「1381」 私たちの福島復興活動本部 を 閉じて 撤退式をします。6月23日です。時間のある人は福島の現地まで自力で来てください。 副島隆彦 2013年6月2日

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私たちの福島復興活動本部での活動を終了して撤退することになりました。

副島隆彦です。今日は2013年6月2日です。 このたび、私たちの学問道場の福島復興活動本部での活動を終了して撤退することに決めました。このご報告をします。

6月22日(土)と23日(日)の2日かけて、現地の 田村市都路(みやこじ)に
開いて活動してきた、福島第一原発の事故を監視し観察し、地元の人たちと交流してきた活動本部を閉鎖して、後片付けを兼ねた、撤退式を行います。

時間のある人は、どうぞ、この6月23日の午前10時ぐらいから現地で開きます囁(ささや)かな活動本部の閉鎖・撤退式に参加してください。 私たち学問道場の活動は、日本国にとっての公共の課題を追求するものですから、決して私的な集まりの社会活動として終了すればいいものではないと私は考えます。

ですから、「原発事故とその後の現状を、常に現地から考える」ということの重要性を踏まえて、どうぞ、撤退式に参加したい人は現地に来てください。 学問道場の会員でなくていいです。私、副島隆彦に、今からでも「原発事故による放射能の人体への被害の有無」の問題で、議論を挑みたい人も歓迎します。どうぞ福島第一原発から真西(まにし)に20キロの地点で、国道288号線沿いにあります活動本部までいらしてください。

「学問道場の福島復興活動本部」と言われても、私たちの会員でも、もうあまり知らない人もいるでしょう。今から2年3カ月前の2011年3月11日のあの大地震、大津波があって、次の日、3月12日から起きた福島第一原発の4つの原子炉(1号機から4号機まで)の事故の直後、私たちが現地に行って、現地から事故の様子を報告しました。このあと、「福島の人たちと共に何よりも現地にいることが人間として、同じ日本国民として大切なことだ」と私たちは考えました。

事故の直後の3月、4月に私たちは何度も福島第一原発の正門前まで行って、放射線量を自分たちで実際に測定し、そして、それが、ごくごく微量のものであることを確認しました。こんな微量では人体への被害は全く出ないと、事故直後の3月中に、私、副島隆彦は判断して、そのようにここのサイトの「今日のぼやき」に逐次、書いてきました。それらはすべて「今日のぼやき」のバックナンバーに残っています。2年3ヶ月前の事故の直後から60万人から70万人の人が、毎日、私たちのこのサイトを読みに来てくれました。

原発から20キロの都路(みやこじ)という村(今は田村市という市の一部)の農協の小さなスーパーだった建物を6月からお借りして活動拠点にして、ここから報告をずっと行って来ました。この「現場からの報告」ということを2年間やってきました。しかしもうそろそろ運営のためのお金が尽き、私たちに資金力がないので現地での活動をやめて撤退します。

それでも、私たちが現地から退却する一番大きな理由は、放射線量があまりにも低過ぎて現地で何の被害も出ていなくて、何の変化もないので、ここにいる理由がなくなったということがあります。

最新の情報で言いますと、福島第一原発から5キロぐらいのところまでは、地元の人たちは幹線道路ではない、山道を通って自由に入れるようになっています。警察を動かす日本国政府としても、検問所をずっと設営していることの負担の重さに飽き果てている。第一原発の周りの従来の2キロぐらいの林のところまでを元通り管理しておればいいわけで、それ以外はなるべく復旧、復活させたいと政府も思っているようだ。だから双葉町、大熊町の、原発から3キロ4キロのところの立派な空き家を借りて、私は、原発を朝夕眺めながら生活したいと思っていたのですが、放射線量があまりに低くて、つまらないのでこの計画もやめました。

この2年3カ月の間、私たちは現地の活動本部からの貴重な報告をして来た。それが情報と知識と資料としてたまっている。国道288号線沿いの私たちの活動本部をこのたび全てきれいに片づけて撤収することにしました。吉見理(よしみおさむ)君という私の弟子の一人が最後までずっと頑張って残ってくれています。本当にありがたいことです。彼の努力に今後、私たちは報わなければいけないと思います。皆で吉見くんの労を労(ねぎら)いたいと思います。彼が定期的に「重たい掲示板」に載せた大量の写真と報告文は、歴史上の史料(資料)として後々、重要な意味を持つと私は思っています。

