「1738」 石井利明研究員の初の単著『福澤諭吉フリーメイソン論』(副島隆彦監修、電波社、2018年4月16日)が発売になりました。2018年4月20日
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SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦です。今日は2018年4月20日です。
今回は、SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の初の単著『福澤諭吉フリーメイソン論』をご紹介いたします。石井研究員の初めての単著で、2018年4月16日に電波社から発売となりました。既に日本全国の大型書店には配本が済んでおります。
本書『福澤諭吉フリーメイソン論』は、福沢諭吉の生涯を丹念に描いています。福澤諭吉と言えば、一万円札に肖像画が使われていること、名門私学である慶應義塾の創設者であることは知っている方も多いと思います。しかし、どんな人物で、どんな業績を残したのかということはあまり知られていないと思います。本書を読めば、福澤諭吉の生涯と学者、思想家、教育者、実践家としての凄(すご)みがよく分かります。
本書を貫くテーマは、タイトル通り「福澤諭吉とフリーメイソンの関係」です。フリーメイソンと言えば都市伝説で悪い集団にように描かれることが多いですが、実際にはそのようなことはありません。詳しくは石井研究員も論稿を寄せている『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著、成甲書房、2014年)をお読みください。
福澤諭吉は、大阪の豊前中津藩の蔵屋敷で生まれ、父の死で豊前中津(現在の大分県中津市)に戻り、その後、長崎、大阪、江戸、欧米諸国を廻って学問を修め、経験を積んだ人物です。このことは福澤諭吉の伝記を読めば書いてあります。石井利明研究員の研究は、そこに世界とのつながり、ネットワークを組み入れて、福澤と幕末に関する理解を一段高みに進めました。
豊前中津藩を治めた奥平家の当主は、諭吉が生まれる前から、「蘭癖(らんぺき)」と言われるほどに西洋の学問に関心を持っている人物たちでした。そのために豊前中津には西洋の学問を学ぶための条件が揃っていました。また、江戸屋敷には『解体新書』の翻訳で知られる前野良沢もいました。1700年代の江戸には、開国前にもかかわらず、既に外国語を理解し、西洋学問を学ぶ人々のネットワークが存在し、彼らは長崎に駐在しているオランダ商館長(カピタン)にもつながっていました。そして、オランダ商館長たちはフリーメイソンでした。フリーメイソンが構築したネットワークがすでに開国前の日本には存在したということになります。
福澤諭吉はこのネットワークに入り、西洋の言語習得と学問知識の吸収に邁進していきます。福澤諭吉という人物が豊前中津に生まれたことは偶然とは言え、日本にとっては僥倖でした。また、これは私の勝手な感想ですが、小さい頃に大阪で生まれてしばらく生活したことで、封建的な身分制度を基礎にした因習に捕らわれず(中津では大阪訛りの言葉を話して虐められたという逸話が残っていると記憶しています)、外側から自分がいる場所を俯瞰する目を持つこともできたのだろうと思います。
福澤諭吉と息子たちが収まる珍しい写真
福澤諭吉はその透徹した目で世界を見渡し、イギリスの帝国主義的拡大を見据え、日本を独立国たらしめん、として奮闘しました。その際にネットワークとしてつながろとしたのが、アメリカのユニテリアン(=フリーメイソン)でした。福澤諭吉は、アメリカの独立と自由思想に深くかかわったユニテリアンの考えを日本に導入し、文明国としてイギリスに対抗する、という壮大な計画を立て、慶應義塾をその拠点としようとしました。
慶應義塾大学
慶應義塾には福澤諭吉の遺した言葉として「独立自尊」が連綿と伝わっています。野球の早慶戦などで歌われる応援歌に「我ぞ覇者」という歌があり、その一節には「独立友呼べば 自尊と我応え おお 共に起たん 吾等が義塾」とあります。「独立自尊」は、「人々が自由に、干渉されずに、楽しみながら、自分の生活を自分の力で営める状態であってこそ、国の独立は達成される」という意味です。これは、福澤が幕府の使節の随員として訪問したアメリカで見た騒がしいほどが活き活きとして暮らす人々の姿そのものでした。
