「1577」「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2016.1.1 /1月3日加筆 「崩れゆくアメリカ」を見てきて。短期留学修了を受けての報告。 中田安彦 2016年1月3日
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あけましておめでとうございます。
昨年中は色々とお世話になり心よりお礼申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
2016年 平成二十八年 元旦
副島隆彦の学問道場
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新年あけましておめでとうございます。中田安彦です。新年1月3日です。今年も「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いいたします。
「会員ページ」では何回か報告させていただきましたが、去年の9月から12月末まで、私はアメリカに語学研修の形でアメリカに留学していました。今年の元日に日本に帰国しました。今回は、その最終的な報告ということで私が見た範囲でのアメリカ(ワシントン)の状況をお伝えしたいと思います。私が数ヶ月だけ、それもワシントンDCという極めて特殊な場所で経験してきた内容ですが、参考にしていただければ幸いです。
アメリカの景気が回復して、利上げが進んでいるというような報道が日本やアメリカのマスメディアではされていますが、私がワシントンDCで抱いた第一印象は「ワシントンは崩れているなあ」ということです。そのことは実感面で言えば、ワシントンの社会インフラが目に見えて老朽化していることや、毎日テレビニュースで見せつけられる、アメリカの大統領選挙報道や相次ぐ銃犯罪のニュースで痛感しています。「崩れゆくアメリカ」と問題が、共和党の大統領候補者選びで最大の争点になった移民問題をめぐる論争によく現れています。このことをお話したうえで、アメリカでの日常生活、ホストファミリーとの会話で分かったアメリカのリベラル層の実感でのアメリカ政治に対する現状、次に私の通ったジョージタウン大学のEFLという英語コースでの様子と、CSISなどのシンクタンクでのイベントの様子、について報告したいと思います。
ジョージタウン大学を1789年に創立したジョン・キャロルというイエズス会の宣教師
普段は全く感じさせないが学内のいたるところにイエズス会関係の建物はある
私がワシントンに来て一番驚いたのは、ワシントンの地下鉄の古さです。ワシントンDCにはシンクタンクが集まる「デュポン・サークル」という地区がありますが、その地区にある地下鉄(メトロ)の駅の構内に向かうエレベーターや、地下鉄車両が老朽化している。調べてみると、地下鉄の車両のデザインは1976年にメトロが発足した時から進化していなくて、地下鉄車内には次の駅を表示する電光掲示板もないし、エスカレーターは常にギシギシとものすごい音を立てている。エスカレーターが止まって動かないでいることもしばしばでした。アメリカの道路はワシントンに限らず、かなり舗装が雑だったり、道路に穴ぼこ(potholes)があっても、修繕されずに放置されている状態になっているので、メトロバスも日本のバスの二倍くらいグラグラ揺れる。ワシントン・ポスト紙のウェブサイトには地域のページに道路の亀裂をリアルタイムで表示する地図のページが有りました。アメリカというのは行政機関が、日本のように住民サービスを充実させようと言う発想がない、徹底的に自己責任の国なのだと思いました。バスの乗り換えも停留所の表示だけではわからないし、バスが予定に遅れることもしょっちゅうで、同じ路線のバスが2台同時に同じ停留所に同時に到着することもよくありました。私は現地ではホームステイをしていたのでホストファミリーに「なんでメトロのサービスは良くないのか」とたずねてみましたが、「どうしょうもない」と諦めているようでした。アメリカは徹底的な車社会で、公共交通機関は貧乏人が利用するものという意識があるとも聞きました。
ワシントンDCの道路は歩道もあぶない
地下鉄も恐ろしく古臭いので驚く
