「3」 この連休に、3月以来、溜まっていた読者からのメールに返事をしましたものを、ようやくまとめて10本ここに載せます。 2004.5.4

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副島隆彦です。今日は、2004年5月4日です。

この連休の間に、ようやく、気になっていた、読者からのメールにお返事できましたので、まとめて10本載せます。
私は、これまでに、メールを戴いておりながら、返事はしたのですが、そのまま、学問道場に転載せずに、ほってあるメールが、まだ300本ほどあります。

それらも、「読者からのメールの集中転載」の(19)以降、として、どんどんここに載せてゆきます。

副島隆彦拝

(1) ****さまへ
副島隆彦です

学問道場へのご入会いただきまして、ありがとうございます。
手続きは、係りの奥村くんが、連休明けに戻りましてからするでしょう。

自己紹介文をありがとうございます。
道路作りのための測量作業に従事されているとのことですが、やはり、道路は大事です。 「もっと、もっと道路を作るぞ」 と、自民党の道路族の若い族議員が、ぽつりとつぶやいたのを、横で聞いていたことがあります。

国民生活にとって、必要なことに、それぞれの人が、職業として貼りついてそれで、ご飯を食べています。世間(せけん)で、立派だ、エリートだと思われている職業が、立派でかっこいいのではなくて、実際は、苦労ばかりの、泥臭い、汚(きあな)らしい職業です。 医師やも弁護士も、確かに、社会的には立派な職ですが、実情は、体と頭を壊した人間たち相手の苦しい仕事です。

どんな仕事も大変だ、と分かるようになってはじめて、社会人として一人前になったと、そのように世の中は、考えるようです。そういう大きな、世間(せけん)のものの見方に、反した考え方だけは、私は、しないように、自分をいつも戒めています。

貴兄が、以下にお書きになった読書体験をなさったことを、私は、自分のことのように嬉しく思います。

「最初に『属国・日本論』を読みはじめたものの、本を閉じたまま、二度と見たくないという体験をし、それでも本を手にとって、まるで錆びた甲冑を着込んだままページを繰るといった数日間をすごし、やがて、その錆びた甲冑が粉々になって砕けて自由の身になったような気分になりました。」

私は、もっともっと多くの日本人に、『属国・日本論』を読んでもらいたいと思います。
この大きな現実から眼をそむけている人たちに、突きつけるようにして、この本を読んでもらいたいと考えています。   副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: *****************
To: gze03120@nifty.ne.jp
Sent: Tuesday, May 04, 2004 12:39 AM
Subject: 「今日のぼやき有料版」を申し込みました

 副島隆彦 様
 前略  はじめまして。****と申します。
 私は現在、小さな測量会社で働いています。この業界は昨今”ムダ”の一言でくくられて、諸悪の根源と人々に思われている土木業界に属していることになります。実際、道路上における測量作業中に、街の人々から税金の無駄遣いだ」と批判されたこともあります。

 しかし、戦後急激な都市化が進み、且つ自動車が普及した日本では、法律や都市計画がそれに追いつかなかったために、救急車や消防車が通れない狭隘道路がたくさんあります。また、都市計画道路の完工割合は低く、自動車二台が行き違うのが精一杯の道路を、裏道として使い、まるで何者かに追い立てられているかのように速度を上げて通行する車が多くなっています。こうした問題を少しでも解決するために、まだまだ必要な仕事だと自負しております。

 ただ、私の住んでいる地域では、バブル期に土地の買収が進まず、工事が保留されていた都市計画道路が、現在次々と開通し、また駅前の再開発も行われており、ニュータウンに負けない程きらびやかになって生まれ変わっています。あまりに急激な変化なので、わが目を疑うとはこのことかと感嘆しています。
 土木技術者は欧米では、生活の基盤を作り上げる仕事をしている人としてありがたがられているそうですが、日本では土木というと土建屋のイメージが先行していることは、さびしい限りで、憤慨している次第です。

 ところで、私はアメリカのアフガン攻撃の時は、同盟国の日本も続くべきだと考えていたポチ保守でした。その後、副島先生の言論に触れ、アメリカの内部事情、アメリカの狡さ、日本の属国ぶりを知り、目が覚めました。
 最初に「属国・日本論」を読みはじめたものの、本を閉じたまま、二度と見たくないという体験をし、それでも本を手にとって、まるで錆びた甲冑を着込んだままページを繰るといった数日間をすごし、やがて、その錆びた甲冑が粉々になって砕けて自由の身になったような気分になりました。

 世界の、そして日本の真実を知るための入り口に立ったばかりの人間として、その先を知りたいという思いがつのり、また、私事ですが子供も生まれることになり、親として確たる世界観をその子に提示することのできる自分になりたいと思い、申し込むことにいたしました。 副島先生のますますのご活躍をお祈り申し上げます。     草々

(2)****君へ
副島隆彦です

メールを有り難う御座います。
君の人生に、私の本がお役に立てて大変、嬉しく思います。
私は、最近は、自分の読者たちを、「学問道場」というホームページに集めて、ここから何かを始めようとしています。君も、そのうち、何年か後でもいいですから、集まりにでも顔を出してください。今は、きっと自分の人生の活路を求めて闘っておられる最中でしょう。がんばって下さい。たくさんの苦労を自力で乗り切っていってください。   副島隆彦拝

From: *****************
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Tuesday, April 27, 2004 1:46 AM
Subject: 始まりは一冊の英語の本でした。

拝啓 副島隆彦様
初めまして、現在31歳、派遣で仕事をしている****と申します。本当はもっと早くにお礼をしなくてはいけないのに、今頃になってメールを書いています。そして大変長くなってしまったことをお許しください。

私が最初に副島先生の本にであったのは『道具としての英語しくみ編』でした。その頃私は高校3年生で受験勉強まっただなかでしたが、英語がまったくわからなくなっていました。高校生活も終わりの頃、やっぱりくやしくて少しはわかりたいと思い本屋さんで探したところ、先生の本に出会ったと言うわけです。やっと知りたいことを書いてくれる人に出会った気持ちでした。

学校の先生は全部覚えろというだけで、英語というもののしくみについては全くと言っていいほど教えてくれませんでした。
でも先生の本を読むと英語というものの考え方を書いてありました。自分が求めていたものはこれだっ!!って思ってむさぼるようになんどもなんども読み返したものです。

その後先生の『道具としての英語 表現編』を読んでさらに感動したことを昨日のことのように思い出します。中学生の時【There is a park.】の一文がわからなくて先生に質問したことがあります。そうすると「暗記しなさい」と答えが返ってきました。

中学生なりにがっくりきたものです。でもその答えは先生の本の中にありました。【It is … This is… There is…】は全部【存在の文】だよって!!

