「2」 読者からの自己紹介メールの転載の 2回目です。ここのコーナーはしばらく試行錯誤で行きます。

  • HOME
  • 「2」 読者からの自己紹介メールの転載の 2回目です。ここのコーナーはしばらく試行錯誤で行きます。

副島隆彦です。 今日は、2004年4月30日です。

 以下に転載する文章は、4月末に、いただいていた、さる読者からのメールです。自己紹介と、私、副島隆彦の本の読書体験を書いています。添付ファイルの文を貼り付けで載せますので、ここには、私からの返事メールは載っていません。

でれきば、次からは、ご自分の決断で、掲示板の方に、どんどん投稿文として、発表して欲しいと思います。しかし、初めての私への自己紹介メールを、私がきちんと受けとめて、お返事を差し上げるのは、学問道場の主宰者としての、私の義務であると考えます。

これまでにも、最近でも、10通ぐらい、自己紹介メールをいただいていますので、近日中に、どんどんこの欄「読者からのメールの転載」に、載せてゆきます。その際に、純然たる個人でると判断する場合は、私は、お名前と会員番号を伏字にします。

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

副島隆彦様
会員番号****の****です。

 先回、「今日のぼやき」購読会員入会時に、副島先生自らメールを下さり、その御礼のメール(自己紹介を含む)を差し上げましたが、そこに私が副島先生の本との邂逅の記述を忘れてしまい、大変な非礼をしたことを、先ずお詫び申し上げます。

 私は5年前に結婚を契機に読書人であることを辞めて、伴侶となる嫁(奥さんのこと。関西人は、家内とか奥さんと書かず、配偶者のことを、「嫁」と書くようです。副島隆彦注記) の生活習慣に慣れようと努力しておりました。

しかし、どうにも無味乾燥な生活に徐々に耐え切れなくなり、また己れの知識が只でさえ低く、中途半端に停滞している実情に我慢ができなくなり、嫁の反感を買わない程度にまた本を物色するようになりました。

 私は、読書人として日本が幕末から現代に至るまでの歴史の中で、いかなる背景 (列強国の関与) に、この国が揺さぶられて来たのかという事実を、以前から自分なりに理解したい願望がありました。

20年程前から幾多の本を紐解いてまいりましたが、事実に肉迫した内容と思える本に巡り合う機会が滅多に無く、全体像を暴いた本は皆無でした。 明治維新については、杉山伸也氏の『明治維新とイギリス商人』岩波新書(1993年刊)が事実に近いと思っておりました。

 2年前のある日、書店の書棚の隅に『属国・日本論』を偶然見つけ購入し、第3部「属国日本の近代史」を読了後、一人快哉を上げました。 この国の言論界に、世界的視野から物事を観て発言できる数少ない人が表れたことと、その人の本を次分が読むことができたことを非常に嬉しく思いました。

副島先生が説かれる「日本はアメリカの属国の一つに過ぎない。」とのお説は、大きな違和感を抱くこともなく(私は藤原肇先生の熱心な読者です)、頭に受け入れておりました。

 その後現在までに拝読させて頂いた書籍を明記いたします。
『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』
『属国日本論を超えて』
『日本の危機の本質』
『日本の秘密』
『アメリカの秘密』
『ハリウッドで政治思想を読む』
『「実物経済」の復活』
『悪賢いアメリカ 騙し返せ日本』
『天皇の伝説』
『金融鎖国 日本経済防衛論』

書籍は購入したがまだ未読のもの
『リバータリアニズム入門』
『アメリカン・ドリームの終焉』
『法律学の正体』

 また本年2月初旬に『今日のぼやき』の購読会員にさせて頂きまして、2000年2月「001」から2004年3月「542」までの4年間分の『今日のぼやき』をHPからダウンロードして、紙に印刷する作業がまだ今日に至っても完了しておりません。(「001」から「542」までで、A-4で
2千頁を超えます。)

現在は順次印刷を終えた『今日のぼやき』を年ごとにファイルし、2001年5月頃までは読了しました、それと平行して片岡鉄哉先生の『日本永久占領』と岡田英弘先生の『日本史の誕生』を併読しております。

 最近はうちの嫁から、「あんた! 今更学者にでもなるつもり、子供(2歳)の面倒見てよ!」と叱責を受けており、読書をする時間を捻出することがなかなかに容易ではありません。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここから本題に入りたいと思います。

