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[2179]8月26日に横須賀での講演会の会場の案内
投稿者:副島隆彦
投稿日:2017-08-20 13:12:26

副島隆彦です。 今日は、2017年8月20日 です。

下↓ でお知らせしました、来る8月26日の 横須賀市 での私の講演会の会場 への アクセスが、分かりにくいとのご指摘をいただきましたので、再度、お知らせします。

主催:立憲主義を守る横須賀市民の会 代表 一柳 洋



http://www.werk-yokosuka.jp/access

 ヴェルク横須賀のアクセス
会場のヴェルク横須賀へのアクセスについては、上記地図を参考にして下さい。

またヴェルク横須賀地図で検索すると周辺地図を含んだ、案内が出てきます。
会場電話は 046(822)0202です。

電車利用の方は、京浜急行、横須賀中央下車。徒歩6分です。
お車の方は、会場駐車場が狭いので、近隣民間駐車場をご利用下さい(ネット検索してください)。
問い合わせ先、一柳 洋(いちやな ぎひろし)umihiro@bc.mbn.or.jp

です。よろしく お願いします。

副島隆彦 拝



[2178]今こそ姥捨山の復活を 5
投稿者:8067浅川京華
投稿日:2017-08-20 04:45:31

癌は、放っておくと死に至る病、というのは大噓だ。高齢者は、癌になっても死なない。この恐ろしい事実は、業界の人間なら、皆知っている。私は職場の介護施設で、癌にも関わらず、平気で何年も生きていた人を、何人も見ている。体が鈍い高齢者は不死身なのだ、癌になったって死ねない(こういう高齢者の死因は癌などではなく、ただの老衰だ。でも正直に老衰などと言っても、家族が納得しない、世間が納得しないから、医者は、肺炎などと適当な病名を付ける)。だから80過ぎた高齢者が手術を受けたばっかりに、手術の負担に耐えられず、寝たきり老人になって、介護施設に来る羽目になる、というのが珍しくない。「寝たきり老人」という言葉の実体を、業界外の人は知らない。意識もなく、体だけが生きている状態(ドデ―ンと寝っ転がった、カチカチに固まって変形した体。これが、介護側がいくら工夫しても、どんどん進行していく)に、経管栄養なるものを、日々、鼻チユ―ブか、胃ろうから流されて生かされる。

『俗ニーチエについて 付記』続き
2161『俗ニーチエについて』で副島先生は「女の中の頭の良い悪賢い者達は、たいてい本心は他人を突き放している。他人はどうせ自分の思い通りにはならない、という事を受け入れている(そして、この悪賢い女達は、極めて上手に男を一人自分の奴隷にして、この男に寄生して、楽をして一生を終える」と言っているが、結婚している者でも、共働きが主流で、完全な専業主婦の方が、今は珍しかろう。大抵の男は「共働きじゃなきゃやってけない」と言う。「今は女も、結婚すればなんとかなる、というご時世じゃないでしょ、どこにも逃げ場は無いよ」と言うと、女はみんな黙る。その意味では、副島先生の、この考え方は古い。



[2177]来週末(26日)横須賀で私の講演会があります。来て下さい。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2017-08-17 19:46:37

副島隆彦です。今日は、2017年8月17日です。

この件は、 下 ↓の 方で、私たちの会員の一柳洋(いちやなぎひろし)前横須賀市議が、広報して宣伝した件です。 私からもさらに、ご参加をお願いします。

 以下に画像で貼り付けますチラシ (hand out ハンド・アウトと言います)の 通り、神奈川県 横須賀市で、私の講演です。 南関東地方にお住まいで時間がある人は、来て下さい。横須賀市民でなくてもどなたでも参加できます。 当日券、当日参加でもいいのではないか、と私は勝手に考えます。それでも、一応、主催者にご連絡下さい。 質問の時間をたくさん取って、参加者からの質問に、私が知っている限り、何でも答えます。 

日 時:8月26日(土)午後2時~5時(開場1:30pm)
場 所:ヴェルク横須賀6階大ホール
講 師:副島隆彦さん
参加費:1200円



 主催者の代表の 一柳洋(いちやなぎひろし)氏は、私たちの学問道場の長年の会員で、私の同志のひとりです。ですから、私は安心してお引き受けします。

 以下の講演内容は、一柳氏が、勝手に、私に投げてきた、講演内容で、私にこのような内容で話せと、要求しているものです。 私は、そんな、何でもかんでも、そっちの思うように話せるわけが無いでは無いか。と思いましたが、総合言論人で、政治問題なら、たいていのことは、何でも知っているよ、と日頃、豪語していますから、私は与えられた課題があったら、うしろには退(ひ)きません。
当日、どういう話をするか、は、私は、今から、考えます。

(主催者からの要望)

 講演内容  
1部で、属国日本について、サンフランシスコ講和条約では、日本は独立していないこと、その裏で結ばされた日米安保体制とは、いかなる苛烈な支配体制なのか、を話して貰います。

 なお米第7艦隊の根拠地、横須賀(軍事租界)での講演会なので、先の大戦で帝国海軍の和平派と称する者がアメリカに屈するよう、愚劣な作戦指導をしたこと。
 海上自衛隊は完全にアメリカ海軍の指揮下にある事(始めから米海軍の補完部隊として再建を許された)。
 米海軍横須賀基地がアメリカにとって如何(アジア支配のため)に重要な基地か、についても話が進みます。
 またメディアが北朝鮮とトランプの「口撃」の応酬を、煽るかたちで報道しているところから、北朝鮮が米海軍横須賀基地(東洋の真珠湾)に、ミサイルを撃ち込むことなど、ありえるのか。も話して貰います。
 横須賀ではアメリカの属国「日本」を信じたくない人が多くいます。だからアメリカに育てられた小泉進次郎議員(世襲4代目)が得票率で84%もとる、日本最悪な選挙区です。
 公表されている、米軍への思いやり予算など、むしろかわいいもので、属国として如何に貢がされているのか。政府、メディアが触れないことを、説明して下さい。
 政府とメディアに騙されないが開催趣旨です。

第2部では安倍政権のカルトぶり。統一教会が如何に日本の政治を支配しているか、お話しし下さい。
小池都知事と統一教会の関係もお願いします。

(主宰者の 要望、終わり)

副島隆彦です。 だいたいは、この内容で話します。でも、おそらく、実際には、大きく脱線するでしょう。その方が、おもしれーや、という人は、どうぞ来て下さい。  

副島隆彦拝 



[2176]『ニーチェに学ぶ 「奴隷をやめて反逆せよ」 まず知識・思想から』を読む
投稿者:田中進二郎
投稿日:2017-08-16 23:44:44

 

 副島隆彦先生の新刊『ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!』(成甲書房刊)が発売されて二ヶ月がたった。副島先生がニーチェ本を構想中ということを知ったのは、東日本大震災の翌年の2012年の春にあった、『学問道場 福島原発難民ツアー』の時のことだ。

バス座席でたまたま私の前の座席が、小笠原豊樹編集長だった。後ろからのぞくと「ニーチェ・ブルクハルト・・・」という草稿がちらりとみえた。ニーチェについても書かれているのだなあ、と思い福島の飯館村(いいたてむら-放射能が最も検出された村―といっても原発事故からすでに一年経過していたので、側溝にたまった汚染土でも100マイクロシーベルト・パー・アワー以下だったが)の役場で休憩をとっていた時に、
「副島先生はいま何本原稿を書かれているんですか?」
とたずねてみると、
「八本書いています。」と答えが返ってきた。あの時はびっくりした。

あれから五年が経ち、ついに本ができたんだなあ、と感慨深いものがあります。
この五年の間にあの福島原発事故に関連して、東電の国有化があっただけでなく、今年は東芝が「倒産危機」のさなかにある。
日本のサラリーマンたちは震撼(しんかん)した。
東芝は2006年にアメリカの原発機器大手会社、ウェスチングハウス社(WH社 正式略称WEC)を買収してから、この十年余で一兆円にのぼるといわれる損失額がある、といわれている。東芝はウェスチングハウス(WH)社が経営破綻した2017月4月までに、2300億の粉飾を行ったとされているが、本当はその数倍の損失額だ、とされている(小西康之著『東芝 原子力敗戦』 文藝春秋社 2017年6月刊より)。


この「倒産」劇の本当の責任者・戦犯は経産省の今井尚哉(資源エネルギー庁次長 安倍内閣の現首相秘書官)や国際協力銀行(JBIC)の前田匡史(まえだ ただし)たちだ。かれらは、東日本大震災の直後に日本の「原発パッケージ輸出」を再開させた張本人たちであり、アメリカの手先である。
(この前田匡史という男については、SNSI論文集『放射能のタブー』KKベストセラーズ2011年刊に古村治彦さんが前田匡史氏を「第二の竹中平蔵」として正体をあばいている。また、今井尚哉氏はアベノミクスのシナリオライターであり、今もって首相のブレインである。)

