「1337」尖閣問題について。橋下徹・大阪市長の言う「国際司法裁判所」における解決の提案を支持します。副島隆彦・記 2012.10.18

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副島隆彦です。今日は2012年10月18日です

日本維新の会の代表でもある橋下徹(はしもととおる)大阪市長がこの数週間前にTwitter(トゥイッター)で書いてきたことについて、私、副島隆彦の考えを述べます。私はこれまで書いてきた通り、橋下大阪市長とその背後にいる竹中平蔵などのブレーンが主導しつつある日本におけるファシズムの到来ともなりかねない政治路線には強く反対する。しかし、今回、私が取り上げたいのはそのようなことではない。


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それは、9月26日の 橋下徹のTwitterでの発言です。それは、 「尖閣諸島の領有紛争 も、 日本政府は、国際司法裁判所に 中国が提訴するなら応じるべきだ」の主張です。これを私は支持したい。まず、橋下市長の発言をそのまま引用する。

(転載貼り付け始め)

2012年9月26日
@t_ishin
竹島、北方領土の領有権について国際司法裁判所での法による解決を求めるなら、尖閣についても国際司法裁判所に提訴されるリスクもある。しかし自分の主張に自信があるなら、堂々と法に基づく解決に応じれば良い。出された結果は受けざるを得ない。それが法の支配だ。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。ここで、私は、橋下徹よりも、さらに 前進して、言う。 「日本政府は、尖閣諸島の領有紛争を、急いで、国際司法裁判所に 提訴すべきだ、と中国に持ちかけるべきだ」と。

それが、 日本人が 何よりも大事にする、 国際社会を 敵に回さないこと。  相手の話をよく聞くこと。 人の意見に耳にを傾けること。 ひとりよがりにならないこと。 そして、何ごとも 話し合いで、平和に解決すること、という考えからすれば自然の帰結です。

「暴力は絶対にいけません。 何があっても、手を出した方が負けだ」の、 私たち、日本国民の 日頃の 信念を、堂々と世界に向かって 表明すべきだ。それが先の戦争の敗戦の経験から私達が学んだ貴重な教訓です。

先に手を出したら負けだ。石原慎太郎のように、「中国と戦争すればいい」とか、安全保障に詳しいと自分たちが思い込んでいる一部の言論人たちの「自衛隊を尖閣に駐留させればいい」というような、国際社会を敵に回しても何が悪いんだ、と居直るような考え方ではダメだ。

未だに、この副島隆彦に向かって、「中国を何とかしなければならない」とメールで言ってくる人もいる。おそらく私の読者の中にも一定の割合でそういう考えの人は残っているだろう。

しかし、私はその人達とは考えを同じくしない。 国際司法裁判所に 捌(さば)いてもらう、のが一番、賢い選択だということだ。 私 と 橋下氏 の この 考えに反対する者たちは、 許しがたい ゆがんだ右翼体質の人間で、暴力団のような人々だ、と 決めつけていいとまで、 私、副島隆彦は、思います。

それでもまだわからない人は、以下に私が書いた文章を載せますので、読んでください。

この文章の主張は、「ヤルタ=ポツダム体制 こそが そのまま連合諸国 United Nations ( この U.N. を、日本では 意図的に ×「国際連合」 と誤訳して来た) であり、これがそのまま今の 国際社会だ。 日本人は、この国際社会にに逆らってはならないのだ」ということです。

日本の保守派と言われる人たちがいかに10年以上前に流行った「自由主義史観」のように、「日本の戦争は悪くなかったんだ」と幾ら言っても、このヤルタ・ポツダム体制こそは、単にアメリカだけではなく、その他の連合国が決めた戦後秩序なのであり、すなわり、これが、今の world values ワールド・ヴァリューズ (世界普遍価値)です。

