「1330」SNSI・夏季研究報告から 「今こそ3分で読む小室直樹の『新戦争論』」六城雅敦(ろくじょうつねあつ)・記 2012年9月14日
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※SNSI・副島国家戦略研究所では、今年の9月上旬に18人が参加して夏季合宿を開催しました。その際に各自が自分のテーマを発表しております。研究発表を論文・報告にして皆様にご報告します。第2回目は六城雅敦(ろくじょうつねあつ)研究員の「今だから読む小室直樹の『新戦争論』」です。尖閣諸島問題で世論が熱くなりがちなこの夏に小室直樹の本から何を学べるか、六城氏の報告です。小室先生は尖閣問題は「棚上げ」と既にこの昭和56年に主張しておられたというのは驚かれる方もおられるのではないでしょうか。
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今だから<3分で>読む小室直樹「新戦争論」
2012年9月、六城雅敦(ろくじょうつねあつ)
30年前にソ連崩壊、EU統合の失敗、尖閣・竹島領有問題を予期していた。日本の国際社会への幻想、楽天的平和主義、国連という一機関への誤解。さらに国民国家の理解と国際社会のあるべき姿を通して戦争の意義を捉えた名著を読む。
■本書が上梓された頃の日本
本書は昭和56年(1981年)5月に出版されました。その一年前に小室直樹は「ソビエト帝国の崩壊」を上梓し、注目されるようになりました。当時はまだまだ冷戦まっただなかでソビエト連邦(ブレジネフ書記長)は健在です。アメリカはレーガン政権、国内では鈴木善幸首相、海外ではダイアナ妃成婚が話題であり、国内では松田聖子・田原俊彦ら歌謡曲が全盛です。この年のベストセラーは窓際のトットちゃん、テレビではドリフに変わってたけし・さんまの「俺たちひょうきん族」です。
■「新戦争論」のテーマは5つ
まず本書では国内の平和主義運動に懐疑を示しています。反ベトナム運動から続く空想的平和主義が戦争を引き起こすのであると断罪しています。
「戦争」という言葉を忌み嫌うばかりに国民ばかりか国際社会でも言い換えて文明史を直視していない問題にも言及しています。そこから日本政府がもつ国連への幻想と国民国家の十分条件をわかりやすく説明しています。さらに踏み込んで国連を国際社会そのものと勘違いする日本の文化的要因を考察し、主権国家であるためには戦争を国際紛争解決の一手段として捉えて戦争への備えと回避を日頃から意識していくことが真の平和主義であると締めくくっています。副島隆彦先生によると、本書は小室直樹氏が講師として外務省で行った勉強会での原稿が元になっているそうです。
1.平和主義者が戦争を引き起こす
個人の心の持ちようで平和が訪れるという“奇妙な念力主義”は戦前の神州不滅主義となんらかわらないと、現在の空想的平和主義を小室直樹は諫(いさ)めています。
第一次世界大戦後のヨーロッパにおいても「もう戦争はこりごりだ」という市民の想いが全土へ平和主義運動(パシフィズム)という拡がりを生みます。戦火で灰燼となったドイツではヒトラーでさえも当初は平和を訴え、平和主義運動がドイツに不安定な連立政権を誕生させました。連立政権で脆弱な政権のヒトラーはフランスとの中立地帯への軍の駐留や空軍の創設、戦車隊の増員などといったベルサイユ条約の露骨な蹂躙を行います。ところが平和主義運動の蔓延がイギリスのチャーチルにナチスドイツへの軍事制裁を躊躇させたのです。なぜなら英仏両国の政治家は武力行動反対の声に迎合せざるを得なかったのです。(まるで現在の日本は侵略を許した70年前のフランスのようではありませんか。)
1933年(昭和8年)1月にヒトラーが不安定ながらも政権を獲ると、ベルサイユ条約を破棄して再軍備を急ぎ、1936年(昭和11年)3月にはとうとうフランス側ラインラント中立地帯へ進軍を開始します。
フランス政権は混乱しており、武力行使を決定する指導者不在であるとのヒトラーの判断がみごとに的中しました。以後はヒトラー支持が急激に高まりパシフィズム運動は一転して好戦主義へと変貌します。
1-1.日本には今も昔も軍国主義者はいなかった
戦前は軍国主義者が蔓延(はびこ)っていたために日本は無謀な戦争へ突入したと国民には信じられていますが、軍国主義者は戦前も戦後の現在においても登場していないと小室直樹は述べています。軍事的な話題がのぼるとすぐに軍国主義や憲法九条違反という論調となりますが、真の軍国主義はそのようなものではないのです。自国と敵国の優劣を判断し、戦争に勝つことを目的とした思考を指すとすれば、戦前も戦後にも国内には軍国主義者はいないのです。日本の軍国主義は偏った精神論に過ぎません。
