「2138」 中国人金持ち層500万人が日本の土地住宅を買いに来る、このことはいいことだ(第1回・全2回) 2024年6月18日
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副島隆彦です。今日は2024年6月18日です。
今回のタイトルは、「中国人金持ち層500万人が日本の土地住宅を買いに来る」です。
この一番重要な一行で、読者の関心を引きつけます。私はこの「中国人の資産家層が日本にじわじわと、かつ大量に買う」を今日は説明する。最初は観光客としてやってきて、それから日本の都市部の高層鉄筋アパートとリゾート地の鉄筋アパートと別荘(ヴィラ)をどんどん買っていると強く予測する。
中国人向けの日本の不動産売買サイト
それは既に始まっている。不動産と土地バブル問題が主要なテーマだ。私は金融経済物(もの)の本をずっと、この25年でもう50冊以上書いてきた。不動産というのは、金融資産に次いで大事な、実物資産(タンジブル・アセット tangble asset ) です。ただ動きが独特で、鈍重な動きをする。なぜなら不動産は非常に高価なものだから。
一番典型的には、サラリーマン階級が40歳ぐらいで、3000万円ぐらいの住宅ローンを借りて、5000万ぐらいの一戸建てか、鉄筋アパートを買うという実態がある。これが日本国民の慣行で、基本行動です。今は金利がものすごく安いから、変動も固定金利も大した差はない。年率1%ぐらいで25年ローンを借りて、一生に一度の大きな買い物をする。これを嫌がる人たちで、家を持たない人たちもいる。それは一応論外とします。家賃を払い続ける人です。あるいは金持ち層だったら親の家がある。あるいは親が持っている賃貸しアパート(これをアメリカではコンドミニアムという)に入居する。
高層鉄筋アパートの価格推移
興味・関心を引きつけるのに大事なこととして、まず北海道のニセコの開発です。20年前からオーストラリア人が入ってきた。ニセコ(本当は駅は、倶知安=くっちゃん=だ )と その隣のトマムというところは、西武の堤義明(つつみよしあき、1934年-、89歳)が開発した。ニセコのパウダー・スノーを求めて、オーストラリア人が数万入ってきた。日本人の資産家たちが、1990年頃(リゾートバブルの破裂の直前)に、3000万円ぐらいで買った高級リゾートの西武ヴィラを、500万円(5万ドル)ぐらいでどんどん買った。
堤義明
ニセコのコンドミニアム
そしてオーストラリア人の旅行会社が入っているからだろうけれども、オーストラリア国内で噂と評判が立って、どんどんニセコに入っていった。そして10年ぐらい前から中国人がそれを追っかけるように入ってきた。中国人たちも「安い、安い」と言って、ニセコ、トマムのリゾート・アパートの空き家をどんどん買った。そして背後の大きな 〇〇という山の山肌でパウダース・ノーを楽しむ。これが、この200年続いている。それが3万人か5万人規模で来ている。今年はさらに過熱して10万人まで行ったかもしれない。さらのその周辺の山もスキー場用に開発が進んでいるという。
私も北海道に何回か行った。なぜか20年前から札幌のまちにも中国人はたくさん来ていた。テレビドラマで有名になった場所とかあるらしい。冬の雪まつりのときを中心に来る。北海道という、あんな寒いところに普通の本土の日本人はほとんど行かない。だけど中国人がたくさん来ている。パウダー・スノーの大きな山の本格的なスキー場が大好きだというオーストラリア人が最初に始めた。それを中国人が追っかけた。
私のように、九州から出てきて50年になるけど、私のような人間は、30年前に東京からだったら新潟県と長野県のスキーに行った。「私をスキー連れてって」という映画がはやった。バブルだった。だがこの番組はもうスキー・バブル(熱狂)の終わり頃だった。私はこの頃、大宮に住んでいた。埼玉県の大宮というのは、4本の路線の新幹線が停まる要(かなめ)の都市で、上越や北陸や東北地方に行く拠点だ。夜行バスが主だったんですけど、夜行バスで行くと、スキーの民宿の家のそばまで到着するから便利だった。鉄道だとやっぱり駅からさらにかなりあるので、夜行バスが人気があった。