そう理解できた時はものすごくうれしかったです。もちろん【There is a park. 】の意味はそれこそ丸暗記でわかっていたのですが、日本語との関係でどういう位置づけでとらえればいいのかがわかっていなかったってことがその時同時にわかりました。そしてこの本を読めば英語とはなんとか付き合っていけるとそう確信が持てたものでした。

その後旅行で海外に行ったときも周りの日本人が自分の意思を伝えられないのを尻目に堂々と自分の意思を伝えることができ、相手の人に「あなたの英語はよくわかる」と言われてやっぱり間違っていなかったと確信を持つに至りました。その時先生の本のことが頭に浮かび、ありがとうございます と心の中で言っていました。

結局、私は進学せずに社会人になりましたが、先生の本をどうしても読みたくて、先生が書かれた受験参考書を買っては読んでいたりしていました。記憶は定かではないのですが、そのころしばらくは先生の本をその頃は店頭であまり見かけなかったような気がしています。先生は本を書くのを辞められたのかな?と思っていました。

でも社会人になって数年たったある日、会社の書棚で先生の『悪の経済学』を見つけ、その時は驚きと同時にうれしさもありました。副島先生はあくまで私の英語の先生でしたので驚き、そして久しぶりに先生の本が読めるといううれしさが入り混じった感情でした。

そしてその本を読んで脳天をガーンと殴られたような気持ちになり、本当に本を投げて怒りが腹のそこからこみ上げてきたものでした。先生に対してではなく真実の内容に対して怒りが起こったということです。その後も先生の経済,政治の本を読んでいますが、あの『悪の経済学』からお話の骨格はかわっていないような気がしています。

今でも高校生活最後の時に、先生の本に出会えたことに本当に感謝をしています。学校の先生に見捨てられたと思っていたのに、先生の本に助けられたわけですから。本当にありがとうございました。

一つどうしても気にかかっていることがあります。英語の本のなかで、100語程度の基本語を説明する本を出すつもりだとおっしゃっていましたが、出版のご予定はありますでしょうか?
最後になりましたが、副島先生お体にお気をつけてがんばってください。 ****

(3) ****さまへ
副島隆彦です

メールを有り難う御座います。
あなたがお書きのとおり、日本では、学生のレポートを書く際でも、「盗作・剽窃してはならない」ということを、教師が教えません。文明の周辺属国ですから、日本の学者・知識人階級の人間の多くが、盗文、剽窃だらけで、長いこと、一千年に渡って生きてきたのです。このことの、国民文化的な劣勢をどこまで自覚して、それを公表して、それから、やり直すことができるのか、が重要です。

しかし、日本の文科系の学問の各学界は、そういう反省はしないでしょう。そういう連中なのです。だから、大きくは、国民から見向きもされないし、自分たちの論文を、読んでももらえないのだ、ということに自覚がない。これは、十分に、しっぺ返しであります。

学校教育の現場に置いても、つくづく、人間を大事にしない、というか、「個性、個性、個性を伸ばそう」と言う割には、個性的な意見なんか全然、期待していないのです。本当は、「みんなと同じように考えなさい。正解になるように考えなさい」なのでしょう。あとしばらくは、学校教育もこのままでしょう。そして、挙句は、不良の振りをする者たちの群れ、ということになります。 そして、ずる賢い、ごく少数の人間たちだけが、抜け目のないしっかりした親たちのいうことを素直に聞いて、こすっからく受験勉強をする、という世界でしょう。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: ***********************
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Sent: Monday, April 26, 2004 7:17 PM
Subject: いつもご苦労様です

****の****です。いつもご苦労様です。
 ここ、北海道の釧路は、とても寒くて、春とは思えません。一昨日の朝、雪が降りました。今日も、朝、自家用車の窓ガラスが真っ白に霜で覆われていました。連休中も、もしかしたら、雪が降るところがあるのではないかと思います。(峠は、もちろん、降るでしょう。まだ、冬タイヤをつけたままで走っている自動車も多いです。) 先日は、私のつたない文章に、副島先生から直々のお返事をいただいて、恐縮しています。ありがとうございました。6月19日の会にも、行けるものなら行きたいと思いますが、行けません。残念です。

 一つだけ、副島先生が普段、おっしゃっていることをしみじみと実感した出来事を書きます。先日、釧路のとある大学で1年間講師をしていたカナダ人の方が話してくれたお話です。「日本人は、とりあえず、みんなと同じように、目立たないようにする。西洋人は、幼い時から、Be unique.と言われて育ち、ほかの人と違うこと、オリジナリティというものをアピールするようになる。」云々の話題になったとき、その先生いわく、「日本人の学生にレポート作成(英語)の課題を出すと、どこかの本や資料から文を集めて書いてくる

たぶん、『誰のどの著作の何ページ何行目から引用』などとは書かないでしょう。
それでは、まったく、オリジナリティや自分の考えが無いので、だめなのだということや、それは、盗作・剽窃という行為であって、単位はあげられないのだということをいくら言っても教えても、日本人学生は理解しない。」やはり、そうなんですね。この程度なんですね。
日本人は。自分も、気をつけなくてはと、自戒。  それでは。

(4) ****君へ
副島隆彦です

早くにメールをいただいておりまして、有り難う御座います。
貴兄の、重掲 への投稿文は、読んでおります。
以下に書いてくれた、私宛てのメールでの小論文も、重掲 に発表なさればいいのですが、せっかくですので、今回だけは、「読者からのメールの転載」欄に発表いたします。

「コモン・ロー裁判所」に対して、「エクイティ(衡平法)裁判所」が長いことイギリスにはありました。
衡平裁判所では、実際は、イギリスの小作争議が主だったようです。領主(土地貴族)に対して、公平(衡平)を理由に、年貢の減免を求める闘いを、こちらでやったようです。
岩波文庫でも昔から翻訳が出ている ヴノグラドフの『法における常識』 (コモンセンス・イン・ロー)の意義を、日本国民向けにきちんと解説する本が無い。無いままに、日本の法学教育が、この40年間の間に、すっかりおかしくなってしまった。自分たちの法曹(ほうそう)ギルドを守るための、職業利権の防衛の為の、歪(ゆが)んだ秘儀秘伝の伝承の場に日本の法学教育をおかしくしてゆきました。

raito などについての貴兄の文章のよる探求で、いいのですが、もっと、読み手の負担にならないように、平易に、書いてください。括弧(かっこ)でくくった文があまり、文章中にはいる文章などは、いけません。才気走ったように書いても、それでは、読む方がきついのです。20歳代の人間の、書き始めの「若書き文」そのものです。何度も、自分で推敲(すいこう)して、読み訳すしてください。

日本語がもつ限界をよく自覚して、日本語のリズムと、観念の積み込み量と、読み手の理解力に合わせる努力をしてください。そうしないと、才気走るだけでは、言語(による)作品というのは成立しないのです。reasonable リーゾナブル という語( ご、コトバ)ひとつにしても、それ自体を、もっと丁寧に、きちんと扱わなければいけません。
英語辞書だけでなく、他の文献からも、きちんと引用して、きちんと日本語訳をつけて、きちんと書かなければいけません。思いつきの書き散らしは、次回から、自戒してください。

「音楽属国論」の企ても、3年前に、何人かの人が、重掲 で論じ合って、はじめようと言っていた時期があります。詳しく調べてからにしてください。

あまり説得力のない、おしゃべり口調の、卑近なたとえ話を、中途半端に織り込むのもいけません。スーパー口語体で、くだけて、世慣れてみせれば、それで読み手の共感を呼ぶだろう、というのも間違った考えです。文体(スタイル)は、やはり、全体として、統一しなければいけないのです。

古典的な作品の中から典拠して10行ぐらい引用して、それを丁寧に論じてください。あるいはここの先進生の誰が、どこどこで、このように書いている、それを明示して引用して、それに対して自分の考えをきちんと書く、という文章の書き方の基本を習得してください。  副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: ******************
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Monday, April 26, 2004 4:45 AM
Subject: 2度目のお手紙になります

拝啓
春眠暁を覚えずのこのごろ、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

私は昨年11月に会員に申し込みました****と申します。****という受験塾で講師をしております。今年の新年会にて副島先生に始めてお目にかかりました。先生の側から見てすぐ右隣にいたものです。たしか先生とは日本語における言葉の定義 definition のことあいまいさのことでお話をさせていただいたかと思います。そのときはずいぶんと生意気なことを申してしまったかと存じ上げます。勉強不足と非礼をどうかお許しください。

先生には一度簡単なメールを差し上げ、お返事をいただいたことがあります。こうしてまたメールをしたのは一度は必ず内容のある意見などを、先生の著作などを通じて得た知識をもとにくみたてて調べて重掲にかいてみたかったからです。また、塾講師という自分のしがないながらも生業としていることから教育のこと、業界、そして、通訳案内業の勉強をしていることもあり(これが実は私の当面の目標なのです)、言葉(日本語、英語)のことについて普段思っている問題点なども書いてみたかったからです。