地元の人たちともずっと親しくお付き合いして話して来たし、彼らの生活の様子もずっと見てきました。そしてこの国道を通って原発に向かう作業車や、東電や警察の車両やらその他いろいろな関係者が通るのをずっと観察記録して来ました。現地のあちこちの地区にも行って現状をずっと報告しました。今も何事もないかのように田舎の村の日常は過ぎています。

老人たちしか今も原発20キロ圏内の外側には帰ってきていない。南隣りの川内村(かわうちむら)も同様である。幼い子ども、小学生、中学生とその親、特に母親たちは原発の30キロ圏内も嫌がって、40キロ50キロ圏で暮らしている。船引(ふねひき)という町で、ここは外務大臣をやった玄葉光一郎(げんばこういちろう)の地元であり、このあたりに仮設住宅がたくさんあって住んでいる。福島県一大きな市である郡山(こおりやま)から東に30キロぐらいいった町だ。この船引の辺にどんどん新しい家がたくさん建っている。あるいは何と外車ディーラーまでできている。見舞金や補償金とか何かもらった人や、建設事業で儲かった人が外車を買っていると囁き合っている。

どんどん建っている家は、津波で家を流された人たちが内陸部に引っ越して、原発事故被害の補償金(=損害賠償金)と保険金がおりて、この船引の周辺の新しい住宅地で、ここに永く定住していくと決めているようだ。今も法律の規制があって原発から20キロ圏内は住めないから、ぞれぞれ努力して資金をつくって家をつくるという動きになっている。

南の方のいわき市 (ここは、原発から真南に40キロ50キロ行ったところの広域合併した大きな市だ)このいわき市のあたりにもたくさん家が建って、どんどん新しい町ができている。復興予算というのがたくさん、2兆円ぐらいおりて非常に潤っていると地元の人がよく言う。東北三県の大津波からの復興の需要で、中心である仙台市がものすごい活況を呈している。

今は除染作業(じょせんさぎょう)という仕事がある。私たちの活動本部のある都路のおじいさん、おばあさんたちも、1日1万5000円ぐらいのお金になるので、多くがこの除染の作業員で出ている。さっき言った船引のあたりの原発から30キロ40キロのところにいる人たちも、仮設住宅から60歳でも70歳でも仕事があるということで、除染作業に参加している。主に20キロ圏内に入って例の、馬鹿らしい白い服を着せられて、ただの水撒きをする。

除染というのは、家の屋根や側溝にただの水をかけるだけのことであって、本当にただの水だ。「なんで、こんな無駄なことをするんだろうか」と地元の人たちが、うんざりした顔で言い合っている。それでも、失業対策としての日雇い労働で収入になるのだから人々は嫌がらない。「水に流す」という日本語が有って、日本に伝統的にある禊(みそぎ)ということをして、水できれいに洗うと綺麗(きれい)サッパリとなって、気分がよくなったということなのだろう。除染など何の意味もない、くだらない国家予算の出費である。政府もよく分かっているのに、わざとらしくやっている。私は、この現状があまりに馬鹿らしいので、この2年3ヶ月、言葉を失っている。

「原発事故の放射能の被害は何もない。地元で誰一人、発病している人はいない」と私はずっと主張してきた。やがて2年半が経つが、地元の赤ちゃん、子供ひとり、放射能を原因とした病気は出ていない。作業員もひとりも倒れていません。あの吉田所長でも積算量(せきさんりょう)で、たったの70ミリシーベルトだった。

「事故の放射能のせいで病気を発病している人は福島には誰もいない。甲状腺のガンどころか、肥大の人も居ない」と、このように私はずっと断言してきた。本にも書いて発表した。それに対して、「そんなことはない。今もものすごい量の放射性物質が漏れ出している」と言って反論する人たちがいるだろう。「放射能は危険だ、危険だ」と、今も匿名で書いて騒でいる人たちがいる。

私は、この人たちは、そろそろ少し反省したほうがいいと思います。せめて自分の内心に向かってだけでも正直になってほしい。

「どうも、自分は軽はずみで騒ぎすぎたようだ。福島では誰も発病していないようだ。どうも、まずいことになってきたなあ。武田邦彦(たけだくにひこ)氏は、5年後には、10万人の福島県民が死ぬ、と言っていた。京大原子炉実験所の小出裕章(こいでひろあき)先生も、今も大変危険だ、危険だ、と主張している。・・・・でも、誰も現地で放射能のせいで入院したとか倒れたという話が出ないなあ。・・・これは、まずいなあ。 自分は馬鹿だったのかなあ。 でも、これを今さら認めたら、あれだけ騒いだのだから自分は周囲の人たちに、ものすごく恥ずかしいことになる。 ええい、この際、これからも 、放射能はどんなに微量でも人体に、危険だ、危険だ、と言い続けよう」 と、 堅く決めているのだろう。

