「1869」 『経済学という人類を不幸にした学問』(副島隆彦著、日本文芸社、2020年3月)が発売される 2020年3月1日

 SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2020年3月1日です。

 今回は『経済学という人類を不幸にした学問』(副島隆彦著、日本文芸社、2020年3月)をご紹介する。発売は3月7日だが、一足早くご紹介する。英語のタイトルは ” Economics is Hoax ” 「エコノミックス・イズ・ホウクス」 で、日本語に訳すと、「経済学はインチキ学問だ」となる。このことが本書を貫くテーマである。


経済学という人類を不幸にした学問

 年末のノーベル賞にも物理学賞や化学賞などと並んで、経済学賞というものがある(本当は、主催団体は、ノルウエーの銀行協会で全く別)。日本国内や世界中に何万人もの日本人経済学者がいるが、経済学賞を受賞した学者はいない。他の部門では日本人受賞者はたくさんいる。

 私たちは、経済学は立派なものだ、難しいものだ、経済学者たちは凄いのだ、と思わされている。そんなに偉い経済学者たちがたくさんいて、どうして日本の景気は良くならないのか、デフレ不況のままなのか、という疑問が出てくる。何かうまい方法を見つけられないのか、ということになる。難しい経済学の最先端の研究成果を使って、何とかならないのかということになる。医学や化学の大発見はおおいに人類の役に立っているのに。

 その答えは、「経済学ではどうにもならない」だ。『経済学という人類を不幸にした学問』はそのことをずっと書いてある。しかも驚いてしまうが、ノーベル経済学賞を受賞した、ポール・クルーグマンが自分たちの失敗を、文章にまとめて発表した。本書の第1章、第3章、第4章で、このことを隅から隅まで余すところなく紹介している。

 「ハイパー(超)グローバリゼーション(hyperglobalization)」と「中国の経済的躍進(巨大な経済成長)」を、アメリカ経済学会は、全くもって見誤り、アメリカの製造業の空洞化と大きな失業をこの30年間で(1990年から)アメリカ国内にもたらした。しかし、この見誤りは、私だけがしたのではない、とクルーグマンは「白状」している。

 クルーグマンは上の図にあるアメリカの貿易戦略では、「自由貿易を謳歌(フリー・トレイダー)」に所属する。そして、「戦略的貿易論(ストラテジック・トレイダー)」と「保護貿易主義(プロテクショニズム)」の2つを、この30年間、をあざ笑い、舌鋒鋭く非難してきた。しかし、今のアメリカの現実を前にして、「私は間違った。だけど、他のみんなも、分からなかったじゃないか」という告白文を書いている。クルーグマンから非難された経済学者たちの中には、「、お前もようやく分かったか」という態度の人と「だけどやっぱり許せない」という態度の人々がいる。そのことも本書で詳しく書かれている。

 現実が理論を追い越してしまったとき、当たり前だが理論は全く無力となる。難しい数式で着飾った数多くの論文 はごみクズの山になった。クルーグマンは次のように書いている。

“(We, American) Economists mistook our mathematical thesis for truth. We are wrong.”

 「ウイ・アメリカン・エコノミスツ・ミストゥック・アウア・マセマティカル・シーシズ・フォー
  ・トルース。 ウイ・アー・ロング」

「私たちアメリカの経済学者は、自分たちが書いてきた美しく着飾った高等数学の、難解な数式を多用した論文を、(人間世界を貫く)真理(トルース)である、と考えてきた。それは間違いであった」

 この本のもう一つのテーマは「経済学者たちは、いったい何を言ってきた人々であったのか」である。
1870年代から始まった「限界効用(げんかいこうよう)の発見」以来、ヨーロッパの大(だい)経済学者たちは、何を人類(人間)に向かって、書いて主張してきたのか、を、その体系の秘密を明らかにした。そして、実は大きくは、「彼らは同じことを書いていた。それはY(もの)=M(おカネ)ということだ」と、著者の副島隆彦は、大きな真実を発見して書いている。

 上の図のように、近代経済学(モダーン・エコノミックス)の、の6つの大原理(だいげんり)となる式は、すべて同じことを述べていることを、本書『経済学という人類を不幸にした学問』では詳しく説明している。この6つの式(公式、フォーミューラ)で、評者である私(古村)が、一番重要だ、と思ったのは、ジョン・メイナード・ケインズ が、発見した、人類の大法則である、

