理科系掲示板
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Loginはこちら【82】あんましウソ技術を広めるんじゃない
相田です。
私には、懐かしい味わいを感じる記事だ。でも、内容を良く読むと、脱力でげんなりしてしまう。
(引用始め)
核融合炉は日本では「次世代原発」として語られることが多いが、電力供給が止まれば反応が止まるため、従来の原子力発電に比べれば安全性は非常に高く、廃棄物も出ない。
(引用終わり)
本気でこのように思っているのなら、筆者は完全に頭がおかしい、としか言えない。そうではなく、単に勉強不足なのであろうが。
日本の核融合研究のメッカは、茨城県にある旧原研の那珂(なか)研究所である。イーター(ITER)という国際核融合実験炉を誘致する際に、実際に那珂研で核融合反応を起こしたらどうなるか、検証した。すると、D – T(デュユートロン:重水素 – トリチウム:三重水素)反応で生じた14MeV の高速中性子が、住宅街を突っ切って太平洋までバンバン到達してしまう、と、計算でわかったのだ。これではアカン、と、那珂研への誘致をやめて、六ヶ所村に切り替えた、という関係者達の逸話がある。結局イーターはフランスに行ってしまったが。私は大変セイセイしたよ。
Googleマップで、那珂研と太平洋の位置関係を調べてみれば良い。核融合炉が稼働すると、その範囲全てが、大量の高速中性子にさらされるのだ。高速中性子は電荷を持たないので、物を置いて遮蔽する術(すべ)が無い。D – T反応タイプの核融合炉が稼働すると、その周囲に、JCO臨界事故の騒ぎとは比較にならない、桁違いの中性子による被曝を巻き起こすのだ。それが核融合炉の実態だ。少し頭を使えば、誰でも気づくのだが。
そんな話は、少し前の技術者達は皆常識で知っていた。だから日本では核融合研究は廃れたのだ。Googleだろうがアマゾンだろうが、大金をいくら積んで研究しようが、自然界の摂理そのものは変えられない。素人投資家達からあぶく銭を巻き上げるための、ウソ技術として、核融合研究が吹聴されているのだ。
勝手にやって、踊っとれ。アホども。
(引用始め)
次世代技術「核融合」、欧米と日本でこんなに違う扱い
4/19(月) 11:00配信 日本経済新聞
米グーグルのほか、アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが出資するのが、次世代原発の1つの形態である核融合炉開発だ。従来型の原発に比べて安全性は非常に高く、廃棄物も出ないが、日本ではこの技術を手掛けるベンチャー企業の境遇は厳しい。欧米と違って投資家の動きが鈍いからだ。
ドーナツ形の真空容器の中に、セ氏1億度を超える超高温の重水素と放射性物質であるトリチウム(三重水素)を閉じ込め、原子をくっつけることでエネルギーを生み出す――。ここで起きているのは地球と1.5億kmも離れた太陽の内部で起こっているのと同じ反応だ。酸素がない宇宙空間で生じている反応であり、もちろん二酸化炭素(CO2)を排出しない。そんな太陽と同じ反応を地上で再現するのが核融合炉だ。
●グーグルやアマゾン創業者が出資
米グーグルのほか、アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが出資するのが、次世代原発の1つの形態でもある核融合炉開発だ。核融合炉は日本では「次世代原発」として語られることが多いが、電力供給が止まれば反応が止まるため、従来の原子力発電に比べれば安全性は非常に高く、廃棄物も出ない。
この分野の研究は、日米中韓、欧州連合(EU)、インド、ロシアの7国・地域が共同で進める国際熱核融合実験炉(ITER)が約20年前に着手した。しかし、国家間の調整が進まないことからプロジェクトの進捗が遅れている。こうした現状を横目に、盛んになっているのが民間企業の動きだ。ここ数年で欧米中心に40~50社の関連企業が生まれている。
「核融合発電に必要な機器を作ってくれないか」。欧米の核融合炉関連企業からそうした引き合いがくるのが、2019年10月に設立した京都大学発のベンチャー、京都フュージョニアリング(京都府宇治市)だ。核融合炉は、プラズマの中で核融合反応を起こす過程と、そこで発生する熱を取り出す過程から成る。京都フュージョニアは後者で利用する機器に不可欠な独自技術を持ち、共同創業者の小西哲之・京大エネルギー理工学研究所教授の研究成果がベースになっている。
グーグルが出資する米TAEテクノロジーズやゲイツが投資する米コモンウェルス・フュージョン・システムズは数億ドルレベルの資金を投資家から調達している。一方、京都フュージョニアは累計調達額が5億円程度にすぎない。調達資金の規模には2ケタの違いがある。
●「海外ではチャンスでも日本ではリスク」
背景にあるのが、重厚長大産業のベンチャーが育ちづらい日本の土壌だ。米国では電気自動車(EV)メーカーのテスラを筆頭に重厚長大産業で新しい会社が生まれているが、日本市場に目を向けると主要プレーヤーの顔ぶれはここ数十年代わり映えがしない。
「海外ではビジネスの種と捉えられても、日本ではリスクとしかみられない」と京都フュージョニアの長尾昂CEOは嘆く。実用化は「50年以降」(小西氏)とみられている核融合炉。たしかに設立数年で大きな売り上げ、利益を上げるのは難しい。それが、米国では助走期間と解釈してもらえるのに対し、日本では「なかなか収益を上げられない会社」と見られてしまう。
現状では、核融合を手掛ける多くの欧米企業は多くが最終製品メーカーであるため、技術が実用化されなければお金にならない。それに対し、京都フュージョニアはそれらのメーカーに機器を販売するBtoB(企業向け)事業を手掛けるので、実用化以前でも売り上げは立つ。それでも、日本で活動していると投資家の目は厳しいのだという。
