「1414」新刊『説得する文章力』(KKベストセラーズ)と『闇に葬られた歴史』(PHP研究所)をご案内します。2013.11.27

須藤よしなおと申します。今日は2013年11月27日です。

副島隆彦先生の新刊『説得する文章力』(KKベストセラーズ)『闇に葬られた歴史』(PHP研究所)の、「まえがき」と「あとがき」を以下に掲載します。


『説得する文章力』
新書: 184ページ
出版社: ベストセラーズ(ベスト新書)
ISBN-10: 458412423X
ISBN-13: 978-4584124239
発売日: 2013/11/9


『闇に葬られた歴史』
単行本(ソフトカバー): 254ページ
出版社: PHP研究所
ISBN-13: 978-4569815671
発売日: 2013/10/29
・新刊のお申し込みはこちら⇒https://snsi.jp/shops/index#book

(転載はじめ:『説得する文章力』まえがき)

まえがき

私は還暦(六十歳)を迎えた。私は自分がこの年まで生きるとは思わなかった。

私は根っからの政治的人間で、中学生の頃から、岩波文庫の白帯(社会科学系)を中学校の授業中に読んでいた早熟な子どもだった。長じて、30歳代から評論家として生活するようになってからも、自分の主観(思い込み)としては政治運動家として生きてきた。

己の節を曲げないことで、人に嫌われそうなことを書き、原稿を出版社の編集部に没(不採用)にされる恐怖に始終怯えながら生きてきた。私は、自分が気づいた(勘づいた)範囲での、自分の身近にやって来た世の中の真実を暴き続けて本に書いてきた。本の印税は、一冊1600円の本ならその一割の160円(新書の場合はこの本は新書800円だから80円)の印税を出版社から払ってもらって、その収入で生きてきた。

この80円ないし160円は、私の本を買ってくださった読者の一人一人からいただいた貴重なものであり、その有難さを身に沁みながら生きてきた。それが早や60の齢を重ねることになろうとは思っていなかった。

私は予備校の教師と大学教授を各々12年ずつやった。合計で25年である。私はその間も評論家・言論人としての仕事を、どこの組織にも所属せず、ただひたすら文章を書く人間としてこの30年の年月を過ごしてきた。

私は、world values「ワールド・ヴァリューズ」というコトバを使う。このワールド・ヴァリューズを、私は「世界普遍価値」と訳して使っている。このワールド・ヴァリューズとは、世界中どこに行っても通用する、人類が共通に持っている価値観や判断力のことである。

日本人の多くは、世界基準と言うと、×ワールド・スタンダードだと、今でも思っている。こっちのスタンダードのほうは、工業品の規格、日本国内であれば「JIS規格」のことを指す。それの世界中での工業規格のことをワールド・スタンダードと言うのである。

このワールド・ヴァリューズが何なのか分からないままに、私たち日本人は今も生きている。日本人は地球上の東アジア地域、これをイギリス人が使い始めた古い言葉では極東(きょくとう、ファー・イースト)と言う。この極東地域(ファー・イースト・リージョンFar East region)の原住民(現地人)の一つである日本人のための英語の勉強法についての本を私は十冊ぐらい書いた。28歳の時からだった。そのうちの数冊はベストセラーになった。しかし、日本語の日本文の書き方についての本は、これまで書いたことがない。

本書で私は初めて日本文の表現法に関する本を書く。
この本の編集者から私に与えられた課題は、「説得する文章力」である。私の書く文章は、どこか異様に説得力があると、編集者たちから言われることがよくある。だからその秘密(秘訣)を公開してください、と今回、頼まれた。きっと読者からの同様の要望もあるだろう。

私が長い評論家生活の中で自力で作り上げた、必要に迫られて必死で編み出した、私の「読み手を説得する文章」の表現法をここに一冊にまとめることとする。私はすでに後進の若い人たちを物書き、言論人として育てる立場にある。

私は「副島隆彦の学問道場」という、インターネット上に開いた私塾(及び研究所)を持っている(URLはhttps://www.snsi.jp/)。ここで貧しいが優秀な若者を育てる会を主宰している。将来の評論家や知識人を育てるこの仕事を十四年前からやっている。