人間は、自分が勝手に信じ込んだことは、よっぽどのことがないと考えを変えない愚かな生き物である。

私、副島隆彦に向かって、「あなたは、福島の子供たちを殺す気ですか」と、言った人たちは、このあとどうする気か。私は、実名で堂々と自分の考えとして、放射能コワイ、コワイ、と騒いだい人たちを、これから静かに説得するために対話をするつもりだ。私は、事故のあとのすぐの4月から、「原発事故は治まった。人体に被害、影響が出るような放射線量ではなかった。日本は救われた。急いで福島の人たちを支えて、日本国民皆で、福島産の農産物や魚を食べましょう。これが災害から国民が団結して立ち上がってゆくということだ」と、書いた。

このあと私は、コワイコワイ派の人たちからものすごい非難を浴びた。 事実はどうだったのか。このことを、2年3ヶ月たった今、そして、さらに3年、5年経ってからでもいいから、皆で確認し合わなければいけない。

私は、福島第2原発との間の 海辺の町である富岡で、富岡タマという猫を拾ってきた。当時は助け出した感じだった。今はすべて思い出となっている。

あなたたちは、福島の現場に来て、自分の目と体で現地を見て回るということすらしようとしなかった。今もここらは放射線量はあまりにも低くて、東京と変わらないぐらいの放射線量しかない。今も、原発から3キロぐらいなら、まだ5マイクロシーベルト(毎時、パー・アウア)ぐらいはあるだろう。けれども、こんな超微量の線量では人間は被害を受けない。

同じ日本人として、現地に来もしないで、自分は頭がいい、自分の考えは正しいと思い込んで、放射能は怖い怖いという予見だけで今も考えている人たちは、自分の考えがこれからもずっと正しいと深く信じ込みたいのだろう。だけれども、事実は自分の脳を裏切る方向へどんどんと進んでいく。一体、どうやってこの頑迷(がんめい)な人々は元の正直で素直な人間に戻っていくのだろうか。あるいは、居直って自分の内心に対しても醜い人間として、虚偽であることを死ぬまで自分の信念にするのだろう。 最低、1回は福島に来て現場を見て、自分の肌で何かを感じたらどうですか、と私は言い続ける。

ですから、この6月22、23日に、私たちの活動本部を閉鎖して撤退する記念の会を開きます。22日、23日の土日のどちらかで来たい人は、自費で自分の力で(出来れば車で)現地まで来てください。わざわざ私たち学問道場がご招待するということは今回はしません。来たい人は会員でなくても、住所や名前、職業等を 事務所に連絡してくれれば、別に拒みません。私たちの福島復興活動は、社会に広く開かれた活動ですから、自分たちだけの内輪(うちわ)のものではない。日本国民の利益のための公共の活動です。

現場に行くことを怖がったり、あるいは忙しいから行けなかったとか、いろいろ理由はあるでしょう。これまで福島に1回も来なかった人は私たちの学問道場の会員も含めて、お時間があったらどうぞ来てください。

撤退式と言っても、お借りした建物から看板を取り外したり、中の掃除をしたり、持ち主の地元の人にきれいにしてお返しするだけのことですから、対してお祝いらしきものはありません。それでも現場を一度は見に来るという考え方を大事にしてください。

2年前の3月11日の大地震、大津波の次の日、津波から25時間後にボーンと1号機爆発が起きて、翌13日は何もなくて14、15日で3号機、2号機、4号機と爆発しました。  これは建屋の中に充満していた水素が水素爆発を起こしたからだ。ベントを開いたので、ごくわずかな量の放射線が漏れて10キロ20キロと広がりました。それらも今から考えれば実に微量なものでした。

盛んに海水をかけて、それから電力を復旧して冷却装置を可動させた。4つの号機とも全て、圧力計が一気圧に戻っていた。なぜそれ以上の爆発が起きずに気圧が正常に戻ったのか、私にも今も分からない。不思議な感じだった。

つい最近、国連からの福島第一原発事故への評価の重要な発表があった。

(貼り付け始め)