これに逆らうと、再び戦争に向かうことになる。安倍晋三自民党総裁が、危険なのは、このことに気づいていないからだ。

松岡洋佑(まつおかようすけ)外務大臣が、昭和天皇が、待て、待て、と言ったのに聞かなかったのだ。そういうことを、あんなちっぽけな尖閣諸島を守るためだけに日本国民はまた繰り返すのですか。中国と戦争をしてでも尖閣諸島を守りぬくべきだというような石原慎太郎都知事のような、偏狭な考え方が国益(ナショナル・インタレスト)であるわけがないのです。

それでは以下に私が書いた文章を乗せます。これは、私は来月はじめに出す私の金融本『ぶり返す世界恐慌と軍事衝突』(祥伝社)の中から抜き出したものです。

(転載貼り付け開始)

●「アジアに軸足を移す」――ヒラリー・クリントンの論文の中身

次に「ヒラリー論文」を載せる。ヒラリーは、今からちょうど1年前に、アメリカの外交専門誌である「フォーリン・ポリシー」Foreign Policy 誌(2011年11月号)に重要な論文を寄稿していた。論文のタイトルは「アメリカの太平洋の世紀」America’s Pacific Century である。

<一部引用はじめ>

アメリカの太平洋の世紀 America’s Pacific Century
ヒラリー・クリントン Hillary Clinton 筆
「フォーリン・ポリシー」Foreign Policy  2011年11月号
http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/10/11/americas_pacific_century
古村治彦(ふるむらはるひこ)訳

(前略)
アジア・太平洋地域へ軸足を移すというアメリカの戦略的大転換(strategic(ストラテジツク) turn(ターン) to(トウ) the(ザ) region(リージヨン))は、アメリカの世界的なリーダーシップをこれからも維持していく点からも論理的に正しいことである。この戦略的大転換を成功させるには、アジア・太平洋地域はアメリカの国益にとって重要なのだという、党派を超えた(bipartisan(バイパーチザン))コンセンサスを形成し、維持することが必要だ。アメリカの歴代大統領と国務長官は、所属政党に関係なく、世界に関与してきた。

私たちはこの力強い伝統をこれからも追求していく。また、戦略的大転換には、アメリカの選択が世界に与える影響を考慮に入れた一貫性のある地域戦略を堅実に実行する必要がある。
(略)

日米両国は、新たな取り組みを始めることで合意している。その中には、日本が50億ドル(約4000億円以上の資金を新たに提供するということが含まれる。また、日米は、日本国内に引き続き米軍を駐留させることでも合意に達している。さらには、地域の安全保障を脅かす脅威(引用者註 すなわち中国のこと)を抑止し、迅速に対応できるようにするために、情報交換、監視、偵察活動を合同して行なうことや、サイバー攻撃に関しての情報共有を進めることも決定している。

日米両国はオープンスカイ協定(航空協定)を締結した。これにより、ビジネスへのアクセスや人と人とのつながりを増進されることになる。また、日米両国は、アジア・太平洋地域に関する戦略対話を開始した。さらに、日米両国は、アフガニスタンに対する二大援助国として協力して行動している。(以下略。傍点は引用者)

<引用終わり>

副島隆彦です。このように、ヒラリーが率いるアメリカ国務省は、”pivot to Asia” (ピボット・トゥ・エイシア)、「軸足をアジアに移す」の大方針転換を決めて、アジア・太平洋での軍事衝突までを視野に入れた行動に出ている。その主眼は、日本を中国にぶつけさせる、という戦略である。私たちは、このヒラリーの魔の手に乗ってはいけない。

それと、ヒラリーによる中国包囲網(Containing China コンテニング・チャイナ)の戦略である。ヒラリーは7月5日に、ハーヴァード大学での講演で「中国をこれ以上、経済成長させない。元の貧乏な国に戻す」とまで発言している。

次に、尖閣(せんかく)問題についての、私の直近での最新の考えを書く。題して、「ヤルタ=ポツダム体制が今の国際社会だ論」である。

●「閣議決定」では、領有の根拠にならない

尖閣諸島の領有権をめぐる問題(今や領土問題になってしまった)で、日本と中国の間で冷たい対立状態が続いている。この問題への私の考え(分析と予測)を、ここではっきりと書く。