「私をスキー連れてって」
日本の上越や長野のべちゃべちゃの雪は、恐らく世界基準では雪山としては良くないのだろう。だけど私みたいな最後までスキーが下手で、ボーゲンしかできなくて、パラレルがきちんとできなかった人間がいて、だらだらと滑っているこういう人間たちにとっては、このべちゃべちゃの雪でいいんです。ふわっと自然雪の中に入り込んでしまえば、そこでスピードが落ちて倒れるわけですから、安全で体にもいい。パウダー・スノウの 粉のような雪は、どうかするとザラメのような堅い氷の粒のようになる。だから人間の肌を傷つける。
余計な話だが、だから私は新潟県と長野県のスキー場が大好きだ。今の私の洞察力(どうさつりょく)では、どうやら越後湯沢(ゆざわ)にまで、中国人が入り出して進出してきている、と思う。
この今の2024年4月が端境期で、もう日本人にとっては、リゾートバブルがはじけたのが1992年だ。それ以来33年間、日本の経済はぼろぼろになっている。冗談抜きでリゾート地のスキーゲレンデのそばのヴィラは、売値が、10万円、20万円だ。
越後湯沢のリゾートアパート
日本人は買わない。買う人いない。なぜなら売値30万円で、築30年のリゾートの鉄筋アパートを、狭いのは床面積30平米から、大きいのは50平米ぐらいを買ったとしても、管理費が4万円、5万円ぐらいする。修繕積立金まで入れると。そうすると、年60万円になる。だから払えない。これ以外に、大体、年間5万円ぐらいの固定資産税が来る。これを払う能力がある日本人がほとんどいなくなっている、いわゆるサラリーマン層では。
価格の一例
金持ち層ではありません。金持ち層は、こういう貧乏物件は買わない。私は自分の金融本で、10年前から「崩れ別荘」という言葉を使い始めた。「投げ捨て物件」という言葉も私が使い始めた。驚くべきことに昨日、共同通信の記事で、越後湯沢、ここを「雪国」って書いていた。川端康成(かわばたやすなり、1899-1972年、72歳で死)の『雪国』(1935年)の舞台になったところだ。東京から見たら関東の北の縁(ふち)だから、上州(じょうしゅう、群馬県)の先ということで、谷川岳(たにがわだけ)という急峻な山が有って、そこの向こうが、越後の国(えちご。新潟県)の国だ。
この越後の大変な山の峠を苦労して越えて湯沢の町に入る。それも大正時代からは、鉄道がある。だから新潟まで鉄道は通っていた。萩原朔太郎(はぎわらさくたろう、1886-1942年、55歳で死)という有名な詩人が、「まだ、上州の山は見えずや」と詩集で歌った。鉄道はまだまだもくもくの蒸気機関車ですね、で、故郷の上州に帰る有名な詩がある。
川端康成
萩原朔太郎
越後湯沢で言うと、みんながもう知らないからあえて教えるが、『雪国』という小説は、川端康成の割と中期の作品だ。東京の反物屋(たんものや)というか、日本橋の呉服屋(着物屋)の若旦那が春、3月、雪が解け始めるころになると、でもまだ越後湯沢は2メートルの雪が積もっているが、そこに百姓のおかみさんたちが冬の間を越す間に、家で内職として機織りをやっていた。一応、高級な絹ですよ。低級な絹である紬(つむぎ)ではない。絹の反物を作らせる。材料と機織(はたお)りの機械を貸す。この東京の日本橋の呉服屋が、毎年、春の始めに、そのできたものを買いに行く。出来や質によって値段も違うと思うんだけど、値踏みして買う。そうやって出かけていった反物屋の若旦那が、そこで旅館の芸者の駒子という薄幸の芸者と仲よくなって、つき合うという話だ。
谷川岳