●民間の動きが鈍い日本
これと似た現象が先行して起きているのが宇宙産業だ。米国の宇宙産業は当初、国が主導して進められていたが、近年では専門のベンチャー企業が生まれ、IT関連企業との連携も進み、民間主導へ移行した。一方、日本では宇宙航空研究開発機構(JAXA)を中心とする国主導の形態は変わらず、米スペースXのような中核企業は育っていない。日本の宇宙産業の市場規模は数千億円。米国と比べると2ケタ違う。民間の動きは鈍い。
エネルギーの分野は日々革新が進む。ただでさえハードルが高い2050年のカーボンニュートラル(炭素中立)を実現するには、イノベーションや大規模な資金は欠かせない。日本の産業界、投資家が及び腰のままでは、世界競争の中での成功はおぼつかない。
「脱炭素」に関して、日本の政府が企業の研究開発を支援するために創設した基金は、今後10年間で2兆円だ。4年間で2兆ドル(214兆円)を投じる米国や、約30年間で水素戦略だけで4700億ユーロ(約60兆円)を投じる欧州連合(EU)に、大きく水をあけられている。
もっとも、国が巨額を投じるだけではイノベーションは生まれない。国が新たな市場の立ち上がりを支援しながら、米国のように民間企業に資金が回るような土壌づくりが不可欠だ。
中山 玲子
(引用終わり)
相田英男 拝
【81】何でも書けばいい、ちゅうもんでは無かろうが
相田です。
学術会議をめぐる論考については、マイナー過ぎる団体ではあるし、創立当時の昔の話も、調べるのが大変だろう、とかも思うので、多少は変な主張でもしょうがないと、私は見ていた。しかし、先日ネットに載った下記の論考は、内容のあまりの薄さに、読みながら目眩を覚えずにはいられなかった。
いくら何でも、これは無いだろうと、私は思った。
論者は一応、名のある大学のシンクタンクに席があるようだ。が、この記事を書くために彼が読んだ学術会議に関する文献の量は、私が読んだ文献の10分の1に満たないだろう。そうでないと、下記のような情け無い内容にはならない。
(引用始め)
具体的にケリーが手掛けた仕事は、第1に、日本の科学者に各自の研究を毎月報告させ、日本の研究を常時監視し、純粋な民生技術以外は潰した。この報告に嬉々として協力したのが、学術会議会長を務めた茅誠司らの3人の科学者である。彼らは三銃士と称し、誇らしげにケリーに協力した。
(引用終わり)
相田です。茅誠司が学術会議会長だったのは、流石に論者も知っているようだ。が、茅が60年安保闘争の際の東大の総長だった有名な事実を知っているのか?小さな親切運動の提案とかも含めて。
茅誠司は東京工業大学(旧蔵前)を卒業して、東北大、北大を経て、東大の物理の先生になった。東大の生え抜きではない茅誠司が、総長になった理由は何か?当時の東大で最も大きな権力を持っていたのは、学術刷新委員会の委員長も務めた、機械工学者の兼重官九郎(かねしげかんくろう)だった。その兼重を差し置いて、外様の茅誠司が総長になった理由は、茅がケリー等のGHQ側と粘り強く交渉して、日本の科学技術の低下を最小限度に留める事に尽力したからだ。左翼ではなく、体制側(日本政府)から茅誠司は、絶大な信頼を得ていたのだ。
GHQの一部のメンバーは、モーゲンソー・プランと呼ばれる、日本から重工業産業と科学力を取り上げて、スイスのような農業国に変えてしまえ、という考えを本気で持っていた。そうならないように、ケリーと接触して説得し続けたのが、茅誠司達の本当の成果なのだ。
論者の引用箇所では“三銃士”とされているが、通常の科学史の文献では“三人組”とされる。右翼系の論考では“三銃士”と書くのかどうか、私にはわからんが。そこには茅に加えて、田宮博(生物学者)と嵯峨根遼吉(さがねりょうきち、物理学者)が入っている。嵯峨根遼吉は物理学者の長岡半太郎の末子である。嵯峨根もまた、重要人物だ。
嵯峨根は東大を卒業後に、アメリカの加速器技術の大家であるアーネスト・ローレンス(確かノーベル賞受賞者の筈)の元に留学して、最先端の実験技術を学んだ。帰国後に嵯峨根は、理研の仁科芳雄が作ったサイクロトロンの実験に尽力した。それに並行して、海軍の技術士官だった伊藤庸ニ(いとうようじ)の呼び掛けに嵯峨根は応じて、戦時中は海軍の電波兵器やレーダー開発にも、積極的に協力した。
しかし、戦時体制中に思うような研究が出来ずに、忸怩たる思いを重ねた嵯峨根は、戦後には科学者達自身がイニシアティブを取り、大型研究を積極的に推進すべきと考えた。戦前の古臭い硬直した学術体制を打破するために、嵯峨根はケリーに協力したのだ。ネイティブ並みに英語が達者な嵯峨根を、茅誠司は頼りにしていたらしい。
ところが何と、その学術会議発足時の総選挙では、嵯峨根はあえなく落選してしまう。茅誠司以外の、学術刷新委員会の多くの関係者達は、左翼学者達の人望がなかったため、落選の憂き目にあった。
あの兼重官九郎でさえも、最初の選挙では落選したのだ。次の選挙で返り咲いた兼重は、茅誠司に続いて学術会議の会長に就任し、学術会議が持っていた権力を切り離して、政府側に移す事に尽力した。茅と兼重の尽力の結果、学術会議は、政府に提言するための、強制力のない単なる暇な学者達の集団と化したのだ。以降は、共産党の学者達が集まっても、「ガス抜きのために言いたい事だけ言わせておけ、別にあいつらの話を聞く必要など全くないから」というスタンスで、政府は学術会議に対応する事が出来た。これが真相だ。
さて、学術会議で活躍する機会を奪われた嵯峨根は、再度アメリカにわたり、カリフォルニアのローレンスの研究所で研究を行っていた。が、折を見て、日本からやっ来た要人達を研究所に招待し、最先端の原子力技術をPRしていた。その要人の一人が、若き日の中曽根康弘だったのだ。嵯峨根の説明を受けた中曽根は、それからしばらくして、国会に、かの有名な原子力予算を提案する。学術会議の夢が破れた嵯峨根の執念が、日本を原子力開発に駆り立てる結果となった。
