「2108」 源氏物語は藤原道長の人生そのものだ論(第1回・全3回) 冒頭に新年の挨拶 2024年1月1日

SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

2024年元旦に新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023年12月は、本の出版が重なり、宣伝ばかりとなりましたが、今年のスタートは、副島先生の「源氏物語とは藤原道長の人生そのものだ」を掲載します。今年1月7日からの、のNHK大河ドラマは「光る君へ」で、紫式部(むらさきしきぶ)と藤原道長(ふじわらのみちなが)が主人公です。源氏物語は華麗なる王朝絵巻、世界初の女流文学という評価がなされていますが、それを覆(くつがえ)す副島先生の力作の論稿から私たち、副島隆彦の学問道場は2024年をスタートします。

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副島隆彦です。今日は2024年1月1日です。
これから私が話すことは、『源氏物語』の、隠された秘密を解き明かすことである。『源氏物語』は、日本国民にとっては、日本文学の歴史上の 最高作品ということになっている。イギリスでいえば、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、1564-1616年、51歳で死)の作品群と同じ高度にすぐれたものであるということになっている。日本国民は一応小学校、中学校、高校の国語で、『源氏物語』について習ったことになっている。私がこれから話すことは極めて大きな衝撃的な真実の暴露である。

『源氏物語』表紙(藤原定家=ていか=筆)
それは光源氏とは一体、何者であるか。と、それから『源氏物語』の始めに出てくる桐壺帝(きりつぼてい)、即ち、天皇でありかつ上皇(院)になる桐壺院(きりつぼいん)なる人物は、一体誰なのか。はっきり書く。それは、村上天皇(62代)である。 そして、その隠し子として生まれたのが「光る源氏」だ。天皇の子(親王=しんのう=という)で、臣下の姓である「源氏」の名を名乗った人物である。当時のまわりの人たち(貴族階級)は、この事実を知っていた。それが、藤原道長(みちなが)である。この大きな秘密をはっきりと書く。私、副島隆彦はこのことを追求するために、ここ数年の時間をかけて調べてきた。
私の「『源氏物語』とは何ものか」については、これまでに雑誌に、一部は発表して来た。さらにそれを、今回、前にグイと大きく押し進める。

私が急にこの問題を取り上げると決意したのは、以下に載せるネット記事のデイリースポーツ誌の、2023年5月28日の記事である。この記事を写真と共に張りつける。表題は、「NHK「大河「光る君へ」吉高由里子、きらびやかな平安スタイルで会見 紫式部役」となっている。この記事しか私は見てない。これだけで十分である。ここに大きな写真が1枚あって、それは今年5月28日に、京都の平安神宮で、今年のNHK大河ドラマの「光る君へ」の撮影のクランクイン取材会が行われた。その記者会見の発表だ。 藤原道長役は、柄本佑(えもとたすく、1986年ー)は36歳である。紫式部の役は女優の吉高由里子(よしたかゆりこ、1988年-)は35歳、という記事だ。この記事をしっかり読んでください。それから徹底的に説明する。

(引用貼り付けはじめ)
●「大河「光る君へ」吉高由里子 きらびやか平安スタイルで会見 「全然動けない」紫式部役」

2023年5/28(日) デイリースポーツ誌


役衣装で笑顔を見せる吉高由里子(左)と柄本佑(撮影・北村雅宏)

女優の吉高由里子(34)が5月28日、京都・平安神宮で2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」のクランクイン取材会に、共演の柄本佑(36)と出席。自身が演じる主人公・紫式部のきらびやかな役衣装を初公開した。

この日にクランクインし、まひろ(紫式部の幼少名)ら姫が内裏で舞う神事(しんじ)直前のシーンなどを境内で撮影。裾を引きずる長袴と幾重にも重なった袿(はかま)、金色の刺しゅうで飾られた表衣を身につけ「このような格好は初めてで『ひな人形みたいだね』なんて話した。その場から全然動けない状態」とはにかんだ。歩く時には、袴の裾を持ち上げ、慎重に足を運んだ。

