「1576」 『物理学者が解き明かす重大事件の真相』(下條竜夫著、ビジネス社、2016年1月9日)が発売となります。古村治彦記 2015年12月24日

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 SNSI・副島隆彦を囲む会の古村治彦です。今日は2015年12月24日です。

 今回は、SNSIの仲間である下條竜夫氏の初の単著である『物理学者が解き明かす重大事件の真相』を皆様にご紹介します。下條竜夫氏は、1964年生まれ、早稲田大学理工学部応用物理学科卒業、東京工業大学大学院総合理工学研究科修士課程修了、総合研究大学院大学数物科学研究科博士課程修了(理学博士) の経歴を持っており、現在は兵庫県立大学理学部准教授です。

 これまで、副島隆彦先生とSNSIが出してきた論文集にも論文を寄稿してきました。2011年11月に刊行された『放射能のタブー』(KKベストセラーズ)では、「福島第一原発から大気に放出された放射性物質のベクレル量はチェルノブイリの1000分の1」という論文を発表しました。この論文の中で、下條氏は、タイトル通り、2011年3月11日の東日本大震災での大地震と大津波によって破損された東京電力福島第一原発から放出された放射性物質の量はチェルノブイリ事故の1000分の1であり、周辺の土地でも10年も経てば元に戻るということを論証しました。

 また、2014年7月に刊行された『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(成甲書房)では、「ジャーディン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三」という論文を発表しました。この中で、下條氏は、伊藤博文、井上馨もいた長州藩遣英留学生たち、通称「長州ファイブ」の1人である山尾庸三に焦点を当て、日本の近代化にイギリスの影響が大きいことを明らかにしました。

 今回、下條氏は、和歌山毒カレー事件、福知山線脱線事故、STAP細胞捏造事件など、私たちの記憶にも残っている大事件を物理学者の視点から分析し、説明しています。難しい理科系の話を噛み砕いて分かりやすく書いています。

 以下に、副島先生の推薦文、目次、下條氏によるまえがきを掲載します。参考にしていただき、『物理学者が解き明かす重大事件の真相』をぜひ手に取ってお読みください。

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推薦文
                            副島隆彦

 下條竜夫(げじょうたつお)氏は、気鋭の物理学者(1964年生まれ)であり、大変優れた人である。私が主宰する副島国家戦略研究所(通称SNSI エスエヌエスアイ)の研究員を10年前からやってくださっている。私たちは政治評論や歴史研究をする、いわゆる文科系知識人の集まりである。その中にあって最先端の物理学を専攻している、純粋に理科系の下條氏に加わっていただいて大変感謝している。

 彼は私たちの発表している論文集に、すでに数多く寄稿している。地球温暖化という虚偽を暴いた本『エコロジーという洗脳 地球温暖化サギ、エコ利権を暴く』(成甲書房、2008年)で、二酸化炭素の増加は地球温暖化にはほとんど寄与していないことを証明した。

 下條君は公立大学の若手の准教授で、大学では「物理化学」なる高度な学問を教えている。彼は私たち文科系人間には理解できない難しい物理公式や数式が、すらすらと理解できる。しかも、この本で証明するとおり、彼は政治や思想などの文科系の知識と学問までも習得した。だから下條竜夫氏(現在51歳)は、この科学(サイエン)と政治(ポリティクス)の2つの学問を両輪にして大きな真実に迫ることができている。

 このことが、はっきりわかるのは第1、2章の「福島第一原発事故」の解明である。

 2011年3月11日に東日本大地震が起き、翌日から(正確には25時間後)福島で原発の爆発と放射能漏れが起きた。現地に行きもせず、遠くのほうから知ったかぶりをして、「放射能はコワイ」「子供たちが危ない」と騒いだ人々がたくさん出た。原子力工学と放射能医学の専門家の中にも、ごく少数であるが自然科学(ナチュラル・サイエンス)の正確な知識のふりをして、「危険だ、危険だ」と多くの虚偽を書いた人々がいる。