今井尚哉ら経産官僚が描いた「原発パッケージ輸出」の絵に従ったのが、東電や東芝、
三菱重工業、日立製作所であり、なかでも「国策企業」の側面の強い東芝がWH社買収というババをひいた。
ここで、なぜ東芝がWH社買収に走ったかについて、相田英男さんが『今日のぼやき』(1960)で解説されているので引用する。

(今日のぼやき 広報 1960より引用開始)

スリーマイル島原発事故の後、80年代以降ではアメリカの原発の建設はストップしたのですが、WEC(ウェスチングハウス社の正式略称)はその後も新規な技術を組み合わせた改良型の軽水炉の開発を、政府予算の補助等を受けながら地道に継続していたのです。それがAP600というもので、1992年にアメリカの原子力規制委員会(NRC)から型式が承認され、1998年にNRCから最終設計承認(FDA)を取得しました。要するに政府から「図面上はきちんとした軽水炉ができた、安全ですよ」、と認められたということです。WECは更に、電気出力を600メガワットから1000メガワットに増加したAP1000の開発も実施して、2006年にFDAを取得しました。ちょうど東芝がWECを買収した時期ですね。

 このAP1000という原子炉は安全性も高く、軽水炉の弱点だった電源が失われた際のメルトダウンが起きないとWECが主張したので、非常に注目されていました。日本や中国のコピー原子炉でなくて、本家本元のWECの技術者達が、20年の時間を掛けて熟成させた原子炉のため「それは素晴らしいだろう、ぜひ使いたい」、という国や電力会社が大勢現れたのです。

(引用終わり)

田中進二郎です。以上の相田英男氏の解説でもわかるように、経産官僚や東芝にWEC(ウェスチングハウス社)に対する期待があったことはわかる。しかし、東芝は原発事業とは別に、2005年ごろからパソコン事業で組み立てメーカーにパソコン部品を実際の4~8倍の値段で売りつけて、それを収益として計上するという粉飾に手を染めていたことが分かっている。(これによる利益水増しは654億円―2013年度だという。)

また、上記の『東芝 原子力敗戦』のなかで、著者・小西康之氏は「東芝が買収した時点でウェスチングハウス社は死に体だった」と書いている。それは、WECがスリーマイル島原発事故以来、30年間米国内の原発を新設せず、現場の仕事から遠ざかっていたためであり、東芝がWECを買収した6600億円という金額の半分以下の価値しかもともと、WECにはなかったのだ、という(上書P44)。
このあと、十年にわたり、不正な会計処理が西田厚聰社長(任期2005~2009年)、佐々木則夫社長(2009~2013年)、田中久雄社長(2013~2016年)の三社長の指令のもと行われていった。小西康之氏によると、東芝19万の社員のうち「粉飾」に関わった人間は2000人余であるという。

ここまで副島隆彦先生のニーチェ本とは外れた「東芝倒産危機」の話をしてきた。
しかし、このことが無関係な話だとは私田中は思わない。
『ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!』は完全に奴隷化したサラリーマンばかりになりつつある日本人に向けて出された一撃であり、単なる思想書ではないはずだ。

実際、副島先生は東日本大震災以後、GE(ジェネラル・エレクトリック社)やウェスチングハウス社を批判せず、東電や政府だけ批判して事足れりとする広瀬隆氏ら反原発論者たちの姿勢に抗議されていた。おそらく今回の東芝の倒産危機についても予知されていたであろう。経産省は「国策企業」の東芝をつぶしておきながら、自分たちはアベノミクスのブレインのままで居座るつもりだ。彼らはアメリカのコンサルタント会社・デロイトトーマツと深く通じていて、本当は東芝にアメリカの原発会社の負債を肩代わりさせるために、旗振り役を演じた。そして頃合いを見計らって、東芝の失敗に話をすりかえていったのだろう。

東芝の現場社員はかわいそうだが、日本のサラリーマン全体があまり変わらないように見える。責任感と判断力とやる気をなくしていっている。また小西康之氏は『東芝 原子力敗戦』の巻末で、東芝の社内でみんなが粉飾に手を染めていったのは、ナチス・ドイツでユダヤ人を強制収容所送りにした親衛隊員たちと同じだ、という。親衛隊中佐として、ユダヤ人移送を指揮したアドルフ・アイヒマンについて、ユダヤ人女性の哲学者・ハンナ・アレントが「完全な無思想性が、アイヒマンをあの時代の最大の犯罪者にした最大の要因である。」と語った。(『イエルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 みすず書房刊)これが、ナチス党員を悪魔とみなすユダヤ人社会に物議をかもした。

ハンナ・アレントはハイデッガーの女弟子であり、愛人だった。だからハイデッガーからもニーチェ哲学を学んでいた。ニーチェは、リヒャルト・ワーグナーと取り巻きたちが反・ユダヤ主義の色合いを濃くしていくことに嫌悪して、ワーグナーと袂(たもと)を別った。

副島隆彦先生の『二-チェに学ぶ…』を読んですぐに、サラリーマン奴隷をやめることは至難であるにせよ、二読三読するとヒントが隠されていることが分かる。
田中進二郎拝



[2175]先ほどの投稿の修正
投稿者:福松 博史
投稿日:2017-08-15 00:26:47

2174の誤字があったので、訂正します。
コントレーディではなく、コントレーリィです。
この間違いのすぐ後に、「英語に駆けつけた道徳の授業」とありますが、
「英語にかこつけた道徳の授業」です。




[2174]「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ」(副島隆彦先生の本)と、「キリスト教は邪教です」(適菜 収氏訳)、を読んで
投稿者:福松 博史
投稿日:2017-08-14 22:30:42