これは映画にもなって、1957年と1965年、2本ある。最初の映画は岸惠子(きしけいこ、1932年-、91歳)が主演して、2つ目は誰だったっけ、岩下志麻(いわしたしま、1941年-、83歳)が主演している。これでも有名になった。この湯沢の手前の谷川岳が大変で、大きな山でして、これが群馬県と新潟県の境だ。この谷川岳が深秋には、紅葉(もみじ、あるいはかえで)で、黄色と真っ赤になる山として有名だ。ここをぶち抜いたんです。そこに大清水(だいしみず)トンネルというのを通した。
「雪国」での岸恵子
「雪国」での岩下志麻
田中角栄(たなかかくえい、1918-1993年、75歳で死)が、「列島改造論」を1972年にどんと唱えて、今でいうと国土交通省の建設官僚たちに「ぶち抜け」といって、日本地図に赤い太い線をばしっと引っ張ったんです。「ぶち抜け」と言った。角栄がまだ建設大臣の時だ。そしたら建設官僚たちが驚いた。びっくりしたんです。しかしやれ、と言ったら、日本には高度技術がありますから、やっや。トンネルをずーっと掘って、新幹線を通したんです、本当に通した。通したことで新潟まで新幹線でつながった。途中に長岡(ながおか)という大きな平地の都市があって、この長岡が田中角栄の選挙区です。雪国というこの北国の厳しい気候の中で生きる人間たちに、大きな恩恵を与えるという思想です。これは正しい政治だ。建設官僚たちも本気になってやった。角栄は大変優れた日本の指導者だ。
田中角栄
列島改造論の地図
そこにバブル経済が登場する。日本のバブルは、1980年代末バブルというのと、その前の銀座や熱海が浮かれた1972年までの、70年代の高度成長経済のバブルがあった。第一次(1972年)、第二次オイルショック(1979年)の直前までだ。バブルのときは、全国で、飲めや歌えやの、どんちゃん騒ぎがあった。2つ目の大きなバブルが、1987年からのバブルだった。株式の異常な高騰と、狂乱地価(きょうらんちか)があった。そのときには長谷川慶太郎(はせがわけいたろう、1927-2019年、91歳で死)と、邱永漢(きゅうえいかん、1924-2012年、88歳で死)という男が、「株式投資をしない者は人間じゃない」みたいなことを言って、バブルにみんな踊った。それが、1990年を越すと、あれよあれよ、という間に、ばーんとはじけ飛んだ。
長谷川慶太郎
邱永漢
それまでに東京の資産家、小金持ち層が、なぜか5000万円から1億円の余裕資産ができた。だから、その資金で、日本全国あちこちに別荘を建てて回った。業者から買った。あるいはリゾート・アパートが死ぬほど建ちました。そこをみんなで、5000万、一戸建てなら5000万から1億円、平気で買った。このあとバブルがはじけまて、みんなの苦労が始まる。ローンまで組んで別荘(villa ヴイッラ)を買っていた連中は、経済が逆回転(リワインド)を起こして融資金(ローン)の返済に苦しむようになる。3千万円で買ったゴルフの会員権が、ピーク時には、1億円( 億カン。1億円カントリークラブの略称)にまで瞬間的になったが、そのあと、暴落した。それが今は200万円ぐらいだ。
私が埼玉の大宮に、7000万円近い価格で家を買ったときが日本のバルブ経済のピークだ。1989年4月だ。
この1月に昭和天皇(1901-1989年、87歳で死)が死んで、9月から私は『欠陥英和辞典の研究』という本を友人のカナダ人(イギリス人でもある)と書いて出版して、訴えられた。研究社という辞書会社や外語大の教授たちと裁判になった。私はそのとき36歳で、そのときに私はどうやら日本国で言論人デビューしたようだ。それが1989年だ。日本のバブルの頂点(ピーク)の年だ。。 それから35年が経ちました。私が36歳ということは、その前の35年が私にはあるわけね、合わせて70歳だ。そして今の私がいる。私にとっての人生の折り返し地点だったのだ。