制作統括の内田ゆき氏は、吉高の衣装を「だいぶ重いです。よっこらしょ、という感じ」と表現。「(今後)もうちょっと重くなる可能性はある」と予告した。 紫式部と引かれ合う貴族の藤原道長を演じる柄本は、赤色の武官束帯姿。朝5時台から撮影を開始した。道長にゆかりある京都でのクランクインに「これから1年半、撮影が続きますが大元となるエネルギーをいただけた気がします」と気合を注入していた。

(引用貼り付け終わり)




「光る君へ」全体相関図

副島隆彦です。私はこの柄本佑という、柄本明(えもとあきら、1948年-、75歳)というコメディアンに近い味のある俳優の息子で、背が相当高そうだ(182cm)と、それに対して女優の吉高由里子は、それなりに有能なテレビ女優なのだろうと思うが(紅白歌合戦に審査員で、お披露目で出ていた)、私はこれまで知らない。背が低くて155センチぐらいしかないだろう。この2人のほのかな恋愛物語として、今年のNHK大河ドラマが始まる。これに対してはっきりと、副島隆彦が巨大な先制攻撃(せんせいこうげき。pre-emptive attack)をかける。

どういうことかというと。上の記事に、紫式部(むらさきしきぶ、973-1031)とされる女性は、キレイな文字で清書をしたのである。本当は、この女性の父親の 藤原為時(ためとき)が、源氏物語の真の書き手だ。為時は、下級貴族(従5位)の優秀な文章家だ。真実は、清少納言も紫式部と同一人物。だから両方の父親は同じ為時だ。
女では、中国の故事などの古典教養は分からない。学ぶ機会もない。女は、男との愛のことしか分からない。だから優秀な男たちが、陰に隠れて、文学作品を書いた。
女のふりをして書いた。その100年前の、紀貫之=きのつらゆき=の「土佐日記」と同じだ。土佐日記の冒頭の「男のすなる日記=にき=というものを、女もしてみんとてすなり」だ。そして、紫式部と 清書=せいしょ=した 清(せい)少納言と呼ばれた、実の娘が、きれいな女文字=おんなもじ= 手弱女(たおやめ)ぶり=で、源氏物語を清書して京都の貴族社会に広めた。だから「枕草子」も、「紫式部日記」も、この真の文学者たちだった、下級貴族の優秀な男たちが書いた。 当時は、知能のある人間は、死ぬほど本を読みたがった。
男の貴族たちは、幼年期から、難しい漢文(儒教や仏典)を習わされた。貴族の女たちは、ほったらかしで、勝手に、ひらがなの多い「愛の物語」に熱中した。男たちも、その愛の物語を読みたくて、女たちから借りた。

NHKの大河では、この紫式部と、惹かれ合う藤原道長(ふじわらのみちなが、966-1028年、62歳で死)を演じる柄本が赤色の武官束帯姿(ぶかんそくたいすがた)記事に書いてある。

この柄本佑が演じる「光る君」すなわち光源氏(ひかるげんじ)を、NHKがはっきりと藤原道長だ、と断定してこのドラマを1年間やる。だから、このことに対して、NHKが、日本の主要な大学の文学部の国文科(こくぶんか)の学者たちと内部で意見調整を行った上で、日本国民に1000年ぶりに、大きな真実を伝える気だな、と私、副島隆彦は判断した。

すなわち、源氏物語というのは藤原摂関(せっかん)家で、丁度、西暦1000年前後に、藤原貴族の頂点をつくった藤原道長をモデルとする、本当の歴史事実でもあるのだ、という態度にNHKが打って出た。それに対して副島隆彦が正面からはっきりと、さらに大きな真実を抉(えぐ)り出す形で、対決する。そのように決めた。


