「1460」 7月1日に、SNSI論文集第7弾『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』が出ます。従来の教科書や歴史書では描かれない明治期以降の日本真実の姿を描き出しました。2014年6月25日
- HOME
- 「今日のぼやき」広報ページ目次
- 「1460」 7月1日に、SNSI論文集第7弾『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』が出ます。従来の教科書や歴史書では描かれない明治期以降の日本真実の姿を描き出しました。2014年6月25日
副島隆彦を囲む会の中田安彦です。今日は2014年6月25日です。
最初の『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ』(祥伝社、2005年)から数えて第7冊目になるSNSI・副島国家戦略研究所の研究論文集が刊行になります(現在、全国の書店やネット書店アマゾンなどで予約中です)。
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(成甲書房)というタイトルです。その名の通り、「フリーメイソンとユニテリアン協会は、ほぼ同じものであり、それが明治日本の政治と経済の裏面から日本を動かした」という本です。
オンライン書店アマゾンへのリンク
成甲書房
これまで、フリーメイソンというと、おかしな怪しげな集団であるという認識ばかりでしたが、今回の本では、イギリスのエンサイクロペディア・ブリタニカという百科事典にある言葉の定義も示しながら、欧米知識人なみの知識を持っていれば、反駁(はんばく)しようのない形で、フリーメイソンリーという民間結社と、ユニテリアン教会というキリスト教の一派が、理神論(デイズム)という思想でつながっていることを示しています。その思想に影響を受けた明治期のいわゆる「偉人」たちが日本を動かしたという大きなテーマを、個々の偉人の評伝という形で「歴史読み物」として完結させています。
日本の明治期・大正期・昭和期にいたるまで、イギリス・アメリカ・フランスを股にかける民間結社であるフリーメイソンリーが与えた影響を読み解きます。明治日本というのはそれまでオランダだけだった欧米諸国との関わりが、米英仏による強制的な開国政策によって一気に拡大したわけです。
したがって、明治期以降の日本を理解するには、欧米の影響を受けた日本人がどのような思想的な洗礼を受けたかを理解しなくてはなりません。明治期日本に影響を与えたお雇い外国人にはメイソンが多かった。明治日本の偉人とされる人々がメイソンからの影響を受けるのは必然的なことだったわけです。
ここにはカトリックとプロテスタントの闘いがあり、カトリックに対向するものがユニテリアンであるという政治勢力上の関係があり、同時に19世紀の覇権国であるイギリスと、19世紀後半から台頭してきたアメリカという新しい20世紀の覇権国のせめぎあいがあります。
単なる歴史叙述ではなく、ここに思想、哲学(副島隆彦の呼び方ではフィロソフィー=愛智学 愛知学 あいちがく)という糸を絡ませて行こうという趣旨で製作された論文集です。
本書の全体概要がわかると思いますので、以下に「目次、まえがき・あとがき」を載せます。
ぜひ、書店等でお求め下さい。アマゾンでの予約・購入は以下のリンクから出来ます。
(貼り付け開始)
★もくじ
[はじめに]副島隆彦(そえじまたかひこ)
[第1章]
福澤諭吉は日本の自立自尊のためにフリーメイソンリーと共に闘った/石井利明(いしいとしあき)
[第2章]
新島襄──ユニテリアン思想の日本への導入者/副島隆彦(そえじまたかひこ)
[第3章]
オランダ軍人にあやつられた榎本武揚/長井大輔(ながいだいすけ)
[第4章]
日本人初のフリーメイソン・西周の隠された青春/田中進二郎(たなかしんじろう)
[第5章]
自由民権運動の父・板垣退助はフリーメイソンだった/津谷侑太(つやゆうた)
[第6章]
「憲政の神様」尾崎行雄のもう一つの顔/古村治彦(ふるむらはるひこ)
[第7章]
西周が従兄弟叔父である森●(鴎)外/六城雅敦(ろくじょうつねあつ)
[第8章]
ジャーディン=マセソン商会が育てた日本の工学の父・山尾庸三/下條竜夫(げじょうたつお)
[第9章]
日本初・国際〝超〟高級官僚としての新渡戸稲造/吉田祐二(よしだゆうじ)
[第10章]
後藤新平は「日本のセシル・ローズ」である/中田安彦(なかたやすひこ)
[第11章]
正しく評価されてこなかった津田梅子/足助友子(あすけゆうこ)
[付章]
「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」
ブリタニカ大百科事典の項目翻訳/鴨川光(かもがわひろし) 訳
[おわりに]副島隆彦
★ 「はじめに」
はじめに──副島隆彦
この本は、世界最大の秘密結社であるフリーメイソン(リー)が、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを解明する本である。
幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち11人の「偉人伝」を読み解いてゆくことで、明治の元勲たちの中にフリーメイソンの思想が、どのようにびっしりと入(はい)り込んだかを、正確な歴史史料に基づいて解明しようとする本である。
