「171」「共同幻想論」に到達した思想家たち ③

副島隆彦です。「共同幻想論」に到達した思想家たち ③です。

 

■本『幻想の共同体』

私は前に自分の本、『日本人が知らない 真実の世界史』(日本文芸社 2018年刊)で紹介したんだけど、ベレディクト・アンダーソン(1936-2015 79歳で死)という人が『幻想の共同体(Imagined Communities)』という本を書いたのね。重要な本です。この人はイギリス人で、インドネシアとかタイとかの研究をやった。だけどアメリカのニューヨーク州のコーネル大学(7つの有名な大学の一つ)の教授になって、それで終わって死んじゃった。

ベネディクト・アンダーソン(Benedict Richard O’Gorman Anderson)アメリカ合衆国に移住したアイルランドの政治学者、コーネル大学政治学部名誉教授。専門は、比較政治、東南アジア、とくにインドネシアの政治。【ここから、wikipediaから抜粋。中国雲南省昆明市に生まれた。母はイングランド人、父はアングロ・アイリッシュ。本人はアイルランド国籍を保持していた。ケンブリッジ大学で古典学を専攻して卒業。コーネル大学大学院へ進学し、1962年から2年間、インドネシアでフィールドワークに従事した。1966年、研究誌『インドネシア』を自らが主体となって創刊する。コーネル大学で政治学博士を取得し、その後は同大学で教鞭をとった。しかし、1972年にスハルト政権によってインドネシアへの入国を禁止されたため、研究フィールドをタイに移してタイの言語・文化・政治研究をはじめた。1976年、コーネル大学政治学部教授に昇進。1994年、アメリカ芸術・科学アカデミー会員に選出された。2015年12月13日、滞在先のインドネシア・東ジャワ州バトゥのホテルで、睡眠中の心不全により死去。wikipediaから抜粋終了】

 

副島隆彦です。ベネディクト・アンダーソンは、10年くらいまで生きていましたよ。イマジンド・コミュニティは、正しく訳すと『想像の共同体』です。この本には、「タイとかベタナム、インドネシアとかに王様がいる。その王様はどうも中国系らしい。それでそれぞれの国で独特のイスラム教や仏教といった信仰をして、文化や種族をつくってるんだ」ということを描いた。冷酷に書いた。だからベネディクト・アンダーソンは、インドネシアへの入国禁止になりました。

タイ王朝やベトナム王朝というのは、キン族という少数民族が最大の人口を持っている。キン族というのは、中国に敵愾心をを持っている民族なんです。それでも真実は中国人の血が入っていて、もうちょっと言うと、中国の綺麗な女の人を妻としてもらってきて、子供を作って、王家を繋いでいったりしてるのね。【今でもそうなんですか?】今でもそう。というか、つい最近まで本当にそういうことをしていたんです。それを言われたくなかったみたいね。

キン族【ベトナムにおける主要民族で、一般的に「ベトナム人」と呼ばれている民族です。キン族はベトナムのみならず中国、ラオス、カンボジア、タイでも少数民族として暮らしています。紀元前、東南アジア最古の青銅器文化「ドンソン文化」を発展させ、小規模な国家群を形成していました。これが古越人とよばれ現在のキン族の先祖です。tnk japan ベトナム旅行とベトナム情報をお届けします!参照】

副島隆彦です。インドシナ半島の「インドシナ」っていうのは、「インドチャイナ」ですよ。インド系とチャイナ系が混ざっているからインドチャイナ、インドネシアというんです。あの辺のタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー…まあいいです。だからこの『イマジンド・コミュニティ』もね、共同幻想論そのものを解明した本なんです。

 

■本『第一三支族』が、ユダヤ人の秘密を暴いた

この本も重要です。私が尊敬しているアーサー・ケストラー(1905-1983 77歳で死)が書いた。『The Thirteenth Tribe』(1976年刊)、邦訳は『ユダヤ人とは誰か。第一三支族・カザール王国の謎(三交者、1991年刊)』。ユダヤ人とは本当は何なのか。ユダヤ民族はどのようにして作られたか、ということを書いた本です。