 私は、事故直後から弟子たちと現地(原発正門前)に入って放射線量を測定した。だから、あのとき放出された放射線量がどれくらい低いものであるかをはっきり知った。私は、あの後の国民的集団狂躁状態に、あきれ返った。その後も続いた怖いコワイの国民的、世界的な馬鹿騒ぎのことも腹の底から苦々しく思っている。

 福島の現地では、事故からやがて5年が経つが、赤ちゃん一人作業員一人誰も事故後の放射能のせいで発病している者はいない。「福島第1原発の事故の結果、日本でおよそ1600人が死亡した。この圧倒的大多数は避難がうまく行われなかったことと、ストレスに起因しており放射能が死因ではない」とニューヨーク・タイムズ紙(2015年9月21日付)は報じた。放射能をコワイコワイと煽(あお)って現地の人々を過剰に避難させたことで、人々にストレスがたまって死に至ったということだ。冷静に事実を現地で見て自分の脳(頭)で考えるということをすべきなのだ。

 原発事故のあのとき、日本で〝ショック・ドクトリン〟という政策が実行されたのである。『ショック・ドクトリン』とは、カナダ人の女性評論家のナオミ・クラインが書いた本の書名だ。2011年に岩波書店から日本語訳も出た。大災害や戦争、テロ事件などによって、国民大衆を、一瞬のうちに大きな恐怖に陥(おとしい)れ、ショックとパニックで、正常な判断力を国民から奪い取る。権力者、為政(いせい)者たちによる計画的な悪辣(あくらつ)なやり方だ。このことを、著者のナオミ・クラインは徹底的に暴いた。そのために原子力発電を過剰にコワがる言論と風潮が生まれる。そのことで電力(電気)をつくるコスト(費用)が異常に高くなった。

 これがショック・ドクトリンだ。大惨事を利用して一気に大量に政府が問題を解決するという戦略である。

 この「恐怖と扇動で国民を支配せよ」という手法の恐ろしい実験場が、福島原発の放射能漏れ事故を利用して日本でも実行されたのである。〝ショック・ドクトリン〟のために動転した日本国民は、コワイ、コワイと大騒ぎして、冷静な思考と判断力を失った。

 東大と東工大の原子力工学の専門学者たちは、日本の国策(こくさく)(国家政策)として育てられた人材だ。彼らは原発の製造から運転まで自分たちが行ってきたので、こんな微量の放射線量では誰にも被害が出ないし発病しない、とわかっていた。このことを早い時期に私は知った。ところが、その後、放射線医学の専門医師と、原子力工学の専門工学者たちのほとんどは、政府の命令で黙らされて鬱屈させられている。国民に真実を伝える術(すべ)を奪われた。

 だから、下條竜夫氏のような原発の製造管理の専門家ではないが、原子力工学も放射線物理も十分にわかっていて、しかも文科系の知識人としても話ができる人間が日本に出現したことを私たちは大きな喜びとする。理科系の本物の学者たちが、徹底的にわかりやすく事件や事故について説明しなければならない。そうでなければ福島の原発事故の真実はこれからも見えてこない。ここにこの本の価値がある。

 この本で特筆すべきは、第8章の仁科芳雄(にしなよしお)を扱った評伝だ。

 今こそ、〝日本の原爆の生みの親(まだだけど)〟の仁科芳雄(陸軍省委託。戦後のサイクロトロン実験も彼が主導した)の偉大さに日本国民の理解を求めなければいけない。下條氏は、ここに貴重な灯をともしてくれた。本当に頭脳明晰の日本人の理科系の人々であるならば、このことに気づいているはずだ。この仁科芳雄の復活、復権は今後、下條氏の功績となるだろう。

 敗戦後ひどい目にあった仁科芳雄(1951年死去)に私は非常に共感し同情した。仁科芳雄が、隼(はやぶさ)戦闘機を設計した日本ロケットの父、糸川英雄(いとかわひでお)と二人して、日本で一番頭がよかった科学者(ああ、科学者! という不思議なコトバ)だとずっと考えてきた。