フリーメイソンの思想が入り込んだ、というよりも明治の指導者(最高権力者)たち自身が、自ら進んで新しい時代の先駆者となるべくヨーロッパとアメリカで、それぞれ自分の先生(パトロン)を見つけ、彼らから徹底的に指導を受け、資金援助と人脈(ネットワーク)の紹介もあって、それでアジアの新興国・日本がいち早く華々しく擬似(ぎじ)近代国家として成長を遂げたのである。偉人たちの人名は、後(うし)ろのほうで列挙する。
私はこの本で弟子たちと共同研究をして、秘密結社(ザ・シークレット・ソサエティ)のフリーメイソンが、実はそのままユニテリアン派のキリスト教会と表裏(ひょうり)となって深くつながっており、その実態は全く同じ思想運動であることを証拠つきで突き留めた。ユニテリアン教会は、確かにキリスト教プロテスタントの主要な一派(セクト)なのだが、その思想(教義)の中身が、一体どのようなものであるのか、これまで日本人は、なかなか把握しづらかった。
私は弟子たちと、この共同論文集で、フリーメイソンリー Freemasonry という闇に隠れた(ことになっている)恐ろしい秘密結社であり、長い間、有識者たちの間でヒソヒソと語られてきた思想集団が、実は18、19世紀には、極めて優れた、開明的で先進的な人々の集まりであることを究明した。と同時に、私たちはユニテリアンUnitariansというプロテスタントの一派が、ものすごく魅力的な、当時の世界規模の最先端での政治思想(ポリティカル・ソート)であることも同時に突き留めた。
この本の冒頭からあまりに断定的に書くと、嫌がられるだろうから、どうかこの本の個々の人物評伝を読んでください。
私は、ユニテリアンというキリスト教の一派が、今もヨーロッパとアメリカの理科系の物理学者や工学者たちの間でさえも、一番信じられている宗教思想(普通に通う教会でもある)であることを知った。彼ら科学者(大学教授たち)は今もユニテリアンの教会に通う。ユニテリアンは、〝科学的(サイエンティフィック)なプロテスタント〟であるからだ。彼らは、イエス・キリスト(ジーザス、Jesus)という男の一生を信奉する。イエスの生き方と言葉を極めて素晴らしいものとして、崇(あが)め尊重する。そして、それ以外の、教会儀式や三位一体(さんみいったい)説という訳の分からないカソリック教会の教理(ドグマ)や、その他のキリスト教の大教団が持つ威圧的な僧侶(司祭や司教たち)の巨大な偽善の階層構造(ヒエラルヒー)を認めない。すなわち、神による奇跡(ミラクル)や恩寵(グレイス)や聖母マリアの処女懐胎(無原罪妊娠、むげんざいにんしん)などの、非合理で愚劣な宗教思想を峻拒(しゅんきょ)した。だからユニテリアン信徒たちは、密かにフリーメイソンリーの会員でもあるのだ。
ここでひとつのエピソードを紹介する。これは、私が尊敬する、東京大学工学部名誉教授の西村肇(にしむらはじめ)先生(82歳、ご存命)から10年ぐらい前に直接聞いた話である。西村教授は本当に大変偉い東大の先生であるが、20年ぐらい前に、招かれて行ったハーヴァード大学(マサチューセッツ州ボストン市郊外にある)で物理学の教授と奥さまたちが集まるパーティーがあって、その席で西村先生があいさつのスピーチをした。そこで西村教授は英語でスピーチをした。西村先生の著
書から引用する。
一度だけ忘れられない失敗をしたことがあります。……ごく普通の日本人の無神論(者)である私は、はじめて口にした言葉ですが アイム アン エイシイスト I’m an atheist. と答えました。エイシイスト Atheist は、無神論者という意味の英語だと知っていたからです。私がこう言った途端、一瞬、座に緊張が走ったのを忘れることはできません。それは、「(彼らにとって目の前で)絶対に聞いてはならない言葉」だったのです。あわててとりなしてくれたご婦人の言葉は、You mean you are a Buddhist.「あなたは自分は仏教徒だとおっしゃりたかったのですよね」でした。
(西村肇著『物理学者が発見した 米国ユダヤ人キリスト教の真実』本の森、2011年刊、99ページ)
「私は日本からやって来た無神論者(むしんろんじゃ、エイシイスト)です」と自己紹介を始めて、西村教授は自分のこれまでの業績などを話した。ところが、その場に居合わせたアメリカ人の大学教授とその奥さまたちが一斉にギョッとしたのである。その理由は、西村先生が「私は無神論者である」“ I am an atheist. ” 「アイ アム アン エイシスト」と言ってしまったからである。
エイシスト(無神論者)あるいは、エイシイズム(無神論、atheism)は、日本人にしてみれば、どうということはない、「私は神を信じません。私には宗教や信仰はありません」という、ありふれたコトバである。ところが、だ。アメリカやヨーロッパでは何と現在でもなお、理科系の科学者たちの間においてさえ、この「私は神 ゴッドGod の存在を信じません」(無神論)と公言することがどれぐらい恐ろしいことであるか。日本人には分からないのである。今のハーヴァード大学の教授たちが「無神論者です」という日本人学者のコトバに動揺したのだ。西村教授は、穏やかに穏便に、私は日本人だからブッディスト(仏教徒)でありますとか、無信仰(ノンビリーバー non-believer 特定の宗教を持たない者)であります、と言えば良かったのである。
アメリカのリベラル派が集まっているハーヴァード大学の一流の学者たちの集まりでさえ、いまだに無神論(エイシイズム)を公言することは憚(はばか)られる、を通り越して危険なことなのである。これ以上の説明は私はここではできない。だが少しだけ続ける。
