「2151」 小説『嵐が丘』が持つ意味について話す 2024年8月31日
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副島隆彦です。今日は2024年8月31日です。
今日は、有名な小説の『嵐が丘(Wuthering Heights)』(エミリー・ブロンテ著、1847年)について論じる。これは文学としては世界の10大小説の1つと言われている。ただし英語圏での話だ。
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この『嵐が丘』の名前はみんな知っているが、なかなかそんなに読んでいないと思う。私が何で急に『嵐が丘』の話をする気になったかというと、私が住んでいる熱海の家に、夜が多いんだけど、昼間でもヒューヒューとものすごい風が吹く。音がすごい。私の家の下は崖になっているというか、だーっと200メートル下に下っていって海があり、その谷間があって谷間を風が吹く。ヒューヒューという音がすごい。
ああ、これなんだというのをふっとこの間気づいた。それが実はこの『嵐が丘』はみんな知らない。英語では『Wuthering Heights』という。Wutheringでウザーじゃない、ワザーと発音する。このWutheringのWutherというのがヒューヒューと吹く、ものすごく強い風のことだ。ビュービューと言ったほうがいい。夜も含めて何時間も吹き荒れる。
熱海市遠景
熱海の私の家は海抜200メートルあって、203高地と呼んでいる。私のところから恐らく10キロ先ぐらいにある隣の宇佐美というか、伊東のほうぐらいのところが。あれは7キロかな。言ってしまえば日露戦争のときの203高地が旅順港を狙って、旅順港に停泊していたロシアの戦艦たちを何隻も沈めた。それでロシア側が降伏した。そこの203メートルぐらい、うちはちょうどある。恐ろしいことだが、そういう高台と山の中腹よりもほとんど上に住んでいる。でも山の中でもある。高台でもある。海が向こうに見える。
だからこの『嵐が丘』というのは「Wuthering Heights」と言うんだというのをなかなか日本人は知らない。あとHeightsという言葉も、どうもこの『嵐が丘』の丘で何とかハイツというのを、アパートメントのことをハイツと呼び出したのは、これの影響だと思う。だからといって、じゃあ小説の『嵐が丘』をみんなが読んでいるかというと、そんなに読んでいない。
ただ、何が私にとってびっくりすることかというと、そのヒューヒューという音で思い出して、7月に徳間書店の金融本を書く最後のところで苦しんでいた。そのときに、激しい風吹いて、ビュービューとが鳴っていた。寝苦しくて朝の3時半に起きた。そのときにどうしても、この小説『嵐が丘』が気になった。ヒースクリフという主人公とキャサリンだ。略称キャシー、この愛情の悲しさで、ヒースクリフが死んでしまった昔愛していたキャサリンの声を、荒野に向かって泣き叫びながら呼びかける。これがこの『嵐が丘』の基本だ。
『嵐が丘』の登場人物
難しい仕組みの小説であるが、簡単に言うと、リバプールで不幸なこじきの少年みたいなのを、アーンショウという家の地主の親方の主人が買ってきた。それで半分召使みたいにして育てた。なので、教育も何も受けてないんだけど、厳しい環境でそこで生きている。しかし息子のようにも育っている。それで、そのアーンショウの娘のキャサリンに恋をして、キャサリンと2人でヒースというんだけど、そのお屋敷の周りの草っぱらというよりも、もう草原で遊んでもらっていた。この2人は、恐らくこのときセックスしている。愛し合っている。ただ、少年少女で、愛とは何かがよくわかっていない。
それで、虐待されながらも育ったヒースクリフがいて、ところがやっぱりキャサリンは、自分はヒースクリフを愛しているんだけど、そこから10キロか、20キロかもしれない、鶫の辻(つぐみのつじ)というんですかね。Crossing of Thrushcross (スラッシュクロス)です。鶫ってスズメに色の毛がついているやつで、そこの鶫の辻と呼ばれている土地の、これも地主様で、下級貴族というほどでもない武士階級みたいな連中だ。地主様で、そこのリントン家のエドガーというあまり性格のよくない息子がいて、財産があるからそれと結婚する。そうしたら、自分は愛しているヒースクリフの面倒を見られると思った。だけど、そう甘いこともいかず、ヒースクリフは1回家出して、何らかの形で金をつくって3年後に帰ってきた。
