわめて現実的な保守思想である。この自然権波の現在の代表はロバート・ボークであり、格調高く、かつ激しくリベラル派を批判する人物である。

 バーキアンは、このロッキアンに対して「そんなに憲法典を高く持ち上げてどうするのか。憲法典が各種の人権を保障したからと言っても、それはどうせ紙きれだろう」と強い疑いの念を持っている。

● 自然権から人権が生まれた

  この近代憲法典(フランス人権宣言やアメリカ憲法)が定めたジョン・ロック主義の「生命・身体・財産の、国家からの自由・独立・不可侵」という自然権を20世紀に入って、更に勝手に拡張して「憲法は全ての人間の生活と生存を保障している(つまり社会福祉を保障している)」と言い出したのが、人権派たる現代リベラル派である。この人権派は自然権から派生したものだが、今や世界中で最大勢力である。

 日本では本来、自然権派であった福沢諭吉や「民本主義」の吉野作造の思想が、リベラル人権派の中に飲み込まれて行方不明になってしまい、リベラル人権派と区別がつかないまま今日に至っている。この人権派は、実際には、社会主義(マルクス主義)思想の影響を受け続けた人々の思想でもある。この人権派は当然の事ながら保守思想ではなくて、左翼的であり、文字通りリベラル派である。あくまで、ロッキアンの自然権と区別をつけなければならない。この事が大多数の日本知識人層には分らないのだ。この人権派は日本でも世界でも大勢力である。

● 人定法( positive law ポズィテイブ・ラー) について

  アメリカの保守思想には自然法・自然権の外にイギリス近代政治思想からの源流を持つベンサマイト(ジェレミー・ベンサム主義)=人定法という特異な勢力が存在する。人定法は19世紀中ごろに生まれたイギリスの奇妙な思想家、ジェレミー・ベンサムは、エドマンド・バークやジョン・ロックの思想に激しく反対した。「その自然法や自然権というものが在るなら、私に見せてみろ」と言い放ったのである。

 したがって、この立場からは、人権派などは更に木っ端微塵背ある。ベンサムは憲法典に書いてあるからといって人権が無条件に至上のものとはならない」と主張する。ポジティビズム=人定主義とは「社会のきまりは、神が決めるのではなくて、この地上の人間たちが決めるのである」という考えである。「人間たちが人為的に、現実世界のルールを作るのである」即ち、「自然の方」ではなく「人定」の思想なのである。だから人定法とは、「神や自然が、法を人間に与えるのではなく、法は人間たちが決める」という政治思想かつ法思想なのである。

 当然、この立場は「何が正しくて、かにが公平で、何が善であるかも、我々人間が決める」という、恐るべき、神、自然法否定の思想となる。ベンサマイト(ベンサム主義)は、徹底的な社会工学的な思想であり、ヨーロッパ近代思想の最後に登場した、巨大な星である。リベラル派の人々から見れば、悪魔の思想として憎しみの対象となる。現に、社会主義思想を大成したカール・マルクスは、同時代人ベンサムを「最悪の俗物ベンサム」と呼びジョン・メイナード・ケインズは「蛆虫ベンサム」と罵った。このベンサム主義はアメリカではリバータリアニズムという思想になって一大勢力になっている。

これを広めれば、日本の左翼勢力(も保守の勢力も)激減し、あるいは正気に戻ると思います。

● 副島隆彦の文章  「 マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体 」

  日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと次のようになる。

  The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside, in order to maintain control over the japanese people.