 下條氏の仁科芳雄理解の土台は、「湯川秀樹と朝永振一郎は、仁科芳雄が、手塩にかけて育てた彼の忠実な弟子だ」である。彼ら二人は、戦後、アメリカ・ロックフェラー財団に尻尾を振って、パグウオッシュ会議に参加した。ここでアインシュタインという神格化された、相対性理論(そうたいせいりろん)という、何を言っているのか今も誰にも本当はわからない数式の山の理科系という宗教の大神官(グランド・マジシャン)の教徒になった。この二人の本当の先生は仁科芳雄だ。

 朝永振一郎も、湯川秀樹も、恩師である仁科芳雄のことを、戦後まったく書かなかった。自分の先生であり、自分たち二人を育てた仁科芳雄に対して、「戦争期の不都合なことは話さない」として。仁科が死んだときも追悼もしなかった。朝永振一郎と湯川秀樹は、パグウォッシュ会議で、アインシュタインとバートランド・ラッセルの子分になって、ぬくぬくと戦後世界で、「平和のための物理学」という、血塗られた過去を消し去る作業に加担した。

 仁科芳雄は本当に偉大だった。1925年に、コペンハーゲン大学で、ニールス・ボーアが、量子力学(クオンタム・フィジックス)を生み出し誕生させた。その記念すべき現場に若き理論物理学者として立ち会っている。デンマーク、ドイツ人物理学者たちの興奮の渦の中にいて、その激論の中に、たった一人、日本から仁科芳雄がいたのだ。

 今は、〝理研のワカメちゃん〟になってしまってお騒がせ事件を起こしたりしている。この理研(理化学研究所 りかがくけんきゅうじょ)という日本国の理科系の最高級の研究機関の闇の部分にも、そのうち、下條氏がきっと鋭く迫ってくれるだろう。理研は、アメリカからの監視がきついので、今はアメリカ様(さま)に屈服しているように見える。だが本当は、今でも、第三帝国(ダス・ドゥリテ・ラヒ! 嗚呼、偉大なるドイツ民族!)に、密かに忠誠を誓っているだろう。それは日本で最も優れた頭脳をもって生まれた理科系の人間たちの自然な運命である。

 宇宙物理学(スペイス・フィジックス)の分野にも、世界宇宙物理学界の体制派(アインシュタイン信奉者。その流れから出たビッグバン宇宙モデルの信奉者たち)に異議をとなえた優れた学者たちが世界中にたくさんいる。コンノケンイチ(1936~2014)という人がいて、この国の基準では何の学歴もない人だったが、世界中の反アインシュタインや、反ビッグバン理論家たちの文献を懸命に丁寧に日本に紹介した。それを徳間書店が、「スピリチュアル本の中の一冊として」本にした。『ビッグバン理論は間違っていた』(1993年刊)という本である(現在は2011年にヒカルランドから文庫版で出ている)。90年代にものすごくよく売れた本だ。

 それに対する防御として、日本の宇宙物理学の体制派である佐藤勝彦(さとうかつひこ)氏や池内了(いけうちさとる)氏が反撃に出た。彼らは、体制、権力の側の学者であり、民衆、大衆を、「私たちが、おまえたちに教育と試験問題を与えるのだから、私たちが教えるとおりの答えを書きなさい。それ以外は、許しません」と強圧し威圧の態度をとる。池内了氏は『疑似(ぎじ)科学入門』(岩波新書、2008年)という本を出している。「私たちに逆らう者は、理科系の学者、研究者としてはろくな生活はおくらせない」という態度だ。それが支配、体制、権力というものだ。国民教育とか、メディア(報道機関)というのも国民洗脳の一種だ。これに反抗して大きな真実の指摘をする者たちは、何十年も何百年も抑えつけられ、苦しい思いをする。

 それでも大きな真実は、時間の経過とともに塗り壁の後ろから剥がれ落ちるように次第に明らかになる。権力(パウア)、支配(コントロール)、秩序(オーダー)よりも、事実(ファクト)と真実(トルース)そして、それを勇気を持って書いて、書物にして残す者たちのほうが、時間と時代の波に耐えて勝つ。下條竜夫氏は、第7章の「現代物理学は正しいのか」という文章で、このことにも風穴を開けてくれた。みなさん、読んでください。