初めて、この欄に書きます。福松と申します。
始めに、去年の副島先生の「トランプ大統領とアメリカの真実」「ヒラリーを逮捕せよ」(この本のヒラリーの顔写真は傑作だった)の二冊。
トランプ大統領誕生、見事的中だった。なのに あれから半年以上経っているのに評論家の佐藤 優氏だけが「いち早くトランプ大統領当選を当てたのは副島先生だけです。」という賞賛の声。なんとたった一人だけ!
「功、天下を蓋う者 賞されず」という 古い中国のことわざは、今の日本でも生きているのかと痛感した。
日本もアメリカも マスメディアの底意地の悪さは、骨の髄まで染み込んでいる。その陰険さは、まるでキリスト教会とウリ二つ、そっくりだ。
副島先生のこの度のニーチェ本38ページに出てくる「家畜のような人間たち」(ニーチェでは畜群)は、まさに先生がずーと以前から主張、大テーマの一つ「属国日本論」そのものだ。
「家畜人間たち」はまさに戦後72年にわたる日本人洗脳教育の賜物、その成果だと考える。
昔、私が中学生の時、英語の教科書の中に「コントレーディ ガール」という題名で、ブスのアメリカ人とおぼしき女の子が登場。(漫画チックな挿絵付き)
彼女の、やること なすこと 全て貶して くさして 馬鹿にする。そういった内容だった。
その時思った。「日本人どもめ 戦争に負けたのだから アメリカ指導部の言うことを逆らわずにちゃんと聞け!「天邪鬼」だの「反逆者」なんて、けしからん。許さんぞ!」と いうことか。
なーんだ、英語に駆けつけた、道徳の授業じゃないか…と、実に不愉快だった。というのを、未だに昨日のことのように覚えている。
適菜 収「キリスト教は邪教です」本の108ページに その「道徳」なるものの正体を明確に書いてある。「道徳」を利用して人々を支配すること。
先生のニーチェ本155ページ「ディオニソス祭の絵画」の類いは 絶対に日本の学校教育では生徒たちには見せない、教えなかった。今でもそうだろう。
そしてニーチェ本158ページに出てくる「アマーレ」男女交際、恋愛に対し、「不純異性交遊」という教育的な言葉が使われていた。いまでも嫌な響きの言葉だ。やっと下の毛が生えた中学生ぐらいで、生意気にそんなこと考えるな!色々面倒かけるな、そんなことより勉強しろ!」が当時の学校の雰囲気だった。男と女が恋愛するのが、どうして不純なんだ。他にそれ以上の何が楽しみでもあるのか?冗談じゃないぞ。自分の好きな女の子と付き合って何が悪いんだ。(と思ってたけど、実際にはなかなか口に出せなかった)
適菜 収の「キリスト教は邪教です」の本の20ページに「原罪」に騙された哲学者達の話が詳しく出ていた。そのことに関して、以前、副島先生の講演会で「ローマ教会 キリスト教会」が原罪なるものをデッチあげて、それを武器に人類に奴隷思想を押し付けた。諸悪の根源だ。
信長爆殺も、その尖兵のイエズス会が真犯人だと教わっていたので、すぐに腑に落ちた。
アレクサンドリアの女(哲学、天文学)学者、ヒパティア(強者だ)の話もそうだ。彼女も、暴徒化した弱者どもであるところのキリスト教徒たちに惨殺された。その映画のことも先生に教わった。
最近の例で言うなら、韓国の朴クネ大統領もそうだ。
母や父を殺害されても、なお、気丈にも政治家を目指して、ついに韓国の大統領に登りつめた。(つまり強者だ)。ところが、弱者どもの韓国の扇動された暴徒たちによって(連日のデモ行進)大統領を解任されてしまった事件があった。
小室直樹先生の本(だと思うが)で聖書の中の「ヨシュア記」を日本ではキリスト教の僧侶(宣教師、神父)たちは信者たちに決して話したがらないと書いてあったのを思い出した。もちろん十字軍の話もそうだろう。余りにも残酷すぎて、無理だろう、日本人は、キリスト教に対しては理屈ではなくムードだけの信者がほどんどだから、そんな話をしたら一発で白けて布教がおジャンになるからだ。
だから、適菜本「キリスト教は邪教です」の88ページにあるように、キリスト教の「奇跡を起こす人」や「救世主」が登場…。とあるように、布教にはこれら インパクトのある「ヨタ話」が必要とされるのだ。しかし、「ヨタ話」などと侮れない。既に長年の布教の努力のかいがあって、日本だけでなく世界中にそのキリスト教会の毒が回ってしまっている。
そのキリスト教会の毒が、各種社会制度にまで巧妙に組み込まれているとの適菜氏の指摘は、私たちの身近にそこかしこに溢れている。
ゆきすぎた社会福祉だの 重税問題、年金問題、老人介護問題、結婚制度、選挙や各種デモや労働問題など キリがない。
適菜本の90ページ「教会の自虐史観」を嗤う、に書いてある。まるで精神病院のようなキリスト教世界について。に、僧侶の正体は寄生虫「あの世」「最後の審判」「霊魂の不死」といった大嘘を武器にして支配者となった、とある。
神は知恵ある者に恥をかかせる為に…世の無に等しい、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれた。それは、誰ひとり神の前で誇る事がないようにするためだ。と、あらゆる下層民の心理学について適菜氏はパウロのコリント前書1の21以下を鋭く分析している。全く同感だ。
かさねがさね言うが、日本の(アメリカも)新聞、テレビ、雑誌など、ほとんどのマスメディアの手口、そのものだ。
まるで巨大な精神病院の中で日々生活しているみたいだ。
適菜本の117ページの「キリスト教が戦争を招く理由」から122ページの「科学とは原因と結果」は正に現代社会にピッタリ当てはまる。マスメディアの風潮は「原因と結果」の検証を無視するが、歪めている。
特に原因の方を(なぜそのような結果を招いたかを)一切無視して結果ばっかりをクローズアップして大問題だ、驚け!と勝手にワーワー騒ぐだけ騒いで 煽りに煽って、しばらくして何事も無かったかのように知らんぷり。を、繰り返している。まるで突発性発狂症だ。
本当に適菜氏の強調するする精神病院そのものだ。
いちいち取り合うのも馬鹿馬鹿しいことだ。うんざりだ。
そして「キチガイ」という言葉は、いつの間にか公の場では使用禁止にされてしまったが、他にも使ってはいけない言葉がごまんとなってしまった。言葉狩りだ。実に窮屈な世の中になったものだ。
何年か前に、「不思議なキリスト教」だの「愉快な仏教」などという本が出版されていた。が、われわれ日本人にとって 仏教なんかちっとも愉快でも何でもない。一言で言えば葬式仏教だ。キリスト教も不思議でも何でもない。適菜流にいえば「イカレポンチのキリスト教」の題名がふさわしいと思う。
適菜 収氏はニーチェ本の、前書きの結論部分で今こそ(2005年)ニーチェと強調していたが、2017年の今でも(ますます)本当に面白い。
難解と言われるニーチェの著作を、決してペダンチックにならずに我々にも訳してくれた。これでもか これでもかと説得を試みている。(ニーチェの思想は、ニーチェの生きていた時代にも時空を超えて今でも生きている、通用する、と思う)。
12年前に出版された、適菜収氏の「キリスト教は邪教です」は、副島先生のこの度の力作ニーチェ本をきっかけに家の本棚にあったのを読み返して、改めて大変素晴らしいと思った次第です。
副島先生の読者の一人として、勢いでつい、グダクダとつい口を挟んでしまいました。



[2173]今こそ姥捨山の復活を 4
投稿者:8067浅川京華
投稿日:2017-08-14 07:04:28

2169で(彼らも、国からのカネで生きている)と書いたが「ボケた親の為に、私はいくら払ってると思ってんだ、ふざけるな!」と怒る人もいるかもしれない(勿論、国からのカネ、だけで生きている、とは言っていない)。で『ボケた親の為に子が出すカネ』について。介護保険施設というものは3種類ある。私の勤め先は、この介護保険施設の一つ、介護療養型医療型施設だが(老人病院と呼ばれてきたのは、この医療型施設である。実体は老人ホ―ムだが、病院と呼び、住んでいる人達の事も、老人ホ―ムのように利用者ではなく、患者と呼んでいる。病人でもない、ただの老衰した老人を患者と呼ぶ事が、私は物凄く嫌だが。介護保険制度施行前は、病人でもないボケ老人が、受け入れ先がなく、病院に居座る、という事が多かった。これを業界用語で、社会的入院と呼ぶ。医療型施設は、この社会的入院の名残りだ。病院と老人ホ―ムのあいの子のような中途半端な施設だから、もう何年も前から、国は、医療型施設は廃止すると言って、廃止の時期は、延び延びになっている)、かつては、10年以上入院している、などという人が、珍しくなかった。1ヶ月の入院費は、15万円どころではない。そんな大金を払える人など、その辺にいるわけがない。入院している本人の年金と、介護保険と、あとは家族の負担だろうが「かかったカネは、1千万以上です」と言った家族がいたそうだ。家一軒立つくらいの金額が、軽くかかるだろう。恐るべき無駄遣いだ(これでも安楽死、いや、自然死を否定するのか)。去年の障害者施設の大量殺人から一年たったとかで、その関連の報道で、殺された障害者の中に、姉だか兄だかがいた、という人が、犯人に面会した、という記事を朝日新聞で見たが、その遺族が犯人に「姉は職員さんに迷惑もかけていないのに、何で殺したんだ」と言ったら、犯人は何も答えなかった、と出ていた。私ははっきり言う「職員に迷惑をかけるような人間ではないと言うなら、何であなた、自分で面倒見ないのよ」綺麗事を言って救われる人は、一人もいない。

『俗ニーチエについて 付記』続き
職場でボケ老女が私に「オ―ルドミス!」となつかしい言葉を言った、こういう差別用語も、ボケ老人がいう分には、お咎め無しである、と2166で書いたが、よく考えて見ると、オ―ルドミスという言葉は、言葉としては間違っていない((結婚していない年取った女、という意味だから)。ただしこれは『女は、ミス、ミセスと、結婚しているかいないかで区別されて当然、つまり、男しだいで当然』という立場を肯定するならば、だが。
『ベロ出しチヨンマ』について、もう一つ。過酷な年貢米の取り立てを訴えて磔にされた百姓に、可哀想だと同情したり、或いは、偉いと尊敬したりする、仲間内の百姓など、殆どいなかったろう、「あいつはバカだ」と、同じ百姓にも
嘲笑われただけだろう、と思う(この物語が、実話かどうかは知らないが、多分実際に、こうした話は日本の歴史上、あったと思う)。比べるのもアレだが、以前私が、異常な上司と、その腰巾着(どっちも女。介護業界は、殆ど女で成り立っている)の事を直訴したその後、周りの、影で文句を言っているだけの連中はみんな「何にも変わらない」としか言わなかった(ちなみに私は、直訴後、左遷された。小さな戦いの勲章である)、それと本質的に同じだろう、と。



[2172]副島隆彦講演会の御案内
投稿者:一柳 洋
投稿日:2017-08-12 11:15:43

 学問道場の皆さんと、重たい掲示板、読者の皆様へ講演会の御案内を、させて頂きます。
  日米安保体制と安倍政権の正体
日 時:8月26日(土)午後2時~5時(開場1:30pm)
場 所:ヴェルク横須賀6階大ホール
講 師:副島隆彦さん
参加費:1200円
 講演内容  
1部で属国日本について、サンフランシスコ講和条約では、日本は独立していないこと、その裏で結ばされた日米安保体制とは、いかなる苛烈な支配体制なのか、を話して貰います。
 なお米第7艦隊の根拠地、横須賀(軍事租界)での講演会なので、先の大戦で帝国海軍の和平派と称する者がアメリカに屈するよう、愚劣な作戦指導をしたこと。
 海上自衛隊は完全にアメリカ海軍の指揮下にある事(始めから米海軍の補完部隊として再建を許された)。
 米海軍横須賀基地がアメリカにとって如何(アジア支配のため)に重要な基地か、についても話が進みます。
 またメディアが北朝鮮とトランプの「口撃」の応酬を、煽るかたちで報道しているところから、北朝鮮が米海軍横須賀基地(東洋の真珠湾)に、ミサイルを撃ち込むことなど、ありえるのか。も話して貰います。
 横須賀ではアメリカの属国「日本」を信じたくない人が多くいます。だからアメリカに育てられた小泉進次郎議員(世襲4代目)が得票率で84%もとる、日本最悪な選挙区です。
 公表されている、米軍への思いやり予算など、むしろかわいいもので、属国として如何に貢がされているのか。政府、メディアが触れないことを、説明して下さい。
 政府とメディアに騙されないが開催趣旨です。