[上の英文の訳]
    ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に置く原因をつくった。

 この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。政治問題に関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明なアメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。

 引用は副島隆彦著 「日本の危機の本質」 P33~34

  「戦後民主主義万歳」みたいなことを長年書いてきた知識人たちは、このことに自覚がない。欧米では、戦後の日本社会のことを「ニューディーラーが植えつけて育てた日本体制」と呼んでいる。これを英語では、‘New Dealr ingrained japan system.'(ニューディーラー・イングレインド・ジャパン・システム)と言う。

 引用は副島隆彦著 「日本の危機の本質」 P296

 ● 副島隆彦の本から衝撃を受けた。 その2

    まず「自由主義者」の訳であるが、「リベラリスト」と言う言葉は、ドイツ語にはあるが、英語ではリベラルズliberalsというのだ。「リベラリスト」と言う英語は無い。日本の知識人層は、この初歩の事実から学ばなくてはならない。リベラル派の反対がコンサヴァティヴズ(Conservatives・保守主義者)である。日本やアメリカで、自分の事を「リベラル」だと思っている人々は、そもそもの、本物の歴史上の「古典的自由主義者」とは似ても似つかぬものだ、と言う事に気づいてほしい。

  今の日本やアメリカのリベラル達は、本物の自由主義者達とは反対の立場の人だのだ。言葉だけは「リベラル」だから、きわめて紛らわしい事になったのだ。それは、イギリス人の18世紀の初期リベラル思想が、海を渡ったアメリカで共和党系の思想になったからだ。このねじれを理解しなければいけない。日本やアメリカの現代リベラル達は、本当は、今でも隠れ(あるいは無自覚な)社会主義者(ソーシャリストSocialists)たちである。だから、「本物の本来の自由思想を貫く生き方をしたい」と言う人々は、アメリカでは、仕方なく、自分達の事をリバータリアン(Libertarians)と呼ぶようになった。

 アメリカでは、民主党支持であるリベラル派は、その実態は福祉優先の弱者救済主義者である。このことに気づいて、最近は自らを「現代リベラル派(モダン・リベラル)」と呼んで保守思想である古典自由主義者(クラシカル・リベラルClassicalLiberals)と区別をつけるようになった。 本物の自由主義とは「この、私の私自身の自由を、他の何よりも大切にする思想」の事だ。だから、根本的に、個人主義者なのであって、共同体優先主義(社会主義)ではない。

  18世紀のイギリスの本物の古典的自由主義者たちは「国王や教会が、私たちの生活に余計な干渉をしないでくれ」という思想態度から興ったものである。だから本物のリベラルというのは、本当は、徹底的に新興企業経営者層(ジェントルマン)たちの思想なのである。これが、イギリスのウィッグ党・ホイッグ党(Whig 自由党)の支持勢力を作った。そして、トーリー党(Tory 保守党)である、貴族たちの勢力と争ったのだ。

 一般庶民(貧乏大衆)の政党などまだまだ現れない。このウィッグ(イギリス自由党)の思想が海を渡ってアメリカに到着した時に、これがアメリカの保守勢力であるアメリカ共和党になってゆくのだ。 だから「もともとのイギリスの自由主義者が、現在ではアメリカの保守主義者」と言う事である。いつの間にかねじくれて意味が逆転してしまった。即ち、本来の「リベラル」という言葉が、民衆統合主義者や、左翼・社会主義者たちによって奪い取られてしまったと言う事である。この世界の政治思想上の言語使用上の重大な逆転現象に、私たちはそろそろ気づかなければならない。この事が分らないものだから、日本では政治学者たちですら、現代リベラル派と、本来の古典は自由主義者の区別がつかないのだ。    副島隆彦著 「ハリウッドで政治思想を読む」 から

● 副島隆彦の本から

 日本の自称リベラル派の欺瞞

  ここで面白い話を一つ書く。そもそもアメリカ合衆国のリベラル派は、日本に「リベラル」派がいるなどとは思っていない。「日本にも自分たち同様のリベラル派な人々がいる」などとはこれっぽっちも思っていない。これまで一度たりともそんな風に考えたことはない。そもそも東アジアの一種族にすぎない日本人に、西欧型のリベラリズムが理解できるなどとは考えない、という事だ。

 そうすると、日本国内で自分のことを「私はリベラルで、反保守・反権力・反資本主義の人間だ」と考えている大量の人々は、一体何なのだ、ということになる。日本にいる、朝日新聞と社民党(旧社会党)を代表するリベラル派の反保守勢力といのは、欧米諸国から見れば「旧ソビエトや中国に同調してきた共産主義者がかなりソフトになっただけの人々」ということでしかない。長い間、こういう理解しかない。世界中のの人々が、日本の自称リベラル派のことをそれ以上とは考えないのである。