リゾート・バブルというのは1992年まで続いた。都市部ではもう既に土地住宅は大暴落を始めていたんだけど、遅れてリゾート・マンションが全国各地に建ったのだ。まだバブルの破裂に気づかない人たちが、騙されて、まだバブルに踊っていた人たちが買った。そのあと、ぼろぼろになった。彼らの人生もぼろぼろになった、と言うべきだろう。
苗場(なえば)地区も、プリンスの堤義明がドカーンと大開発した。そこに私も3回行きましたね。何だか騙されていた訳ですけど。熱狂して狂ったように順番にみんなで行った。越後湯沢から、六日町とか石打丸山とか、あとJR東日本自身が、遅れてガーラ湯沢というのまで、湯沢の山の上に作った、ちょっと遅れて1993年ぐらいだ。
苗場というのは、あの辺のスキー場と違って、湯沢よりも、20キロ真(ま)南なんです。タクシーで5000円ぐらい掛かった。馬鹿みたいに遠いところなんだけど、そこに大きなゲレンデをつくった。そこに東京の池袋と全くそっくりに、横に横にデパートビルと同じく4つ並べた。それが、苗場で山の中腹の西武のホテルだ。反対側のこっち側の斜面のところが西武ヴィラが並んでいた、真ん中がゲレンデだ。
ガーラ湯沢
冬には松任谷由実(まとうやゆみ、1954年-、70歳)ユーミンが、苗場プリンスホテルに来てコンサートをやった。1週間ぐらいやった。私は行ったことはないけども、昼食にカレーライスとかが食べられる、大きなホールがあったから、あそこでやったんだと思います。あそこにコンサートもできる舞台が確かに有った。
それから苗場にもゴンドラがあって、リフトで上のほうまでずっと、いくつも乗り継いで上がっていくの面倒くさいから、500円払うと一番てっぺんまで連れていってくれた。もうゴンドラに並んで、並んで。大変な人の数で、4列縦隊で1000人以上も並んでいた。
苗場コンサートでの松任谷由実
そのあと、リゾートバブルも、暴落して。私が20年前に、金融講演会を経営者たちの団体でやったときに、はっきりと覚えているが、経営者たちが言った。もう20年前だから2004年に、「副島先生、もう苗場の西武ヴィラはただだよ。ただでも要らないよ」と経営者たちが言い合っていた。経営者たちは情報も早いから、別荘とかを買ったり売ったりしていましたから。投げ捨て物件が既にもう始まっていた。ただ、一般庶民やサラリーマン階級がその真実を知るのは、さらに10年後なんです。ただでも要らない、というのが、もう既に20年前に起きていた。そして今、不動産業界で出回っている苗場の西武ヴィラは値段が、ずらりと10万円です、本当に。ただし、管理費が5万円かかるからとても払えない。そういう人がいっぱいで、もう見向きもされない。
最近、越後湯沢の駅のそばで、古い日本家屋の旅館が、中国人に買われた。本当にタダに近いような安値だったと思う。それを手入れして、その中国資本が、中国から冬にスキー観光客を大量に呼び込むだろう。それが現に始まっている。韓国人たちは、群馬や栃木のほとんど潰れかかっているゴルフ場を、1億円とかで買って、韓国からゴルフツアー中心の観光客をたくさん連れ来るだろう。台湾からも香港からも来る。もう日本の国は、このように中国文化圏に(ちゅうごくぶんかけん)に完全に入っている。 このことを自覚しない日本人は、アホだ。あるいは、統一教会支持の反共右翼の愚か者たちだ。
10年前に、もうスキーやる人がほとんどいなかった。スノーボーダーが10人か20人だらだらと斜面をちらほらと滑っている程度の、そこまでひどい状況に日本の全国のスキー場はなった。それまではスノーモービル車を出したり、雪の氷をがーっと、冷却用の噴霧器で――ジェットガスだと思うんだけど――わーっとまき散らしたりして、人工雪を作った。そういうこともやっていた。村営とか町営でスキーリフトを動かして、2500円とかで1日乗り放題リフト券というのを売っていた。あれで町が儲かったのだ。それで施設を整えた。
だから、私も温泉地やらのスキー場も、有名な温泉宿のある野沢温泉とかのスキー場にも行った。他に妙高、赤倉という雄大な山で長野県のかなり北まで行った。日本海まで見えた。あっちこっち行ったけど、すべて友だちに引きずられて、何だか知らないけど夜行バスで行ったのだ。
