「156」 数学という暗黒大陸 ⑥数学とは
副島隆彦です。数学という暗黒大陸⑥ 今回で終了です。
■ウィトゲンシュタイン
もう1人、ウィトゲンシュタイン(1889-1951 オーストリア ウィーン出身。ユダヤ系。イギリス国籍を得た後、言語哲学、分析哲学、科学哲学に強い影響を与えた。Wikiから) というドイツ人のフィロソファーがいる。私は”哲学”という言葉は嫌いだから。 ウィトゲンシュタインという思想家がドイツにいて、ナチスの時代にイギリスに亡命した。
ウィトゲンシュタインとヒトラー(とハイデガー)は同じ1889年生まれです。イギリスに移ったのが1930年ぐらいかな。助け出したのがバートランド・ラッセルとホワイトヘッドだった。
ウィトゲンシュタインはやがて、言語哲学(ランゲージ・フィロソフィー philosophy of language)という新しい分野を開いていく。これはイギリスで生まれた言語思想なんです。ソール・クリプキとかいろんな弟子たちも育てた。
私もウィトゲンシュタインをよく読んだけど、ウィトゲンシュタインは、ある種の数学者でもある。でも自然言語でやりますから。それで、ウィトゲンシュタインも相当の変わり者で、「無限はない」と言って、バートランド・ラッセルとホワイトヘッドに食ってかかったという。自分を助け出して、イギリスまで連れてきてくれた恩義があるのにね。それがウィトゲンシュタインという思想家の始まりなんです。

ウィトゲンシュタイン
ベルンハルト・リーマン(1826-1866 ドイツ人数学者)のリーマン幾何学というのがあって、これが非ユークリッド幾何学そのものなんです。リーマンもカントールやデデキントの跡継ぎで、ほぼ同世代です。“非ユークリッド幾何学” はリーマンがつくった言葉でしょう。

リーマン
■結局、数学って何ですか
みんなにわかるように、数学の全体像を私が暴き立てて教えるというのは大事なことなんだ。無矛盾性とか連続体仮説とか、簡単に言えば、足し算、引き算、掛け算、割り算、これで数式がちゃんと成り立つようなもの以外はやったらいけないということ。そうは言っても、やるやつはやる。それでも、あんな難しい数学の式を国民大衆に押しつけちゃいけなかった。
人々を苦しめちゃいけない。みんなを落ちこぼれにしてはいけない。それに本当のことを言うと、理学部やら工学部に行く人間は、丸暗記しているだけです。真面目ですから丸暗記の天才たちで。それじゃあ文化系と変わらないじゃないか、ということになる。
結局、数学なんていうのは、演習、ドリルです。ドリルで公式の使い方とか典型的な数学の問題を解かしておいて、「これを応用した演習を自分でやってください」と言って、この演習問題がずっと続く。それを自分で一生懸命解いていって、「わかった、ここまでわかった」とか言いながら演習本を一冊ずつ読んでいく。それを「数学の勉強」という。 かわいそうなものです。
それこそ宗教の世界にはまっていくのと同じだ。佐藤 優(さとうまさる)氏が私にくれた、同志社大学の神学部で教えているテキストみたいなやつがあるけど、読んでみたら本当にくだらない。よくこういうばかみたいなことをテーマにして、議論がずっとできるもんだ。
典型的な例を言うと、「細い針のてっぺんで、天使が何人踊りを踊れるか」とかね。これは神学をバカにするときの定番の表現だけど、もう漫才を通り越して、神学というのはそういう世界です。そこにはまっていった人は、だまされて宗教団体に入ったのと一緒ですから哀れでね。人生哀れで終わっていく。
ただ、数学のその横には派生物として工学部があって、産業、工業、電気工学であろうが、土木工学や通信技術であろうが、どんどん新しいものをつくっていく。新製品をつくって世の中のためになっている企業群がある。そこに工学部、理学部を出た連中を供給していくわけです。そのための基礎学問みたいなふりをして数学を教わるけど、これがまた難しくて地獄を味わわされている。
私はこれまで、法学批判の本(『法律学の正体』1991年。新版が2002年 洋泉社)とか、経済学批判(『経済学という人類を不幸にした学問』2020年 日本文芸社)の本も書いている。それ以外に政治学、アメリカや世界の政治のことも書いている。言語思想、言語とか英語学とか言葉についての研究も、歴史学、社会評論もやっている。