道路だけではなく歩道に大きなくぼみがあっても、修繕されることなく放置されています。私は滞在数日目にデュポン・サークルの歩道のくぼみに足を取られ、頭を打って軽い脳震盪(のうしんとう)になってしまいました。ただ、アメリカにいるので、下手に病院に行くと留学健康保険が効くか効かないかわからないという不安もあって、病院に行くことは滞在中一度もありませんでした。私の知り合いの留学生は、一度歯医者に通っただけで800ドル請求されたとぼやいていました。オバマ大統領の実現したオバマケア(国民皆保険制度)はアメリカの保険事情のせいで、日本の国民健康保険制度と全く違って、国民が民間の保険に加入しなければならない仕組みで、皆保険実現は私の周りにいたアメリカ人(中流階級の下くらいの人たち)たちは軒並み高い評価をしていましたが、これにも歯科治療は含まれていません。あとで書くようにアメリカは物価が高いし、医療費が高い。健康保険制度は日本の国民皆保険制度はやはり誇るべきものだと、実際に「医者に怖くてかかれない」という状況を経験することで痛感しました。
「アメリカが崩れている」と思ったもう一つの理由は、銃犯罪と黒人差別です。私がアメリカにいた去年の秋は、ほぼ毎日のように、テレビのニュースでは黒人たちが白人の警察官に射殺される事件や銃の乱射事件が起きたことを報道していました。事件はパターンがあって、黒人の若者に対して白人の警察官がいきなり発泡して射殺する。2014年にミズーリ州のファーガソンというところで大規模な黒人暴動事件がありましたが、この事件もきっかけは白人警官による黒人の射殺事件でした。去年はオバマ政権の初代大統領首席補佐官をしていたラウム・エマニュエルが市長をしているシカゴが舞台となった白人警官の黒人青年の射殺事件の映像が公開されたりして、これがシカゴの黒人たちの大規模な抗議集会に結びつきました。エマニュエル市長はこの事件の処理で窮地に立たされています。
そのような相次ぐ黒人射殺事件を受けて、「黒人の生活が重要だ」(Black Lives Matter)という黒人のグループがこの問題や大学キャンパスでの黒人差別への抗議運動を展開したことが大きな話題になっていました。プリンストン大学の総長を務めたウッドロウ・ウィルソン大統領が実は白人至上主義団体のKKKを支持していたことから、黒人グループが、ウィルソンの名前を大学の施設から削るように運動したことは、「流石にそこまでやるのはやりすぎだ」という賛否両論を呼んでいました。リベラル派は、黒人差別問題と日本でも注目されているゲイ・レズビアン(LGBT)の権利問題、それに銃規制の問題に注目している一方で、保守派は、黒人差別ではなく、ドナルド・トランプ大統領候補の発言に象徴されるようなヒスパニック系に対する排斥発言や、ベン・カーソンという黒人の元脳外科医の大統領候補の発言に見られるような「イスラム教徒は大統領になれるか」という論点に注目しがちで、ますますリベラル・保守の二極化が進んでいるという印象です。この二極化問題は、アメリカだけではなく、ネット右翼・在特会とシールズが対立している日本でも同じですし、ルペンのような「極右」が躍進し、既成政党が保守・リベラルとも分裂していくという欧州でも同じです。二大政党による健全な政策論争と政権交代いうモデルが先進国では軒並み崩れているのに、それにしがみつこうとしている状況です。
人種差別問題はリベラルや保守もピリピリしていると強く感じた。これは黒人差別問題がニュースで話題になった翌日に学校に来た時に発見したもの
アメリカの場合、経済・外交政策では打つ手がないか、二大政党のどちらもあまり過激なことができないという状況に追い込まれているので、返す刀で共和党の保守が主導する形で、同性愛問題や移民問題や銃規制問題といった文化的イシューでリベラルと保守が対立点を作っているわけです。共和党のポピュリストと言われる、トランプ、カーソン、テッド・クルズ(テキサス州選出上院議員)といった候補は「米国内のイスラム教徒を一時的に追い出せ」などということは過激ですが、外交政策ではむしろ「アメリカの地上軍派遣をするな」という立場で、ネオコンのジョン・マケイン上院議員やその後継者とも見られる、マルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州)のようなタカ派路線とは全く逆というのが本当のところです。アメリカは保守とリベラルが「内戦」をしている、これはワシントンのような全体的にリベラル中道派の政治的な都市にいたので実感できたわけではないですが、報道を分析する限りではそういう結論になります。
そして、アメリカで頻繁に起きる銃犯罪事件が、11月のパリの劇場襲撃事件の後、12月上旬にカリフォルニア州サンバーナーディーノという場所で起こったイスラム原理主義者による障害者支援施設の襲撃事件で「テロリズム」に結びつきました。襲撃犯がどこまでISISと関係があったかはわからないし、ISISが後付けで利用しているだけと思いますが、過激思想を持ったイスラム原理派がアメリカ国内に住み着いてテロを仕掛けることへの恐怖感が高まっているわけでもないのですが、それなりに意識されてくるようになりました。