 私が下條氏と話していて心底ビックリしたのは、「ビッグバン理論(宇宙膨張説)は、数学的には証明されているのです。だから私たち物理学者はそれに従うしかない。しかし天文学者(てんもんがくしゃ)たちによる観測(かんそく)と、実験からは何の証明もされていません」とのことだった。

 日本国で大切なのは、彼ら理科系の人々だ。ところがちっとも恵まれていない。

 理科系の中でも本当に大切なのは、理科系の学者たちではなく、理科系の技術者たちだ。理科系の技術者たちこそが日本の宝である。日本の製造業の大企業に、そういう優秀な技術者が、500万人くらいいるだろう。日本の繁栄はこの理科系の技術者たちのおかげだ。もっとハッキリ書くと、日本の先端技術は、工業高校や高専、そして聞いたこともないような地方の工業大学を卒業した技術屋(エンジニア、テクニシャン)たちがつくりあげたのだ。しかし、彼ら理科系の技術者たちも属国(ぞっこく)技術屋の集団でしかない。ほとんどが計算ロボットのようにされているかわいそうな人たちなのだと、最近、私は本当によくわかる。

 下條竜夫氏は、理科系の物理学者だが、技術屋(エンジニア)だ。実験屋(じっけんや)というらしい。その彼がなんとか、文科系の世界までもわかろうとして、こうして侵入、侵略してきて、文科系の世界にも風穴を開けようとしている。稀有な人である。世によくある本だが、理科系の学者が取り澄まして、文科系が主である一般書籍の読み手に向かって、高みからムズカしいことを講釈している本ではない。

 理科系と文科系という二つの世界をガッシリと繋ぐ人が、こうして出現して、文科系の人々の文の書き方までも必死で習得して書きあげた。この一点がこの本の本当のすばらしさだ。

「理科系の世界の真実」がもっともっと、明らかにされなければならない。下條氏は、手始めにこの本でそれをやってくれた。しかし、まだまだ、もっと多くの隠された真実がある。彼が、私たちのために今後それらを明らかにしてくれることを、私は強く望みます。

