「1807」 公開中の映画『ナディアの誓い』の主人公ナディア・ムラドの話から中東情勢について語ります(第1回・全2回) 2019年2月14日

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2025/07/13現在、副島先生が手入れをした文章に修正中です。
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副島隆彦です。今日は2019年2月14日です。

今回からは、イラクの北の方のシンジャール山脈にらすヤジディ教徒(Yazidi)である少数派民族の話をします。


ヤジディ教徒の居住地域


ヤジディ教徒

『ナディアの誓い』という映画が現在公開中です。私は昨年12月に試写会で見ました。また、『バハールの涙』という映画も公開中ですが、こちらは昨年11月の試写会で見ました。どちらの映画もIS(アイエス、イスラム国)によるヤジディ教徒襲撃がテーマになっています。是非見てください。


『ナディアの誓い』


『バハールの涙』

■本『THE LAST GIRL ―私を最後にするために』(ナディア・ムラド著、2018年11月刊)

2014年6月12日から急激に沸き起こって始まった IS「イスラム国」という、狂暴なイスラム教の原理主義者ジハーディスト(Jihadists、聖戦主義者)と呼ばれる過激派の連中がいる。ISが出現したのは、北イラク一番の中心都市であるモスルだ。この IS= イスラム国というのが凶暴な人殺し集団で、2014年から北イラクとシリアを大変な戦争動乱状況に陥れた。

ISが出現してその2ヶ月後に、このシンジャール山脈のあたりに主に住んでいるヤジディ教徒たちを襲撃した。ナディア・ムラド(Nadia Murad、1993年―、2019年現在26歳)というヤジディ教徒の女性は、その襲撃で自分の兄弟5人を殺されて、自分もひどい目に遭わされた。

私は去年(2018年)の11月に、彼女が書いた本『THE LAST GIRL ―私を最後にするために』を日本語訳で読んだ。ナディア(21歳)たち、は山にある自分の家から逃げるときに写真を全部焼き、持ち物を全部捨てて、着の身着のままで逃げたが大変なことが起きた。彼女はイラクの北のモスルの方に連れてかれて、それでイスラム・ISイスラム国の幹部たちのところで強姦された、という事実からこの本は始まっています。

6400人のナジディが拉致されて、1300人が殺された。2900人が今(2019年末時点)も不明だ。ナディア・ムラドは生き延びて、現在は言論活動をしている。2018年にはノーベル平和賞を受賞しました。

ナディア・ムラド
ノーベル平和賞受賞の発表は2018年11月5日で、ノーベル賞の授賞式は12月10日でした。これはインターネット上の動画配信で見ることができます。受賞の時の映像を見たら分かりますけど、ニコリとも笑わないで、ずっと厳しい表情のまま、自分の言葉であるクルド語で、ずっと演説をしていました。これをスピーチと言わないで、英語ではレクチャーとなっています。

(引用はじめ)

●「強姦被害者支援の活動家2人にノーベル平和賞」
2018年10月5日 BBC
https://www.bbc.com/japanese/45760596

ノルウェーのノーベル委員会は5日、強姦被害者を支援する活動家、ナディア・ムラド氏とデニ・ムクウェゲ医師にノーベル平和賞を授与すると発表した。

ムラド氏はイラクの少数派ヤジディ教徒で、過激派「イスラム国」(IS)に拷問、強姦された後、脱出し、ISに捕らわれたヤジディ教徒解放に奔走した活動家。現在は国連親善大使として人身売買被害者の救済のため活動し、強姦など性暴力が戦争の武器として使われる現状に対して国際社会として取り組むよう訴えてきた。

婦人科医のムクウェゲ医師は、紛争の続くコンゴ民主共和国東部で強姦被害者の治療に取り組み、戦争の武器として使われる性暴力による重傷の治療法を確立してきた。

オスロで受賞者を発表したノルウェー・ノーベル賞委員会のベリト・レイス=アンデルセン委員長は授賞理由について、両氏は「戦争の武器として性暴力が使われるのを終わらせようと努力してきた」ことを挙げ、両氏が「そのような戦争犯罪について社会が認識し、戦っていくよう、重要な貢献」を果たしたと称えた。