12月の銃乱射事件が起きた時は学内でも臨時にCNNをプロジェクターに写しだしていた
このような事件を生み出すのはやはりブッシュ政権のイラク政策が遠因にあるというのがリベラル派の結論です。アメリカは、今はオバマ政権があまり過激に地上部隊を派遣してまで中東の治安を維持しようとはしていませんが、ブッシュ政権時代にフセイン大統領をイラク戦争で失脚させて、シーア派主導の政権をイラクに樹立してから、フセインによってかろうじて保たれていた、シーア派、スンニ派、そしてクルド人の民族バランスが流動化し、それがシリアの内戦と結びついて、イスラム国(ISIS)というものが誕生して今に至っています。
ただ、アメリカのこれ以上中東の泥沼に関わりたくないという意識は超党派で存在します。ISISにはアサド政権を打倒したいというアメリカのネオコン派のテコ入れもありましたが、パリやアメリカで襲撃事件が起きても、フランス人やアメリカ人は911事件のあった2001年の時と比べてぜんぜん戦意高揚ムードが生まれていない。共和党のポピュリストはアメリカ人の下層白人の民意を代弁していると言われて、私もその通りだと思いますが、彼らの怒りは遠く離れた「中東」ではなく、「国内におけるテロの恐怖」という方向に向かいつつあります。アメリカはそもそも移民国家なのですが、それにもかかわらず「ヒスパニック系」に対する批判する演説が受けてしまうのは、白人層がこれ以上崩れて行きたくない、という内向きの思考の現れではないかと思います。
私がアメリカの合計4ヶ月の滞在中には、一般のアメリカ人の住むアパートでのホームステイをしました。ホストファミリーはひとり暮らしのユダヤ系アメリカ人の60歳位の別の大学で講師をしているおばさんで、ペットが犬と猫がいました。元外交官の佐藤優さんのイギリスでの語学留学体験記を読むと、小学生の子どもとの会話が英語の練習になってよかったと書いてあったので、子供がいないのは残念でした。それでも、リベラルなアメリカ人の平均的な考えをホストファミリーやその友人の男性から色々聞くことができました。彼らはオバマ大統領が色々批判されているにもかかわらず、オバマ大統領に対しては国民皆保険制度を実現したので非常に高い評価を抱いています。次の大統領についても、私が「バイデンになる可能性はどうか、サンダースはどうか」とバイデンが最終的に10月下旬の民主党の討論会の直前に出馬辞退する前にしつこく聞きました。しかし、「結局はヒラリーが一番いい」という判断でした。トランプやテッド・クルズに指名が行くなるのはたまらなく嫌だともいっていました。私が共和党の討論会を一種に見ながら「ランド・ポールというのは共和党にもかかわらず外交政策がサンダースのようですね」と言ったら、外交政策についてはそうだと言っていましたが、メディアが散々、ドナルド・トランプの「問題発言」についてやるものだから、ランド・ポールは「そんな人もいたかな」程度の認識であったようです。メディアが大きく取り上げていたバーニー・サンダースも、私が通っていたジョージタウン大学の学生たちには熱狂的な人気でしたが、ホストファミリーは「バーニーの可能性はない」と極めて覚めた印象でした。バーニー旋風を見ていると、若い世代の熱狂的支持者が多かった印象があるのを見ても、2008年のロン・ポールの支持のされ方とよく似ていると思いました。アメリカの平均的な成熟したリベラル層としては「アメリカがこれ以上崩れていくことが確実なドナルド・トランプに賭ける人の気持ちがわからない。それよりもなんとか現状維持をしたい」という思いだけなのだろうと感じました。
民主党・共和党の大統領候補者の討論会があるときは学生ホールでディベート・ウォッチが催される。ピザを無料で配って学生を集めていたが、バーニー・サンダース旋風がしぼんでからは盛り上がらなくなった。民主党は学生組織があり、共和党は若手のフロリダ州のルビオ支援のグループがあったたが、民主党のグループのほうがアジア系学生には丁寧に対応してくれた。
「崩れゆくアメリカ」という状況を生み出しているのはすでに書いたような公共交通機関や道路に代表されるインフラ整備が遅れているということが大きく関係していて、これについて私はジョージタウン大学のEFLでの課題レポートのテーマに選びました。ロン・ポールの本の翻訳をやった佐藤研一朗さんと何度もSkypeで話していた時に出てきたのも「崩れゆくアメリカからの現状報告」というものでしたが、私がワシントンに来て実際に生活してインフラの不便さを感じました。