先生の次の著作にもかかわってくると思うのですが、レイシオウ ratio に関する一連の議論の中から気づいたことを一度申し上げたかったしだいです。equity エクイティ という言葉についてです。それについて一度「重掲」のほうへ投稿しようと思っているのですが、いきなりでは失礼でもあるとおもい、その前に一度簡単な(まったくラフ、そして読みにくい)ものですが、このようなテーマで書いてみたいと思い、簡単な挨拶とともにメールをさせていただきました。以下のようなものです。

(自己作成の文章 貼り付け始め)

equilibrium(均衡) と equity=公平(衡平)法と common law(コモン・ラー、coded law, statute law) ratioとの関連性 とく鍵にならないか?

ratio レイシオウ とは比、割合のことであり分数で表される数字のことをラショナル・ナンバー=有理数 (理のある数字、とか無理やりにできない数という意味ではない) という。つまりはっきりと分数化 fractionsできることをいう。バランス=天秤棒で2対3の比で釣り合う、つりあわないという考えである。

(ここで、副島隆彦による注記。だから、rational number は、「有比数」 という日本語訳がいい、という説を、私はこれまでに何人かの人が書いているのを読んだことがあります。副島隆彦注記終わり)

 天秤棒つまりバランス (JRのイオカードやスイカカードの残額照会にも出てくる) という名前からも、人間の力によらないで、自然の状態で平行が取れる状態 = equilibriumのことである。

そしてそれを求めることこそが、コパーニカン・レボリューションからティコ=ブラーエ(火星の15年分の精密な観測記録を数学の得意な弟子ケプラーに任せた)、 ケプラー(太陽に近い惑星ほど早く回ることを証明した)、ガリレオ(エネルギーは保存される、重力は一定である)、デカルト、ニュートンにいたるサイエンスの出発点だったといっていい。(ニュートンの死んだ1727年までは厳密にはサイエンスはなかった。フィロソフィーである)

reasonable とは、バランスの両端が平衡状態になったことをいう。ものの売り買い時に、売り手買い手の両者が高いかと思うか安いかと思うかどうかはこれで決まるのである。
日本語で一般に「安い」とか「お買い得」というのを英訳すると、 at reasonable prices という。
しかし、たいていの場合は在庫処理かサービスであり、売り手の赤字である。これではequilibriumが成り立たない、つまり本当は reasonable などではないのである。

たとえば、場末のスナックなどで支払い時に値段でもめてみるといい。ほとんどは自転車操業で、定価などなく、つけや、なじみ客の貸し借り、恩や義理人情、その場の雰囲気などでなんとなく本日の支払いをきめたり、近辺の商店街の雰囲気や、店のグレード(女がいるかいないか、部屋代が高いか安いかです、結局。酒、食べ物など本当はたいした値段ではない)から,なんとかお客と折衝、というよりだましだましやりくりをしているのである。

つまり、かつての松下電器のような絶対に譲られない定価などない状態でお金のやり取りをやるのだ。するとよくわかる。日本人の場合多くは、どちらかが値段の点で完全におれるか、殴り合いか、よくてもなあなあな終わり方で、必ず、おかしなことに「双方」後味の悪い思いをするのである。絶対に最後まで「言葉のけんか」ができない。われわれは普段、こうした「もみ合い」を避けるために、お金のことを口にするのがいやなのである。

意外や意外、韓国人や中国人はこれができるのである。というより上手い。これが彼らの生活の基礎といっていい。日本人など簡単に手玉に取られてしまう。もちろんそんな店は rational でない・・・では長続きしない。 (NHKの外国語講座でも、最近は「もっと安くなりませんか」が例文として出てくるようになった。おそらく外国旅行で買い物をするお姉さん方からの事情聴取で、海外で最も役に立つ表現が「値切り」であることがようやくお堅い教育テレビでもわかったのでしょう。)

rational であるということは、この双方が reasonable、「その値段だったら割がいい」か、「まあまあ納得いくなあ」と思う値段を成立させようとする「売り手買い手の衡平(公平)感覚」のことである。これは惑星が太陽の周りを回る際の「無重量状態(equilibrium of motion)」と同じものである。

 (注) このさい「無重力」とはいわない。重力のない「場」は存在していないというセオリーからである。この場合の「場」とは field (日本では重力圏、磁場、電界=圏、場、界 などと訳されている。ちなみに物理学では電界、電気工学では電場と訳されているそうだ。そんなばかな!) のことでありであり、field theory のことである。

ブリタニカの science の項ではなんと! romantic revolt (現実世界を見ない空想人 daydream believers = 馬鹿 = の反逆 ( revolution ではないことに注目) として紹介されているが、ルネ・デカルト信奉者たち(カーティザン Cartisan) の physical world を分析的 analysis にのみとらえるのではなく、総合 synthesis によって、経験主義的に empirical とらえることの重要性を訴えることによって始まっているとある。

世界は力同士が働いている field であるととらえる。
自然界 physical world は力同士の釣り合いと不均衡に「満ちた?」空虚ではないものなのである。そうするとそのさいエネルギー保存と転換 ( transformation of energy, conservation of energy ) の法則が証明されなければならないのである (今ではこの理論に沿ってすべてが進んでいるようだ)。

エマヌエル・カントによるライプニッツ批判から生じているとあった( encyclopedia Britannicaから)。ちなみに彼ら自身は nature philosopher ( natural ではないことと、ここでもまだ science といわれていないことに注目)と自称している。

romantic の一語だけでも日本人にはばかにできない。

physical world に存在することを学問で証明してきた均衡 equilibrium を、人間社会 ( society, human world)に適応する考えが、英米には伝統的に生きている。それが equity衡平(公平)法である。

中世イギリスでは通常の民事上の争いが王の定めた common law ( coded law, statute law 制定法、成文化されている法律 )の 下で、不満が残ったほうが、直接ではないが大法官(最高裁判事の長、サー・トマス・モアがそうだったんですね)に訴え出て、衡平の観点の元で裁くというequity を期待できたそうです

(自己作成の文章 貼り付け終わり)

という感じで一気に手元に何の資料も参照せずうろおぼえで書いてみたのですが、間違えだらけです。ただこうした自然学問が西欧思想の壮大な流れにのって社会学問、法、に適応( appropriate だけどお金などの着服、充当ともいう) または連動していることを素直に(子供でもわかるように、というより子供が「あっ、そうなのか!」ときょうがくするように) 書いてみたいのです。

そうしてみたいとおもって、equal 関係の単語, equation, equilibrium, equivalent, equality, などをO.E.D、ブリタニカ(英語版です。もちろん。日本語版のいんちき翻訳、いい加減抜粋にはほとほと困らされています。) を中心に各種英英辞書(コウビルドなど)、英和(ランダムハウスとリーダーズ英和辞典)、自然科学工学辞典、英米法辞典などで調べてみたのですが、equityという言葉に出くわしました。

たしか equity swap といって物権か何かを証券化(普通株 equities )して解決してしまう法律か何かがあったと思うのでちょっと調べてみたのです。 すると、出るわ出るわ、英米法の根幹が何でできているのかがまったくわかっていなかった自分に恥じています。もともと法に度素人なので恥じることが成り立ちません。

この equity という言葉はまだぼやき、重掲でも出ていなかったかと思います。下の三つをよく参照したうえで書こうと思うのですが、4月26日午前1時現在では、277番以外みられなくなっていました。

「277」 ラチオ論を再説する。 It’s a matter of raito . 2002.3.30

「327」 『ノートン政治思想辞典』を使って justice 正義、reason 理性、rationality 合理性 等を説明する 2002.7.24

「412」 奥田論文『近代 ( a modern ) への日本の対策と副島隆彦の思想』 2003.3.9

「327」,「412」 での貴重な議論と知識を、ぜひ参考にしたいです。たしか聖と俗との分離の話がありましたが、あそこにこの equity と common law がかなりかかわっているのではないかと思っています。