  「Y(Yield、イールド、国民所得)=C(Consumption、コンサンプション、消費)+    
   I(Investment、インヴェストメント、投資・研究開発・生産)」

 の本当の、秘密を暴きたてたことだ。 本書ではこの 「 Y=C+I 」 の読み解き、読み破りをしている。「だから、日本経済は成長ではなく、衰退し続けるのだ」を分かり易く説明している。

 「経済学は難しい学問」「凄い学問だ」という私たちが持たされている「幻想」を壊し、崩して、大づかみで言うと、真実はどういうことなのかを、理解できる作りに本書はなっている。

 以下にまえがき、目次、あとがきを貼り付けました。是非手に取ってお読みください。古村治彦 記

(貼り付けはじめ)

  まえがき     アメリカ理論経済学が壊われつつある    副島隆彦 

 現代アメリカの経済学者の筆頭で、ノーベル経済学賞も受賞(2008年)したポール・クルーグマン教授(67歳)が、ついに自分の誤りを全体的に認めた。  

 画期的なことである。クルーグマンの名前は日本でも知られている。金融・経済の本や雑誌を買って読む人たちなら知っている。彼が、アメリカ経済学を代表している人物だ。そのように日本の知識層と読書人の間でも認められている。  

 そのクルーグマンが「自分たち(アメリカの主流派の)経済学者たちは、大きく間違っていた」と白状した。このことでアメリカ経済学界が、大きく揺れている。 このことを露(あから)さまに書いた衝撃的な評論文で明らかとなった。それをマイケル・ハーシュという『フォーリン・ポリシー』誌の上級論説委員(オプ・エド・ページ・ライター)が書いた。  

 『フォーリン・ポリシー』誌は、アメリカの外交専門誌である『フォーリン・アフェア』誌の、弟分のような高級言論誌である。  

 2009年(リーマン・ショックのあと)、自分の誤りを認めたクルーグマンは、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌の記事で、次のように書いた。そのことを、マイケル・ハーシュは『フォーリン・ポリシー』誌(2019年10月22日号)で紹介している。     
 
  『私たち経済学者は、自分たちが素晴らしく壮麗な数式で書いた経済学の論文を、
   真実であると、自分たちで信じ込んできた』   

  “economists, as a group, mistook beauty, clad inimpressive-looking
   mathematics, for truth.”  

 このクルーグマンの文を、日本人に分かるように徹底的に意訳(いやく。パラフレイズ)して、私が訳し直すと次のようになる。   

 「私クルーグマンを含めた、アメリカ経済学者たちは、壮麗に美しく着飾った(高度で難解で高級な)数学の数式を使った多くの論文を発表してきた。それらを自分たちだけで、認め合い、そしてそれがこの世の真理であると深く信じ込んできた。

 学会(学界)でこれらの論文を厳しく検証し合って切磋琢磨(せっさたくま)してきたのだから、これは真理だ、と自分たちで信じ込んでも構わない、と思い込んできた。  

 それらの高等数学を多用した論文たちは、誰も疑うことができない、真理の体系であると、私たち理論経済学者は集団として、自分たちで勝手に信じ込んできた。  ところが、これらの高等数式(を大量に使った論文)は真理ではなかった。現実の世界で起きていることと一致していなかった。現実のこの世は高等数式で表わされるようなものではなかった。私たちは大きく間違った。私たちの経済学は、現実の前でガラガラと崩れ落ちた。  私たちは現実とぶつかって破産した 」

 と、クルーグマンは書いたのである。クルーグマンの弁明(べんめい。言い訳[わけ])は続く。それを、本書の第1章からずっと英文の原文も全文を付けて、引用する。私がそれらを翻訳し解説し、そして論評(コメント)する。

 クルーグマン教授たちアメリカ経済学者(主流派)は、高等数学を駆使して、高級な数式を大量に使った難解な論文を次々と発表した。即ち、キリスト教の高位の宗教家、司教(ビショップ)、大司教(アーチビショップ)と同じである。  

 例(たと)えば、ローマ・カトリック教会の総本山であるヴァチカンで、「上級ラテン語を書いて話せる者たちだけが、神(God、Devine デヴァイン)について語ることができる」と言うことと同じである。従って、上級ラテン語が出来ない者は、神について語ってはいけない。神について評論することや、批判の言葉を投げかけることもできない。

