「1825」 映画「バイス」を通して、1970年代から最近までのアメリカ政治について語る(第1回・全3回) 2019年5月8日
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副島隆彦です。今日は2019年5月8日です。今回は映画評論をやります。
先月、私は「バイス(VICE)」という映画を見ました。
映画「バイス」のポスター
「バイス」というのは英語のVICE です。これは Vice President で、副大統領と言います。この「バイス」というのは、日本語では副(ふく)だけども、副島(そえじま)の副(そえ)ですが、 Vice President の時にしか使わない。他では、ほとんど使わない言葉、ということになっています。
副長官はDeputy Secretaryと言います。次官というのは、たくさんいるのですけど Under Secretary という言葉を使う。財務省の副長官は Deputy Secretary of Financeです。Secretary of Finance すなわち財務長官の下にいる役職に対しては、だいたい Deputy、Under という言葉を使います。アメリカは国王がいない国ですから、大臣(Minister)ではなく、長官(Secretary)を使います。
この「バイス(VICE)」は、もう一つ、「悪徳」とか「組織犯罪」みたいな意味もあります。「マイアミ・バイス」という、大人気が出たテレビドラマが、昔あったんです。これはマイアミを中心にした警察の捜査官二人組の話で、南米から持ち込まれる、コカインとか麻薬を摘発する捜査官のテレビドラマです。1984年から1989年まで大人気だった。「マイアミ・バイス」(Miami Vice、2006年)というタイトルの映画にもなりました。有名な俳優が二人出ていた。南米人との混血の男のね。黒人もいました。
ドラマ「マイアミ・バイス」
この「バイス」という映画は、ディック・チェイニー(Richard “Dick” Cheney、1941年―、78歳)という、息子ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ[George W. Bush]、1946年―、72歳、第43代大統領、在任:2001―2008年)の副大統領をした男の話です。ハゲ坊主の、まあ後ろは髪があるけど、デブっと太った男で。相当悪い人間だ、と最初から言われていました。ずっと悪役を、演じる、も何も、実行し続けた男です。
ディック・チェイニー
私はアメリカ政治研究家ですから、このディック・チェイニーという男を、注目しなかったわけではないけども。あまり光を当てなかった。
私がそのころ知っていたのは、ハリバートン (Halliburton Company)という、軍事会社のCEO、及び会長をしていたことです。このハリバートンというのは、もう恐ろしい会社で。アメリカ軍が外国に進撃し、派兵、出撃するときは、このハリバートンが、一切合切を持ち出すわけです。
ハリバートンの本社
イラク戦争の時でも、イラクに米軍将校や幹部たち用の住宅を作る、ぐらいのことも平気でやります。みずから、薬から建物から、一切合切をアメリカから空輸するわけです。ほとんど現地にないですから。コカ・コーラだろうがなんだろうが、兵隊用の装備品も、一切合切を。一言でいえばこのハリバートンが供給するわけで。膨大なお金がアメリカ政府から払われます。
これの会長を、公式には5年、やっていたことになっています。本当は10年間やっていたようです。
ハリバートンの物資集積・輸送
このハリバートンという軍事会社は、兵站(へいたん)、ロジスティックスといいますが、食料品から武器弾薬まで、アメリカ国内で調達して現地に運ぶ仕事です。これはあまり政治の表面には出ない会社だけども、最大級の悪い会社です。彼がこの会長をしている間は、ビル・クリントン(Bill Clinton、1946年―、72歳)政権の時代(1993―2001年)です。民主党政権。
2000年の選挙で息子ブッシュが勝って、2001年から、息子ブッシュの政権ができた。そして2001年9月11日の911事件。この911事件も、ワールド・トレード・センター・ビル(WTC)2つに飛行機が突っ込んで、ビルが倒壊して、世界的な大惨事になった。と言うけれど、あれでアメリカ国民を戦争に駆り立てて、たくさんの志願者が出ました。
破壊されるWTC
この911事件も仕組まれていたものです。オリバー・ストーン(Oliver Stone、1946年―、72歳)監督の「ワールド・トレード・センター」(WORLD TRADE CENTER、2006年)でもおかしな描き方をしていた。ズズーン、ズズーンと音が聞こえていた。あれはテルミット爆弾という4千度の超高熱を出す兵器を、10階おきぐらいに、ずっと仕掛けてありまして、ガラガラと上から崩していったんです。