藤原四家

副島隆彦は、この世(世界を含めて)の真実を暴く言論人である。もはや、この私の称号、肩書きを軽視することはできない。私はこれまでに、日本の歴史と世界の歴史に隠されている多くの真実を暴き立ててきた。それを自分の本に50冊以上、書いてきた。今日は、何がそうだとは言わない。私の本の真面目な読者たちだったらもう知っていることだ。 副島隆彦の言論人、知識人としての信用に賭(か)けて、以下のことを話す。このことは、生半可(なまはんか)な態度でできることではない。

これまで誰も正面切って、日本の国文学者たちが真実を書いていない。だが、国文学者たちがぶつぶつと、内部ではひそひそ話としてやってきたことである。日本国民には、それを教えてはいけないということにしてある大きな諸事実がある。これらを私が断定、言い切りではっきりと話すことで、日本国の日本史及び日本文学に対する考え方が根底から変わるだろう。それぐらいの深い決意で私は書く。

最初に一番重要な事実から指摘する。なぜ、藤原道長であることがはっきりしている男が、「源氏」という姓なのか。それは、道長が、村上(むらかみ)天皇と、その最後の女御(にょうご、愛人)だった、藤原の芳子(ほうし。よしこ)が生んだ子供である、という事実だ。このことは、おそらく、これまで、どの国文学者も書いていない。

この芳子(ほうし)という女性が、だから、源氏物語の始めの一巻から出て来る、桐壺更衣(きりつぼこうい)である。そして臣下の藤原兼家(のかねいえ)の子として(隠し子だ)として貰われて行った。だから「光る源氏」なのだ。この事実は、ずっと日本の国文学会で秘密にされている。

私はこの2年ぐらいこのテーマについて考えてきた。ある雑誌に過去のNHK大河、過去の60年間を全部、評論した。しかしそこには、今年、NHKが取り上げる大河ドラマの内容については書いていない。前置きが長くなったので、先を急いて、さらにはっきり書く。

藤原道長は、このようにして、天皇家の 不義密通(ふぎみっつう)の子として生まれた。西暦966年だ。村上天皇(実力が有って、自ら親政を実行した優れた天皇とされる)と、愛妾の芳子(ほうし)は、道長を生んだ翌年(967年)には同時に死んだ。だから道長は臣下に貰われて行った。私は、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の、
源氏物語の現代語訳(戦争中に書き始めた)を調べていて、分かった重要な事は、この「谷崎源氏」の翻訳に対して、「天皇家(日本の王朝)が、性的に乱れていて、近親相姦や不義密通をしていた、という真実を、書くことは罷(まか)りならん。許されないことだ」と、釘を刺されて、政治的な圧力が掛かった。

それをやったのは、当時の東北帝国大学の国文学の大物学者とされる山田孝雄(やまだよしお)だ。この山田孝雄は、八紘一宇(はっこういちう)、皇国史観で、国体明徴(こくたいめいちょう)運動の、国粋主義の学者だ。戦争中の保守反動だ。 だから、谷崎は、軍部からの政治弾渇を怖れて、
中央公論の社長の嶋中雄二(しまなかゆうじ)と話して、この「源氏物語の谷崎による現代語訳では、天皇家の性的な乱れのことは書かない」という態度を決めた。更には山田孝雄の校閲(こうえつ)、監修 を受けた。
私、副島隆彦は、これらのことを谷崎研究をしていて知った。私の最近刊の『狂人日記。戦争を嫌がった大(だい)作家たち』(祥伝社新書)に、このことを書いた。

谷崎潤一郎の文学は、まさしく近親相姦を描く。奥さんになった女性の実の妹たちへの激しい性的な愛情と衝動で、満ち溢(あふ)れている。谷崎は、花街(かがい。はなまち)の待合(まちあい)の玄人(くろうと)の、芸妓(げいぎ)や娼妓(しょうぎ)たちをまったく相手にしなかった。彼は純粋に自分の家の内側の、ずぐ身近にいる女性たちを愛した。そして描いた。