すこしそれますが、先生の発音へのこだわりはとても感動的に受け止めています。発音とそれに近い表記は誰があんなカタカナにしたんだろうと思うくらい変なものばかり、先生のほうが正しいと思います。
ラーというのは o と a の間の音で、発音記号もあの o の左側が開いているやつです。ラーとローのあいだですが、かなではラーが近い。レイシオ は レイシオウのほうが英語には近いかと思います。(レイショウではないはずです)

ついでといっては恐縮なのですが、もうひとつお願いというか、私自身がこれから死ぬ思いで暴き立てていこうかと思うことがあります。音楽と音楽界のことです。ここでは特にサブカルチャーである英米とアイリッシュの(黒人、ヒスパニックなども含む) ロック、ポップス、そして日本の歌謡界のことをいっています。

先生は映画、ハリウッドのことはとても詳しくその恐ろしさ影響力は本当に驚愕でしかありません。しかし、音楽業界はそれにおとらずいやそれ以上に影響力を持っているのではないでしょうか。芸術的文化的なこと、あるいはファッションのことも大きいのですが、やはり先生に納得してもらうには数字、売り上げがいいかもしれません。

 先生の著作1500円のものが、5万部売れて、売り上げ金額で7千5百万円というのは、業界ではものすごいことです。小林よしのり氏の「戦争論」1500円が30万部、4億5千万円もすごい。500円の漫画単行本1000万部というのもある。すごい。しかし、CDsの売り上げはそれをはるかにしのぐものがあると思います。3000円のCDが、100万枚売れたら30億円です。

こんなに売れるものはまれだとはいえ、レコードの時代に、最も日本で売れたアルバムで2500円だった井上ようすいの「氷の季節」が120万枚で、やっと30億円(す、すごい)です。1975年だったと思いました。ただしこれ以外はすべて数十万枚単位だったはずです。

 アルバムよりも高いCDs がバブル以降、90年代後半になると、それまで考えられなかった爆発的な売り上げ枚数になっています。メガヒットです。いまは200万枚、300万枚もみかけます。アメリカだと単純に計算すると2倍ですが、じつはレコード時代末期にすでに700万枚から1000万枚の売り上げの高みになっていました。しかもロックでですよ。今現在の売り上げ数字になると(もっともこれにこそいろいろなからくりがあるのですが) よくわかりません。

ちなみに宇多田ヒカルのアルバムの automatic は、累計800万枚以上です。発売元は東芝EMI。つまり三井ロスチャイルドと、ビートルズという明らかにヨーロッパユダヤ系が仕組んだ、アイルランド人3人とユダヤ人(リンゴスター)1人のグループを売り出すことによって、当時世界最大のレコード会社にのしあがったEMIです。

 アメリカン・スクールに通う芸能界で、かなり人脈などを持つ母親に育てられた、ちゃんとした浪花節調子でない、英米風のポップスがうたえる娘に目をつけて、腕のよいアレンジャーをつけて(アレンジは、みーんなアメリカの音楽まったくそのままのぱくりばかりです。80年代からそうです。有名なものはたくさんあり、わたしですら簡単な証拠を挙げられます。) 売り出したのでしょうか。とかんぐりたくなります。

いずれにせよここまでお金が動くのです。 当然たくさんの人が群がっているはずです。たくさんの利権を手にしたい人が複雑に絡み合っているはずです。カラオケ、テレビ、ラジオ、コンサートありとあらゆるものを含むと想像もできません。また歌の歌詞に関しても英米のしょうもないポップスでさえ、思想の流れの中にあることが見られます。日本のはあいかわらず「さびしい、なつかしい、桜だ」ばかりです。

英米のロック系のミュージシャン人脈もアメリカをとく鍵になると思います。「アメ政」の人種の図そのとおりです。 ビートルズ=ユダヤ、アイリッシュ組。 アバ=スウェーデン人、プロテスタント同盟。 ヴァン・へイレン=オランダ移民の子、プロテスタント、ユダヤ同盟。 最初のヴォーカルのデイヴ・リー・ロスはインディアン系で、首になった後、明らかにユダヤ人顔の サミー・ヘイガ-にかわったとたん700万枚を売り上げた。アメリカで英語以外の歌詞でチャート一位になったのは2つだけ。そのうちのひとつはドイツ人の「99何とか」 という歌。プロテスタント同盟(有名です。

 もうひとつは「スキヤキ」 坂本九は子供のころから ヨーデルが好きで、この曲もその節回し、つまり浪花節でない、ジャーマン系の発声で歌っている。 永六輔にぼろくそに怒られたそうです。あの歌は「見上げてごらん」のようなおおらかに声を伸ばす歌としてつくられた)。ジューダス・プリースト(まんまやないかい )なんてバンドもある。(とてもすきだけど)。フレディー・マーキュリー、イスラエル出身。ゲイ。エアロスミス、本当はゴールドスミスかい?  あげていったらきりがありませんが、これを洗い出している日本の音楽評論家などのぞむべくもありません。これらミュージシャンの顔をみるとあっとうなずきますよ。

アメリカではビートルズのことをBritish invasionといいます。64年のアメリカ公演のすぐあと、外タレ規正法を作りました。即座に。80年代のイギリスロックブームはthe second British invasionといいます。

 日本の音楽に関していえば(いいものもたくさんありますが)他の分野以上に日本語の穴に立てこもり、洋楽のおおもとののぱくりばかりです。(たとえば記録的な売り上げをあげつづけているB’s。アクセル・ローズの日本語代理店にしか思えません。アクセルとはガンズ・アンド・ローゼズという映画「ターミネイター2」の挿入か担当のグループです。)日本でいいものは「さくら~」みたいなのや浪花節的なもの意外は必ずどこかに外国のもとがあるはずです。それ日本(語)代理店ばかりやっているような感じです。

 日本の音楽関係者が必ずやることがあります。来日したアーチストに、日本で売れ、評価されている歌手やグループを聞かせて、アメリカで売れるかどうかお伺いを立てることです。その中で昔からひとりだけすべての外タレが「いいね。英語じゃないの?だったら売れるよ」と異口同音に帰ってくるのが桑田慶介の歌だけです。それいがいはみな木で鼻をくくられたままですね。みなあけすけにもとをばらされるから絶対テレビではやりません。(たまーにありますがおもしろいですよ)

 ただし彼の歌い方はもうアメリカにばれサンタナという中米出身のラテン系ギタリストの「スーパーナチュラル」(つまりGODということがわかる日本人音楽ファンがいったいどれだけいるだろうか)でてっていてきにぱくられました。このアルバムはグラミー賞での受賞部門数が新記録だったそうです。(サンタナはインド系の宗教に凝っていて寺院も建てていたみたいですが、なんだかカトリックっぽいなあ)

いずれにせよ学問と同様、必ず日本のポップミュージックには外国のもとがあるのです。そして、こうした音楽は業界、ファッション、芸術性、金、政治に少なからず影響を与え、決して無視できる勢力ではありません。それを無視した時代のとらえ方はやはりかなり大きなものが欠落していると思います。わたしは副島先生のその部分が補えたらと日々悶々としております。(たしか「音楽も属国」というのがぼやきにありました)

長くなりました。とりあえずはこのくらいにしておきます。いずれこのようの内容で投稿していきたいとおもいます。そのときの非をどうかお許しください。 誠に恐縮ですが乱筆お許しください。ご健康にはくれぐれもお気を付けください。          敬具