「 福島事故の甲状腺集団線量「チェルノブイリの1/30」 」

2013年5月27日 朝日新聞

http://www.asahi.com/national/update/0527/TKY201305260335.html

東京電力福島第一原発事故について、国連科学委員会 が報告書案をまとめた。集団でみた日本国民の総被曝(ひばく)線量(集団線量)は、甲状腺がチェルノブイリ原発事故の約30分の1、全身は約10分の1と推計した。個人の被曝線量も推計し、多くが防護剤をのむ基準以下で、健康影響は「(6千人の甲状腺がんが出た)チェルノブイリとは異なる」「(がんの発生は少なく)見つけるのが難しいレベル」と結論づけた。

報告書案は、国連科学委員会 の専門家ら約85人が2年かけてまとめた。27日からウィーンで始まる科学委員会総会で議論され、9月の国連総会に提出される。

朝日新聞が入手した報告書案によると、「事故は、米スリーマイル島などの事故よりはるかに深刻」とした。「ただし、チェルノブイリに比べて、放射性ヨウ素131の総放出量は3分の1未満、セシウム137は4分の1未満で、ストロンチウムやプルトニウムは非常に微量」と評価した。

(貼り付け終わり)

このような感じにだんだんなってきた。福島で放射能の被害者、発病者は誰もいない。4号機の上の使用済み核燃料の安全な撤去が終わるまでは安心でいきないなどと、次から次に新しい理由をつけて心配することで自分が優れた人間だと勝手に思い込んでいる。今も放射性物質が放出されていると強がりで言い続ける。危険だ、危険だとずっと騒いできた人たちは、これからも自分は正しいと強がりを言い続ける気だろう。あるいは 「反原発運動は、世界中の人たちが言っているから自分は正しい」と 反原発運動の方に、どんどん 話をすり替えてゆくのだろうか。

以上の 国連の 科学委員会の 報告書にも、私は、反論がある。1986年のチェルノブイリの激しい事故でも、 ×「6千人の甲状腺がんが出た」は、虚偽だ。私が、アルチュニアン博士(チェルノブイリで25年間、ロシア政府の責任者として、事故を調査している学者。日本の原子力保安院の副所長のような人。本当の事故の研究者)が、私に語ってくれた数字は、甲状腺ガンが300人、肥大がすべてで700人、そして、全員が手術して存命だ、というものだ。 これ以外には事故の被害者は全くいない。

チェルノブイリ事故での 放射能での死者は、事故から半年以内の28人と、この25年間で20人の合計48人だけだ。 この48人は、すべて チェルノブイリ発電所の職員たちだった。それ以外の、事故の原発から10キロ、20キロ、100キロ、200キロでの、死者は、いない。前述した 700人の甲状腺の手術をした人は全員、今も生きているのだから、住民には誰も被曝による発病者はいない。

あれほどの激しい、黒鉛式の原子炉の爆発で燃料棒が周囲に吹き飛んだ、チェルノブイリ原発事故でもこの程度のものだったのだ。福島では、その10万分の1ぐらいの放射能しか漏れていないから、原発職員を含めて、誰一人、発病していない。これからも誰も病気にならない。

私は、これらのことを、『放射能のタブー』(KKベストセラーズ、2011年11月刊)に書いた。

福島第一原発の 原子炉の格納容器(コンテイナー)の下の方が、1号機と3号機が危ないと言われた。圧力隔壁が破られて下に燃料棒がこぼれ落ちて漏れ出したようだという説があった。メルトダウンが起きたと騒がれた。そういうことはなかった。燃料棒がボロボロとこぼれ落ちて地下に高濃度の汚染物質が溢(あふ)れている、と騒いだ人々もいる。まるで専門家のような口ぶりで騒ぎ続けた。本当にそういう危険な事故であったのか。もし本当にメルトダウンなどという恐ろしいことが起きていたら、今でも周囲に人間が近づくことさえできないはずなのだ。テレビを見ていたら、のんびりとした感じで福島第一原発のまわりで技術職員たちが淡々と仕事をしているではないか。

政府は今も国民に事故の重大な秘密をひた隠していると盛んに言い続ける人たちが今もいる。だが、もし地下にそんなひどいものが漏れ出していたら、きっと原発の敷地の周りの水とか土を通して強い放射線量が現れるはずだ。何らかの大きな被害がすでに出ていなければおかしい。