日本政府(野田首相)は、「尖閣諸島は日本固有の領土であり、それは歴史的にも国際法上も明らかなことである」と9月26日の国連総会でも言った。そんなに日本の主張が正しい、と言うのなら、国際司法裁判所(オランダのハーグにある。International Court of Justice(インターナショナル・コート・オブ・ジャスティス )に提起すべきである。そして勝訴すればいい。日本政府の主張は疑問点が多い。以下に明確に説明してゆく。

日本の新聞は、だいたい次のように書く。外務省の見解でもある。

日本は1895年(明治28年。すなわち、日清(につしん)戦争の終結の年)に、尖閣諸島が無人島であることと、他のどの国の支配下にもないことを確認したうえで、領有(日本の領土への編入)を閣議決定した。

その翌年の1896年(明治29年)に、民間人の商人である古賀辰四郎(こがたつしろう)に対して、尖閣諸島の5つの島のうち4島を貸与した。(すなわち、石垣島の法務局での登記を認めた)。

だから日本政府も新聞も、この1895年の閣議決定を根拠に、尖閣が日本の領土であると主張しているのである。

ところが閣議決定というのは、国家としての決断あって、「国内でそう決めました」というだけのことだ。外国との交渉と、それからの合意(覚書き(メモランダム)とか)はない。国境線や領土の確定は外交交渉を経た決着でなければならない。それが国際社会のルール(国際法)だ。

今年、2012年の9月11日に、日本政府は尖閣4島の現在の地権者である栗原(くりはら)家から、20億5000万円で買い上げて国有化することを閣議決定で決めた。そして同日に、所有権の移転登記をこの日付で行なった。

中国側はこの日本政府の閣議決定に怒った。それで次の日(12日)から反日デモが始まった。中国で、どんな内部抗争やデモ企画者たちの動きがあったかは私にも分からない。中国の内部も割れているようである。ここでは日本国内の進展だけを考える。

野田佳彦政権が、この問題の〝火付け役〟である石原慎太郎東京都知事の「都が買い上げる。支援金14億円も集まった」の動きに押される形で、しかし石原氏を馬鹿にする形で「国による買い上げ」に追い込まれたのが事実であろう。

「1895年に閣議決定をした。だから尖閣は日本の領土である」という主張は、中国だけでなく諸外国に対しても成り立たない。なぜなら、紛争相手国との交渉で決まったことではないからだ。

尖閣諸島が日本固有の領土だ、と主張する人たちは、「無主物先占(むしゅぶつせんせん)」という理屈を持ち出す。この「無主物先占」あるいは「先取特権(さきどりとつけん)」は民法学上の理論である。

例えば道端(みちばた)に転がっている、誰のものでもない珍しい石とか、きれいな花を勝手に自分のものにしていい、という理屈だ。

15世紀から始まった大航海時代(ザ・グレイト・ナビゲーシヨン)には、スペインとポルトガルがアメリカ大陸やアジア・アフリカでの植民地の獲得と支配権をめぐって争った。「この土地は自分のものだ」と、ローマ法王の前で大ゲンカを繰り広げた。1494年のトルデシリャス条約である。この時、誰も発見・占領していない土地に関しては最初に発見した人のものになる、という考え方が生まれた。

これが無主物(無主地(むしゅち))先占 occupation(オキユペーシヨン) の法理である。

だがしかし、この「先占(せんせん)の理論」で領有権が成り立つと考えるのもおかしい。争っている当国どうしの話し合いで決めなければいけない。日本と中国の戦争(大規模の軍事衝突)は何としても避けなければいけない。

それが大人の態度だ。「尖閣については、もともと領土問題は存在しない」などと、もうどんな偏狭な人間でも言えなくなった。領土の領有(権)とは、その土地(島)の国家主権(ソブリーンティ sovereignty )のことである。いちばん簡単に言えば、その土地(島)所有権のことだ。そしてそれは外交交渉で決着したものでなければならない。