それで、キャサリンの兄貴がいまして、ヒンドリーというんです。このヒンドリーをばくちでだまして、賭けでだまして、アーンショウ家のお屋敷を奪い取るんです。しかしキャサリンとの愛が忘れられなくて、リントン家に出かけて、最後のセックスをしているときに旦那のエドガーがやってくる。そして大騒ぎになるのだが、その後もうキャサリンは頭がおかしくなって、以後正気に戻らなかったという話で、死んでしまう。
ヒースクリフはこの嵐が丘の地主の地位を継いで、もう次の時代になってヘアトンというやはりこじきの少年ですけど、息子をこのヘアトンは誰の子なんだろう。虐待しながらキャサリンが産み残した、エドガーとの子供、キャシーを育てていた。そこに語り部である、ロンドンから来た男がその日記帳を見つけましたという形になっている。このアーンショウのキャサリンの日記という形で小説が進む。
複雑な小説なんですが、要するに親子2代で虐待が行われている。もうこれ以上、粗筋の話はWikipediaの『嵐が丘』を引いて読んで欲しい。ただこれを読んでも、Wutheringというふうに読むんだという言葉一つ書いていない。Wutherとは何だという解釈をあまりしていない。これは、ヒューヒューヒュー、ビュービューと吹く音のことだ。
今はこのヨークシャー州のハワースの荒野というところが人気スポットで、トップ・ウィゼンズという廃墟、昔のお城の跡が観光名所になっているそうだ。私は行っていないけど、私がロンドンで、銀行員として働いていたころ行ったのは、バス(温泉)という町。これは『ロビンフッドの冒険』が書かれた町で、あの辺までは行っていて、ストーンヘンジは、見に行っている。
ヨークシャー州ハワース
荒野の真ん中のとんでもないところに、ぐるっと円形に古代の神殿か占いの場所だったようなところがある。だからイギリスの真ん中あたりというのは、本当に畑なんかになるようなところではない。牧草地はあった。それをヒース(heath)という。荒野のことだ。でも、ヒースという名前の草もある。何か小さな白い花が咲く草。牧草でもある。これがずっと生い茂っている。
ストーンヘンジ
だからロンドン郊外のヒースロー空港もそうだ。ヘザーともいう。ヘザーというのも荒れ地のことだが、草だ。どうもこのヒースやヘザーを食べている動物がいる。ヤギとか羊とか豚とか馬とか、それを飼ってイギリスの土地貴族の下級の、それでも親方様、地主の話だ。
この『嵐が丘(Wuthering Heights)』を書いたのは、エミリー・ブロンテ(Emily Jane Brontë、1818-1848年、30歳で死)という人で、2歳年上がシャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë、1816-1855年、38歳で死)だ。2歳年上のお姉さんは『ジェーン・エア(Jane Eyre)』(1847年)という小説を書いた。1847年、同じ年に出している。そしてエミリーはもう次の年に30歳で死んでいる。お姉さんは38歳で死んでいる。かわいそうな娘2人なんだけど、でも30代で死ぬというのは当たり前のことだったんじゃないかと私は思う。日本でも江戸時代の普通の人たちは、30歳ぐらいで死んでいた。50、60まで生きると、元気な頑丈な、かつ金持ちの家のじいさんたちだ。いくら先進国のイギリスでも、環境が悪い。だから若くて死んだと言うけど、小説を書いて残した。
左からアン(末妹)、エミリー(真ん中)、シャーロット(長姉)