この「学問道場」の会員であれば、自由に寄稿することができる。私が読んで、先生(師範)としての評価を与えて励ましている。そのようにして、私はこれまで若い人たちの文章指導をしてきた。どうしたら、人にお金を払ってもらってまでも自分の文章を読んでもらえるか。そのような切れ味のいい文章を書けるようになるか。私は個別に具体的な指導をしてきた。文章修業もまた人生での必須の習い事(倣いごと。欧米でなら humanities=ヒューマニティーズ=、人文=じんぶん=、一般教養 )のひとつである。本書では、この内容も取り入れて、読書人諸子のための一助となるべく、私が30年以上にわたって身を削るようにして文を削ってきたその手法を公開する。
乞うご期待。

(転載おわり:『説得する文章力』まえがき)

(転載はじめ:『説得する文章力』あとがき)

あとがき

この本の書名は、初めは『副島隆彦の文章読本(ぶんしょうどくほん)』と企画された。しかし、今の出版界の売れ筋需要と流行りに配慮するとそんなことは出来ないので、時流に合わせて『説得する文章力』になった。

『文章読本』の「読本(どくほん)」というのは奇妙なコトバで、文字通り「本を読む」という意味だ。もともとは江戸時代の寺子屋や明治の尋常(じんじょう)小学校で生徒に読み方を教えるのに使った本のことだったそうだ。絵本(えほん)と並行した言葉である。読本(よみほん)はやがて文部省発行の国定国語教科書になった。

『文章読本』で有名なのは、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)と三島由紀夫(みしまゆきお)と伊藤整(いとうせい)と丸谷才一(まるやさいいち)によるものである。

私は伊藤整(いとうせい)の『日本文壇史』(講談社、1953‐73年刊)が大好きで、日本の戦後文壇(小説家の世界)を理解するのに最高の知識の宝庫だ。いま読み返しても興味が尽きない本だ。私は小説家を目指さなかったが、一端(いっはし)の文学青年だった。 もし、小説(文芸作品)が隆盛し続け、それで自分も食べられるなら、きっと小説家になっていただろう。しかし小説では食べられない。

「文章読本のようなもの」を書くことをこの度(たび)原稿依頼されて私は困惑した。私にそんな文章読本なる大層(たいそう)なものを書けるはずがない。ところが、よく聞いてみたら、「文章の書き方、作文の仕方を書け」ということであった。しかも、私独特の、説得力のある文章のその作り方の秘訣を読者に披瀝せよ、とのことだった。

それならできるだろう、と引き受けた。そして書いてみて分かったことだが、「文章読本」は著者の作品と言うよりも、編集者が素材(材料)としてお膳立てしてくれる例文の類いを、筆者独特の手法で切り裂き、切り刻むことだった。例文として例示されるものは自分が過去に書いた文章(これを自文=じぶん=と私は造語した)も多くある。

人間は自分に優しく(甘く)、他人に厳しい(冷酷な)生き物だ。だから、自文に対しては朱筆(赤ペン入れ、添削)を加えようとしない。他者の文に対しては容赦なく思いっきり、朱筆どころか筆誅まで加えた。こうやってこの本はできた。

この本は、どのように文章で他の人々を説得するか、のその説得する技、手法を書き連ねたものである。

ここには、私がこの30年間の物書き人生で、汗みどろになって運筆(うんぴつ)してきた際に自ずと身につけ独力で切り拓いた、自分なりの文章規範が羅列してある。

若い人々の作文、小論文、レポート作成の際のヒント、助力にこの本がなることを祈る。

KKベストセラーズ編集部の小笠原豊樹氏の慧眼がなければこの本は屹度成らなかった。記して感謝します。

2013年10月                                    副島隆彦

(転載おわり:『説得する文章力』あとがき)


・新刊のお申し込みはこちらへ⇒https://snsi.jp/shops/index#book

(転載はじめ:『闇に葬られた歴史』まえがき)

まえがき    副島隆彦

歴史には触れてはいけない部分がたくさんあるようだ。私は敢えてそこに手を突っ込む。真実暴き系の言論人としての己の宿命の故である。

日本史にも正史(史実とされること)以外に、稗史(はいし)として民間伝承の形に貶められている文献や史料が多くある。それらは偽書として排斥され闇に葬られ、人々に省みられることがない。