1894年(明治27年)の日清戦争に勝利した日本は、翌年に、清国との間で日清講和条約(下(しもの)関(せき)条約)を結んだ(1895年5月発効)。これで、日本は清国から台湾と澎湖(ぼうこ)諸島の割譲(かつじよう)を受けた(下関条約第5条)。尖閣諸島は、この台湾の一部だったのである。沖縄(県)の一部だったのではない。

● 戦後の世界体制を決めた「ヤルタ会談」

日本を含めて、現在の世界体制は、国際連合( United Nations(ユナイテッド・ネーシヨンズ) 本当は「連合諸国」と訳さなければいけない。その理由はあとで書く)を中心にできている。連合諸国(アライド・パワーズ)(その軍事部門を連合軍と言う)が、敗戦国である日本とドイツ(とイタリア)を〝処分〟してできあがったのが今の世界体制である。このことを私たちは認めながら生きている。だから、今の国際社会とはヤルタ=ポツダム体制のことである。


ヤルタ会談。左からチャーチル、ルーズヴェルト、スターリン。この連合諸国側の3人の合意事項で、戦後の世界体制が決められた。日本はその体制を受け入れている。

この戦後体制を作った連合諸国側の合意事項は、すべて「ヤルタ会談」 Yalta(ヤルタ) Conference(カンフアレンス) で決められた。ヤルタ会談は、クリミア半島のヤルタ(現在のウクライナ)で、ドイツの敗戦(4月末)が間近となった、1945年(昭和20年)2月4日から2月11日まで行なわれた首脳会談である。ここでアメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領と、イギリスのウィンストン・チャーチル首相と、ソ連のヨシフ・スターリン書記長の3人が話し合って、世界の戦後体制を決めたのである。

このヤルタ会談では、台湾の処理問題も話し合われた。この会談には当時の中国(中華民国)国民政府主席の蒋介石(しょうかいせき)(チアン・カイシェック)は参加していない。だが、その1年3カ月前(1943年11月)に開かれた、ヤルタ会談の前段階である「カイロ会談」には出席した。ヤルタ会談で、「日本の占領地区である台湾は、中華民国に返還する」と決まったのである。このことは、蒋介石が参加したカイロ会談で決まっていたこと(カイロ宣言)の再確認でもあった。

ヤルタ会談に基づくヤルタ協定は、秘密協定(極東密約)である、とも言われている。その国際法上の効力を否定する主張を唱える学者もいる。

しかし、そんなことを言っても、現に私たちが生きている今の世界(これが国際社会だ)は、ここで枠組み、骨格ができたのである。「ヤルタ=ポツダム体制」と言う。「ヤルタ協定」を土台にして、日本に降伏を勧告した「ポツダム(会談)宣言」を日本政府は受諾した。そして今の日本がある。誰も否定できない。

ヤルタ会談では、ルーズヴェルトとチャーチルとスターリンの3人で、「ドイツが降伏したあとの3カ月以内にソ連が日本に宣戦布告すること(日ソ不可侵条約の破棄)や、その見返りに千島列島・北方領土のソ連の占領(占有)を認める」ことなどが決められた。私は、この本では北方領土の問題については議論しない。

●「施政権」(しせいけん)と「主権」の違い

念のため繰り返すが、ヤルタ会談の合意事項として日本に対する処分を具体化したのが、翌年のポツダム宣言 The Potsdam Declaration(ザ・ポツダム・デクラレーシヨン) である。ポツダム宣言は1945年7月26日に発せられた。このあと日本政府はグズグズしていたので、原爆が広島、長崎に投下された。

ポツダム宣言の中で、連合諸国(ユナイテツド・ネーシヨンズ)は、「日本はカイロ会談で決めたこと(カイロ宣言)を受け入れて実行すること」「日本の主権がおよぶのは北海道、本州、四国、九州と、連合諸国側が決める諸島に限定すること」を明記した。日本はこれを受諾して、降伏文書に調印した。