私が『嵐が丘』が気になるのは、実はもう1つ理由があって、家族で20年ぐらい前に北海道の洞爺湖に行った。海抜100メートル以上ある。そこに、ザ・ウィンザーホテル洞爺というホテルがある。福田赳夫(ふくだたけお、1905-1995年、90歳で死)の息子、福田康夫(ふくだやすお、1936年-、88歳)が首相だったときに、このホテルでG7が行われた。私たちが行ったのは、G7があって、もう10年ぐらい経っていたと思う。そのホテルにパックツアーで奥さんが申し込んで、家族で行った。千歳空港から降りてそこへやってきて、苫小牧の南のほうの荒れ果てた開拓村みたいところから室蘭とか山の上にずっと上っていった。観光地用のマイクロバスに乗った。
ザ・ウィンザーホテル洞爺
2008年の洞爺湖サミット
このザ・ウィンザーホテル洞爺、今もあると思うが、いかにも秘密結社が集まりをやるようなホテルだ。まさしく『嵐が丘』のアーンショウ家のお屋敷そのもので、これが今はトップ・ウィゼンズという廃墟になっていて、観光客がいっぱい来ている。いかにもこれはフリーメイソンの儀式のためにつくったホテルだ。
ずっと下のほうに洞爺湖が見えるんです。洞爺湖に行って、そこの湖の観光船にも乗った。中国人もたくさん来ていた。17,18前だ。そうすると、要するにヒースクリフが荒野に向かってキャサリンの名前を泣きながら叫ぶというのはこの『嵐が丘』の基本テーマなんだけど、文学としてものすごく有名な理由は、どんな人にとっても家族関係と人間関係の苦しみがある。虐待とか家族のけんかとか、憎しみ合いとか、これが基本。
それが、『嵐が丘』では、2つの家族、地主様の家のつき合いで、キャサリンは別の鶫の辻のお屋敷のエドガーと結婚した。したくなかったんだけど、結婚した。それが10キロ離れているのか、20キロ離れているのか分からない。そこに嵐の日に泊めてくださいと言って来た、主人公というか語り部の男の小説ということになる。これが小説のつくり方としては、現在に至るも基本中の基本だ。プロトタイプと言うが、映画のつくり方としても非常に型にはまっている。それで謎解きにもなっている。
このブロンテ姉妹が29歳くらいで小説書いて死んでしまうのだけど、ヨークシャーという北のほうの、スコットランドまで行かない、ソーントンというところの牧師の娘だ。牧師といったって貧しい。貧しいけども知性と教養を身につけている。2年ぐらいは、寄宿舎制の女学校に入っている。だからインテリ階級だ。
彼女らはガバネス、governessというんだけど、nessは女の接尾語。女家庭教師という意味だ。黒ずくめの服を着ていて、半分もう召使と同格だ。でも金持ちや貴族の家に住み込みで働いて、子供の養育係になる。これガバネスというんです。日本人はほとんど知らない。これが映画「メリー・ポピンズ」のあの女の人、主人公のメリーだ。本当はイギリスではメアリーと読むんだけど、ディズニーの映画でアメリカ英語ではメリーになる。「メリーさんの羊、羊」となる。イギリスの話なのにアメリカ映画なものだから、「メリー・ポピンズ」になった。
女家庭教師
本当は「メアリー・ポピンズ」だ。風に乗って黒いこうもり傘と一緒にふわっと、何とか家の目の前であらわれるのはガバネスだ。住み込みの家庭教師。貧しい階級だけどインテリの女性で、しっかり者が雇われて、やがて主人に結婚を申し込まれるとか、そういう話にもなる。それがお姉さんのシャーロット・ブロンテが書いた『ジェーン・エア(Jane Eyre)』だ。
『ジェーン・エア』は私もぱらぱらめくって読んでいたりしたら、本当のことを言うと雇われていた女家庭教師はご主人に求婚されて、結婚を申し込まれた。だから、セックスしている。子供たちの世話をしながら、そういうことをしている。ところが、結婚すると決めた日に、屋敷の屋根裏部屋に発狂している奥様がかくまわれているのに気がついた。そこで、女中たちに世話をされながら生きていた。そのことを知ったジェーン・エアが、もうこれは重婚罪になるといって家出をする。ほかのところでまた苦労して、苦労話があるんだけど、最後は主人が障害者になってしまってお屋敷が焼けた。それで最後は主人のところに戻って、障害者になった旦那を世話しながら2人で生きましたという話だ。
だから発狂している奥様を隠して世話をしていたというのが秘密で、狂人というか気違いの話だ。これがまたどんな家の人にもこういう話がある。障害者を抱えているという話。だから、文学というもののすごさは、実はみんなが身につまされるということだ。自分の身につまされる話だから大作品、名作、古典的名作なのだ。