 この考えは、冷徹なまでに正しい。しかも、本物の西欧の古典的なリベラリズム(自由主義)と、現代の「リベラル」派とは、似ても似つかぬものなのである。この話をすると複雑になるのでこの本ではやめるが、つまりアメリカ人は、日本の社民党(社会党)やその他の反戦平和・環境保護団体などの「リベラル勢力」のことを、世界水準のリベラル派だとは微かにも思っていない。
  副島隆彦著 「日本の危機の本質」

●  ぼやきに、
「9,11 テロはロックフェラーによる自作自演だ」 と書いています

「675」 今日のぼやき  「 アメリカはこうして「悪の帝国」(ロックフェラー帝国)になったのである 」
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

以下転載

  スターウォーズの話に戻るが、だからこの映画の一番大きな主題は、共和国が巨大な帝国に乗っ取られて、巨大な悪となっていった、という部分である。これが見事な位に、アメリカの現在の政権であるブッシュ政権と重なる。アメリカは、「9.11事件」のような巨大なやらせの事件を私たちの目の前に、映像として伝わるように計画的に起こすことまでする。

 こうやって、アメリカ国民を戦争に引きづり込んで行く。そしてアメリカ国内を「テロリストが攻撃してくるので、常時警戒態勢下に置かれることもやむを得ない国」にして、国民が常時、監視される統制社会(コントロールド・ソサエティ)にされてゆく。今のアメリカは、行ってみると分かるが、息苦しいまでの統制国家である。

 今のアメリカ人は、飛行機の乗り降りする時に空港の検問で、靴を脱がされ、バンドをはずされて、バッグの中の下着まで引きづり出される。あの身体検査の屈辱にアメリカ人は皆、じっと耐えている。かわいそうな帝国臣民である。世界中で一番いい思いが出来るアメリカ白人にうまれたことの優位性と特権と共に、アメリカ人は、政府からの厳しい監視下に置かれているのである。今のアメリカには、自由はない。

  2001年の9.11同時テロ事件は、二重スパイとなるべく育てられていたアラブのからの良家の留学生の学生たちを「テロ実行犯」としてあらかじめまとめて殺しておいた。そしてオートパイロット(自動操縦)にした飛行機を、米空軍の司令部で遠隔操作して、ワールド・トレイド・センターにつっこませた。

  同時に、ビル解体業の専門家たちがビルの各所に仕掛けておいた爆薬を爆発させて、「デモリション」(demolition )というビル倒壊・解体技術そのままでやってみせた。だからあの時の死者・犠牲者の2千人はほとんどが、あのビルの清掃人のような下層のビル管理業務の人たちである。

 アメリカを戦時体制に持ち込んで行くことが狙いである。そうすることで、戦争刺激経済(ウォー・エコノミー)で、迫り来る世界恐慌を阻止して、無理矢理に戦争景気を作って、アメリカの経済を維持しようというのである。この目論みでロックフェラー財閥が、自ら仕組んで、9・11テロを起こさせて、そのあと予定通り、アフガニスタンやイラクに攻め込んでいった。

  一方で、アメリカ国内は、秩序維持の安定の名目で、「愛国者法」(パトリオット・アクト)のような、治安維持法を作って、国家安全を守る、という名の下に、アメリカ国民の言論を統制し、令状無しの捜査を容認するような法律を無理矢理に成立させて、アメリカ国民の生活を徹底的に監視する警察国家への道を完成させようとしている。

  だから、この映画でジョージ・ルーカスというリベラル派(ソフト・グローバリスト)の映画監督は、「アメリカの共和政体が崩壊しつつあり、アメリカは9・11の事件をきっかけに、ローマのように共和国から帝国に変貌を遂げていったのだ。気を付けよう」というメッセージを観る者に送ったのだ。そして、事実、今やアメリカは自覚的に自ら「悪の帝国」になってしまったのである。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

このページを印刷する