だから、戦後世界体制の決定(決断)を認めるならば、台湾および澎湖諸島が中国に返還されることを、日本政府は受け入れなければならない。

そこで、である。今の日本の外務省は、尖閣諸島は(下関条約で割譲された)台湾と澎湖諸島には含まれない、と主張している。だが、世界的な見方からは、台湾と澎湖諸島は日本が植民地として占領していた地区であり、尖閣諸島は台湾諸島の一部と認定されていたようである。

だから、尖閣諸島は台湾という国の主権 sovereignty(ソブリーンテイ) に属するはずなのである。だから最近、台湾(馬英九(ばえいきゅう)政権)が、あらためて尖閣諸島の領有権(主権、所有権)を強く主張し始めた。

さて、さらに時代が下って、1972年(昭和47年)5月17日に、沖縄の「施政権(しせいけん)」がアメリカから日本に返還された。この時、南西諸島の一部である尖閣諸島の「施政権」も日本に戻ってきた。アメリカ軍が管理していた諸島が、沖縄県の一部として、その「施政権」が日本国に返還されたのである。

沖縄を含む南西(なんせい)諸島(八重山(やえやま)列島など)は、サンフランシスコ平和条約(1951年9月)でアメリカの施政下に置かれた。この海域はアメリカ海軍の管理・パトロール(遊弋(ゆうよく))下にあった。この施政権(管理権)が日本に返されたのである。

それ以来、日本の海上保安庁が尖閣諸島を実効支配( effective(イフエクテイブ) control(コントロール) あるいは de facto(デ・ファクト) control(コントロール) 事実上の支配のこと。権利の適正、違法を問わない)している。すなわち尖閣諸島はアメリカから(施政権を)返還されたのだ、という考え方である。

この施政権 administration(アドミニストレーシヨン) right(ライト) というのは、主権ではない。前述したように主権(国家主権)とは、簡単に言えば国の所有権のことである。

この所有権(尖閣諸島の所有権)は、やはりどう考えても台湾に帰属している。私の冷静な判断ではそのようになる。それがヤルタ=ポツダム体制を前提とした、現在の戦後の世界秩序なのである。このことをアメリカの国務省もよく理解している。

欧米人の普通の感覚では、こういう島々は、暫定的(ざんていてき)な権利( provisional(プロヴイジヨナル) right(ライト) )として、provincial(プロヴィンシャル。小さな地方、限定地域)として、アメリカが国際連合から暫定的に委託されて信託統治( trustee トラスティ)している、と考える。だから、アメリカ国務省は「日本と中国の2国間の領土紛争には立ち入らない」と正式表明しているのである。アメリカ国務省はよく分かっているのだ。

ところが、彼らの長官であるヒラリー・クリントン国務長官が「尖閣諸島には、日米安保条約第5条が適用される」と、中国首脳に言いに行った。アメリカ国務省は、それは長官の勝手な行動だと考えている。

● 外交交渉(話し合い)でしか決着できないこと

この「尖閣諸島は台湾の領土であること」については、さらに時代の進展がある。日本とドイツが敗戦(降伏)したあと、1946年6月から国共内戦(こっきょうないせん)が起きた。

中華民国の総統であった蒋介石(中国国民党)と、毛沢東(もうたくとう)(マオ・ツォートン)が率(ひき)いる中国共産党が中国全土で戦った。3年間にわたる内戦で、国民党は負けてしまう。1949年12月には、蒋介石は政府機構や軍隊とともに(アメリカの軍艦で)台湾へ撤退していった。故宮(こきゆう)(紫禁城(しきんじよう))の財宝・美術品をごっそりと船に積んで。そして中華民国は中国大陸と分離した形になった。その2カ月前の10月1日に、北京で毛沢東による中華人民共和国の建国が宣言された。

それから22年経(た)って、1971年に、中華人民共和国の国連への加盟が国連総会で承認された(10月25日)。あんなに世界中から恐れられた「共産中国」の、中国国内での度重(たびかさ)なる民衆虐殺事件がいくつもあったが、そのことと国際社会は別である。