(5) ****さまへ
副島隆彦です

早くにメールをいただておりまして、有り難う御座います。
私の代ゼミでの授業を一回でも聴いたことのある人だけでも3万人ぐらいはいるだろうと思います。君もそのうちの一人であり、こうして、文章で再会できましたことを嬉しく思います。
この10年間の君なりの苦労があったことでしょう。
私たちの事務所の住所は、「学問道場」のサイトに書いてありますので、そちらにご連絡ください。
私は、これまで、「精神性」とか「霊性」などというものに興味は無かったのですが、陰陽道(おんみょうどう)とか、陰陽五行(いんようごぎょう)の勉強ぐらいは、今からでもしてみようという気になりました。 この「気になる」の「気」が、元気の「気」でもあり、私たちの生活と、日本語という言語の中に、満ち溢れていることに気づきました。

それこそ「気合を入れて、元気よく」であります。26000年毎の地球の周期説については何も知りません。私は、あと20年ぐらい先のことまで、自信をもって推測できれば
それでいいかな、と思っています。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: ****************
To: Sent: Saturday, April 24, 2004 12:35 AM
Subject: 拝啓 副島隆彦先生

拝啓 副島隆彦先生・SNSI殿
拝啓、晩春の候益々御健勝の事、御悦び申し上げます。
私は、横浜市青葉区在住の****と申します。副島先生の事は、10年以上前に
代々木ゼミナールで英作文の授業を受講させて頂いてから、存じ上げております。

それから今日に至る迄、私は人生で色々悩み、苦しみ、政治経済から精神世界に至るまで沢山の著作を読みましたが、その殆どが自分にとって役に立ちませんでした。一方で副島先生は、97年頃から”属国日本論”を時代に先駆けて提唱され、今では、日米間の政治経済評論において主導的な役割をされ、先生のゼミの受講生の一人として大変喜ばしく思います。最近、特に関心のあるトピックが2つございますので、報告させて頂きます。

1つは、もののカタチ・デザインの重要性ということです。福岡市西区在住で、3年前に米国で環境工学の博士号をとったという方がいらっしゃいまして、この方は、「もののカタチ・デザインが人間の禍福を左右し、ひいては周囲の環境迄影響を及ぼすのだ」 と提唱しておられます。 私は5年以上前に御縁を頂き、今でも個人的に大変厄介になっております。

この方に副島先生の御著作を6冊差し上げ、どれも大変喜んで頂きました。最初に差し上げたのが”金融鎖国”ですが、私が東京・渋谷の旭屋書店で始めて見た時、「このデザインはいけてる・・・。これなら自信を持って人様に薦められる!」と思い、早速その方に進呈しました。 その方は、”金融鎖国”の裏表紙にある副島先生の写真を御覧になって、「霊性が高い人だね、ちょっと扁桃腺の辺りが弱いみたいだけど」とおっしゃり、表紙のデザインを御覧になって「おお、(周囲の環境を良くする)パワーが出とる!」と大変喜んでいらっしゃいました。

それからというもの、私が副島先生の著作を進呈させて頂くと、大変喜んで下さります (最近副島先生が上梓された”やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる” も大変喜んで下さりました)。 副島先生に、その方が上梓された著作を進呈させて頂きたいと思います。差支えが無ければ、副島先生の御事務所の御住所を教えて頂きたいと存じます。

もう1つは、”2012年12月23日”という日付です。これについては、今多くの著作、又インターネットでもある程度調べる事が出来ますが、一言で言いますと、約26,000年周期に地球に起こる、全地球規模での環境変動です。これについても対処法を個人的に研究している、といった感じです。色々書かせて頂きましたが、御多忙の所ここ迄御読み頂きありがとうございました。
****

(6) ****さまへ
副島隆彦です

早くにメールをいただていおりまして、ありがとうございます。

私は、貴兄の相場師としての才能に注目しています。貴兄から見た私の現在の「価格」を以下のように高めに設定していただいて、ありがとう。本人である私は、それほど気分はよくありません。私が書いていることはほとんどが当たっているのだけれどもねえ、相場全体は、ちっとも注目しないねえ、という感じです。 ただ、個別に私の本を読んで、それで密かに、私の説を参考にしている金融業界のプロたちがかなりいるなあ、と言う感じです。もともとそういう世界であり、それでいいのだろうと、私は達観しつつあります。

私は、あくまで彼らのうごめきを、遠くから高見の見物に徹します。
時々、君の卓見を読みたくなります。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: *****************
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Sent: Friday, April 02, 2004 3:43 AM
Subject: メイルアドレス変更のお知らせ

 会員番号****番の****です。
副島学問道場の隅っこにいる存在ですが引き続きよろしくお願いいたします。ケーブルインターネットで料金を気にせず定額で使い放題となりましたので先生のHPもじっくり読めるようになりました。

 さて、桜も咲き、何かと四月はばたばたと忙しい季節ですね。先生のぼやき楽しみに拝読しております。去年の秋頃、先生の人生道場で自動車保険を取り上げてらっしゃいました。そこでケーブルTVでさかんにCMを流しているソニー損保が気になりました。

ソニー損保にいつか事務所の車の保険を更新するときに見積もりを出してはいかがですか。東京や東京圏ではソニー損保がいいのではと私はおもっております。地上波でCMを流していない分、ソニー損保なら少しは安くなると思いますし。アメリカンホームダイレクトもケーブルでCMを流していますが。

 ところで、今年からNHKの大河で新撰組をやってますよね。あんな軽いノリで新撰組を描いていると批判はあるようですが。私は毎週欠かさず新撰組を視ています。
あの時代と今の時代が似ているんじゃないか。と直感的に感じるからです。さしずめ副島先生は新撰組局長近藤勇で、学問道場は試衛館道場てところでしょうか。近藤勇が桂小五郎と面識があったのは事実でしょうが、黒船を見たり、佐久間象山や勝海舟らと一緒に話したとは思えませんが。属国論の先生の感想をお聞かせください。

先生が尊敬する政治評論家の森田実氏は地上波を追われたみたいですね。地上波で森田実氏の顔を見なくなりました。今は、日経CNBCや朝日ニュースターでがんばってらっしゃいますよ。森田実氏は相当今の日本に危機感をもたれているみたいです。

小泉がロシアのプーチンやイタリアのベルルスコーニのように地上波TVのプロデューサーたちに圧力を掛け言論弾圧を加えている、民主党は巨大キー局に放送法違反だ。
我々を出さないのはおかしいと抗議せよ、民主党の同志たちよ。とさかんに民主党の党首管直人と小沢一郎に檄をかけているそうです。

それと森田先生の言説で面白かったのはアメリカ大統領が代わると2から3ヶ月後に日本の首相も代わるとおっしゃてました。森田実老師のスタッフはアメリカの民主党系のどこから最新情報を仕入れているのでしょうか。

それに民主党の管直人は、週刊朝日の記事のよると、クリントン夫妻来日の折、アメリカ大使館のレセプションに秘かに呼ばれ、ヒラリークリントンと話をしたそうです。先生の察しの通りですよ。

 そして、私は「首相動静」に、田原総一朗と小泉が電通の会長成田豊と共に会食をしたことが載ってました。先月の15日頃のはずです。どうやら毎月一回、田原と小泉は昼食を共にしているようです。内閣官房の発表ですから鵜呑みにはできませんが。田原の正体を私はこれで見破りました。彼はただの小泉の犬だと。これは先生にとって大事な情報だと思いお知らせします。先生は人間関係の基本は世話をした・世話になったとか飯をおごった・おごってもらったが政治家のみならず大事だぞとぼやきでおっしゃっていたのを思い出します。

田原よ、お前はジャーナリストではないのか。いつからタレント・有名人気取りをしている。
権力者に阿諛追従して情報もらって偉そうな面するな。よくも、先生をブラウン管から消そうとしやっがって。お前には北斗神拳をいつかお見舞いしてやる。週刊朝日やサンデープロジェクトで何を言っても書いても無駄だ。