一方でアメリカの大学には軍事学部があり、軍事研究は大学生までもが行っています。日本は今でも軍事研究はタブーとされ、知らないことが戦争を起こさないことだという信仰にまでなっているのであると指摘しています。
1-2.(参考)ドイツの再軍備はエドワード・ヘンリー・ハリマンの出資で行われた
副島先生の解説によるとヨーロッパにパシフィズムを広める一方で第一次大戦後のドイツでヒトラーの戦車隊をつくり再び戦時体制へとヒトラーに促したのは、鉄道と投資銀行をもつエドワード・ハリマンであり息子のウィリアム・ハリマンであるそうです。ハリマン社には父ブッシュの父、子ブッシュの祖父であるブレスコット・ブッシュが在籍してます。
1911年(明治44年)頃から欧州財閥に対してアメリカ新興財閥へと勢力が移り旧財閥系(ロスチャイルド)と当時新興であったロックフェラーが第一次世界大戦を引き起こしたのであると大局的には言えるのです。第一次大戦後、民衆に広がった平和主義運動(パシフィズム)は日米間での太平洋問題調査会(The Institute of Pacific Relations:IPR)に引き継がれ、そして対日工作の実行部隊として利用されました。また国内にもいわゆる岩波文化人(左派)と呼ばれる層が現れたのもこの時期です。パシフィズム運動は自然発生したのではなく、世論操作のために周到に準備されていたのです。
1-3.平和とは戦争のない状態ではない
小室直樹は「平和」とは「安定し均衡した形で長期間維持するシステムであり、そして複雑で微妙な人工的なしくみなのである。」と定義しています。さらに戦争より合理的かつ実効的な国際紛争解決手段を考案しない限り、戦争は消滅するはずがなく。もし将来戦争を回避できる体系ができたとしても戦争遂行をはるかに上回る複雑かつ微妙で、もっと組織力があり能率も規律も高い体系であると述べています。
つまり戦争を回避するためには、単純な軍事力以上に統率された能力の高い組織がなければならないのです。
戦争は個人の良心の問題に帰着する単純素朴な問題ではないのです。個人が願望を持つことは自由であるが、社会全体にまで強制して国内で内ゲバといった紛争を起こす矛盾を抱えています。
全面降伏論者の言うとおり他国のどんな不条理な要求も受け入れてしまえば、そのような国益をわざわざ損なう政府はすぐに崩壊してしまいます。
また非武装中立論者も、中立国の必要条件が不偏・中立であるために他国軍隊による国土の利用や便宜を排除しなければならないことを知っていれば、まず駐在する米軍を国内から追い出さねばならず、そのために軍備を増強して、まず米国と戦わなくてはならないという本末転倒な結論になります。(新戦争論を読み進めると社民党党首の福島瑞穂がいかにとんちんかんかがよくわかります。)
2.戦争は紛争解決の一手段である
小室直樹は本書で以下のように記しています。我々が国際社会という言葉の響きにUniversal(普遍的・万能的)な期待を寄せることは大きな誤謬(ごびゅう)であると指摘しています。戦争以外の紛争解決方法の萌芽さえまだないのであれば、戦争という採集手段は用意しておかなければならないのです。
(貼り付けはじめ)
戦後日本はなんとなくうまく行っているのではなく運が良いだけである。万事受け身でリーダーにはならず二番手主義で上手く立ち振る舞った結果がたまたま良かったのである。しかし国際社会の客観情勢は出鱈目の気まぐれに変化するものではなく、何らかの関連要素が並び国際社会の本質に基づいた変化があるのである。過去の教訓が未来にも当てはまる限界を見極めつつも歴史を学び、長期的巨視で眺めれば先見性は身につくのだ。
国際社会の本質とは
・国際関係には少なからず紛争がある。
・紛争は解決されねばならない
・戦争は、そのような国際紛争を解決するための一つの手段である。しかもそれは最終手段である。
戦争より合理的で、より実効的な国際紛争解決の手段はまだ考案されていない。 もしそれが考案されれば、戦争という手段は自然に消滅するだろう。それ以外に戦争をなくす方策があるはずがない。
(貼り付け終り)
2-1.しかし尖閣・竹島領土問題は棚上げが合理的である
30年前にすでに小室直樹は日本の領土問題にも言及しています。経済資源の利害関係が希薄であれば、双方ともに法的根拠を国際社会にむけて発言しつつ、国家の体裁のためだけなら棚上げが合理的な判断であるとしています。
(貼り付けはじめ)