  2015年12月                          副島隆彦

目次

推薦文……… 副島隆彦
はじめに 
第1章 理科系の目からみた福島第一原発事故(1)
    福島第一原発事故の放射性物質放出量の過大評価とそのねらい
    日本がチェルノブイリと同じようになるという恐怖
    風評被害を拡大させた政府の発表
    報告されている数値から予測される放射性物質放出量
    実際に起きなかった健康被害
    高レベル放射性廃棄物最終処分場という原子力村の夢
第2章 理科系の目からみた福島第一原発事故(2)
    -マスコミが伝えない原発事故の真実
    福島第一原発の1号機は電源車の電源をつないだために
      水素爆発を起こした
    3月15日に大量の放射性物質が放出されたのは
    班目委員長の指示によるものだろう
    官邸がSPEEDIの情報を出さなかった理由
    放射性廃棄物の最終処分場を探す
      行政法人NUMO(ニューモ)によってつくられた土壌汚染地図
    地上のセシウム量からがん罹患率を求めたトンデル氏は、
      すでに自分の論文が間違いであったことを認めている
第3章 福知山線脱線(尼崎JR脱線)事故は車両の軽量化が原因である
    理系の目から事件の真相を解明する
    カーブで転倒して脱線した電車は過去にない
    事件の概要と原因が特定されていった過程を追う
    〝なぜ転倒したか〟が書いてある本がある
    揺れて倒れやすかった事故車両
    情報が出てこないJRという会社
第4章 STAP細胞と小保方晴子氏について
    -緑色に光る小さな細胞は本当に存在する
    リケジョの星の失墜
    理化学研究所という国の独立行政法人
    30歳の研究者は、ひとりでは、まともな英語論文は書けない
    確かに存在する緑に光る小さな細胞
    小保方晴子氏は天才実験家である
    STAP細胞の捏造は、小保方氏個人ではなく、
      若山研究室の問題である
    「常温核融合問題」と同じになるだろう論
第5章 和歌山毒カレー事件の犯人を林眞須美被告と特定した証拠は本物か?
    -理科系の「科学的に証明された」ということばが、
        いつも正しいとは限らない
    事件の経緯
    蛍光X線分析法で何がわかったのか?
    鑑定結果に対する疑問点
    鑑定に異議をとなえた京都大学・河合潤教授
    【ふたりの論争内容その1】鑑定結果が意味するもの
    【ふたりの論争内容その2】犯人ではないことを証明した
        蛍光X線分析測定
    【ふたりの論争内容その3】谷口・早川鑑定について
    犯罪者である証明責任は、観察側にある
第6章 排出権取引に利用された地球温暖化問題
    -科学では地球の未来はわからない
    地球温暖化や寒冷化は本当に起きているのか?
    クライメートゲート事件とホッケースティック曲線の捏造
    地球の二酸化炭素濃度が2倍になると気温は何度あがるか?
    では地球は寒冷化するのか?
    コンセンサスという名の世論誘導
    政治的には終わってしまった地球温暖化議論
第7章 現代物理学は本当に正しいのか?
    正しさの判定基準は、物理学の体系との整合性にある
    世に出回る数々の現代物理「否定」本
    マッハの科学哲学
    マッハの哲学を思想の歴史からひもといてみる
    現代物理学は、観測不可能のものを、実際に存在しているとみなしている
    数学的にだけ証明されている現代物理
第8章 仁科芳雄(にしなよしお)こそが「日本物理学の父」である
    -政治的に葬られた日本の物理学の英雄をここに復活させる
    新庄尋常小学校の神童
    理化学研究所
    コペンハーゲン大学理論物理学研究所
    日本でただひとり量子力学を理解していた仁科芳雄
    サイクロトロンの建設と宇宙線の観測
    日本の原爆開発
    東京湾に捨てられた仁科芳雄のサイクロトロン
    戦後の仁科芳雄
    仁科芳雄の弟子たち

はじめに                            下條竜夫

<批判的思考を実践するということ>

 私は現在、大学に勤務し、その仕事の一環で教養教育の改革について議論している。そのため、教育に関する文章をいろいろ読む。

 そのときに必ず出てくる重要なことばが「批判的(クリティカル)」だ。今までの教育は知識偏重であった。これからは、そこから脱却して、「批判的(クリティカル)」に思考する学生を育てなくてはいけないという論調だ。同様なことばで、「批判的思考法(critical thinking)」というのもある。こちらは、大学のみならず、ビジネス界で脚光をあびているようだ。

 しかし、この「批判的」(英語ではcritical)ということばは、きちんと理解されていないよに私には見える。「鵜呑みにしないで批判的に見ろ」ということらしいが、学問を教えていて、いちいち否定されていたら話が進まない。批判したとしても、それが的確でなければ意味がない。下手をすれば、理解できないので文句を言っているだけだ。だから、実際にどのように批判すればいいのか、さっぱりわからない。「批判的」ということばを使っているひとたちも、実際はなんだかよくわかっていないと思う。

 実はcritical には、「批判的」という意味の他に、もうひとつの意味がある。それは「限界」という意味である。物理でもcritical mass 限界質量、臨界質量などと使われる。つまり、「批判的に思考する」とは、限界まで考えるということと同義なのだ。もっと、わかりやすく言えば、自分がどこまで理解しているのか、その限界をはっきりさせるということだ。

 ある問題について、自分がどの程度その内容を熟知しているのかをはっきりさせる。そのことにより世の中の知識と自分の知識の違いが明確になる。そして、自分の知識をできるだけ世の中の知識と一致させる。これが批判的に考えるという本当の意味である。

 そして、その一種である批判的思考法(クリティカル・シンキング)とは、自分自身がどこまで理解しているのかを明確にすると同時に、世の中でそのことがどこまで明らかになっているのかをはっきりさせる思考法だ。