『第一三支族』
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アーサー・ケストラー(Arthur Koestler)【ここからはwikipediaからの抜粋。ハンガリー語: Kösztler Artúr、ブダペスト1905年9月5日 – ロンドン1983年3月3日)は、ユダヤ人のジャーナリスト、小説家、政治活動家、哲学者。ハンガリー出身のユダヤ人でありながら、著書『第十三支族』で、アシュケナジムユダヤ人のルーツはユダヤ教に改宗したハザール人であると指摘した。またソ連の現状など当時タブーとされていたことを積極的に書いた。後にイギリスに帰化している。妻とともに自殺した。wikipediaから抜粋終了】

 

副島隆彦です。今のウクライナあたりにいた人たちが、ユダヤの教典を勝手に受け入れて、ユダヤ人になっていった。それがアシュケナージユダヤ人で、彼らは髪が黄色とか赤色なんです。その人たちがアジア系の民族に押されて、どんどん移動していって、ロシアとかドイツの北あたりにまで広がっていった。アーサー・ケストラーは、自分もこのアシュケナージユダヤ人なんだと言って、この本を書いた。この本は今でも大事です。『真昼の暗黒』という本(スターリン時代の粛清の論理と戦慄のモスクワ裁判を描いて世界を震撼させたベストセラー)も書いた。これも有名です。

ハザール王国

ケストラーがこの『第一三支族』で、ユダヤ人の秘密を暴いちゃったんです。今のパレスチナ人こそがユダヤ人なんだと。彼らは戦争に敗れると原住民化する。そしてユダヤ教を捨てちゃってアラム人に戻って農民、百姓になる。時々病気がぶり返すように神を奉(たてまつ)るようになって、ユダヤ教を信仰する。すなわち、ユダヤ人に戻っちゃう。そして周りをいじめ出す。それがユダヤ人だと。だからヨーロッパ英語圏では、アラム人(パレスチナ人、アラブ人)もユダヤ人もどちらも「セム族」と言われる。

英語には、アンティセミティズム(反セム族)っていうコトバがある。アラブ人もユダヤ人もセム族で、ヨーロッパ白人から見たら一緒なんですよ。【アラブ人とユダヤ人は見た目が違うように思っていました】いや、一緒なんですよ。どちらもセム族と言われて、差別されているんですよ。

セム族の分布(wikiから)【セム族とは、セム系の言語を継承してきた民族の総称。主に中東、西アジア、北アフリカ、アラビア半島に分布する古代から現代にかけての様々な民族集団を指す。岩波文庫マニア『セム族』参照】

 

【参考文献 『「ユダヤ人」と「アラブ人」のあいだで』から抜粋引用 はじめ】
・・・すると、唐突にドライバーが笑顔で振り返り、「お前、日本人か? どうしてアラビア語が話せるんだ?」、そうアラビア語で話しかけてくる。このドライバー業界ではアラブ人労働者が多い。しかし、イスラエル国内で仕事をするドライバーは、車内の装飾や掲示などに、アラビア語やイスラームのものを使わないようにしていることが多い。乗客の大多数がユダヤ人だからだ。すなわち中立性を装う、アラブ人であることを露骨に示さないようにする、つまりそれは、ユダヤ人かもしれないと思わせるということまで含んでいる。(中略)

とはいえ、こうした背景も最低限くわえることで、「ユダヤ人」や「アラブ人」の区分が、古代から現在にいたるまでつねに流動的であり続けてきたことが分かるだろう。
最後にもう一つの逸話を。
以上のような事情もあり、実のところ外見でその人がユダヤ人なのかアラブ人なのかを判別することなどできない。日本から専門外の教員や学生を引率してパレスチナ/イスラエルを案内することがたまにあるが、よく聞かれるのが、外見や話してみて違いが分かるのか、という人種主義的な質問である。原則的な答えとして私が言うのは、「判別はできない」ということだ。

日常生活において人は生きやすさを選ぶ。ミズラヒームがアシュケナジームと「同じユダヤ人」になることを望んで自らのアラブ性を抹消し、イスラエルのアラブ人ドライバーが客を得るためにやはり自らのアラブ性を消去する(結果的に多少ともユダヤ人のフリをすることになる)。つねに全員がそうだというわけではないが、そういう構図が存在する。
【参考文献 「ユダヤ人」と「アラブ人」のあいだで から抜粋引用はここまで】

 

■今のイスラエル白人はアシュケナージユダヤ人

副島隆彦です。ただ、真実はね、今のイスラエル白人は戦後にヨーロッパ、主に東欧から帰ってきた白人たちなんです。だから顔が白くなっちゃった。それがアシュケナージユダヤ人です(アシュケナージ Ashkenazi はヘブライ語で、ドイツを意味する)。