 お前たち、下々(しもじも)の一般の者たち(民衆、一切衆生[いっさいしゅじょう]、大衆)は、ただ、ひたすら神と私たち(神官、高僧)の前に跪(ひざまず)き、祈りの言葉(呪文)を唱え、賛美歌を歌っていさえすればいいのだ。それ以外の一切の他の余計なことをするな。神と(その代理人である)私たち高位の宗教家(大司教、大司祭)の前に、跪(ひざまづ)いて、私たち高僧を拝みなさい。それ以外のことをお前たちはしてはならない。    

 現代の(アメリカが中心の)理論(りろん)経済学は、誰も理解できないお経(きょう)である。
 
 ただひたすら、私たち(偉い経済学者)を信じよ。私たちの言うこと(書くこと)を信じよ。疑うな。どっぷりと私たちの言うことだけを信じよ。それでは盲従(もうじゅう)だ、と言わないで信じよ。信じる者は救われる。ただひたすら信じる者が、救済(きゅうさい。サルヴェーション)される。  

 疑うな。疑うな。ただひたすら私たちを信じよ。崇拝(すうはい)せよ。拝跪(はいき)せよ。  
 私たちの前に土下座(どげざ)して、(もう、こうなったら神なんかよりも)私たち高僧を拝みなさい。 である。 高度で難解で高級な数式・数学の呪文(経文)を操(あやつ)る(唱[とな]える)ことができる私たち上級ラテン語(高級数学)を話すことができるアメリカの理論経済学者の書く数学的論文を、真理(真実)だと認めよ。  

 私たち(僧侶、数学者、理論物理学者、理論経済学者)に対して疑念を抱くな。このことで議論をするな。私たちに論争を吹きかけるな。お前たち生来(せいらい)頭の悪い者は、どうせ何も考えないのだから、私たちの言うことを聞け。素直に従え。超(ちょう)高等数学を自在に取り扱って、流麗高雅(りゅうれいこうが)な論文(お経、経典)を編み出すことのできる私たちを、神聖な霊体(れいたい。聖霊、ホウリー・スピリット)だと分かって、すすんで騙(だま)されて信従(しんじゅう)せよ。  

 我らは神(真理、正義)の代理人なり。我らが吐くコトバは、神のコトバなり。我らは神なり。我らを試(ため)すな、我らを疑うな。我らアメリカ数理経済学者は偉大なり。我らは超能力(験[げん]。霊験[れいげん]あらたか)の保有者なり。我らの超(ちょう)能力は、学問の伝道という荘厳な建物(大伽藍[だいがらん])の中で唱えられ、編(あ)み出された。それ故に、キラキラと輝き、流麗(りゅうれい)、耽美(たんび)、法悦(ほうえつ。エクスタシー)なり。

 私、副島隆彦はこの本を出したあと、ようやく「経済学の終わり」という本を書く気になった。経済学の終わりは、この本が書き上がって、出版されたあと、さらに思考を積み上げてから書く。待っていてください。  

 この本が世に出て、何とかうまくいったかな、と見定めた上で、「経済学の終わり」を書き上げる。今のところは、私の頭の中にいろいろの部分と材料が散らばっているだけだ。  私がこの40年に読みためて、かき集めた学問の断片(フラグメント)を、立体的に組み立てて「経済学の終わり」本は出来上がるだろう。

                   2020年2月  副島隆彦

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『経済学という人類を不幸にした学問』 目次

まえがき アメリカ理論経済学が壊れつつある―2

第1章 クルーグマンは何を間違ったのか ハーシュ論文から解説するクルーグマン教授の反省点
世界に衝撃を与えたクルーグマン教授の白状―16
自由貿易(フリートレイド)礼賛が起こしたハイパー(超)グローバリゼーション―23
トランプ大統領をクルーグマンが誕生させた!?―29

第2章 経済学の数式はすべて「Y=M」である 理論経済学はどのようにして生まれたか
たった1行で解ける経済学の秘密―38
数式を初めて使ったアルフレッド・マーシャル―44
アーヴィング・フィッシャーの貨幣数量説―51
ケインズだけが欧米経済学の神髄である―64
ヒックスからアメリカ経済学の暴走が始まったー71
インチキ学問に成り果てた経済学―86
ケインズにマルクスを合体させた理論で中国は大成功―94
トマ・ピケティの法則もM>(大なり)Yなのである―109