「私たちの被害を世界に見てもらいたい」

ムラド氏は3カ月にわたりISに性奴隷として扱われ、繰り返し売買され、性暴力を含め様々形で虐待された。

2014年11月に脱出した後、ヤジディ教徒の人身売買を終わらせるために活動家となり、戦闘手段としての強姦に厳罰を適用するよう国際社会に呼びかけるようになった。

(以下、略)

(引用おわり)

副島隆彦です。この本は、このノーベル平和賞をもらうことが決まった後に急いで翻訳された本ですが翻訳がしっかりしている。東洋館出版社というあまり聞いたことのない出版社から出ています。大変勉強になりました。


THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

■ヤジディとは
ヤジディ教徒は、クルド人(※)であるが、彼ら自身は「自分たちはクルド人ではない」と言う。クルド語を話しているから、大きくはクルド人だろう。ヤジディは、ゾロアスター教(拝火教)やキリスト教などがまじった独自の宗教を信仰(クジャクの姿をした天使を崇拝)する。2014年にISが侵攻する前はイラク北部に55万人が暮らしていたが、ISがヤジディらを「不信心者」とみなして殺害や奴隷化し、それを正当化した。30万人以上が周辺の難民キャンプなどに避難し、10万人は国外に逃れた。米国がヤジディ教徒救出のために空爆を決断し、対IS討伐作戦を始めるきっかけになた、とされる。ヤジディの聖地は、イラク北部のラーリーシュにある。ナディアは救出されたあと、女性たちでこの聖地を訪ね、僧侶たちから慰(なぐさ)めを受け、教えを説かれた。

※クルド人:中東のクルディスタン地区に住むイラン系山岳民族。中東4か国に広くまたがる形で分布する。自分たちの国を持たない世界最大の民族集団で、人口は2500万~3000万といわれている。宗教はその大半がイスラム教(大きくはスンニー派、シーア派も)に属する。

しかし、もともと遊牧民だから私たち日本人よりずっと体は頑丈だと思う。羊を連れて山に逃げ、羊たちを順番に殺して食べながら生き延びられる。ISもそこまでは追いかけて来られない山岳地帯まで行った。捕まらなかった人々はさらに北の「クルディスタン(クルド人居住区)」に逃げた。

クルディスタンというクルド人国家(政府)が、今ではもう実質的にできている。モスルとキルクークという、イラクの2つの大都市の住民も、「自分たちはクルド人だ」と主張している。ということは、アラブ人(イラク人)と共存(混在)してきたということだ。キリスト教徒が住んでいる町もある。

クルド人は、自分たちの宗教であるイスラム教の宗派にかかわらず、「クルド人であることが優先する」と言う。ずっと混ざって暮らしてきたから、ハッキリ言えない。ここが国境問題、領土問題、民族問題の難しいところだ。日本人は大陸性民族と違って国境問題で苦しまなくていいから楽である。

クルド人については、次回で詳しく述べる。

■残忍なISからの脱出
ヤジディ教徒は、イラク北部のシンジャール山脈を中心に、シリアにも住んでいて、全部合わせて200万人と言われている少数民族だ。イラク人からは長年、差別されてきた。ナディアの村はシンジャール山脈の山裾(やますそ)にあるコウチョという村だ。チロル山地のような牧草がある山岳地帯で、人々は山羊や羊や牛や馬を飼い、トマトや小麦の栽培をするようだ。雨水が少ないのが悩みだ。

ISが占領した大都市モスルと、ナディアが生まれ育ったコウチョ村はわずか60kmしかはなれていない。60kmという一晩が二晩歩けば着くような距離で激しい戦いが起きた。クルド人たちの「首都」は、現在、エルビル(Erbil)に置かれている。モスルとキルクーク(油田の都市)までクルド人居住地なのだがクルド人居住地なのだが、クルド正規軍(国軍)は、イラク軍との戦闘を避けて山岳都市のエルビルまで撤退した。

コウチョがISに襲撃された2014年8月20日から、ジンジャール山にたくさんの人が逃げた。危険を早めに察知した他の村の人々は、山岳地帯を超えて、さらにその北にあるクルド人地域に逃げ延びた。ナディアたちは村に残っていた。なぜなら、そのつい一か月前まで、クルド民主党(主流派、多数派)の部隊が、ヤジディ教徒を守りに来ていたからだ。だが、クルド人部隊はいつの間にか消えて、徹底していた。