私は、本書『福澤諭吉フリーメイソン論』を読み、福澤諭吉が唱えた「独立自尊」は、現在の日本にこそ重要な考えだという確信を持ちました。日本がアメリカの従属国であるという事実の中で、それでも何とかしようという動きが出てこないのは、国民に「独立自尊」の考えがなく、奴隷根性が蔓延しているからではないか、と私は考えました。明治維新から150周年ですが、福澤諭吉を今こそ見直す時期にあるのだろうと思います。
以下に、副島隆彦先生による推薦文、まえがき、目次。あとがきを掲載いたします。参考にしていただき、是非『福澤諭吉フリーメイソン論』を手に取ってお読みください。よろしくお願い申し上げます。
※2018年6月17日開催の学問道場の定例会で、石井研究員の出版記念講演が行われます。よろしくお願いいたします
※定例会出席のお申し込みは以下のアドレスでお願いいたします↓
http://snsi-j.jp/kouen/kouen.html
(貼り付けはじめ)
推薦文
副島隆彦
本書『福澤諭吉フリーメイソン論』は、誰よりもまず慶応義塾大学出身の皆さんに読んでいただきたい。
福澤諭吉(一八三四~一九〇一、天保五~明治三四)は真に偉大な人物である。幕末と明治期の日本が生んだ、本当にとびきり一番の、大(だい)人物である。だが、福澤先生のなにが偉大であり、なにが賞賛に値するのかを、いまの私たちはまったく知らない。誰も教えてくれない。何も教わっていない。
非礼を承知で私は書くが、慶応大学出(で)の人々であってさえ、福澤先生の偉大さの理由と根拠を知らない。入学当初から、誰からも教わっていない。『学問のすすめ』と『福澤翁自伝』を読め、読めと言われるだけだ。福澤先生の「日本国の独立自尊(どくりつじそん)」の思想を、今に受け継ぐ人々が今の日本にいるのか。
この本を読んでいただければ、いろいろなことがわかる。真贋(しんがん)の判定は、この本を読んでくださった読者がする。何故(なにゆえ)に、福澤先生は日本が生んだ大(だい)学者、碩学(せきがく)にして行動者、実践家、温厚な教育者にして大実業家であったか。これらのことが、この本にすべて書かれている。
著者の石井利明君は慶応出(で)ではないが、一所懸命にあらゆる文献を読み、深く調査して福澤諭吉の思想の真髄にまで迫って、この偉人の真実を掘り当てている。この本を読んでくださればわかる。そして、私と一緒に驚いてください。福澤諭吉の生い立ちから人格形成期、そして晩年の大成者としての実像(六七歳で逝去)までを見事(みごと)に描ききっている。
石井利明君は、私が主宰する学門道場およびSNSI(副島隆彦国家戦略研究所)の創立時からの人であり、研究員としても高弟であり古参である。
思い出せば、もう七年前の、二〇一一年三月一一日の東日本大震災、そして福島第一原発の爆発事故の直後一九日に、私は死を覚悟して、とりあえず石井君ひとりを連れて現地を目指した。そして原発から七キロメートルのところで目視しながら放出された放射線量を現場で正確に計測した。それがごく微量であることを知った。このことを即刻、インターネットで発信し、日本国民に知らせた。「日本国は救われた」と。このあともほかの弟子(研究員)たちも引き連れて三度、福島第一原発正門前に到達して随時、放射線量を正確に測った。口はばったい言い方だが、あの時の私たちは、一八三七(天保八)年二月、大阪で決起した大塩平八郎中斎(ちゅうさい)一門の覚悟と同じだった。「とにかく大事故の現場に行って、自分の目で真実を見極めなければ。国家と国民の存亡の危機に際しては我が身を献げなければ」の一心だった。これらの事績(じせき)の記録と報告はすでに数冊の本にして出版している。
どんな人にとっても目の前の日常の逃げられない生活の苦労がある。石井君にも私にもある。それでも誠心誠意、緻密な真実の福澤諭吉研究を、一〇年をかけて石井利明君がやりとげ、書き上げてくれて、私は心底嬉しい。私が全編にわたってしっかり朱筆を入れたので、私、副島隆彦との共著と考えてくださっていい。
日本人は、真に日本国の偉人福澤先生の実像と学門の高さの真実にいまこそ触れなければ済まない。万感の想いをもって本書推薦の辞とする。
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はじめに
石井利明
福澤諭吉は世界基準(ワールド・ヴァリューズ)で評価すべき人物である。
この一点において、今までの、数多ある福澤諭吉の人物評伝は片手落ちである。