その国の国内での騒乱、大事件と国際社会は冷静に別ものである。国際社会は中国を温かく迎え入れた。連合諸国(ユナイテツド・ネーシヨンズ)(国連)が中華人民共和国を正式な中国政府と認めたのだ。この時、台湾(中華民国)は国連から追放された。これで中国の正統(レジテイマシー)な政府が、北京の政府になったのである。

中華人民共和国政府は台湾のことを「台湾省」だと考えている(台湾省を入れると中国の省は23になる)。すると、この台湾省の一部である尖閣諸島も自分たちのものだ、という理屈になるのである。

このようにヤルタ=ポツダム体制――これが国際社会だ――から考えると、どうしても尖閣諸島の所有権(主権)は、台湾あるいは中国に帰属すると考えるしかない。このことを日本のテレビや新聞は、ひと言も言わない。日本国民に教えようとしない。だから、私のような世界基準( world values(ワールド・ヴアリユーズ) )でものごとを考えることのできる知識人が書くしかないのだ。

「尖閣は日本の領土だ、固有の領土だ。昔からそうだ。古い地図もある」と、日本人は感情的になって主張する。だが、それは相手との交渉がなければ決められないことである。何らかの合意がなければだめである。相手の意思を十分に聞こうともせずに一方的に主張するのは、おかしいを通り越して、見苦しい。さらに、アメリカ(米軍)から返還されたのだから、だから日本に領有権(主権)がある、という理屈も成り立たないことは、これで分かっただろう。

中国人たちが「日本人は国際社会のルールを知らない。歴史の勉強ができていない」と主張しているのは、おそらくこのことだと私は思う。私たちは相手の意見を聞くために、中国政府の高官や言論人を、テレビ、新聞社が招いて、自らの考えを十分に言わせるべきなのだ。それをまったくやらせようとしない。

「相手の意見をよく聞いてから」と、日ごろ口ではものすごく言うくせに、国際問題、政治問題になると、とたんにこれである。戦後68年間の、アメリカによる日本人国民洗脳というのは恐ろしいものだ。日本の教育現場も偏(かたよ)っている。

日本政府は、尖閣の実効支配というコトバを使わなくなった。実効支配とは、「自分たちの側から見れば合法行為であっても、自分たち以外の側(日本にとっての外国)から見ると不法な占領状態であるかもしれない」ということだ。日本人の多くは、今もこの実効支配(実力支配)を大きな根拠にして、尖閣の領有を信じている。実効支配しているかどうかは、理論(理屈)ではない。

日本政府(外務省)も、これだけの争いになってようやくハッと気づいたようだ。だから実効支配というコトバを、もう積極的には使わない。国際社会(世界)に向かって、「尖閣は実効支配していますから」では説明にならない。居直っているとしか思われない。みっともないったらありゃしない、である。野田首相は、よくもまあ国連総会(9月26日)で「国際社会の法と正義に訴える」と言えたものだ。「国際社会」とは何か、が分かっていない。国際社会とは「戦後の世界体制」のことであり、「ヤルタ=ポツダム体制」のことなのだ。

だから何としても話し合いをして、日本の主張と中国の主張を闘わせながら、折り合いをつけなければならない。何があっても話し合いで決着するべきだ。この海域の共同管理、共同開発で折り合うべきだ。アジア人どうしで、また騙されて、戦争をすることになったらどうするのだ。「アジア人どうし戦わず」は、長年の私の血の叫びだ。

日中両国は、これまで双方の血のにじむ努力で平和にやってきたのである。共産主義の中国で、たくさんの人が殺された、だから中国人残虐だ、というのは中国国内の話である。だから中国人は信用できない、不気味な民族だ、などと言うのは、自分のことを省(かえり)みないで吐く暴言だ。それは右翼たちの歪(ゆが)んだ精神から出てくるコトバだ。他人(ひと)のことを蔑(さげす)むだけの言動は慎(つつし)まなければいけない。人間はつねに努力して、他者に対して上品でなければいけない。