2003年のイラク戦争の年に、サダム・フセインのイラク軍を3月から米軍が一気に撃破した。そして降伏したイラク兵たちは、今のイラク国軍に再編成された。2003年から後は、米軍がナディアたちの村にも時々現れて、食料を援助したりした。ヤジディ教徒は米軍が好きである。クルド民主国(多数派のクルド人)は、米軍の支援で成り立っている。1991年の湾岸戦争(ザ・ガルフ・ウォー)の前から、クルド人居住区には「正義の米軍」の部隊が入って、クルド人部族を支援して、育てている。

ISが突如、村に現れて、村人たちは小学校に連れて行かれ、もう集団で殺されるという段階に来ていた。それでも村の長老たちは、まだ話し合いでなんとかなると思っていた。300人ぐらいの男たちは、小学校の中でさらに分離され、家族から引きはがされて、女たちだけ残された。

男は腋毛が生えているか生えていないかで分けられた。13歳以下ぐらいで、腋毛がまだ生えていなかったら、まだ少年として扱われ、母親たちと一緒にいていい。それ以上は成人の男をみなされ、トラックで連れて行かれた。そして遠くの方からダン、ダンと音が聞こえた。「男たちが殺されて!」と女たちが泣き叫んだ。女たちは狂乱状態になった。それが2014年8月20日に起きた。

ナディアは女3人、男8人の11人のきょうだいだったが、兄弟のうち5人が殺され3人が生き残った。その生き残った3人の兄(ロジャー、ヘイリー、ヘズニー)が、非常に重要な動きをしている。今もきっと米軍やクルド軍に協力しながら情報活動をしている。兄の一人ヘズニーは、英語を勉強して身につけていた。イラク政府の警察官として出稼ぎに行っていたので生き残った。アメリカのテキサス州ヒューストンに友人がいた。彼らは携帯電話(スマホ)でずっと連絡を取り合い、妹のナディアを含めて女たちを助け出すためのヤジディの救出組織を作った。

■ヤジディの脱出経路
彼ら(ナディアの兄ヘズニーとその友人)は、どうもこのとき、アメリカ軍と一緒に動いている。ナディアの本には、このことが書かれていない。しかし、前後の文脈(コンテクスト)から分かる。シンジャール山脈を北に超えてクルド人の支配下にある地域(クルディスタン)へ逃げ延びるルートは米軍が開拓し、そこへ逃げたヤジディが何万人もいた。

生き残った者たちが、クルド人居住地域に逃げ延びて、横の連絡を取り合って、ISに捕まって制度冷(セックス・スレイブ)にされている女たちの救出運動を始めた。

同時に、IS幹部たちの核都市の住所を確定して米軍に教え、ISの幹部たちだけをピンポイントで狙ってドローン(無人爆撃機)による爆殺、殺害がずっと続いた。

 

 

 

 

<ISの出現>

それでISイスラム国という 狂暴な連中が、どこから出現したかが本当は大事だけど、世界中、どのメディアもテレビ新聞もこのことをはっきり言いません。ただこのナディアの本を読んでいても、突如出現したという漢字で書かれています。しかし正確にはその2、3年前から、いたようです。


ISの活動地域

だからもうこれは、ナディアの主張ではないんだけど、北イラクの中心のモスルに、なんで ISが出現したか。

もう一つは、このちょうどその西側のそうですね、700 km ぐらい離れたところにあるラッカという町があって、ここがシリアのちょうど真ん中のところです。このラッカにも同時に IS が出現した。

この彼らは7万人ぐらいですが、これはサウジアラビアの北のほうの秘密基地があって、米軍の秘密基地で育てられた人です。もう一つはその西側にあるヨルダンという国の北の方の差別地帯にも米軍の秘密基地があります。そこで育てられた。

IS の最高指導者のバグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi、1971年―)という男は有名になりました。2003年3月20日にブッシュ息子の方の政権の時、そのときからバグダッド爆撃が始まった。これがイラク戦争の始まりです。2003年3月からで、もう2、3ヶ月も、かからずにイラクは制圧されました。そしてサダム・フセインは、2006年に絞首刑になった。