このことは、世界史と日本史が学問分野で分かれているための構造的な問題である。江戸末期から明治維新に活躍した人物や起った事象を真に理解するには、西洋史、中国史、日本史に橋を架けなければならない。
しかし、市井の学者たちには、この橋が架けられない。だから、書くものがつまらない。事実に肉薄できない。ここに、歴史学者ではない石井利明が、10年の歳月を費やしてたどり着いた考えをまとめた、この本の大きな意義がある。
慶応義塾大学で学んだ卒業生たちは、まずは、この本を読んで世界基準の福澤諭吉の偉大さを理解して下さい。
福澤諭吉の人生のハイライトは、日本を属国の一つとして扱う英国に対抗して、勃興(ぼっこう)する新興大国であるアメリカの自由思想と、アメリカ革命に深く関わったフリーメイソンたちを自分たちへの支援勢力とした。福澤諭吉は、フリーメイソンたちと手を携えて、日本国が、着実に自立してゆくために知識、思想、学問で闘い続けた。ここに福澤諭吉の生涯の大きな意義がある。この大きな世界基準の枠組みが理解できれば、福澤諭吉の一生が大きく理解できる。と同時に、フリーメイソンに対する、我々日本人の理解が、いかに表層的で浅はかなものであったのか、も理解できる。福澤が生きた19世紀のフリーメイソンは、断じて、闇の勢力などではない。それは間違った理解だ。
福沢諭吉は、生涯にわたって自らが唱えた日本国の「自立自尊」の道のど真ん中を歩んだ人物である。こんな日本人は、福澤の後にも先にも居ない。後にも先にもいないということは、副島隆彦氏が提唱した「帝国・属国」関係が、それだけ厳しいことの現れだ。
この厳しい現実は21世紀に生きる、我々日本人が現在直面している大きな課題である。福澤諭吉の生涯を正しく理解することは、日本国がこれからどのように歩むべきかの大きな道標になる。
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目次
福澤諭吉フリーメイソン論 大英帝国から日本を守った独立自尊の思想
推薦文 副島隆彦
はじめに
第一章 世界規模のフリーメイソン・ネットワーク
諭吉の父、福澤百助
諭吉が憎んだ幕藩体制は親の敵
福澤諭吉の先生たち
攘夷論者の野本真城から、開国派の白石(しらいし)照山(しょうざん)へ
中津藩の蘭学研究
オランダ語の化物、前野良沢(まえのりょうたく)
『解体新書』翻訳の真相
長崎出島のカピタン(オランダ商館長)たち
日本に来た最初のフリーメイソン
日本を開国しようとした田沼(たぬま)意(おき)次(つぐ)
開国和親派と攘夷主義の暗闘
第二章 長崎出島と幕末の開国派ネットワーク
開国か攘夷か、揺れる中津藩
黒船来航で攘夷に傾く世論
長崎出島と密貿易の巨大利権
諭吉もスパイとして長崎に送り込まれた
大坂、緒方洪庵の適塾時代
日米修好通商条約と尊王攘夷
アヘン戦争の本当の原因
アヘン戦争と幕末維新の共通性
第三章 ユニテリアン=フリーメイソンとアメリカ建国の真実
渡米を熱望した諭吉
東アジアの貿易戦争で大英帝国を破ったアメリカ
諭吉のアメリカ行きを支えた人たち
ジョン万次郎の帰国とペリー来航
万次郎を育てたユニテリアン=フリーメイソン
ユニテリアン、そしてフリーメーソンリーとは何ものか?
アメリカ独立革命を戦ったのはユニテリアン=フリーメイソン
諭吉が理解したアメリカ建国の真実
第4章 文久遺欧使節の諭吉とフリーメイソンの関係
アメリカから帰国し、幕府に出仕
文久遺欧使節としてヨーロッパへ
フランスでの諭吉とフリーメイソン
英国での諭吉とフリーメイソン
諭吉、ロシアでスパイにスカウトされる
第5章 攘夷の嵐を飲み込む大英帝国の策謀
攘夷派の動向と一八六三年の福澤諭吉
下関事件と薩英戦争
文久三年の政治状況
一八六四年の福澤諭吉
四カ国連合艦隊下関砲撃
一八六五年からの福澤諭吉
第二次長州征伐の真実と諭吉の対応
第6章 明治維新と慶応義塾設立
一八六七年、幕府最期の年の福澤諭吉
福澤塾の移転と慶応義塾の誕生
戊辰戦争と幕府内部のイギリス勢力
日本の自立に必要なものは経済力
『学問のすすめ』刊行
第7章 福澤諭吉と宣教師たちの本当の関係
福澤諭吉とユニテリアン医師・シモンズ
宣教師A・C・ショーの正体
半開の国と定義された明治日本
福澤諭吉が尊敬したフリーメイソン、ベンジャミン・フランクリン
第8章 日本の独立自尊と近代化のために
日本の中央集権化に対抗した福澤諭吉
西南戦争は反逆ではなく、明治政府の内戦
交詢社設立の真の目的とは?