第3章 アメリカ経済学者たちの迷走 “1990年コンセンサス”で有頂天になったアメリカの貿易戦略
超(ちょう)グローバリゼーションでアメリカは社会崩壊(ディストラクション)した―120
自由貿易への妄信から起きた収入格差(貧富の差)―125
トランプ政権で復活した保護貿易主義―132
米中貿易戦争の原因は2000年から始まった―136
“1990年コンセンサス”とは何か―148
ネオ・リベラル派を疑った戦略的貿易主義者たち―164
世界に蔓延するスウェット・ショップ(奴隷工場)経済―178
中国の巨大化を生んだ2000年のWTO中国加盟―189
労働市場は調整されず。スティグリッツの反省―194

第4章 人類を不幸にした経済学の正体 クルーグマンは白状した
自分の間違いを認めたクルーグマン―206
市場経済化による中国と途上国からの貿易急増―218
輸入急増で向けられた日本への欲しい怒り―224
保護貿易への舵切りで大きな社会崩壊が起きる―235

第5章 経済政策なきこれからの世界 経済学はすでに死んでいる
もう経済学では対応できない先進国経済―246
MMT理論では世界経済は生き延びられない―254
経済学者たちを裏で操る世界権力者たち―260

あとがき―275

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      あとがき   副島隆彦  

 アメリカ経済学(理論[りろん]経済学)は、本当に終わったようだ。
 大失敗をして学問(サイエンス)として滅びかかっている。まずアメリカで、そしてヨーロッパでも。それから、アメリカさま の忠実な子分をやり続けている日本の経済学者(官庁エコノミストを含む)も。

 なぜなら、現実の世界のこの30年間(1990年から)の実態経済と金融市場の予測で、この人たちは大外(はず)れ、大間違いを犯した。そして学問そのものも大失敗している。

 この本は今、経済学が学問として死につつある、ということを日本国民に知らせる本だ。
 私は「真実暴(あば)き系言論人」と、自分を呼んでいる。大きな枠組みの中の、隠されている真実だけにしか興味はない。私は金融、経済の本もずっと書いてきた。この23年間、年2冊書いてきた。だから金融、経済の本だけで50冊ぐらいになる。

 私がなぜ、この時期に『経済学という人類を不幸にした学問』という本を書いたのか。やはりそれは私が金融、経済の本を書くことで、投資家や自分の資産を増やしたい、守りたいという人たちのことを本気で思ってきたからだ。

 この実績の上に、この本ができた。私は10年間ぐらい前から、もう分かっていた。アメリカの理論(りろん)経済学という学問は死につつある、と。私は、今から12年前の、2008年9月15日に勃発したリーマン・ショックも予言(プレディクト)して当てた。それらの本は証拠で残っている。

 経済学はもう死んでいる。それでも若い人たちの一部は、大学の経済学部に行って、偉い人になりたいと思って行く。経営者になってお金儲けをして金持ちになりたいから経済学部を選んだ。でもどうせ、ほとんどはなれない。

 経済学部と法学部を出た人間は大企業が雇う。大企業は文学部を出た人間は雇わない。これは世の中のルールで決まっている。中堅企業は文学部出(で)も雇う。そうしないと人材が集まらないから。地方公務員でも上級職はそうだ。

 私の大学時代(早稲田大学法学部)の友達は、クラスで2人が三井物産に行った。1人が裁判官になって、2人ぐらいが弁護士になっている。早稲田大学の法学部はそんな感じだ。

 本当は、みんな学生時代に勉強なんかしていない。ガリ勉組(ぐみ)は、国家試験受験組(ぐみ)だけだ。授業にもろくに出ていない。期末試験だけ受けて大学を卒業した。

 だから、私たち日本人のほとんどは、実は、みんな、日本アルバイト大学、部活(ぶかつ)学科か、コンパ学科卒業だ。みんな、親の苦労が分かるから、アルバイトばっかりして、大学を卒業したのだ。

 私の同級生はあとは、銀行員か地方公務員だ。埼玉県庁上級職とか。こういうのが全国にゴロゴロいる。そして民間の大企業にゆく。大企業に入らないと、先々、自分のサラリーマン人生が不安定で、心配だからだ。だが、大企業も、今はちっとも安心できなくなった。いつ倒産するか、吸収合併されるか分からなくなった。そしてみんな停年退職した。今は年金暮らしだろう。