とか、色々と知って、考えると、だな、茅や嵯峨根が、GHQの走狗となって日本の共産主義化に協力した、などという考えが、大きな間違いであると容易にわかるだろう。戦後に、左翼学者達のカリスマとして君臨した、物理学者の武谷三男は、茅誠司と嵯峨根遼吉のコンビを「政府の犬」だと、蛇蝎の如く嫌っていた。武谷のエッセイの至る所に、茅と嵯峨根への文句が出てくる。
なので、私から見て下記の話は、どう考えても矛盾だらけである。
論者の勤務先は、日本でも有数の資金を持つ大学のようだが、少しは、学術会議についての蔵書を調べてみるべきではなかったのかねえ?ドローンの話だけで世の中の問題が全部片付く訳じゃないよ。
池田信夫が、デタトコショウブでブログに書いた文章を参考にするから、こんな薄っぺらい内容になるのだ。
プレジデントオンラインも、素晴らしいメディアであると、改めて認識出来た。こんなんで許されるんだ。みんな読者を舐めてるよ。
珍しい記録として、記事を残しておく。
(引用始め)
学術会議の腐敗に、科学者みんなが困っている
12/9(水) 9:16配信 プレジデントオンライン
■学術会議にかけられたGHQの呪い
今や軍事武装ドローンを持っていない軍隊は、北東アジアではモンゴル軍と自衛隊だけ。中国は言うに及ばず、韓国軍や台湾軍にすら劣後している。
この一因として、戦略環境変化を認識できず、20世紀の工業化時代の発想に多くの日本人がとらわれていることが挙げられる。その元凶になっているのが、今話題の日本学術会議である。
この学術会議は1950年の声明以来、一貫して軍事研究の禁止を訴えているのだが、実はこの組織自体が、GHQによる日本非軍事化のためにつくられたと言っても過言ではない。まるで小野田寛郎元少尉のように、失われた司令部からの命令を後生大事に、この弧状列島で守っているのだ。
経緯を説明しよう。GHQの当初の政策は、軍事的に日本を無力にしつつ、復興に必要な民生関連は残すという方針を掲げていた。
例えば、GHQは日本占領開始とほぼ同時に原子力・レーダー・航空機といった軍事研究を禁止し、軍事研究と判断した施設はすべて破壊し、組織を解体した。一時は理化学研究所ですら解体されそうになった。学術会議の創設はこの流れの中にあった。
46年1月、ハリー・C・ケリー博士が赴任してくるのである。彼は原子力などを研究する物理学者であったことからも明白なように、日本の原爆開発を筆頭とする軍事研究の調査・監視・評価・判定・解体を主任務としていた。
■純粋な民生技術以外は潰した
具体的にケリーが手掛けた仕事は、第1に、日本の科学者に各自の研究を毎月報告させ、日本の研究を常時監視し、純粋な民生技術以外は潰した。この報告に嬉々として協力したのが、学術会議会長を務めた茅誠司らの3人の科学者である。彼らは三銃士と称し、誇らしげにケリーに協力した。
第2は軍事研究施設の解体で、東大航空研究所の航空機開発用風洞の解体はその典型である。
第3は、こうして収集・分析した情報を元にした、GHQの科学政策への助言である。
そして、最後がケリーのもっとも大きな仕事となる学術体制の刷新であった。彼は着任早々の46年の春前から東京帝国大学教授であった、先の三銃士と接触し、彼らに科学者が現実の社会問題に貢献し、活動するための民主的な組織をつくるべしと促した。ケリーとこの三銃士を中核とする集団は、科学渉外連絡会を設置し、そこが準備の中核となり、47年8月、内閣臨時機関の学術体制刷新委員会が設置され、ここが学術会議の創設を提言した。
そして、49年に学術会議が創設されるのだが、この一連の流れにケリーは深く関与した。三銃士ら科学者に新組織の理念・方向・あり方を指導したほか、刷新委員会では、所属するGHQ経済科学局を代表して演説を行い、会議がそれに対する答礼の決議をわざわざ行うなど、大きな影響力を発揮した。それは学術会議の第1回選挙の開票・集計作業に立ち会っていることからも明らかである。
そして、発足から間もない50年4月に軍事研究禁止声明を出すのである。その2カ月後、朝鮮戦争が勃発し、GHQの政策は逆コースと呼ばれる、日本の再軍備へと路線を180度転換した。その意味で、学術会議の声明は、GHQによる日本の非軍事化政策の最後の象徴だったのだ。
さて、今日。いまだに学術会議は2015年の新声明でも、この方針を継承している。ケリーの命令を70年も守るという、小野田元少尉も驚愕の墨守である。
しかしながら、今やドローン、3Dプリンター、サイバーと民生技術が軍事技術を上回る時代である。そもそも軍事技術が単独で成り立ちえたのは、人類史上のまばたきのような近代の一時期だけである。
しかも学術会議の姿は、当初ケリーらが目指した、科学者が自由かつ進歩的に現実の社会問題に貢献するという理想像からかけ離れているではないか。事実、ケリーは来日するたびに学術会議の腐敗を悲しみ、嘆いていたという。この機にすべてを見直すべきだ。
部谷 直亮(ひだに・なおあき)
慶應義塾大学SFC研究所上席所員
一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構上席研究員。成蹊大学法学部政治学科卒業、拓殖大学大学院安全保障専攻博士課程(単位取得退学)。財団法人世界政経調査会 国際情勢研究所研究員等を経て現職。専門は安全保障全般。
(引用終わり)
相田英男 拝
【80】みんな、知ってて気づかないフリをしてるんだ。悪い奴らばかりだ
相田です。
今回の学術会議の件については、本題よりも、周りでコメントする論者達の対応に、私は関心を持っている。中でも、Yoh.M.という元科学史家の、右翼まがいの発言については、この掲示板でも以前に強く批判した。日本を代表する科学史家の発言として、レベルが低すぎると私は感じたのだ。
