「板垣英憲氏のブログに書かれた衝撃的情報をどのように理解すべきなのか?」

投稿日:2010/07/27 06:37

「日々坦々」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010/07/26(月) 09:45
「板垣英憲氏のブログに書かれた衝撃的情報をどのように理解すべきなのか?」

人間に大切な要素は何かと聞かれたときに、迷わず「感性」だと答えることが多い。

『ウィキペディア』によると次のように書いている。

≪感性の定義は哲学的、心理学的にさまざまに行われている。認識論では悟性の対極にあって受動的な知覚を担うものであり、また、人間的な理性よりも下位にあるために、より動物的なものだと論じられることもある。近代ドイツの哲学者カントが『純粋理性批判』にて「悟性的な認識の基盤を構成する感覚的直感表象を受容する能力」と言ったが、この場合の感性はより感覚に近い位置づけである。(ウィキペディア) 

感性より知性だ、という意見もあり、確かに知識に裏づけされた上での感性ということもできる。

例えばどこかに旅行に行こうとした時に、その地の名所、名物などを調べてから目的地に行く。
その名所の歴史などをサブ知識としてもっていると、現地に行った時に、ただ「きれいだ」「荘厳だ」などではなく、歴史的な観点で見られるし、また見え方も違ってくる。

ほとんど短絡的な例えだが、やはり感性よりもまず知性だということになる。

だが、計画していたこと、すなわち、行く予定だったある神社に行き、歴史的な意味をかみしめながら観る、そこには既に自分が感動することまで、無意識的に最初から計画していることが往々としてあるように思える。

ある神社にいったときに、何とも言えない平安な気持ちになった。これは何なんだ、といろいろ調べてみると、歴史の中にある出来事があって、それでそんな風に感じたんだ、と納得する。

このように書いているのも、かなり感覚的なのだが、私は後者のほうが自然であり、「感性」と「知性」における主と従がよくわかるように思う。

「感性」について『はてなキーワード』には次のように書いてある。

≪人が世界や外界の事象(もの・こと・情報)に感覚というフィルターを通じて出会い、関係性や意味性を生み出し、創造性を展開ていくという、その固有の形式や能力。身体に深く根をはった感性は、対象を直感的かつ統合的に、ひらたく言えば第六感においてにとらえていくことができる。感性はその大半の過程が無自覚・無意識のうちに起こる脳内プロセスであることも、理性や知性との重要な差異である。≫(はてなキーワード)

なんでこんなことを書いているかというと、今ネットで話題になっている、板垣 英憲氏の「マスコミに出ない政治経済の裏話」のブログ記事のことが気になっているからだ。

読まれた方も多いと思うが、ここにはかなり衝撃的なことが書かれている。

参照1:≪小沢一郎前幹事長はマイケル・ジョナサン・グリーンから、正式に「アメリカの窓口役」を認められた≫(板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」2010年07月25日)
参照2:≪小沢一郎前幹事長は、原子力潜水艦でやってきたマイケル・ジョナサン・グリーンに米国債購入を懇願された≫
(同上 2010年07月24日)

まず、その前に書かれた7月21日の記事、≪小沢一郎前幹事長はアメリカ要人に謝罪し首相就任の了解を得て、北朝鮮拉致被害者救出の絵も描いている≫を最初に読んだ時には「?」が連続100個以上ついていた。そのアメリカ要人と小沢氏が八丈島で接触したという部分を引用させていただく。

(転載開始)

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≪民主党の小沢一郎前幹事長が7月21日から政治活動を再開した。東京都千代田区永田町の衆院議員会館の小沢事務所は、千客万来、参院選挙で当選、落選した人たちや国会議員、財界人、後援会員や支持者らの小沢詣で客で賑い、小沢前幹事長は、悪抜けしたかのような明るい表情で来客に応対していた。
 悪抜けが顕著になったのは、小沢前幹事長が7月18日午後八丈島に滞在して一夜を過ごして帰朝してからだった。八丈島滞在中は、好きな魚釣りに行き、命の洗濯をしていたのだろうと推察していたけれど、違っていた。先に来ていたアメリカの要人と会っていたという。それがだれだかは、定かではない。だが、一説には、マイケル・ジョナサン・グリーン(アメリカ国家安全保障会議上級アジア部長)ではないかといわれている。日米安保問題で日本に脅しをかけ続けてきた人物である。小沢前幹事長は、これまでの非礼を侘びて、相手は、これを許したという。非礼とは、「日本の防衛は、第七艦隊だけでいい」などといった日米同盟軽視の発言をしてきたことのようである。小沢前幹事長は、「総理大臣を務めたい」と発言し、了承されたという。アメリカ要人は「その代わりに同盟国として日米同盟を機軸にしていくことを間違いのないよう守ってくれ」と条件を示し、また、「中国重視できた姿勢を改めて欲しい」と要望、小沢前幹事長は「必ず守る」と約束し、アメリカ要人は、「信用する」と発言じたという。小沢前幹事長は、東京検察審査会が「不起訴と議決したのを受けて、アメリカ要人との密会を決めたらしい。≫ 

(転載終了)

なんとも評価がしようがなく、また陰謀論か、ガセネタかとも思っていた。

ただ、一点、小沢さんが確かに八丈島には行ったが、目的だと思っていた釣りはしなかった、ということに、”何かある”と「感じ」ていた。

その続きともいえる今回の7月25日のブログ記事は、さらにその情報が詳しく掲載されていた。

内容については読んでいただくとして、第一印象的感想は、副島隆彦氏が言っていることと同じだな、という自分には賛否結論がでない、向こう側の論理であることだ。

これはただ、私自身の問題であり、その論の土俵に上がってない、上がれないでいるだけかもしれない。

だが、これを「感性」を中心に判断すると、”ありえる”、ことだと思っている。

それが、八丈島で釣りをしなかった、という情報に接した時に、”何かある”と感じたものに通じているからだ。

このような情報は決して表には出ないものだが、こうして出てしまうと、「それはないな」と人々は無視することになる。

だが、陰謀論ではなく、現実の世の中の動きの中で腑に落ちない、タイミングが良すぎると疑問符がつく事象も多いことは事実である。

たとえば、2月4日の小沢氏不起訴発表前の2月4日の小沢幹事長とキャンベル米国務次官補の会談などは、何故あのタイミングで会う必要がアメリカ側にあったのか、これについては、本ブログ2/13エントリー≪自民党・検察・マスコミの一連の動きと郵貯米国債運用との相関関係≫で次のように書いた。

≪何か背後で蠢(うごめ)いている「輩(やから)」達がいて利益を共有し、一つの共通する目的に向かっている、ということをただ漠然と感じてきていた。マスメディアの報道姿勢や検察の動き、官僚組織の中で時々垣間見える変な動きなど、それは現場の記者や検察官・官僚達ではなくトップの中に潜んでいて、彼らがまた指示されて動いているということだ。それが確信的なものに変わってきたのが、不起訴発表の直前の小沢幹事長とキャンベル米国務次官補との会談と亀井大臣の郵貯180兆円の米国債運用報道である。(金額訂正記事あり)それにプラス朝青龍の引退が加わる。(2/5本ブログでも少し触れた)この一連の、なんともスムースな流れに違和感を感じられた方も多いはずだ。≫

ニュースなどで表に出る情報だけでは、決してわからないことはあると思う。

この板垣氏の情報を含め、どのように受け止めるのか、我々(の感性)が今、試されているといえるのかもしれない。

(転載貼り付け終了)