 私は先生の『属国・日本論』を読んだ直後、更に強い衝撃を持った内容の本に出会いました。それはジョン・G・ロバーツ/グレン・デイビス(共著) 森山尚美(訳)『軍隊なき占領』講談社+α文庫 (2003年刊)です。

それを読み終わって、既に忘却の彼方にあったCFR(Council on Foreign Relations 外交問題評議会 ) という名前について、確か過去にどこかで読んだことがあるのを思い出しました。

 それは、藤原肇/馬野周二(共著) 『日本の危険』東明社(1986年刊)この本の中にCFRについて触れられていたところがあり、それは第4部「米英支配層の正体」で、馬野周二(うまのしゅうじ)先生が、偶然に米国で入手した本を翻訳、紹介した章でした。

 これはフランクリン・D・ルーズベルト合衆国大統領の女婿であった、カーチス・B・ドール退役陸軍大佐が、ルーズベルト政権(大統領を取り巻く、ロックフェラーの息のかかった連中) がいかにして、アメリカ合衆国を第二次世界大戦へ参入をさせ、当時の枢軸国であった日本に対して、アメリカ合衆国と開戦するしか選択が出来ぬように仕組んだこと。

 さらに、第二次世界大戦後に「新世界秩序」のために、ソビエト共産主義を擁護し、かつ手を貸し、世界の国々を「自由主義国」と「共産主義国」に色分けして、戦後世界のグランド・デザインをいかに構築したかについて内部告白した本です。

原題が「Warlords of Whashington」です。同書の中では、CFA(Council on Foreign Affairs)対外関係協議会として表記されております。 馬野周二先生は、この本を上梓した後に、カーチス・B・ドール元大佐のルーズベルトについて書かれた他著作とこの第4部を合せて、下記の本を出版されております。
馬野周二(翻訳・解説) 『操られたルーズベルト – 大統領に戦争を仕掛けさせた者は誰か』プレジデント社(1991年刊)。

1980年代初めに、二十歳になった私は、高校までの教育者達(日教組が幅を効かせていた時代) の影響もあり、多分に左寄りの思想でありました。 つい最近まで、立花隆などの本も読んでいました。従って、テレビなどで報道される枝葉末節な小悪に怒りを覚えるような、小市民に過ぎませんでした。

 当時の私には馬野先生は、右翼的な存在に思えてしまい、折角お会いするチャンスがあったにも拘わらず、機会を逸してしまいました。私自身は、小悪ではなく巨悪に目を向けねばならないと気が付いたのは、まだ3、4年前のことなのです。今までにどれだけ騙されてきたのか、それを想うと朝露のごとき人生の持ち時間を、何とも無駄に消費してしまったのかと、悔やまれてなりません。

 いまの若い人でこのHPに集う人々は、非常に恵まれているということに気が付いて欲しいです。自分が若い頃は、コンピューターのネット世界など有りませんでした。良書を読むためには、読書遍歴で培った自分の頭で判断するしかなく、無駄な書籍も沢山読まざる負えなかったですし、包括的な知識を導いてくれる先生がいたとしても、その人に直接会いに行かなければなりませんでした。

今のように気軽に、メールでやりとりできる時代ではありませんでした。只、何時の世も同じですが、幾ら便利な世の中になろうとも、物事の根幹を探求する人は、非常に少数に限られてしまうようです。インターネットという道具を使用して、人々が何を求めるのかと言えば、日本では利用者の8割以上はエロサイトを検索しているだけのようですから、文盲率は下がっても、識盲率が残念ながら、いまだに上昇中なのです。

 話しがだいぶ横にそれてしまいましたが、CFR(シー・エフ・アール)について是非お聞きしたいことがありますので、下記に引用します。『軍隊なき占領』の中から、CFRについて書かれた概略を引用します。

<引用開始:『軍隊なき占領』資料篇 357ページ~358ページ>

 2 外交問題評議会(Council on Foreign Relations CFR)は、トーマス・W・ラモント(ウィルソンの財務顧問でロックフェラー財団理事)などにより1921年に設立された。初代メンバーには、レイモンド・フォスディク、ジョローム・グリーン(1901~10年までハーバード大学学長秘書)などがいた。