東工大の科学史の教授に中島秀人(なかじまひでと)という人物がいる。彼は東大駒場を卒業した、Yoh.M.の直接の弟子である。私は気づかなかったが、今回の問題について中島教授は、幾つかの新聞で、学術会議の成立時からの経緯を踏まえて、丁寧な説明をしていた。その内容は、広重徹の著作の記述を正しく踏まえており、非常に妥当なものだと私には思えた。中島教授の、科学史家として真っ当すぎるコメントを読むと、私にはYoh.M.への怒りが再燃するのを止められなくなった。
実の処、私はYoh.M.の発言に、何故ここまで強い怒りを覚えるのか、自分でも内心よくわからなかった。それでここしばらくの間、私は、Yoh.M.についての論考をネットを中心に調べて、じっくり考えてみた。
黒木玄(くろきげん)という、口の悪い数学者の方がいる。黒木氏は、Yoh.M.について「彼は高校レベルの微積分も理解できていない学者だ。あれでよくも、日本を代表する科学史家などと認められるものだ。あいつの書いた本を読む大学生は、貴重な時間を無駄にするだけだ」と、無茶苦茶にケナしているのを、私は知った。本を読むのが時間の無駄?、かどうかは置いとくとして、Yoh.M.の著書にある微積分の誤解については、他の幾人かの数学や物理の専門家でも、黒木氏の主張を支持する発言があった。
これらの事実を私は、しばらく、じっくりと考えた。そして、ハッと気づいた。Yoh.M.は、あっち系の、福田信之に匹敵するレベルの、行っちゃっている学者なのだ、と。業界人はその事実をよくわかっており、敢えて言わないのだ、という事実を。それに気づかない私が、苛立ちをおぼえていただけなのだ。
「ナルホドなあ」と、頭の中から、モヤモヤが一気に消えて行くのを、私は感じた。そう考えるしか、状況を説明出来ない。やはり、アメリカ留学から帰国後に、駒場で村八分にされた中山茂(なかやましげる、戦後にフルブライト奨学生として渡米し、ハーバード大学から初めてPh.D.を授与された日本人研究者。駆け出し時代のT.クーンが直接指導した最初の弟子が中山氏だった。彼のゼネラル・エクザムの面接試験では、教官の一人にあのE.ライシャワーが − 駐日大使として赴任する前の − 出席し、激しく議論したという)の方が、遥かに理があったのだ。誰もがそれをわかっていたのだ。
そうすると、Yoh.M.が駒場でこれまで指導した、多くの科学史家の弟子達は、皆、彼と同じレベルなのであろうか?という疑問が湧いてくる。しかし、中島教授の上の発言を読むと、そうとは思えない。おそらくは、Yoh.M.の弟子達も「しょうがねえなあ、でも、今更ホントの事言ってもなあ。先生の本を読んでも、どうせ誰もわかりっこないから、そのうち居なくなるまで、ほっとこうぜ」と、皆で内心は思っているのだろう。
あれ程多くの駒場卒の学者が、全員アホであったならば、恐るべきスキャンダルである。駒場の教育とは一体何なのだ、と、全国各所の進学校や有名学習塾からの、激しい抗議や殴り込みが起きてもおかしくはない。流石にそこまでは、駒場も落ちぶれてはいない、という事だろう。
しかしYoh.M.の所業にも、かなりボロが出始めていると、私には見受けられる。駒場の名誉の為にも、弟子の方々はそろそろ、真実をカミングアウトするべきではなかろうか?予備校の先生で「今でしょ」で名を馳せた、有名タレントの方は、Yoh.M.の駒場での教え子だったという。彼はYoh.M.のことを「私が知る限りで、最も頭の良い方だ」と、絶賛していた。しかし、あれが本当に駒場の優秀な先生だと、世間一般に認知されたままなら、将来の駒場の権威を著しく毀損するのではないか?、と、人ごとながら私は大変心配になる。
まあ糸川英夫のような、無茶苦茶やって大学を首になった教授も、かつてはいたから、別にYoh.M.ごときを気にする必要は、無いのかもしれないが。
気分がスッキリして、私は大変気持ちが良い。
相田英男 拝
【79】あんたら、これからどうなるか、わかって言ってるんだろうな?俺はもう知らんからな
相田です。
学術会議問題については、状況が膠着している。このまま人数不足のままで、活動を余儀なくされることになりそうだ。産経新聞系のニュースは、学術会議側に厳しいコメントを出し続けている。共産党系の左翼学者達をのさばらせるとは何事か、と、激しい剣幕である。
でも、このようなことは、これまで繰り返し起きている。以前の同じ出来事については、誰もがすっかり忘れているらしい。大学から、左翼系の学者や学生達を排除した結果、どのような事態が現出するかを、昔の事例から振り返ろう。ソフトウエア研究者の今野浩氏が書いた「工学部ヒラノ助教授の敗戦」(青土社、2012年)から、一部を引用する。
詳しい説明は省くので、実際に本を手に取ってご覧頂きたい。
(引用始め)
この後間もなく大学のあちこちで“ヒラノは民青だ”というビラが撒かれた。反共の斗士・福田副学長がリーダーシップを取る筑波大学で、民青のレッテルが貼られたら致命傷になりかねない。
またある晩、駐車場に停めておいたカローラのタイヤが、鋭利な刃物で切りつけられる事件が起こった。もしこれに気づかずに高速運転していたら、タイヤが破裂していたかもしれない。(中略)
そこでヒラノ助教授は、民青でないことを証明するため、またTCIAに守ってもらうために、学生担当教員の仕事を引き受けることに決めた。しかしこれで得たものは、“勝共連合の頭目・福田信之の手先”という、“民青”とはケタ違いの勲章だった。
学生担当教員という言葉を耳にしたとき、一般市民は何をイメージするだろうか。恐らく10人中9人は、様々な悩みを抱える学生の相談に乗り、助言や励ましを与える心優しい教員だと考えるのではないだろうか。
表向きはそのとおりである。しかし実際はどうかといえば、学生運動を阻止するために組織された特殊部隊、それが“学担”である。