国際社会に認められる文明国の条件
憲法草案と明治一四年の政変
息子二人のアメリカ留学
ユニテリアン教会の宣教師ナップの招聘(しょうへい)
ユニテリアン教会の修道院として始まったハーヴァード大学
慶応義塾とハーヴァード大学の連携と大英帝国からの独立自尊の大戦略
アメリカの変質と、その後の福澤とユニテリアンの関係
晩年の福澤は帝国主義の思想を持っていたのか?
おわりに
福澤諭吉年譜
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おわりに
本書『福澤諭吉 フリーメイソン論』の書名にギョッとする人は多いだろう。それでも、この本を手にとって読んでくださる方々に、私は、心からの敬意を表します。
私の福澤諭吉研究は、二〇〇八年に、「これまで知られていない福澤諭吉の真実の姿を、石井くん、丹念に調べて描いてみなさい」と、私が師事している副島隆彦先生から言われたことから始まった。
福澤諭吉という偉大なる人物を私ごときが簡単に扱あつかえるのか、大きな不安があった。しかし、私はこの大(だい)人物の、これまで日本社会でまったく知られていない、知られざる側面を大胆に表(おもて)に出した。
二〇〇一年から始まった福澤諭吉の脱亜入欧(だつあにゅうおう)論をめぐる「安川・平山論争」が続いていた。私の考えは本文でずっと説明したが、「日本の昭和のアジア侵略まで福澤諭吉のせいにするな!」である。一九〇一年まで生きた人であり、民間人であることを貫いた福澤諭吉に、その後の日本の帝国主義の責任まであるとする安川寿之輔と、彼の意見に同調する人々は元々精神の歪んだ人々である。
安川氏に丁寧に反論して文献を挙げて説明し、論争に勝利した平山洋氏を私は支持する。と同時に、私は碩学(せきがく)丸山真男と、小泉信三が福澤諭吉を上品に「自由」と「愛」の体現者であったように描いたことにも反対する。福澤諭吉が生きた一九世紀(一八〇〇年代)の自由や愛は、西洋近代の啓蒙(けいもう)(エンライトンメント)を受けて光り輝きながらも、幕末以来の血生臭いものだった。この辺りの感覚が理解できないと福澤諭吉の実際の生涯はわからない。
私は福澤諭吉を研究してみて、さらに彼を深く尊敬する。彼の表おもて裏うらのない、綺麗事や偽善とは対極にある生き方に感服した。こんな真っ正直な日本の知識人を私は、福澤諭吉以外に知らない。この余りの真っ正直さが、あれこれと誤解も招いたのである。
これまで出版された福澤諭吉の自伝、評伝からは、真実の福澤諭吉の姿が伝わってこない。
ここに、学者ではない私が、福澤諭吉の評伝を書く意味がある。この本には、私がコツコツと自力で掘り起こした諸事実によって照らし出される真実の福澤諭吉が詰まっている。私は、真実の福澤諭吉の姿を皆さんになんとしてもわかってほしい。この明治開国期の日本の偉人の本当の姿を文献証拠から味わっていただき、国民的課題として大きく福澤先生を見直してゆきたい。福澤の人格形成とともにあったのはアメリカ、そしてヨーロッパのフリーメイソンの思想である。日本の学者たちは勇気がないから、福澤先生と三田会(みたかい)、フリーメイソンの関連をあえて遠ざけて無視しようとする。これでは、フリーメイソン思想と福澤諭吉の深いつながりから見える明治期の全体像がわからない。
天主教(てんしゅきょう)(ローマ・キリスト教会。隠れキリシタンたち。その中心が耶蘇[やそ]会=イエズス会)の伝統とはまったく別にあったフリーメイソン思想の日本への伝来は、一七七〇年代に遡ることができる。フリーメイソン=ユニテリアン思想は、豊後(ぶんご)中津(なかつ)や大阪堂島の交易人の系譜の人である福澤諭吉にまで伝わったのだ。
福澤諭吉とフリーメイソン組織の深いつながりを、こうして微力な私が掘り当て、捜し出したことで日本人が世ワールド・ヴァリューズ界基準の歴史、思想を理解する一助になるだろう。読者をこの知的冒険に誘いざなうことができるなら私の本望である。
この本を苦心して書き上げる上でSエスNエヌSエスIアイ学門道場主催者の副島隆彦先生と電波社書籍部編集長の岩谷健一氏にたいへんお世話になった。この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。
二〇一八年二月一〇日 石井利明
(貼り付け終わり)
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