グリーンの兄弟ロジャーもCFRの有力メンバーだった。CFRは多数の政治家、政府の助言者を輩出した。CIAの前身であるOSSのウィリアム・L・ランガー(ハーバードの歴史家)もその一人。CFRはイギリスのチャタム・ハウス(王立国際問題研究所)と近い関係を保ってきた。

複数の有力財団から支援を受けており、アメリカ外交政策とロックフェラー利権の要。一時、会員数は1725人になった〔1999年現在の会員数は3千3百余名〕クリスチャン・サイエンス・モニター紙はCFRメンバーのほぼ半数は「政府ポストないし顧問の職に招聘された」と書いた。

<引用終了>

引き続きCFRについて重要な部分について同書より引用します。

<引用開始:『軍隊なき占領』216ページ~221ページ>

 このアメリカの外交政策専門グループは、1921年の創設以来、アメリカの政策策定における最有力勢力として君臨してきた。評議会メンバーは、第一次世界大戦後にアメリカが策定した主要な外交政策のほとんどすべてに関与した。

したがって、戦後日本の「逆コース」を工作したアメリカの金権家たちが、1930年代末期に対日本石油禁輸措置(ABCD包囲網)をかくも巧妙に計画した、同じパワーエリートの首領であったとしても意外なことではない(だから日本はパールハーバー攻撃を余儀なくされたのだ、という日本人は少なくない)。

彼らはまた、広島と長崎への原爆投下を承認し、それと並行して太平洋戦争終結の和平目標と条件を練りあげた政策立案者でもあった。これらの首領は兼務する別の職務権限によって、1951年に調印された日本初のアメリカとの平和条約の立案にあたっても影響力を行使できる立場にあった。

 彼らはいったい何者なのか。彼らに共通していることとはなにか。答えとして一つ挙げられるのは、彼らが巨大多国籍企業、とりわけロックフェラー一族のスタンダード石油系列企業となんらかの関わりがあること、そして、その多くはCFRの後援者だったということである。

ロックフェラーの支配下にあったこのシンクタンクは、第二次世界大戦以前から、また、とくに戦後になってから、多数の外交政策専門家を閣僚に送りこんできた。「新世界秩序」が本格的に話題にのぼるときは、国際的再編成に向けての具体案はかならずCFRから生まれるのである。

<中略>

 戦後、アメリカの多国籍企業の対日戦略策定にあたっては、ロックフェラー・グループが原動力となってきたことは疑問の余地がない。ロックフェラー系の主要企業が外国から得ている収益は総収益に対して異例の高比率を占める。

 他のアメリカの寡占と同様、彼らは関心のある国 ― 主として天然資源を有する国、あるいは、市場を提供できる国 ― に対する政府の政策を動かすことについては強い動機をもっている。ロックフェラー・グループの場合は、国の外交政策を生みだし、その採決を確実にするためのもっとも有効な私的機関として、CFRは機能してきた。

ロックフェラー一族の内部工作に詳しかったファーディナンド・ランドバーグは書いている。 「CFRメンバーの大部分は、財界、金融界のリーダーと企業の顧問弁護士だが、随所に学者を配しており、国務省と国防総省の主たる外郭機関である。また、それらの省庁に、トップクラスの政策策定者を送り、多大の忠告を与えている。(略)

  ロックフェラー一族とCFRメンバーの多くについていえることだが、彼らの私的な利権は、組織として制度化されたアメリカの国家としての決定的に重要な利権と密接に関わっている。一方を叩けば、もう一方も叩かれる。一方が血を流せば、他方は大量に出血する。」

<中略>

 CFRは、財界・金融界のリーダー、企業の顧問弁護士、政府職員、学者、教育者、財団理事、出版業者、政治家から構成されているが、第一次世界大戦末期の設立以来、海外に利権を有する大企業の惜しみない援助を思いのままに受けてきた。

最初はモーガン一族の影響力が圧倒的であったが、1930年代末にはロックフェラー・グループが優勢を占めるようになり、以来、今日にいたるまで、一族の者とその家臣たちがCFRのもっとも気前のよい後援者および会員となってきた。