このようにして、真実の『源氏物語』は、まさしく一から十まで、精密に正確に、この藤原道長(ふじわらのみちなが、966-1028年、62歳で死)という男の人生を、なぞって描いたものである。このことをあれこれ、誤魔化(ごまか)して「いや、これは物語(ものがたり)ですから。作り話で、創作ですから」と言って逃げることを、私、副島隆彦はさせない。裏側に歴史の真実がびっしりと横たわっているからである。

このように、はっきりと言い切る。藤原道長は966年に生まれて1028年に、当時の日本の最高権力者として大往生(だいおうじょう)している。このことはよく知られている。あの有名な和歌の、「この世をば、我が世ぞとが思う、望月(もちづき。満月)の、欠(か)けたることの無しと思えば 」(1018年の昨) の通りだ。この道長の真面目な息子の頼道(よりみち。これが、源氏の後半の夕霧 ) が、さらに4〇年間、日本の政治を治めた。それから武士(まず平家)の世が来る。

藤原摂関家が平安時代の最盛期そして、ピークを突いた時だ。日本人が簡単に覚えるのだったら、ちょうど紀元1000年と覚えればいい。すなわち今が2023年だから、ちょうど1000年前だと理解すべきだ。

そして、さらにはっきりと書くが、この藤原道長に5歳年上の実の姉がいる。これを藤原詮子(せんし、962-1002年、40歳で死)といって「あきこ」とも読む。この詮子(せんし)は、後に出家して、東三条院(ひがしさんじょういん)という院号をもらった。天皇の母親に当たる女性が、院号をもらい始めたのはこの藤原詮子が初めだ。女でありながら実質的に大きな権勢を誇っていないと院号(いんごう)は貰えない。この詮子(せんし)は当時、梅壺女御(うめつぼにょうご)と人々に呼ばれていた。 この詮子が、源氏物語の 藤壺(ふじつぼ)女御でもある。

藤原道長の家系図

この詮子は、道長の5歳上(数え年でいえば4歳の違い)の、実の姉である。彼女が、弟の藤原道長を徹底的に守って庇(かば)って大きく出世させた。事実として、藤原道長とお姉さんの詮子は幼いころから一緒に暮らしている。実の姉ということになっている。この2人の間には性関係があった。姉と弟の関係で深い性交渉があった。かつ、この藤原詮子は、円融天皇(えんゆうてんのう、958-991年、32歳で死。アホ。本当は虚弱で子供を産めない。その前の冷泉=れいぜい=天皇も軽い精神病だった )の女御から始まり、中宮(ちゅうぐう)すなわち皇后(こうごう)である。

円融天皇の正式の妃(きさき)でありながら、実は自分の実の弟の道長と出来ていた。そして子供を作った。だから、この円融天皇の、次の次の天皇である一条天皇(いちじょうてんのう)の実の母親と父親は、まさしくこの藤原の詮子と弟の道長なのである。

NHK大河で、一条天皇役の塩野瑛久(しおのあきひさ)

藤原詮子役の吉田羊(よしだよう)

この事実は日本の国史(こくし)で、今も言ってはいけないことになっている。口に出してはいけない。しかし国文学や日本史(学)を本気で研究した人々にとってはもう隠せないぐらいの事実だ。ところが、日本国民のほとんどは知識人階級を含めて、この事実を知らない。馬鹿なのだ。日本国民は、ずっと馬鹿扱いされている。それで源氏物語を読まされたり、分かったふりをしてきた。

ちょっと話を逸(そ)らす。私が、今、書いている本は、『ヨーロッパの王と大(だい)知識人たちの真実』という本だ。はっきり言う。イギリス文学で、一番重要である、誰でも知ってる、文豪(ぶんごう)のシェイクスピアとは何者だったか。この隠された真実を、イギリスの、一番上の支配階級と真に頭のいい国民だけは知っている。だが多くのイギリス人は知識人層を含めてアホだから知らない。 シェイクスピアは、フランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(s)、1561-1626。65歳で死)という若い貴族だ。一時、、エリザベス一世(女王)の、宰相までやった。この男だ。 そして、まさしく、このフランシス・ベイコンが、エリザベス一世の隠し子で、実の子供だ。