 東大の経済学部に行った者たちは、卒業して警察官僚になる。あるいは財務省に一応、入るけれども、すぐに防衛省に出される。財務省事務官の肩書きで、防衛省のしみったれたお金の計算係をやっている。だから亀井静香氏のような東大経済学部を出た人が、公安警察(政治警察)になる。それでもトップ(本省[ほんしょう]部長級)から上は、ほとんど東大法学部だ。

 法学部出(で)が、経済学部出(で)を押さえ付けて、日本の官僚制(かんりょうせい)のヒエラルキー(英語ならハイアラーキー。位階[いかい]の秩序)はできている。全ての学歴差別はここから始まる。

 公務員の学歴差別が一番ヒドい。わざと、優秀なよく働く高卒者たち(ノンキャリ)を、本省に集めて、自分たちの子飼(こが)いか、奴隷にしている。実は、このノンキャリたちの怒りと、憎しみは、今や、怒髪天(どはつてん)を突く、となって、官僚体制を内部から打ち壊す勢いになっている。

 財務省は東大法学部ということになっている。いまは、もう早稲田と京大と大阪大学もいることはいると思う。神戸大とかも。大蔵(財務)官僚に旧七帝大出がどれぐらい残っているか分からない。財務省は、年に22、23人、採(と)る。その22、23人で競争させて、トップ4、5人だけがエリートだ。あとは落ちこぼれだ。40代で、さっさとどこかに出されて、もういない。要らない。他の主要省庁(政策[せいさく]立案官庁。現場[げんば]の仕事はやらない)も似たような感じだ。
 
 それが現実の世の中というものだ。私は本当のことを書いて伝えたい。
 「それはお前の偏見だ。ウソだ。勝手に思い込んでいるだけだ。上級公務員(官僚)の世界はそんなものではない」と言うなら言え。反論しろ。私はそれにちゃんと答える。

 経済学がどんなにインチキ学問で、ウソ八百かというのがバレつつある。
 実際にリーマン・ショックからあと、欧米世界でボロボロに打ち破れてきた。インフレ・ターゲッティング理論(インタゲ論)あるいは、リフレ(リインフレーション)理論といって、今の今も、量的緩和(りょうてきかんわ。easying money[イージング・マネー] )と言って、ジャブジャブ・マネーをいっぱい刷って「無理やり目標値2%のインフレ 人工的、人為的に作り出ろう」と、目的に向かって爆走している。

 本当は、この「インフレ目標値2%」というのは、経済成長率2%というのと同じ意味だ。元祖は、本書に出てくる“マネタリスト” の ミルトン・フリードマンが、“(アルフレッド・)マーシャル の k ” を、「歴史的に2%ぐらいだ」として定めたもの、そのもの だ。

 しかし人口的、人為的に、デフレ(不況)を、インフレに転換することは、できはしない。それでも、無理やり、お金をいっぱい刷って世の中に回せば必ず景気は回復する、と言い続け、今もやり続けている。もう他にやることがない。まるで漫才か漫画の世界である。

 親分のアメリカが、これをやっている。柄の悪い商売人のトランプ大統領が、「カネ(お札)をバラ撒け。金利をゼロにしろ。それで株を吊(つ)り上げろ。そうしたら景気がいいように見える。それでいいんだ。国民なんか騙(だま)せばいいんだ」とやっている。日本もそれに従っている。

 だからこの本の冒頭から載せたとおり、ポール・クルーグマン教授が、「私を含めて馬鹿でした」と大反省をした。 「馬鹿でした」を英語では、” We are wrong. ” 「ウィー・アー・ロング」という。「私たちアメリカを代表する経済学者が、現実の世界を理解できずに、自分たちの勝手な高級理論ばっかり(しかも数式だらけで)作って、それで大失敗しました」と白状した。そういう時代が来たのである。

 クルーグマンが自分の考えを、wrong(ロング)(辞書に拠れば、1.不正 2.間違い 3.誤り 4.不適切 5.故障 6.不具合 7.劣等 8.悪事 9.不法行為)だと認めた。この内容の評論記事がアメリカの一流評論誌に出た。それを第1章と第3章でずっと英語原文と照らし合わせながら、私が詳しく説明した。第4章に、クルーグマン自身が「私は間違っていた」と、学界に発表した論文をそのまま載せた。