また、公共交通機関だけではなく、ワシントンは日本やアメリカでもニューヨークのようには手軽に利用できるレストランやコンビニエンスストアもありません。アメリカというのは「ファストフード国家」だとばかり思っていたので、実際にやってきて、思った以上にマクドナルドやバーガーキングやケンタキーフライドチキンが周りに見当たらないのに正直驚かされました。マクドナルドは市の中心部のチャイナタウンやデュポン・サークル周辺に一店舗ずつあるという感じですが、KFCは色々探してようやくワシントンDCの外れの方の高速道路近くのガソリンスタンドの周辺に一つだけ見つけました。なぜワシントンにファストフードがないのか、というのは一説にはテナントの賃料が高いので値段の安いファストフードが経営できないというものですが、一方でメキシカングリルのChipotle(チポレ)やヘルシー志向の野菜サラダボウル店のスイートグリーンや、日本でもお馴染みのサンドウィッチのSUBWAYの店舗がいたるところにあるので、これはやはりあの「スーパーサイズ・ミー」以降の現象ではないかと思います。10年間でKFCの店舗は1000店舗の規模で全米で減少しているということでした。コンビニエンスストアにしても、日本と同じロゴマークのセブン-イレブンや薬局が一緒になっているCVSというフランチャイズがありましたが、日本のセブン-イレブンのように生活必需品が何でも揃うというわけではなく、タオルや靴下の類は売っていませんし、コピー機のたぐいもありません。
コピー機といえば、アメリカの著作権に対する厳しさを実感させられました。大学の授業のテキストがあまりにも重たくて毎日持っていくのが嫌だったので、コピーを取って必要なところだけ持って行こうと考えて、日本にもあるFedEx Kinkosでコピーを取ろうとしたら、いきなり黒人店員がおっかない顔で私のところにやってきて、「著作権の侵害になるからうちの店では認める訳にはいかない」と店を追い出されたことがありました。一つの例を見逃せば他の客も同じことをする、そうすると彼自身の立場が危うくなると考えたのでしょうが、教科書の私的利用目的でのコピーにもうるさい国なのだと知り、アメリカという国で暮らすのは大変だと思いました。著作権に対する厳しさについては、日本でと比べ物にならない指導が大学の授業でも行われました。文章を引用する場合でも「カギカッコ」で引用しないかぎりは、引用元をしっかりと表示して引用した場合でも、元の文章と違った表現を使う(これをパラフレーズ、言い換えと言う)のでなければ、「他人の文章表現の剽窃・盗作」になるということを散々言われました。日本の商業文章は引用元すら表示せず、他人の文章をそのまま泥棒していることがよくあって、それで大きな問題になっていないということを知っていただけに、この考えにはなかなか馴染みにくかった。
と同時に、この剽窃に対する厳しい姿勢から、学術論文というのがなぜ一般雑誌の記事と比べてなぜあんなに難しい表現を使うのかという理由が分かりました。要するに、言い換えをしていくうちにどんどん表現を難しくしていっているんだと思います。だから、「優れた論文」を書くためには、知っている語彙の数を増やすのが必須で、その語彙の多くは会話では絶対に使わないものです。語彙数の違いは、読む新聞(読みこなすことのできる新聞)にも影響していて、特に文化面の記事によく現れていますが、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」や「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事では使われている語彙がだいぶ違います。同じようにイギリスの新聞でも「エコノミスト」と「フィナンシャル・タイムズ」では全く違う。NYTやエコノミストの語彙は上級インテリ向けで、それ以外は一般大衆向けです。日本人からするとワシントン・ポストは読みやすく、NYTは難しいが、同時にポストの更に下を行くタブロイド紙の表現はまた逆に崩れすぎていて理解しにくい、ということだと思います。
話をワシントンでの生活のほうに戻すと、安いファストフード店が無い一方で、物価はやたらに高い。これが本当にきつかったです。食費だけに限れば、日本の3倍はあるのではないかと思います。特に私が行っていた時期はアベノミクスが始まる前の一ドル70円台の超円高ではなく、一ドル124円台で、その分だけ円の価値が下がっているわけですから、円を持って行ってドルに変えて生活するだけでも為替による「目減り感」が実感できたわけですが、それに加えてワシントンだけに限らず物価が高いのと、それに加えて州の飲食消費税10%、さらに毎回ファストフード以外ではチップを最低15%ウェイターに渡さなくてはならないわけで、メニュー自体を見ていて20ドル(2400円)未満で済むと思っても、結局はチップまで含めると30ドル以上位かかるということがしばしばでした。日本のようにマクドナルドや吉野家(400円弱)、あるいはコンビニのおにぎり(120円)でしのぐということができない。そのうちに10ドル(1200円)で済むと「安い」と感じるように周りの留学生も含めて金銭感覚が麻痺していきました。