フランシス・ベーコン

ウィリアム・シェイクスピア

ただの革手袋づくり屋の、上級の百姓(自由農民。フリー・ファーマー)で、ロンドンの西に200キロ行ったところにある、ストラットフォード・アポン・エイボン(エイボン川沿いの都市)から出てきた男が、王立一座の芸人(演劇者)の、下っ端の役者が、シェイクスピアであるという、嘘八百を、この500年間、世界中で信じ込ませた。何故(なぜ)なのか。偉大なる、シェイクスピアの36個の劇作(台本)を、なぜ皮手袋職人の息子が書いかことにしたのか。そうしなければ済まない切実な事情が当時、有ったのだ。

あれほどの劇作(プレイ)の大作たちは、ヨーロッパやイギリスの王族、大(だい)貴族たちの世界を、小さき時から知っている者でなければ、描くことは出来ない。 ただの革手袋職人の息子では書ける訳がない。生来、ずば抜けた頭をしている人間でなければシェイクスピアのあの作品群は書けない。だから、シェイクスピアは、フランシス・ベーコン卿だ。そしてそれがシェイクスピアだ。大(だい)思想家のニーチェとアメリカのマーク・トウエインがはっきりとおのように書いた。
このことは、文学部で出か、ちょっとした文学趣味の人間だったら「そういう噂があるよね」と知っている。だが、ベーコン家という貴族の名家は存在しない。下級貴族のニコラス・ベーコンの家に、エリザベス女王(21歳の時に産んだ。1554年。25歳で女王に即位した )の隠し子( bastard バスタード。私生児。現在は婚外子=こんがいし=と言う)だったのだ。このことは、日本人では、私以外は誰も知らない。だから、副島隆彦が大きく真実を、今度の私の「ヨーロッパ本」で、暴き立てる。3月には発売する予定だ。乞うご期待。

このフランシス・ベーコンは大(だい)思想家、哲学者であって、大(だい)知識人だ。このベーコンが秘書として使っていたのが、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588-1679年、91歳で死)という、この人も大(だい)知識人だ。まさしく大(だい)政治学者だ。『リヴァイアサン』(〇年に出版)という大変な政治学の大作を書いた人だ。 彼が、政治動乱を嫌って、大陸に渡って、オランダのハーグで、デカルト(René Descartes、1596-1650年、53歳で死)と、そして、恐らくガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、1564-1642年。77歳で死)とも、1624年頃、どうも3人で会っている。これも今、私が探索中だ。

トマス・ホッブズ

デカルト

ガリレオ

だから、シェイクスピアは、実はエリザベス1世(Elizabeth I、1533-在位1558-1603年、69歳で死)の隠し子だ。エリザベス1世は最後まで結婚しなかったから、絶世の美女の、処女女王=ヴァージン・クイーン=だということになってしまった。それは嘘で、大きく作られた話で、何人も自分の周りの若いハンサムな貴族たちを愛人にした。エリザベス1世は、”天才”ヘンリー8世の娘で、同じく物凄く頭が良い女だ。彼女は、14歳の時から命からがら逃げ回っていた。

姉のメアリー一世が、女王の時に、カトリック側の頑迷な貴族たちと、カトリックの神父たちから命を狙われていた。メアリー一世は、今もカクテルの名に残る”ブラディ・メアリー(血だらけのメアリー)”で、プロテスタント教徒をたくさん殺した。だからプロテスタント貴族たちがエリザベスを守って、必死に助けた。

エリザベス一世は、14歳の時に、初めて自分を犯した(初体験)トマス・シーモアという貴族を愛した。この貴族の男を、死ぬほど愛していた。だが、このハンサムで女貴族たちに人気者のトマス・シーモアは、断頭台で死んだ。この時から、エリザベスは冷酷になった。それでも21歳の時に、○○○・セシルという大貴族と、隠し子を作っている。このセシルがフランシス・ベーコンの実の父親で、彼の友人のベイコンと奥さんどうしが姉妹だったので、そっちの赤ちゃんにした。これがイギリス史の真実だ。これ以上のことを、今日はここでは書かない。