今はリゾート・アパートが10万円まで落ちちゃって。不動産情報誌にずらーっと並んでいる。誰も買い手がつきかない。だから今がどん底だ。これを中国人が買いに来るだろうと私は思っている。私は熱海に住んでいるから、熱海の再バブルが今もう準備されていると知っている。5年ぐらい前から、地上げ屋さんの不動産屋たちが入っている。台湾資本ということになっていますが、台湾資本、香港資本のホテルに建て替わっている。ビーチの前の古いビルを壊している。表面上は台湾資本だけど、裏は中国本土の資本が入っているだろう。ただ、あんまりまだ外国人、すなわちヨーロッパ、アメリカ、白人の金持ち客が来ていないからそれらの新築ホテルは閑散としている。
再開発中の熱海
目に見えるように熱海の一等地のビーチの前のホテルたちがどんどん建て替わっていっている。10年前は建て替わると必ず15階ぐらいのマンション(鉄筋アパート)だった。私は×マンションという言葉が大嫌いで使いたくないですが、リゾート地の投資用のアパートなのだ。ほとんど持ち主たちが来ない。1年に1回も来ない。年中ガラーントして不愉快だ。だから、できるだけ旅館、ホテルを建ててくれと、私は今も思っている。そしたらそこに人が集まってご飯が食べられますからね、たとえ泊まらなくても。
熱海市遠景
「バブルがはじける」を、英語では bubble burst とか、bubble pop という。バブル経済がはじけて株が大暴落して、不動産価格も大暴落した。それで、別荘とかリゾート鉄筋アパートを買っていた人たちも大損した。大損して管理費だけを払わされ続ける、別荘地の。それが負担になる。管理費と固定資産税を払えなくなってほったらかしにしてある別荘が山ほどある。もしかしたら3分の一の家屋、アパートは、これかもしれない。
リゾートバブルが弾(はじ)けて、32年年がたつ。リゾート鉄筋アパートや別荘を建てたり、買ったりした世代が死ぬ。その子供たちは、大体、経営者としての能力がなくて、かつバブルがはじけていますから、よくて親の会社を何とか維持する程度だ。大体はもう親の時代の会社は潰れている。子供は、多分サラリーマンやって、あまり稼ぐ力もない人がたくさんいる。そうすると管理費を払い続けるのが非常に苦しい、というのが今の状況だ。それなのに売るに売れない。10年前なら、まだ100万円とか、200万円で、決意して売り払っただろうに、それも売れないから30万円とかになっている。新しくこれを買う人は、この古い家を、最低1千万円かけて手直ししないと、住むに住めない。
もっと真実を言うと、別荘地には木が生える。10年もほったからすと大変な雑木の荒れ放題の土地になる。これを50坪ぐらいでも全部きれいに整地すると100万円かかる。ということは売値が50万円で、100万円の整地代を掛けて土地をきれいにして買い手に渡す。これを「更地渡し」と言う。更地で渡してくださいと買い主は必ず言います。そうすると実質100万円の、雑木を切る費用がかかるのでマイナス50万円、マイナス100万円と言われている。これが今の真実だ。だから「負動産」と書くようになった。もう資産ではないんだと。借金ではないけど、持っているだけで管理費払わなきゃいけないとしたら借金と同じだ。これは負債(ふさい。liability ライアビリティ)だ。資産sseet アセット ではない。もう、嫌(いや)で嫌でしょうがない、小金持ち層の隠れた実態が、日本全国で生まれている。
だから、今がバブルの逆の日本経済のボトムだ。これは、「ゼロ物件」という言葉で象徴的に言われるようになった。「この古い家は、管理している者が居なくて、放置していますので、ゼロ円で売ります」ということだ。
それがネットで平気で売られている時代になった。