この無神論に輪をかけて難しい思想が、「理神論(りしんろん)」である。理神論というのは、デイズム Deism といって、「神(ゴッド)を合理的(ラシオナル rational)に理解する」という考えである。デイズムの De「デ」はギリシアの Deuz(デウス、ゼウス)のデである。デイズム(理神論)は、本当のことをズバリと言うと、無神論(神の否定)に至り着く一歩手前の、その途中にある政治思想である。「私は神 God の存在を疑う」と、ヨーロッパで、16世紀からようやく知識人層の間で公然と口に出来るようにはなった。しかし、神の否定(無神論)までは、皆、さすがに恐ろしくて言えない。捕まって異端審問(オーディール)で拷問にかけられて殺される。異端審問官 インクイズィター inquisitor という、ローマ・カトリック教会の恐ろしい政治(宗教)警察官(ソート・ポリス)が、ヨーロッパ中で目を光らせており、その子分たちがうようよいた。だから、無神論(神の否定)など、とても公言できなかった。だからその一歩手前の「神を疑う」(理神論、デイズム)のところでヨーロッパ近代人(モダンマン)たちは、踏みとどまり以後400年間もぐずぐずと悩んできたのだ。そして現在まで続いている。
ローマ・カトリック教会は、中世ヨーロッパでたくさんの知識人を無神論者(エイシスト)と異端者 ヘレティック heretic (裏切り者)として焼き殺した。異教徒 ペイガン pagan なら侮辱され相手にされないからまだましだ。宗教支配者であるローマン・カトリック(その突撃隊がイエズス会)は長く血塗られた虐殺者の集団である。だから1517年からドイツでマルチン・ルターの宗教改革(ザ・リフォーメーション)が起きた。このキリスト教の宗教争い(宗教戦争)の中で育(はぐく)まれて500年悩み苦しんだ優れた思想が、デイズム(理神論)なのである。だから今のハーヴァード大学の教授たちの多くもユニテリアンの理神論者(デイスト)だ。決して無神論者(エイシスト)ではない。
デカルトもニュートンもガリレオもパスカルもライプニッツもジョン・ロックも、その他、優れたすべてのヨーロッパ近代知識人たちは、すべてこの理神論(デイズム)の立場なのである。そして、それを継ぐフランス近代啓蒙思想家(ヴォルテールとダランベールが代表)たちもまた、デイスト(Deist 理神論者)である。17、18世紀でもまだ神の否定まで言うと、いくら彼らでも捕まって殺される危険性が高かった。だから、「神の合理的な説明」という形で、神の否定のギリギリ一歩手前のところで生き延びた。こういう大きな真実、大柄に人類史の全体を見渡す大きな思想(宗教)理解が日本の知識人世界で、いまだに出来ていない。皆、大きな真実を知らされていない。誰も、誰からも教えられていないのである。
そして、この理神論(りしんろん)が今のハーヴァード大学(アメリカ東部のリベラル派の牙城)で生きており、そしてユニテリアン思想(教会や教団としても存在する)そのものなのである。欧米の理科系の大学教授たちは、いくらなんでも、ただのそこらのキリスト教会の坊主(司祭や神父や牧師たち)が説教する、くだらない、訳の分からない、日本の仏教の各宗派(全部で16派ある)の坊主と全く同じ、非合理的な話を信じるわけにはいかない。そんな坊主、神父、牧師(総称して聖職者 クラージマン という)の幼稚な説教など、いつまでもうなだれて聞いているわけにはいかなかった。だから、早くも17世紀からユニテリアン運動が起きたのである。
「私たちはイエス・キリストという極めて優れた人間のコトバと生き方を尊重し崇拝する」とまでしか、彼らはどうしても言わなかった。アメリカの賢人トマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンもそうである。
この生き方の態度は、ミケランジェロとモーツァルトとゲーテとニーチェら、ヨーロッパ最大級の芸術家や思想家たちの中で受け継がれてきた考え方でもある(このことは私の他の本で論証した)。そして彼らの敵は、まさしくただひたすらローマ・カトリック教会(バチカン)である。ローマ教会という、キリストというひとりの男の、本当のまじめな思想表明を裏切って、キリストを神棚に飾って、祭り上げ、ただただ民衆に拝ませることで、彼ら僧侶(モンク)の集団自身が人類を支配する巨大な悪(イーヴル)と偽善(ヒポクリシー)の大教団を作った。このワルの創作者がペテロとパウロである。このローマ教会との文字どおり命懸けの闘いこそは、ヨーロッパ500年間の知識人たちの中心の闘いであった。
この一点の真実が分からなければ、私たち日本人が、〝近代(モダン)ヨーロッパなるもの〟を理解したことにはならない。そして、このことを英米世界(イギリスとアメリカとその他の英語圏)に限ると、西暦1534年に、英国王ヘンリー8世(チューダー朝)が離婚したことで、ローマ教会に逆らって破門(エクスコミュニケーション)されたので、別個にイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)(=聖公会 せいこうかい)が出来た。そしてユニテリアンたちは、ローマ教会だけでなく、このイギリス国教会(イギリス国王が最高の神的存在となった)にも公然と逆らうことは、なかなかできなかった。が、ずっとこっちからも嫌われ、いやがられ続けた。21世紀の今の今でもそうなのだ。だから、西村肇(にしむらはじめ)東大教授がハーヴァード大学のパーティーで「私は(日本からやって来た)無神論者(エイシスト)です」と言ったコトバが、今の欧米人にとってさえ、ギョギョギョとされることなのだ。お分かりいただけましたか?