アメリカでは本屋さんもほとんど死に絶えていて、さすがにマサチューセッツ州のハーヴァード大学の周辺にはありましたが、ワシントンDCでは新聞や週刊誌(アメリカの政治雑誌)を販売しているスタンドや書店というのがジョージタウン大学から車で20分近くかかるデュポン・サークルに行かないと見つからない。大学のブックストアも名ばかりで、日本の早稲田大学の生協書店のように品揃えが充実していることもなく、単にテキストとそれ以外の書籍(ジョージタウン大学はカトリック・イエズス会の大学なのでキリスト教系書籍)が並んでいるだけです。書籍類よりも大学のノベルティグッズの販売がメインという印象です。それ以外にはハードカバーの新刊書を扱っている書店らしい書店はデュポン・サークルのその本屋だけで、それ以外では、スーパーマーケットの「セーフウェイ」がレジ周辺にある小説類を売っている程度。新聞が読まれない、本が売れないと言う以前に、本屋が存在していない、というのがアメリカの首都の実情で、ホストファミリーに話を聞くと、「買う人はみんなAmazonで買っている」という話でした。今もニューヨークには「バーンズ・アンド・ノーブル」と日本の紀伊国屋書店が店を出していますが、店舗で本を買うという文化は確実に廃れているし、Amazonにしか並ばない本というのもかなりあるのではないかと思います。ワシントンDCの隣のヴァージニア州やメリーランド州にはバーンズが数店舗ありますので実店舗で本を買うには少し車を走らせる必要があります。
デュポンサークルにあるこの書店がDCでは唯一の新刊書をまとめて扱う書店だと思う
物価が高い、住民に黒人の割合(半数近く)が多いという点や、本屋が見つからない、ファストフード店が少ないというのは、ワシントンDC特有の現象かもしれませんが、日本よりも物価が高いのはアメリカのどこでも同じという印象を数都市(ボストン、ベセスダ、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク)に実際に行って感じました。日本も金融緩和と消費税増税の合わせ技を今の安倍政権がやって行くと思いますので、実際に輸入品が多い食料の物価は上がっています。佐藤研一朗さんから、「金融緩和のせいでアメリカの物価のように日本の物価も上がっていく」と警告を受けましたが、実際にその通りになっていると思います。こういうアメリカの物価の高さを見ると、あの古市憲寿(ふるいちのりとし)が言い放った「安い牛丼とハンバーガーは福祉みたいなもの」という意見は残念ながら一つの真実を言っていると思う。日本で暴動が起きないのは食事を安く済ませようと思えば、今のところいろいろな選択肢がある、ということが理由ではないかと思います。
私が語学留学のために行ったのは、普通の語学学校ではなくて、ジョージタウン大学というワシントンで有名な外交学部がある大学に付属しているEFL(English as foreign language)というコースです。日本人の数が少ないだろうということは大方予想していましたが、驚くべきことに一番多いのは50人中25人を占めるサウジアラビアからの留学生たちでした。次に多いのはカザフスタンだったと思います。彼らはほとんどが王室や政府の奨学金でコースを受講しているという話でした。年齢は18歳から29歳というのがほとんどで、私のような「高齢者」は他にあとひとりか二人でした。ただ、サウジアラビアの留学生が多いというか、彼らのプレゼンスはものすごくて、「石を投げればサウジの生徒に当たる」というほどでした。彼ら自身もサウジアラビアと言う国のPRを自ら買って出たりして、コース全体で文化の違いについて話し合うセッションではサウジアラビアのPRグッズを予め用意してディスカッションに望んだり、コース生徒全員にサウジアラビアの遺跡のミニチュアの模型を配ったりしていて、「国家を背負っている」という感じがありありでした。彼らは奨学金を受けて留学しているのですから、サウジ国内ではそれなりのいいところの子弟なのでしょう。偶然かも知れませんが、いまサウジと敵対しているイランからの留学生はいませんでした。イエメンから来た留学生と私は仲良くなりました。 ただ、私は「中国の留学生が多いのではないか」と思っていたのですが、実際には中国人の数は台湾人(彼らも奨学生らしい)と同じくらいだったのが驚きで、サウジアラビアの存在感がものすごく強いことが強烈に印象に残っています。