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4千度というのは大変な高熱です。鉄製の大きな柱が一瞬のうちに全部溶けるほどの。ワールド・トレード・センターは飛行機が突っ込んだくらいでは倒れないんです。あんなもの、ボッと燃えてしまって終わり。飛行機はアルミや薄い鉄で出来ていますから。それでアメリカを戦争体制に持ち込んだ。
これはウォー・エコノミー(War Economy、戦争経済)と私は説明し続けたけれど、日本ではその言葉使う人は、他に出てきませんでした。戦争経済で戦争によって経済を刺激する、という、明らかな政策です。そうしないとアメリカはそのとき、景気が悪い。リセッション(recession、景気後退)に、そのとき入っていた。ニューヨークの株価が7,600ドルぐらいまで落ちてました。それで「何とかしなきゃ」で、戦争で景気を刺激した。ウォー・ブースト・エコノミー(戦争“刺激”経済)といいます。戦争(ウォー)でエコノミーをブースト、押し上げたんです。
このときの、実行の責任者がドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(Donald Rumsfeld、1932年―、86歳)という男と、このディック・チェイニーなんです。ラムズフェルドは非常に重要な男です。例えばオリバー・ストーン監督の「ブッシュ」(W.、2008年)という映画では、ぼおっと周りに、薄暗い光を投げかけて、閣僚会議に黙って座っている。悪魔か魔王のように描かれています。
このラムズフェルドよりも9歳年下なのが、ディック・チェイニーです。この二人で動いていた。2001年の911事件の後の、11月には、アフガニスタンに進撃して、4万人くらい米軍が出て行って、アフガニスタンのタリバーン、及びアルカイーダと戦闘しました。
今でもまだ4千人くらい米兵がいるのかな。カブールというところを中心に。ドイツ軍もフランス軍も出ていた。イギリス軍も出ていた。2、3千人ずつ。彼らは「もう帰りたい」と言っていたけれども、米軍はまだ、もう20年近くいる。それで、2年後の2003年3月20日のバグダッド爆撃から、イラク戦争が起きたわけで。この最高指揮をしたのも、このチェイニーとラムズフェルドなんです。
ラムズフェルド、ブッシュ、チェイニー
ラムズフェルドが国防長官。ところが、年齢差が9歳違うのに、逆転していまして。ディック・チェイニーのほうが副大統領になっていたんです。このため二人の仲が悪かったんじゃないか、という説もあった。しかし私は、最後までこの二人は、ワルのコンビネーションだと思います。
「バイス」という映画は、ディック・チェイニーを学生時代からずっと描いています。チェイニーという男は、ワイオミング州と言いまして、かなりもう北の方、ロッキー山脈の北のほうで、もうカナダに近いところです。国境線は、モンタナ州というのがあって、その南ぐらいの深い山の中で。私は行ったことはないけれど、大森林地帯と大草原の牧場があるところです。こんなワイオミング州の出身です。
非常に重要なのは、チェイニーが高校時代から付き合っていた、リン・チェイニー(Lynne Cheney、1941年―、78歳)という奥さんがいるんです。このリンという人が、ものすごく重要です。当時私が20年前に、アメリカ政治分析や評論をやっていたときも、「このリン・チェイニーが、頭がいいのだ」と。「ものすごく悪賢い女なんだ」と言われていました。
ディック・チェイニーとリン・チェイニー
この映画でもリンがずっと出てくる。大学はイェール大学に二人とも行っています。イェール大学というのは、名門大学の一つですが、保守の大学です。ハーバード大学は、一応、民主党リベラル派の大学ということになっています。プリンストン大学は、ニューヨークから電車で1時間のところですが。後はコロンビア大学という名門大学がニューヨーク市のマンハッタンの北、110丁目ぐらいのところにあるんです。ここも名門です。
CIA に入るような、保守のアメリカの若者の頭のいいのは、イェール大学に行く、と言われています。ここに入った。ところがチェイニーは、あまりにも勉強ができなくて、退学なんです。本当に。勉強ができなすぎて、退学。お酒を飲んだくれて、やっぱりアル中なんです。飲み屋で殴り合いをしたりして、飲酒運転で逮捕、という前歴があるんです。この前歴は、あのジョージ・W・“子供”ブッシュも、全く一緒です。飲んだくれなんです。まあ、もうちょっと言うと、麻薬もやっていたんですね。