私は、ここまでローマ・カトリック教会への強い悪口を書いた。しかし、カトリックの個々の神父(ファーザー)たち(そのほとんどは強度の偽善者である)の中にも立派な人々が少数だがいる。例えば、1970年代の南米諸国(ラテンアメリカ)で、飢えた貧しい民衆を救けるために「解放の神学」(セオロジー・フォー・リベレーション)を唱えて、自ら武器を持ってゲリラ戦の中に身を投じた神父たちを私は深く尊敬している。
中南米諸国(セントラル・アンド・サウス・アメリカ)は、アメリカ合衆国の巨大企業(グローバリスト)たちが鉱物資源を長期契約ですべて抑えてしまって、生産工場も武装した経営者側の私兵の守衛たちによる奴隷工場のようだった。この北米ヤンキー帝国主義(新植民地主義 ネオコロニアにズム)と闘うには、南米各国の民衆の絶望的な貧しさの中で、もはや解放の神学のカトリックの神父たちが武力闘争に立ち上がるしか他になかった。多くの善良なる神父たちが軍事独裁政府 フンタ Junta(裏からアメリカCIAがバックアップした)に殺された。この他に、1980年代に、ヨーロッパの下層白人(ローワー・ホワイト)である北アイルランドのアイルランド人(ケルト系)の独立闘争を秘かに武器援助し、ポーランドの独立運動である「連帯(ソリダリニテ)」を応援した、法王ヨハネ・パウロ二世(この人は信徒に大変人気があった。ポーランド人)を、私は好きだった。だから、私はカトリックのすべてを否定しているわけではない。
だからこのローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=イルミナティ=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版業界が「おどろおどろしい闇の支配者たち」だとか、「裏に隠れた悪魔の集団」などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。一部の脳タリンの陰謀論者(いんぼうろんじゃ、コンスピラシー・セオリスト。私はこの愚かな ×「陰謀論」というコトバを使わない。拒絶する。私はコンスピラシー conspiracy のことを「権力者共同謀議(きょうどうぼうぎ)」と正しく訳し訂正した)たちが巧妙に煽動されたのである。
その真の元凶は、やはりローマ・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善(ヒポクリシー)を暴いて突き壊しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。このことは、たとえばローマ教会の協賛で作られた近年の映画「天使と悪魔(エンジェルズ・アンド・デーモンズ)」(2009年。ロン・ハワード監督、ダン・ブラウン原作)を見るとよく分かる。だから、今もフリーメイソン=ユニテリアン教会が自分たちにとって一番危険な思想集団であるとして、カトリックとイギリス国教会(アメリカではエピスコパリアンと名乗る)は、フリーメイソンやユニテリアン思想をひどく嫌ったのである。このように、私、副島隆彦はついに大きな真実を読み破った。
だが、ところがである。どうもきっかり20世紀(1900年代)に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティ(こっちは現存するか分からない)は、世界を頂点のところで支配する超権力者(スーパークラス)たちの、秘密の集団(ビルダーバーグ会議やロックフェラー財団など)によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。どうやら、このことは事実のようである。フリーメイソンリーは上の方から組織全体を彼らに乗っ取られていったのだ。
だが、19世紀(1890年代)中までは、そうではなかった。すなわち日本の明治時代(1868~1912年)を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない。19世紀までは、大変優れた開明派の知識人、実業家たちが結集する組織であったらしいのだ。決して今のような、世界を上から操る非公式の超財界人の権力者たちの集まりではなかった。
この本では、石井利明(しいとしあき)くんが、福澤諭吉(ふくざわゆきち)についてその人物像を深く研究した。慶応義塾を創立した福澤諭吉は日本が誇るべき、本当に優れた偉大なる知識人である。石井くんは、このあと本書に載せた論文で、「ユニテリアンは、フリーメイソンであった」の大発見もした。この学問業績は、のちのち高く評価されるだろう。
私たちは、この本でまるまる一冊、明治時代の新しい日本を創った指導者たちで、後に「偉人」とされた人々に光を当てた。この明治の偉人たちはフリーメイソン=ユニテリアン教会と、何らかの深い関係があった事実を私たちは丁寧に掘り起こした。
古村治彦くんは尾崎行雄(おざきゆきお)を、中田安彦くんは後藤新平(ごとうしんぺい)を、吉田祐二くんは新渡戸稲造(にとべいなぞう)を、津谷侑太(つやゆうた)くんは板垣退助(いたがきたいすけ)を、六城雅敦(ろくじょうつねあつ)くんは森●(鴎)外(もりおうがい)と西周(にしあまね)そして横井小楠(よこいししょうなん)を、長井大輔(ながいだいすけ)くんは榎本武揚(えのもとたけあき)を、田中進二郎くんは西周を、下條竜夫(げじょうたつお)くんは山尾庸三(やまおようぞう)を、足助友子(あすけゆうこ)さんは津田梅子(つだうめこ)を、そして私は新島襄(にいじまじょう)について、それぞれ論究した。
それから、鴨川光(かもがわひろし)くんが、巻末に『ブリタニカ大百科事典(第15版)』 ザ・ニュー・エンサイクロペディア・ブリタニカ The New Encyclopædia Britannica, th 15ed. 1994 から、この論文集のテーマであるフリーメイソンリー Freemasonry とユニテリアン Uunitarians とデイズム 理神論 Deism を翻訳した。これで、日本人は初めて正面からヨーロッパの重要なこれらの大思想に向き合うことになる。
