「2004」 下條竜夫著『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』(秀和システム)が発売 2022年7月11日
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SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。2022年7月11日です。
物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国は太宰府にあった
7月16日に下條竜夫(げじょうたつお)著『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』(秀和システム)が発売となる。下條氏は兵庫県立大学理学研究科准教授であり、弟子仲間だ。下條氏はこれまでに『物理学者が解き明かす重大事件の真相』『物理学者が解き明かす思考の整理法』という2冊の単著を出している。
今回のテーマは日本古代史、多くの人々が関心を持っている邪馬台国(やまたいこく)だ。下條氏は邪馬台国の秘密を明らかにしている。物理学者がどのように古代史の謎に挑むか、是非皆さんで確かめていただきたい。是非手に取ってお読みください。
(貼り付けはじめ)
はじめに
●邪馬台国の謎
日本の歴史上の最大の謎は、卑弥呼(ひみこ)と邪馬台国(やまたいこく)である。
中国の歴史書の『三国志』「東夷伝」の倭人の条(くだり)に卑弥呼と邪馬台国が紹介されている。卑弥呼は「鬼道(きどう)」と呼ばれる怪しげな呪術(じゅじゅつ)を使いながら倭国の女王として祀(まつ)りあげられたと書いてある。なぜ、そんな人物が女王になったのかはわからない。その卑弥呼が住んだ国と書いてあるのが邪馬台国である。ここも謎に包まれている。場所さえ特定できない。
この本の中で詳しく述べるが、それ以外にも多くの謎がある。卑弥呼など存在しなかったという説もある。三百年以上の間、侃侃諤諤(かんかんがくがく)と議論が続いている。
この本では私はひとつの事実を仮定して、それをもとに邪馬台国の謎のすべてを解明しようと思う。
その仮定とは、『三国志』の列伝に登場する五斗米道(ごとべいどう)の教祖である張魯(ちょうろ)という人がいる。その姉妹、張玉蘭(ちょうぎょくらん)こそが卑弥呼であるという事実である。
この事実自体は文献がないので証明ができない。歴史というのは文字があって、つまり歴史書に記述があってはじめて議論ができる。記述がない場合、歴史にはならない。しかし、この仮定によってあらゆる邪馬台国にまつわる謎がすべて解ける。本当にすべての人が納得のいく形で解けてしまう。
これは数学で言えば「公理」にあたる。違う公理を用いると、違う数学が生まれる。平行な直線は交わらないというユークリッド幾何学に対して、平行な直線も交わるとしてできた非ユークリッド幾何学が有名だ。同様にある歴史の史実を仮定することで、全く違う歴史像が生まれてくる。
この本では、まず第1章で邪馬台国の謎を俯瞰(ふかん)する。八つの謎を、過去の文献を参考に見ていく。そして、その後、第2章以下でその八つの謎をすべて解いていく。余計ではあるが、卑弥呼は美人だったことまでも、史実をもとに明らかにしていく。第2章および第3章では卑弥呼とは誰だったのか、そして第4章では、邪馬台国がどこにあったかを詳細に説明する。さらに、第5章では、単なる祈祷師(きとうし)・呪術師(じゅじゅつし)と思われていた卑弥呼が、実は日本の文化の基礎をつくった最重要人物だと考えられることを明らかにする。
●なぜ物理学者が歴史の本を書くのか
この本は『物理学者が解き明かす重大事件の真相』『物理学者が解き明かす思考の整理法』に続く、私が書いた三冊目の本である。
私は物理学を専攻し研究する学者である。物理学者がこの手の歴史本にかかわるなら、アイソトープの半減期による年代決定、含有物の元素組成比による制作地決定など、物理学的計測手法のデータを基にした考察を書くのが普通だろう。しかし、この本には、その手の計測結果やデータはほとんど出てこない。したがって、著者が物理学者である理由は特にない。もしかしたら、この本を手にとった方の中に科学的計測がでてこないことにガッカリした人がいるかもしれない。
ただ、科学=サイエンスに従事するものとして以下のことに挑戦してみたかった。