エリザベス1世

このように国家体制の中で、一旦ついてしまった大きな嘘は、どうしても500年間も隠し通さなきゃいけないことになる。これと、ほとんど同じ問題が、日本の源氏物語にも有る、と言うことだ。光源氏の実像である藤原道長が、実のお姉さん(本当の真実は、血のつながりはない)の詮子(東三条院)と一緒に若いころ作ったのが、後の一条天皇だ。この一条天皇を道長が最大権力者になったときに、上手に操った。

一条天皇は、最後には怒り狂って、「巍臣乱国(ぎしん・らんこく)」と言う文を、宸筆(しんぴつ。天皇の直筆の、きたない字で書かれた文章 )で、書いて今も残っている。道長のことを、自分の実の父親だ、と、薄々(うすうす)知っていただろうに。「臣下のくせに、天皇である自分を蔑(ないがし)ろにして、良いように国家を動かし壟断(ろうだん)している(乱国)」と、一条天皇は発狂寸前で書いた。そして譲位させられすぐに死んでいる。そのあとの三条天皇(さんじょうてんのう)も、藤原氏を嫌って、呪って死んだ。後一条天皇も、道長の娘が生んだ子なのに、やっぱり怒り狂っていた。

私、副島隆彦は、ここまで来ると、もう、あれこれの日本の国内言論に対する配慮は一切しない。ただひたすら、真実であることを表(おもて)に出す。隠された秘密や、国家の恥を、すべて曝(さら)け出す。それを、断定、言い切りで書いて、攻め込んでゆく。 この副島隆彦の言い切りには根拠がないとか、意味がないとか、妄想だとかいう馬鹿たちが、何千人押しかけて来ようが、叩き潰してみせる。なで斬りにする。それぐらいの大きな大きなテーマたちだ。

副島隆彦の真実暴きの言論の恐ろしさを、これまでに知っている人は知っている。それが今、日本全国に、1万、2万、3万、5万、ついには10万人ぐらいまで増えてきている。だから私は、自分の真実を書く精神で、真実あるいは、隠されていて、真実らしいものについて、自分の能力の能(あた)う限りで書く。後世(ていせい)に、さらに大きな真実が明らかになることによって訂正されることも認める。

このようにして自分で自分を守ってもいる。恐れることをしないで、この時の今の時に、突撃をしている。私は、今、かなり勢い込んでいるが、この観点から今も隠(かく)されているたくさんの事実を全て暴き立てて、そして腹蔵(ふくぞう)なく書いて、おのれに正直に生きて、そして平安、平穏に死んでいく。

今はこうやって、私はしゃべりおろしているから、ゆっくりと書くことができない。だが日本の知識人階級といったって天皇家の真実の歴史など、誰も何も知らない訳で、藤原氏だけでも、有名なのだけで500人ぐらいいますから、その人たちの名前がいっぱい出てくると訳が分からなくなる。知識人階級で日本史に詳しいと己惚(うぬぼ)れている連中でも、ここのところは近寄れない。私だって大変な苦労をして調べ上げて来た。ただ、私には、生来の天性(given ギヴン。与件)の才能として、大きな真実への接近能力というか、においで嗅ぎ取る、勘の鋭さが私には生来(せいらい)ある。そして、それを50年間掛けて自分で育てて、磨(みが)き上げて来た。だからこんなことが言える。

だから日本の国文学者たちがみんなでひそひそ話をして隠してきた真実で、言ってはいけないことを私は、はっきりと、突破口を切り開いて話している。信じてくれるか、くれないかの問題は二の次の問題だ。とても名前も知らない、これまで聞いたことも無い、藤原氏の名前がいっぱい出て来ると、普通の人間はほとんど馬鹿ですから、その馬鹿たちを相手に私はずっと生きてきたわけだが、馬鹿だから分かってくれないと嘆いている暇もない。