戦争は私怨(しえん)ではなく、主権国家間の紛争解決の手段である。国際社会が仲裁に入れば戦争には至らないという結論に辿り着くことは当たり前であるが、平和的な解決がない状況に至って国際社会が割ってはいるということはすなわち武力介入を意味するのである。つまり第三国は武力介入だといい、国連は強制行動と呼んで一つの戦争を別の戦争に置き換えるだけに過ぎないのである。
中国との尖閣列島、韓国との竹島は事実上両国間で棚上げしてしまった。両国とも領有権の主張や法的解釈はそのままである。なぜ二つの紛争が関係当事国の死活問題にならないかというと、特に経済的資源の面からは具体的な利害関係が希薄なのである。結局建前として法的な紛争に過ぎないのであればおのおのが法的立場を明確にしておけば済むことだ。それ以上の意味を持つようになれば、さらに一歩踏み込んだ解決を図らざろうえない。
(貼り付け終り)
2-2.実効支配されている北方領土の平和的解決は困難である
尖閣、竹島は実質棚上げが妥当な対応であるとしていますが、北方領土はソ連(当時)が実効支配をしている限り軍事的解決以外はありえず、戦争を望まない以上、解決はほぼないと判断しています。
(貼り付けはじめ)
日本の歴史的根拠に対してソ連は連合国の敗戦処理で正統に領有した立場をとっている。両国にとって正統性の問題である。しかし北方領土の場合ソ連が軍事基地を置き実効的支配を達成しているのである。もし日ソ両方にとって致命的な問題ならば可及的すみやかに解決せざるを得ない。つまり戦争を覚悟することである。 ソ連が北方領土を返還する可能性は二つしかない。日本の実力行使で強制すること。もう一つは客観的情勢の変化により返還の気運がソ連内で高まることを気長に待つだけである。
(貼り付け終り)
2-3.(参考)1982年アルゼンチンとイギリスによるフォークランド戦争
本書発売の翌年には1982年3月19日フォークランド諸島にアルゼンチン軍が駐在邦人警護と称して駐留が発端となりフォークランド戦争が勃発しました。
島自体の経済的価値は相対的に低かったものの、フォークランド諸島は冷戦下において南大西洋における戦略的拠点として非常に重要な位置を占め、パナマ運河閉鎖に備えてホーン岬周りの航路を維持するのに補給基地として必要であった上、南極における資源開発の可能性が指摘され始めてから前哨基地としても価値がにわかに高まっていたのです。
西側諸国同士の初の戦争はアルゼンチンの降伏をもって3ヶ月で終わりました。結局150年に亘る領有問題はたった3ヶ月で片付いたのです。
2-4.戦争は副作用のない消極的な万能薬
国際社会の歴史は地上における政治的権力の配分が変更されてきた記録であります。その課程にはかならず戦争があり、負の面だけではなく戦争によりもたらされた事実にも注目しなくてはいけないと説いています。
たとえばフランス王の王位継承を巡ってイギリス王とフランス王による14世紀中から15世紀中頃にまで及んだ英仏の100年戦争では戦争中に国民の政治意識が芽生え、ジャンヌダルクの登場でヨーロッパ初の国民国家が生まれました。
17世紀のドイツでも30年にわたるカトリックとプロテスタントの紛争はハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家間の紛争と形を変え、近代国家への転換の契機となりました。
三つ目の例では第一次大戦後に勃発した南米パラグアイとボリビアによるチャコ地方の領土紛争があります。4000mもの高地のパラグアイと海岸沿いの低地にあるボリビアでは、互いの兵士は敵陣では過酸素症や高山病で闘う前に倒れてしまい、今では両国間に領土紛争はなかったことになっているのです。このように戦争により体制や国家関係の変貌と遂げた例は数多くあります。
わが国でも日米開戦がなければ、当時の北東アジア大陸の支配権を巡る深刻な国際紛争はどのようになっていたのでしょうかと小室直樹は問いかけています。おそらく日米両国に関わる極東情勢は、手のつけようもない不透明で不安定な重苦しい様相を呈していたであろうと結論づけています。
3.「現状維持」を続けても双方の「正義」が戦争を生む
本書が記された当時は、日米間では自動車対米輸出が大きな問題となっていました。小室直樹は経済問題による紛争は、それほど深刻にはならないと述べています。理由は両国の利益配分が焦点となるので、それは話合いと譲歩で解決するからです。
しかし一国の「正義」に関わる問題となると話は別で、例えば成長する国では勢力拡大を是とする「正義」が、また衰微する国では勢力圏の既得権の死守を是とする「正義」があるので、経済問題のように足して2で割るという解決策はないのです。第二次大戦では「生存圏(レーヴェンスラウム)」とドイツは言い、「大東亜共栄圏」と日本では言い、両国共に勢力拡大は主権国家の正義であったのです。もし国際社会内で話合いの決着がついたとしても、現状維持に沿った内容に過ぎず、各国の「正義」に合致することはありえません。