第2部では安倍政権のカルトぶり。統一教会が如何に日本の政治を支配しているか、お話しし下さい。
小池都知事と統一教会の関係もお願いします。

※ 申し込みをされなくても、参加頂けますので、関東地区にお住まいの方は、お誘い合わせの上、参加下さい。
 なお問い合わせがある場合は、一柳 洋(いちやな ぎひろし)umihiro@bc.mbn.or.jpにして下さい。
会場のヴェルク横須賀へのアクセスについては、ヴェルク横須賀地図で検索して下さい。京浜急行、横須賀中央駅から徒歩6分です。駐車場は近隣民間施設をご利用下さい。             一柳 洋



[2171]NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」について
投稿者:副島隆彦
投稿日:2017-08-11 08:31:07

副島隆彦です。今日は、2017年8月11日(金)です。

 私は、NHKの歴史ドラマ 「おんな城主(おんなじょうしゅ) 直虎(なおとら)」を、これまでに4回見た。一年間ものの「大河ドラマ」で、もう8月だから、半分以上を越している。



 8月6日の回では、幼年、少年、というよりも幼児の 井伊直政(いいなおまさ)が、
現れていた。随分、利発(りはつ)でお利口さんの感じの、いかにも、自分が、井伊家(いいけ)(本当は、井伊氏(いいし))をこれから引っ張っていって、井伊一族(いいいちぞく)を隆盛させる人間だ、という感じの描き方だ。

 後(のち)に徳川四天王(してんのう)というよりも、家康(いえやす)四天王のひとりと呼ぶべき、井伊直政(なおまさ)を育てた、叔母(おば)の、井伊直虎(いいなおとら)という女性を主人公にした、戦国時代物のNHKドラマである。

 私が、このあと、ここに載せる文は、7月22日に書いた自分のための備忘録(びぼうろく、メモランダム)の文だ。私は、思い立って、やや本気で、「だからこそ今から、井伊の一族の徳川家康との関係での本当の歴史の真実を掘り出さなければ」と思った。

 それで、別個に、私は今「真実の井伊一族と 三河(みかわ)大名=岡崎城主=松平元康(まつだいらもとやす)を謀略で殺してすり替わった家康と、この男が実は17年も居城にした浜松城の真実」という内容の文を、書いている最中だ。

 そうしたら、この7月22日のメモランダムは、その前宣伝というか、急いで、重たい掲示板の方に載せておこう、と思った。それで、今日ここに載せる。

そのあとに、食わせ者の、日本中世史=つまり戦国時代 の、日本史学者の小和田哲男(おわだてつお)静岡大学名誉教授の NHKの「女城主 直虎」への解説文のような、やや長い記事がネット上にあったので、これも載せる。 なぜ、戦国時代についての、日本史学者の、日本では、まわりから第一人者(だいいちにんしゃ)とか権威(けんい)とされる、小和田哲男が、大嘘つきであり、日本史の真実を、覆い隠し、捏造(ねつぞう)してきた勢力に、気弱そうに荷担してきた男であるか。を、私、副島隆彦は、満天下に、証明しなければいけない。

 しかし、この知識作業は、簡単なことではない。私、副島隆彦の熱心な年季の入った読者たちでも、「本当かなあ」と、私の書いていることに、何でもかんでも無条件に賛同するわけではない。そのもどかしさを、ずっと私は、抱えながら、今日まで、“真実暴(あば)きの言論人”をやってきて、「私は、大きな枠組みの中の真実、しか信じない。おかしい、と自分が思ったことは、徹底的に調べ上げて、大きな真実」を表に出す。その際は、世の中で流通している定説(ていせつ)や、学校の教科書に書いていることや、主流派・体制派が押しつけて「これを正しいと信じなさい」という内容や、学問的に正しいとされる理論、などを逐次(ちくじ)、否定してゆく。

 以上の長いまえがきになった。今日のぼやきの方に、ここの重たい掲示板に載せる文を引き継いだ、本格的な文を近いうちに載せます。 それは、私が追求している、「真実の井伊直政、そして 本当は、17年間もずっと浜松城にいた(岡崎城ではない)真実の家康」論である。
 
 7月22日。副島隆彦 記。
 私は、このNHKの「女城主 直虎」のドラマに出てくる、この女たちを描くことで、 これから起きるだろう、来年4月と予定されている北朝鮮への、アメリカ軍と中国軍の攻撃、小さな戦争(副島隆彦の予言)に賛成して、日本の女たちも、戦争に動員されろ、という 密かな観点から作られている国民扇動ドラマのひとつだ、と考えた。

 こんな 歴史資料もはっきりしない、「女城主」などいなかったろうに、それを「ドラマですから」でやっている。元気な女、女の時代(ヒラリーが、大統領になる予定で、世界中に振りまいた計画。日本では、ヒラリーの子分であり、同じMoonie ムーニーである小池百合子を 首相にして、中国との戦争を、着着と準備してきたことの一環。それが、トランプ当選で、ぶち壊された)

 「女城主」なんて、どうせ、始めかっらパッとしない人気で、視聴率もほとんど無い歴史物ドラマと思われていた。なのに、戦争賛美、扇動の雰囲気で、女たちを今よりも、もっと凶暴化させようとして、それなりの人気が出ているらしい。これで若い男たちが、ますます なよなよと、女化か、ゲイ化する。

「女城主」で、大河ドラマを作りたいなら、本物の本当の優れた女城主だった、埼玉の今の行田(ぎょうだ)史にあった、実在の 忍(おし)城の、女主人が勇壮に戦った史実(しじつ)の戦争の話にすればよかったのに。

“井伊の赤備(あかぞな)え”という、徳川の軍団の中で、最強の突撃集団 を作った、家康4天王のひとりの、井伊直政(いいなおまさ、 1561-1602)) は、“24人持ち大筒(おおづつ、大砲。本当は、ウイリアム・アダムズの船から運んだ洋式の当時世界最新鋭の大砲)の本多忠勝(ほんだただかつ)”や“知恵伊豆”などと並んで、”井伊の赤鬼(いいのあかおに)“と呼ばれて、勇猛だったのは事実だ。

 が、家康がそのように配備したからであって、そのあと 直政は、42歳で死んでいるから、井伊家(氏)は、「高家(こうけ)」(譜代の中で格式が、なぜか特に高い)にはなった。なぜ、井伊の赤鬼部隊が、最強だったかというと、その前に滅ぼした 甲斐(かい、山梨県)の武田勝頼(たけだかつより)の甲州武田軍を、織田信長が、井伊直政に配備して、それで、最強の突撃隊を作ったからだ。
敗北して服従した人間たちには、その後の過酷な運命が待っているものなのだ。 それが人類史の真実だ。

 1600年の関ヶ原の合戦に敗れた、総大将の石田三成(いしだみつなり)の居城、佐和山(さわやま)城を、直政は、拝領して、この年、18万石の大名になった(40歳)。

 この不吉(ふきつ)であるに決まっている佐和山城をさっさと壊して、その石垣の大石を運んで、5キロ?ぐらい先に、彦根(ひこね)城を作った。それが、幕末まで続く 譜代(ふだい)大名の井伊氏だ。が、どうも、ここにもあと一つ、私、副島隆彦が解かなければいけない 秘密がある。 

 先週、私は、大阪での講演会にゆく際に、新幹線の窓から、ハッと、「佐和山城跡(あと)」の看板を初めて見た。以前は無かった。関ヶ原の国境を越してすぐだった。目を凝らしたが、そのあとにはるがずの彦根城は、分からなかった。

「女城主 直虎」の 直虎が、女だった証拠の文献は、どうも無いようだ。この前、
私は、八重洲ブックセンターで、真面目な歴史学者たちの、 直虎もの の NHK大河ドラマに合せて、急いで書かせて作られた感じの本を、数冊、さらさら立ち読みした。そうしたら、「直虎が女である文献(歴史史料)はない」とのことのようだ。 

 あんな、浜名湖の北の方の、誰も知らない、ほとんど誰も行かない、誰も知らない(と書くと、現地の田舎者が怒るかな)土地の地侍(じざむらい)、国人(こくじん)程度の、小さな在郷(ざいごう)武装集団程度( 鎌倉時代以来、武家の頭領から任命された地頭=じとう=職が大名になっていったのだから、地頭職などよりもずっと小さい)の、小さな地域の話だ。  



 駿府(すんぷ。今の静岡市)の今川方に付かないで、三河大名の松平氏に属していた、このあたりの、奥三河(おくみかわ)の地侍(じざむらい)衆は、今川氏親(いまがわうじちか)が、ものすごく強くなった時代に、駿河大名(するがだいみょう)の今川氏の勢力圏に入った。遠々江(とおとおみ)の浜名湖周辺も、今川氏に服属していた。

 だから、織田信長が、二重スパイの戦場の忍者(最先端の軍事スパイ)から作った男で、三河の岡崎城主・松平元康まつだいらもとやす  にすり替わった男 )である徳川家康 の側近に、15歳 でなったのが、井伊一族の家督を継いだ、井伊直政だ。