日本の正史とされる『日本書紀』『古事記』の『記紀』に対してさえ、今やかくも多くの批判と異論が提出される時代となった。私も黙ってはいない。

私は歴史学の専門外であるが私なりの真偽判断の厳しい眼力を持つ。
この本では、第1部、戦国・江戸時代編として「信長殺しの真実」(八切止夫(やぎりとめお)説)と「家康のすり替わり説」(村岡素一郎(むらおか・そいちろう)説)を説明する。それと「松尾芭蕉(まつおばしょう)忍者(公儀隠密)説」を取り上げる。

第2部では、古代編として「天皇とは北極星(天皇大帝、てんこうたいてい)という意味である論」(斎川眞(さいかわまこと)説)と、「日本建国(西暦668年)は華僑が行った」(岡田英弘説)と「聖徳太子は蘇我入鹿(そがのいるか)である論」(関裕二(せきゆうじ)説)を前面に押し立てる。

歴史の真実を巡る大論争を私自らが喚起する。さあ、どこからでも、誰からでもかかっていらっしゃい、の、いつもの副島隆彦の構えである。私の大風呂敷の始まりである。歴史学者たちからはどうせ全く相手にされずに時間だけが経ってゆくだろう。だが、そういうことは恐れるに足らない。大きな真実はどうなのか。私は国民の中の歴史好きの読書人に問いかける。私がここに書いて紹介するこれらの歴史書の真贋の判定を各々やっていただきたい。

副島隆彦

(転載おわり:『闇に葬られた歴史』まえがき)

(転載はじめ:『闇に葬られた歴史』あとがき)

あとがき   副島隆彦

この本を私が書き上げる最終段階で苦労したのは、第2章「徳川家康のすり替わり説」であった。本当に苦心惨憺した。その理由は家康についての正史である『徳川実紀(とくがわじっき)』がなかなかボロを出さないようにしっかり出来ているからだ。さすがに260年間も徳川時代を続けただけあって、自分たちの創業(創立)以来の大きな秘密に風穴が開くことを極度に警戒して何重にも虚偽が塗り固めてある。

だが、たとえば家康 (幼名、竹千代(たけちよ)。松平元康(まつだいらのぶやす))の母親(実母とされる)お大(だい)の方( 伝通院(でんづういん))は、改名する前の岡崎城主・松平元康(まつだいらもとやす)の実母であるから、当然岡崎で暮らしていたはずなのだ。それがどうしていつの間に再婚して久松(ひさまつ)氏に嫁いだのか。そして家康には二人の父違いの弟(異父弟)がいる。彼らは大名になっている。

松平元康(本当はこっちにすり替わっている)はいつ死んだのか。全く話の筋が通らない。

家康いや松平元康(まつだいらもとやす)の正妻であった築山殿(つきやまどの。家康の長男・信康=のぶやす=と共に信長の命令で殺されたとされる) は瀬名姫(せなひめ)ともいい、瀬名町には私が一二年間奉職した静岡市内の私立大学が所在する。彼女はここの出で今川氏の重臣である関口(せきぐち)氏の娘である。

私は瀬名川を毎日バスで渡りながら大学に通った。静岡(旧駿府)の諸真実を地元の人たちからぼそりぼそりと小耳にはさんだ。民衆はヒソヒソと真実を語り伝えている。

私がこの本で提出した村岡素一郎(むらおか・そいちろう)著『史疑・徳川家康事蹟』(民友社、明治三五年刊)の真実(性)を、私は全面的に解説したかった。それがこの本ではほとんどできなかった。このことが心残りである。今後の自分への宿題とする。

この本は私の歴史研究の五冊目であり、この本もPHP研究所学芸出版部大久保龍也氏のなみなみならぬ御支援をいただいて完成した。
一心不乱に書いていて気づいたら夏が終わっていた。記して感謝します。

二〇一三年九月   副島隆彦

(転載おわり:『闇に葬られた歴史』あとがき)

須藤喜直拝

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