ペルーの元大統領 アルベルト・フジモリ氏の意気軒昂な最近の様子の情報を、ここに載せます。
副島隆彦です。 今日は、2005年10月21日です。
私は、これから、ここの掲示板を利用して、私の元に集まった
情報文で、優れた内容のもので、私の判断でここに転載することに決断しました。
「重たい掲示板」に載せるわけには行かないような、他所から発信された情報や、知識文章です。私の判断基準で、私たちの学問の会員の皆さんの役に立つであろうものを、こっそりと載せます。
こっそりと載せるのですから、公開はしたままにしますが、このあと、私の判断で暫定的に掲載を続けてみます。問題が起きるようでしたら、方針を変えます。閉鎖して会員しか読むことが出来ないようにしようと思います。そういうシステム変更は簡単です。
ですので、以下の文章は、第一回目として、ペルーのあのすばらしい世界基準の日系人の大統領であった、アルベルト・フジモリ氏の近況です。たしかに、たいした人物です。どんな逆境にあってもめげない人です。
以下の文章の出典と筆者は、上記の理由から、明らかにしません。私の知己の人です。
こっそりとはじめるのです。趣旨をご理解ください。副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
以下は2005年10月20日に書かれた文章である。
◆今週のテーマ
フジモリ元大統領の挑戦
10月6日、ペルーのフジモリ元大統領の講演会(弊会主催)が憲政記念館で開催された。フジモリ氏は「私の支持率は3割以上ある。法的に問題はない。私は必ず復帰する」と明言した。
これは来年4月に行われるペルー大統領選への立候補を正式に表明したものだ。当初はフジモリ氏からテレビカメラの持ち込み取材は断ってほしいとの要請があった。ところが当日になって急遽記者会見を行った。
フジモリ氏は既にペルー政府発行のパスポートを9月に取得している。当日は帰国時期を明らかにしなかったが、帰国後逮捕されないよう、弁護士を通じてペルー司法当局に働きかけていることを明らかにした。
フジモリ氏は、刑事訴追手続きの不備で逮捕命令が取り消されるとの期待を示した。現在10年間の公職追放決議を受けており、取り消しか否かペルー中央選管の国家選挙審議会(5人)の決定が待たれている。
●講演会を中止せよ
10月6日、講演会当日の朝、会場側をはじめペルー側の関係者から“講演会を中止せよ”との連絡が入った。しかも中には“中止しなければ何が起こるか分からないぞ”という強硬なものまであった。
さらに前日の夕刻、ペルー大使のルイス・マキャベロ氏からFAX が送られてきた。つまり“この講演会はペルーと民主体制に対する非友好的行為であり、断固とした抗議を表明する”というものであった。
マキャベロ大使のFAX内容は以下の通りである。
「自国の司法から、人権侵害、汚職を含む様々な犯罪により召喚され、インターポールから国際手配が出され、日本政府にペルー政府より正式に2件の引き渡し要請が出されています。また、これからも様々な件での引き渡し要請を手続き中のペルー国民にこのような形で後援するということに対して、断固とした抗議をせざるを得ません。(中略) 多くの国が前大統領を逃亡者と認め、国の領土内に入った場合は身柄を拘束しペルーに引き渡すという決定を表明しています。これらの国々は『アメリカ合衆国、ドイツ、中国、スペイン、イタリア、メキシコ、ニュージーランド、ポルトガル、チェコ共和国、ベネズエラ』などです。(中略)フジモリ氏は1992年4月5日にペルーの憲法をねじ曲げ、民主国家の権利を侵害し、ペルー国会を解散させた人物です。今回議会制民主主義についての一般認識を深めることを目的に設立された憲政記念館で講演を行うことは許されない行為です」
などとの抗議内容であった。
●フジモリ氏、再出馬表明
ペルーでは現職のトレド大統領の不人気に加え、それに変わる対立候補もいない。今や貧困層の不満は最高潮に達しており、フジモリ氏復活の声が次第に盛り上がりを見せている。現在ペルーの各種世論調査でもフジモリ氏が第1位を占め、約35%以上の支持率だ。さらにこの時期に事実上の立候補を宣言したのは、ペルー世論や審議会に大きなインパクトを与えるのを計算に入れてのことと思われる。
●側近の不正蓄財が飛び火
現在、フジモリ氏は殺人、公金横領、汚職などで刑事訴追を受けている。大統領を辞任して以来5年も経過している。フジモリ氏が辞任に追い込まれた最大の理由は、側近だったモンテシノス
国家情報部元顧問の不正蓄財事件である。モンテシノス氏はとかくの噂が絶えず、問題ある人物であった。しかし彼は軍や情報機関の人脈を持ち、いざとなれば役に立つ部下である。彼はこの人脈を維持するために裏金を必要とした。