 この直政 を 立派に育てた叔母さん が、直虎で、ということに作り話をして、「テレビのドラマなんだからいいじゃないの」で無理やり作って、それで、国民歴史教育として、いつもの国民洗脳をやっている。直虎が女だった、という史料はあるのか?  真面目な歴史学者たちに、史料に基づく真実を語らせなければいけない。

 私、副島隆彦は、浜名湖の北側一帯の 三ヶ日(みっかび)にも行ったことがある。 都田(みやこだ)にも行って辺りをぐるりと回ったことがある、と、言えば、その西側の山地(やまち)である、井伊一族の発祥の、井伊谷(いいのや)城の城跡の、あの地の辺りの人たちは、「そうか現地を知っているのか」と、言うだろう。

 私が、三ヶ日(みっかび。浜名湖の北側。中国古典ものの歴史大作を書く、小説家の宮城谷(みやぎだに)なんとか、が住んでいる)にも私は、5年前に行って、調べている。そこから峠の山一つ北西に越した井伊谷(いいのや。現在は、新城(しんしろ)市。JR飯田線沿い)だ。

 浜名湖の東側の、遠州(えんしゅう)と言う国の中心である、大きい浜松城( JR浜松城から北に2キロぐらい。かつては、引馬=ひくま=城と呼ばれた)そのものに、なんと、ここに、「17年間、家康公(本当は、世良田元信、せらだもとのぶ)はずっといたのだ。ここが根城(ねじろ)、本拠地だ。家康は、自分が、謀略で乗っとった三河の岡崎城にはほとんど行っていない。そこは、松平信康(まつだいらのぶやす)という、自分がすり替わった元康(もとやす)の息子を、城主ということにして、そのまわりを、本物の三河武士(みかわぶし)たちに守らせていた。

 それで、自分こそは、すり替わって松平元康なのだけれど、居づらくて、それで、浜松城にずっといたのだ。 そして、子の 信康を20歳の時に、、正妻の築山御前(つきやまごぜん、今川の重臣、関口氏の娘)ともども、殺した(1578年)。家康に、跡継ぎの秀忠(ひでたた。2代将軍)が生まれたからだ。用なしになったので、殺したのだ。

 彼らは、徒党=山賊、夜盗の集団で、喇叭(らっぱ)、スッパ、の一団であり、戦場スパイの集団として、1561年から、浜松城を根城(ねじろ)にして、ずっと住んだのだ。そのあと、信長軍団の先兵( 同盟軍などではない)として、徳川軍団は、次第、次第に、17年かけて、今川氏を追い詰めていって、1679年には、ついに駿河まで攻め取って駿府城を取り、そこに移った。その前に、信長の軍団の一部として、甲斐(山梨県)の武田氏を滅ぼしにゆく。その先陣の役割を、徳川軍団はやっている。

 17年間も、すり替わったあとの家康は、浜松城にいたのだ。この驚くべき真実を、歴史学者たちは、まとめて全員が、知っているくせに、ゴモゴモして、言わない。三河大名の徳川家康は、岡崎城 に居たことにしないと、日本史の戦国時代が、まずいのだ。ウソで堅めてあるので、今さら、真実を書けなくなって、無様(ぶざま)に歴史の偽造を、日本史学会が、一団となって、小和田哲男を筆頭にしてやっている。

 私は、2015年に、浜松城の天守閣(観光用に鉄筋コンクリートで再建したもの)に行って、じーっと史料を眺めていて、ボランティアのガイドの人たちと、話していたら、真実はバレた。

 私は、ボランティアのガイドに、聞いた。「17年間、家康は、この浜松城にいた」という歴史考証は、誰がやったのですか。小和田哲男教授ですか? 」と。 そうしたら、「いえ、ちがいます。同じ静岡大学の、・・・先生です」と言った。その教授の名は、聞きぞびれた。

私は、これらのことは、この調査の後すぐに書き上げた、私の「歴史物での真実の暴きの大著」と自画自賛する、『信長はイエズス会に爆殺され、家康は、すり替わった』(PHP 刊 2016年) にほとんど書かなかった。

 浜松城には、西暦1560年時点で、今川氏の 戦略上の重要な城として、誰か? が、今川の重臣として守っていて、その城主が死んで、その奥さんである女が城主として、数十人の家臣と居残っていた、と浜松城の壁に貼ってあった 史料に書いてあった。 それがどうも、井伊家と関係しているようだ。 だから、井伊の一族が、このとき、本当に、浜松城にいたのではないか??? 私、副島隆彦は、そのように、霊感で思う。 それ以上の詳細な真実は、今はまだ分からない。

 この1560年5月(永禄3年)に 尾張と三河の国境(くにざかい)の桶狭間(おけはざま)で戦いがあって、これで、駿河大名の今川義元(よしもと)が急襲されて死んで、今川勢は、ワーッと東海道をずっと、東の方に、に敗残兵の群れとなって、どんどん逃げ帰って行った。このときに、浜松城を守っていた連中も、「自分たちも 尾張(おわり)勢に殺される」と思って潰走(かいそう)したようだ。 だから、当時でも東海道の主要地だから大きな城である浜松城 は、ほとんで、もぬけの殻(から)に近い状態になったようだ。

 そこへ、忍者集団であり、まさしく盗賊、夜盗の集団であった、そして、翌年の
1562年4月には、岡崎城主(一応、三河の大名)の松平元康を、「ご子息を生きて連れて参りましたぞ」と、計略で中に入り込んで、まんまと元康を城内で殺してすり替わった。そして徳川家康が誕生した。このあと4年間の間に、松平元康から、コロコロと、家康、そして、徳川 に名を変えた。の徒党が、浜松城を占拠して、そして、この後(あと)17年間、家康は、駿府を1579年に、攻め取って移るまで、ずっとこの浜松城にいたのだ。 これが歴史の真実だ。 副島隆彦の暴き言論の成果、業績のひとつだ。

 副島隆彦の本の、頭のいいはずの熱心な読者たちでも、まだ、ここまでは付いて来れない。それは仕方が無い。 どんなことも時間がかかるんだ。私、副島隆彦は、「大きな枠組みの中の真実 しか信じない」と、言いながら死んで行く。 私が、死んだ後、私が書いた本たちが、見直されて、「やっぱり、この問題でも、副島隆彦が、大きくは正しかったのだ」と皆で、私の業績を 認めるだろう。 私は、生きている限り、ずっと我慢に我慢で、耐えに耐えて、ただひたすら、「総合的な人類の真実の組み立て」の作業をやり続ける。他にやるべきことはない。


小和田 哲男 静岡大学名誉教授

以下の文を作った、小和田哲男(おわだてつお)という、静岡大学の教授を最近までしていた 歴史学者は、食わせ者の大嘘つき である。多くの点で、世の中に逆らわないように、逆らわないように、で、生きてきた 小心者の男だ。

“ 生き方上手の 歴史学者”だ。歴史資料(古文書である文献)の読み込みは、それなりに、かなり正確に出来る男だ。だが、やっぱり、いざという段になると、体制に逆らわない、ふにゃふにゃ になる 男だ。

 以下の文を、私、副島隆彦は、「直虎が女だった史料はない」という一点で、小和田哲男は、ここでも上手に、すっとばして触(さわ)らないようにして、逃げているようだ。 
小和田は、“業界のボス” になるような、政治力を行使して、業界で、若い真実を書こうとする学者たちをいじめるような男なのか、そうでないのかまで、私、副島隆彦は、まだ突き止めていない。そのうち判明するだろう。

 副島隆彦の闘いは、日本史の各所でも、自由自在にやる。私は、古文書(こもんじょ)の歴史資料の読み込みはできない。が、正直者の歴史学者たちの書いたものを、私の、このずば抜けた眼力で、精査、判定して、その上で、これからも真実の歴史を、粗(あら)っぽく大きく描く。  副島隆彦 記


(転載貼り付け始め)

● 知略で井伊家を救った「おんな城主」直虎

2017/06/05 日経BIZ 

小和田哲男 氏、造(ぞう)事務所

 NHKの大河ドラマで注目の井伊家。今川家の支配下にあって桶狭間の戦いや暗殺によって当主が不在となり、家を継いだ"おんな城主"直虎に育てられたのが、直政である。やがて徳川軍団に加わった直政は、「赤備え」の精鋭を率いて活躍し、敵から「赤鬼」と恐れられた。徳川四天王でもっとも若い直政は、最終的に石高は徳川軍団トップ、筆頭家老となった。

没落していた井伊家をみごとに再興したが、自身は42歳の若さで命を落とす。火花のごとく激しくも短い直政の生涯からビジネスのヒントを探る。
最後のひとりとなった井伊家の嫡男

 井伊の名前で歴史に名を残した有名人物といえば、幕末に大老を務め、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(なおすけ)だ。直弼の肩書は、譜代大名筆頭・彦根藩井伊家13代当主。もちろん直政の子孫である。