ただ、それほど宗教的な感じを見せる留学生はほとんどいなくて、大学内にもモスク礼拝堂があったようですが、実際には留学生は礼拝をするにしても、一人の女子学生によると、家に帰ってからやっているそうです。これだけサウジの留学生が多いと、なかなかジョージタウンもサウジに対して言いたいことを言えないのではないかとも思いました。大事なお客様ですから。大学というのも結局は教育産業で生徒がいないとなりたたないわけですから、それを国家費用で賄ってくれるサウジアラビアやカザフスタンはありがたい存在でしょう。2009年にビジネススクールが移転したビルも中東レバノンのラフィク・ハリリ元首相の名前が冠されているのも中東マネーに頼っているという意味合いが強いと思います。
有名な外交学部の学部オフィスがあるICCビルディング。ボロい。
ビジネススクールのビルは真新しい
あまりこういうことは言いたくないのですが、ジョージタウン大学のキャンパスもまたインフラの老朽化を強く感じさせるものでした。1960年代から1980年代に建てられた建物が多くて、今でも少しずつは立て替えているようですが、私の通ったEFLの主だった教室があるICCはマイケル・グリーンが准教授をやっている外交学部のオフィスもある棟ですが、1980年代に建てられた割には古臭いビルディングで、中央図書館も1970年代の建物で内部のエレベーターなどに時代を感じさせました。滞在中にたまたまワシントンにやってきた根尾研究員も同じように、「アメリカのインフラは老朽化がひどい」というふうに感想を述べていました。アメリカのインフラが崩れているというのは、アメリカにエンジニア団体のASCEが2013年に「アメリカのインフラはAからFまでで言えばD判定」と厳しい診断を下していることからもはっきりしていて、公共交通、インターネットの速度、インフラの運用と含めて考えると、日本や中国のほうがはるかに上であるという印象を持ちました。「崩れゆくアメリカ」というのは実際に行ってみないとわからないことでしたが、要するにアメリカは戦争でカネを浪費しすぎて、世界の警察官を気取ってこの半世紀やってきたわけですが、もう本当にお金がない。日本ではゼネコンは批判されますが、それでも立派な高級なインフラを残してきたのですが、アメリカがネオコンが国外で本来国内に投資すべきカネを戦争経済で浪費しているので国内が荒廃してしまった。ドナルド・トランプの新刊の著書が「Crippled America」(壊れているアメリカ)であったり、ヒラリーを支持しているリベラル派言論人のアリアナ・ハフィントンが数年前に「第三世界のアメリカ」という本を出していることからも、アメリカのインフラは第三世界並みだという言説はあながち嘘ではありません。日本のメディアは意図的にそのことの情報を隠しているだけです。日本のマスコミはレーガン・中曽根が創りだした「強いアメリカ」神話にまだしがみついています。
しかし、最近日本でも翻訳が出た地政学者のイアン・ブレマーの新著でもアメリカの内向き外交政策を支持し、国内投資を行う政策提言をしていることからもわかりますが、アメリカはカネが無い。カネがないから日本やフィリピンなどの同盟国・属国に武器を買わせて、中国をかわりに牽制させるという流れになる。日本の政治家はそれをどこまで理解しているのかわからないが、集団的自衛権行使容認で日米同盟が強化されたのだと平然と言います。実際は、アメリカには中国と正面から事を構えるだけの体力がない、だから同盟国に肩代わりさせようとしているだけです。
ジョージタウンのEFLコースは、根本的に次にこの大学や他の大学の学部生か大学院生になるために必要な「英語によるレポート作成とプレゼンテーション能力」を高めるための講座で、「外国語としての英語」とコース名を名づけてはいますが、会話力は大前提になっていると強く感じました。日本人の英語力は中学校から大学受験までの文法・読解偏重の教育のせいか、英語は読めるし、ある程度は正しい文法での文章がかけるが、話すのとリスニングが極端に弱いという特徴があります。これはもう外国語を海外の文献を国内にいながらも読むことで理解し、その上で海外の実情を知ると言う目的を果たす道具としての言語として学んできた、日本のそれこそ平安時代からの伝統だからどうしようもありません。それでも若いうち12歳から18歳くらい、ギリギリで22歳くらいまでは文法・読解偏重の英語教育の弊害を脱することはできると思いますが、正直なところ、短期間で30歳を過ぎると英語に限らず他の言語を「話す・聞く」ための言語として、ヨーロッパ系言語と構造が違う言語を使う日本人がマスターするのは難しいというか、無理なのではないかと実感しました。