それを奥さんのリン・チェイニーが、もうずっと面倒見るというか、立派な奥さんだ、といわれています。リン・チェイニーのほうがずっと頭がいい、と。リン・チェイニーが、旦那のディックを操った、ともいわれています。これはどうも、事実だと思う。
ただこの映画では、穏やかな、立派な女性風に描いていますが、リン・チェイニーはそんな甘いものじゃない。ディック・チェイニーは、どんどん出世して。1991年の湾岸戦争の時にはもう、50歳で、国防長官になっています。湾岸戦争を実行したのも、このチェイニーです。
国防長官時代のチェイニーと父ブッシュ
この時は、お父さんブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ[George H. W. Bush]、1924-2018年、94歳で死亡、第41代米国大統領、任期:1989―1993年)の政権なんです。ガルフ・ウォー(Gulf War、湾岸戦争)と言います。ガルフ、というのはペルシャ湾のことです。パージャン・ゴー(Persian Gulf)。ガルフ(Gulf)は、ゴーという発音ですけどね。
これはもう1992年には、さっさとやめちゃって、イラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein、1937-2006年、69歳で死亡)を殺すことまでしませんでした。さっと撤退した。それがまずかったという理屈で、なんと、ちょうど10年後に、今度は息子のブッシュの時に、あのイラク侵略戦争をやった。16万人の米軍の軍隊を送り込んで、サダム・フセインを捕まえて、首を吊った。イラク全土を、一旦は米軍が制圧したんです。
この映画を見て私がよくわかったのは、2001年の911事件からずっと制圧してるわけです。ところがコリン・パウエル(Colin Powell、1937年―、81歳)という黒人の国務長官がいたんですが。これはベトナム戦争の時の英雄です。非常に指揮官として優れた。このコリン・パウエルが国務長官になっていて。このコリン・パウエルや、エリック・シンセキ(Eric Shinseki、1942年―、76歳)という日系人の陸軍参謀総長になった男、たちは、50万人の軍隊を送らなければ、イラクを完全制圧できない、と最初から言っていた。イラク戦争に反対していたんです。
コリン・パウエルと息子ブッシュ
ところが16万人しか送れなかった。それで各主要都市は、全部米軍が守備したというか、守った。すべての都市に、チェック・ポイントというんだけど、検問所を作るわけです。米軍の部隊はその都市外れに、コンクリートの4メーターくらいの大きなバリケードを作って、その中に自分達は駐屯する。そしてその都市を、見回りというか、要するに警備して回るわけです。その周辺の大きな道路とかも。
私が知っている知識では、この間に映画が5本ぐらい出来たんです。2002から2006年あたりを描いた、イラク戦争映画があるんです。それは、ベトナム戦争映画の、もうその次、といってもいいくらい。
それらのどの映画でもハッキリ描かれていて、テレビ・ニューズでもよく出たんだけど、これはハンヴィー(Humvee、HMMWV: High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle=高機動多用途装輪車両)というんだけども、米軍の兵器輸送用の。まあ10人くらい乗れるのかな。プラトゥーンというのは、一個小隊で12人なんですけど。それが乗れるぐらいのハンヴィー装甲車です。これは車輪はゴムのタイヤですが。
爆破されるハンヴィー
これと、他にブラッドレー装甲車(Bradley Infantry Fighting Vehicle)というのがあるんです。こちらはもう少し戦車に近いんですけど。軽機関砲を備えている。その上はもう M1戦車(M1 エイブラムス、M1 Abrams)というのかな。まあ古い戦車でいえばパットン戦車のような、その後継の大戦車もいるわけですが、よく知りません。
このハンヴィー、一般兵隊用の移動用の装甲車が、バーン!と、道路に仕掛けてあった地雷を踏んで、吹っ飛んで、乗員が死んでしまうんですね。この事件がずっと続いたんです。これでイラク戦争には勝ったのに、2年後くらい、2003年くらいから、もうものすごく評判が悪くなったのに、ずっと駐留し続けました。
おそらく少し減らしていって、16万人が10万人、8万人ぐらいまで減ったと私は思う。要するにアメリカがお金を出せなくなっているんです。中国はじーっと、そのことを見ている。最大16万人しか、アメリカ軍はイラクに派兵できなかった。これが冷酷な事実なんです。