よくもこの前のサンデープロジェクトの「総理と語る」で小泉と下手な芝居なんか打ちやがって。
お前の離婚や不倫歴を書いた本など週間文春同様焚書ものだ。自分の娘に創価学会系の第三文明社から本など出させやがって。お前の娘は学会の信者だろ。そうじゃなきゃ池田大作万歳の出版社がお前の娘の本なんか引き受けるものか。俺の眼力を甘く見るな。週刊現代連載の『特命係長 只野仁』の愛読者だからな。お前の経絡皮孔はすべて突いた、お前はもう死んでいる。

電通のコウモリ洗脳屋ども日本一羽振りのいい貴様らよ。ナベツネとグルになって長島茂雄を殺すつもりだろう。いかりや長介のように。お前たちの極悪非道な行いの責任はいずれとってもらうからな。テロが一番貴様らとアメリカ大使館にふさわしい。

あのバベルの塔のようなニューヨークの旧WTCビルのような汐留ビルをふっ飛ばしたらどんなにいい気分だろう。もう君達は自分の会社以外日本中のすべての有名人や会社・個人をネタにこき使ってボロ儲けしてきたではないか。もういいでしょうそろそろ自分達をネタにして、殉職しても。

先生、これからはケーブルいやスカパーで言論戦をやったほうがいいです。いつか先生は地上波から追われ森田老師同様になると思います。ブルームバーグや日経CNBCに出られたらいいですね。将来ゆくゆくは英語版のホームページを創る必要性がでてくるでしょう。英語でアメリカ帝国いやユダヤ帝国と戦う日が来るからです。英語圏の人たちを味方にしてロックフェラー帝国を包囲しようじゃありませんか。

 最後にイスラエルのシャロンは、ハマスのカリスマ:ヤシン師をミサイルで暗殺しました。イスラエルの民衆は憐れだ。シャロンの為にさらなるテロ攻撃に遭うのだから。アメリカとイスラエルだけが、世界を敵にして孤立するのだ。バカの壁である。ブッシュ同様戦争利権にどっぷりと浸ったシャロンは自分の汚職スキャンダルの矛先をかわす為にやったんですね。

スペインの政権交代にびびったんでしょう。ブッシュにお伺いを立てずにやったようです。ブッシュ同様地獄に落ちろ。自分を暗殺する大義名分をハマスに与えてしまった。彼はお終いだ。もともとイスラエルは侵略国家ではないか。お前なんか、殺されて当然だ。アラブから見れば。暗殺もテロも一緒だ。

イスラエルに頼めばアメリカは聞いてくれる、世界帝国はどっち?ネオコンのリチャード・パールが真っ青になってスペインのサパテロ政権が出来たのは悪夢だ。と、ざまあみろ、ネオコンども。お前たちのような外道のせいでどれだけまともなユダヤ人が迷惑しているか、考えたこと有るのか。

こんなことに比べれば日経の独裁者、鶴田卓彦相談役が赤坂への愛人に会社の金をつぎ込んでいたこと=商法の特別背任が週刊朝日に暴露されて日経から追われたことなど。砂粒のようにちっぽけなことだ。
日経よ、お前はもう死んでいる。

これからはケーブルです、いやスカパーです。地上波TVはもう憲法や議会・年金・金利同様死に絶えていますから。先生の御武運をお祈りしています。事務所のスタッフの皆様、田原が小泉と飯食っていると先生に伝えておいてください。ながながと駄文を連ねましたことをお詫び申し上げます。では。
****

(7) ****さまへ
副島隆彦です

自己紹介のメールを有り難う御座います。
貴兄が、技術士の試験をお受けになっていると知って、それでは、私たちがお世話になっている森田裕之翁の技術士協同組合(東大系の、威張り腐った技術士業界のボスたちと闘っている人たち)を、そのうち私からご紹介します。

まずは、ご自分の足元をしっかり鍛えてください。
理科系の人は、ふうつ金融博打(ばくち)などは、しないものだとばかり私は勝手に偏見をもっていますので、貴兄が、「趣味は、株式投資です」と書いてくると、「ああ、損をするだろうなあ」と、まず思ってしまいます。
本当に自分に向いていることは何か、本当に自分が死ぬほど好きなことは何かを、よく考えてみるということも大切だと思います。人間の適正は、本人の主観だけでは分かりませんので、親類、縁者、友人をふくめて、まわりの人たちに、改めてご相談なさったらいかかでしょうか。   副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: ********************
To:GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Thursday, April 29, 2004 8:12 PM
Subject: RE: 2004年分ぼやき会費(新規申し込み)

副島先生、
昨日は朝一番で返信を頂きありがとうございます。
お昼過ぎには奥村さんからパスワードも受け取りました。
以前から「重掲」には「泰讃」のハンドルネームで投稿させて頂いておりました。
3月11日の「重掲」[3504] にて簡単な自己紹介を致しました。

本業は企業に勤務する技術士補(電気電子部門)です。
技術士になるべく毎年の様に技術士第二次試験を受けていますが、私にはまだまだハードルが高い様です。副業は大学通信教育部で法律学を学ぶ学生です。
毎週月曜日7時限は民法1部、水曜日7時限は法律学演習(民法)をスクーリング(面接授業)で受講しています。

趣味は株式投資です。昨年11月のある日には100万円近くの追証を発生させ、その後連日のストップ安を経験しました。それが、4月22日の「重掲」[3606]の文末に書かせて頂いた「これ(借り受け...現物売りされ、値下がりした時点で買い戻し、返却すること)と同じ手法が昨秋、日本の株式市場のある銘柄で行われていたらしい現実に、国際金融資本の怖さを身に沁みて感じています。」ということの根拠です。副島先生の情報網で、銘柄と概要を調べ上げるのは容易だと思いますから、これ以上は書くのを遠慮させて頂きます。

7月10日の講演会対象者を「不特定多数」ではなく「特定多数」とすることを知り、慌てて新規申し込みした次第です。講演会で副島先生にお会いできることを楽しみにしています。
その後の本来の学問道場の主旨に戻ろうとしている計画の内容にも大変期待しております。

今の私には副島先生の思いは理解不可能ですが、学問道場での研鑽を通して色々な知識を吸収し、知識を見識、胆識まで高め、副島先生の意思の根本にある動機、効果意思を理解できるようになりたいと思っています。場末ではなく場外でも結構ですから、弟子の末席に加えて頂き、ご指導をお願いしたいと思っています。  ****拝

(8) ****さまへ
副島隆彦です

メールを有り難う御座います。
今頃になって、お返事を差し上げます。いろいろとやることがありまして、それで、ずるずると日が延びて行きます。自分のやるべきことを、ひとつづづ淡々とやっておれば、それでいいのだ、と思えるほどの達観がありません。

あれもこれもと思いながら、時間が過ぎてゆきます。大阪での講演会からさえもう一ヶ月が立ちました。あの会場で初めてお会いしました皆様は、関西地区の私どもの会員の皆様が半分以上でしたので、始めから打ち解けた感じがありました。
期待に添えるようにこれからも弟子たちと精進いたします。
今後とも「副島隆彦の学問道場」を宜しくお願い申し上げます。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: *****************
To: “副島隆彦” GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Tuesday, March 30, 2004 11:17 PM
Subject: 3/30大阪での講演会のお礼

副島隆彦様へ
本日、3/30大阪での講演会に出席した****と申します。
講演では先生が著書で述べてきた主要な意見を効率よく聞くことができ、楽しかったです。
なにより先生のリアクションが話の流れを調整し、最後まで飽きずに集中して聞けました。
質疑応答で、私は、「預金封鎖後はどうなる予想ですか?」というわかりにくい質問をしましたが、懇切丁寧に答えて頂き、有り難う御座います。次回の講演会があれば、是非出席します。

別件ですが、今月より学問道場 今日のぼやき 会員になりましたので、先生の文章を読み勉強させてもらいます。又、先日、学問道場に注文した『やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる』が手元に到着しましたので、講演を思い出しながら読みます。最後になりますが、まことに意義ある時間を有り難う御座いました。    以上