「政府は隠している、隠している」と言っても実際に現地で被害が何も出ていない。現場の原発から5キロ、10キロ、20キロのところで何の兆候もない。「そんなことはない」と言うのなら、あなた自身が、実際に見に来て、放射線による何かの兆候が表れているかを実際に確認するべきだ。そんなことをする必要はない、と私に目を剥(む)いて言うな。

コワイコワイ、キャーキャーと騒いだ人たちは、少しは反省しなさい。自分の考えを少しずつでいいから正直に変えるということをしたほうがいい。それが自分自身に対しての真面目な生き方である。あまりにみっともない居直りを続けることはやめた方がいい。「どうも、自分は間違った考えの連中に扇動されて、彼らと一緒に騒ぎ過ぎたかな」と、そろそろ反省しなさい。そしてそのことをしっかりと文章に書くべきだ。

・・・・ところが、人間という生き物は、ちょっとやそっとでは、自分の考えを変えない。ウソつきである自分を自分で放置し続ける。 放射能はどんなに微量でも人体に危険だ、と言い続けることによって、虚勢を張って、これからも強引に、「反原発を主張する自分は正しい人間だ。立派な人間だ」と自分自身に言い聞かせるのだろう。・・・これからも自分の考えを次々と明らかになる諸事実(ファクト、facts )に合わせて、意識的に訂正してゆくということをしないだろう。どうせ反省なんかしはしないのだ。 私は、この人間というこの愚かで、頑迷な生き物に、ほとほと絶望している。

「副島隆彦よ、あなたの方が、やっぱり間違っている」という人がいたら、どうぞ、私を説得しに来てください。私のメール・アドレス GZE03120@nifty.ne.jp にメールをください。それからお会いしましょう。誰でもいいです。私もあなたを説得します。

「専門家でもないのに、現場なんか行ったって何もわからないよ」という新たな居直りの反論はやめてほしい。何か大きな事件が起きたら、なるべく現場に行って、自分の目と体で、肌ざわりを通して、現地の空気を味わって自分で事実を確かめるということが大事だと私は何度でも言います。

私、副島隆彦は放射線医学や核物理学、原子力工学の専門家ではないから、難しい放射性物質の危険度の測定とかあれこれ今さら書きません。私たちが知り得た知識で、詳しいことはすでに私が弟子たちと書いて発表した『放射能のタブー』(KKベストセラーズ、2011年11月刊)に詳しく11人で書きました。今からでも読んでください。

私たち学問道場は、原発事故の直後から現場に行って、放射線量の測定とかも全部自力でやりました。この事実の重さはどんな立場の人でも認めるべきだ。

私は、大事故の始まりから1週間後の3月19日に第一原発のそばまで行ったときに、ハッと分かった。アメリカの最高権力者たち、当時のヒラリー国務長官たちは、IAEAの調査という名目で、4つの号機の水素爆発が次々に終わった3月15日の翌日の16日の夜中に、グローバル・ホーク(米軍の無人機の偵察機、愛称ドローン)を、福島第一原発の1号機から4号機の真上5メーターぐらいのところに飛ばして、そこで放射線量を正確に測った。そうしたらほんのごくわずかな放射線量しかないことを確認した。恐らく200ミリシーベルトや500ミリシーベルトが瞬間(パーアワー。積算ではない)で出ていただろう。

だが、たったこれぐらいの放射線量では人体には被害は出ない。この事実をアメリカの最高権力者たちは、17日の時点で確認した。3号機が14日に爆発(午前11時1分。例のあの世界中に有名となったキノコ雲)。15日に、4号機(4時6分)続いて、2号機(6時14分)が爆発した。次の16日からは、4号機の屋上の使用済み核燃料に水を足さないと危ないで、そのあとの数日間、大騒ぎした。

自衛隊のヘリコプターやら消防庁の放水車で注入してやがて治まった。このころ電力会社の工事士たちが冷却器の電源を復旧させた。だから15日に4つの号機全ての水素爆発が起きたあとに、IAEAとヒラリーたちはグローバルホークでの放射能の量の測定で真実を知った。だからこのあと17日に世界中の株価が反転して上昇したし、18日中に円・ドルの為替も元の80円ぐらいに戻った(3月16日のNY市場、日本時間の17日の早朝で1ドル76円25銭をつけた)。

私は世界権力者たち(グローバリスト)が真実を先に知ってデータで握った日よりも3日遅れて、19日に福島原発の7キロぐらいそばまで弟子の石井利明君と近寄って、それで真実を知った。測定したらたったの12マイクロシーベルトしかなかった。その次の週にも行って、今度は弟子を7人連れて、3月28日から数日かけて、原子力発電所の正門まで弟子たちと行って、弟子の六城くんが測定したら、860マイクロシーベルトぐらいあった。