コリン・パウエルは国務長官ですから、国連の安保理に出席して、その後に2003年3月20日のイラク侵略戦争、バグダッド爆撃でズズーン、ズズーン、と激しい音がして、現地にいた日本のニューズ・レポーターまでいました。後は「人間の盾」とかいって、高遠菜穂子(たかとおなほこ)とかっていう変な女達男達が、10人ぐらい、自ら人質になりに行って。恥かいて、死なないで連れ戻されました。
でも、おそらくそのうちの半分は、実は日本の外務省の情報将校・国家スパイだと、私は思います。高遠だって、私は実はスパイだったんじゃないか思っています。ただの安全リベラル派の、戦争反対派の人間たちじゃないんです。あんなところ行かないですよ。普通の人間は。つまりどうしても日本の情報将校、インテリジェンス・オフィサーを、現地に派遣しなきゃいけないんです。日本のジャーナリストを名乗っているやつもいますけど。怪しいのばっかりなんですね、実は。
そうすると、爆撃してサダム・フセインが住んでいた大統領府というパレス、宮殿みたいなところ爆撃する。それからすぐに海兵隊が上陸する。あとはストライカー部隊というのがあって、これが一番強いと言われている。これがおそらく一個師団なんだろうな、1万人ぐらいの最精鋭部隊も上陸していた。
アメリカ軍のイラク侵攻
2009年のオバマ政権ができた時に初めて撤退命令が出るんですね。ストライカー部隊に。「イラク戦争終了」とかいうのをやる。そしてその後もまだ2、3万人、ずっと米軍が残っているんです。今も5000人と言われていますけど、もっといるでしょう。1万人ぐらいイラクにいます。
北のほうに4000人ぐらいいて、それはクルド人という山岳部族の、これはもう別の話ですから、しませんが、クルド人部隊を米軍がずっともう、30年ぐらい育てて、お金を出して、兵隊も訓練して。一緒にずっと動いている米軍兵士たちがいるんです。
これを私は「正義の軍隊」と呼んでいる。ベトナム戦争の時も、1968年からの、本当は64年だけど、1970年ぐらいが真っ盛りなんだけど。あのときも、本当のベトナム戦争はカンボジアの山の中・ラオスから、ベトナムとカンボジアの国境線辺りで本当の戦闘は行われているんです。
ベトナムは縦に長い国だけど、海のほうでは、あまり戦闘は行われてないんですね。そこの山岳民族に、モン族とか、花モン族、黒モン族、とかいう人たちがいて、この人たちを米軍がずっと飼いならすんです。自分たちの味方につけて、北ベトナム軍と戦わせる、という仕組みをずっと持っていました。
それと同じ事なんです。山岳部族を手なずけるという。実際戦闘もその山岳の山の中で行われて、モンサントの枯葉剤を米軍が撒き散らかしたり、激しい空爆をやるわけです。ハノイという北ベトナムの首都以外の山の中をずっと焼き払うわけです。これが本当のベトナム戦争です。
同じことがイラク戦争のときも、イラクの北側で、もうイランとの国境。あるいはトルコとの国境線。この辺りに住んでいる、シリアの方にも住んでいる、クルド人という人たちの中に、米軍が今も入っているわけです。そのへんのシーンも映画の中にあります。
だから映画を見て私が知らなかった事実は、このディック・チェイニーは、あのラムズフェルドが親分だったんですね。9歳違うんです。ラムズフェルドがニクソン政権のときの大統領補佐官です。プレジデンシャル・エイド(Presidential Aide)といいます。37歳で大統領補佐官をしているんです。ところが、これは幹部の補佐官じゃない。下っ端なんです。沢山いて、それでも出世コースなんですが。
この後、ラムズフェルドはもともと下院議員を4期やって、その後にニクソン政権入りをしているんです。ニクソンが1974年に例のウォーターゲート事件で失脚したか、騙されてハメられて失脚した後に、大統領になったジェラルド・フォード(Gerald Ford、1913―2006年、93歳で死亡)の大統領首席補佐官(Chief of Staff)になりました。
首席補佐官ラムズフェルド、フォード大統領、次席補佐官チェイニー
そこに集まってきていた補佐官クラスの連中を相手にラムズフェルドが「お前たちは誠実なクソ野郎の集まりなんだ」と怒鳴るんです。「誠実も汚いもないんだ」という大演説をやって。そうしたらこれに、チェイニー が感動しまして。「 私はこの人についていく」と言って、 ラムズフェルド大統領首席補佐官の下の大統領次席補佐官(Deputy Chief of Staff)になっているんです。それが出世コースになりました。
それで1975年から このジェラルド・フォード政権でラムズフェルドが43歳で大統領補佐官から国防長官になった。そして、なんとチェイニーがフォード大統領の大統領首席補佐官なっているんです。ここでなにか、逆転まで行ってないんだけど、不思議な感じがします。
(続く)
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