「133」 ズビグニュー・ブレジンスキーという世界戦略家 の 経歴の情報を集めたもの。2010.9.11

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副島隆彦です。今日は、2010年9月11日です。 続けて載せます。 ズビグニュー・ブレジンスキーという、極めて優秀な頭脳をした、ポーランド系の世界戦略家のことを調べていた時の情報文。たいした内容ではないが、ここに載せておく。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

● 2009/01/09(金)
 デイヴィッドに勝ったジェイが、ブレジンスキーを利用している。  FEMAを創設したのもブレジンスキー 。

● カーター政権時の国家安全保障担当大統領補佐官。
『孤独な帝国アメリカ』『ブレジンスキーの世界はこう動く』
『大いなる失敗』『ひよわな花・日本』

「テクネトロニック・エージ―21世紀の国際政治」 (1972年)
ビグネフ・ブレジンスキー (著)  直井 武夫 (翻訳)

● ブレジンスキーは、「日本はアメリカの家来」(a vassal state 、ヴァサール・ステイト)とは言ってない。 de facto protectorateと言った。

de facto protectorate 「事実上の保護国」 →保護国 → vassal → 家来  となったようだ。

●  ブレジンスキーの父親は、ポーランド第二共和国独立運動の闘士。 ポーランド共和国独立後は外交官。 ワイマールドイツ→フランス→ナチスドイツ→スターリンのソ連→カナダに赴任して、 ポーランド総領事としてカナダにいた。このときにナチスドイツとソ連がポーランドを侵略したために帰国できなくなった 。 

 戦争直前ナチスドイツに赴任していた。 このとき、すでに強制収容所に入れられていたユダヤ人を救い出そうと奔走した。 このことで、戦後にイスラエルから「正義の異教徒」(杉原千畝が死後に贈られたアレ)の賞を贈られている。

 戦後は、ケベック州文部省に勤務しながら在カナダポーランド人協会の会長を長年務めた。 さらに世界ポーランド人協会を設立した名士中の名士だ。 1990年に93歳の天寿を全うした。 この父ありてこの息子あり

 背景としてはポーランドの小シュラフタの家系に生まれ、父親はエリート外交官でナチス・ドイツ時代のドイツ、スターリン大粛清時代のソ連に赴任、一家で赴任したためズビグニェフ少年は歴史の貴重な目撃者でもある

父親の赴任でカナダに移った直後にドイツがポーランドに侵攻したので帰国できなくなって、アメリカに移りそのまま永住 。全体主義を憎む強烈な正義感・現実主義・マキャベリズムの共存はこの少年時代の体験からロシアの独裁者プーチンが内心最も怖れる人。

● 世界市民主義者  
 ポーランド史を知ってるとすぐわかるんだが、「ジェチポスポリタ」の思想とはまさにこれ
ポーランド王国の基本はコスモポリタニズムであり民族主義ではない

2006/05/19(金)
(以下は、ブレジンスキーの「(ユーロ・アジアの)グランド・チェスボード」の要約文 だ。副島隆彦註記)
 
 ユーラシアというきわめて広大で、形の変わったチェス盤が、
「ゲーム」の場になっている。西部の勢力圏が拡大して中央部が
しだいに引き寄せられていき、南部を単独で支配する国が登場する
ことなく、東部が連合してアメリカ軍を近隣の基地から追放すること
がなければ、アメリカは優位を保っているといえる。しかし、中央部が
西部の勢力圏拡大を拒絶して独立独歩の統一をした勢力となり、南部を
支配するようになるか、東部の主要国と同盟関係を結んだ場合、
ユーラシア大陸でのアメリカの優位は、劇的に縮小する。東部の2つの
主要国がなんらかの形で連合した場合にも、同じことがいえる。
 もうひとつ、西部の同盟国が西端周辺部の基地からアメリカ軍を追放
すれば、ユーラシアのチェス盤で戦われるゲームから、アメリカは自動的に
追い出される。もっともそうなれば、西端の地域はいずれ、中央部に位置する
復活した大国に従属することになるだろう。