雨も降って地面に放射性物質が沈んだだろうから、地面は3から5ミリシーベルトぐらいの放射線量があっただろう。15日の2号機の爆発後に、全国の新聞で号外が出て、皆が青ざめた。この時、福島第一原発の正面玄関で、8,217マイクロシーベルト毎時(パーアワー)すなわち、8.2ミリロシーベルト が出た。そのように東京の都心で新聞の号外が配られた。この「福島第一の正面玄関で8,217マイクロシーベルトを検出」の号外を私は今も保存している。こういうのちのちの歴史の資料を保存している人は、ほとんどいないだろう。私は、原発事故関係の多くの資料も今も自分の手元にしっかり保存している。

事故のあった3月中でも、どんどん放射線量が落ちていって、浪江町(なみえまち)や大熊町(おおくままち)のあたりだと、日中測定したら700マイクロシーベルトぐらいあった。が、このあと2ヶ月も経ったら、わずか5マイクロシーベルトか10マイクロシーベルトしかなくなった。こんなものは人間の体に全く影響を与えない。自然放射能の量とさして変わらない。

だから私は、放射線医学者の東大の医学部の中川恵一准教授が、早くも3月15日だったか、外国人記者クラブの会見で、「これぐらいの放射線量では人体に被害は出ません」と発言したことが、専門家として、一番初めであり、ものすごく偉かったと思う(この映像はネット上に、今も公開されているはずだ)。

放射線医学界の大御所(おおごしょ)である長瀧重信(ながたきしげのぶ)長崎大学名誉教授 と長崎大学の山下俊一教授や広島大学の神谷研二教授その他、大阪大学の近藤宗平(こんどうそうへい)教授、中村仁信(なかむらひろのぶ)教授たちだ。錚々たる放射線医学の専門家たちが、初めの初めから、安全だ、と言っていた。それを多くの日本国民が、テレビと新聞と週刊誌に扇動されて、恐怖心に駆られて彼ら専門家の冷静な言葉を信じようとしなかった。専門家の言うことをじっくりと聞かなかったら、あとは、集団ヒステリーの烏合(うごう)の衆と化す。

彼ら放射線医学の専門家たちの大部分( 東大アイソトープ研究所の児玉龍彦(こだまたつひこ)がひとりで発狂状態になったのを除く)は始めから判断を誤っていなかった。だから、今からでも彼ら専門家を称賛すべきだ。彼らは乳がんとか喉(のど)の喉頭がんなどの治療のために、日常的に、口の中に棒を突っ込んだりして、1回あたり2シーベルトの放射線を照射することをずっとやってきている。2ヶ月で合計で60シーベルトをガンの患者たちは平均で照射される。

2シーベルトというのは、 =2000ミリシーベルト である。 さらには、=2百万マイクロシーベルトである。 これぐらいの放射線量をバシンバシンと患部に当てて2カ月で60シーベルトとかを浴びている。この放射線治療は今もずっと行われている。だから患部に30シーベルトぐらいを1カ月で浴びても、人間は死にはしない。元気で回復する。患部の皮膚の表面が黒く焼けたりするだろうが。私たちは、あまり感情的になって放射能のことを怖がらないほうがいいと思う。

「内部被曝が・・・」とか、本当は何も知りもしないくせに、勝手に恐怖心にかられて、いい加減に即席に手に入れた、偉そうな知識を周囲に吹聴して回った人々は、自分の内心に向かって恥じなさい。内部被ばくなどというコトバは、元々なかったのだ。内部だろうが、外部だろうが、赤ちゃんが浴びようが、大人が浴びようが全ては同じだ。このことを認めるのがどうしてもイヤなら、私と論争しよう。誰でもいいから名乗り出てきてください。 「原発事故から2年半。放射能の人体への被害(影響)問題は、一体どうなったか」を 徹底的に論じ合いましょう。

治療用の放射線と原発が爆発した放射能とは違う、自然の放射能とも違うとか、違う違うということを言い続ける人も今もたくさんいる。もう、あまりそういうくだらない、ことは言わないほうがいいと私は思う。新たな事実がどんどん出てきて、この人々を追い詰めていく。どうせ元々たいした知能をした人たちではないのだ。そういう人たちは、どうせ世の中の尊敬を集めることは出来ない。