国が巨費を投じて筑波大学を作った理由の一つは、文部省の意向どおりに動く大学を設立し、これを足場に全国の大学への管理体制を強めることだった。この目的を達成するには、教授会の権限を弱めた上で、学生自治会を廃止するのが手っ取り早い。(中略)
筑波大学の成り立ちを知っている教員は、このような体制を批判しようとはしなかった。それがどれほど危険なことかを熟知していたからである。(中略)
しかし、もう一方の学生の自治権剥奪は、それほど簡単ではなかった。学生は、教員と違って失うものが少ないからである。また入学の際に、左翼学生を排除するようなことは出来ない。(中略)
気に入らないからといって、自治会を完全に否定するのはいかがなものか。学生は子供ではないのだから、意見を述べることができないのでは可哀想だ。しかもその一方で、(福田副学長黙認の下に)反共思想を背景とする“原理運動”が勢力を学内で伸ばしていた。学生運動と原理運動を比べれば、その影響は後者の方が遥かに大きい。
実際、ヒラノ助教授は学生担当教員として、原理運動グループから離脱を試みてリンチにあい、発狂してしまった学生を親に引き渡すまで、三日間にわたって見張らされたことがあるが、その学生の言葉の端々に、リンチの凄まじさを垣間見て、背筋が凍る思いを経験している。
全共闘運動は納まったものの、成田空港第二期工事を巡る“三里塚闘争”がピークを迎えていた。しかし、原理のようなカルト集団に比べれば、三里塚反対運動などたかが知れている。
八十万坪もあるキャンパスの中で、十数人の学生がプラカードを掲げて「成田空港建設反対!」と叫んだところで、どれほどの実害があるというのか。ところがこの大学では、一般学生への伝染を恐れて、立て看板もデモ行進も一切禁止である。そしてこれに違反すれば、即刻停学である。
学担教員は、しばしば自分達を“学弾教員”と呼んでいた。学生を弾圧するのが任務だという意味である。したがってまともな教員は、なるべくこの仕事を割り当てられないように警戒していた。
この仕事を引き受けるのは、学生運動潰しに共鳴する右派教員と、実体を知らずにうっかり引き受けてしまったナイーブな教員、そしてこれを引き受けることによって、大学の中で生き延びようとする教員の三種類に限られた。(中略)
筑波から二十キロほど北にある「個沼青年の家」に(学担研修旅行で)移動するバスの中から、タカ派事務官による教宣活動が始まった。筑波大学にとって学生運動がいかに有害かが、移転に伴う紛争の事例を引き合いに出して、こと細かく解説された。
“一旦騒ぎが起きれば、ジャーナリズムの批判を浴びる。そうなれば、筑波大学の存立が危うくなる。また学生運動に参加することは、学生本人にとっても大きなマイナスになる。不幸な事態を避けるために、学担要員が一致協力して、学生の動きをチェックすることが必要である”、云々。
宿につくと、夕食のあと研修会が始まった。全共闘・革マル・中核派など、様々なセクトの成り立ちとその行動パターン、学内における不穏分子の名簿等が配られた。事務官と学担教員が行う一連のレクチャーは、まことに良く整理されたものだった。
(引用終わり)
左翼系の学者達の活動が目に余る、と、追放した後の大学に残る風景が、上の文章に、あからさまに描かれている。こんな大学に通って勉強したいのか?自分の息子や娘を、こんな大学に通わせたいと、世間の多くの親達は願うのであろうか?
私ならば、上のような福田副学長の大学に通うよりは、白井聡のいる大学でマルクスの講義を聞く方が、はっきりいって遥かにマシだ。究極の選択ではあるが。資本論を読んだ方が、統一協会の経典を読むより、大いに勉強になると私は思う。でも、他人の考えは定かで無い。
極端な考えの少数人物達を排除すると、中道のバランスが取れた集団になるだろう、と期待するのは、大きな間違いである。その後に出現するのは、逆方向に振り切れた思想を持つ少数派に牛耳られた世界である。現実は甘い物ではない。
相田英男 拝
【78】あんたは自然死するだろうが、科学はまだまだ生き残ると俺は思うぜ。爺さんよ、頼むから要らぬ心配をするな。
相田です。
くだんのご老人が、学術会議のコメントを追記していた。せっかくなので引用する。私のコメントは、かったるいので文中に直接書き込んだ。
(引用始め)
続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある
2020.10.13 村上陽一郎
[10月22日 追記]
いろいろと、私の目に触れないところで、私論に対して激しい批判があるとのこと。不思議でなりません。
→(相田書込み)そりゃ批判文を読まずに内容を把握していなけりゃ、不思議でならんであろう(書込み終わり)
私の論点は、極めてシンプルです。今度の出来事で「誰か、実際にご自分の研究の自由を侵害された被害者がおられますか?」この一点です。
→(相田書込み)別に研究の自由の侵害が、今回の主要問題とは、私も思わない。杉田官房副長官の悪巧みを公にせよ、と大勢が求めているのだが。あんたも相当な「論点ずらし」の使い手だわな。加藤官房長官に手ほどきを受けたか?(書込み終わり)
かつて、学術会議が政党的な力に支配されていたとき、そうでない傾向を持つ研究者は、意図的に排除される傾向にありました。私は、それを「研究の自由」の侵害とは見ていません。最初の文章でも、そう書いたつもりです。「今の論調からすれば、『学問の自由』の侵害になるのでしょうが」という意味の書き方はしましたが。それは、そのことで、その人が研究遂行上何の害も被っていなかったからです。「被害者」(あくまでも、研究遂行上の、です)はいない。だから、論理的には、抽象的な「学問の自由」論で攻めても、政府側は痛くも痒くもないのは当然です。
→(相田書込み)だから、学問の自由の侵害は、主要問題じゃないんだってば(書込み終わり)
