シェールガス:水道の蛇口から炎がでた。

5980 投稿日:2014/05/24 21:34

まさに「水を汚したら終わりだ。」

水の健康学 藤田紘一郎著

(貼り付け開始)

いのちの水を求めて

 私はかつて三日三晩飲与食わずの状態で海上を漂流したことがある。インドネシアのアンボ
ンという街からブル島へ、インドネシア軍が使っていた陸軍上陸用舟艇を借りて渡ろうとしたの
だが、暴風雨にあって方向がわからなくなってしまったのだ。
アイスボックスにはビールやジュースがたくさん入っていたのだが、水はなかった。しかし、
そのとき欲しいものは「ただの水」だったのだ。
人間が生きていくうえで、水は絶対に欠かせない。食べ物がなくても数日から数週間は生きら
れるが、数日水をきらしたら、脱水症状を起こして死んでしまう。体内に含まれている水のうち、
体重のたった一〇パーセントが失われただけでも、人間のからだは危機的状態に陥り、二〇パーセントを失うと死亡する。
 私が遭難しだ当時、インドネシアには現在のようにミネラルウォーターのペットボトルなどは
なく、生水はとても安心して飲めるものではなかった。大部分が多量の大腸菌で汚染されていた
ため、カンに入ったビールやジュースが安全な飲みものだったのである。
 しかし、遭難時にはビールやジュースはほとんど役に立たないことがわかった。空腹状態のと
きはジュースはおいしかったのだが、ビールはだめだった。それでも水分補給のために飲んだが、
かえって 「ただの水」が欲しくなり、暴風雨で揺れる舟のなかを、飲み水を求めてよろよろとさまよったのである。
 インドネシア人の同乗者も、自分だちがもってきた水をすでに飲み尽していた。私は気分がわるくなって何度も吐いてしまったが、そうすると、余計、「ただの水」が欲しくなった。人間はギリギリの状況に置かれると、ほしいものは水だけなのだという貴重な経験であった。
 食べ物は一〇日間以上まったくとらなくても皮下脂肪などを消費しながら生きていけるが、水を一滴も飲めないと、細胞外液の濃度が高くなり、浸透圧の関係で、水分が細胞から引き出され脱水状潜となる。ちょうど塩をかけられたナメクジと同じ状態になってしまうのだ。
 人間のからだからは一日約二・五リットルの水が排泄される。尿や大便として一・五リットル、
吐く息から〇・五リットル、皮膚から蒸発している水が〇・五リットルである。
 そのため、私たちは飲み水で一リットル、食べ物に含まれている水分で一リットル、体内でタンパク質や炭水化物、脂肪などが燃えて出る水分〇・五リットルで補給しているのである。
 こうしてバランスをとっているが、健康のためには、水やお茶をもう少し飲んで、やや多めに水分を補給しておくのがいいようだ。
 軽く汗をかくような運動をした場合には、一リットルの水が失われる。真夏に激しいスポーツをすれば、なんと一〇リットルの水分を流すこともある。
 このように、私のインドネシアでの遭難は大変危険なものだったのである。人間は何もしなくても 一・五リットルの水分が失われるという。体重の二〇パーセントを失うと死亡してしまうのだがら、当時、体重七〇キロだった私は、一四リットルを失うと、つまり九日間で生命が危うかったのだ。
 インドネシアの海上では非常に蒸し暑い状況が続いていたので、もう少し遭雉が長びいていたら、私は水不足のためにいのちを失っていたかもしれない。

(貼り付け終わり)