(9) ****さまへ

副島隆彦です
早くに、メールをいただいておりまして、どうも有り難う御座います。
お返事がこんなに遅くなりましてごめんなさい。
私は、丁度、3月のこの頃には、次の本を書いておりまして、それでその後も3月の学期末と新年度の始まりで急がしかったのです。
この5月の連休にはどこにもゆかず、こうやって溜まっている自分の仕事を片付けています。

ご質問をたくさんいただきましたが、ご心配のこととは存じますが、世の中はそんなには急には変わりませんので、早合点せずに、のんびりと遅らしください。
「預金封鎖」が起きるのは、2,3年先のことでしょうし、その時に慌てる必要があるのは、「納税申告もれの資金」を何億円も旧札で溜め込んでいる資産家たちだけでありまして、一般国民には、それほどの影響はないように上手に為政者は考えて行動します。どうぞご安心ください。

それよりも、貴女の文中にありました次の一文を嬉しく思います。

  昨年イタリア人の友達が私の家に遊びに来て、本棚から「英語で思想を読む」(ちくま書房刊、1991年) を取り出し読みふけっていました。とても興味深い本であると言っていました。心理学者で図書館のような書斎を持っている人ですので、さすが良書を見つけるものだと思いました。

副島隆彦です。 このようにご報告いただきますと、あの本を私が書いて当時を思い出します。
月日のたつのは本当に早いです。
どうか、ご自分の環境のなかで、ごゆるりとお暮らしください。
一人暮らしで貧乏だと、おっしゃられるのに、もうすぐイタリアに旅行にゆかれるそうで、そういう方が貧乏なわけは無いのです。余計なことを悩ます、お金は、ある程度安全なことろに預けておきさえすれば大丈夫ですから、あとは、思う存分、幸せに生きてください。
イタリアの大きな銀行に、、スイスフラン建てか、ユーロ建てで外貨預金をなさるのが
懸命だと思います。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: *****************
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Friday, March 12, 2004 9:40 PM
Subject: 一読者から、、はじめまして。

副島隆彦様
 突然お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
私は、「預金封鎖」を今、読まさせて頂いている一読者です。失業者で独身ですので、資産の心配ではなくて、副島様のおっしゃられるハイパーインフレを恐れています。
それで、幾つかの解らない点について、ご教示頂けましたらとても幸甚に存じます。
ご多忙中のところ申し訳ありません。それにこのご本もベストセラー(現実の反映ですね)でこの様な手紙も毎日降るほど受け取られておられると察し上げますので、書きはじめつつ、申し訳なく存じますです。

副島様のご本を読んだのは、8年位前です。  ”ぼけを防ぐのに英語勉強してます、、なんていってちゃだめ。床に3回私の本を投げつけた教授先生、、” きのう飲んだキリンの紅茶のボトルには、副島様のご指摘の奇妙な英文はありませんでした、、3人称のsぬけてたんですよね。3巻すべて読みました。今もとても新鮮なご本です。なんて鋭敏な頭脳の著者だろうと思いました。

昨年イタリア人の友達が私の家に遊びに来て、本棚から「英語で思想を読む」を取り出し読みふけっていました。
とても興味深い本であると言っていました。心理学者で図書館のような書斎を持っている人ですので、さすが良書を見つけるものだと思いました。やっぱ、昭和にっぱちは、ちがうねんなどと勝手な事を言いました。昨年50になった時は、はなはだショックでした。
副島様は、海外に多くの友達をもっていらっしゃられるのですね。私は、海外文通を始めて6-7年になります。現在12名ぐらいの人と手紙のやりとりをしています。
ひろく世界を知る事は、すばらしいことですね。英国の人の英文は、全く学校で習ったのとは、違います。副島様から多くの事を教わっています。有難うございます。同じ年に卒業して、同じ日本経済のもとで暮らしてきてもほんと副島様とは、違ってなにもできない私です。

前置きがながくなりました。(英文ではだめな書き方ですね)
今朝シティバンク ( 不良債権が巨額だそうですが、ほかに知らないので) に外貨預金について問い合わせました。副島様のこのご本を読んで、手をこまねいているよりは、なにか自分で対策を講じようとしています。

今日のユーロは、TTS137.85円で、はなはだ円安なのですね。
外貨預金は、馴染みがないものの40まで働いていたので、元本割れなどのリスクについてすこし知っております。ペイオフが騒がれた時、私には、社会的に力もなく預金をやめて、引き出しました。

次に背番号など勝手につけられて、しろうとの私でも国による戒厳令下に置かれつつある事は、感じていました。背番号制を唱え出したのやゼロ金利は、もう10年以上前からですから、プラザ合意あたりから日本の破綻は、始まっていたんですね。ことごとく副島様のご指摘は、命中で凄い先見力です。多くの人が恥知らずの盗用をしていて、私も悔しく思っています。

瑞穂(みずほ)って大和国のことだから、国有そのもの。りそな ってなんですか。 resonableですか。この国は、すごくふざけてます。お笑い番組じゃなくて、お笑い国、、海外から笑われてます。

副島様のご説明によると、この7月新札交換のおりに15%の税金がかかるそうですね。国の福祉が冷たい為、老後に備えて、利息で食べていこうという国民(私もそうでした)は、節約と貯金をして、ほどなく利率が、無限大のゼロになり、その元本すら国に差し出さなければならない状況を迎えているのに、かくも社会は平穏なのは、ひとえに国民が、無知だからでしょうか。

本当に新札交換に手数料(税金)がかかるのでしょうか(副島様のご意見に異議ありませんが、あまりにも非常事態であるのにまわりは、あまりにものんきに構えているので、暴動でもないと私には、理解できません)

80年代、事務所の上司は、海外視察の名目で、贅沢な海外出張(あそび!)を繰り返していました。私には、日本人は、学問を疎んじ、いつもふざけている人々のように思えました。彼らは、私の取るに足りないミスを始終つついてすりかえていました。国民の税金を使って遊ぶ。もっと下々の勤め人には会社の金を使って遊ぶ、、になるので、互いに批判など出来ないようです。

出勤の道路で、しばしばタンカーの様な巻紙を運搬しているトラックが走っていました。未だ、まるで偽札作りまがいの紙幣を増産しているのですね。よくもここまで国が保てたものです。日本人は、金持ちで、おおむね一族に短命がなく(アメリカ銃社会のような危険は上陸していませんので)つつがない幸せな国民です。

私事で恐縮ですが、子供の時父を無くした同級生や同僚は、いませんでした。兄弟も息子もいないので、副島様のご本はとても貴重です。脱線すみません。いつも一人なもんで、つい。それで、たとえば、100万円預けると12%(2週間)で、3,628円利息がつく計算ができたのですが、愛国税とやらだと15万円紛失してしまうので、2年外貨預金を続け、しかも差損なしに持っていくのは、なかなか難しそうです。

イタリアの友達の預金に預けたほうがいいでしょうか。ペイオフ時イタリアの銀行の格付けは、とても高く 今では、この日本は、ああなっては、だめだ、、の反面教師になってしまったとか。
近々渡伊する予定ですので、円で持っていこうと思ってます。現地のレートは悪いし、手数料もかかりますが、すられても、、7月に行けば、旧札は海外では即、両替もできなくなるのでしょうか。

それにアルゼンチンのように外貨預金は、いざとなったら円転されてしまうのでしょうか。両替ショップで、外貨にかえて円安時に新札にかえるほうが、安全でしょうか。(外貨タンス預金!)しっかし、目的とか様々な条件をつけて(法律は進化?していくんですよね)円貨出来ない事態も想定されますか。