 「それはすでにこの業界(あるいは学問分野)では当たり前のことですから、深く考えないでそう理解してください」というのが、この対極にある考え方だ。ここからは新しいアイデアはでてこない。だから、新しいアイデアを生む批判的思考法は、ビジネス界でもてはやされる。

 批判的思考法(クリティカル・シンキング)を使って、どこまで明らかになっているのかをはっきりさせることにより、知識の限界がはっきりする。わかっていることとわかっていないこと、つまり人類の知識の総体がはっきりする。そして自分の知識が、その知識の総体を越えれば、新たな知識の創造、あるいは発見となる。これが、その人の業績(achievement)だ。人類に新しい知識が増えたことになるからだ。これこそがまさに、批判的思考法の真髄である。

 この批判的思考法とは、実は、ソクラテスの「無知の知」そのものだ。日本には西洋哲学がしっかり入っていないので、こういう哲学との関連がなかなかわからない。ソクラテスの「無知の知」とは、「私は自分が無知であることを知っている、その分だけあなたより頭がいい」と解釈されているようだ。しかし、そうではない。本当は、「よく理解されていると信じられていることがら(例えばソクラテスで言えば「正義」とか「勇気」)でも、そこにはわかっていない、理解されていないことがたくさんある、私はそのことを知っている」という意味である。

 ソクラテスでは、産婆術が有名だ。これは、質問を数多くすることにより、本人の意識していなかった疑問点を明らかにし、さらに新しい考えを産み出させる問答法のことだ。見下した屈辱的な質問も含まれるから、ソクラテスはこれをやりすぎて、アテネ(アテナイ)市民の憎しみをかい、殺された。

 だから、批判的思考法も、ただ批判するのではなく、産婆術のように皮肉(irony)な質問をたくさん投げかけることが重要だ。例えば「きみはそういうけど、こういうデータもあるよ、おかしいんじゃないの? ちゃんと考えているの?」などと、嫌みたらしい質問をねちねちとする。こういう手法が批判的思考法では一番重要なのだ。ただ、ソクラテスのように後でものすごく嫌われるだろう。

<アポロ11号は月へ行ったのか?>

 さて、話が変わるが、私が早稲田大学4年生のとき、私の指導教官だったのが大槻義彦(おおつきよしひこ)早稲田大学名誉教授だ。1年間、お世話になった。当時からマスコミによくでていた有名人だった。CMやバラエティー番組で、先生を見た人も多いだろう。

 大槻義彦先生は、テレビで「アポロは月に行っていない」と発言して、さらに有名になった。後に、テレビで発言したときのことを、直接、大槻義彦先生に話を聞いてみたことがある。抗議の電話とメールがたくさん来て、大変だったそうだ。ごく身近な研究者に、「あんなバカなことを言うおまえとは、もう縁を切る」とまでなじられたそうだ。

 そういうひどいめにあうのはもう嫌なので、大槻義彦先生は「アポロは月に行っていない」というのをやめたそうだ。こういう政治的な事柄について常識とはずれた発言をすると、科学者としての発言自体をまわりが許さなくなる。

 さて、そこで、前述の批判的思考を、この「アポロ月面着陸問題」についてあてはめてみよう。着陸した証明は、NASAが写した月の表面写真など、いくつかある。その中でも、このアポロ月面着陸の最大の証拠となっているのが、レーザー反射鏡だ。地球と月の距離を正確に計測するためアポロの宇宙飛行士が月面上に設置したものだ。次に、インターネット上にあった『アポロ11号は月面着陸していないはデマ 専門家が背景を解説』という文を引用する。

  「アポロ11号は月面着陸していないはデマ 専門家が背景を解説」

   インターネットにはデマが爆発的に増えている。情報量が劇的に増えた今、日本人の多くが都市伝説のようなデマをいとも簡単に信じ込むようになってしまった。具体的にはこんなデマが話題を集めている。

   1969年にアメリカから飛び立ち、人類が初めて月面に到着した歴史的快挙については、本当は月に行っていないという陰謀論が根強い。科学ジャーナリスト・皆神龍太郎さんが背景を説明する。