 建国のその昔から、野心的なアメリカ人は、政府を動かすにはみずから政府になってしまうのが最善の策だという自明の理を実践してきた。CFRは、いわば、金持ちとその幹部が、政治的、また、知的に有力な仲間と交際して利をはかる排他的クラブであり、この本質的性格は設立以来ずっと変わっていない。必然的に、CFRは、政府スタッフ、とりわけ、外交、防衛、経済分野のポストに登用されるための踏み台となった。

とはいえ、CFRの会員たちは伝統的に党派政治に関与することを避けており(少なくとも嘆いており)、その姿勢がCFRを持続させる源となっていることも事実である。

<引用終了>

 重複しているかもしれませんが、更に引用を続けます。

<引用開始:『軍隊なき占領』資料篇 373ページ>

  富と権力を手にしたアメリカ人の集まりであるニューヨークの外交問題評議会(CFR)は、新世界秩序の立案をする目的で第一次世界大戦直後の1921年、J・P・モルガンのパートナー、
ラモントらにより設立された。

CFRのメンバー、なかでもロックフェラー系の中枢メンバーは次々に壮大な世界秩序のビジョンを生みだしてきた。また、外交問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』(年五回刊)を発行し、今日、直面する重要問題に関し国民のコンセンサスを求めている。

CFRのパワーブローカーたちは、次いで、国民にとって何が最上の利益であるかを地域のエリートに「教育」すべく影響力を行使するのである。ほとんどマスコミに登場しないため、一般には知られていないが、CRFのメンバーはアメリカの政治と外交に重要な影響を及ぼしている。

”Imperial Brain Trust”by Shoup and Minter  によれば、1940年から73年までアメリカの対アジア政策決定者の圧倒的多数がCFRのメンバーだった。一部を挙げると、デイビット・ロックフェラー、アレン・ダレス、ジョン・F・ダレス、ハリー・F・カーン、ヘンリー・キッシンジャー、という錚々たる顔ぶれだった。

<引用終了>

 副島先生の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』から巻末の付録からも引用します。

<引用開始:『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』407ページ>

14.Foreign Affairs
『フォーリン・アフェアーズ』

  国際・外交問題の専門誌。外交官や政治学者が読むので、どうしてもリベラル派が多い。かつ「日本研究」の論文がよく載るので、日本人の知識層に読者がいる。ただし、発行元はCFR
  (アメリカ外交問題評議会)で、ここがニューヨークの金融財界人の政治ロビーの総本山であることを知る人は少ない。

<引用終了>

 前述しました藤原肇/馬野周二(共著) 『日本の危険』第4部「米英支配層の正体」のなかから、カーチス・B・ドール元大佐による前言を引用します。

<引用開始:『日本の危険』177ページ~178ページ>

 1941年12月7日のパールハーバー攻撃に至った出来事の真相を、あなた方に知らせれる機会を、私はたいへん歓迎するものです。

この攻撃は、合衆国政府の高官層の中で動いていた汎世界銀行カルテルとその代理人達によって引き起されただけでなく、待望され歓迎された。平和を愛する日米両国民の上に落ちかかったこの惨劇を回避するために、事前に十分な警告が可能であったことは、当時よくわかっていたのです。

 この同じ汎世界銀行カルテル当事者は、国際警察軍と世界統一通貨を持つ、国際連合タイプの世界統一政府による世界独裁制・…人民の解放ではなくその奴隷化のための…・を画策した。彼らは日本とアメリカの偉大な文化と伝統を貶しめ、破壊する方途を捜していたのだ。世界平和を推進するという見せかけの下に、意図的に第二次世界大戦を起した。

 その同じ国際戦争共謀者とその手先は、中国を毛沢東とその追従者に渡すために、第二次世界大戦の終了を故意に遅らせた。中国大陸にあなた方の敵を作り上げつつある間に、彼らは国際共産主義に東ヨーロッパを手渡してしまった。彼らは赤色ロシアに北朝鮮を取り込ませるために、意図的に戦争を長引かせた。そしてあなた方の咽喉部の戦略重要地を彼らに与えるべく、樺太と千島を売り渡した。

無辜の男女、子供を大量殺戮し、ベビーベッドに寝ている赤ん坊を生きながら焼いた広島と長崎への原子爆弾の投下を命令したのは、米国における対外関係協議会(CFR)と一心同体の、これらの戦争謀略者たちであった。この残忍な凶行は、ただドレスデンの虐殺によって越されるだけだ。
 日本政府が和平への公式の提案を行なった後—私は繰り返す、後—広島と長崎の破壊は命令されたことを