それに対して、もともとの、古く5000年ぐらい前からいる原住民のユダヤ人。肌の焼けた人たちがスファラディ(Sephardi スペインの意)ユダヤ人で、アラブ人と混ざっている。この、アラブ人の一種であるパレスチナ人こそが「ユダヤ人」なんだと。現地で土着化して、イスラム教ができて(622年)からイスラム教徒になっただけのことで、本当はこの人たちこそ本物のユダヤ人なんだと、この学者、アーサー・ケストラーが言っちゃった。

【その人たちはイスラム教徒になっちゃったから、もうユダヤ人とは呼べないですよね】そうだけど、ユダヤ信仰がぶり返して、また宗教を変えてしまえばユダヤ人だ。戦争に負けた方が勝った方の宗教に変える。そうやって宗教をコロコロ変えながら、彼らは生きて来たから。実際に今、現地にいるユダヤ人とパレスチナ人は言葉が通じるらしい。だってガザやあの辺にいるパレスナ人たちを、ユダヤ人が雇っていますから。ユダヤ人が経営する農場とか工場でパレスチナ人は働いています。イスラエルにいるユダヤ人は前述したアシュケナージで、ヨーロッパから来たような奴らだけど、アラビア語とヘブライ語の壁を越えて言葉が通じるようです。文字は違うけど、話し言葉は一緒なんですよ。宗教で対立してるだけでね。

 

■本『ユダヤ人の起原』

それから、もう一つ重要な本がある。シュロモー・サンド(1946- 78歳)が書いた『ユダヤ人の起源―歴史はどのように創作されたのか(武田ランダムハウスジャパン 2010年刊)』です。原題は『The Invention of Jewish People (2008)』。

ユダヤ人の起源
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シュロモー・サンド【ここからはwikipediaからの抜粋。イスラエルの歴史学者。テルアビブ大学自分学部在任中。オーストリア・リンツの難民キャンプで、ユダヤ人の家庭で生まれた。1948年両親とともにイスラエルに移住し、のち左翼思想に傾倒し左翼団体で活動した。ザンドはイスラエルを離れパリの社会学科高等研究所に在籍した。1983年、同研究院でジョルジュ・ソレルの思想に関する博士論文を仕上げ、翌年出版された。のちイスラエルに帰国し1984年以降はテルアビブ大学で現代ヨーロッパ史を教える。
彼の著書、『いつ、どうやってユダヤ民族は作られたのか?』(2008年)はイスラエルのマスメディアに取り上げられ、当地で19週にわたるベストセラーを記録。その後、世界15カ国で翻訳され、日本語訳も2010年に『ユダヤ人の起源 ― 歴史はどのように創作されたのか』という題で、浩気社より発刊された。同年6月ザンドは来日し、東京、京都、広島で講演を行った。wikipediaから抜粋終了】

 

副島隆彦です。日本語では起原と訳したけど、起源はorigin(オリジン)です。そうじゃないんだ。Invention(インベンション)は「発明」と訳すべきだ。ユダヤ人というのは「発明」されたんだというのが、この本の題名です。それなのに日本では、本のタイトルをわざと間違って訳しているのね。シュロモー・サンドは、イスラエルのれっきとした大学であるテルアビブ大学の歴史学教授です。周りがびっくり驚くような学者で、あまり相手にされてないみたいだけど、偉い人です。

こういう世界基準の大きな思想を全部まとめて『新共同幻想論』に書いてやろうと、これが私、副島隆彦が本当にやろうとしていることです。

 

■吉本隆明の共同幻想論

ようやく、ここからまた共同幻想論の骨格に戻ります。吉本隆明は古事記という日本国の基本を作った記録(本当は古事記より日本書記なんだけど)と、それから柳田國男(やなぎだくにお 1875-1962 87歳で死)という日本の民族学者と、折口信夫(おりぐちしのぶ 1887-1953 66歳で死)を取り上げて、それで共同幻想論を書いたんですね。

柳田國男【東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を卒業して農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)官僚となり、貴族院書記長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇り詰めた。退官して約20年を経た1946年(昭和21年)に枢密顧問官に補され、枢密院が廃止されるまで在任した。「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者であり、多数の著作は今日まで重版され続けている。by wiki】


