[2503]クルーグマンによって経済学は人類を不幸にする学問となった

六城雅敦 投稿日:2020/03/22 00:24

副島隆彦先生の新刊「経済学という人類を不幸にした学問」(日本文芸社)を読了した。

『資本論』(ダス・カピタール,1867)のマルクス、と『雇用、利子、貨幣の一般理論』(The general theory of employement,interest and money, 1936) のケインズ・・・
この二人だけが、人類の経済活動の肝要を明らかにしたと、副島先生は述べる。

 その他の経済学者たちは、この2人の理論を、剽窃し改変し、マネタリズム(貨幣中心の経済学、ミルトン・フリードマン 1912-2006 )や、自由貿易主義(ネオ・リベラル派が標榜するグローバリズム)へと、我田引水の論理を展開したに過ぎない、と。 本書の一部を抜粋する。

(抜粋始め) (P94-95)
 この100年間のアメリカとヨーロッパの経済学者で、優れていたのはケインズだ。ケインズだけが天才だった。それ以外は・・・駄目だった。
 この考えは、最近、日本の経済学者たちの間でもブツブツと言われるようになった。ケインズだけが天才で、あとは要らない。余計だった。今のアメリカの経済学者、即ち新古典派(ネオ・クラシカル)なんか、消えてなくなっていい。
 マクロ経済学とは、「国家を経営する経済学」のことだ。大風呂敷と大ドンブリ理論を振りかざして、大きく大きく、国家の経営を考えることだ。これをケインズが始めた。ケインズだけがマクロ経済学だ。他にはいない。  (中略)

 しかし、ケインズ卿(英国王ジョージ5世が、男爵にしたのでケインズ卿〔サー〕だ)は、1946年に死んだ。このあとはケインズ・レベルの大天才の処方箋、方策、政策はなくなった。
 人類はこのあとどうしていいのか、わからなくなっている。ケインズの再来ほどの人物が現れて、私たちを導くしかない。
 もうマネタリスト(アーヴィング・フィッシャーが元祖で、ミルトン・フリードマンが継いだ。ワルの親分たち)も、新古典派「総合」(ジョン・ヒックスとポール・サムエルソン)も、この2種類ともに滅んでしまって、残党がうごめいているだけだ。

 新古典派「総合」(ネオ・クラシカル・シンセシス)の別名が、ニュー・ケイジアンである。彼らが大破産した。ポール・サムエルソンの愛弟子で、跡継ぎが、ポール・クルーグマンだ。この男による、自分たちの大失敗の白状(告白)の文が、本書の第4章である。

(p204)
 ケインズは「政府は労働者に(政府自身が大借金をしてでも)職を与えるべきである」という新思想を作った。これがケインズ革命である。
 だからケインズは「修正資本主義」とも呼ばれて、カール・マルクスの「貧困者と労働者を救済せよ」の 社会主義〔ソシアリズム〕の、「暴力に訴えてもブルジョア政府(資本家の利益団体)を、恐慌に乗じて、打倒する」という思想と、対決する思想として、現在も存在する。

(P83)
 ケインズが死んで、アメリカでニュー・ケイジアン(というケインズの裏切り者たち)が栄えた。彼らは、新古典派「総合」を名乗り、何を統合(シンセシス)したかと言うと、ケインズを自分たちの愚劣なる(新)古典派の中に総合(取り込み)し、換骨奪胎した。さらには、マルクスまでも「総合」した、と豪語した。その頭目が、ポール・サムエルソン(1915-2009)だ。そして、その後継者で愛弟子のポール・クルーグマン(1953-)である。

(抜粋終り)

 六城です。ノーベル経済学賞が与えられた論文で多用される、多変数(連立)方程式や微分方程式による、”壮麗な”数式の経済理論は、空想のたわごとであった。

すべての基は、単純な

「 Y(Yield、もの、こと)= M( money おカネ) 」

の式である。 Yield(イールド)とは、人類(人間)全部の活動と生産、その為に費やされた(生み出された)こと。人間のうごめきの全て、だ。

 Money(マネー)とは、そこに費やされた地球上の、お金の総額であり、国家単位ではGDPのことあるいは、企業活動の売り上げのこと。あるいは、年収600万円の1人のサラリーマン(労働者の)の年収だ。