3-1.戦争を限定することは無意味である
第一次大戦後、一九二八年の不戦条約では、さらに国際連盟の規約を一歩進めて、その第1条において、各締約国は、「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄(ほうき)スルコト」を合意しています。しかし「戦争」という文字を不用意に二度も使用したことで、条約成立後も現実には戦争が続発しました。列強国は自衛権の行使、または武力行為は戦争ではないという理屈で国際的な非難を回避しました。日本でも戦争行為を「事変」と言い換えていることが好例です。
国連の基本理念「現状維持」を是としてしまえば、政治権力の再配分がなされず国際紛争はますます袋小路に入ってしまうと小室直樹が指摘しています。現実的には国連軍(平和維持軍:PKF)の派兵は建て前にすぎず、多くの国では派兵は消極的です。
3-2.「国際紛争解決ノ為戦争」以外の戦争はない
国際連盟設立の趣旨は戦争を全面的に放棄することが目的ではなく、国際紛争解決の手段として戦争を放棄するという宣言でした。その後の国連でも自衛権の行使や安全保障条約での各国の武力行使は当然合法とみなされたので、戦争の質による区別は意味がないばかりか、文明史の本質が見えなくなってしまうと小室直樹は結論づけています。
3-3.大戦後の国連憲章では戦争の言葉は消えた
国連憲章では国際連盟の蹉跌を踏まぬように注意深く言葉が選ばれたものの、国家間の戦争を自衛権行使や国際武力紛争と言い換えてはいるが、法規上では区別できないことを国連でも認めざるを得ないと指摘しています。このように、現代国際社会は、国際的性質を有する武力闘争に、理論上も実際上も特別の差違を認めない方向に、移行しつつあり、もはや、戦争と、そうでない武力紛争とを区別する実益は、もうなくなったものと考えて不戦条約の頃の広義の「戦争」に国連は戻ったほうがよりわかりやすいと指摘しています。
4.ナンセンスな国連中心外交
当時の外務省の外交三本柱を単に語感が良いだけで安易に「国連中心」と謳っていることを非難しています。当時の外交三本柱とは「国連中心主義」 「日米同盟」「アジア重視」 です。
小室直樹は国連の本質を以下の四箇条であると示しています。
1. 国連憲章では戦争を拒否していない
2. 国連は建前としてユニバーサルな機関ではない
3. 国連は第二次大戦後の現状維持の執行機関である
4. 国連は各加盟国が一般的な政治的了解を相互に模索する場である
このように国連とは主権国家の国際政治上の場のひとつでしかないと断定しています。さらに当たり前ですが各加盟国は、自分の主権を制限して国連に委譲しようなどという考えはなく。むしろ、事ごとに、主権の絶対を強調する場なのです。つまり国連とは各加盟国であり、結局自国のことは自国で判断し決断を下すしか方法がないのです。
4-1.「自衛」がつけばなんでもOK、集団的自衛権の欺瞞
国連憲章は、4種類の戦争を認めています。それは
1)個別的自衛権
2)集団的自衛権
3)第二次大戦の敗戦国への「敵国条項」の発動
4)国連自身による「強制行動」
いずれも、当然に武力行使が想定されるので、まさに戦争行為そのものです。
集団的自衛権は第二次大戦前にはなかった言葉です。当時の集団安全保障機構(西側のNATO機構や東側のワルシャワ条約機構、日米安全保障条約)も集団的自衛権の範疇に含まれます。つまり加盟国の一つが武力攻撃を受けた場合は、他の加盟国は武力を持って救援する義務があると国連では定義しています。小室直樹は「権利を義務に転換するとは放れ業もいいところだ。とどのつまり集団的自衛権とは大戦前の軍事同盟と何もかわらない」と指摘しています。
4-2.「国連」の真の名称は「連合国機構」
第二次大戦中、連合国側はいろいろな呼称を用いました。アライド・ネーションズ、アライド・ワパーズまたはアライズなどと称して、統一はなかったそうです。しかし一九四七年(昭和二二年)の「連合国共同宣言」では「ユナイテッド・ネーションズ」の呼称を用い始めています。
副島隆彦先生の解説によると太平洋戦争開始前に、イギリス首相のウィンストン・チャーチルと、アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトにより大西洋憲章が掲げられたが、実体は戦後のヨーロッパの主導権はイギリスとアメリカが行うという確認であったそうです。しかし太平洋戦争の前後には北東アジアの支配権を取り決めた太平洋憲章は結局大国間での合意に至りませんでした。その理由は植民地であるアジア諸国が独立してしまうと英米両国に反抗することが予想されたためです。このように国連や大西洋憲章は権益を保有する国家による単なる結社なのです。
