「182」ユーチューバーたちの世界(私が見た限りでの) ⑭ 孫正義 2⃣

副島隆彦です。今日は5月9日です。
孫正義論の2回目です。

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■アメリカの高校に編入してカリフォルニア大学へ

孫正義はだからもうさっさとね、久留米大学付設高校を中退して、17歳(1974年)でアメリカに渡った。それでホーリー・ネイムズ・カレッジという、おそらく宗教団体系のアメリカの短大に編入している。これは一応大学ですけどもアメリカは短期大学というか。カレッジというのは二年制のところがあるんです。これは例えば、ハーバード大学なんかにくっついてる、後に女子大になったけど、雅子さまなんかも出たお嬢様校 ラドクリフ・カレッジ(Radcliffe College)というのがある。今はハーバード大学の一部になりました。

孫正義はそれからサンフランシスコのセラモンテ高校というところに編入。高等学校卒業検定試験に合格して日本に帰ってきた。その後、20歳(1977年)で、カルフェリア大学バークレー校にの3年生に編入になってます。前のカレッジでの2年間が認められてね。

それで自動翻訳機というのを発明して、特許を2000万円でシャープに売った(1979年、孫正義22歳)。この時に孫正義が手にした2000万円が非常に大事です。だから孫正義はこのころすでに世界基準で動いている。

同年にシャープが販売した書院というワードプロセッサーがありましたが、孫正義の特許も使っているでしょう。そのワープロ「書院」を、1979年に私は使っていたんです。かなり高価だった。私に買う力がなかったから、レンタルで借りたんですよ。ワープロというのはこのときに出たんだ。PC(パソコン)が出るのはずっと後ですよ。

ワープロ「書院」【シャープ株式会社がかつて販売していたワープロ専用機のシリーズ。1979年から2003年まで生産されていた】

 

■23歳で日本ソフトバンクを設立→〈不明期間〉→33歳で株式を店頭公開

福岡の南に大野城市(おおのじょうし)っていうところがある。本当はこの大野城市に邪馬台国があったんじゃないかと説もあります。
参考書 物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国は太宰府にあった
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大野城市

1980年、孫正義(23歳)は大野城市で「日本ソフトバンク」というのを設立して社長になって、けど2年後には辞めた(25歳)。「人様のためになる仕事をしたい」とか言い出したという美談の出世物語になってますけど。ここから10年間がよくわからん。1980年から90年、孫正義が23歳から33歳までがね。

で、ここから東京に出てきていますね。1990年にはソフトバンクという会社を店頭公開している(33歳)。この店頭株銘柄というのが昔あったんです。上場は英語でリステッド(listed)ですが、上場というほどじゃないけれども売買登録して売買できる株なんですね。

今で言えばグロースというか。今の日本の株式市場、マーケットは、プライムとスタンダードとグロースに分かれていてね。昔の一部上場がプライム、二部上場がスタンダード。三部の新興ネット企業みたいなところがここ、グロースにに集まるんですけどね。売上が20億円くらいあって元気な会社は、割とどんどん上場させるんです。

〇 参考note 東証プライム・スタンダード・グロースって何?初心者向けに違いをやさしく解説 ← クリックしたら移動します

 

■39歳でヤフー設立、テレ朝買収騒動(1996年6月)

1996年。ここからが不思議なんだけど、あのヤフーを設立しています(39歳)。それで1996年の6月、これがものすごく大事。

このときルパート・マードック(Keith Rupert Murdoch、1931年 –  現在93歳 )が日本に来たんです。そして孫正義が横に座ってたのね。それがもう非常に大事な重要な写真です。【 ⑩ ホリエモン前半】 にも少し書きました。 ⑩ホリエモン 前半 ←クリックしたら、第2ぼやきの該当記事に移動します。