●「棚上げ」はいつから始まったのか

尖閣諸島の「(主権の)棚上げ論」というものについて説明しておく。

1972年(昭和47年)9月29日に、北京で日中共同声明が調印された。この日、日本と中国の国交の回復が決まった。中国の周恩来(しゅうおんらい)(チョウ・エンライ)首相(国務院総理)と、日本の田中角栄首相と大平正芳外相が4日間にわたる首脳会談を経て合意した。

この時、会談の3日目に、田中角栄が、周恩来に「尖閣諸島についてどう思うか。私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」と聞いた。周恩来は「尖閣諸島問題については、今、これを話すのはよくない。石油が出る(と分かった)から、これが問題になった。石油が出なければ台湾も米国も問題にしない」と答えた。この発言は外務省の公表した会談記録に残っている。日本と中国の首脳どうしが尖閣諸島問題に触れたが、それは将来の課題として残そう、ということにした。「棚上げ論」は、この時の田中・周会談から始まった。

そしてこの日中国交回復から6年後、1978年(昭和53年)8月12日に、日中平和条約(日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約)が結ばれた。これを講和条約とも言う。すなわち平和条約(ピース・トリーテイ)とは「戦争終結条約」のことなのである。日本国民はこのことも教えられていない。

「平和条約を結んで、ようやく両国の戦争状態は終わるのだ」ということを、小学校でも習っていない。日本人は、世界から見たら子どものような国民だ。本当に大事なことは、何も教えられていない。本当だぞ。

この平和条約締結 は福田赳夫(ふくだたけお)政権の時である。この時に、初めて尖閣諸島の主権の「棚上げ」案が中国側から先に持ち出されたことになる。

福田赳夫首相と鄧小平副首相。鄧小平は、日中平和条約の批准書交換のために、1978年10月に来日した。この時、鄧小平は記者会見で「(尖閣問題は)将来の世代が賢い知恵を出し合って解決するだろう」と、「棚上げ」することを明言した。

●田中角栄系だけでなく福田赳夫系も中国と太い人脈を持つ

このあと1978年の10月22日に、〝不死身の復活〟をして最高実力者となった鄧小平(とうしょうへい、ダン・シャオピン)副首相が、日中平和条約の批准(議会承認)書の交換という名目で来日した。その時、鄧小平は記者会見で尖閣諸島問題について質問されて、こう答えている。

「(1972年の)中日国交正常化の際に、(日本と中国の)双方は、この問題に触れないということを約束した。今回、中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に触れないということで一致した。こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思う。10年、棚上げにしてもかまわない。我々の世代の人間は知恵が足りない。(だが)次の世代は、きっと我々よりは賢くなるだろう。その時は必ず、お互いに皆が受け入れられる、よい方法を見つけることができるだろう」

ここで鄧小平の口から、はっきりと「棚上げ」というコトバが出ている。鄧小平が、日中両国は尖閣の領有問題に触れないことで一致した、と言った。おそらく、この合意事項は覚書き(メモランダム)の形で交わされて、外務省に保存されて(隠されて)いるはずである。

この「棚上げ」とは、尖閣諸島周辺では、日本と中国のそれぞれの国の海上警察が、自国の漁船などに対して規制や管理を行なうということである。だから、日本の巡視船(海上保安庁)は中国の漁船を捕まえてはいけない(逆もいけない)のだ。自分の国の漁船しか取り締まれない。

ところが、これを当時の沖縄及び北方対策担当大臣(直後に外務大臣となる)だった前原誠司が2010年9月8日に、勝手に破った。前原誠司は、アメリカのヒラリー・クリントンたちの意を受けて、海上保安庁に中国漁船を拿捕(だほ)させたのである。

それを、まるで中国漁船のほうから、日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってきたように見せかけた映像を(内部から)流出させた。日本の巡視船が2隻で中国漁船を両方から挟(はさ)み撃ちにして、逃げられないようにして、幅を次第に狭(せば)めていった。そして停止させて拿捕したのである。


2010年の尖閣漁船事件。この直後に前原誠司が外相に就任

このことは、私は自分の何冊かの本ですでに書いた。前原は「(棚上げを合意した)覚え書きなどない」と言い切った。が、このことについて外務省は今も口ごもって、黙っている。