ただ、一番大事なことは、みんな自分の生活で忙しいからなのだ。生きることで忙しい。だから、大きな真実たちに気づかない。そして体制と大勢(たいせい)には逆らわない。学校で習ったことを疑ったり、時の権力者たちに逆らうと、自分がひどい目に遭(あ)うからだ。だから、今から1000年も前の昔の日本の歴史のことで、急にそんな「これまで日本の国家体制や文科省や国文学者たちが言ってきたことは嘘だ。本当のことを語っていない」と、私が言ったからといって、皆(みんな)の頭がひっくり返ることはない、ということも私は分かる。じゅうじゅう分かります。 しかしやっぱり、これまで隠されてきた、大きな真実を明らかにしなければいけない。その為(ため)に、私、副島隆彦がこの国に生まれた。

ここからは証明の作業になっていく。これが延々と数時間のテープとりになると思うけれども、それはもう構わない。それで、藤原道長のお父さんは藤原兼家(ふじわらのかねいえ、929-990年、61歳で死)と言う。兼家の5番目の息子が道長です。兼家は藤原北家(ほっけ)といって、そのころは京都が都です。

「光る君へ」の相関図

権力者になっていた兼家が死んで、長男坊の藤原道隆(ふじわらのみちたか、953-995年、42歳で死)がもう既に右大臣、左大臣をやって太政(だじょう)大臣になっていた。で、この道隆が995年にコロリと死ぬんです。ということは藤原北家としては、兼家の次の息子たちが重要になる。おやじの兼家と一緒に動いて、自分の朝廷内にいる敵対勢力を潰して回っていた、藤原道兼(ふじわらのみちかね、961-995年、34歳で死)という次男坊がいた。ところが、こいつも7日後に疫病で死んでしまった。この長男次男は優秀な男たちだったと思う。だが次の三男(道綱[みちつな])と四男(道義[みちよし])は、アホで能力がなかった。それで五男坊だった道長が、一気に内覧(ないらん)という職につく。この内覧というのは、右大臣左大臣とは種類が違うが、高級官僚だ。

官位一覧

右大臣左大臣の上は関白(かんぱく)だ。その前に太政大臣というのがあるんだけど。実際に内閣の閣僚みたいな感じで内覧に道長を一所懸命に押し上げたのが、まさしく姉の詮子(せんし)で円融天応の皇后だ。自分と長い愛情関係もある。それが995年に兄の道隆が急に死んだから、藤原家を守り盛り立てるためにはどうしても道長を上に押し上げないといけない。それで道長がこの995年から、急激に最高権力者になる(天皇を差し置いて)。道長は、966年生まれだから995年に29歳になっていた。長男坊の道隆が42歳で死んで、三男坊の道兼が34歳で死んでいる。道長がもう30歳(数えなら)だった。辻褄(つじつま)が合う。

ここでスペアタイヤ(spare tire)という話をします。今のイギリス王室のハリーといいますけど、ヘンリー王子。イギリス王家の次男坊の、このハリー(ヘンリー)王子(Prince Henry, Duke of Sussex、1984年-、39歳)は、国王の弟だということで、お兄さんのウィリアム(William, the Prince of Wales、1982年-、41歳)に赤ちゃん、長男坊も生まれているということで、もう自分は責任がないということで、アメリカの黒人女のメーガン(Meghan, Duchess of Sussex、1981年-、42歳)と結婚した。このことで評判が悪くて、欧米の白人世界では、今もわーわー騒がれている。ハリーは『スペア』という自伝の本を書いた。自分はスペアタイヤなんだと。兄貴が急に死んだりしたときには、自分に大事な国王の椅子が回ってくるという立場だった。だけど次男坊、三男坊とかは、国家体制からは相手にされない。

ハリーとメーガン

ウィリアムとキャサリン

国家にとっては長男坊だけがものすごく大事だ。かつての家族制度や家制度や政治体制において。次の跡継ぎ(長男坊)だけがものすごく大事で、あとは「部屋住み」と言って、武士とか貴族でも、大きな百姓の家や、商家でも、所領、領土、財産をもらえない。