もちろん、問題を「学問の自由」論に読み替えることで、政府の失点を稼ごうという政治的意図であるならば、それは一つの政治上のマヌーヴァ―でしょう。そして、そのマヌーヴァ―は、新聞世論の人々の同調を得る意味では成功していますが。
→(相田書込み)なんでそうやって、妙なカタカナ言葉を使いたがるかね?「マヌーヴァ―」だって。普通に「策略」と書けばそれで済むだろう。漢字を知らんのか?「マヌーヴァ―」と書けば、何やら神妙な、奥深い意味が隠れているかもしれん、とか、読者に思わせるのを期待してるのか?アホの世界よ、全く(書込み終わり)
本来、筋が通った戦いの攻め口は、今までは曖昧な形で慣行とされてきた「仕来り」を、今回は何故破ったのか、という一点でしかないはずなのです。そこは、追求してみて欲しいと思っています。
→(相田書込み)ここの部分だけは、俺も内容に同意する。それにしても、よくもここまで、持って回った、わかりにくい、思わせぶりな記述が書けるものだ。ホトホト感心する(書込み終わり)
(引用終わり)
相田です。さて、今回も短いけど、何やらようわからん思わせぶりな文章やねえ。とはいえこの爺さん、他人の書いた批判文は結構気にするみたいなので、これで頭が「カ~ッ」となって、また面白い文を書くのを期待している。
村上の弟子達の科学史家連中も、最早、村上の一連の文章を無視したままで、今回の学術会議問題に触れる事はできまい。自分達もネトウヨの片棒を担ぐことになるからだ。大変楽しみな事であるよ。
相田英男 拝
(追記)
本投稿のタイトルは、村上陽一郎が雑誌「論座」に先日書いた、「日本の科学研究が衰弱死する」という論考への当てつけである。論考の中身は私は読んでいない。が、読まずともほぼわかる内容だろう。
爺さんが見てきた「科学」とやらは、巨大な存在の中のごく一部に過ぎない。日本の科学は極めて頑強だ。爺さんが心配せずとも、「衰弱死」などする訳がない。あんたの知識は、所詮はあまりにも狭く、偏り過ぎている。妄想に浸りすぎである。
以上
【77】最早ツッコミネタと化した学術会議問題
相田です。
加藤官房長官が、遂に、排除学者達の名前が(おそらく確実に)載っているだろう、ブラックリストの存在を明言してしまいました。
「それなら見せろ、ついでに杉田氏本人から説明させろ」と、なるのは時間の問題でしょう。
みんな国会の審議内容ではなくて、次はどんな詭弁や迷(名)言い訳のセリフが、自民党から飛び出すか、というポイントに期待してるようですね。半沢直樹の歌舞伎役者達の顔芸を期待して、ドラマを見てたように。
(引用始め)
任命除外の「記録」存在 加藤官房長官、公表を拒否 学術会議問題で・参院予算委
11/5(木) 10:57配信 時事通信
参院予算委員会は5日午前、菅義偉首相と全閣僚が出席し、基本的質疑を行った。
加藤勝信官房長官は、日本学術会議会員候補6人の任命除外をめぐる杉田和博官房副長官と内閣府のやりとりが記録として保存されていると明らかにした。ただ、「人事に関する記録だ。(国会)提出は差し控える」と述べ、公表を拒否した。
立憲民主党の蓮舫代表代行への答弁。首相は、杉田氏から任命除外に関する報告を事前に受けたことに関し「事務の副長官は各省庁の人事、総合調整を担当している。本件に関わるのは当然だ」と指摘。「私が(学術会議への)懸念を伝えたことを踏まえ、(杉田副長官が)私に判断を求めた。任命権者は首相だ」と強調した。
(引用終わり)
真面目な話も、単なるネタも、この際どんどん行きます。トランプ再選危し!? の話題に埋もれるのは仕方ありません。
相田英男 拝
【76】学術会議とは「科学の体制化」に抗うための組織である
相田です。
「科学の体制化」という言葉がある。科学史家の広重徹(ひろしげてつ)が使い始めた用語だ。
日本学術会議が創設された終戦直後には、共産党を中心とする左翼勢力は、次のように語っていた。日本の戦前の国家体制は、封建的で古いものであり、科学の価値を十分に理解出来ていなかった。一方のアメリカは、進歩した民主的な国会体制であり、最先端の科学の力を引き出せていた。その科学力の差により、日本は敗北した。日本はこれからは、開かれた民主国家となり、科学を正しく普及させる事で、人々の生活は豊かで幸せなものになるだろう、と。これは武谷三男の当時の主張そのものである。
広重は武谷三男の弟子の一人だった。が、ある理由から武谷と決別する事となる。武谷達の上記の主張に対抗して唱えた広重の説が、「科学の体制化」である。日本政府は戦前の軍国主義体制の頃から、戦力増強を進める上で、科学の発展が極めて重要であると認識していた。あくまでも必要と認めた分野にだけ、ではあるが、戦前の日本は科学技術の開発を、積極的に支援していたのだ。
敗戦により、日本の科学技術体制は一旦崩壊するものの、「逆コース」以降の経済成長の過程で、最先端の科学技術が再び必要とされていた。終戦直後からしばらくの間は、石油化学合成プロセスや原子力が注目され、その後は、半導体や情報通信技術が重要分野となった。結果的に科学は、戦後日本が経済成長を遂げる際に、政府や産業界(共産主義者の広重は独占資本体と表記する)の必要性に応じて、積極的な貢献を果たして来た。そう認めざるを得ないだろう。すなわち、科学の発展は独占資本体の意向に従属するのだ、という広重の結論が「科学の体制化」である。
「科学の体制化」は、武谷等の前代の左翼科学論者達の楽観的な予想に、冷や水を浴びせる物だった。広重自身は優れた物理学者でもあり、若い頃は科学の進歩に大きな夢を抱いていた。「科学の体制化」を纏めた著作「科学の社会史」(1973年)を出版した広重は、その後は「科学の体制化」を乗り越える方策を検討する筈であった。が、その数年後に広重は、癌のため40代で亡くなった。