ごく少数だが放射線医療の専門家(近藤誠氏)や医者たちの中にも、キャーキャー、コワイコワイを主張した人たちがいる。今、彼らは少しは恥じているのか。まだ、何か発言しているのか。私は、前記の『放射能のタブー』でも、実名を上げて、彼らを列記している。今からでも彼らと論争をする覚悟がある。言っている内容に個人差もあるし、知識や知能のレベルも関心の範囲もそれぞれ違うが、現場に行って福島第一原発が見えるあたりで穏やかに話し合うということをやってみたい。

放射線治療の放射線医学の専門家たちの言うことをもっと私たちは冷静になって聞くべきだ。彼らのことを政府の手先だとか、御用学者だとか、言った人たちは少しは反省しなさい。放射線医学者たちは”原子力ムラ”で原発利権にさんざん集(たか)ってきた原発工学者たちとは違う。原子力ムラの頭目は小宮山宏(こみやまひろし)(三菱総研理事長、長いこと原子力委員長、今も東電の監査役)である。私たちは、今後も小宮山宏やその隠れ子分である武田邦彦(この男は、密かに原子力安全委員に復帰している)を徹底的に責任追及し続けなければならない。放射線医学者たちは、長年、原発利権にしがみついてきた原子力工学者たちとは違うのだ。

この2013年3月8日に、福島県と環境省が、原発事故の放射能の影響についての報告書を出した。新聞社各社は、このことを小さな記事でしか報じなかった。 この環境省の発表では、事故のあった原発の周囲の住民から、たった1人の甲状腺肥大の人もいなかった、としている。

福島県では事故当時18歳以下の子ども約36万人を対象に甲状腺の超音波検査をしている。そして青森の弘前(ひろさき)市と、長崎市、甲府市の子どもを同じく4000人ぐらいを調べて比較した。そうしたら、福島から誰ひとりとして、甲状腺肥大を起こしている人はいないという事実がはっきりした。記事として以下に張りつける。

(貼り付け始め)

「 子どもの甲状腺「福島、他県と同様」 環境省が検査結果 」

2013年3月8日 朝日新聞

http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY201303080179.html

環境省は3月8日、福島県外の子ども約4400人を対象にした甲状腺検査で、6割に嚢胞(のうほう)やしこりが見つかったと発表した。東京電力福島第一原発事故の被曝(ひばく)の影響をみるため、福島県が実施した検査では県内の4割の子どもに嚢胞やしこりが見つかっている。環境省は、福島と他県はほぼ同じ結果だったとしている。

福島県は事故当時18歳以下の子ども約36万人を対象に、甲状腺の超音波検査をしている。1月までに約13万3千人が検査を受け、41・2%に2センチ以下の嚢胞や5ミリ以下のしこりが見つかった。専門家はこの大きさの嚢胞は問題ないとしている。

子どもの甲状腺を高性能の超音波機器で網羅的に調べた例がこれまでになく、4割という割合が大きいのか、被曝の影響があるのかを判断するのは難しい。このため、環境省は長崎市と甲府市、青森県弘前市の3~18歳の子ども4365人に、同じ性能の超音波機器、同じ判定基準で検査をして比べた。

この結果、2センチ以下の嚢胞や5ミリ以下のしこりのあった子どもが56・6%、それ以上の大きさの嚢胞などがあった子は1%(福島は0・6%)いた。環境省の桐生康生放射線健康管理担当参事官は、「福島の結果は他県とほぼ同様だったと考えている」と話す。 嚢胞などのある子が福島よりも県外の方が多い理由について、検査を受けた年齢構成などを詳細に分析して月内に公表するという。

長瀧重信(ながたきしげのぶ)長崎大名誉教授は「超音波検査の性能が上がり、嚢胞などが見つかりやすくなった。福島が異常な状態ではないとわかった。ただし今回の調査だけでは、被曝の影響の有無は判断できない。福島で生涯、検査を続けることが必要だ。地域性もあるため、福島県で事故後に生まれた子への検査との比較も必要だ」と話す。 福島県は事故の影響が出るか調べるため、県内の子どもを対象に生涯、検査を行う計画だ。

(貼り付け終わり)

ようやくこういう発表が次々と出るようになった。放射能コワイコワイで騒いだ人たちは、一体、これをどう考えるのか。私は、彼らが自分の考えを簡単には変えない人たちだとよくわかっている。だから、私は自分のほうが気が萎(な)える。人間という生き物はこんなにも愚かで、醜い生き物であったか、と。