 そんな井伊家のはじまりは平安時代までさかのぼる。『井伊家系図』によると、藤原道長などが輩出した名門・藤原北家の出とされている。もとは名家の一族なのだ。
 鎌倉時代に遠江一帯に勢力を広げた井伊家は、周囲を山に囲まれた井伊谷(いいのや)の国衆として、貴族の血を引くという誇りを胸に平和な日々を過ごしていた。

 しかし、戦国の世になると駿河(静岡県東部)の今川氏親に攻めこまれ、その影響下に置かれるようになる。今川家が井伊家を戦において先鋒として使うようになると男子が次々と戦死し、桶狭間の戦いでは当主の直盛が戦死した。その後、今川家が衰えていくなかで当主となった直親(直政の父)は、家康に通じたと疑われて謀殺された。

このとき、虎松こと直政はまだ2歳である。その翌年には、老体をおしてふたたび当主となった直平が急死する悲劇に見舞われた。

直政の曾祖父である直平までたどると、家康とも姻戚関係となる
 こうしてわずか3年の間に当主を立て続けに失い、井伊家の男子は2歳の虎松だけとなってしまうのだ。虎松を生んだ母は、夫・直親の死後すでに徳川家臣と再婚していた。そこで虎松の後見人となったのが直虎である。直虎は直親のもと許嫁であった。

 男子がいなくなった井伊家を継いだ"おんな城主"直虎は、井伊家の男子で生き残った虎松を育て上げた。徳川方につこうとした井伊家は、その後も幾度となく今川家に圧力をかけられ、各地を転々としている。

 逃亡生活を送りながら、虎松は8歳まで直虎に保護・養育され、その後は寺に避難。井伊家を再興するため、一族によって必死で守られていたのである。

再興した直政、地位を確立した直孝
 今川家に内政干渉されていた直虎はじっと耐えていたが、1568(永禄11)年11月、ついに井伊谷城を今川家に明け渡して領土を失う。じつは、これは直虎があえて選択した、生き残るための手段だった。直後に徳川家が今川領を攻め、井伊谷は家康の支配下となる。

 もしそのまま井伊谷城に残っていたら、井伊家は今川家の命を受けて徳川軍と戦うことになり、滅ぼされていただろう。絶妙なタイミングで明け渡していたのである。

 井伊家の復活を模索していた直虎は、徳川家康に賭けることを決意。15歳になった虎松を家康の家臣に送りこんだ。直虎の母の再婚先である松下氏の口利きもあって、鷹狩りを楽しんでいた家康との謁見に成功している。

 家康は、虎松の父・直親と親交があったことを理由に虎松を快く迎え入れ、井伊家を継ぐことを認めた。こうして虎松は、家康の幼名・竹千代にちなんで、「万千代」と名づけられたのだ。

 さらに家康は、城も家臣もない会ったばかりの少年に300石を与えている。なぜ、そこまで手厚く処遇したのか――美少年だった万千代を寵愛したからともいわれるが、本当のところは不明である。
 その後、家康は万千代を小姓として召し抱え、政治や武芸を学ばせた。家康は、戦場においても戦略を細かく指南したという。手塩にかけて育てたといえる。

 時は流れ、1602(慶長7)年3月、病床にあった直政は、家老の木俣守勝を呼んだ。「井伊家があるのは徳川殿のおかげであることを忘れてはならぬ。家督を継ぐ者は代々、御奉公第一、忠節一筋を心がけることを申し送るよう努めよ」と言い残してこの世を去る。

 直政にはふたりの息子がいた。家康の養女である正室・花との間に生まれた直継と、侍女に産ませた直孝である。主君の娘ということもあり、直政は花にはかなり気を遣っていたらしい。恐妻家だったともいわれる。侍女が直孝を連れてきたときも返事をあやふやにして、城に置くことなく領内の名主の家を転々とさせていた。

 直孝が12歳になったとき、直政は内々にようやく会って、愛用していた采配(戦場で指揮をするときに使う道具)を与えた。親子で対面したのはそのあと一度だけ。ついに、直孝を城に迎え入れることはなかった。

直政の魂を受け継いだ次男・直孝(なおたか)
 直政の死後、木俣守勝は駿府の家康を訪ねて、直孝が直政の隠し子であることを伝えた。そして直孝は2代将軍・秀忠に仕えることになった。

 直孝は器量と働きを認められ、大坂の陣に出陣。とくに夏の陣では大活躍した。その後、直孝は秀忠の遺言で3代将軍・家光の後見役を任され、4代将軍・家綱も補佐した。正室の子でないにもかかわらず、井伊家の2代目当主も継いだのである。

 そもそも、直孝を家康に謁見させたこと自体が、家康と守勝による井伊家の当主交代の下準備であったともいわれている。長男・直継は家臣をまとめる力がなかったのか、病弱とされて江戸に閉じこめられたまま。その経緯はわからない。

 なお、父とほとんど交流のなかった直孝は、それでも「井伊直政の息子」であることを誇りとし、最後まで父の遺言を守って幕政のために奔走した。この直孝の功績もあり、井伊家は江戸幕府で重きをなした。幕末までに大老10人のうち5人は井伊家より出している。大老は江戸城では徳川一門につぐ席次であり、別格の存在であった。

 現代においても、直政や直孝の血脈は受け継がれている。1953(昭和28)年、16代当主の直愛は彦根市長選挙に立候補して当選し、9期36年もの長きにわたって市長を務めた。「殿さま市長」と呼ばれ親しまれたという。


小和田 哲男 監修、造事務所 編著 『徳川軍団に学ぶ組織論』(日本経済新聞出版社、2017年)、第3章「井伊直政 先鋒として敵陣に突入した赤備えの猛将」から

小和田 哲男(おわだ てつお)
静岡大学名誉教授、公益財団法人日本城郭協会理事長
 1944年静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。日本中世史研究の第一人者。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の時代考証を担当。主な著書に、『戦国武将』『軍師・参謀――戦国時代の演出者たち』(ともに中公新書)、『「人望」の研究』(ちくま新書)、『石田三成』『豊臣秀次』(共にPHP新書)、『歴史探索入門』(角川選書)、『名城と合戦の日本史』(新潮文庫)など多数。

造事務所(ぞうじむしょ)
歴史・文化・宗教に造詣が深く、雑学から、生活実用まで幅広いジャンルの単行本の編集・執筆を行う。1985年設立。編著となる単行本は年間40数冊にのぼる。主な編集ものに『30の都市からよむ日本史』『リーダーの英断』(いずれも日経ビジネス人文庫)など。

徳川軍団に学ぶ組織論 (日経ビジネス人文庫)
小和田哲男 監修、造事務所 編著 出版:日本経済新聞出版社 価格:896円(税込)


●「柴咲コウNHK「直虎」10・6%で自己ワースト」
2017年8月7日 日刊スポーツ

 女優柴咲コウ(35)が主演し、6日に放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」(日曜午後8時)の第31話の平均視聴率が、関東地区で10・6%だったことが7日、ビデオリサーチの調べで分かった。前週は11・3%だった。これまでの最低だった4月30日放送第17話の11・0%を下回り、自己最低を更新した。

 同作は男が絶えた井伊家を「男」を名乗って守り抜き、後に徳川四天王の1人に数えられ彦根藩の藩祖となった井伊直政、幕末の大老として知られる井伊直弼へと子孫をつないだ女領主・井伊直虎を主人公とした物語。

6日の回は、井伊直虎(柴咲コウ)は今川氏真(尾上松也)の命に従い、徳政令をうけいれる。これは井伊谷が今川の直轄地となり、井伊家が取りつぶしになることを意味していた。直虎と小野政次(高橋一生)はいったん今川家に従うふりをして時を待ち、裏で徳川家康(阿部サダヲ)と手を組むことで井伊家復活を図るという策を取ったのだ。虎松(寺田心)をはじめとした井伊の一族は領地を追われ、川名の隠し里に残ることになる。

 川名に移った直虎は、家中の者たちに政次の真意を伝える。そんななか、氏真は政次が城代に据える条件として、虎松の首を差し出すよう要求してくる。直虎は要求を予測し、身を隠すべく虎松を三河の寺へ送り出す。政次は氏真からの要求を満たすため、郎党を引き連れて井伊の川名へ。

 しかし虎松はすでにおらず、代わりに直虎を城に連行。虎松のものとされる幼子の首を改めさせる。疱瘡(ほうそう)のためと偽り厚化粧を施された首は、虎松の身代わりとして政次が殺めた子供のものだった。直虎は首をかき抱いて涙し、経を唱える。一部始終を見た関口氏経(矢島健一)は追求の手を緩め、直虎と政次は窮地を脱する、という内容だった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。私が書いた、『信長はイエズス会に爆殺され 家康はすり替わった』(PHP刊、2016年) を読んで下さい。

副島隆彦 です。 8月17日です。さらに追加で新聞記事を一本載せます。この記事に、
井伊直虎(いいなおとら)は、男であって、女ではない、という 歴史史料 が有る、発見された、発表された、という記事だ。 おずおずと、NHKの「女城主 である直虎」のドラマの邪魔をするのも、いやだなあ、という感じで、書かれている記事だ。 これを載せる。

(転載貼り付け始め)