私の手元にある「科学の社会史」の後半には、日本学術会議が成立するまでの過程が、広重により詳細に書かれている。本の全体の内容からすると、その箇所は詳しすぎてバランスが悪い。巻末の解説を書いている吉岡斉も「学術会議の成立過程が必要以上に長い」と述べている。そのために後世の我等は、学術会議が成立する経緯を良く知る事が出来るのだが。
広重が、絶筆となった自著の後半に、学術会議の成立について、詳細に記した理由は何故だろうか?と、私はずっと考えてきた。今回の騒動を振り返りながら、私はおぼろげながらも気付いた。
広重は、学術会議という組織が、「科学の体制化」に抗う集団になる事を、期待していたのだ。
当時であっても、現実の学術会議は、広重が望むような組織ではない事は、十分に明らかだった。しかし広重には、「設立当時の学術会議が掲げた、理想に燃えた思いをもう一度皆で思い出せ」という僅かな願いが、あったのではなかろうか。私にはそう思える。
私が、村上陽一郎の論考に怒りを感じたのは、村上がそのような広重の意向を、全くかえりみない人物からだ。村上は広重の考えを十分に理解している筈だ。にもかかわらず村上は、意図的に、広重の主張を無視を続けるだけでなく、学術会議を貶める、学者とは到底思えない無内容な主張を繰り返している。その理由は、村上陽一郎とは、広重徹と、その師にあたる武谷三男の主張を封じる事で、「科学の体制化」を推し進めて恒久化する事を目的として、東大が育てた御用科学史学者の筆頭であるからだ。
私が思うに、学術会議の会長は、「我々の目的は、科学の体制化の現状に対して、政府と経済界に再考を促すことにある。もっと市民に密着して役に立つ科学を検討すべきと考える」と(声高ではなく、控えめに。そうでないと潰される)訴える事だ。学術会議に対する周囲の見方も、少しは変わるであろう。
相田英男 拝
【75】そげん八つ当たりせんでもよかとやなかと?
相田です。
アゴラで、またうるさい記事が載っている。反論ではないが、感想を書こう。今更、あなた達がごちゃごちゃ喚こうが、もはや、大きな趨勢は変えられない、と、私は思うが。日本の先端技術の殆どは、既に中国は手にしている。学術会議が「千人計画」とやらに、関係するとかしないとか、大騒ぎして決着がつく前に、民間ベースで既に、中国が欲しがる日本の先端技術は、海を渡ってしまっている。あなた達、文系右翼の方々が、全く知らない間に。
「学術会議の姿勢が中国よりだ」と、散々喚き散らすあなた方の姿は、私にはあまりにも間抜けに見える。製造現場の近くで毎日様子を眺めていると、重要技術が、一つ、また一つと、非公式なルートで向こうに渡っているのがわかるのだ。噂ベースで全く表には出てこない。ニュースにも報道されないが、技術流出は続いている。今の中国では、入手した技術を消化し、現場のものづくりレベルまで落とし込めてはいない。が、10年後には、中国の先端製造技術は日本を完全に凌駕するだろう。民生でも軍事でもだ。
もはや遅すぎる。せいぜい学術会議を叩いて、ウサばらしでもすれば良いだろう。それくらいがあなた方に出来る関の山だ。八つ当たりされる学術会議の側は、いい迷惑でしかないだろうが。
そもそも今回、日本のメーカーの社長や重役連中達は、学術会議について全くコメントしていないではないか。もう既に中国との争いでは決着が付いているのを、彼らは重々知っているからだ。日本の完全なる敗北だ。残念な事だが、これまでメーカーの技術者達を、安月給で散々こきつかって、リストラで切り捨てて来た結果なのだから、仕方がない。しかし、負けた後でも、中国との関係は永久に続く。本文のように威勢よく喚き散らしている連中から、将来は最初に、悲惨な運命を辿って行くのではないのか?少しは、自分自身の身の振り方も心配した方が良いと、私は思うのだが。
(引用始め)
慣例を破り瞞し討ちの猿芝居にしたのは学術会議だ
2020年10月30日 18:30
八幡 和郎
日本学術会議の梶田隆章会長らは29日、記者会見を開いて、「学術会議の運営に著しい制約になっている」「青天のへきれきともいうべき事態」「(政府と)未来志向の対話を行っていく上で、任命拒否問題が大きな妨げになる」といっている。
しかし、これは、まず、事実関係に反する。2014年の任命の時には、最終的には全員を任命しているが、丹念に1人1人の推薦理由をヒアリングし、2016年の定員補充のときは一部を拒否し、2017年の任命のときは定員以上の人数の推薦をさせている。
そうした経緯を通じて、政府と学術会議の間では、内閣が一定の範囲で介入することについて習慣ができあがっていたのである。
それを山極寿一前会長が政府に喧嘩を売ったのが今回の事件だ。もちろん、政府にも、推薦に先立って説明がないことなど先回りして釘を刺さなかったミスはあるが、基本的には山極氏のだまし討ちだ。このような掟破りは氏が研究するゴリラの世界でも許されまい。
また、梶田会長の理屈も学者とは思えぬ非論理的なものであり、学者らしく世間の常識に沿わぬ唯我独尊なものだ。
人事案が上部機関から拒否されて空席になって業務に支障が出たら、速やかに別の名前をもって協議するのが普通だ。理由を説明されないと「代案を持って行けない」などと言っても、「自分で考えろ」と突き返される。そして今度はそれを「気に食わない」といって横になってふて寝したら「どうぞ御勝手に」と突き放されるだけだ。
学術会議会長として抵抗するのは勝手であるが、それなら、ストライキでも全員辞任でもやればよろしい。法律を変えて組織を廃止される可能性も覚悟して戦えばいい。どうなるかは、選挙を通じて国民が決める。
いずれにせよ、学術会議が廃止されたら学問の自由がなくなるわけでもなんでもない。学者の業界団体として新学術会議のようなものを結成して、会費を集めて運営し、予算ももらわず、いまの六本木の一等地の事務局も出て、正々堂々と政治活動すればいい。
(引用終わり)