この新聞記事の冒頭にあるとおり、「 福島県外の子ども約4400人を対象にした甲状腺検査で、6割に嚢胞(のうほう)やしこりが見つかったと発表した」というような嚢胞やしこりというコトバにしがみついて、「ほらやっぱり福島の子どもたちは甲状腺の病気になっている」と今の今でも鬼の首を取ったように、自分たちは正しいと主張し続ける。反省なんか全くする気はない。

今引用したこの記事の「福島県外の子ども約4400人を対象とした甲状腺検査」の「福島県外の子ども」というコトバをもう一度自分の脳でしっかりと確認しなさい。あなたたちはその程度の愚か者である。私に向かって「ほら、福島の子どもたちにやっぱりしこりが・・・」と騒ぐ。この甲状腺のしこりは、私たちの周囲の多くの人間にあるのだ。このことをはっきりと、この新聞記事から読んで理解しなさい。

この人たちは、どうせ何でもかんでも言って、反論して自分たちが正しいと居直り続ける。もうこの種の精神が歪んだ人たちを説得することは不可能である。・・・バカヤロー。・・・それでも説得してやる。

私は、こんな愚か者たちと同じ空気を吸って同じ国で生きているのがいやになった。私が、あれほど一生懸命に説得して、「同じ日本国民として、福島の人たちと同じ立場から復興を目指そう」と書いた。そしたら、コワイコワイ派の人間たちから、「福島の人たちはかわいそうだが、放射能を東京に持ってこないでください」という恐るべき言葉遣いまでした。 正義の主張をしているつもりが本当は自分のことしか考えていなくて、間違った考えで恐怖心にとらわれているだけなのだ。 彼らを静かに説得することは殆(ほとん)どできなかった。多くの国民は、「福島では何も人体への被害なかったようだから、このまま穏やかに済ませよう」という態度に出た。 それでも、事故から5年後に10万人の福島県民が甲状腺ガンなどで死ぬと騒いだ人たちの責任はこのあともずっと残る。

ですから、もう活動資金も無くなったので、私たちの福島の復興活動本部を終わりにして私たちは現地から撤退します。私たちが世話になった都路(原発から20キロから30キロ圏)の住民たちは、補償金として月に一人8万円もらっていたが、これもすでに昨年末で打ち切りになった。船引の仮設住宅は今のままだ。そこの電気、ガスなどの支払いは自費だそうだ。

20キロ圏内で自分の家に帰れない人たちにだけ、今も政府と東電からの生活保証が出ている。私は今度は、地元の商工会の幹部たちや農協の幹部たちには、一般の住民とは別に、一体どれぐらいの裏金が出たかを真剣に聞いて回ろうと思う。1人幾らぐらいもらったものかを詳しく調査して回ろうと思う。数千万円から、会社経営なら数億円の営業補償金が損害賠償金の理由で出ているだろう。

福島県民全てに対しては、東電から、1回こっきりでひとりずつに10万円とか20万円が払われて、もらっただけで終わりにしてしまった。自分は5万円だけだった、という人もいる。 こういう事実は福島の人はすべて知っているが、他県民には知らせない。言論統制があるから新聞記事にさえしない。生活費にかかわる一番大事なことなのに。1回きりでも5万、10万円でも、もらってしまうと、もう人間は文句を言えない。このあと、抗議もできない。そうやって、地元住民の不満を狡猾な法律の理屈でダマクラかして、黙らせるという穢(きたな)い手を、日本の国の政府は使ったのだ。

このようにして、福島第一原発の事故から2年3ヶ月が経ちました。 私たちは、現地にいて、開いてきた福島復興活動本部を 6月23日に 閉鎖し、撤退します。私たちなりには頑張って、多くの真実を日本国民に知らせてきたと思っています。 私たち学問道場は、誰にも何ものにも恥じること無く、恐れること無く、「大きな枠組みの中の真実」だけを 伝えて行きます。

私たちの福島での原発事故のあとの活動を支えてくださり、あの緊急の時に、御支援金をくださった皆様に、深く感謝申し上げます。 私、副島隆彦は、今から、そのときの奇特な人たちに、これから必要に応じて、ひとりひとり個人的にお話してご報告してゆきます。

6月23日に、現地に自力で来れる人は、ご連絡の上、来てください。歓迎いたします。

副島隆彦拝

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