〇「おんな城主・井伊直虎、実は男だった!?京都の美術館が発表 NHK来年の大河ドラマ主人公 」

2016年12月15日 産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150007-n1.html

 戦国時代が舞台となる来年1月のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎について、井伊美術館(京都市東山区)は14日、井伊家が所有する古文書に「井伊(次郎)直虎」を男子とする記述が見つかったと発表した。直虎は別の文書から女性とされてきたが、もともと史料に乏しいこともあり、同美術館は「もしかしたら直虎は男だったかもしれない。今後、さらに研究が進んでほしい」としている。

■どうするNHK 女優の柴咲コウ主演、大河ドラマ影響は

 同美術館によると、古文書は、直虎を補佐していた今川家の武将、新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の娘らから、彦根藩(井伊家)の家老(左馬助の孫)が寛永17(1640)年に聞き書きし、子孫が約100年後にまとめた『雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』。「(領地は)新野殿のおいの井伊次郎殿に与えられた」「関口越後守氏経の子が井伊次郎」とあるのが見つかった。

 過去には、関口氏経と次郎直虎の連署がある書状も見つかっていたことも合わせ、井伊直虎が男子だった可能性があるとした。

 ただ、ここには「井伊次郎(直虎)」が井伊家の当主だったかどうかなどは触れられていなかった。

 これまで直虎については、江戸時代中期に龍潭寺(浜松市)の和尚が記した『井伊家伝記』で、度重なる当主の戦死などで幼い男子しか残らず、その後見人として井伊直盛の一人娘の「次郎法師」が「井伊直虎」と名乗って井伊家を救ったとの内容が、記されている。

京都女子大の母利(もり)美和教授(日本近世史)は「史料が極めて少ない直虎の研究に、新たな進展を示すことになる発見」とした。

 今回の発表にからみ、女優の柴咲コウさん主演の大河ドラマ「おんな城主 直虎」について、NHK広報局は「ドラマはあくまでフィクションであり、影響はないと考えている。1年間、視聴者の皆さまに楽しんでいただける大河ドラマを制作していく」としている。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝 




[2170]「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!まず知識・思想から」をぜひ読んでください
投稿者:六城雅敦
投稿日:2017-08-06 21:07:54


5月25日に発売された「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!まず知識・思想から」の感想を書きます。

なぜ書評が遅れたのかというと、あまりにも少部数であったために、駅の書店や近所には置いていなかったからです。7月に東京日本橋の丸善書店でやっと入手できました。
二階の隅にあるコーナーの「オカルト」という棚の一番端に一冊やっと探し当てたのです。

「ニーチェに学ぶ」は哲学書の棚に置いて然るべきなのですが、なぜかオカルトの棚に一冊だけでした。
副島隆彦の新作は平置きという思い込みでずっと探していたのですが、丸善でさえも隅のオカルト本の類と一緒に、ほんとに隅に一冊だけあったのです。カバーが擦れてヨレヨレですから、たぶん多くの人が手にしてくれたのでしょう。そのヨレヨレのカバーの本をレジに持ち込んで、読みました。

副島先生から伺ったのでここで公表しますが、初刷りはたったの5000部なんです。
5000部では首都圏の大規模書店でさえ、平積みにはならないという現実です。2万部ぐらい刷って貰わないと、地方中心都市の書店では並ぶことさえありません。平積みされるのは私の感覚では4,5万部はなければならない。

今回の新著は少部数だと伺っていたので、覚悟はしていましたが、新大阪駅のキオスクにもなく、地方都市の大型書店でも取寄せ扱いでした。そして上梓から一ヶ月も経ってやっと東京日本橋の丸善で一冊買えたのです。しかし哲学ではなくオカルトの類とされたことに、私は丸善に幻滅を覚えました。
「ニーチェに学ぶ」の横には我々の論文集「蕃書調所の研究」も同じオカルトの棚に置かれていました。
正直いえば、悔しいです。

(ここで、副島隆彦の割り込み、加筆。2017年8月8日。 六城くんは、勝手に、私のニーチェ本の
初刷り(発売部数)は、5千部だと、書いている。 5000部というのは、六城くん、君の本が出るときの部数だ。私の本は、そんなに少ない部数ではないよ。

出版社の名前が悪いので、オカルトのところに自動的に置かれてしまうようだ。出版社の社会的な、信用と格付け(レイティング)というものは、有るものだ、と私も改めて思った。

 それでも、私、副島隆彦が、必死になって書き上げて、「まるで黒沢明(くろさわあきら)監督の映画を見るような、筋立て(ストーリー)の分かりやすさと、明確さ」で、まるで、「映画監督が事前に作る、シナリオライター(脚本家)よりも早く出来る、コンテ絵=映画全体の構成=20枚ぐらいに相当する、図版(画像)をはじめの方で、徹底的に描いて見せた。これが、副島隆彦の生き方であり、出版物作成戦略だ。この本を読む気になって、手にとって本の中を開く、読み手だけは、全体に、捕まえて花座無いぞ。絶対に、分からせてやる、という私の深い決意がある。

ドカーンと、ニーチェという人類の思想家であり、超ブランドである、思想を、読み手のひとりひとりに突きつける。分かり方は、その人それぞれの、知能と知性のレベル(水準)に依(よ)る。それでいい。
映画を見る感じで、読み手=お客を惹(ひ)き付けなければいけない。私、副島隆彦のこの深い決意を
分かる者は少ない。 

 お客、観客、消費者、参加者 として 人生をおわる人間と、 舞台の上で、自分の踊りを踊ったり、役を演じたり、歌を歌ったり、スポーツの競技という肉体演技を見せたり、そういう 見せびらかし人間たちの、深い決意を分からない者たちの人生を、向こう側に見つめて、演技者、表現者たちは、生きている。

 すべては、出しゃばり根性。見せびらかし、目立ちたがりの精神である。これを、英語では、
show off ショウ・オフ という。 見せびらかし、こそは、人間(人類)がやってきた行動の中心に有るものだ。このことを、いやがったり、謙虚そうに見せかけたり、「自分なんかたいしたことないから」と、人前に出ることいやがったり、と、そういう人間たちを、はね飛ばして、「オレが、オレが」と、人をかき分けて前に出て、演説をしよう、歌を歌ってやる、ということをしないような人間は、そうやって、歴史の藻屑(もくず)の中に消えてゆけばいいのだ。

目立ちたがること、ひけらかすこと、着飾(きかざ)ること、自分の裸体をわざと衆人(しゅうじん)の目に晒(さら)すこと、こそは、女たちの主要行動であり、男たちの権力欲の源泉だ。
これを、ソースタイン・ヴェブレンは、衒示的消費(げんじてきしょうひ)、conspicuous consumption
コンスピキュアス・コンサンプション という。 「私を見て、キレイでしょ」と「どうだ、すごいだろ」と着飾って、見せびらかすためにこそ、人間(人類)の行動の根源がある。

 食べるために生きている、生きるのがやっとだ、次に、人類がやってきたことは、すべて、この衒示的な消費、見せびらかしだ。  私、副島隆彦は、、今や絶滅種(ぜつめつしゅ)に近い、死にかかっている産業である、花街(かがい)、料亭文化の、芸者(芸妓、げいぎ。黒留め袖、か 紋付き)を数人引き連れて、ぞろぞろと、パリのシャンゼリゼ通り や、パリ・オペラ座のあたりを、何の意味も無く、歩きたい。それが、私の人生の残りで、やりたいことだ。 ただし、チンドン屋や、コマーシャルの宣伝と間違われることを怖れる。 他に、生きていて、何をすることがあるか。

 見せびらかし、自己顕示、オレがオレがの精神以外に、人類(人間)は、一体、何をすることがあったか。みんな、本気でこういうことを考えなさい。それが、ニーチェの思想を分かり、リヒャルト・ヴァーグナーと奥さまのコジマ(当時、ヨーロッパ最高のピアニストだったフランツ・リストの実娘)と、ニーチェが、スイスのトリープシェンの館で、3人で、4年間、一緒に寝て過ごしたか、そして、その後、決裂して、激しい憎しみの関係になっていったを、分かることだ。

六城くん。君の、その軟弱な、「オレなんて、どうせ」と恥ずかしがり屋の性格が、自分の人生を低く、低くしているのだ。出しゃばり、目立ちたがり、「どうだ、おれの考えはすごいだろ」と、見せびらかす精神を今こそ、大事にしないと、本は書けないぞ。 何十度言ったら、分かるんだ。 この、奴隷の卑屈な、根性を、自分で叩(たた)き直せ。 卑屈な人間が、何か、ニーチェを分かったようなことを、書いて、それで満足するな。

私が、一昨日、彼に、「本は進んでいますか。原稿はどうなってるの」と電話したら、栃木県(しもつけ、下の毛の国)の足利市(あしかがし)の足利学校の前を、自転車を漕いでいる、とのことだった。
「帰ったら、先生のニーチェ本について書きます」と言いやがった。馬鹿が、何を考えてるんだ。
頭はいいのだかから、さっさと自分の思想、考えを纏(まと)めろ。