バグダディ

だから2003年の「イラク戦争」と言うけれども、これは正確にはアメリカによるイラク侵略戦争です。ただアメリカではそうは言わなくて、「ウォー・イン・イラキ(War in Iraq)」と言います。イラクにおける戦争で、テロリストと戦う、アゲインスト・テロリスト(Against Terrorists)と言います。だからシリアにいる、その当時はサダム・フセインの軍隊、および勢力に対する戦いということになっています。

それでこのナディアの本を読んでわかることは、2003年に、すなわち今から16年前に、米軍がこのナディアたちが住んでいるコウチョというこのシンジャール山地の山裾の、わりと山岳地帯の草原の、チロル山地みたいな牧草があるところで、山羊や羊や牛や馬とかを飼っている。ここで小麦の栽培とかもできたようです。トマトとか。ここにも米軍が来ています。それをナディアたちが歓迎しています。

その時にイラクは米軍によって制圧された。当時16万人の米軍がいました。それは2007年ぐらいに2万人が、増派されているから、それの数だと思います。16万人が限度だったと思う。それで、そのヤジディ教徒であるナディア達は、米軍に慣れ親しみ、好感を持っている。なぜなら、この北イラクのこのシンジャール山脈を中心にして、シリアの方にも住んでいて、全部合わせても100万人と言われています。このシリアとイラクの真ん中あたりの北の方です。

<クルド人の国、クルディスタン>

このヤジディ教徒は少数民族ですから、イラク人からも長年、差別されてきています。そして、複雑なのは、このトルコの国境線の南側をずっと2000km以上あるのですが、ここにクルド人たちが逃げてきて、亡命政府を作ってトルコ国内のクルド人達と団結して、トルコからの分離独立運動をやっている。このクルド人は、もうなんとシリアとの国境線で、ずーっと地中海の方の、かなりもう地中海に近いところまでいます。そこに国境線の南側にシリアの方に重要な町があって、ここになんとトルコのエルドアン首相のトルコの軍隊(戦車隊)が襲撃してきて、2年ぐらい前に戦争になりました。


クルド人居住地域(クルディスタン)

このずーっと国境線沿いにいるクルド人達の勢力のことも クルド女性防衛隊(YPJ、Yekineyen Parastina Jin、Women’s Protection Units)と言います。これは軍事組織の女性部隊がいることで有名です。それがずっと繋がって、トルコ国境、南側国境のずーっと東側で何とイランとの国境線のところまでずっと続いている。このイランとの国境線全体にもクルド人の勢力がいます。もっともっと言うと、クルディスタンと言って、クルド人の国というのが実質、出来上がっています。クルド人は、全部で2000万人ぐらいいます。


YPJの兵士

そしてイラクのずっと南の方にバグダッド(首都)がある。それよりは500キロぐらい北の方です。このイラク人、イラク国民ではあるわけですが、イスラム教徒のイラク人ではない。ところにイラク人も2つに分かれていて、大きくはスンニ派イラク人とシーア派イラクです。シーア派は、簡単に言うとイランに近いイスラム教の宗派です。イランに近い。わりと差別されている。差別されている人たちです。

主流派はスンニ派と言って、イスラム教の戒律を守る人達という意味です。スンニー、スンナーとも言います。これがサウジアラビアとか他のイスラム諸国では多数派です。しかしシーア派もなかなか負けていなくて、実はイラク国全体の6、7割ぐらいは何とシーア派です。すなわちイランに近い。シーア派は教祖さま、イスラム教の創業者のムハンマドの娘の、アリーをもらった。アリーという人がいて、それが第3代カリフです。その人たちがスンニ派に殺された。正確にはいろいろあります。ムハンマドの家系を大事にする。しかし家系は残っていません。そのスンニ派とシーアの争いはもう説明しません。


クルディスタン内の勢力

イランの方に近いということは、このクルド人のクルディスタンの一番大きな勢力は 、KDP (Kurdistan Democratic Party)と言って、クルド民主党と訳します。クルディスタン・デモクラティック・パーティーです。英語で名乗ります。このクルド民主党は、マッスード・バルザニ(Masoud Barzani、1946年―)議長が指導者です。彼らは、この KDP は、イランと親しい。そしてここにはイランの革命防衛隊(民兵組織)という軍隊が、第2軍隊みたいなのが入り込んできている。なんとイラクからずっとシリアを通り越して、さらに地中海にまで到達している勢力です。