この最低限度の 不動産価格ゼロ円の、ここから日本は、今から持ち直していくだろう。私、副島隆彦はこの25年間ずっと大暴落と大恐慌を書き続けた人間であるがゆえに、副島隆彦は、もう次の流れが見える。だからといって、さあ、日本のバブル経済が再び始まったという本を私はまだ書きません。それは、それを書くと、これまで私の本を読んできた人たちが混乱するからだ。
しかし、その足音というか、兆(きざ)し、兆候は既に始まっている。バブル経済は再び来る。経済は周期性ですから、天気と一緒だ。何で今日は天気がいいのかって、誰もわからないん。今日はなぜ雨なのか。それは簡単なことだ。その前が晴れていたから、なんです。何で今日は晴れなんだといったら、その前が雨だったから、曇りもあるけど。このように周期性ですから、だからバブル経済がもう一回来るんです。ただし、今度起きる日本のバブル経済は中国が主体です。
これまでは明治からの150年、裏からイギリスが日本を支配していた。日本の近代化と文明開化はイギリスが主導していた。そして戦後の80年間はアメリカ主導だ。日本はアメリカ型社会にされた、憲法体制以下全部。そして、ここまで来た。そして35年前にバブルがはじけてた(1990年)ということで、もう一回バブルが始まるとしたら、それは中国の力だ。このことを日本人は、分かっているんだけど、誰も書かない。だから、私だけが書く。そしてのちにこのことが歴史の証言となる。
昨日読んだ『ニューズウィーク日本版』に、周来友(しゅうらいゆう、1963年-、60歳)という、日本でユーチューバーをやっている、中国人の、長いこと1987年からだから、もう30年日本にいる人が、「自分は留学生で貧乏だったときに銭湯に行った」と書いていた。 日本の銭湯は素晴らしいという文章だ。貧乏な白人たちも、今、日本の銭湯に行く。銭湯というのは520円だ。入れ墨も、暴力団の入れ墨は嫌われるけど、西洋人の入れ墨ならちょこちょこ入れているぐらいだったら、まあ銭湯は入れると思う。人種(外国人)差別は出来ないから。昔から銭湯に行っていたと、すばらしいと言って褒めている。
周来友
この文の中に、銭湯で知り合って、「あんた、周さんだろ」と言われて、「日本の政治はひでえ、と下町のおじさんが言う。できたら習近平(しゅうきんぺい、1953年-、70歳)みたいな立派な指導者に指導してもらって、日本は中国と同盟組んで繁栄したほうがいいよ」と言ったと。
そしたらこの周は、「 いや、習近平は独裁者ですから日米同盟が大事ですよ」と、書いているんだけど、本心はこの周来友は二重スパイだ。中国の立派な大学を出た、日本の情報を偵察している男だ。表面上はアメリカの手先をやる。これは石平(せきへい、1962年-、62歳)なんかと一緒だ。中国人の優秀な人間で、日本にいる人たちは大体二重スパイだ。当たり前なんだ、このことは。 中国人にとってみては、すぐれた人間は大体そういう役割を担う。
30年前、北京大学のエリートが日本に留学してきているときは、何とアパート代も払えないような貧しい、貧乏な中国だった。本国の中国では、月給1000円(80元)みたいな世界だった。貧しい庶民は、月給が日本円で、本当に 500円とか1000円だった。それが今は千倍になった。当時は、ようやく日本で何とか奨学金もらったりして暮らしていた。
それで、さらに中国共産党がお金を取ったそうだ、留学生たちからも。それぐらい厳しかった。だから、そこから今の中国は這(は)い上がっているから、気合と根性がちがう。そして今の豊かな中国がある。冗談抜きで今、資産を日本円で100億円ぐらい持っている中国人が、1000万人以上いる。いや2000万人いるかもしれない。そうすると、値段が10億円クラスの麻布台ヒルズのような高層鉄筋アパート(タワー・レジデンス)を本当に、どんどん買いに来ている。台湾人もたくさんいる。
(つづく)
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