4-3.国連は国際「社会」ではなく「結社」である
日本人は社会を自然発生的にできたもので、その決定を天啓であるかのように錯覚していると小室直樹は指摘しています。逆に欧米人は社会を恣意的な組織であると認識しているので加盟国であっても齟齬が生じる原因となっています。ただし欧米人のとらえ方も誤りであり、国連を理解するには、社会とは自然と文明の中間的なものと考えることが妥当だと述べています。しかし国際連盟から国際連合にいたるまで社会と結社を混同して使った混乱は続いているのです。
欧米人の思想は、文明は人為的であり、国連も憲法も人工的なものであるというものです。現状に合わなければ積極的に修正変更破棄をするべきであると欧米人は捉えています。つまり文化や制度は人が造り上げるものと考える西洋人にとって日本人が憲法を理由に派兵を拒否することは納得できない言い訳です。しかしそれこそ制度と社会の区別がない欧米の思考の欠点であると論じています。
4-4.国民国家を理解できない日本人
陸続きのヨーロッパでは国境線を越えれば言語があたりまえのように変わります。しかし国家は同一民族、同一言語が必要条件ではなく、あくまでも国家成立後に中央政府の努力により言語が統一されたに過ぎません。国家を形作るものは政治的同質であり、国民の連帯感(ナショナリズム)であると指摘しています。国民を主権者とする近代国家は「国民国家」と呼ばれますが、同一民族であり他国と国境を接していない日本では意識できません。個人が好き放題いう集合体ではなく、一段高い次元で、国際社会の中で独立しているからこそ国家として認められる存在であるのです。
4-5.ソ連は弱体化する運命にある
1981年(昭和56年)当時すでに小室直樹はソ連の衰退を予期していました。近代国家において領土は無限に広げることはできず、ナショナリズムによる統治が健全な時代には、国民国家は平和的に再編成されて、国民国家のサイズは大きくなり国家数は少なくなります。しかしソ連のように共産主義を理念とする国家は国際社会ではあたかも国民国家のように振る舞い、国益を主張している限りは、共産圏の拡大は建て前となり、国家内の連帯感が稀薄になれば国家は分裂する傾向になると予測しています。そして小室直樹の指摘通り18年後にソ連は崩壊しました。
4-6.文化圏・経済圏が一国になることはありえない
いくら経済や文化の交流が盛んになってもやがてひとつの国家にまとまっていくという観測はありえないと小室直樹は断じています。一見もっともな理由ですが、国民国家はそこまで成熟したものではなく、各国政府が運営する地域社会の経済力をもって文化を生み出している以上は、経済や文化交流がいくら活発なったとしても、新たに国家を生み出すという能力はもともと国民国家にはないと論じています。
このように小室直樹は30年前からソ連崩壊から経済統合が進むヨーロッパも将来的に失敗することを予期していたのです。
5.真の平和主義とは何か
まず、戦争の文明史的本質を洞察することが必要で、ポイントは二つあります。
1)戦争とは国際紛争解決の手段であること。
2)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しないかぎり、戦争はなくならないという事実。
しかし戦争という手段に代わる国際紛争解決の新たなメカニズムは、萌芽すら現れていません。そのような状況でも以下の努力は続けなくてはならないと述べています。
1)長期的に国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続ける。
2)短期的に並行して、現行の国際法の枠内で戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。ただしこれを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。
このように国際法の充実の僅かな可能性に望みを託す以外ないと小室直樹は述べています。その一方では現実の戦争に対して物心両面で十分備えをしなければならないとも述べています。このことは、平和への努力、祈りと矛盾することではなく、むしろそうしないことが、結果として平和主義と矛盾することになる、以上が平和主義者の確信であると結んでいます。
(終わり)
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