 私は、この「経済学はインチキ学問だ」という本を書こうと思って、さる大手の経済誌の編集長経験者に助言を求めた。
 私のような専門外(がい)で、小室直樹(こむろなおき)先生から少し経済学を習った程度で、こんな本を書けるのか、と自分でも相当躊躇(ちゅうちょ)していた。そして質問した。

 私 「今(2019年時点)の日本の経済学者たちは、何をしているのですか」
 A氏 「何もやっていませんよ。学内論文を書くだけでしょう。あとは政権(政府)にくっ付いて、審議会の委員になって、お金儲けですよ。役人、官僚 のいいなりで何も発言しません。嫌われると損だから。自分の財産(高層鉄筋住宅[タワー・レジデンス]をふたつ とか )を増やそうと考えているだけですよ」

 政府委員で1回出席すると報酬5万円だ。これが有ると、テレビに出たり、あちこち講演会(1回100万円)の依頼が来る。

 私 「今の経済学界の最先端のテーマは、何ですか」
 A氏 「もうマクロ経済学はやりません。マクロは滅びましたね。今はアメリカではミクロ(企業行動の経済学)と、会計学(アカウンティング)をやっています。もうマクロ経済政策なんか(破綻[はたん]したので)やりません」と。

 A氏は、この時、今も一番定評のあるグレゴリー・マンキューの分厚い『経済学』の最新版の日本語訳本を、私にくれようとしたが、私は「そんな本は読めないので、いただけません」と丁重(ていちょう)に断った。代わりに同席した編集者が貰(もら)った。 私はそんな本は、どうせ、アメリカ人くささ満点の宗教イデオロギーだから、読んでも意味が分からないから読まない。

 この本の著者である私は、大学の経済学部を出ていない。それなのに、こんな経済学についての本を書いた。私が出たのは、前記したとおり法学部である。それなのに、私は金融・経済の本をこの23年間でもう50冊くらい書いた。若い頃外資系(イギリス)の銀行員をしていた。それで、世界の金融市場というのが、どういうものか、なんとなく分かる。

 私は法律学についての本も、既に20年前に書いている。弁護士になった畏友(いゆう)と2人で書いた『法律学の正体(しょうたい)』(洋泉社 1991年刊)と、『裁判の秘密』(同上 1997年刊)と、それをリメイクした『裁判のカラクリ』(講談社 2000年刊)である。よく売れた本だ。

 だから私は、法(律)学とは、いったいどういう学問かについても、大きな真実を暴き立てて書いている。今からでもこれらの本をアマゾンででも探して読んで下さい。近いうちに復刊します。

 法学(レヒト・レーレ)(法律学[ゲゼッツ・レーレ] )というのは何か。ズバリと本当のことを書く。法学あるいは法律学とは、官僚(裁判官を含む)たちが、国民を自分たちのいいように切り殺すための刃物(はもの)のことを言う。

 この世の正義(ジャスティス)を実現するのが法学(及び裁判[ジャッジ])だ、というのは国民騙(だま)しのウソっぱち(虚言[きょげん])である。人間騙(だま)しの最たるものだ。

 2番目に、法律(法学)というのは、官僚たちが、自分たちを政治家というゴロツキ集団から自衛(じえい)するために、わざと複雑怪奇にして、山ほど作るワケの分からない細かい作文(条文[じょうぶん])のことを言う。

 政権(せいけん)政治家は、職制上、官制上、自分たち官僚のクビを切る権限を握(にぎ)っている。だから、官僚(という国家暴力団)は、団結して複雑な細かい法律の山を作って、政治家(権力者)という別の暴力団組織から自分たちを防御する。
 
 これが、私の「法学(部)とは何か」本のエッセンス(抜粋、神髄[しんずい])だ。
そして私は、自分の専門(プロパー)として、アメリカの現代の政治思想各流派(セクト)の研究を30年、やった。ネオコンも、リバータリアンも、ネオリベラルも、すべて、私が、日本に初紹介した思想派閥だ。 だから、その次に「経済学とは何か」を、私は書く運命にあったのだ。それを本書の第2章で、赤裸々(せきらら)に描いた。

 さあ、私のこの経済学(の)解体新書を、経済学出(で)の人たちがどのように読むか。「お前の書いていることは、専門外の素人が書いている戯言(ざれごと)だ」と、私に堂々と名乗って書いてくる人と、私は本気で相撲(すもう)を取るだろう。