ルパート・マードック(2012年の写真)【メディア・コングロマリットのニューズ・コーポレーションを立ち上げ、世界的なメディア王として知られる。ニューズ・コープとフォックス・コーポレーションの株主、共同会長という立場でテレビや新聞、映画、雑誌、音楽産業、インターネットなどを中心とした世界に散らばるメディア企業を率いている。長年オーストラリアを拠点としていたが、1985年にアメリカ合衆国でフォックス放送を創設した際に連邦通信規則との関係でアメリカに帰化した。】

副島隆彦です。マードックと孫正義が何をやってたか。旺文社という、昔は受験産業関連の出版で有名な会社があります。旺文社が出していた蛍雪時代という月刊誌を、受験生というか浪人する人たちやらも含めて一所懸命に読んでいた。有名な重要な月刊誌でした。旺文社は予備校産業に負けて、今はほとんど潰れちゃったといえる状態です。その旺文社の子会社「旺文社メディア」というのが当時、テレビ朝日の株(株式21.4%)を持っていたんですね。

マードックと孫正義たちは、1996年2月に、この「旺文社メディア」を買収したんです【ソフトバンクとニューズ社との折半出資で合計417億円で】。それでテレビ朝日の株式の株式21.4%を間接保有すると。株主の力で、アメリカ世界基準でテレビ朝日のM&Aをやろうとした。これはMergers and Acquisitionsって言うけど、企業の合併吸収。わかりやすく言うと「のっとり」です。これを公然とマードックが日本に仕掛けてきた。

そしたら日本側でギャーギャー大騒ぎになった。前にも書いた通り、「いくらアメリカでも、日本のテレビ会社と新聞社だけは絶対に買収させない」という固い決意が日本側にあるんです。今でも本当に大騒ぎになります。テレビ局や新聞社の買収問題だったら。

まあ今は日本のテレビ局はだんだん力がなくなってるから、ホリエモンなんかは、フジテレビを俺が買ってやるみたいなことを割と平気で言いますからね。不思議な感じなんですよ。それほどにテレビに力がなくなってるんですね。「1兆6千億円くらい出せば買えるんじゃないの」、みたいなことを平気で言いますね。

マードックという人は、アメリカのニューズ・コーポレーション(2013年に「21世紀フォックス」と「ニューズ・コープ」に分社化)という大きな会社の会長なんです。これが CNNを持っている。今は長男のジェームズと次男のラクラムというのに任せてるんですけどね。エリザベスという長女さんがオーストラリア人だからオーストラリアでメディアを握ってる。

それで、この6月●日の写真がものすごく大事なんです。孫正義にとって生涯で一番大事なのはこの写真ですね。

マードックの子分として堂々と、この時に孫正義(39歳)が日本に出現した。それまでは誰も知らなかった。

当時の孫正義とルパート・マードック

で、大騒ぎになって、結論としては「絶対買収させない」ということで、翌年の1997年の3月かな。600億とか800億円で日本側が、いや朝日新聞社がソフトバンク保有のテレビ朝日株式を買い戻して、マドードックは撤退しました(ソフトバンクのテレビ朝日への出資は立ち消え)。マードックが日本に来たのはその1日か2日だけなんだけどね。この事件は、今考えても非常に大事なんです。

 

■40歳で衛星放送に進出(失敗)

1996年、テレ朝買収騒動と同じ年です。孫正義はルパート・マードックと一緒に、JスカイB(ジェイ スカイ ビー)というのを始めた。テレ朝買収はこれの一環だったんです。この頃、「これからは衛星放送だ」ということで、どこの家もパラボラアンテナをワーッとつけました。JスカイBはパーフェクTV!と合併して、ソニーやフジテレビとも組んで、スカイパーフェクTV!(スカパー!)いうのに名前を変えたんだけど(1998年)。

パラボラアンテナ

結局この衛星放送はうまくいかなかった。ほとんどが潰(つぶ)れてなくなりました。国の面積が大きいインドなんかは衛星放送がまだあるらしいですけど、日本ではなくなった。何に負けたかというと、これもみんなが知らない。ケーブルテレビに負けたんですよ。ケーブルが全部の家庭、各家に引かれたから。この事実も非常に大事なんですよ。