 現在の世界情勢を考えるなら、ユーラシアの新しい政治地図には、地政戦略上、
重要な参加者が少なくとも5カ国あり、要衝が少なくとも5カ国ある。
フランス、ドイツ、ロシア、中国、インドの5カ国が主要で活発な参加者であり、
イギリス、日本、インドネシアはたしかにきわめて重要な国であるが、参加者
としての資格を備えていない。ウクライナ、アゼルバイジャン、韓国、トルコ、
イランは決定的に重要な要衝の位置を占めており、このうちトルコとイランは
ある程度まで、地政戦略ゲームへの参加者であるとも言える。

 この点で、韓国へのアメリカ軍の駐留を維持することがきわめて重要である。
韓国からアメリカ軍が撤退すれば、日本はもっと自立した防衛体制を構築しなければ
ならなくなるので、日米の防衛協力が現状を維持できるとは考えにくい。しかし、
南北朝鮮の再統一の動きが起きれば、アメリカ軍が韓国に駐留する根拠が脅かされる
だろう。統一が実現すれば、アメリカ軍の軍事的保護をいつまでも受ける方針を
選択しない可能性もある。中国が朝鮮半島の再統一にむけて影響力を行使した場合、
アメリカ軍の撤退がその対価になる可能性がある。要するに、アメリカの対中国政策
は、日米韓の安全保障関係に直接の影響を与える。

● 2008/11/08(土)

 2008年9月20日、土曜の夜。 パキスタンの首都イスラマバードの都心部、
大統領官邸のすぐ近くの米国系高級ホテル(マリオット・ホテル)に、
推定爆薬六百キログラムを積んだトラックが突入し、大爆発が生じて
ガス管に引火し、六階建ての高級ホテルは全焼した。死傷者約三百名。

この事件は何を意味するか? その深層を知るためには、次の本が必読である。
(1)ブレジンスキー著「セカンド・チャンス」(邦訳あり)

ブレジンスキーによれば、一九八九年、ベルリンの壁の崩壊後、米国は世界唯一のスーパーパワー、世界の支配者たるべき第一のチャンスをみすみす逃した。その責任は、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)の三人の大統領にある。この三人の大統領は、第一のチャンスを捉えることに失敗した。二〇〇九年一月から始まる米国の次の大統領は、第二のチャンスを捉えなければならない。

第二のチャンスを捉える。  米英が、ロシアを滅亡させ、ロシアを占領し、ロシアの領土を・・・・そこで最高の戦略家たるブレジンスキーに任務を・・・・ブレジンスキーは、この戦略を実行させるべき次期米国大統領候補として、バラク・オバマを選んだのである。

ブレジンスキー戦略によれば、米英NATOがロシアを滅亡させるためには、ロシアをロシアから見て、西部戦線、南部戦線、東部戦線と、三つの方向から包囲すべし、と成る。しかる後、決定的戦略的攻撃方面は中共とロシアを分裂させることだ。つまり、SCO(上海協力機構)を解体して、中共をロシアと敵対させるのである。このために、中共を包囲 して締め付けるべしと。 かくして、パキスタンの不安定化とパキスタンの解体が目標に上る。

●  2008/11/08(土)

 W・G・タープレイの新著「オバマ ― ポストモダン・クーデター」(二〇〇八年六月刊)
の序章「オバマ ― 二〇〇八年、CIA権力によるクーデター」。これは、七十四頁と、長大な章である。本書の約四分の一を占める。以下にその要点を列挙する。

(1)米英世界金融寡頭権力体制(オリガルキー)、または、英(ブリテン)米世界
  帝国体制は、今、深刻な瓦解の危機にさらされて居る。
(2)ブッシュ=チェイニー=ネオコン一味の路線は、完全な失敗に終わった。
(3)彼らは、新しい戦略、新しいアジェンダ、新しい作戦計画を採用した。
(4)この新しい戦略を立てたのは、ブレジンスキーである。
(5)ブレジンスキー戦略の概要は、以下の如し。
   [a]アメリカにファシズム国家体制を構築する。
   [b]ここで、ファシズム国家とは、第一次世界大戦後、イタリーと、ドイツに樹立
     された様な、草の根からの大衆の熱狂的エネルギーの動員を不可欠とする。
   [c]ブレジンスキーは、この様な意味でのファシズム体制を米国に確立する為の
     前提として、そのカリスマ的リーダー、オバマを二十五年かかって育成した。
   [d]ちなみに、オバマの妻、ミシェル・バラク(黒人)は、本格的なファシスト
     イデオローグとして育成された。
   [e]ブレジンスキーは、勝負に出た!!
   [f]米国をファシスト化して、米国をトータルウォー、米国の全力を、
     ロシア打倒のための世界戦争に動員する、そのアジェンダに向けて。
   [g]今回の米大統領選挙は、クーデターであって、通常の大統領選挙ではない。
   [h]ブレジンスキー戦略の主要打撃方向は、ロシアである。ロシアの解体、占領である。
   [i]ロシア打倒のための主要戦略は、中共をしてロシアのシベリア領(その石油、天然
    ガス資源)を占領せしめることである。