折口信夫【折口信夫日本の民俗学者・国文学者・国語学者で歌人「釈迢空」としても知られ、「折口学」と称される独自の学問体系を築いた。國學院大學・慶應義塾大学で教鞭をとり、『古代研究』『口訳万葉集』『死者の書』などを著した。民俗学の知見を文学研究に導入し、「まれびと」「貴種流離譚」といった概念を提唱、日本文化や芸能史研究にも大きな足跡を残した。by wiki

 

副島隆彦です。一対の男と女が性関係もあって一緒に暮らしているところの幻想を、吉本は「追幻想(ついげんそう)」と呼んだ。男女の追幻想から国家が生まれていったんだと。それがイザナギイザナミの思想になって日本国が作られていった、共同幻想が日本国の国家幻想を作っていった、という証明をやった。それが吉本隆明の共同幻想論という本なんです。

まあだけど、イザナギイザナミ神話というのは、本当はアダムとイブの話が中国を経由して日本まで来たものですけどね。日本の「国生み神話」というのも、「矛(ほこ)を海の中に垂らしてかき混ぜたら土地ができた」というのも、チグリス・ユーフラテス川で大洪水が起きた時の記憶があって、その話が極東の日本にまで伝わってきたものなんでしょう。大洪水の記憶が、ノアの箱舟とかなんかにも伝わっていくんだけどね。

 

■一神教の誕生

「創世記」に出てくるアブラハム【ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。by wiki】にも、実在のモデルがちゃんといるんです。紀元前1600年ぐらいのバビロニア王朝の頃に、実際にハンムラビ(ハムラビ)大王というのがいた。これは日本の中学校の教科書でも教えるから、みんなも知っている。「目には目を、歯には歯を」と言った王様ですね。そこから「ハムラビ王法典」という法律ができた。

ハンムラビ法典に描かれているハンムラビ(左)

古バビロニア王国

それで、ユダヤ教の経典である創世記には、「ユーフラテス川の向こうの大王」っていうのが出てくるわけよ。これがハムラビ王(実在した)のことで、アブラハムのモデルなんですよ。アブラハム(BC2000頃、啓典上の人物)というのは、ユダヤ民族の始祖(始まりの人)とされる人です。それをもっと遡(さかのぼ)ればアダムとイブ(世界で最初の人間とされる)まで行くんだけど。アブラハムの10代前に、箱舟を作ったノア(BC3000頃、啓典上の人物)がいてね。アダムとイブの息子たち、カインとアベルの兄弟殺しとかいろんな物語になっていくわけね。

創世紀のアブラハムから、やがてユダヤ民族が12支族に分かれて、それらが今のイスラエルに存在するんです、という話になった。だから例えば、12支族のひとつにベニヤミン民族というのがいる。「出エジプト」でモーセたちがエジプトから出て行った時に、エジプトの神官も一緒について移住していったんだけど、彼らに仕える世話係の連中が4人ぐらいいた。神官らが使う儀式の道具とかを担いで運ぶ係がいたんです。彼らの子孫がベミヤミン民族なんですね。

そういうことが実は、旧約聖書のユダヤ民族の始まりのところに描かれているんですよ。モーセがエジプトから出るときに、エジプトから「神様たち」というのを連れて出た、と書いてある。その「神様たち」というのは実はユダヤ教の神官みたいな人たちのことで、彼らは当時(紀元前14世紀)のエジプトで起こったアマルナ革命で生まれた新宗教の神官たちなんです。それで、どうも彼らが後に「神」になったらしい。

エジプト新王国第10代王のアメンホテップ4世(BC1353-1336頃)は、従来のアメン教【アメン神を中心とした多神教】をやめてアテン(アトン)神という唯一神をつくったんです。その信仰を国民に強要した。アメンホテップ4世は自分の名前もイクナートンに変えて(アメンホテップとは「アメン神は満足し給う」の意味)、都をテーベからアマルナに移した。それがアマルナ革命です。でもイクナートンが死んだら新宗教も廃れてしまった。イクナートンの息子で新王になったツタンカーメンは、もとのアメン信仰に戻して、都ももとのテーベに移した。一神教である新宗教(アテン神)を信仰していたモーセたちは、新宗教の神官たちを連れて一緒にエジプトを出たんです。