モンテシノス氏は、1997年の日本大使公邸人質事件の武力解決と難局打開で活躍した。しかし野党議員買収疑惑を引き起こし、フジモリ政権(三選後)崩壊の引き金となる。
●証拠なき容疑
フジモリ氏への疑惑には、「20億円を邦銀の口座に入金、ペルー当局捜査開始へ」とか「東南アジア、パラグアイなど世界各国に複数の口座を持っている」とか、犯人と決めつけた報道もあった。さらに日本からの寄付金や学校建設の寄付金を横領し、不動産資産を14件持っている、さらにミグ29戦闘機を39機保有しているなど、ばかげた情報まで垂れ流されていた。
これに対してフジモリ氏は「私が寄付金を横領したというモンテシノス氏の言葉を信じるなら、私がアジア各国に口座を持っている証拠、私が所有する不動産資産を新聞で公表できますか」と問いかけた。
●初の無罪判決/ペルー最高裁
10月18日、現職当時のことで公金横領罪に問われたペルーのフジモリ元大統領について、同国最高裁は証拠不十分で無罪とする判決を言い渡した。このフジモリ氏問題について、特に共同通信社はかなり深く突っ込んだ取材や調査を行っている。取材担当者は、証拠のないフジモリ疑惑より今後の大統領選に出馬できるか否かに焦点を絞っていた。今回の無罪判決は想定内のことである。
●米国は反フジモリだった
かつてフジモリ氏はペルーの民主化と国家再建に大英断を下した。彼は手段として非常国家再建政府を樹立した。このフジモリ改革によって旧支配層の既得権益(政治・経済基盤)がずたずたに破壊されたのである。それゆえ彼らの反撃は、米国を巻き込みフジモリ追い落としに拍車をかけたとしても、決しておかしな話ではない。
そこで米国のフジモリ氏に対する疑問、不信感が募り、全世界にウソとデマ情報を流したという見方もある。フジモリ疑惑の発信元は米国だというわけだ。フジモリ氏の辞任後、ペルーは旧支配層が再び実権を握ることになった。
今まで、何らかの意図で作為的に情報操作されてきたことは明白である。物事の真実を確かめず、疑いもせず、我々は一方的な情報を受け入れてきた。
●フジモリ時代の功績
フジモリ氏による大統領時代には輝かしい功績がある。それまで慣例化していた公務員の贈収賄や汚職の追放に力を注いだ。歴代大統領たちの、一部の特権階級の利益しか考えない無責任な無能無策の政治を改革した。前大統領の対外債務支払拒否政策のために失っていた諸外国の信用を回復し、年率7600%のハイパーインフレに見舞われていたペルー経済を立て直してインフレ年率を数%に減らした。
また、インディオの教育に重点をおいて2000校を超える学校を設立し、非識字率を14%から7%に減らし、隣国のエクアドルおよびチリとの長年の国境問題を解決した。
テロリズムの問題に取り組み、民衆を虐殺していたセンデロ・ルミノソとMRTAをほぼ制圧して民衆を恐怖から解放し、国民治安を改善して観光業を振興させ、ペルーを見捨てられていた政情不安定な後進国から国際的に重視される国へと引き上げた、などフジモリ氏の政策によってペルーは大改革されたのである。[著書「大統領への道」より]
●復帰を待つペルー国民
6月10日、名古屋観光ホテルでフジモリ氏と朝食を共にする機会があった。フジモリ時代、ペルーの再生に成功した要因は何かと聞いたことがある。彼は「会社の経営も国の統治も同じことです。私が1975年にラモリナ国立農科大学の学長時代、学校経営に苦労した体験が役立っている」と語った。
又、フジモリ氏は政権のスローガンとして「誠実、技術、勤勉」を掲げた。これは昔の日本人が大切にしてきた民族的なDNAである。フジモリ氏は大学教授であったことを誇りとし、昔の日本人魂を精神的支柱とした。
フジモリ氏はたくさんの仕事をこなしてきた。彼はいつも「私は有言実行ではなく無言実行である」と言っている。大統領就任と共に立法府・司法府の改革を行う。さらに「民営化促進法」
「規制解除法」をはじめ国営企業の民営化、財政支出のカット、金融の自由化など、自由市場経済への道を開いた。
今、ペルーは政治的・経済的混乱が続き、テロが復活するなど治安は危機的状況だ。つまり、昔のペルーに回帰している。最近、フジモリ氏は一日の大半をパソコンに向かっている。今後の復帰に備えて着々と準備を始めているかのようだ。ペルー国民の大半がフジモリ氏の大統領再選を望んでいる限り、その期待に応えなくてはならない。 次回は10月27日(木)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
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