  「当時は第二次世界大戦後の米ソ冷戦の影響を受けた両国の宇宙開発競争の真っ只中。ソ連に勝つために、アメリカが一芝居打ったのではないかというのが陰謀論の始まりです。1970年代にアポロ11号の陰謀をテーマにした映画やテレビ番組が続々と発表され、それに流されてしまう人が増えました。

   しかし、アポロ11号の着陸地点に設置されたレーザー反射板に地球からレーザーを打ち込むとちゃんと返ってきますし、月から持ち帰った石を分析すると地球上には存在しない成分が含まれていることがわかっています。アポロ11号は確実に月に到達しています」
                     (『女性セブン』2014年11月27日号)

 このレーザー反射板(通常はレーザー反射鏡という)を、月面着陸の証拠とすることは多い。『アポロは月に行ったのか?─ Dark Moon 月の告発者たち』(雷韻出版)という有名な本がある。この本の中では、月面での宇宙飛行士の映像の疑問点などが掲載されている。この本の前書きに、NASAの本部で報道官を務めるブライアン・ウェルチが、疑問を払拭するために、逆に、次のように指摘していたと書かれている。

   アメリカでは最低でも一カ所、テキサス州のマクドナルド天文台で毎日、月の逆反射体から戻ってきたレーザー光を受け、地球と月の距離を正確に観測している。我々がもし一度も月へ行ったことがないとすれば、このようなことが可能だろうか。この質問に対する答を得られたときには、喜んで話をしよう。
          (メアリー・ベネット、デヴィッド・S・パーシー著
          『アポロは月に行ったのか?─ Dark Moon 月の告発者たち』)

 『アポロは月に行ったのか?』という本の中には、これに関する反論、あるいは説明はない。

<レーザー反射鏡の存在は月面着陸の証拠となるのか?>

 さて、ここで登場するのが批判的思考法だ。本当に、レーザー反射鏡が証拠となるのかを、どこまでも批判的にかつ限界まで考えなければいけない。そして、結論から言うと、レーザー反射鏡をアポロ月面着陸の証拠としているのは、原理を熟知していないからであって、実はレーザー反射鏡そのものは証拠にはならない。

 まず、月面反射鏡の原理をのべよう。鏡を考えてみてほしい。鏡は光の入射に対して入射角と出射角があり、鏡の面に対する入射角がθ度であれば、出射角もθになるという特性がある。すなわち入った角度と同じ角度で光が出て行く。

 次に1枚ではなく、2枚の鏡を90度にくみあわせて、2回反射させたらどうなるかを考えてみる。つまり2つの鏡を90度に組み合わせて、そこに光を入射してみる。

 すると、最初の鏡に対する角度であらわすと、入射角がθで出射角がθ、2枚目の鏡には「90 -θ」の入射角で出射角が「90 -θ」となる。ところが、もともと90度に組み合わせてあるから、これは最初の入射角に対して180度逆の方向となる。すなわち、90度に組み合わせ2つの鏡に光が反射した場合、光は180度反対の角度ででてくる。それは、どの方向から入ってきても光は同じ方向で帰っていくことを意味する。

 絵をかくと左のようになる。

 この90度になっているところに2度反射すると同じ方向に返っていくというのは、実はレーダーの重要な原理だ。航空機は翼のつけねが直角になっているため、ここがレーダーの反射点となる。そこで、レーダーに探知されないステルス戦闘機は一切、直角の部分をもうけないようにしている。垂直尾翼が2枚あったり、薄っぺらい形をしているわけだ。

 さて、「鏡2つ」の考え方は二次元であるが、三次元でも同じ効果を出すためにつくったのが、3つの鏡を90度でくみあわせたものだ。立方体の角のように削るとできる。光学部品を売っている会社で、誰でも簡単に手にはいる。「コーナーキューブプリズム」という名前で売っている。

 レーザー反射鏡というのはこれをたくさん平面上に並べたものである。どの方向からの光も同じ方向に返るので、設置するのに精度はいらない。それでも宇宙飛行士が地球の方に向けて置いておかなければ使えない。だから前述のように月面着陸の証拠とされている。