プーチンのロシアはこの手の内を先刻お見通しである。 もちろん、ブレジンスキーも、プーチンが手の内を承知して居ることを知っている。

● 2008/11/09(日)
W・G・タープレイ曰く。 オバマ現象を理解するためには、「ファシズム」を 理解しなければならない、と。ファシズムは、次の如く定義される。

(1)ファシズムの最初は、ムッソリーニに率いられたイタリーのファシズム運動である。
(2)ファシズムは、支配階級が逃げ場のない、絶望的な危機に追い詰め られた時にのみ、登場する。
(3)そのような情勢下で、金融銀行寡頭権力国家体制は、左翼的外被を着けた、草の根からの急進的大衆運動を動員する。
(4)そのために、彼らは、カリスマ的指導者を見付けなければならない。
(5)そして、このカリスマ的指導者は、若くなければならない。
(6)このカリスマ的指導者は、大衆を魅了する雄弁家でなければならない。
(7)この指導者は、疎外に対する戦争 War on alienation を宣戦布告する。 疎外と、疎外を生み出す、すべてのものに対する挑戦とその克服を。
(8)彼は、団結と希望。一体性の回復を約束する。
(9)ファシズムは、疎外され分断された大衆を強大な大衆運動に結集する。
(10)議会と党派政治システムは、破産を宣告され、従って、消滅させられる。
(11)ファシストのカリスマ化された指導者は、大衆に犠牲と献身を要求する。
(12)ファシスト運動に必要な莫大な活動資金は、秘密のうちに、国際金融寡頭権力によって、供給される。    
と言った具合である。

●(副島隆彦注記。以下の文を誰が書いたのか分からないが、甘い。ブレジンスキーはオバマを大統領にするべきだと、デイヴィッドに推薦したのは、事実だ。しかし、オバマは当選した途端に、力を奪われた。デイヴィッドの側近たち(ポール・ボルカーや、ロバート・ルービンら)に、完全に押さえ込まれた。ブレジンスキーの子飼いの(元々民主党人材の)ロバート・ゲイツ国防長官は、予定通り、民主党政権になっても横滑りで、留任した。

 が、今はもうしゅんとしている。ジョー・バイデン副大統領とふたりで、苦虫を噛み潰したような顔をして、後ろに立っている。 オバマは、妻のミッシェルと二人で、しょぼんとしている。「逆らうと、殺すぞ」と、言われている感じだ。生(なま)の政治と言うのはそういうものだ。 副島隆彦注記終わり 以下の文は、誰が知らないが、甘ちゃんの文だ。)

 2008年12月2日までに、オバマ次期大統領は、新政権の主要閣僚を決定した。 その中の、最も注目すべき人事は、国防長官にゲーツが留任したことである。つまり、ブッシュ共和党政権の国防長官ゲーツが、オバマ民主党政権の国防長官に留任したのである。

 W・G・タープレイは、ゲーツが、カーター民主党政権期に、ブレジンスキー大統領補佐官の部下となり、その時から現在まで三十余年に亘って、ブレジンスキーチームの忠実な一員であり続けている、と述べている。 つまりゲーツは、この三十年来、ブレジンスキー戦略の軍事面を推進する実行役である。

  三極委員会(TC)──ブレジンスキーがブッシュ政権のネオコン派を追い落とすことに成功した時、ブッシュ政権内ネオコン派の中枢ラムズフェルド 国防長官を追放して、ゲーツをその後任とさせた。これは、単純な「人事」ではない。 民主党内の大統領候補決定に於いて、オバマが優位に立ったことが明らかになった。