私の家も、伊豆急という地元の鉄道会社が持ってるケーブルテレビに入って、月に2,000円ぐらい払ってますね。衛星放送は全部、ケーブルに負けたんです。日本全国でその動きがあって。田舎の方はまだ今でも衛星放送やってるかもしれない。離島とかはね。

ところが近年、そこへイーロンマスクのスターリンクというのが進出した。スターリンクを使ったインターネット回線の提供をKDDI(au)がやっていて、6,500円払ったら石垣島のそのまた離島とか山奥とかでも「空が十分に見渡せる場所」なら、インターネットでの画面がくっきりはっきり見えるようになったそうです。

スターリンクのアンテナ

これまでは携帯電話やスマホのための基地局を全国に作って来た。何千個もね。基地局を一つ作るのにも何千万円もかかるんですよ。スターリンクの出現で、もう基地局を何千個も作って回ることもしなくていいという事態が急激に出現した。これもね、大事な事実です。

携帯基地局

基地局マップ

孫正義に話を戻すと、この後の動きが今でも不思議なんです。もう1999年にはね、孫正義(42歳)はナスダック・ジャパンという会社(ナスダック・ジャパンプランニング株式会社。米国のナスダック・ストック・マーケットと共同出資)を作るんです。翌年の2000年に大阪証券取引所にナスダック・ジャパン市場を開設した。これはIT系の新興企業たちの株式市場で、今はヘラクレスっていうのに名前を変えています。でもほとんど実体はなくなりました。どこ行ったんだよ、っていうぐらいに消えましたね。

 

■通信産業における、国益をめぐる激しい争い

孫正義は暴れん坊なんですよ、この頃すでに。日本のメディアというか、通信産業を乗っ取るぐらいの勢いだった。ただ、ウィキペディアなんかには書いてないけどね。ソフトバンクがモバイルつまり携帯電話を出した時に、郵政省との激しい争いがあったんです。今は総務省といいますが。それまで通信回線を独占的に持っていたNTTというのは、もとは日本電信電話公社(1985年に民営化)ですから、政府の官僚たちの天下り先だったんです。だから、NTTは回線を解放することに相当に抵抗したんですよ。

ソフトバンクが進出を始めたその時に、天下りした郵政省の官僚たちや日電(日本電信電話公社)の幹部社員たちや副社長クラスの人たちが何人も死んでいるんです。彼らは「心労がたたって死んだ」ということになっていますけどね。日本の経営者の世界では、孫正義氏に殺されたんだって、そういう話が割と平気で飛び交っていました。それぐらいに日本の官僚たちは「電波を、通信網を孫正義に握られるわけにはいかないんだ」と、必死の抵抗をしていたんですよ。今もそうなんですよ。NTTドコモはね。

それは「国益を巡る戦い」と言って、これはすごいんです。「通信と電波は絶対にアメリカに握られない」という激しい、固い決意がある。私はわりと裏側のことを知ってるんですよ。それは、森喜朗(もり よしろう、1937年ー 現在88歳)という日本の指導者も生きていますけどね。彼らのような、日本で一番の暴力団体質である自民党の親分たちが裏側で全部の利権を握っていて、そのすぐ下の子分たちと私は付き合っているから、自民党の勉強会で。よく知っている。

このアメリカとの闘いで必死で守り抜いたから、彼らは自分のことを愛国者だと思っています。だから森喜朗はアメリカに非常に嫌われていて、プーチンと仲がいいとか言われている。電波通信というのは国家にとっては “神経細胞” ですから、絶対に外国勢に握られるわけにはいかないと。

【えっ。しょっちゅう先生の話にワルモノで登場する森喜朗はいい奴なんですか?】そうなのよ。その場面では。だから私も勉強会を入れてもらっていた。そういうもんですよ。あなたもファンである佐藤 優(さとう まさる)氏は森喜朗の子分そのものですからね。