明治元年(1868年)から数えて今年で146年が経っている。私たち学問道場(SNSI、エスエヌエスアイ)は、果たしてこのあとどこまで世界基準(ワールド・ヴァリューズ)の知識と思想を、日本国に正確に導入し輸入し定着させることが出来るか。私たちは、どれだけの苦闘を今後も続けることが出来るか。在野にあって何の特権もなくどこの組織にも属さず貧しいままの私たちであるが、誰に命令されることなく、自力でやれるところまでやる。それだけの潔(いさぎよ)い堅い決意さえあればよい。ただひたすら、狡猾に深く隠され続けているこの世の大きな真実を探りあて、掘り出し、暴き立て白日の下に晒すことで、大きな真実を皆のものにする。
私は、この本のきっかけを作るために、2013年9月7日に、同志社大学の創立者である新島襄(にいじまじょう)の出身地である群馬県安中(あんなか)市に行った。ここで私は大きな収穫を得た。私にとっての人生の十大出合いのひとつに数えられるぐらいの大発見をさせてもらった。この地に安中教会(あんなかきょうかい)という、新島襄と彼の支援者たちがつくった教会が有る。そこの牧師さんである江守秀夫(えもりひでお)氏からお話を聞いた。このことと関係する私の新島襄論及び妻の八重(やえ)の話はあとの方に載せた。
私が江守牧師の説教を聞いてびっくりしたことがいろいろあった。このときユニテリアン教会というキリスト教の一派の宗派のことが大まかに私の脳の中でついに解明された。私は長い間ずっと分からないまま放置していた。江守牧師自身は、「自分たち(同志社大学神学部を出た者たち)は、組合教会(くみあいきょうかい、あるいは合同教会。コングリゲイショナリスト)派です」と自己定義している。
私は江守牧師に、内村鑑三(うちむらかんぞう)とはどういう人ですかと、唐突に聞いたら、「ああ、あの人はもう、人の言うことを聞かない人間です」と、一言で斬り捨てた。
この考えに、私自身は思わず「その通りです」と相槌を打った。「内村鑑三が始めた日本独自の無教会派(むきょうかいは)というキリスト教の活動(聖書だけを集まって読む)が日本にずっとあるのですが」と私が畳みかけた。矢内原忠雄(やないはらただお 1893~1961)という東大総長にもなった経済学者がいて、彼らのグループが内村鑑三(1861~1930)の影響を受けて「聖書を読む会」を続けた。今も東大学者の中に無教会派というユニテリアンに近いキリスト教徒(クリスチャン)の太い流れが存在する。
明治の偉人たちの多くは、アメリカの古都ボストンの「アメリカン・ボード」The American Board という団体とつながっていた。アジア諸国にまでプロテスタント・キリスト教の布教活動(プロパガンダ、宣教師の派遣、信者の育成)をするための団体だ。内村鑑三はまさしく新島襄の紹介でボストンに留学できたのだ。彼は本当に「協調性のない人」だった。私もない。だから内村の気持ちとカンシャク持ちの生き方がしみじみとよく分かる。
私は、かつて内村のことを調べたときに事実そうだった。誰とでもけんかをする男だった。自分のお父さんの葬式のときに、誰も葬式に来る人がいないので、お父さんの遺骸を棺桶に入れて、墓場までひとりで大八車(だいはちぐるま)で運んだ人だ。棺桶といってもそのころはまだ、丸い大きな樽(たる)だった。醤油(しょうゆ)用の樽だ。
内村鑑三は出来たばかりの札幌農学校に入った。今も北海道大学の敷地にある有名なクラークの銅像というが、クラークなんて実際はたった半年しか北海道にいない。クラークは、グラント将軍(リンカーンのあと第18代米大統領になった)の子分で、まさしくユニテリアンだ。ハーヴァード大学の化学の教授だった。黒田清隆(くろだきよたか)がグラントの忠実な子分で北海道を開拓した。
私が江守牧師と話して、もっとびっくりしたのは、彼はコングリゲイショナリスト(大きくはユニテリアン)というキリスト教の牧師なのだが、「私(たち)は神ゴッドという言葉なんか使いたくもない」と吐き捨てるように言ったときだ。そのときに私は愕然として椅子からずり落ちそうになった。やっぱり、そうだったか。彼らはすでにもう無神論(atheism エイシズム)の思想スレスレにまで近づき、たどりついている人たちなのだと、これではっきり分かったからだ。私の人生の十大ビックリのひとつだ。彼らは、ローマ教会とイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)が押しつける神が大嫌いなのだ。彼らはイエス・キリスト ジーザス Jesus という男しか信じない。アメリカ独立革命の偉大な父(ファウンダー)たちであるベンジャミン・フランクリンやトマス・ジェファーソンもそうだ。皆、堂々たるフリーメイソンの当時の大幹部でもある。
前述したとおり、エイシイズム atheism 一歩手前で、神(いわゆる God)を疑いながらも、まだキリスト教徒のままであり続けたこの人たちの信仰運動が、欧米で現在まで300年間ぐらい続いている。それが前述した デイズム deism 理神論(りしんろん)である。ヨーロッパ全体では、大きな勢力としてはオランダで始まった Jansenisme(ヤンセニズム)がある。オランダ人のコルネリウス・ジャンセン(あるいはヤンセン。1585~1638)という神学者が始めた。修道院(アビー)運動もやった。
だがその大きな建物は、貧しい女性たちを集団で住まわせて、お針子さんとか刺繍をさせて、それを市中で売って収入にした慈善(フィランソロピー)の修道院運動である。現在の社会福祉運動の先駆けである。ヤンセニズム(オランダ改革派)もヨーロッパ中で大変人気があった。ミケランジェロが、ローマで晩年の1560年代に信じたのも、このヤンセニズムに近いものだったようだ。
だからヤンセニズム(オランダ改革派。ピューリタンも含まれる)もまた、まさしくデイズム deism だ。パスカルというフランス人の化学者がヤンセニズムの大変な信奉者で、ローマ・カトリック教に対する激しい批判の言論を行っている。カトリックというよりも、その中心に今も隠然と居座っているイエズス会(ソサエティ・オブ・ジーザス Jesuit ジェズーイット、Society of Jesus)との激しい宗教論争をパスカルはやっている。デカルトもそうだ。このヤンセニズム(オランダ改革派)をも組み込みながら、ユニテリアンが全ヨーロッパと北米で台頭したのだ。