<引用終了>

 この質問のメールを作成している間に、副島先生が『今日のぼやき』の「543」、「544」をHPに発表されて、私の個人的な質問が一部分、氷解してしまいました。

 本当は前世紀のいつ頃かに、間違い無くにロスチャイルド財閥とロックフェラー財閥との「新世界秩序」について取引があった筈です。そのことについては、後日にしたいと思います。 私は陰謀論は好きではありませんが、過去の事実がそうであるならば、それを避けて通るわけにも行きません。 副島先生も仰っているように、歴史のなかでの政治的出来事には、裏表一体となって必ず経済的出来事が関連している筈なのです。どちらかが欠けたら、歴史的出来事にはならない筈なのです。

 第二次世界大戦が終了間際に、連合国の各国の蔵相が集まった「ブレトン・ウッズ会議」で、戦後の世界通貨貿易体制について協議し、それまでの「金本位制」から「ペーパー・マネー本位制」に完全移行することを決定。このときにIMF(国際通貨基金)と「世界銀行」が作られることになったのは、決して偶然ではなく、これは「ヤルタ会談」よりも、一部の者にとっては非常に重要だった筈である。

 今回は既に相当の紙幅をさいてしまいましたので、ここに私が「543」、「544」から、先生からインスパイヤーされて得た、ひとつの考えを述べさせていただいて、質問の代わりとしたいと思います。 もし間違っているようでしたら、ご指導下さいますようお願い申し上げます。

 アメリカ合衆国は表面上、民主的共和国を装っているが、その実は世界皇帝を戴く悪の帝国である。過去の絶対君主制国家とは異なり、今の世界皇帝はアメリカ国民や属国の首領達に対して、自分が皇帝であることを自らは公言せずに、あくまでも院政政治を貫いている。

 元々は野心的アメリカ人にすぎなかった(ジョン・D・ロックフェラー 1839-1937)が、政府を動かすには自ら政府になってしまうのが、ロックフェラー家の繁栄に最善の策として、石油財閥を足懸りに、まずアメリカ合衆国の政府の中に、彼の意図に沿った政策を策定できる者達を、大量に送りだし影の政府を構築していった(彼の頭脳明晰な下僕達が、集う場所がCFRである)。

 その後、20世紀に起きた2つの世界大戦に、アメリカ合衆国を巧妙に参戦させることにより、その戦争から得られた、莫大な経済的恩恵により、ロックフェラー一族は世界皇帝の地位を磐石なものとし、現在も見えざる世界政府として君臨している。

 第2次世界大戦以後も戦争経済を継続させる為に、ボルシェビキの連中に経済援助 (合衆国ドル紙幣の原版を供え)並びに技術援助(敗戦国ナチス・ドイツの多数の原子力に関わる科学者達を引渡し)を供与して、ソビエト・ユニオンを冷戦相手に仕立て上げ、40数年に渡り、東西の冷戦構造という演出された世界へ、世界の人々を陥れ、終わりなき緊張を煽り続けて来た。

 何千万人に及ぶ無辜の人々の屍の上に、この世界帝国は成り立っており、帝国の属国である我々も、それらの人々の屍の上に、経済的恩恵を享受しているに過ぎない現実を直視せねばなりません。

 この世界帝国はローマ帝国が奴隷経済で成り立っていたのと同じで、常に紛争や対立(イデオロギーに求心力が無くなった現在でも、民族主義、宗教対立など混迷の状況創りには、事欠かないのです。)を求めなければならないのです。従って、ソビエトが倒れた今日に至っても、世界帝国の表の顔であるアメリカ合衆国の現ブッシュ政権は、世界皇帝の意に沿うために、新たな緊張を模索しそれを創り続けているのです。

 映画『マトリックス』のなかで、現実の世界に連れてこられた主人公のネオに、モーフィアス(旧約聖書 出エジプト記に登場する、イスラエル人を率いてエジプトを出て行くリーダーのモーセのこと?)が「マトリックス」について説明する下りがあります。

 「マトリックス」とは「支配」で、「我々はこの仮想空間のなかにいる。」この台詞こそ、現実の我々が置かれた、今の立場を、如実に言い表している言葉ではないでしょうか。

****拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

このページを印刷する