外務省系としては、プーチンとの駆け引き取引の時は、佐藤優の親分の鈴木宗男が、森喜朗の下にきっちりくっつくんです。だから鈴木宗男は自民党に戻れたんですよ。鈴木宗男と佐藤優と森喜朗が北海道に行ったときなんか、平気で三人で並んでテレビに出ていましたよ。そういうものなんです。国家利権、国益というのはね。

鈴木宗男参院議員(右)の「叱咤激励する会」であいさつする森喜朗元首相(2024年10月)
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佐藤優と鈴木宗男のYouTube『東京大地塾』から ←クリックすると移動します

副島隆彦です。「国益(こくえき)」はnational interest(ナショナル インタレスト)というのは非常に重要な言葉です。普通の人が平気で使えるようなものではないんですよ、この言葉は。国益をめぐる争いとなったらね。

あと「政局(せそいきょく)」という言葉があって。政局という言葉も新聞記者たちしか使えません。そういうことは日本人にはわかりません。これは、政権がひっくり返るとか交代する時の言葉なんです。政権が変わる時の動乱というか、大騒ぎのことを「政局」って言うんです。

 

■政府系の金融機関の大きな流れ

それで、私は昔に書いたことではあるけれど、ほとんど誰も注目してない大事なことがある。特殊銀行という言葉があって、1900年前後に殖産興業政策を進めるため,特別法によって成立した銀行なんですが。

〇補足説明【特殊銀行とは、次の7行(㋐~㋖)、および全国の府県ごとに置かれた農工銀行 by wikipediaリンク

㋐ 日本興業銀行(興銀)・・・重化学産業振興を担う
㋑ 日本勧業銀行(勧銀)・・・農工業の発展に寄与する
㋒ 横浜正金銀行・・・国際金融専門
㋓ 北海道拓殖銀行(拓銀)・・・北海道開拓を経済面で援助する
㋔② 朝鮮銀行(鮮銀または長銀)・・・併合地の中央銀行たる銀行
㋕③ 台湾銀行(台銀)・・・同上
㋖ 朝鮮殖産銀行(殖銀)・・・朝鮮の農工業振興を目的とした

 

副島隆彦です。それと、明治になって以降に周辺国に進出して、日本が現地で作った銀行、言い換えれば国策銀行①~④がある。これはものすごく大事なことでね。それのそれぞれが実は、その時植えた根っこの財産を持ってるんです。

① 満州中央銀行(1932年~新京に設立)
②㋔朝鮮銀行(1876年の釜山港開港を機に、日本の第一銀行(後の第一勧業銀行。日本興業銀行と富士銀行とも合併して、現みずほ銀行)は朝鮮半島に進出。1911年に朝鮮銀行設立)
③㋕台湾銀行(1899年、台北で営業開始)
④ 樺太銀行(1914年に大泊町で金銭貸し付け及び倉庫業を設置した樺太金融株式会社を前身とし、1916年に商号を変更した銀行)。

【①②③は、1945年9月30日、GHQが日本政府に対して交付した覚書「植民地銀行、外国銀行及び特別戦時機関の閉鎖」基づきに閉鎖され、日本法的には解散した。④は、1941年に㋓北海道拓殖銀行に吸収され消滅】

副島隆彦です。それら銀行が今の大きな銀行に繋がっているんです。②朝鮮銀行の日本国内の残余資産で1957年に設立された銀行が日本不動産銀行で、1977年に★日本債券信用銀行と改称。バブル崩壊後の不良債権処理で経営破綻し、1998年に一時国有化された後、2001年に「あおぞら銀行」として再スタートした現・あおぞら銀行です。こういう大きな流れがある。

日本債券信用銀行【にっぽんさいけんしんようぎんこう、英称: The Nippon Credit Bank, Ltd.)は、かつて存在した長期信用銀行3行の一つで、債券発行銀行。写真は旧日本債券信用銀行本店。現在は解体され、北の丸スクエアに建替えられている】


丸ノ内スクエア

 

(③に続く)

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