まず、科学の伝統的な手法、祖述(先人の学説を受け継いで発展させること)をつかって、日本の歴史に挑戦してみたかった。特に、中国史の専門家の岡田英弘氏の学問を土台として、日本の歴史に挑戦してみたかった。
日本人は、専門外の人の意見をあまり重く見ない。日本古代史の研究者も中国史を専門とする岡田英弘氏を相手にしない。丸山眞男(まるやままさお)という戦後の政治学者は、専門分野に閉じこもり、他の優れた学説を取り入れない、このような学者の頑(かたく)なな態度を「タコつぼ型という学問に対する日本独自の態度」と表現した。我々は優れた過去の学説に対しては、引用する形できちんと取り上げるべきである。ある優れた学説を受け継ぎ、きちんとその内容と優れた点を説明し、その上に自分の発見した事実を積み重ね、自分の説を展開していく。科学はこれにより進んでいく。同じことを、日本の歴史学でやってみたかった。第5章で詳しく述べる。
ただし、通常の科学の手法は使えない。科学では、いくつかの実験的事実、観測した事実から、ひとつ、あるいは複数の命題や法則を導いていく。これが王道である。これをcorrespondence theory of truth(真理の対応説)という。歴史は科学ではないが、同様に、古い文献の記述の信頼性から真実を議論する。これはその文献の信頼度で決まり、歴史学者によって徹底的に議論されている。門外漢の私が口を出す余地はない。
しかし、実はもうひとつ、いくつかの事実関係の「整合性」から真実を求める方法がある。これをcoherence theory of truth(真理の整合説)という。物理学者は基本つかわない、というか嫌われている。しかし、たまにつかうこともある。例えば日本人初のノーベル賞をとった湯川秀樹の中間子論は、当時観測されていなかった新しいボーズ粒子の存在を仮定してできあがっている。この粒子を中間子(メソン)と呼ぶ。中間子を仮定すれば陽子同士の結合が説明でき、素粒子の議論全体が整合する。ただし、この中間子論は、中間子が発見されるまでは物理学者のニールス・ボーアなどに「見つかってもいない粒子を勝手に存在することにするのか」と酷評された。したがって、学問としては異端な方法に分類される。しかし、この事実関係の「整合性」から真実を求める方法、つまり真理の整合説なら、私でも歴史学に対応することができ、新しい知見が生まれる余地がある。第2章から第4章でこの整合性で議論する。
そして、読者の方々には最後まで読んだ後で、これらのやり方が本当に正しいかどうか判断していただきたい。
しかし、それでも自分の専門分野以外をやるのは勇気がいる。特に門外漢である日本の古代史に関する本を出版することには抵抗があった。しかし、私の師である副島隆彦先生が紹介してくれたラルフ・ウォルドー・エマソンの次のことばに励はげまされて世に出すことにした。ここに引用しておく。
「自分の考えを信じること、自分にとっての真実はすべての人にとって真実だと信じること」
「私が何かに気づけば、私の子孫も、いずれは全人類もそれに気づくだろう。たとえ私以前には誰ひとり、それに気づいた人がいなかったとしても、私がそれを知覚したことは太陽の存在と同じくらい、揺るぎない事実だからだ」
(ラルフ・ウォルドー・エマソン『自己信頼(Self-Reliance)』より引用)
この本から、理科系の人間がどのような思考をして文科系の問題にアプローチしているのかを知っていただけたら幸いです。
令和四年五月
下條竜夫
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『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』◆ 目次
はじめに 1
邪馬台国の謎 1
なぜ物理学者が歴史の本を書くのか 3
第1章 邪馬台国の謎 15
「魏志倭人伝」が語る邪馬台国 17
卑弥呼が存在したという形跡は日本にない 19
なぜ卑弥呼は王になれたのか 22
邪馬台国の場所はどこなのか 23
なぜ卑弥呼は豪華な返礼品をもらえたのか 28
なぜ魏の王朝の鏡が日本にあるのか 34
第2章 なぜ卑弥呼は王になれたのか 41
鬼道とは五斗米道という道教の神のことである 43
五斗米道とはどんな宗教か 48
鬼道と鬼神の違い 58
鬼道とは五斗米道の神様=天神のこと 60
卑弥呼は中国五斗米道の始祖、張陵の孫である 62
卑弥呼の本当の名前は玉姫 64