●「尖閣は日米安保の適用範囲」と言うアメリカの内部でも分裂がある

棚上げを前提として、日中両国で尖閣周辺を平和的に共同管理するという考え方でずっとやってきた。それなのに、またしても仕組まれて、日本のほうから手を出して火をつけてしまった。「国際社会」は、おそらくそういう判断を下す。

石原慎太郎東京都知事が2012年4月16日(米東部時間)に、突然、アメリカのヘリテイジ財団 Heritage Foundation(ヘリテイジ・フアウンデーシヨン)に呼ばれて行って、妙な感じで記者会見した。尖閣諸島を東京都が買い上げるという案をぶち上げた。それで買い上げ資金として、15億円以上の寄付金(本当は寄付控除を受けられない義捐金。税法上は捨て金扱い)が集まった(2012年10月11日現在で14億7758万5690円)。

ヘリテイジ財団は、1973年に設立された、アメリカで強固な伝統保守思想を持つ人々の集まり(シンクタンク)である。私も訪ねたことがある。フーバー大統領やレーガン大統領の写真がホールの壁に飾ってあった。今は、凶暴なネオコン派に乗っ取られている。ここで「こういうふうにしろ」と石原都知事は指図を受けて、アメリカから発言したことが誰の目にも映った。

これで〝尖閣の火付け役をしたシンタロウ〟という素晴らしい称号を与えられて、石原慎太郎(80歳)という文学者崩れ(か、上がり)の政治家が退場してゆく。「慎太郎さんも、まったく余計なことをしたものだ」と経営者たちが怒っている。なぜなら今や2万3000社の日本企業が中国に進出しているからだ。スタンドプレーばかりをやり続けた人生だった。保守系の財界人たちでさえ、「石原都知事はとんでもないことをしてくれた。私たちは中国でビジネスをやっているから大変だよ」と言っている。

アメリカのヒラリー・ロダム・クリントン国務長官は、この9月4日に中国の習近平(しゅうきんぺい)(シー・チンピン)副主席(次の国家主席)に、「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用範囲です。何かあったら米軍は日本軍を助けて出動します」と直接、言おうとした。

ところが習近平は仮病を使ってヒラリーに会わなかった。それで、今度は自分の子分であるレオン・パネッタ国防長官を中国に派遣した。そして9月19日に、「尖閣は日米安保条約第5条(共同防衛)の適用範囲だ」と、あらためて宣言した。ところが、ヒラリーのこの態度に対して、アメリカ国務省はすぐに「尖閣諸島の領土問題で、日本と中国の主張に関してアメリカは中立の立場をとる」と言っている。それぞれの国内に分裂があるのだ。

日本の右翼たちは、このあと尖閣に灯台などの設備をつくって警察を駐留させろ、と今の時点で主張している。そして、「どうせ中国は攻めてこない。日本の海上自衛隊に適(かな)うはずがない」と、希望的かつ楽観的な観測を一様に述べている。これは、夢と希望と願望で相手の出方を推測しているにすぎない。中国の激しい怒りと、それを形成している歴史認識と国際社会の見方を無視して、日本側が自分勝手な主張を押し通そうとしても、どうせうまくゆかない。

私たちは、現在と将来にわたって責任ある言動をしなければいけない。この緊迫した時期に、真剣に知識を集め、深く考えなければいけない。すぐにでも日中の政府間の話し合いを始めるべきだ。それが大人の態度というものだ。日中の戦争だけは絶対に避けなければいけない。

(転載終わり)

副島隆彦です。
この文章を読んで、「施政権」と「主権」の違いというものを理解してください。そして、ワールドヴァリューズ、すなわち国際法に基づいた解決とはいかなるものなのか考えてみて欲しい。そうなると、棚上げがもう通用しないのであれば、結局は、私が最初に紹介した、橋下徹大阪市長のいうような、国際司法裁判所で決着を付けるというやり方しかできない、という結論になるはずです。

副島隆彦拝

 

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