アメンホテプ4世

アマルナ革命の背景【エジプト新王国のファラオは盛んに西アジアへの遠征軍を送るなどの征服活動を行った。この王家による征服活動を加護する神として首都テーベの神殿の主神、アメン神が崇拝されていた。アメン神にはファラオから戦勝への感謝のしるしである貢ぎ物として莫大な戦利品や征服地の寄進が与えられた。アメン神殿を管理するアメン神官団は富を蓄え、その経済力を背景に、王位継承をはじめ政治への介入を強めていった。王権が脅かされる事態を危惧したファラオのアメンホテプ4世は、アメン神官団を排除し、王権の一元支配を目指す「宗教改革」を断行した。それがアマルナ革命の背景であった。世界史の窓「アマルナ革命」参照】

副島隆彦です。その話も、もう前に本に書いたけどね。そこから生神様(いきがみさま)みたいな思想が生まれたんだと思う。やがてそれが、目に見えない神になっていったんですね。ユダヤ教のヤハウェというような。ところで、新約聖書や旧約聖書の「Yahweh」というのは、本当は何と読むのか分からないんですよ。ヤハウェなのかエホバなのか、どちらも違うかもしれない。

 

■すべての「神様」は同じ

私の師である小室直樹(こむろなおき 1932-2010 77歳で死)先生がずっと言っていた。神様のことを、イギリス、アメリカ、ドイツでは「ゴッド」、フランス語で「デュー」と言いう。それと「ヤハウェ」と、622年に作られたイスラム教の「アラー」。これらはすべて同じ神なんです。同じ神を、違う言葉で分け合っているんだと。それが西洋人たちの世界なんですね。それぞれの宗教の、別々の神ではないんです。同じ神なんです、本当に。今もそうです。

日本人にはそれがわからない。それで、キリスト教もイスラム教もがユダヤ教から始まっているじゃないかと言われたら、確かにそうなんです。ただその前にギリシャの神々、ゼウスたちがいたからね。やっぱり私は、紀元前1000年くらいからのギリシャ文明の方が偉いと思いますよ。

小室直樹

 

■四大文明は今も続いている

紀元前500年くらいにソクラテスがいて、ペリクレスという立派な指導者がいた。その頃のギリシャが一番立派だったんです。その頃、デモクラシー(民主政体)がすでに生まれているのね。立派な指導者がいて、アテネは豊かだったんです。それが骨格として、人類にとって非常に大事で素晴らしいものだった。それをローマ帝国が真似をして、受け継いだんです。それで真実は、そのギリシャ文明を叩き壊してバルティノン神殿を焼いたのはローマ兵、ローマ人ですからね。ローマ人は、ギリシアの知識人たちの首に縄をかけてローマまで連れてきて、そして自分の子供たちにギリシャ語を教えさせたのね。だからローマ人ってのは悪いんですよ、本当は。

ギリシャ・ローマ文明の後継ぎがヨーロッパ・北アメリカ文明、ということに今もなっている。日本人は、歴史学の古代世界「だけ」に四大文明があったと思っている。そうではないんです。今も四大文明が続いている。日本は四大文明の一つである中国文明(揚子江・黄河文明)の一部。日本文化というのは中国文明の一変種なんですよ。この理解も、もうはっきりしなきゃいけない。

四大文明

今のインドがインダス・ガンジス文明。それからギリシャ・ローマ文明と、あとエジプト文明。これが独立してるけど、やっぱり一つある。エジプト文明の言葉は、本当はアラム語です。

バビロニア王国とそれからメソポタミア文明は、BC3000年頃から同じ言葉を使っているんです。エジプトから真ん中の大砂漠地帯を迂回して、今のシリアの方からぐるっと回ってパレスチナの方から、エジプトまでね、同じ言葉をしゃべっていたんですよ。それがアラム語、今のアラビア語なんです。それぞれの地域の方言になっていった。だからエンジプトやモロッコまで、ずっとアラビア語で、それが今、イスラム教の聖典の中で生きているわけです。このことも私は本に書きました。

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イスラム教は西暦622年(ヘジュラ元年)に成立して、急速に拡大して、拡大は今も続いている。けど中身はね、ユダヤ教とキリスト教をいっぱい真似して作った宗教ですからね。素晴らしい宗教だってそれほど褒める必要もないんです。ただ、イスラム教というのは、偽善がない宗教らしい。嘘つかないというかね、素直な宗教らしいです。それだけでね。

 

③終わり

「共同幻想論」に到達した思想家たち ④につづく

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