相田です。まだ右翼達に伝える事が残っているが、それは次回とする。篠田英朗が触れていた、中曽根と学術会議との「ディール」についてまだ書いていない。それほど大した内容ではないが。
相田英男 拝
【74】細かい事が気になって仕方がない
相田です。
赤旗からのスクープの引用です。
左翼の並々ならぬ執念を感じる内容です。
インテリのねちっこさを敵に回すと、容易でないことがわかります。
(引用始め)
しんぶん赤旗 電子版
2020年10月29日(木)
任命拒否正当化
菅首相発言すべて虚偽
大西元学術会議会長の資料で判明
「地方の大学が少ない」「一部の大学に偏っている」などとして日本学術会議会員の多様性に問題があるかのように言い立てた菅義偉首相のNHK番組(26日夜)での発言が、事実に反することが、大西隆元日本学術会議会長が野党に提供した資料で28日、明らかになりました。首相は同日の衆院本会議でも同じ趣旨の答弁を繰り返しました。
大西氏が提供した資料は、男女比、会員の地域分布、特定大学への集中是正の「成果」を年次ごとに示したもので、女性比率や関東以外の大学の構成比が大きく前進していることを示しています。
菅首相は日本学術会議法が定める「優れた研究又は業績がある科学者」との推薦基準を無視し、「一部の大学に偏っている」など法律にない基準を勝手に持ち出して自らの任命拒否を正当化するという法治主義破壊の姿勢を示していましたが、持ち出した“基準”をめぐる主張そのものが事実に反することが明らかになりました。
しかも菅首相と梶田隆章会長が16日に面談した際に、梶田氏から、会員構成の多様性を確保する取り組みの成果を報告したとする会員宛てメール(28日既報)が明らかになっています。菅首相はこうした事実を知ったうえで、意図的に事実と異なる虚偽の攻撃を行った疑いが強まりました。憲法23条に反し学問の自由、精神活動の自由を脅かす任命拒否について、論点をすりかえたうえ“うそ”の攻撃をしたという重大な問題です。
大西氏が提出した資料によると、男女比で1997年7月が男性99%、女性1%だったものが、2020年10月はそれぞれ62・2%、37・7%と女性の比率が上昇しています。
会員の地域分布では、97年7月に関東地方の会員の比率が68・1%、その他の地域が31・9%でしたが、20年10月では、それぞれ49・5%、50・5%になっています。
特定の大学への集中の是正では、東京大学在職者の比率が11年10月28・1%が、20年10月に16・7%に減少しています。
(引用終わり)
ちなみに、下の投稿で引用した、福田信之が登場する書籍のタイトルを間違えていました。「工学部ヒラノ助教授の敗戦」が正解です。有名な本なので間違える人は少ないと思いますが。
相田英男 拝
【73】ほんなこつやっちゃおられん
相田です。
久しぶりに福田信之の事を思い出したので、福田と学術会議のキーワードでググってみた。すると面白い記録を見つけた。自民党議員と学者達の1980年の懇談会である。学者側のメンバーに、福田信之、渡部昇一、中川八洋、という錚々たる顔触れが並ぶ。こういった学者達の提言ならば、自民党議員も大歓迎で受け入れるのだろう。
(引用始め)
第2回 政治家と学者との懇談会
日時 1980年10月22日(水)PM3:00~5:00
場所 自民党本部 リバティー3号室
議 題 「80年代の主要政策課題」
出席者
党役員
幹事長 桜内義雄
政務調査会副会長 加藤六月
総務会副会長 郡 祐一
調査局長 三塚 博
調査局次長 林 大幹
学 者
国際交流基金理事長 林健太郎
筑波大学学長 福田信之
京都産業大学教授 入江通雅
筑波大学教授 鈴木博雄
国際経済センター理事長 紅林茂夫
上智大学教授 高根正昭
慶応大学教授 中村勝範
上智大学教授 渡部昇一
筑波大学助教授 中川八洋
次 第
司 会 三塚 博 調査局長
懇談会司会 福田信之 筑波大学学長
党役員紹介
学者紹介
基調提言 入江通雅 京都産業大学教授
福田信之 筑波大学学長
懇談概要
Ⅰ.80年代は総合の時代
(1) 国際協調の重要性 (2) 国際文化交流への提言
Ⅱ.憲法問題について
(1)憲法論議は具体論で (2) 憲法制定過程を明らかにする
(3) 自衛隊合憲論の定着へ (4) 国家と国民の関係の位置づけ
Ⅲ.安全保障への提言
(1) 伊藤律 問題の本質 (2) 効果的な軍事力の向上
(3) 自衛隊合憲論の定着へ
Ⅳ.教育改革への提言(1) 教科書問題 (2)日教組対策 (3)教育制度の改革
Ⅴ.財政再建、行政改革への提言(1) 財政再建について (2) 行政改革について
Ⅵ.景気物価対策への提言
(引用終わり)
相田です。続いて、懇談概要が載っているが、全文引用するとかったるいので、注目箇所のみ抜粋する。
(引用始め)
Ⅴ.財政再建、行政改革への提言
(2) 行政改革について
行政改革の目玉として、学術会議を廃止すればよい。もともと学術会議は占領軍の指示に従ってできたもので、日本には古来、学士院というものがある。学術会議とは要するに学者の国会であって、日本国憲法からいえば、特殊職能集団の国会など存在すべきではない。政治の大事を決定するのは、国会で決めるべきであり、学者だけに選挙権を与えて学者だけの代表を選ぶというばかげた制度はこの際、やめるべきである。そうすれば、5億円は浮く。
(引用終わり)
相田です。当時は、学術会議の正員は直接選挙で選ばれていた。この内容って、今まさにネット界隈で流れている、右翼の発言そのままである。40年前から同じ話をずっとやってるんだよな。なんばしよっとやろか、ほんなこつ。
発言者は無記名だが、いかにも福田信之が話しそうな言い回しだと思える。
今回の件では、右翼も左翼も、好き勝手に言ったり書いたりしてるので、私もあまり考えずに、面白い事をどんどんあげるつもりだ。いちいち考えよったら、やっちゃおられん。
相田英男 拝