「田分け」という言葉が名古屋にある。馬鹿野郎、愚か者 の代わりに名古屋人は使う。「たあけー」と罵(ののし)る。兄弟が多いと相続で田んぼを分けると、その一族が衰退して力がなくなるという意味だ。だから、田分けをしてはいけない。だから田んぼを分けてもらえないのが次男坊から後だ。人類の歴史はそういうものです。貴族の称号も長男坊しか継げない。無理やり兄弟で継いだりもしますけど、大事なのは長男坊だけだ。

藤原摂関(せっかん)家(氏の長者=うじのちょうじゃ=とも言う)になった、一条、二条、近衛、鷹司 (九条家もある。他に、今残っているのは冷泉家=れいぜいけ=)を筆頭にして、藤原貴族たちの話をするよりも、たとえば、東京の神奈川県の小田原のあたりの大地主である河野一郎(こうのいちろう、1898-1965年、67歳で死)、河野洋平(こうのようへい、1937年-、86歳)、河野太郎(こうのたろう、1963年-、60歳)の3代でも、はっきり自分で書いているけど、長男家だけが大事で、次男坊から後は相手にされないで育てられたという言い方をしている。
ただし長男坊が、あまりにも虚弱で、精神病だったり知能が足りないようだったりすると、取り替える(廃嫡=はいちゃく=する)。このことは歴史的に、どこの国の王様や権力者の家系の中でもある。そのときのためにスペアが居るから、それと取り換える。

光源氏であるところの道長は、若い頃、元気で、遊びほうけている。ものすごい遊び方をしている。13,4歳から激しく女遊びをしている。もう、すさまじい女遊びだ。周りは、その事をほったらかしだ。誰もそれを止めない。なぜなら天皇の隠し子で、権勢のある藤原家の息子だから。だから貴族のいろんな女たちに手を出して回って、ものすごい数の恋愛、性体験をしている。同性愛や、幼女性愛(現代のペドフィリア Pedophilia だ)も。それが源氏物語の前の3分の2だ。
終わりの「宇治10帖」よりも前の、「葵上(あおいのうえ)」を、道長=光源氏 が、のちに理想の正妻にした。が、それでも浮気をやめない。それが男だ 。このあたりから、熟年になった、道長が、憂鬱になって深く反省を始めた。それで若い頃に遊んで、自分が生ませた子供たちを、次々の自分の豪邸の、六条殿(ろくじょうどの)に、引き取って、面倒をみる、という話になる。 10代、20代の頃の道長は、のぞき(垣間見=かいまみ=る、と言う)をやったり、強姦したり、頭中将(とうのちゅうじょう)という悪い友達たちと、下級貴族の女たちを誘拐して犯したり、いろんなことをやっている。それが『源氏物語』の真実の話だ。

このことも、あからさまに言ってはいけないことになっている。けれども、中身を読めば全部書いている。私は高校2年、17歳のときに『源氏物語』の54帖を口語訳の一番簡単なもので全巻読んでいる。それが今も脳の中に残って溜まっている。だから大体今でも覚えている。道長は5男坊(本当は、村上天皇の隠し子。だから、源氏)だから、遊び呆(ほう)けていて構わなかった。遊びがあまりに酷(ひど)いうことで、一時は、須磨(すま)さらに明石(あかし)に、危険を察知して逃げている。またそこで女性たちと遊んでいる。

ところが、兄たちが死んで、それで、自分が最高権力者になってしまった。かつ、一条天皇の真実の父親だ。 道長は、極めて優秀な頭脳をした有能な為政者(いせいしゃ)だ。良く国を治めた。かつ独裁者である。天皇たちを、次々に取り替えた。自分の娘たちと結婚させていたのに。 道長は、多くの日記を自筆で書いて残している(国宝に指定)。こういう全体の骨格が、私たちの源氏物語の真実である。

(つづく)

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