 相撲というのは相(あ)い撲(なぐ)るという漢字でできている。「相撲は、伝統を重んじる神事(しんじ)奉納のための、国技(こくぎ)だ」などという取って付けたような飾り言葉は、私には通用しない。私の日本思想家としての登場を、この国は、甘く見ない方がいい。言論(書き物、著作)で30年間、ずっと闘いの連続だった。この私の人生に生傷(なまきず)が一つ増える程度のことだ。

 念のため、ここに書いておかなければならないことがある。
 この本の冒頭から前記のポール・クルーグマン批判の最新のアメリカ評論文と、クルーグマン自身の論文の英語原文を載せた。これは著作権法(ちょさくけんほう。そのまま国際条約である)に違反していない、ということを断り書きしておく。言論及び表現の自由(フリーダム・オブ・エクスプレッション)は、日本国憲法第24条が定める。これによって、私はこの評論の本を書いた。

 この本は、その主要な中身(内容)である評論の対象として、クルーグマン批判の英文とクルーグマン自身の文を、徹底的に解剖するように細かく取り扱って、書かなければ済まない。だから著作権法第32条に定める引用権(いんようけん。right to quote [ライト・トゥ・クオート] )を主張する。原文を引用して、それに忠実に大量の評論(コメント)を加えた。

 そして個別、具体的に、詳細に、私(副島隆彦)の意見、考え、分析(アナリシス)、評価判断(エヴァリエイション)を加えている。これは日本の裁判の実例(判例[はんれい])で、「フェアコメント(適正な論評、ろんぴょう)の法理」と呼ばれて、アメリカの法律学と判例(はんれい)思想を輸入して、「適切に引用した文に対して評言(コメント)をしていれば引用権として認められる」となっている。

 私は、この本の読者諸氏に、これらの英語原文も読んでもらいたい。
 チラチラでいいから、要所、要所で英文と照らし合わせて、自分の頭(能力)の英文読解力に応じて(人それぞれだ)、「なるほどなあ。副島は、この英文をこのように訳したのか。そして私たち日本人読書人階級(ブッ・クリーディング・クラス)の人間に対して、正確な知識と理解を希望しているのだ」と分かってくれるだろう。

 私には知ったかぶりはない。英文を読む、というのは、日本の知識階級にとって、今でも大変な作業だ。しかも小説程度ではない高級で高品質な知的な英文を読解することは未(いま)だに難業(なんぎょう)である。だから欧米で定評、評判を取った本が日本語に翻訳されて出版されることは、私たちには有り難いことだ。

 ところが多くの翻訳本は、英文の原文とあまりに切断されて、日本語訳文だけが勝手な寸(すん)足らずの理解で、ひとり歩きしてきた。この日本文化の劣勢の現実を、私は苦々(にがにが)しく思いながら、この50年間を生きてきた。皆んな、分かったふりはやめた方いい。なるべく英語の原文に戻って読解すべきだ。

 だから私は、敢えて英語原文も要所要所に載せた。私の訳文と解説文(公正な論評[フェアコメント])だけでは、読者の理解がいい加減になる、と考えたからだ。それと、私(副島隆彦)が自分勝手な歪曲、偏向した訳文と解説をしているのではない、ことを証明したいからだ。

 最後に。この本は、私と編集者の、苦心惨憺(さんたん)から生まれた・・・。
 ・・・それでもこうやって本は出来た。私は思いの丈(たけ)を書き散らした。あとは読者が決めてくれ、だ。値踏(ねぶ)み(価値判断)するのは読者(になってくれそうな)お客さまだ。

 価値(かち)と価格(かかく)の関係は、経済学をいくら勉強してもやっぱり難(むずか)しい。
「価値(ヴァリュー)(V)が価格(プライス)(P)を決める」という表現(言い回し)が経済学に有る。

 これを「変数(へんすう)である価値(V)が、同じく変数である価格(P)を決める」とも言う。そして「価格(P)は、価値(V)の関数(かんすう。ファンクション)である」と言う。したがって

  P=aV(aは比例定数)

である。このように数式(公式)では書く。

 ああ、この本には、本当に苦労した。私の血と汗の労働がこの本に投入され結晶した。一緒に全力で疾走してくれた編集者の水波康氏に感謝します。

              2020年2月  副島隆彦

(貼り付け終わり)

古村治彦 記

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