今の若い人で留学する人は、それこそ中学時代から話す言語としての英語を勉強させられていると思いますから少しはマシになっているとは思いますが、日本で英語教育産業がこれほど盛んになっているのは、日本人に正しく「話す、聞く」というコミュニケーションツールとして学んでこさせなかった影響があると思います。それが文部省の責任なのか、はたまたアメリカの狙いであったのかどちらなのかはわかりませんが、いびつな「英語失語症」とも呼べるような日本人の状況が生まれています。この惨めさは実際に海外に出てみないとわかりませんでした。
EFLは習熟度別にクラス分けをすることになっているはずですが、そこで重視されるのは、文法の理解度だけでした。実際にクラス分けの結果を見てみても、あれだけ積極的にコミュニケーションが出来る人が下の方のクラスになっていたりするので、正直なところ、「本当にジョージタウン大学のEFLは英語の能力を的確に判断できているのか」と疑問に感じました。どんなに読解が良くても、レクチャーや講演会では本のように読み返しができないわけで、一発勝負で相手の講演の内容を聞き取れなければ的確な質問も投げかけられないわけです。リスニングと会話ができないと、周りがアメリカの英語ジョークで笑っているのに、こっちは何が面白いのかわからないで困り果てるということが何度もなりました。同じように授業は大変ではなかったですが、雑談の方が格段に難しい。内容のあることを話しているわけではないのですが、それだけに難しいという印象です。聞き取り力というのは、女の人の方が「耳が良い」と言われているので、男よりも苦労しないと言われているそうですが、実際にそのとおりだと思いました。どんなに文法や作文で苦労する留学生でも、会話とリスニングはきちんと出来るというということに、私は日本の英語教育に対して激しい怒りをここで初めて感じることになりました。
授業の内容は参考までに書いておくと、文法、アカデミックな形式でレポートを書くための授業(読解、作文)、それからリスニング・スピーキング(大学の授業でプレゼンテーションをするための表現方法やスキルを身につける)の三種類でしたが、最初に想定した以上にアメリカの大学生や大学院生になりたい人のためのコースだったので、私にとっては「場違い」な講座でした。クラスメートからも「ヤスは学校間違ったよな」と最後の方ではジョークのネタとされるほどになりましたが、いずれにしても日本人の英語教育はその他の国々と全く違うのだと痛感しました。
それならば、授業をサボりまくって、空いた時間はシンクタンクの講演で聞きに行こうと思ったのですが、なんと私が一番行きたかったブルッキングス研究所や、CSISやピーターソン国際経済研究所のイベントは大学の授業が入っている朝8時から午後2時台までに開催されることがほとんどでした。大学側からはあまりにサボりが多いと、米国政府が「学業の意思なし」ということで、ビザを取り消す(俗にいうキックアウト)すると大学側が学生を脅かしていたので、シンクタンクのイベントは本当にジャパン・ハンドラーズ絡みの限られたものを授業をサボって行ったり、少数の夕方に開催されるものだけに限定して聴講しました。ジョージタウンは日本で言えば、デュポン・サークルが新宿で、八王子というようなワシントンの外れにある大学ですから、なかなか外に出ていくのも大変でした。SAISやジョージワシントン大学はシンクタンクから近い場所にあります。だからマスコミの記者をアメリカに留学させる際には、最初は夏休みに外れにあるジョージタウンの英語学校(英語コースを提供しているのはジョージタウンだけ)に通わせて、その後秋からはブルッキングスやCSISなどのシンクタンクかSAISに客員研究員として席を置かせるというスタイルを取るようだということが、実際に現地に来た新聞記者の話でわかりました。また実際に取材する記者はペンタゴン周辺(ヴァージニア州)を拠点に持っているので、ワシントンからは離れているわけです。
また、CSISの日本部のイベントについては、去年のうちに「会員ページ」で報告しましたが、その時の稲田朋美、他に沖縄担当大臣の島尻安伊子参議院議員がやってきたイベントでも感じましたが、「CSIS日本部というのは経団連の出先機関そのものだ」ということです。島尻大臣は予め用意された英語の原稿の単語が何箇所か読めないところがあり、その時は一番手前に座っているマイケル・グリーンに質問するという醜態(動画も残っている)をさらしていましたが、それだけのジャパン・ハンドラーズと言われる日本管理班にとっては非常に操りやすいのだろうと思いました。英語で相手とやりあうことができないと、結局は通訳か外務官僚かジャパン・ハンドラーズに依存して外交交渉をすることになるわけです。英語を話す言語として使えなくするという日本の英語教育はここまでくると戦略的に仕組まれたのかな、と思います。