地中海には首都がベイルートであるレバノンという国があって、ここでイスラエルと向かい合って対峙、対決している。このレバノンに2万人ぐらいのヒズボラという軍事組織がある。軍隊、兵隊がいます。このヒズボラの資金源とする宗教シーア派は、イランに非常に忠実です。イランからの補給と資金援助がある。これがずっと北イラクとシリアから繋がっているということです。

ところが、トルコを小アジア半島と言います、トルコの東側半分の山岳地帯には1000万人のクルド人がいます。この1000万人のクルド人は PKK(Partiya Karkeren Kurdisteane、Kurdistan Workers’ Party)という政党を支持しています。これはクルド労働者党と訳します。ここから今、実力のある若い指導者が出てきて、これはトルコの首都アンカラの国会、国民議会の中でも、おそらく20、30人の議員を持っていて、1000万人の勢力なんですね。

このPKKの軍事部門がさっき言ったYPGなんです。この YPGをトルコのエルドアン政権は目の敵にしていて、絶対、攻め滅ぼしてやる、とか言っている。しかし現実には、その1000万人がトルコ国内にいる。クルド人がトルコ国内にいる。すると、この PKKから出ている合法的に活動している政治家たちがいる。ここが複雑だ。

それで、つい最近、去年の12月にトランプが、シリアにいる米軍の部隊を撤収させると、発表した。それでゴタゴタして、マティス国防長官が怒って辞めるという事態になった。この米軍のシリアの北の方にいる部隊は、何をしているかと言うと、なんとこのYPG というクルド人の部隊を援助支援している。米軍の武器弾薬を与えて資金援助もしている。ここYPGには女性部隊がいます 。このYPGの女性部隊が強い。

(引用はじめ)

●「IS支配地域の「100%奪還」、1週間内に発表へ トランプ氏表明」
2019年2月7日 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3210003

ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は6日、ワシントンでの国際会議で演説し、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は1週間以内にシリア国内の全支配地域を失うとの見通しを示した。同大統領はまた、ISとの闘いに引き続き重点的に取り組むことを確約した。

会議はISとの今後の闘いを主題に米国務省で開かれたもので、70か国余りの政府高官が出席した。

大統領は昨年12月、ISに対する勝利を宣言し、シリア駐留米兵2000人全員の撤退を命じることを突然決定していた。

大統領は会議で「米軍、有志連合参加国、シリア民主軍(SDF、クルド人主体の民兵組織)は、シリアとイラクでISIS(ISの別称)の支配下にあった地域を事実上すべて解放した」と発言。「支配地域の100%を奪還したことが、来週のうちに正式発表されるはずだ」と述べた。

さらに大統領は、米国は「とても、とても厳しい」態度を維持すると述べ、各国に資金協力などの取り組みを呼び掛けた。

大統領は「彼らはただの残党だ。だが、その残党が非常に危険な可能性がある」とし、「ISISの狂気の残りひとかけら、最後の1人を打ち破り、イスラム過激派のテロリズムから国民を守るため、あらゆることをする」と確約した。

(引用おわり)

それよりもっと東側のイランに近い方の KDP の軍事組織のことを、ペシュメルガと言います。そのペシュメルガが最大軍事組織です。これがおそらく勢力で5万人ぐらいいると思います。この中にも女性部隊がいます。この女性部隊も実は、そのペシュメルガも米軍からの資金援助と軍事援助、だから戦車や戦闘機や機関銃とかも米アメリカ製です。と同時にイランからも支援を受けている。この KDP クルド民主党が一番大きい。

でもその北の国境線を北に抜けると、そこはトルコで、そこには PKKがいて YPGの勢力がいる。同じクルド人なのに、この複雑さがあります。もう一つ、このもうちょっと南の方に行くと PUK という、このクルド人の政党があって、タラバニ議長がいます。これはクルド愛国者党と名乗ります。この PUK の話はもうしません。複雑になりすぎるから。大した大きな組織ではないと思います。ただこのPUKがいるイラクの真ん中辺りの、このイラン側の方はキルクークが近くにあります。