 私、副島隆彦が、舞台で、踊っているときに、観客席から、「つまらねえなあ、下手だなあ」という者がいたら、私は、即座に、舞台から下りていって、そいつの胸ぐらを掴(つか)んで、「それなら、お前が踊ってみろ」と、舞台に引きずり出そうとする人間だ。 このことを、私は、弟子たちに、ガンガン、指導している。「お前が、人前で、踊れ、歌え、演説せよ。いつまでも、観客席から、ぐだぐだ言っているな。分かったか」と、厳しく叱るから、だから、彼らは私に逆らわない。今にも、舞台に引き釣りださされそうになると、彼らは分かっているからだ。 副島隆彦割り込み、加筆、終わり 。ふん )


さて気を取り直して、副島先生の新著の紹介をさせていただきます。

本書は前半だいたい3章から4章あたりまではニーチェという人物と関係者(とくにヴァグナー)による思想の解説です。
5章以降はニーチェ自身の(44歳で)死に至るまでの足取りです。

つまり前半は適菜収「キリスト教は邪教です!現代語訳アンチクリスト」(2005年 講談社α新書)をさらに理解を深めるための副読本(理解を進めるための教材)という体裁です。適菜氏の著作を読んでいなくても十分理解できるでしょう。

ところが後半は副島先生にニーチェが乗り移ったかのように、ギリギリの苦しみの状況と発表した著作を時系列で解説されています。

いわばニーチェの代弁を120年後の今、ニーチェの魂をなぞるかのように書き記している感じがしました。普段の文体とは異なっていて性急な文章なんです。
それだけ一気呵成に書き上げた副島先生の熱気を感じます。

弟子の私が解説しますが、後半はドイツ哲学に精通している編集者の小笠原豊樹氏によるものだと思いました。

副島先生のそばで見てきましたが、副島先生の数いる編集者の中でも小笠原氏ほど卓越した人はいないと私は思っています。
本来なら(博識の)小笠原氏も書き手側ちゃうんかい!と二人の関係を眺めてます。

つまり小笠原氏は副島隆彦と同じく「ニーチェの狂気」を分かち合える希有な編集者なのです。
だからこの「ニーチェに学ぶ」は前半は副島先生、後半は小笠原氏による<実質は>共著なんじゃないのかなあと弟子の私はそう感じながら読みました。

「ニーチェに学ぶ」は狂気の著者と編集者による魂の叫びである

この本は副島隆彦先生と小笠原豊樹氏の狂おしいほど「わかってくれ!」という叫びなのです。
ざっと目を通して、私はよくわかります。そしてニーチェ本は適菜収氏とこの「ニーチェに学ぶ」の2冊で十分な破壊力があります。
どうかこの文章をおよみの皆様、「ニーチェに学ぶ」をお近くの書店で(陳列はされていないので)注文して下さい。

もっと売れて欲しいと心底思います。(現実には丸善でさえも一冊しか置いていません)

以下、簡潔に感想を述べます。

私が心に留まった箇所は、ニーチェ(とヴァーグナー)が捉えていた「ギリシア的なもの」です。
ヨーロッパ人(とくにフランス人)がホメロスとかギリシャ神話に憧憬をもつ理由が分かります。
それは言い換えればキリスト教的なるものが全く「人類の解放」にはなっていないことの証左なのでしょう。
ディオニュソス的(すなわち乱交パーティ)がギリシア芸術の根幹だと言い放ったことでしょう。

216ページ
ショーペンハウアーは、「この人間世界は、グチャグチャの非理性と、盲目的に突撃する意志で覆われており、人の人生は愚かな欲望に振り回されるものなのだ」と考えた。欲望に振り回されるから人の一生は苦痛である。この苦痛からの救済は精神をしっかりすることだ。そのためには自分の意志を否定して、無私に徹して、そうすることで永遠の理想と向かい合うべきだ。だからショーペンハウアーにとっては、芸術、哲学、宗教はこの盲目的な意志からの開放である。それが苦痛からの開放の道となる。前半生のニーチェはこのショーペンハウアーに学んで、ギリシャ芸術を賛美し、美しいギリシャ彫刻を、人間解放の道とみなした。
 ギリシャ人は、なんと「最もよきことは、この世に生まれないこと。だから次善は、早く死ぬことだ」という至言を生み出した民族だ。「人は生まれなければよかった。だからさっさと死ぬべきだ」という恐ろしい言葉をギリシア文明は一方で隠し持っている。この苦痛ばかりである一生を耐えうるものにするためには、ぞっとする死の深淵と関わること。そして、終わることのない生命(生活)の苦痛があるからこそ、ギリシア人は明るく輝く芸術の神殿を建てた。芸術こそは、人間の生を生きる値にするものにするための企てである。このようにショーペンハウアーは組立てた。この思想の基本骨格をニーチェもヴァーグナーも初めは強く支持し受け容れていた。
 だから、ニーチェはディオニュソス的とアポロ的の、二つの、すなわち退廃(淫靡)と健康(光輝)の二つの芸術がギリシア悲劇の中で対立したまま融合していることを『悲劇の誕生』で証明した。


この勢いで坊主の思いつきに過ぎない宗教的規律を強いるローマ・カトリック教会へと批判が進みます。
ああ、ここでニーチェが存在している現世は「愚かな悪意と愚行の連続」であり、それが歴史となることに気付いたということです。

220ページ
 ニーチェ2冊目の本は、『反時代的考察』(1873-1876年、29-32歳)である。ニーチェはこの本で、ヘーゲルがやったように、歴史の問題を過激な刀で切り裂いて見せた。
 世界史という、人類の血だらけ泥だらけの歴史が持つ意味は、あの威風堂々の劇作家であるシラーが見抜いたとおり、善悪のどちらであれ、人間の歴史はその偉大さの記念碑であるとする。常に決断を迫られる、人間の生のエネルギーを弱めるものは、すべて否定されるべきだ。その代表がローマ・カトリック教会である。彼ら坊主たちが、人間に忍従と我慢と謙虚さを強いてくるとき、人間の生のエネルギーは弱められる。
 1870年ぐらいまでは、ショーペンハウアーの哲学とヴァーグナーに、ニーチェは狂ったように心酔して入れあげていた。ショーペンアウアーにとって歴史とは、ひとりの天才が出現したときにだけ素晴しい、とするもので、あとは愚かな人間達の悪意と愚行の舞台に過ぎないとする。


ニーチェはキリスト教の唱える「真理」に異議を唱えます。見ることも存在すらもわからないのに「真理」があるとするキリスト教に懐疑を抱くのです。キリスト教の神=真理だという教義、さらに真理により善悪が決まるという欺瞞にニーチェは120年前に真っ向から立ち向かったのです。

291ページ
『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Bose)では、なぜ人間は真理(ヴァールハイト)を欲するのか、とニーチェは問いかけている。真理を求める意志は、生(生きること)にとって真理が有用だからだ。ところがニーチェは、ここで、「真理とはウソの尺度である」というとんでもなく矛盾する定式化を行った。なぜなら、ウソの尺度がなければ、真理を求める生命そのものも存在しないからだ。
 ニーチェは、生命(生き生きと生きること)を自分の思想の中心に置いている。その際、毒もまた健康によいということを、彼は知っている。スイスの新聞が、ニーチェの哲学を指して「ダイナマイト」と名付けた。「丈夫で堅いヨーロッパの偽善的キリスト教というイデオロギーの容れ物をニーチェは爆破しようとしている」と書評したのだ。「どうせ落ちて腐る物を落ちるに任せるだけではいけない。突き壊すべきだ、とニーチェは主張している」と評した。この評論(評価)は今読んでも優れている。


上記の抜粋箇所が後半の要点だと私は感じました。


適菜収氏の「現代語訳アンチクリスト」と併せて、副島隆彦著「ニーチェに学ぶ」を読むと、より深く時系列でニーチェがどのように影響されて、また思想を深めていったのかがわかるでしょう。そして私は読了後どのように考えたのかを申し上げるとニーチェは無神論者として葬られましたが、無神論者(atheism エイシイズム、エイシイスト)ではないでしょう。

 (六城。当たり前だ、だから、ニーチェは、自分こそは、イエスだ、自分こそは、ゾロアスター(すべての世界規模の救済宗教の元祖)だ、と、考えて、あの「ツアラトウストラ(ゾロアスター)、かく語りき」の大著を書いたのだ。)

むしろ(キリスト教的ではない)神の存在を信じて真理を追究して日夜没頭する人、今で言えば現代物理学者や天文学者、数学者といった人たちです。ニーチェは有神論者(theism シイイズム )だということ。だからこそ無政府主義(アナーキズム、 秩序破壊活動者 )という裏の顔をもつキリスト教を憎んだのです。そして欲望・快楽を否定することが真理だという人間性のない危険思想に警告を出し続けたのです。

5000部という希少本(図書館にも並ばない自費出版に毛が生えたレベルの部数)で終わってしまうのは惜し過ぎる!
こんな少部数ではブックオフの中古本ではまずこの部数では出てこないです。
どうか流通している間にお読み下さることを私は切に望みます。






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