 二〇〇八年六月、ブレジンスキー/オバマ陣営は、十一月四日の大統領選挙の結果が明らかになる以前に、事実上、米国の国家権力の中枢を、 プリンシパル・コミッティー、という形で掌握した。そしてこのプリンシパル・コミッティーのメンバーは、ゲーツ国防長官、ライス国務長官、ポールソン
財務長官、マレン米軍統参議長、その他である。

 つまり、ブレジンスキー=オバマ派は、二〇〇八年六月以降、米国の軍事 力を指揮下に置いたのである。ブレジンスキー=オバマ政権はまもなく、ブッシュ政権からオバマ次期政権に権力を移行するための組織を、正式に確立するであろう。

 その主力は、約三千人といわれる政治任命人事の決定である。このことの意味は、米国政府各省庁の中の政策決定権を有する高官の選定である。この人事決定に於いて、ブッシュ現政権期のネオコン派を完全に一掃して、要所に彼の一派を配置するであろう。

● (副島隆彦注記。以下の文は、ネット上に会ったものに、今、私が、かなり手を入れて、私の気に入るように改作した。副島隆彦注記終わり)

 1979年(第1次アフガン戦争)から、ソ連はアフガニスタンに侵略(軍事侵攻)した。そして軍事占領してコントロール下においた。 首都カブールの、ソ連の傀儡(かいらい)政権のアフ ガン政権に対抗するために、ブレジンスキーガ、今日「イスラム原理主義のテロリスト」と呼ばれている、アルカイーダ(基地とか、出撃拠点と言う意味)の部隊を養成し、資金提供し始めた。だから、この構想を編み出したのは、ブレジンスキーであると彼自身が公然と認めている。 
 
 ブレジンスキー戦略は、ソ連がカブール政権を守るために、どうしてもアフガニスタンに侵攻するようにそそのかしたことだ。アメリカのライバルである超大国のお「ソ連に、”ベトナム(の二の舞)”をお見舞いしてやること」だった。 この計画によって、1979年から1989年の10年間のアフガニスタンのソ連占領期を通じて、百万人のアフガン人の生命が犠牲となった。がブレジンスキーは、そういうことは一向に気にしない。

 ブレジンスキーが発案・構想して、育てた「(イスラム世界の)自由の戦士」たちは、ムジャヒディン(イスラム戦士)として知られるようになり、 後にタリバン、アルカイーダといわれるものになった。これが黒人だからリベラル派の大統領ということになっているオバマの背後にいて彼を育てた男である。

 70年代のカーター大統領は、こと外交政策に関しては、実は、補佐官のブレジンスキーの了解なくしては、 何もできなかったことは周知の通りである。カーターを大統領に「選んだ」のも、デイヴィッド・ロックフェラーであり、ブレジンスキーである。カーターと馬があったのは、「人権外交」「正義の実現の外交」だ。この二人は、本気だったようだ。 ブレジンスキーが、「米欧日三極委員会」(トライラテラル・コミッション)のアイデアを創出して、デイヴィッドに受け容れられたのであるから、彼は、三極委員会の共同設立者である。

 三極委員会と、フォード基金のような前線組織を含むブレジンスキーの広いネットワークは、、次にオバマを選んだ。 状況は同じである。あれこれの方針はブレジンスキーが立てる。オバマはそれ発表するだけである。ブレジンスキーが、ロシアと中国を巻き込む大きな世界戦争を仕掛けたがっていることを考えれば、これはかなり危険な兆候である。

 こうして、オバマの政策は、ブレジンスキーの著作からのアイデアで出来ているだろう。ブレジンスキーの 本から引用されている。これらの文は、オバマが大統領選に出馬表明する前に書かれたものだ。

●  「社会の見直しが必要である。それは、利己的なものでなく、より高尚な目的に奉仕
するという考え方を重視した、計画的な市民教育によって実現されるであろう。この
ような対策が緊急に必要であるとすでに指摘している人もいるが、この方向性に
沿った具体策として、中心となるのは、すべての若者を対象に強制的に国のサー
ビスに従事させる期間を設けることであろう。それには議会で承認される国内外の
慈善活動も含まれるであろう」  