安中教会は大谷石(おおやいし)で出来ていて、小造りだけれども立派なチャペルだ。中の礼拝堂の祭壇の背後に簡素な十字架がステンドグラスの中に織り込んであった(写真参照)。ところが、その左右のステンドグラスには、それぞれ30センチぐらいの丸い形で、右側にダビデの紋章(六芒星 ろくぼうせい)ヘキサグラムHexagram がちゃんとあった。左側にはハンマーと草刈り鎌(かま)というか、鍬(くわ)みたいなマークがあった。これはフリーメイソンのマークの変形だ。コンパスと定規ではないが、よく似ていた。そのことを私は質問して、「ここの教会はフリーメイソンと関係がありますか」と聞いたら、「いや、私は知りません」ということだった。明治の日本人の設計者が、ステンドガラスごと、恐らくボストンかどこかから持ち込んだのだ。
明治時代には、軽井沢と日光中禅寺湖(にっこうちゅうぜんじこ)と横浜に集まっていた欧米白人の貿易商や外交官や宣教師たちは、ユニテリアン教会をつくっていた。その教会の2階には極秘でフリーメイソンの秘密の儀式を行う集会所も秘かに作られていた。長崎のグラバー邸もそうだ。
フリーメイソンリーというのは、都市の裕福な人々が、商業活動や営利事業をすることを認め合いながら、規律ある生活を自分たちに課し、ともに商業で栄えるということを理念に置いている結社(アソシエイション)だ。その現在の末端の下部機関がロータリークラブやライオンズクラブである。それに対してローマ・カトリック教会は、どうしても人間の本性(ネイチャー)である営利活動や都市商工民の華やかな暮らしぶりを蔑(さげす)んで見下し禁止しようとした。だから両者は互いに激しい憎み合いに入った。
勃興するフリーメイソンたちは、だんだんと教会の僧侶(クラージマン、神父、聖職者)を嫌うようになり、「神」という言葉を使いたくなくなった。そしてその代わりに、フランス革命(1789~92年)の前後からプロビデンス(摂理せつり、providence)とか、合理性(ラチオ、レイシオratio)という言葉を神の別名として、宇宙(ユニヴァース)を支配する原理とし、人類の新しい指導原理にした。フリーメイソン=ユニテリアンは、このプロビデンスとリーズン(reason 合理。フランス語ではレゾン。ドイツ語ではフェアヌンフト)という言葉を非常に大事にする。フランス革命の時に出来た人権宣言(レ・ドロア・ド・ユマニテ)は、「神によっ(テ)てではなくプロビデンスによって、ここに人権(ユマニテ、ヒューマン・ライツ)を宣言(デクララシオン)する」と書いている。これら大きなコトバ(ビッグ・ワード)は摂理(せつり)、合理(ごうり)と日本語では訳すしかない。
ユニテリアンとフリーメイソンは、組織として表裏一体の関係になっている。彼らは一応、キリスト教信徒としてユニテリアン教会に行く。だが、もうほとんど神(ゴッド)を信じていない。しかし、そのことを互いに口に出してはいけない。そういう苦しい闘いを、もう何とこの300年間ぐらいずっと、欧米の知的上層の人々は続けているのだ。このことを私はようやく最近わかるようになった。欧米白人世界のキリスト教の支配というのはこれほどに恐ろしいものなのだ。
フリーメイソンリー=ユニテリアン運動は、金持ち層になっていった技術屋とか職人頭(職工長。マイスター)みたいな人たちや、モーツァルトのような音楽家、芸術家たちといった立派な都市市民(シトワイヨン、シチズン、ビュルガートゥーム)によって担われた。彼ら新興ブルジョワジー(イギリスならジェントルマン、郷紳階級 ごうしんかいきゅう)たちは、当然に、王侯貴族及び僧侶との激しい憎しみ合いになった。彼ら新興階級を、貴族や坊主たちが蔑み、見下したからだ。だから彼らは秘かにフリーメイソンの結社を全ヨーロッパそして北アメリカのすべての都市に作っていった。そして時代が100年進んで、1840年代になると、ヨーロッパに労働者(ワーカー)という階層が出現してくる。このワーカーたちの中から生まれた思想が、社会主義(ソシアリズム)という思想だ。
ヨーロッパのすべての主要な都市の中心の広場(メルクト)には、17世紀(1600年代)ぐらいからフリーメイソン会館という建物が必ず出来て、今もある。彼らフリーメイソンたちは、新たに出現してきた工場労働者たちを、かわいそうだと思って応援した。だから、このメイソン会館を貸してあげて、この建物の中で、労働者たちの待遇改善運動の政治集会が開かれた。
いくらヨーロッパでも、他に集会場というようなホールはまだない。市役所(シティホール)という建物はあるが、ここは民衆が会合を開く場所ではない。だからメイソンの支援を受けて、初期の社会主義者たちの運動が起こってくる。カール・マルクスたちの国際労働者協会(インターナショナル・レイバラーズ・ユニオン)もヨーロッパと北アメリカの各都市のメイソン会館で集会を開いている。この事実が大事だ。
私はこのあと江守牧師に、日本のプロテスタント各派は現在、その内部はどのようになっているか、と割とずけずけと聞いた。江守牧師は簡潔にスラスラと答えてくれた。
日本基督教団(にほんきりすときょうだん)という団体がある。ここに戦前からずっとプロテスタントの諸派が寄り集まっている。さすがにイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)は、保守派、体制派だから、早い時期に、この日本基督教団から抜けたようだ。ここの活動は今もある。どうやら日本基督教団(33派からなるプロテスタント合同教会)の中で、江守さんたちの「日本組合キリスト教会派」は少数派である。プレズビテリアン Presbyterianism(長老派)が、今も大きな派閥であるようだ。長老派というのはスコットランド・カルヴァン派である。思想系譜でいうとカルヴァン派(カルヴィニズム)だ。