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だから私、副島隆彦はそれぞれの法学者や経済学者や政治学者、それから歴史学者たちに負けやしない。どかんと大きなことを言って、牛刀という、牛を切り裂くための大きな“なた”のような刀で切りかかっていくように真実を言うから、嫌がられて、嫌われるんです。
だからこうやって理学部、工学部の世界に私が入り込んでいって、書いて、ばか扱いされても、何ともない。まあ向こうはどうせ相手にしないだろうけど。
でも私には、難しいことをやらされて頭を苦しめられて、ひどい目に遭った人たちを助け出さなきゃいけないという大きな任務がある。何だ、そういうことだったのか。ひどい目に遭ったんだなと、みんなに知らせて怒らせなきゃいけない。
自分はばかだから、頭悪いから落ちこぼれました、とみんな思っているけどそうじゃない。教えていた内容がひどかったんだ。あんなもの、実は嘘八百だったんだと。
方程式を解いて、関数を解いて、答えは〇〇と言ってるだけですから。ところがそれも、答えを見てからやれよというね。答えを見たら簡単ですよ、本当に。解のほうがずっと簡単。解からずっとそれを上のほうに解き直していくと、質問文が生まれてしまう。何ということだろうと。これも大きくばらしておかなきゃいけない。
だから、数学が割とできたやつというのは、算数の計算がうまくできたんじゃなくて、大体、答えが最初にわかった人たちなんです。
どういうことかというと、例えば、直角座標で……、まあ、立体座標にしましょうか。XYZまで入れた。そうすると、そこに、3、4、5という座標を持つ点Pを置きますよ。わかる? 座標点Pの要素は3、4、5でしょう。Xが3で、Yが4で、Zが5ね。それの対蹠点(コントラポイント)というのかな。この立体座標において対蹠点はどこですかといったら、立体座標の3、4、5というところにある空間に、点の0を通った真っすぐ直線のその反対にある点はマイナス3、マイナス4、マイナス5。この答えがすぐ出せる、空間概念がある人が数学はできる。図式、図表、図柄に強い。だから幾何が重要なんです。小学校で図形をやらせるはずです。
そうすると、答えがすぐ浮かぶ人がいて、代数的に一生懸命計算しなくても、答えが大体わかる。それが高校のときに秀才と言われた人たちなの。一生懸命計算して式を解くわけではない。最初から答えがあるんだから。答えを見てから解き直す、ということを訓練してどんなに難しい問題でも何十回もやれば、東大に受かるぐらいの問題は解けるようになる。
■進学校の数学は、裏技のテクニックを教えるだけ
それで進学校というのは何を教えているかというと、最初から裏わざを教える。私が言っている裏わざというのは、『解法のテクニック』とか、昔、矢野健太郎という数学者が言っていたけれど、要するにコツことです。中学校、高校で、裏わざを教わっているわけ。だからこの野郎たちはたちが悪い。
それに対して、普通の人たちは一生懸命計算させられる。で、「はい、答えがようやく出ました」「大変な苦労をしましたね」みたいに言われる。ここがいわゆるエリートと、エリートじゃない人間の違い。それ以外に8割9割の膨大な落ちこぼれがいるのよ。これを大衆庶民というんだけどね。努力していくらやっても、ただのサラリーマンで終わりましたと。しかし、本当はこの人は頭がよかった、みたいな人たちが一番かわいそうなの。
だから私は、別に数学や物理学をくさすためにこの話をしているわけではない。裏の本当の真実を、最近、明らかになっていることを含めて教えたい。私の本を読んでくれる人たちを救い出すためにね。本当のことを書きました。
(おわり)
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