話は又それてしまいますが、イタリアって本当に魅力的な国です。副島様が書かれていらっしゃいますように、この国には、トップにお殿さんがいるので、民主主義なんてむずかしいし、めんどうに感じるんですよね。お上の言うとおり、なんて、意味のない事に酔いしれて。北朝鮮ににてます。敗戦という同じスタートでもイタリアの国としての確立ぶりは、みごとです。様々な問題は、あっても要は、しっかりと押さえていて、どこかの国の様に働かせて、税金で遊んで、それも使い果たしたら、それでも国民の金有るわいな、、とは大違い。ペイオフの説明をいくら書いても理解してもらえませんでした。政治への関心もなみなみならず、テレビ討論をみながら、泣かんばかりの嘆きようでした。私が小泉さんを茶化したらとても不思議がってました。

副島様のおっしゃられる通り、アメリカがこければ、皆世界一律恐慌に陥るので、もうどうしようもないのでしょうか。副島様の薦められる海外ファンドは、まるでどういったものか知らないために、どう対処すべきなのか表をながめるばかりです。Quadriga superfund Caymanは、確かに高利回りですが、24か25番の国内会社は、どう思われますか。(それがいいと思えばそうしろって、、おっしゃいますかも)

100万円位だとしないほうがいいでしょうか、、金地金についても考えた事もなかったので、どこでどう買えばいいのか。金持ちの老人のタンス預金を子育て或いは若者に渡すべくと言う事はわかりますが、同じくそのさほど金持ちではない子育て世代も若者も、15%手持ちの虎の子を奪われるわけで、みんながむしろまたしても弱者にしわ寄せがくるのではないでしょうか。

現に、ここに一人(私)不安に思っている貧乏人が書いています、、何億と持っている老人は、15%払っても残りが常識外の金額を未だ持ち得るわけですが、それよりも、10,000円が8,500円になるだけでも大打撃の層は、この事態をどう生き延びればいいのでしょうか。家族がいれば、希望もあるんでしょうけど。

私の考え方は、「惨めで愚か、、」です。でも、天涯孤独の身で、時に死にたくも思いますが、結局日々食いつなぐことしかできないので、つらつら大恐慌という怪物を前にして、考えを巡らすのみ。副島様のおっしゃられる様に若い世代に投資するのが、賢明で道義的です。

副島様の経済学には崇高な哲学理論が含まれているので、とても感銘をおぼえます。
同時に副島様のような百戦錬磨の方ですら、もはや道徳論で腹をくくれとしか言いようがないのかという事態に恐ろしく感じます。外貨預金などしてもデノミになれば、私1人など道端に転がるしかないのかとも思い、ここ数日不安でたまりません。もともと強気な性格ではないので。金持ち老人の不安より切実です。

副島様は、新札交換の期間はどのくらいとお考えになられますか。全国民が交換に銀行などに殺到するのでしょうか。世情はますます荒んでいくのみです。
来年は、物の値段が、急上昇するのですね。今住んでいる所は、気に入っているのですが、副島様のこのご本を読んで、自分の家に戻ろうかと考え始めています。家賃も引越し代もすべて上がるでしょうから。

頼るものがなくて、つい大それた事とは思いながら、副島様にお便りを書いてしまいました。これでも勇気をだして書いてみたんです。(ここ数日ためらってました)まとまりのない文章で申し訳ありません。よろしければもちろん急ぎませんのでお返事ください。

副島様の勇敢勇猛な戦略には、敬服致しております。日本にも人材が一人残っていたんですね。今年もこの続編を書かれるのでしょうか。私個人読みたく思っております。どうぞお体にお気をつけて、ますますのさえわたったご執筆なされますよう、お祈りいたしております。長い手紙を読んで頂きまして、ありがとうございました。  ****

(10) —– Original Message —–
From: *****************
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Sent: Friday, March 12, 2004 10:29 AM
Subject: 猿の惑星論

拝啓、会員番号****の****と申します。以下に、「猿の惑星論」を述べます。

「すなわち、日本は『猿の惑星』である」と。そして私は、『日本が猿の惑星である』ということに気づいてしまった若い猿」なのである。」

これは、副島隆彦氏の『アメリカの秘密』 p.125 メディアワークス刊 からの引用です。次に、『属国・日本論』 あとがきより p237 五月書房刊 から引用します。

「 この本の英文タイトルは、表紙に打ち込んだ、『猿の惑星に生まれて』’Born on the Planet of the Ape’ である。このタイトルを一目しただけで、欧米の知識階層の人々は全員、瞬時にして全てを理解してくれる」

引用おわり。私は、これらを読んだ時、正直のところ、「日本は『猿の惑星』である」という表現の正確な意味が掴めなかった。
この映画は民放で一度見ただけで、「全面核戦争の恐怖」を描いたとだけ解釈できた。放射能汚染による遺伝子の異常によって人類は退化して、代わりに猿が進化してしまったストーリーだと思った。

 「日本人は欧米白人(世界基準)から「猿扱い」されているのだ」ということを述べるために、副島隆彦氏が、 『猿の惑星』に例える理由がよくわからなかった。
 ピエール・ブール原作『猿の惑星』も『戦場にかける橋』も、ともに第二次世界大戦時に、東南アジアで日本軍の捕虜になった経験を基に書かれたもの。ブールはフランスの植民地マレーシアのゴム農園領主として生活していたが、太平洋戦争が勃発、イギリス軍に志願して、生活を奪った憎っき日本軍と闘った。しかし、日本軍の捕虜となり、収容所生活を経験する。その経験をうまく昇華させたのが『戦場にかける橋』である。その時の収容所生活のつらい体験を語るにはそれでは不十分で、日本兵をサルになぞらえたSF『猿の惑星』をそのはけ口として書いた。(第二次大戦中、日本兵をサルに喩えるのは欧米でごく一般的だった)と、いうことです。

(引用。今日のぼやき 「536」から )

 私は、このぼやきの「536」を読んで、初めて原作者の意図を理解した。『猿の惑星』は「もしもアジア人が世界戦争(対欧米白人戦争)に勝利したら、地球はこうなるのだ」ということを表現したものだった。

 私は1995年頃に、『戦場にかける橋』の舞台になった、タイのカンチャナブリーを旅行で訪れたことがある。そこにある 「JEATH戦争博物館」 の資料写真を見て、その時に奇異の感を持った。日本兵が白人捕虜をこき使っている光景である。白人が黒人やアジア人を奴隷としてこき使う写真を見ることがあっても、その逆を見るのは初めてであった。これは単に日本の戦争犯罪を訴える以上の何かがあるような気がした。

 以上です。「アジア人による世界支配の恐怖を描いた」というのは、向こう側(世界基準)の解釈であって、こちら側(日本人)から見ると、やっぱり「猿扱い」されているという解釈になります。  2004年3月12日  ****

****さまへ
副島隆彦です

早くにメールを戴いておりまして有り難う御座います。
ようやくlこうして、お返事いたします。
私の「日本が猿の惑星である論」を、以下のようにご自分の実体験を通して、証明して、お分かりいただいてありがとうございます。

私は、この論の提唱者であり、本の著者ですから、その立論がどのように人々の間で語られ、解釈され、局解され、拡大解釈されていっても、それらすべてを受け止めるだけの度量を持たなければならないのだ、と重い定めています。今は、まだまだ「変なことを言う(書く)やつだなあ」程度の理解しか、日本の言論界からさえされていないと判断しています。
しかし、この「日本・猿の惑星論」は、私の主著「属国・日本論」の中の重要な柱として今後も語られてゆくように、私は始めから決意しています。
そして、私のもうひとつの主著「覇権アメ」と並んで、これからも生きながらえてゆくと思います。

「タイのカンチャナブリーを旅行で訪れたことがある。そこにある 「JEATH戦争博物館」 の資料写真」での体験をお伝えいただいて有難うございます。
なにごとも理論である限り、たくさんの事実の積み上げによる証明作業によって、世の中で受け入れられ承認されてゆくのだと思います。  副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

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