 この2つは、等号(=)関係であり、左辺右辺がピッタリ一致している、として、アルフレッド・マーシャルが、古典物理学の、公式を真似て、作った。このことが理論経済学の始まりであった、と副島先生は指摘している。

 こんな単純な基本理論は、あまりに当たり前すぎて、「それがどうした? 太陽が東から昇って西に沈む事のようなものだ」と、思うかもしれない。

 だがこの本を読み進めると、副島先生の解説によって、ケインズ理論は、その後、アメリカの経済学者たちによって、歪曲され、変造され、インチキ学問へと変貌して行ったのだ、と。

 彼ら、新古典派(アメリカの主流派の経済学者たち。その、今の筆頭が、ポール・クルーグマン)の論理の前提条件には、「失業は存在しない」、「失業者はただちに、他の職につく」である。 ここには、製鉄所の工員を教育すれば、IT技術者になれる、という その根底にはキリスト教の強固な宗教観(オプティミズム:optimism)がある。 

 そしてどんな貧乏国であっても、世界に対して、「比較優位(ひかくゆうい、コンパラティヴ・アドヴァンテッジ)の理論」で、その国に何らかの「売り物」がある、それを輸出すればいい。と、新古典派は、盲目的に考える。実際は、先進国から、最新式機械をすべて持ち込んでの、奴隷工場〔スウェット・ショップ〕だ。

 これで、アメリカ国内の競争企業を、打ち倒した。自由貿易主義〔フリー・トレイディズム〕を、万能であると信じ込んだために、アメリカ国内に、大きな失業が生まれた。アメリカ国内の工場がすべて閉じられて、失業者の群れが生まれた。アメリカの経済学者の主流派(新古典派)は、この事実に、1990年から、30年間、気づかなかった。なぜなら、彼らの頭には、古典派経済学の 原理(教条、盲信。狂信)である、「失業は存在しない」が、張り付いているからだ。

狂信者たちによるカルトが現代アメリカ経済学である

 私たちの学問道場は、20年前から、国際金融資本に、陵辱(まさにレイプ、強姦)されてきた日本と、その背後に有る、アメリカ政治思想 の研究・分析を行ってきた。アメリカ政治の背後にいる特定思想を、皆で、研究してきた。

 ゴールドマン・サックス(ガヴァメント・サックスだ)を筆頭とする、アメリカの民間の巨大金融資本と、それと連動するFRB(連邦準備制度理事会、アメリカの中央銀行)の動向に関心をもってきた。

 その手駒である、歴代米国大統領と、クルーグマンやスティグリッツら御用学者による経済政策(エコノミック・ポリシー)は、日本にも多大な影響を与えた。しかし、今は、トランプの登場によって、彼らは、嫌われ、遠ざけられている。

 本書によって、ケインズのマクロ経済学(政治と結びついた政策提言)は、クルーグマンによって、ハイパー(超)グローバリゼーションへと改ざんされた。日本も米国の圧力によって、屈服、追従させられている、という冷酷な事実を、私たちは知っている。

 アメリカの忠実な下僕である与党、自民党と 経団連(ただし、彼らは、アメリカがあまりに虐(いじ)めて 稼いだ利益を、全部アメリカに置いて行け」と言うので、儲けがなくなって、中国に擦り寄っている)である。

ハイパー・グローバリゼーションはドル覇権国の特恵制度である

 1990年から、30年間、日本のGDPは、ずっと5兆ドル(500兆円)のままだ。この25年以上、横ばいのままだ。この間に、米国の GDP は4倍になった。中国は 20倍になった。

 その内訳は、富裕層の資産が加速的に膨張したものであり、私たち大多数の国民は不幸のまま、さらに過酷な生涯を強要されることを知らねばならない。この、本はアメリカの薄汚い経済学理論を盲目的に信奉してきた、ビジネスマンに必読の書である。