キルクークという町は、石油がたくさん出るところです。キルクークより、もうちょっと南のとこにチクリートというところがあって、ここも石油が出る。ここが首を吊られて殺された処刑されたサダム・フセインの生まれた、生地です。このキルクークの油田の奪い合い、というところがイラク戦争の時の一つの目標でした。


イラク北部の地図

<残忍なISからの脱出>

それで最初のこのナディア・ムラドは、8月20日ぐらいに村が襲撃された。このコウチョ村が襲撃されて、シンジャール山の方にたくさんの人が逃げたみたいです。それは何万人、逃げたかわかりません。書いてない。ところが、ナディアたちは村に残っていた。

そしてISが現れて、小学校に連れてかれて、もうその時にはもう殺されるという段階に来ていた。それでも村の長老達は、まだ話し合いでなんとかなると思っていた。そしたら300人ぐらいの男たちが、その小学校の中でさらに分離されて、引き剥がされて、女たちだけ残された。男は脇毛が生えているか、生えていないかで、生えていなかったら少年として扱われて13歳以下ぐらいで、女たち、親たちと一緒にいる。それ以上は、成人の男たちということでトラックで何台かで連れてかれて、遠くの方からタン、タンと音が聞こえた。男たちが殺されたと言って、女たちは泣き叫んだ。それが2014年8月20日ぐらいに起きた。

それでナディア達は、そのお姉さん二人もいるんだけど、11人兄弟で女3人なんです。5人の自分のお兄さんたちが殺されています。この残った3人の兄貴が実は非常に重要な働きをしている。兄の名はロジャーと、ハイリーと、もう一人、ヘズニーです。このヘズニーが、何と後々、北イラクの YDPペシュメルガの勢力圏の街のザーホウという所にいて、もうトルコ国境と近いところです。ここでなんと自分の友人が、アメリカのヒューストンにいて、携帯電話でずっと連絡を取り合って、それで自分のヤジディ教徒を救援する仕事をするんです。

それでまず自分の妹のナディアを助け出さなきゃいけない。どうもこの時にそのアメリカ軍と一緒に動いている。自分の友達がヒューストンにいて、それでこのヤジディ教徒は語学ができる。英語を勉強して身につけている。この兄のヘズニーは、ヤジディ教徒の救援組織を作った。


ヤジディ教徒の脱出経路

ヤジディ教徒も、その山に逃げた人たちはシンジャール山を北に超えて、 YPJ のクルド人の支配下に逃げ延びるルートを米軍とかが開発、開拓した。そっちの方に逃げた人たちも何万人もいるようです。その北の方の山岳地帯は、ずっと繋がっていますからそのヤジディ教徒たちもその逃げ延びたら助け合いを始める。ここで言っておかなければいけないことは、ヤジディ教徒はクルド人の一種だと思う。しかし本人たちは認めていない。しかしクルド語を喋っています。そして宗教が違います。イスラム教ではない。

しかしナディアたち頭のいい子は、アラビア語を喋れるようになります。アラビア語を喋れるようになって、イスラム教のお祈りの言葉とか覚えるんです。それで自分たちの身を守るんです。この複雑なところで生きている。

ナディアたち女たちは、歳をとった女と、さらに二つに分けられて、後でわかったけど、お母さんたちもやっぱり男たちが殺された後、山の方で集団銃殺されて、溝みたいなところに埋められて、上からブルドーザーで土を被せてある。集団墓地といいますか、それがずっと後で、2016年になって発見されます。

だからナディアは、家族が相当、殺されていますから怒り心頭です。そして自分達はまずモスルにつれていかれて、性奴隷にされた。イスラム国の幹部たちのところにいくらで売られたか知りませんが配分されていった。そして処女を奪われた。そこは立派なお屋敷みたいなところで、高級住宅街がある。それも、その前はイラク人の偉い人たち、裁判官とか金持ちたちが住んでいるところを接収して、占領して ISの幹部たちが住んでいる。そこに連れて行かれて裸にされて、強姦された。それが繰り返される。

(続く)

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