卑弥呼は魏の皇帝と縁戚関係にある 68
なぜ「魏志倭人伝」に詳しい卑弥呼の記述があるのか 77
第3章 『日本書紀』と『古事記』に登場する玉依姫が卑弥呼である 81
玉姫とは神武天皇の母である玉依姫のことである 83
万世一系とは卑弥呼の子孫の物語である 90
卑弥呼は美人だった 95
第4章 邪馬台国があったのは間違いなく太宰府である 99
「魏志倭人伝」が邪馬台国の距離と方角を間違えた理由 101
改ざん前の報告書を推測する 106
「魏志倭人伝」の距離の記述を復元すれば太宰府に到達する 107
玉依姫を主祭神とする竈門神社 112
なぜ天神様が太宰府天満宮に祀られているのか 117
太宰府は九州の交通網の要所にある 123
出雲がなぜ古代の大都市なのか 126
卑弥呼の墓は大おお野の 城じょう市にある 134
なぜ奈良に大和があるのか 137
第5章 日本の文化の礎いしずえをつくった卑弥呼 143
「誠の道」という日本独自の思想 146
二十四節気が明らかにする日本の古代史 155
一月中、七月中、十月中という三つの祝宴 161
道教国家日本 165
日本古代史の真実を暴いた岡田英弘氏 166
おわりに 177
参考文献 180
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おわりに
第1章の冒頭に、最初の謎として卑弥呼のいた形跡、例えば、ゆかりの神社や名が入った遺跡がまったくないのはなぜだろうかと述べた。だが、実際はその逆だった。日本には卑弥呼の軌跡(きせき)がいたるところに溢(あふ)れている。
卑弥呼=玉依姫を主祭神(しゅさいじん)とする神社は、第2章、第3章で取り上げた京都の河合(かわい)神社、福岡の竈門(かまど)神社以外にもたくさんある。北は宮城県から南は鹿児島県まで、それこそ日本中にたくさんある。また、鬼道とは「天神」のことだと第2章で述べた。福岡の「天神」は九州最大の繁華街である。また、大阪の「天神」橋筋商店街と言えば六百以上の店舗が並ぶ日本一長い商店街のことである。日本は卑弥呼で溢れている。
この本で私が提示したのは、卑弥呼の新しいイメージである。今までは、卑弥呼は、よく言えば呪術師(じゅじゅつし)、悪く言えばただの占い婆さんであった。「王になったのは占いがよく当たるからだろう」という記述を何回か読んだことがある。その程度の認識であった。
しかし、卑弥呼はそういう人物ではない。『三国志』の「張魯伝」にあった「人々に正直であること、偽らないこと、病気になったら自分の過ちを告白すること」を、教えただろう。食べ物に困った人に食事を与えるための義舎もつくっただろう。しかも中国の奥地である漢中あたりから、危険な玄界灘と対馬海峡を渡って倭に来る気概をもっていた。だから、卑弥呼は凛とした美しい人だったと私は思う。
「卑弥呼は聖母マリヤのような人だっただろう」とここにはっきり書いておこう。これは、ただの比喩ではない。古代道教とは、実は東に流れてきたキリスト教なのである。私の先生の副島隆彦氏がそう書いている。第2章に書いてあるように「山上の垂訓」があり、義舎はまるで「修道院」、そして鬼卒は「修道者」のようである。だから、卑弥呼は本当に聖母マリヤのように聖人としてたてまつられていたと思う。そうでなければ、神武天皇の母として日本の歴史書に残ることはなかっただろう。
もし私のこの見方に賛同してくれる歴史小説家の方がいたら、この本の内容を、ぜひ小説かドラマにしてほしい。「私のアイデアを盗用するな」などと野暮なことは言わない。絶世の美女である張玉蘭が、化外(けがい)の地、倭にわたる。東夷というのは中国皇帝に朝貢する国の呼び名であり、しない国はさらにその先という意味で化外と呼ばれる。そして、苦労して現地にとけこんでいく。姪が王室に嫁いだというので、貢物(みつぎもの)を送ったら、驚くほどの多量の返礼品と王の金印を送ってきた。
そういう、現実が想像を上回った歴史ドラマだと私は思う。
本書を上梓するにあたっては秀和システムの小笠原豊樹編集長にお世話になりました。御礼申し上げます。また、副島隆彦氏から、岡田英弘氏に関する情報を含め、たくさんのアドバイスをいただきました。ここに感謝いたします。また、この本が書けたのは玉姫様の御加護とお導きの賜物(たまもの)と思っております。謹んで感謝の意を表したいと思います。どうもありがとうございました。
令和四年五月
下條 竜夫
(貼り付け終わり)
(終わり)