どこかで聞いたことがあるような。

  ブレジンスキーの目的は、世界政府をつくり、世界中央銀行、世界通貨、世界軍を創設し、地球規模のコンピュータと衛星システムに接続されたマイクロチップ埋め込み
人間によって支えられた地球規模の独裁体制を築くことにある。

 ブレジンスキーは 1970年に『二つの時代の間に:情報ネットワーク技術時代の米国の役割 Between Two Ages: America’s Role in the Technetronic Era』という本を書いた。その中で、
彼と彼のご主人たちが押し付けようとしている地球社会の計画について述べている。

 「情報ネットワーク技術時代では次第に社会の管理は強化されていくことになる。 伝統的な価値にとらわれないエリートによって支配される社会になるだろう。 やがて全ての市民には絶え間ない監視が行き届くようになり、市民の個人情報の大半は常に最新状態の完全なデータとして保たれることになるだろう。こうした データは、政府によって瞬時に検索される状態となる」

同じ本であるが、四十年近くも前にこんなことも書いている。

「現在、我々はまたしても超国家的なエリートの出現を目の当たりにしている…
…その結束は国境を越える……やがて、発展した諸国の社会的エリート達の
多くは、外見も中身も極めて国際主義、地球主義者になることであろう…民族
国家は次第に主権を明け渡しつつある……今後一層の進展にはより多くの
米国の犠牲が求められる。今日の比較的良好な米国の地位に対して必然的
にリスクをもたらすことになるが、より懸命な努力によって、新しい世界の
金融構造が形成されなければならない」

●(副島隆彦注記。以下の文は、はずれだろう。)

>ブレジンスキーの目的は、世界政府をつくり、世界中央銀行、世界通貨、世界軍を
>創設し、地球規模のコンピュータと衛星システムに接続されたマイクロチップ埋め込み
>人間によって支えられた地球規模の独裁体制を築くことにある。

それはない。 彼の目的は、アメリカや自由世界の力を利用してロシアを弱体化することによる、愛する祖国ポーランドの安全保障。 その最大の手段は、民族主義を排してコスモポリタニズムを広めること

  これは15世紀のクラクフ大学学長パウルス・ウラディーミリがコンスタンツ公会議で提唱した、祖国ポーランドの 偉大で崇高な理念であり、ヨーロッパ初の民主憲法を制定したポーランド国家の基幹である「ジェチポスポリタ」の理念である。 ブレジンスキーはそれ以上のことは考えていない。

● 2009/01/05(月)

 グルンヴァルドではハンザ同盟やプロイセン連合といったドイツ人の商工民(ブルジョワ)や、 チュートン騎士修道会に属さないドイツ人の僧侶は、みんなポーランド王国を支持した。

 その半世紀後に、プロイセン連合は正式にポーランド王国 (ヤゲロー王朝?)に加盟する。たとえば、コペルニクスは、ハンザ同盟&プロイセン連合の都市である トルン で生まれた。東方ドイツ語が母語のコペルニクスは、ポーランド人であり、ポーランドのクラクフ大学でポーランド人としての教育を受けているのはそのためだ。

 あの地方では、チュートン騎士団に属さないドイツ人は、みんなポーランド王国がよかったと思っている。理由は、ポーランドが、20世紀のアメリカのように自由で豊かで寛容な国だったからだ。 ポーランド人は、ポーランドの各地方の部族だけでなく、そのほかにドイツ人、リトアニア人、ルーシ人、チェック人、 スコットランド人、オランダ人、デーン人など、多くの民族が混血している。

 ポーランドとドイツが民族的に分断していった端緒は、ポーランド消滅後 しばらくして、ナポレオン戦争にケーニヒスベルクが巻き込まれて、当地のドイツ人の商工民(ブルジョワ)に民族意識が高まってからだ。フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」の演説と本が、そのことを象徴している。

 チュートン騎士団は、”邪悪な全体主義者の暴力集団”である。このチュートン騎士団やナチス、そして共産主義者と戦うのは、 諸民族の救世主であるポーランド が負った崇高な使命である、と考える。 ブレジンスキーはその伝統的な「正義のために戦うポーランド人」の典型だ。
彼はやっぱり ”ジェチポスポリタ(正義の国家) の シュラフタ 」 だ 。 「タデウシュの子供たち」の一人だ。  

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

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