文学というのを嫌う人たちもいるけども、やっぱり人間というものの描き方のプロトタイプというんだけど、典型を描く。みんなが共感する。だから、歴史に残っていく。このことのすごさだ。初めに戻ればWuther、『Wuthering Heights』。このWutherという言葉を日本人は知らなきゃいけない。ビュービューと風が荒野で吹くんだ。ただ、この小説を、私の奧さんが読んでいた。ベッドにまだ奥さんと一緒に寝ていたころ。いつも鼻ずるずるさせながら、うちの奧さんは風邪ばかり引いていましたから、何か泣きながら読んでいたような感じで、ほったらかしにしている文庫版を、私もちらちら読んでいた。だからこの2冊の小説を知っている。
でなければ、こんな陰うつなイギリス文学の小説なんか、わざわざ読む気にならない。私の奥さんはそういうタイプの人間だ。同じ小説を枕元に置いていて、40年間ぐらいちらちらずっと読み続ける。好きな曲だけ聞き続ける。そういう女だ。不幸な夫婦関係というほどでもないが、だから知っている。
家族で洞爺湖に行って、あの感じがいかにも全くそっくりでした。『嵐が丘』のアーンショウ家のお屋敷とか、Wikipediaで見た有名なハワースの荒野という場所のトップ・ウィゼンズという古いお屋敷と、ホテルウィンザーがそっくりだ。本当にこうやって秘密結社をつくって、今でもやっている。そこに、30代のおばさんになった元美人のスチュワーデスみたいな女たちが何人もいて。ところが洞爺湖サミットのために雇われてきた女たちが東京に戻ることもできなくなって、ヒステリーを起こしている。それで、私らに対して客あしらいがひどかった。ヒステリー女たちだった。こんなお屋敷の中にかくまわれてというか、もう逃げ場がない。秘密結社だから、儀式をやっていたと思う。これがものすごく脳に突き刺さって、今でも覚えている。
あと『嵐が丘』の話では、ヒースとかヘザーと呼ばれている荒れ地といっても牧草地でもあるわけで、囲いがずっとしてあって、動物が逃げられないように石積みの、1メートルぐらいの石がずっと積んである。とても畑にはならない土地。だからここで豚とか牛とか羊を飼っていた。そうすると屋敷からずっと下のほうに村がある。村が3つぐらいあったんだと思う。村人の女たちが使用人で、このお屋敷で料理当番とか女中として働きに来ていたはずだ。あるいは食料を運び込むとかをやっていた。
村3つが、言ってしまえば領地ですから、領主の持ち物となる。『嵐が丘』は、1848年の小説だけど、まだまだ、奴隷ではないんだけど、仕事を求めて都会に逃げていこうと思えば逃げられるんだけど、実際には仕事なんかないから、村人たちが何百人もいたと思う。その人たちは使用人になる。男たちがきっと牧童として、羊や馬とか豚を飼っていたんだと思う。そういう話は一切出てこない。
牧場経営の収入で、そのお屋敷かお館、お城が成り立っている。今はこういうお城は大体観光地になって、ホテルになっている。そうしないと、この下級貴族たちは税金が払えない。イギリス全体がそういうところだ。だから、経済法則に当たる、牧場で羊とか豚を飼っていたんだという話が一切出てこない。これがちょっと私は不満だった。陰うつな話だが、みんなが障害者か、ちょっと精神病に近い人たちを自分の周りに抱えているんじゃないか。それで、親きょうだい親戚まで合わせたら、一族とか家族というのが成り立っていた。それが、この文学というのにあらわれていて、ひきこもりのような子供がいたり、ちょっと障害者の娘がいたりという話が、今も当たり前のようにでき上がっている。
もうこれ以上難しい話をしないが、ヒースクリフがキャサリンの名前を呼びながら嵐の荒野に向かって叫ぶというのが、『Wuthering Heights(嵐が丘)』の一番の中心だ。恐らく映画を私もテレビで見たと思うが、やはりそういう感じだった。雨の日にばたんと家の中に入ってくるとか、そういうシーンがいくつもあった。これで終わる。
映画の1シーン
(終わり)
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