12月になって訪米した安倍内閣の島尻安伊子・沖縄担当大臣。手前にマイケル・グリーン。
カネだけ払ってアメリカに外交政策を決めてもらっているに等しい日本のエリートの英語力は、国家そのものが常に存在の脅威に晒されている台湾などとは全く話しにならないくらいに違う、背負っているものが違うんだと思います。日本の政治家はアメリカがアーミテージレポートとして「書いてくれた」ものを読んで、それを有りがたく実行するということで外交政策が成り立っているわけですが、他の国はそこが違うでしょう。日本の外交はアメリカだけを見ていればいい、単純な方程式でしたが、韓国や台湾などはもっと複雑な連立方程式ですから。
マイケル・グリーンとは一度だけ話す機会がありましたが、そんなに話したわけでもないし、あとでジョージタウンにやってきた時に話しに行こうと思いましたが、実際に彼を学内で見ることは一度もありませんでした。(コリア・ハンドラーのビクター・チャは一度見かけた)それでも、安倍首相がアメリカの大学の日本研究に資金を提供するように働きかけた、ナイ、カーティスの他の中心人物の一人だったわけで、グリーンというのはカネを引っ張ってくるかかりなのだろうと思いました。グリーンの授業をとっているという学生にも二人ほど会いましたが、実際に彼を大学で見かけることはなくて、CSISの本部や日本での日経主催の富士山会合に参加していたり、麻生大臣らの国会議員のアテンドでロッキード・マーティン社を訪問した時の写真をみただけでした。CSISの日本部の客員研究員の一人は「そういうものですよ」と言っていましたが、うまくはぐらかされたなと思いました。
私にとっては、授業そのものは大変ではなかったですが、授業外で英語を使いこなすことの難しさを実感しました。元国会議員の石川知裕さんも英語を学ぶ際にあえてフィリピン留学を選んでいましたが、アジア人にはアジア人向けの英語指導方法というのがあるはずで、いきなりアメリカに行って玉砕するよりは、まずはこういうアジア人向けの講座で馴らしてからアメリカに行くことを、今後留学を検討されている皆様には絶対におすすめしたいと思います。それから、アメリカの食事の不味さと選択肢の少なさ、恐ろしいまでの物価の高さ(それでもスイスよりは安い)は実際に行かないとわかりませんでした。食事がまずくて、なんとか食べられるのは中華料理ばかりで、私は留学生の中国人と台湾人と仲良くなって、良い中華料理店を教えてもらいました。案外、香港やマレーシアで英語を学ぶほうが世界の中心になりつつある中国のことも良くすることができてむしろ良いのではないかと思います。
アメリカのテレビは、本当にドナルド・トランプのことしかやっていなくて、海外の動きが大きな事件でも起きないかぎり、全くわからない仕組みになっています。CNNも米国版と国際版では全く内容が違います。CNNとFOXニュースばかり見ていたら、本当に海外におけるアメリカの位置などはわからなくなっていると思います。中国の台頭についてはほとんど実生活では意識することもないし、誰も日本の新聞が書き立てているような反中意識を少なくとも一般大衆のレベルでは感じていません。日本のことなんかもっと意識されていなくて、アニメ・オタクについてもほとんど誰も知りません。ジョージタウンにもアニメサークルはありますが、以前、中国人のオタクたちと交流した時に感じた日本のサブカルチャーに対するあこがれというか崇拝のようなものはアメリカ人には当然ながらありません。
政治意識の高い一般のアメリカ人でも話題は当たり前ですが経済問題、健康保険問題、銃規制問題、外交政策ではテロの問題、移民問題までがせいぜいです。大統領選挙の討論会でもバーニー・サンダースとヒラリー・クリントンがTPPへの反対姿勢を示していましたが、中国台頭問題については共和党、民主党ともに話題にしません。やはり中東のことばっかりです。日本にいると、アメリカは中国封じ込めに動いているという点が強調されていますが、これは一般庶民大衆レベルは全くそんなことは考えていません。ホワイトハウスの意識も中東問題やロシアのプーチンにしか頭がありません。東アジアはだからこそジャパン・ハンドラーズたちの思った通りの外交路線をホワイトハウスが選択しているということでもあります。
中田安彦(アルルの男・ヒロシ)拝
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