1517年に、マルチン・ルターが北ドイツで宗教改革の狼煙(のろし)を上げた。次第にジュネーブのカルヴァン派とルター派は争うようになる。同じプロテスタントなのにやはり闘いになる。カルヴァン派は市民や農民の商業活動を大いに認めるプロテスタントの宗派だ。カルヴィニズムが近代資本主義の精神(デア・ガイスト・デア・モデルネ・カピタリスムス)を作ったとよく言われる。しかし非常に保守的な面を持っている。女性は皆、黒づくめだ。組織の命令に従えという考え方をする。この話は、ここではこれ以上しない。
それに対して、江守さんたち同志社大学神学部卒の牧師たちは、「人はそれぞれ自分の良心(コンシェンス)において自由である」という思想を強固に大事にする。これはどうも、新島襄本人が日本に持ち込んだ思想だ。だから、人の言うことを聞かない。他の人と妥協しない。ひたすら自分ひとりとイエス・キリスト(聖書)の関係しか大事にしない。だから、なかなか団体組織として大きくまとまろうとしない。組織の上からの命令という考え方をものすごく嫌う。たとえば1970年代の東京・渋谷の山の手教会とかの開明的な牧師たちは、急進リベラル派の運動家であり、新左翼(過激派)を応援していた牧師たちだ。だから反戦・平和運動や、靖国神社の国家保護反対運動をやる。この流れが現在のプロテスタントの中の少数派の運動として残っている。
江守牧師たちは、Presbyterianism(長老派、カルヴァン派)たちと穏やかな論争を今も日本基督教団の中で行っているらしい。しかしそれでも日本基督教団という、日本におけるプロテスタントの大きな合同団体の総会では、「203(長老派)対197(その他全部)ぐらいで、自分たち少数派もかなり数としてはいる。クエーカーやバプテイスト系などが少数派で自分たちの仲間だ」と言った。
私が江守牧師に、「安中教会に派遣されてきたんですか」と聞いたら、「いや、派遣ではありません。招聘(しょうへい)されて来たのです」という言い方をした。長老派だったら組織から命令されて、それに従って派遣されてその教会の牧師をやる。それに対して「自分は招かれてここに来ている」という言い方をする。このあたりがユニテリアン系の思想の非常に大切な点だ。だから、きっと内部に命令系統がなく、なかなか団結しないから、皆バラバラでまとまりがないのだろう。決まり(規則)を中心にできている団体ではないということが分かった。
江守牧師は、1995年の阪神・淡路大震災のときに大変な目に遭った。神戸の東灘区に教会があって、その教会が全部焼けて壊れてしまったそうだ。その後、この安中教会に牧師として来た。
コングリゲイション(合同教会)運動については、新島襄自身が、どうも日本国内でプロテスタントが大きく合同しようという動きに反対だった人だ。新島襄は早く死んでしまって(46歳、1890年)いるので、きちんとした本を残していない。手紙とかそういうものだけが残っている。アメリカン・ボードというのは、このコングリゲイションの運動そのものであり、世界中に、宣教師を派遣するためのアメリカ東部の大きな機関だった。どうも新島襄はアメリカン・ボードとも分かれたようだ。彼は、日本独自のキリスト教の信仰をつくっていくべきだ、と考えたらしい。
同志社大学には、理事長を20年やった野本真也(のもとしんや)さんというショーペンハウエル(Arthur Schopenhauer)の研究をやっていた人がいる。学者ではない。江守牧師は、その人が自分の先生だと言った。それに対して佐藤優(さとうまさる)氏のことを私が聞いたら、「彼は私の後輩だ。よく知っている。佐藤君の本を私も読みますよ」とおっしゃった。緒方純雄(おがたすみお)という神学部の教授に佐藤優氏は師事していて、「組織神学(そしきしんがく)」という考え方なのだと江守牧師は言った。岡林信康(おかばやしのぶやす)という反戦フォークシンガーとして70年代に有名だった人も同志社大神学部の出だ。多数派である Presbyterian(プレズテビリアン、長老派) はキリスト教の教義学の考え方を強く中心にするらしい。それを江守さんは批判した。
立教大学はイギリス聖公会(せいこうかい)だ。聖公会とは、前述したイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)のことだ。イギリス聖公会は、ほとんどカトリックと見まごうがごとき体制派であり秩序派だ。「ヘンリーの戯言(たわごと)」という有名な言葉がある。それを江守さんもおっしゃった。ヘンリー8世が、自分が好きな女と次々と結婚したかったものだから、「離婚を認めろ」と要求した。それでローマン・カトリックと大げんかになって、ヘンリー8世は破門されて、それでイギリスは1534年にローマ教会から分裂した。
だがイギリス聖公会はローマ教会と同じく、当然、日本でも「三位一体説(さんみいったいせつ)」を掲げている。この三位一体、トリニティ Trinity は、アタナシウス派が作った。西暦325年のニケア宗教会議で確立した。三位一体説(ニケア信条)とは、「父と子と聖霊 ホーリー・スピリット holy spirit この3つ全部で God 神 だ」とする。私は、この三位一体は、きわめておかしな宗教思想(教義)だと判断する。「神と子と聖霊」のうちの「神(父)」は、天(ヘヴンHeaven)にいるデウス(ゼウス、天帝)である。その「子」というのがイエス・キリストだ。そのあとの「聖霊(ホウリー・スピリット)」というのが、これが一体何なのか分からない。全く分からない。いくら、この「三位一体説を頭から(どっぷり)信じなさい。理解しなさい」と言われても、私は拒絶する。
そして日本で、イギリス国教会(聖公会)は、この「三位一体」を何と、「父と子と天皇陛下」という言い方に変えたそうだ。そのように日本国に妥協して、日本の信者を取り込んだ。これにはさすがの私もたまげて腰が抜けそうになった。イギリス本国では、だから、まさしくこの三位一体が「父とその御子と女王陛下」という言葉になっているそうだ。恐らくイギリスでは今でもそうなのだろう。びっくり仰天、のけぞるぐらい恐るべき話だ。だから、戦争中に日本のキリスト教教会が、戦争に加担、翼賛したことの責任問題で敗戦後に内部で大激論になった。それでイギリス聖公会は、日本基督教団から出ていったらしい。