 ところが、このコーナーキューブプリズムを、ぐるっと球面上に多数配置したものがある。つまり、ダイヤモンドみたいに、まわりの多面体のすべての面がコーナーキューブ状になっているのである。この多面体ならば、一方向だけでなく、四方八方どの方向から来た光も、来た方向と反対方向に返っていくことになる。距離測定用のものを1回だけ見たことがある。多面体の中には、どの方向からみても自分の黒目が見えていた。

 このコーナーキューブプリズムの多面体を、月面上に転がしても、それで十分、月面レーザー反射鏡となる。どの向きに転がっても、この多面体は来た光を逆方向にしか反射しない。

 だから、多くの人がこのレーザー反射鏡が人類月面着陸の大きな証拠のひとつと思っている理由には、「レーザー反射鏡を設置するためには、人間の手で正確に設置しなければいけない」という暗黙の前提がある。しかし、そうではない。この前提を「批判的(クリティカル)」に疑わなくてはいけい。そして、実は人間の手で行う必要はない。コーナーキューブプリズムの多面体を月面上に転がせばそれでレーザー反射鏡となってしまう。それは無人ロケットでも十分に可能だ。

 次に実際の実験結果を見てみよう。実は、月面にあると言われているレーザー反射鏡は反射率が異常に低い。

『サイエンス』というアメリカの雑誌に掲載された論文「Lunar Laser Ranging」(J. O. Dickeyet al., “Lunar Laser Ranging : A Continuing Legacy of the Apollo Program”, Science 265 482(1994) )をもとに、どのような反射率なのかを見てみよう。ちなみにこの論文は、過去の反射鏡による月と地球の距離変化データーをまとめた論文である。この前半のところに、どの程度の光(ここでは光子数)が地上からのレーザーで帰ってくるかが記述してある。

 それによれば、本来「2 × 10^-18」の割合で帰ってくるはずの光が「10^-21」程度の割合でしか帰ってきていない。普通は一発当たり「10^ 19」個のフォトン(光子)を含んだレーザー光を月に向かって打つ。だから、100発に1回程度しか反射信号がないことになる。この論文は、この低さの理由として検出器の効率、反射鏡のゆがみなどをあげているが、どうも理由としておかしい。オーダーが違いすぎる。

 ここから考えられることは、月に反射鏡があるにしても、その面積は、置いてきたと言われる月面反射鏡のそれよりもずっと小さいのではないかということだ。2~3桁小さいから、置いてきたといわれる反射鏡のおよそ10分の1の大きさの反射鏡があるのではないかと私は疑っている。

 つまり、月にあると言われる反射鏡の大きさが数十cm程度だから、直径数cm程度のコーナーキューブプリズム多面体でいいわけだ。それで十分、現在行われている地球と月の距離を正確に観測することが可能だ。

 だから、アポロ月面疑惑というのは、単純に否定できない。レーザー反射鏡は証拠にはならない。

 宇宙科学研究所のある先生が「確かに行ったという証拠はなにもないから、アポロが本当に月に行ったのか疑問に思うのも不思議はない」と発言したことがあるらしい。これが今のところ、一番正しいと私は思う。

 この本に掲載した数々の事件・出来事は、私がこの批判的思考法(クリティカル・シンキング)を使ってどこまで明らかになっているのかをはっきりさせたものである。もうすでに決着がついている事件(例えばSTAP細胞事件)でも、疑わしいものについては、はっきりとそう書いた。

「お前はそう考えるが、それは間違いだ、なぜならこういう事実があるからだ」とお思いの読者がおられたら、ぜひメールをください(gejoアットsci.u-hyogo.ac.jp)。

 なお、この本に掲載したのは、もともとは『副島隆彦の学問道場』(https://www.snsi.jp/)というサイトに投稿したものです。副島隆彦先生には、文章指導から校正まで、本当にお世話になりました。ここに謝意を表します。また、ビジネス社の岩谷健一様にもお世話になりました。あわせて御礼申しあげます。

  2015年11月                         下條竜夫

(終わり)

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