「青山学院が、Presbyterian ですよね」と私が聞いたら、「あそこは合同(統一)教会派のプレズビテリアンが支配している」という言い方を江守牧師はした。私には意味不明だ。「関西学院大学もそうなのですか」と聞いたら、そうだと言われた。その他のメソジストやバプテイストの話は、もうここでは書かない。
これで日本基督教団(プロテスタント系の集まり)の内部の対立の様子が私に大きく分かった。プロテスタント系全体としては、オーソドキシー(正統派)であるカトリックとの対立になる。カトリックというのは「普遍(カソ)」という意味だ。ローマン・カトリックの教えは、「一つの問いに対して答えは一つのみ」という考え方なのだそうだ。これが人類にとっての巨大な官僚主義(ビューロクラシー)の悪(あく)の思想を生んだのだ。
もうこれぐらいにしましょう。私のこの「はじめに」を道標(みちしるべ)にして、このあとの私の弟子たちの論文を、どうか興味深くお読みください。
★「おわりに」原稿
おわりに──副島隆彦
この本は、私と「学問道場」の弟子たちのSNSI(エスエヌエスアイ)第7論文集である。
この本を編んで私が最後に思うことは、19世紀(1800年代)までは、フリーメイソン=ユニテリアンは、欧米白人の中のすばらしい人々の集まりだったという事実だ。ところが、1901(明治34)年に、福澤諭吉とビクトリア女王が死んでいる。この年からが20世紀だ。この時から人類は理性(リーズン)の光を失った。この本で私が弟子たちと、正確に史料を使って論究したとおり、1800年代までは、フリーメイソン=ユニテリアンたちは極めて立派であり、開明的で優れた欧米知識人の集団であった。ハーヴァード大学神学部でユニテリアン宣教師のアーサー・メイ・ナップが1887年に来日した。さらに1889年に、そのナップがハーヴァード大学から仲間のユニテリアンの優れた若い教授たち3人を連れ戻った。彼らは、慶応義塾大学の招きで、日本に真実の社会思想と最高水準の学問を教えに来た。そのことが明治日本にとって計り知れない成果、財産となった。
ところがどうか。20世紀に入った途端に、フリーメイソン=ユニテリアン思想は激しく劣化し、奇妙な変質を遂げている。優れた人々の結社(けっしゃ、フェアアイニング・アソシエイション)でなくなっている。
一体、何があったのか? おそらくこの組織は大悪人たちに乗っ取られたのだ。その大悪人たちが、現在のフリーメイソンリー秘密結社を世界中で運営して、世界各国を非公式の権力で操っている。
日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。それは、「日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(がいさい、外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強パウアズ(とりわけ大英帝国ブリティッシュ・コモンウェルス)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない」と、共に切迫した気持ちで考えたことだ。
だから、当時、隆盛しつつある新興国のアメリカの東部の名門ハーヴァード大学から、優れた4人(ユニテリアンたち)の教授を1880年代に招聘(しょうへい)して、彼らから真剣に学んだ。
それに対して、イギリス国教会(アングリカン・チャーチ)から来た宣教師(教授)は、大英帝国のビクトリア女王の〝女王陛下のスパイ〟であるから、福澤は彼らを上手に敬遠しなければならなかった。そのように福澤と伊藤という日本の最高の頭脳(伊藤の大悪人性を判った上でも)が同じことを考えていた。だから、このことを日本で初めて解明した本書は、将来、高い評価を受けるだろう。
福澤は、伊藤博文らに謀(はか)られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃(1877=明治10年、西南の役)のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーロー(頭目、自由党総裁)となった土佐の板垣退助(いたがきたいすけ)が早くも1881(明治14)年には、洋行の資金で籠絡(ろうらく)されててっぺんから切り崩されていく様(さま)をずっと苦々(にがにが)しく見つめていた。板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権を内部から壊(こわ)したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁(ばいべん)指導者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力よりも常に上に立つべきだ、と生涯この説を通した。その言論証拠はたくさん残っている。偉大な福澤の生き方を本書の私の弟子たちの論文を読むことで、明治の20、30年代がどのような時代であったか、その全体像を私はようやく掴んだ。
それでも福澤死後も8年生きた(政敵の同じ長州のワルの山縣有朋に暗殺された)伊藤は、朝鮮併合(1910年)に反対し、日露開戦(1904年)に反対している。この辺りの謎を今後、私たちは究明しなければならない。
この本を作るために、成甲書房の田中亮介氏の並々ならぬお世話になった。私は急いで弟子たちを育てなければならない。私自身の人生月日が限られて(先が見えて)きた。私は、この本の企画の続きとして、『明治偉人伝のウソ』という原初 げんしょ(元々)の構想の本を、この本の執筆陣と出す。まだ書き足りない重要なことがゴロゴロとあるからだ。
優れた歴史書読み物には、ギラリと光る、真実の発見があるべきだ。真実(トゥルース)は権力(パウア)よりも強いはずなのだ。まだまだ未熟の私の弟子たちの才能を開花させるために、皆さま秀れた読書人からの厚いご支援を賜(たまわ)りたい。
2014年5月副島隆彦
(貼り付け終わり)
本書は7月1日ころ発売です。
現在、オンライン書店のアマゾンだけではなく全国の書店で予約を承っております。
成甲書房